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  • 堕胎! 命を奪う魔の手
    目ざめよ! 1980 | 8月22日
    • 堕胎! 命を奪う魔の手

      この子が小さな足をばたばたさせる音を聞く人はいません。10週間目で堕胎させられてしまったのです。

      吸引。吸引キュレット(鋭い刃先の付いた中空の管)を子宮の中へそう入し,電気掃除機の吸引力の28倍の力で吸引して胎児を切り裂き,その残骸を容器に吸い込みます。12週目までの堕胎にはほとんどの場合に,この方法が用いられます。その時までに,子供は完全に形造られており,痛みを感じます。

      拡張および掻爬(D&C)。吸引法に似てはいますが,輪の形をしたメスをそう入し,胎児をばらばらにし,残骸を子宮の開口部からかき出すという点が異なっています。

      食塩水。胎児の入っている羊膜嚢から羊水が抜き取られ,濃い食塩水がその代わりに注入されます。胎児はその溶液を吸い込み,かつ呑み込み,苦しみもがき,出血し,けいれんを起こし,数時間後に死亡します。その後,母親は苦しみながら,死んだ,あるいは死にそうな子供を出産します。この方法は妊娠のもっと進んだ時期,4か月から6か月のときに用いられます。

      プロスタグラジン中絶。出産促進ホルモンが羊膜嚢に注入され,その結果,早産が引き起こされます。生きて生まれてくることがないように,大抵の場合,塩類がまず注入されます。

      子宮切開術。これは帝王切開に似ています。外科手術によって腹部と子宮が開かれ,胎児が取り出されます。これらの子供の大半は,取り出されたとき生きており,少しの間もがき,泣き声を上げ,死にます。妊娠が非常に進んでいる場合に用いられますが,同じ時期に生まれる早産児は生き延びることができます。

      過去数年間に,世界の婦人の3分の2以上が自国で合法的な妊娠中絶を受けた,と国際連合の一調査は伝えています。妊娠中絶を認める理由は共通しており,妊娠した婦人の身体的,精神的,社会的,経済的福利が挙げられています。

      米国では,1973年に連邦最高裁判所が7対2の裁定で,「法的には出産前に人は存在しない」とし,胎児の生命は法の保護の下にないと定めました。1973年まで,出生前の子供の生命は,妊娠何か月になるかにかかわらず,法によって保護されていました。そして,胎児には,訴訟を起こしたり,相続したり,社会保障の恩恵に浴したりする資格さえ認められていました。

      母親の生命が危険にさらされていること,胎児に障害があること,強姦または近親相姦の結果としての妊娠などが理由として挙げられています。こうした理由が当てはまる割合はごくわずかにすぎません。堕胎の95%以上は“治療堕胎”と呼ばれており,それは別の理由で施されます。

      “健康上”の理由。妊娠したために,特別な教育や職業や社会活動や休暇などに支障が生じるなら,母親は精神的なストレスを感じるかもしれません。母親を“悩ませる”不都合な状況は,ほとんど何でもその理由になります。母親は,子供が生まれると財政的に苦しくなると訴えて法的に堕胎を行なうことを認められるでしょう。あるいは,家族の絆に“ひびが入る”ということもあるでしょう。

      産児調節のために。堕胎は産児調節,あるいは計画出産の手段としてしばしば用いられます。避妊具や避妊薬に煩わされることを望まない夫婦もいます。期待とは裏腹に,経口避妊薬は堕胎の増大傾向に歯止めをかけるものとはなりませんでした。繰り返し堕胎を受ける人は少なくありません。

      子供を生み分けるために。羊水から胎児の細胞を得ることにより,医師は胎児に遺伝的な欠陥があるかどうか検査できます。さらに,胎児の性別を告げることもできます。ある人々はこの方法を用い,それから得られる情報に基づいて堕胎をするかどうかを決めます。胎児が女の子で,夫婦が男の子を望んでいる場合,あるいは胎児が男の子で,夫婦が女の子を望んでいる場合,望まれない子は堕胎によって除かれます。

      お金のため。堕胎を専門に行なう医師は日ならずして金持ちになります。通常の簡単な堕胎は15分で終わります。1974年の一報道によると,一人の医師は1日に40ないし50回それを行ない,1回につき55㌦(約1万3,000円)を取っていた,とのことです。この医師は,宣誓して証言した際,1971年の上半期の自分の総所得は25万㌦(約6,000万円)を超えたと述べたと言われています。

      また医師の中には,堕胎されたばかりの胎児を製薬会社や病院や様々な政府機関に売って,現金収入を得ている人もいます。妊娠が進んでいればいるだけ,胎児の価値は高くなります。これに関するスキャンダルが米国の首都ワシントン市で露見しました。ある医師たちは不必要な堕胎や妊娠3か月をはるかに超えた胎児の堕胎を勧めた,との疑いが持たれています。

      合法的であるかどうかは別として,堕胎は世界中で行なわれています。国際連合から資金を供給されている人口委員会の推定によれば,早くも1975年もしくはそれ以前から,ソ連では毎年幾百万件もの堕胎が行なわれてきました。また日本では年間200万件以上,ブラジルでも200万件,またイタリアと米国ではそれぞれ年間100万件以上が行なわれています。15年前にインド政府の行なった調査によると,年間380万件の堕胎が行なわれました。

      1974年に,国際連合世界人口会議と関連して開かれた人口討論会によると,ある国では妊娠の半数が堕胎に終わります。また,1971年だけでも,世界中で5,500万人の女性が堕胎を受けたことを示す調査結果が引き合いに出されました。

      1羽のすずめが地に落ちることをも見逃されないエホバ神を別にすれば,現在,その数が世界中でどれほどになっているかを知る人がいるでしょうか。

  • 堕胎: 専門家の意見
    目ざめよ! 1980 | 8月22日
    • 堕胎: 専門家の意見

      医学界では意見が対立

      法曹界では意見が変化

      今では存在していないものの,ニューヨークでは最初に開業し,一番繁盛していた中絶専門病院の元院長,バーナード・ネイサンソン医博は次のように語って,劇的な転向を遂げました。「私はこの病院の院長として,事実上,6万人以上の人の死に責任があることを確信するようになった」。同博士はさらに,「妊娠が始まると同時に生命が始まることを強く否定するのは,不条理もはなはだしい」と語りました。

      ベス・イスラエル医学センターのハワード・ダイアモンド博士は意見を異にしています。「私が感ずることがあるとすれば,それは満足感だ。堕胎は,まだ存在してはいない子供の命よりもはるかに大切だ。……胎児など無きに等しい」。

      堕胎を施す医師の反応は実に様々です。一方の極端には罪悪感と絶望とがあります。医師たちは流れ作業のように数多くの堕胎を扱うために,大酒を飲み,悪夢にうなされることを認めています。もう一方の極端には,自分たちは感情的にも身体的にも女性の命を救っていると考えて,その手術から満足を得ていると論じる医師たちがいます。

      複雑な心境の医師もいます。ベス・イスラエル医学センターのウィリアム・ラシュボウム博士は,小さな胎児が子宮壁にしがみついて堕胎に抵抗している夢にうなされたことがあります。同博士はそれを克服して生活してゆく方法を体得し,もはやそのような幻想に悩まされることはなくなりましたが,こう述べています。「私は生身の人間だ。自分がどんな気持ちを抱こうと,それは私の勝手である。そこで私の感じていることだが,私にであれほかのだれにであれ,妊娠を途中で終わらせる権利を与えたのは一体だれなのだろうか。そのように感じるのは私の勝手である。しかし,この気持ちを,どうしても堕胎を必要としている患者に伝える権利も私にはない。私は自分の気持ちに対して支払いを受けているわけではなく,自分の技術に対して支払いを受けている。……私は離婚して,お金が必要になったときに,堕胎を数多く手がけるようになった。しかし,私は,女性が自分の生物学的運命を左右する権利をも認めている」。

      ジョン・セネス医博は,堕胎を受ける女性の権利を認めており,それが同医博の主要な論点となっています。それでも,食塩水による堕胎に慣れるまでには幾らか時間がかかることを認めています。「食塩水を注入したとき,突然,子宮内で激しい動きがあるのに気付く。それは液体の流れではない。明らかに,胎児が濃い食塩水を呑み込んで,激しく足を動かし苦しんでいる動きなのだ。それが事実上,致命傷になる」。それから同医博はこう付け加えています。「すぐに24週目の胎児を手がけていたら,これが殺人に当たるのではないかと自分の心の中でもっと悩んでいたに違いないと思う」。

      コロラド州デンバーにあるベス・イスラエル病院で,一人の医師は出産促進ホルモンを注射して早産を引き起こすことによって堕胎を行ないました。数時間後,赤ちゃんは生きたまま誕生し,泣き声を上げ,その後少ししてから死にました。医師は何の蘇生手段を施すようにとも命じませんでした。看護婦たちは動揺し,そのうち一人は辞職しました。似たような状況について,デンバーの一産科医はこう語っています。「堕胎を手がけている際に,胎児を救おうとするのは,銃殺隊の所へ救急車を遣わすようなものだ。当の女性の側にしても,医師の側にしても,堕胎の意図するところはただ一つ,胎児が生き延びないように,ということなのである」。

      精神的な痛手を負うような経験をした看護婦は少なくありません。食塩水を使った堕胎の場合は特にそうです。一研究者は,そのような堕胎が数多く行なわれる婦人科病棟の一婦長の証言について報告しています。その研究者はこう語っています。「婦長は数々の身の毛もよだつような状況について詳しく話してくれた。その中には,赤ちゃんが生きたまま生まれてきたのに,病院にはそのための設備が全くなかったという話も含まれていた。赤ちゃんが生きたまま生まれてきたときにその場に居合わせた一内科医が,赤ちゃんをすぐにホルマリンの入ったバケツに入れて溺死させるのを,婦長自ら目撃している」。別の報告は,妊娠8か月で中絶される胎児について述べており,中絶された胎児は,妊娠6か月でも生き延びることができるのに,「注射を打たれたりビニール袋の中で窒息させられたりして,医師の手で殺されている」と言われています。赤ちゃんには生きてゆく力がありますが,殺されてしまうのです。

      妊婦は自分の体を思いのままにできて然るべきだ,とよく言われますが,胎児は妊婦の体ではありません。胎児を母体から除くことは虫垂や胆嚢などを除くことになぞらえられますが,胎児はそのような付属物や肢体ではないのです。世界的に有名な胎児生理学の研究教授,A・W・ライリー博士はこう述べています。「生物学的には,どの段階においてであれ,胎児が母親の単なる付属物であるという見解は取れない。遺伝学的に見て,母親と胎児は懐妊した当初から,別個の人間である」。同博士は胎児の活動を描写して,さらに次のように述べています。

      「わたしたちは,胎児がその浮力のある世界で,気持ちよさそうに,ゆったりと,優美に動いていることを知っている。また,胎児の位置は胎児が気持ちよくしていられる所に定められることも知っている。胎児は,痛みや接触や寒さや音や光に反応を示す。胎児は羊水を飲むが,それに人工的に甘味が付けられているとたくさん飲み,いやな味が付けられていると余り飲まない。しゃっくりもすれば,親指をしゃぶりもする。また,目を覚ましたり寝たりもする。合図が繰り返されると退屈するが,最初の合図に次いで,異なった合図を送ると,警戒を怠らないでいるよう教えられる。そして最後に,胎児は自分の生まれる日を決定する。というのは,陣痛の始まりは一方的に胎児の決めるところだからである。……これが,堕胎の促進者たちからその存在と実体を極めて冷淡に無視され,精力的に否定されねばならない胎児と同じ胎児なのである」。

      子宮内にいる胎児のこのような驚くべき能力を検討してから,ライリー博士はこう語りました。「このようなことを知れば,まだ生まれていない子供に対する敬意を新たにする,と思う人もおられるだろう。ところが,今,何が何でも胎児を葬り去ろうとする者がいる。胎児が身体的にも,感情的にも,幾分実体を有するようになり始めたばかりのその時にである」。胎児が人間であるのは自明のことなのに,堕胎の風潮がこれほど強くなっているのはなぜでしょうか。ライリー博士はこう答えています。「生まれる前の胎児は,小さく,裸で,名もなく,声も出せない。胎児がこのように簡単に殺されてしまうのは,それが自分を守る手段を有していないからである。胎児はまだ社会的な意義を有する年齢に達しておらず,自分で仕返しをすることもできないのである」。

      堕胎を手がけることを拒む医師も少なくありません。一人の医師はこう語っています。「比較的多くを手がけるように思える医師が少数だとしたら,それは,私たちの中に,依然としてヒポクラテス(の誓い)と闘っている者がいるからである」。堕胎に関して,その誓いはこう述べています。「頼まれても死に導くような薬を与えない。その相談にものらない。同様に婦人に座薬を与えて,流産を引き起こさせることはしない」。

      法律の分野では堕胎に関して劇的な変化が起きています。英国のコモン・ローは堕胎を犯罪としていました。もっとも妊娠の前半期には胎児がまだ動いていないので生きているとはみなされず,軽度の犯罪とされました。しかし,母親が“胎動を感じる期間”である妊娠の後半には,胎児は生きているとされ,それ以降の堕胎は重罪,殺人罪とされました。これらの法律は,南北戦争が終わるまでの初期の時代に,米国全土で適用されていました。

      精子と卵子の結合による懐妊を,ドイツの一科学者が初めて正確に説明したのは1827年のことでした。それ以後,生命は,以前に考えられていたように“胎動の始まった時”ではなく,懐妊の時に始まることが認識されるようになりました。南北戦争後,新しい米国医師会はその科学者たちを派遣して各種の委員会や州議会で証言させ,生命は卵子が受精した時に始まることを知らせました。この新たな情報に応じて,連邦内の各州は,1870年代から1880年代の初頭にかけて,懐妊の時以降の堕胎を重罪とする新しい法律を成立させました。米国医師会の宣誓証言は,「我々が扱っているのは人命にほかならない」というものでした。

      時代は変わりました。これらいわゆる「古色蒼然とした19世紀の反堕胎法」は,米国の法律の中から除き去られました。1967年に,コロラド州はゆるやかな中絶法を成立させました。その後の4年間に,他の15の州がそれに倣いました。続く3年間に,33の州はこのゆるやかな法律を拒否しました。しかし,生命を尊重する勢力の闘争は,1973年に米国最高裁判所の下した判決で敗北を喫しました。その判決は,妊娠3か月目までの期間には求めがあれば堕胎を認め,それに続く3か月間には母親の安全のために一定の制限を設けた上で堕胎を認め,さらに母親の健康上の問題があれば出産前のどの時期でも堕胎を認めるものです。

      健康上の問題とは何を意味しますか。ドー対ボルトンの事件で,裁判所の判決はそれを定義し,「身体面,感情面,心理面の要素,家庭の問題,婦人の年齢など,患者の福利とかかわりのある要素すべて」としています。法廷で争われた別の訴訟,ロー対ウェードの事件では,その定義がさらに拡張されました。「母親になること,あるいはもう一人の子供ができることによって,婦人が苦しい生活を余儀なくされ,前途の見込みが暗くならざるを得ない場合がある。心理的な害が著しくなり,育児が精神および身体面の健康に重い負担となることもある。望まれない子供に関して,関係者すべてに悩みがある場合,また心理的および他の面で,子供の世話をする能力のない家族に子供が生まれてくるという問題のある場合」。

      補足的な意見は,これら“健康上”の理由に,妊娠の不快感,痛み,収入が絶たれること,教育計画を放棄すること,職業を捨てることなどをも加えています。一口に言えば,母親が提出する理由がどんなものであっても,出産前のあらゆる時期に妊娠中絶はできるのです。

      こうした考えの変化をよく表わしているのは,国際家族計画連盟です。堕胎に強く反対していたマーガレット・サンガーによって設立されたこの連盟は,堕胎の必要を未然に防ぐため避妊具や避妊薬の使用を促進することを目的としていました。1964年に家族計画連盟はこう述べていました。「堕胎は子供の生命がすでに始まった後に,それを奪うものである。それは母親の命と健康を危険にさらす。堕胎の結果,不妊になる場合もあり,そうなれば子供が欲しくなったときに子供を産めなくなる。一方,産児調節は生命の始まりを延ばすにすぎない」。

      ところが,家族計画連盟は劇的な転向を遂げ,今日では人口抑制の手段として堕胎を促進しています。同連盟はまた,未成年者が親の了承なしに堕胎を受けることを認める,という最高裁判所の判決に至った訴訟を支援しました。「堕胎は子供の生命を……奪うものである」という従来の意見は,もはや同連盟の文書には現われません。しかし,その真理はカリフォルニア医学ジャーナル誌の1970年9月号の論説欄に現われています。

      「どんな人の命をも尊重するという考えが西洋医学のかなめとなってきており,その倫理観に動かされて,医師たちはあらゆる人の命を存続させ,保護し,治療し,引き延ばし,健康を増進させようと努めてきた。古い倫理観が完全には除かれてはいないので,堕胎という概念を,依然として社会通念上忌み嫌われる殺人の概念と切り離すことが必要になった。その結果,だれもが知っている科学的な事実を避けて通るという奇妙なことになった。その事実というのは,人間の生命は懐妊の時に始まり,子宮の中であろうと外であろうと,死ぬ時まで続くということである」。

      堕胎によって少なくなると言われていた別の問題は,子供のせっかんです。望まれない子供は虐待されるので,その誕生を阻止すれば虐待に終止符を打てるというのがその論理でした。しかし,事実はこの論理の誤りを立証しました。子供に対するせっかんは著しく増加しました。次の新聞報道の明らかにする通りです。「中絶法が緩和されてもせっかんされる子供は減らない ― 南カリフォルニア大学小児科の教授,エドワード・レノスキー博士による5年間を費やした調査の結果,“求めがあれば堕胎”をしても構わないという法律が成立して以来,残忍な幼児殺しや子供に対するせっかんは3倍に増加したことが分かった。これは“命は安い”という概念の行き着く当然の結果である」。堕胎は子供に対するせっかんをなくすどころか,胎内の幾百万もの赤子に対しても乱暴な仕打ちを加えるものとなりました。

      法廷が堕胎に関する判決で見せた言葉の面での綱渡りは,特定の刑事事件で自らの顔を全くつぶしてしまうという結果を招きました。二人の殺し屋がある妊婦を乗せた車に向かって銃を発射し,そのうちの一発が胎児を殺しました。婦人は致命傷を負いませんでしたが,二人の男は胎児の死に対して終身刑の判決を受けました。別の事件で,ウィンフィールド・アンダーソンは,双子の男の子をみごもっていた婦人を撃ちました。帝王切開によって双子は取り出され,弾丸の命中していた方の子は3時間半後に死亡し,もう一人は15時間後に死亡しました。母親は一命を取り留めました。被告側の弁護士は胎児は「人間でない」と述べましたが,ウィンゲート2世判事は,胎児がその母親に対する打撃によって傷つけられ,後に死ぬなら,殺人の被害者とみなせると裁定しました。陪審員団は,アンダーソンを二件の殺人について有罪としました。

      矛盾した事態が生じます。生きる力のある胎児を殺すよう母親が命じるなら,それは人道的であることになり,その胎児が犯罪で殺されるなら,それは殺人罪になるというのです。自分にとって重荷になるので苦悩を覚えたという理由で,母親が自分の子供の生まれる数日前に胎児の命を終わらせるなら,それは合法的ということになります。一方,その子が誕生してから一日後に,それが重荷になるという理由でその子の命を終わらせるなら,殺人罪になります。

      エホバ神はこのすべてをどのように見ておられるでしょうか。出エジプト記 21章22,23節(新)はこう述べています。「人が互いに取っ組み合って,妊娠している女を現に傷つけ,その子供らがまさに出てしまうが,致命的な事故が起きないような場合,彼は……損害の賠償を課せられる。しかし,もしも致命的な事故が起きるなら,あなたは魂には魂[命](を与えなければならない)」。注意深い研究の明らかにするところによると,原語のヘブライ語は,その傷害を母親だけに限定せず,それに赤子をも含めています。a

      他の古代の法典も同様の見解を取っています。出産前の子供を保護する法律は,キリストより幾世紀も前からありました。ハムラビ法典にはそのような規定があり,シュメール人やアッシリア人,ヒッタイト人,ペルシャ人などの古代の法典も女性を殴って生まれていない子供の死を引き起こすような行為を禁じていました。これらの法律には罰則があり,補償の問題も含まれていました。

      子供は胎内で恐るべき仕方で造られる,「エホバからの相続財産」です。この相続財産をどう用いるかについて,「わたしたちはおのおの,神に対して自分の申し開きをすることになるのです」。―詩 127:3,新。ローマ 14:12。

      [脚注]

      a この聖句に関する詳しい論議については,「ものみの塔」誌,1977年12月1日号,734-736ページをご覧ください。

      [13ページの拡大文]

      母親が自分の子供の生まれる数日前に胎児の命を終わらせるなら,それは合法的ということになります。一方,その子が誕生してから一日後に,その子の命を終わらせるなら,殺人罪になります

      [14ページの拡大文]

      胎児がこのように簡単に殺されてしまうのは,それが自分を守る手段を有していないからである

      [15ページの拡大文]

      「婦人に座薬を与えて,流産を引き起こさせることはしない」― ヒポクラテスの誓い

  • 生まれてこなかった子の日記
    目ざめよ! 1980 | 8月22日
    • 生まれてこなかった子の日記

      10月5日:

      今日,わたしの命が始まりました。わたしの両親はまだそれを知りません。でも,わたしはもう生きているのです。わたしは女の子になります。髪は金髪で,瞳はブルーです。ほとんどすべてのことがもう決められています。わたしがお花を好きになることまで。

      10月19日:

      わたしのことをまだ本当の人間ではないと言い,生きているのはお母さんだけだ,と言う人もいます。でもわたしは本当の人間です。パンのかけらだって,パンには変わりないでしょう。お母さんは生きています。それと同じようにわたしも生きているのです。

      10月23日:

      今,ちょうど,口が開けられるようになってきたところです。1年もすれば,笑えるようになるし,それからお話もできるようになります。すばらしいでしょ。わたしが最初にお話しする言葉は何か知っているわ。ママって言うの。

      10月25日:

      今日,心臓が自分の力で動きだしました。これからずっと,わたしの生きている間,やさしく鼓動を続けるのです。幾年もたつと,心臓は疲れて,やがて止まってしまいます。そうなれば,わたしも死んでしまうでしょう。

      11月2日:

      毎日,少しずつ大きくなっています。わたしの手足は,きちんとした形になってきました。でも,この小さな足で立ち上がって,お母さんの手につかまったり,この小さな腕で花を集めたり,お父さんにつかまったりするまでには,まだまだ時間がかかります。

      11月12日:

      手に小さな指ができてきました。とっても小さくて,おかしな気がするくらい。この指でお母さんの髪の毛にさわれるわ。

      11月20日:

      今日になって初めて,お医者さんはお母さんに,わたしがお母さんのおなかの中で生きていることを知らせました。お母さんは喜んでくれているに違いないわ。そうでしょ,お母さん。

      11月25日:

      きっとお父さんとお母さんはわたしの名前を考えてくれているわ。でも,お父さんもお母さんも,わたしが女の子だということも知らないの。キャシーという名前がいいな。わたしはもうとっても大きくなっているの。

      12月10日:

      髪の毛が伸びてきました。すべすべして,キラキラ輝いています。お母さんはどんな髪の毛をしているのかしら。

      12月13日:

      もう少しで目が見えるようになりそう。わたしの周りはまっ暗です。お母さんがわたしを外の世界へ出してくれたら,太陽の光がふりそそぐ,お花のいっぱいある所へ出られます。でも,何よりもお母さんを見たいわ。お母さん,どんな顔をしているの。

      12月24日:

      お母さんはわたしの心臓の音を聞いているのかしら。生まれてきたとき少し病気にかかっている子もいるらしいけど,わたしの心臓は元気で,健康です。心臓の鼓動が少しも乱れていないでしょ。ほら,ドキドキ,ドキドキ。元気な,かわいい女の子になります,お母さん。

      12月28日:

      今日,お母さんに殺されました。

      ― 無名の胎児

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