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「ほんとうに,なんという変化だろう」目ざめよ! 1971 | 4月8日
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や野イチゴも手にはいって,料理に変化を添えた。食物,衣類,それに雨露をしのぐ屋根があれば,ほかになにがいるだろう。それで十分じゃないか」。
レクリエーションと輸送
「ではレクリエーションにはどんなことをしましたか」。
「そうだね,わたくしたちにはあまり暇はなかった。夜も働いたからね。たいてい,男も女も,糸をつむいだり,編んだりといった,羊毛の加工をした。一日中外で働いたあと,家族がみんな同じところにすわって一緒にすごすのは楽しかったね。わたしたちはまた,かわるがわる昔の武勇談や詩,聖書の朗読をしたものだ。そうしたことはみな,自家製のローソクやアザラシとかクジラの油をともしたランプの火のもとで行なわれたのだよ。時には客がきていろんな話をしたり,遠い昔のでき事をうたった叙事詩を暗誦したりして楽しませてくれたこともある」。
「それは楽しかったことでしょうね。でも,おじいさんたちはいろいろな所へ行くことはなかったんですか」。
「行ったよ,時にはね。毎日曜日,馬に乗って教会に行くのが習慣だったから,途中,他の農家をちょくちょく訪問した。中には社交をゆっくり楽しむために,土曜日に出かける人さえいた。
「おまえたちは,当時のような生活をあまりいいとは思わないだろうが,退屈でわびしい生活だったと考えてはいけないよ。実に充実した生活だった。わたしはいつだって,今のようにせわしくて,むだの多い世の中より,昔の生活のほうが好きだね。もっと時間があったから,創造者の御手のわざについて思いをめぐらすことができた。自動車や飛行機でかけずりまわることはなく,馬に乗ったり,多くの,馬の買えない人たちは歩いた。しかも,溶岩の塊りのあいだの,羊や馬の踏みならした数キロの道を歩くことがしばしばあった。若いおまえたちには理解できないかもしれないが,わたしたちはそうすることをとても楽しんだよ」。
「すごい変わりようですね! ほんとうにそういう生活をして自分の目で見なければ,理解できないような気がしますね ― そしておじいさんの見た変化もね」。
一番大きく変わったのは人間
「だがね考えてみると,一番大きな変化は,科学や近代技術の成し遂げたものではなく,人々の思いや心臓に影響を与える変化だ」。
「それはどういう意味ですか」。
「人間がずいぶん変わった,つまり,さくがなくなったとでもいおうか。近ごろの人々には邪魔になるようなものは何もないように思われる。人々を抑制するものが何もないのだ。一般に権威や他の人の権利とか所有物に対する尊敬の念が見られない。人はもうだれも信用することができず,不安につきまとわれている。昔はそうじゃなかった。わたしの若い頃には,男というのは信頼できるもの,約束は約束だったが,もうそういうわけにはいかなくなった。不正や買収や,あらゆるたぐいの盗みがはびこっている。だが,こうした不法の新たな傾向に,クリスチャンは少しも驚かない。今日の人々の大部分がどんな精神的傾向を持つか,はるか昔に聖書の預言の中であらかじめ述べられていたからね。テモテ後書 3章1-5節の聖句を覚えているだろう」。
「ええ,ぼくは暗記しています。そこで使徒パウロは,人々が『自分を愛する者,金を愛する者,……[そして]神を愛するより快楽を愛する者』となるであろうと述べています」。
「まさにそのとおりだ。パウロはまた,『終わりの日』に『対処しにくい危機の時代が来る』とも述べている。それは,一般の人々の道徳が低下するためだ。なにも,1914年以前の人々が完全だったとは言わないが,それでも人々は使徒パウロが述べたほどに堕落していなかった。ずっと素朴で実直であり,甘やかされていなかった。今だったら,かなり多くの人は,そうした人々をうぶな人間だと考えるだろう。しかし,身心ともに緊張している今の時代より,はるかにゆっくりと幸福な生活だった。人々の態度の変化は,物質面の変化をすべて合わせたものにおとらない。おまえたちにもその違いがわかるだろう」。
「はい。そして,おじいさんの今のお話や以前おじいさんがわたしに話してくださったことを考えると,神の新しい事物の体制について,聖書が述べている事柄をもっとよくわかるようになるのが楽しみです」。
「若い者がそう考えるのは正しいことだ。おとなもそう考えるべきだよ。なぜかというと,エホバとその目的に関する知識は,非常に重要だからね。ヨハネ伝 17章3節(新)の内容を思い出せるだろう」。
「ええ,思い出せます。そこでイエスはこうおっしゃっています。『唯一のまことの神であられるあなたと,あなたのつかわされたイエス・キリストとの知識を取り入れること,これは永遠の命を意味します』」。
「そのとおり。だから,1914年以来の世の中の変化について,おまえたちが持っている知識は,今が実際,預言された『終わりの日』であることを知るのに役だつのだよ」。
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春画の問題目ざめよ! 1971 | 4月8日
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春画の問題
春画とは,性的興奮をそそる目的で描かれた絵である。春画ということばの英語,ポーノグラフィーは,文字どおりには「淫婦文書」または,「売春婦の文書」を意味するギリシア語,ボルノグラフォスに由来する。したがって,性的な卑しい欲情をそそる本や雑誌,写真や映画は,春画に類するものとされる。
春画は不道徳とのつながりがあるため,非合法化すべきだと唱える向きもあれば,春画それ自体は,わいせつ,もしくは不道徳なものではないとして,春画に対する制限はいかなるものであれ,個人の自由の侵害であると考える人もいる。
他の国々と同様,アメリカでも,この問題はかなりの混乱を招いてきた。アメリカの前最高裁長官,E・ワレンはかつてこう述べた。「最高裁における私の全奉職期間中,わいせつの問題とその処理の仕方ほど苦労させられたものはない」。
最近の傾向
春画はどれほど広く一般にはびこっているのであろうか。アメリカ,シンシナチ市の弁護士,C・キーティングは述べた。「わが国では春画は疫病のようにまん延している」。
マッコールズ誌に寄せた一文の中で,M・マンネスは断言した。「要するに,今やわれわれの社会は,なんでも通用し,万事許容され,かつ,個人の欲求また個人の欲望や想像が,なんら制限されずに充足される事態に陥っているのである」。
書店その他で売られている,春画を主にした出版
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