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読者からの質問ものみの塔 1975 | 6月15日
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と結論すべきでしょうか。決してそうではありません。
この点でもまた,障害のある子供の生まれる危険性が普通以上に大きい場合があるかもしれません。例えば,妊産婦が40歳を越していたり,ある種の強力な薬を飲んだり,妊娠の初期に胎児に障害を及ぼす恐れのある病気にかかったりしたような場合はそういう心配があるように思えるかもしれません。妊娠初期の12週間中に風疹を患った母親から生まれる子どもの約10ないし15%には,生まれた最初の年にその病気のいくつかの有害な影響が認められます。(もちろん,これはそのようにして生まれる子どもの85ないし90%は影響を受けないことを意味しています。)とはいえ,命に対する深い敬意を持つ人は,子どもに障害をもたらすかもしれない単なる潜在的な危険があるからといって,成育中の胎児の命を終わらせることが正当化されるなどとどうして言えるでしょうか。
例えば,南アフリカの一婦人の場合は,そのような危険もなお単なる可能性と見なさねばならないことを示しています。その婦人は妊娠していることに気づく前に,腎臓病の治療のため注射を受けました。後に担当の医師は,その注射のために精神薄弱か,あるいはひどい奇形の子どもが生まれてくるかもしれないと述べ,堕胎をするよう強く勧めました。しかし,命を尊重すべきことについて聖書の述べる事柄をエホバの証人から学んだその婦人は,堕胎を断わりました。たとえ子どもが障害を受けようとも,エホバは来たるべき新秩序でその障害を除去できるということを悟ったのです。(イザヤ 35:5,6と啓示 21:4を比較してください。)その結果はどうでしたか。元気な女の赤ちゃんを出産しました。しかし,たとえその娘が悪い影響を受け,余分な世話や治療を必要とするようになったとしても,その少女が永遠の命の見込みを持って生きられるようにした決定の正しさは変わるでしょうか。
したがって,自分自身の健康や命が,あるいは子どもが危険にさらされているゆえに治療手段として堕胎をするよう強く勧められている婦人は,聖書の見解をしっかりと念頭におかねばなりません。起こり得る,あるいは潜在的な危険は,たとえそれが容易ならぬものであっても,問題を自分勝手に処理して子宮内の子どもの命を故意に断つことを正当化する理由とはなりません。聖書の見解に従って決定をするには真の信仰と勇気が必要ですが,それは確かに正しい決定,またエホバから永遠の是認を受ける決定となります。
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訂正ものみの塔 1975 | 6月15日
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訂正
1975年5月15日号「ものみの塔」,315ページ32節,最後の行の箴 19:7-10を詩 19:7-10に改めてください。
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神のみ名はエホバですものみの塔 1975 | 6月15日
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神のみ名はエホバです
このことをご存じでしたか。エホバとは神がご自分に付されたみ名です。聖書の詩篇 83篇18節をご覧になると,そこにはこう書かれています。『エホバてふみ名をもちたまふ汝のみ全地をしろしめす至上者なり』。エホバについて学んでください。そして,聖書をお読みください。
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