人の考えを越えた神の考えに従うことから得られる祝福
1975年2月28日,それは私がバプテスマを予定していた大会の一か月前でした。背中と胸が苦しくて病院に行きました。レントゲンを撮った後,「自然気胞」三度目の発病と分かり,「すぐ手術をしないと命にかかわるから,すぐ入院の用意をするように」と言われました。私はクリスチャンであり,輸血は良心的にできない,と話すと,先生は「私はおりた」と言われ,口もきかれませんでした。「では他の病院に行ってみます」と言いますと,先生は「そんな体で歩けるわけがないでしょう。ちょっと待っていなさい,外科の先生で一人だけオランダに留学した先生がいるので,その先生にあたってみるけれど,果たして輸血なしで手術してくれるかどうか分かりませんよ」と言われ,その医師に連絡を取るため電話の方へたたれました。先生が電話をかけている間,私は一心にエホバ神に祈っていました。エホバ神が私の祈りを聞いてくださった事を知ったのは,その時から6日後のことでした。というのは,手術の後ずっと昏睡状態だったからです。
手術をしてくださった外科の先生は,輸血なしでは絶対にできないと考えられていた手術を輸血なしで行なえたことと,99%までは成功を期待せずに行なったこの手術がみごと成功したのを知って喜ばれ,これからは自信を持って同じ手術を行なってゆけると言われました。
ですから,人間がどんなに,これが正しい事だと言い,それによって命を得られると言っても,人間は不完全で絶対に正しい事は言えないのだということをつくづく感じました。そしてエホバ神が私たちの避難所であることと命の与え主であることを多くの人々に知ってもらいたいと思いました。
一か月間入院し,退院してから約半月ばかり体が思うように動かず,食事の用意をするのもなるべく右手を使わず左手でするようにし,集会の時だけ右手でペンを持つようにしました。私は目も耳も口もはっきりしており,他の部分はどこも悪くありませんでしたので,ただ霊的栄養を十分に取り,子どもたちも霊的に養わなければと,ただその事だけが頭にあり,ひたすらエホバ神に祈り求めてがんばってきました。また5月からは病院に月3回ずつ通いながら,電話や訪問客に音信を伝え,手紙も一日一通ずつ,休みながら書きました。
6月に入り,7月の夏に開かれたエホバの証人の岩見沢大会でバプテスマを受ける人たちのための討議が始められ,私も加わりました。2回目の討議に参加している時に気分が悪くなり家へ帰りました。夕食の支度をしている時に吐気をもよおし,これはつわりで妊娠したことを知りました。
次の日病院に行き,以前の手術のことを話しますと,「今まで肺の手術をした方で妊娠したという話は聞いていないし取り扱ったこともないので,手術してくださった医師に聞いてください。私には何も答えられませんから」と言われました。その日のうちに私の肺を手術してくださった先生に尋ねますと「残酷なようだけど,今度の子どもはあきらめなさい。それでないと自分の命を失うことになりかねないから。もし万一おなかの子どもが育ったとしても,8,9か月目になるとあなたの子宮が大きくなり,肺が押し上げられて肺の病気が再発し,その時には両方の命がだめになる可能性が95%だから,私は絶対に中絶を勧めますね」と言われました。その日,2,3軒大きな病院に電話したり出かけて行ったりして,私の体の状態を話して出産可能かどうかについて尋ねますと,すべての病院で「それは不可能だ」,「すぐ中絶をしなさい」,「自殺するようなものだ」と言われ,答えは同じでした。しかし私は人間の考えでなくエホバ神がこのことをどう見るか考え,すべてエホバにゆだね,まず王国を第一にして夏の大会でバプテスマを受けました。
毎日病院に検診のために行きますと,子どもも私もとても健康で病院側でもびっくりするほどでした。今まで血圧が90ととても低かったのですが104-108までに上がり,貧血も直り,85%という血の濃さになり,先生も「本当に貧血だったのですか」と聞かれるほどでした。
予定日の4日前から3日間,10分おきに陣痛があり,それから先間隔が短くならないため入院しました。その日の夜10時ころから本格的に痛み出し,5分おきぐらいの陣痛が翌日の午前6時30分ころまで続きました。
無事生まれた子供はとでも大きく,3,860グラムもありましたが,へその緒が首にまきついていたために首をしめる形になっており,あと一分遅かったら赤ちゃんは死亡していたそうです。その事からもエホバ神が私たち親子を保護してくださっていることが分かりました。子どももとても元気で,次の日からミルクを60CCも飲むほどで病院側でもびっくりしておりました。
私はこのことからも,人間の言葉ではなく,すべての事を可能にしてくださるエホバ神に,私たちクリスチャンはすべての面で信頼することが大切だと思いました。私は今大声で「すべてのものを造られた生ける真の神エホバよ,あなたは私の魂を生きかえらせ,み名のために私を正しい道に導かれ,あなたが栄光を受けるにふさわしい方であることを知らせてくださり,心から感謝致します」と叫ぶことができます。―寄稿