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『神の力は弱さのうちに全うされた』ものみの塔 1972 | 12月1日
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て買物に行くにも,途中で何度か休まねばならないような状態でしたので,休養するほかはありませんでした。
2か月たって,私は全時間奉仕の務めをあきらめるか,あるいはなんとかしてそれを継続するか,どちらかに決めなければならないことに気づきました。そこで,1947年11月のある暑い日に,荷物を自転車に積み,牧場を回る訪問に出かけました。疲れるまで自転車を走らせペダルを踏むのに疲れると,自転車を押して歩くか,または地面に大の字に寝そべって休みました。エホバがいつくしみを示してくださり,必要なときに力を示してくださったので,私はどうにか奉仕を続けることができました。
100㌔ほど自転車の旅をしたのち,私は小さな町にはいって良いたよりを宣べ伝えました。この町では私は馬を1頭借り受けました。辺ぴなところにある牧場に伝道に行くのに,自転車では疲れるからです。でも私はその若い馬にすぐに振り落とされ,腰の骨を折ってしまいました。そこでまた数週間入院することになりました。しかし退院後,エホバの助けにより,任命された奉仕のわざを継続する決意をしました。
私は馬を1頭買うことができ,土地のある親切な人が小さな馬車を貸してくれました。私はその小さな馬車に乗って,約3か月にわたり,多くの牧場を回りました。この地域全体に良いたよりの伝道を行なったあと,私は,さらに東の広い地域で奉仕するよう任命されました。
オーストラリア奥地におけるいっそうの拡大
1949年,2か月の休養の後,135万平方㌔に近い面積をもつノーザン・テリトリー全域を伝道するよう任命されました。機会さえあれば,自転車を積んでくれるトラックに便乗させてもらって,ヒッチハイクを行ないながら,1,126㌔南西の地点にあるアリススプリングス,そしてそこから1,600㌔北方にあるダーウィンに向けて,途中にある町や牧場で王国の音信を宣べ伝えながら旅をしました。その間毎年少しの期間ダーウィンで過ごし,そこで伝道に励んだ結果,1952年に会衆が設立されました。
その後,私はクィーンズランド州のマウントアイザ市で奉仕するよう任命を受けました。すべてはエホバの助けによりますが,1954年の初め,私の努力は実って,そこにひとつの会衆ができることになりました。
私はまた,マウントアイザから南方の有名なバーズビルに至る牧場一帯を訪問する特権を得ました。ここは,多くの旅行者が酷熱と水の欠乏のために果てる,砂丘の多い,荒涼とした地域です。数年前,そこで家族5人の死体が脱水状態で発見されたため,この地域の北と南の入口には,旅行者にその地域にはいる危険を警告する立て札が立てられています。
この地域に離れ離れにある数少ない牧場の家の訪問には,軽二輪を使いました。そうした牧場のひとつを尋ねたとき,そこの経営者は,自分なら,「トラックに1週間分の食糧と水を積み込んで用意を整えないかぎり」,この地域を横断するようなことはしない,と言いました。しかし私は,まだ神のことばの伝えられていないこの地域で働くように任命されており,またエホバの助けに頼ることができます。ところが,私がオートバイに乗ってこの地域を伝道していることが,オーストラリア放送委員会のひとりの代表者の注意を引き,私はインタビューを申し込まれました。このインタビューは,A・B・C放送局により,国営ラジオ放送網を通じて放送されましたが,神の王国についてオーストラリア国民に証言することは特権でした。
原住民に良いたよりを携えて行く
マウントアイザ会衆で6年間,主宰奉仕者として奉仕したのち,私は,一度も王国の音信を聞いたことのない原住民に良いたよりを携えて行く仕事を割り当てられました。仲間のエホバの証人たちは,映写機と,ものみの塔協会のフィルムを準備して私を驚かせました。1万7,000人ほどの原住民は,教会の宣教師団の運営する施設や大きな牧場など,政府の設けた13のセツルメントに集められています。
私は,何年にもわたる交渉のすえついに,ノーザン・テリトリーの原住民居住保護区にはいる許可を得ました。宣教師団経営の施設にはいる許可は得られませんでしたが,それらの場所の原住民の中には,牧場に雇われる者がいるかもしれません。私は彼らの多くに,神の王国について話すことができました。
原住民の人口は,現在は2万2,000人にふえていますが,私は彼らの多くに神の王国について語る特権を得ました。こうしたそぼくな人びとのほとんどは文盲ですから,私は視覚を利用する手段を用いて,聖書の音信を理解してもらうよう,彼らの多くを助けました。聖書の話の主題にかんする28枚の油絵,またニューギニアやアフリカの証人たちの集会と伝道の模様を写したスライドなども携えて行きました。
原住民に対する奉仕においても,たくさんの良い経験をしました。ある集まりで1時間の話をしたあと,出席者全員が前に出てきて,私が聖書から話した真理に対し,暖かい感謝の意を表わしたことがありました。またある時は,私の到着後数分の間に,キャンプはまっくらだったにもかかわらず,50人の原住民が話を聞きに集まりました。読み書きのできる原住民からは,簡単なことばで聖書の真理を説明した私の手紙に対し,りっぱな礼状がきました。
たしかにエホバは,あわれみといつくしみを豊かに注ぎ,私に42年間,全時間奉仕をすることを許してくださいました。医師から終身虚弱者と言われてから現在まで38年,また85%の廃疾者と見なされてから25年たちました。しかし自家療法と運動とにより,今でも,全時間神のことばを宣べ伝えるという精力的な活動を行なうことができ,1時間の公開講演をしたり,割当てられた地域内で何千㌔も自動車を運転したりして,奉仕に携わっており,外見もまだたくましさを失っておりません。ですから,私は,エホバの力は私の弱さのうちに全うされた,と確信をもって言うことができるのです。
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被造物を不当に重要視していますかものみの塔 1972 | 12月1日
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被造物を不当に重要視していますか
1 崇拝に関してはキリスト教世界においてさえ,どんな事態が見られますか。
ご存じのように,世界のいろいろの場所で,人びとは,動物や人間を含め,あらゆる種類の事物に敬意を表わしています。中には公に神々として認められるのもあれば,神とは呼ばれていないにしても,寄せられる賞賛や注目,また示される従順や献身のゆえに,しばしば神とみなされるものもあります。事実,キリスト教世界の帰依者でさえ,ほかならぬ自分たちが仕えていると唱える神に対する以上に,はるかに多くの奉仕をそのようなものにささげている場合がよくあります。
2 エホバに対する専心の献身の道から逸脱する人はどうなりますか。
2 聖書の神エホバは,「専心の献身を要求
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