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見いだせる間に神を尋ね求めなさいものみの塔 1973 | 10月15日
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自分で「善悪を知る」ことができるのだと考えるようになりました。それこそたいていの人がこの世で行なおうとしていることではありませんか。つまり,自分で正邪の規準を設け,あるいは人の定めた規準を受け入れているのではありませんか。あるいはあなたも,神を離れた他の人々に刺激され,誠実でありさえすればまちがいないと信じて,そのようにしてこられたかもしれません。―創世 3:5,6,新。
17 このことには,文字どおりの境界の侵犯がどのように続きましたか。また,他の者の権利の侵害がどのように起きましたか。
17 こうしてエバは,禁じられた実を食べようとする誤った欲望と決定をいだいて道徳上の境界を犯しましたが,文字どおりの境界の侵犯がそのすぐあとに続きました。彼女は「その実を取って食べはじめた。のちに彼女は,夫がともにいた時にそのいくらかを彼にも与え,彼はそれを食べはじめた」。(創世 3:6,新)境界を踏み越えると,他の者の権利を侵害する結果になる場合が少なくありません。この場合,エバはまず,頭の地位にかかわる夫の権利を侵害しました。自分で勝手に先導的な行動を取ったからです。さらに重要な点として,不従順な行為と精神によって自分の歩みを決定した両人は,ともにエホバ神の権利を侵害しました。彼らは故意に線を踏み越えました。つまり,彼らは,何を食べてよいかいけないかに関して神の定めた境界線を意識的に無視し,自分の勝手な線を引いたのです。それはどんな結果になりましたか。
18 (イ)神はご自分の権利をどのように守られましたか。(ロ)アダムの不従順によって人類はどれほどの影響を受けてきましたか。このことはどんな疑問を生みますか。
18 神の裁きが宣告されたのち,アダムとその妻は自分たちの庭園のような住まいから放逐されました。そこに戻ることはできなくされました。エホバは『その人を逐い出し,エデンの園の東にケルビムとおのずから回る炎の剣を置いて命の木の道を守らせ』ました。(創世 3:24)これは禁断的な境界標であり,彼らにとっては,通り抜けることのできない障壁となりました。さらに悪いことに,彼らはエホバの顔とそのみまえから追放されました。アダムの子孫であり,『ひとりの人から作られた』わたしたちすべては,このことによってきわめて大きな影響を受けました。「無知の時代」のことは言うに及ばず,さらに根本的には,受け継いだ罪と不完全さとのゆえに,わたしたちは神から遠く離れています。(使行 17:26,30,新)しかし,その神から離間した人々の間で多くの宗教活動がなされています。数多くの宗教宗派があり,それぞれ自分の所属する宗教で満足している人が多くいます。彼らは宗教上の問題に関し,あるいは何か道徳上の問題がある場合に,自分で善悪を決定します。あなたもそうしていますか。これはなんの希望も存在しないという意味ですか。真の神を尋ね求め,真の宗教を尋ね求めるのは全く空しいことなのですか。それともわたしたちは,この探求を成功裏に行なうことができますか。人間がエデンから放逐されたのちに何が起きたかを見,そこから得られる励みを見いだしてください。
捜し求めることにはどのような結果があるか
19 アダムの初めのふたりの息子の間にはどんな対照が見られますか。カインの歩みはどのような結果になりましたか。
19 アダムの初めのふたりの息子は明確な対照をなしており,わたしたちの探求を助ける面で多くのものを含んでいます。ふたりはそれぞれエホバにささげ物を携えて来ましたが,その後のできごとに示されるように,ふたりの動機には相違がありました。カインのささげ物は『地から出た幾らかの実』でしたが,それは,『その群れの初子,まさにその肥えたもの』から成るよりぬきのささげ物を携えて来た弟アベルに負けないようにという気持ちから出た,ただの形式であったのかもしれません。明らかにされていないなんらかの手段で,エホバはアベルとそのささげ物に対する好意を示し,一方,『カインとそのささげ物のほうは好意をもってご覧にな』りませんでした。それでカインは『大きな怒りに燃え』ました。そこでエホバは親切にも彼に警告を与え,『転じて善を行なうなら,高められるのではないか。しかし,転じて善を行なわないのであれば,罪が入り口のところにうずくまっており,それが慕い求めているのはあなたである。そして,あなたは,それに打ち勝つであろうか』と言われました。これは,カインがすでに悪の道に入っていたことを示しており,彼が利己的で強情な精神をいだいて『高められること』を求めていたことは明らかです。彼は今にも自制心の境を越えようとしていました。そして実際にそれを越え,最初の殺人者となりました。彼は『エホバのみ顔の前から出て行って,逃亡の地』,処罰者の手から逃れた地に住みました。―創世 4:3-16,新。
20 アベルはどのようにして強固な信仰を築き上げることができましたか。それには他のどんなすぐれた資質が伴っていましたか。
20 一方,アベルのほうを見るとき,これはなんと喜ばしい対照なのでしょう。神はなんらかのしかたで彼に好意を示されました。アベルはそのことに十分に気づいていました。パウロはその点を強調してこう述べています。「信仰によって,アベルはカインよりさらに価値のある犠牲を神にささげ,その信仰によって義なる者と証しされました。神が彼の供え物について証しされたのです。またそれによって,彼は死んだとはいえなお語っているのです」。(ヘブル 11:4,新)アベルの信仰には確かな土台がありました。彼は,エデンの園におけるエホバの恵み深い備えについて細かに伝えられていたに違いありません。また,父親が自分の息子に語りかけるようにしてエホバがアダムに語りかけられたことを知っていたでしょう。さらにアベルは,へびの頭を砕くことに関するエホバ神の約束と預言に通じ,それが正確にいつまたどのように成就するかについては知らないとしても,その成就に対する確かな希望をいだいていました。そうした信仰や希望に加えて,彼には他のひいでた特質がありました。彼はエホバに対する真実の愛を培い,加えて,強い忠節心と感謝の念をいだいていました。それは自分の両親と兄の悪い影響や手本に打ち勝つほどに強いものでした。―創世 3:15。コリント前 13:13。
21 アベルについて考えることからどんな励みを得られますか。
21 エホバの祝福の証拠を与えられたアベルにとって,真の神を捜し求めることは終わりました。心から出た真の従順の精神に基づく正しい行ないによって神の恵みを保つことを常に求めるということを別にすれば,彼が神を尋ね求めることは必要ありませんでした。アベルに可能であったことはあなたにも可能です。わたしたちは,いっそうの導きと励ましを求めて神のことばを調べることに期待と確信をいだきます。エホバがアベルを助けた方法を忘れないでください。そして,エホバはカインに対してさえ助けの手を差し伸べられたと言えるのです。
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望ましい借家人ものみの塔 1973 | 10月15日
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望ましい借家人
● 1971年11月24日のこと,ある婦人がドイツのウィースバーデンにある,ものみの塔協会の支部事務所を訪れ,自分はベルリンでアパートを買い入れたが,それをエホバの証人に家を貸したいと申し出ました。エホバの証人に家を貸したいと考えた理由を問われた彼女は,南ドイツの友人が証人たちに部屋を貸しており,自分もそうするよう勧められたのだ,と答えました。彼女はまた,信頼の置ける借家人を探すことがどれほど難しいかについても話しました。エホバの証人の行ないに感心した彼女は次のように言いました。「わたしは,この人たちが神を恐れ,すすんで人びとを助け,勤勉に働くことを知っています。ですから,わたしの計画にみなさんのご援助が得られれば非常にうれしく思います」。
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