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  • アブラハム「信ずるすべての者の父」
    ものみの塔 1961 | 12月1日
    • て,この約束が果たされるでしょうか。―創世 15:2,新口。

      しかし,アブラハムの信仰はゆらぎませんでした。「彼は,神が死人の中から…〔イサク〕…をよみがえらせる力がある,と信じていたのである」。アブラハムは従順に,モリヤ山に向かって出発しました。そこでアブラハムは石の壇を築き,たきぎを並らべ,愛する息子の手足をしばり,そして「手を差し伸べ,刃物を執ってその子を殺そうとし」ました。信仰の最大の試みに答え応じたアブラハムには,それ以上の事は要求されませんでした。エホバの天使が,アブラハムの手をとどめるために,大声で叫んだのです。そしてイサクのかわりに,雄羊を用意しました。―ヘブル 11:19。創世 22:3-14,新口。

      アブラハムがこの雄羊をささげてから,神の御使はさらに次のように,言いました,「ヱホバさとしたまふ我おのれを指て誓ふ汝このことを為し…しによりて,我おほひに汝をめぐみ又おほいに汝の子孫を増して天の星のごとくはまのいさごのごとくならしむべし…汝の子孫によりて天下の民皆さいはいを得べし」。それから間もなくしてサラが死に,アブラハムはケトラを妻としてめとり,ケトラによりさらに6人の息子を奇跡的に得ました。―創世 22:16-18; 25:1,2。

      寛大でもてなしずき

      アブラハムが「信ずるすべての者の父」,また,「エホバの友」と呼ばれたのは,本当にふさわしいことでした。すべてのクリスチャンにとってアブラハムの信仰生活は何とよい模範なのでしょう! 信仰の事柄だけでなく,寛大さという点でも,もてなしという点でも,またお金を愛さなかったという点でも,アブラハムは良い模範を示しました。自分のふるさとを離れ,どこへ行くとも知らずに出かけていくということは,たしかに少なからぬ経済的な犠牲を必要としました。というのはウルの近辺は,ユーフラテス川から水を引いていたので,非常に肥沃な土地だったからです。しかし,アブラハムがカナンにはいるやいなや,カナンの地にききんが起きたので,エジプトに行かねばなりませんでした。おいのロトに対する態度からも見られるように,アブラハムはお金に対してなんと淡白だったのでしょう! アブラハムの方が年上で,一行のかしらだったにもかかわらず,ロトに一番よい牧草地を取らせ,自分はのこりをもらいました! 後になって,おいのロトを侵入者である王たちの手から救い出した時,アブラハムは糸やサンダルのひもなどの戦利品を多く取るようなことをせず,王であり祭司であったメルキゼデクに,自分の持っていた全財産の十分の一をささげました。

      また,ある日通りかかった3人の見知らぬ人々を,なんとねんごろにもてなしたのでしょう! アブラハムは,自分のところで休んで下さいとその人たちに熱心にすすめました。そしてその間に,柔らかな良い子牛を殺させ,妻のサラには良い粉でパンをつくらせ,牛乳とバターと一緒に,これらをすべてお客さんに出しました。アブラハムは一番よいものを出したのです。―創世 13:5-13; 14:17-23; 18:2-8。ヘブル 13:1-5。

      模範的な家族のかしら

      家族のかしらとして,アブラハムはよい模範でした。エホバが後に,生来のイスラエルと霊的なイスラエルに与えた教訓を守り,アブラハムは『息子たちや家の者たちに,エホバの道を守るべきだと命令し』ました。息子のイサクを正しく訓練していたということに疑いはありません。さもなければ,犠牲としてささげられるため,手足をしばられた時,年取った父親のなすがままに身をまかせるということは決してしなかったでしょう! また賢明な父親として,アブラハムは自分の息子が,異教徒ではなく信者と結婚するということに,深い関心をよせていました。―創世 18:19; 24:3,4,新口。

      アブラハムのおいのロトが,その家の者と共に捕われた時,アブラハムはロトを助け出すという仕事を買って出ました。アブラハムはロトとその家の者を救うために,夜318人の召使いを引き連れて敵を追っていきました。その働きにより,アブラハムがエホバの最初の戦士になったことはたしかです。そして「ヱホバの戦争のふみ」にしるされている戦いの筆頭にあげられてもよいような戦いぶりをしました。また,エホバが,ロトの住んでいた全地域を悪しき所としてさばかれた時,アブラハムはエホバに嘆願しました。「全地をさばく者は公義を行うべきではありませんか」。アブラハムは戦いの武器を取る時でも,神に対して祈る時でも,家族のかしらとしての責任をりっぱに果たしました!―創世 14:13-16; 18:25。民数記 21:14,新口。

      アブラハムは妻のしりにしかれていたという高等批評家がいますが,ぜんぜんそうではありません。アブラハムは自分の妻,サラにより「主」と呼ばれていました。そのうえサラは,夫の命を救うためにアブラハムの妹であると言いなさいといったアブラハムの言葉に従いました。この計略を用いたために,アブラハムが非難されたことはなく,またこの計略を用いた時,二度とも,エホバがサラを守るために事を運ばれたので,この点につきアブラハムを非難することはできません。アブラハムもサラも,その当時,女は品物のように見なされていた,ということを認めていました。―創世 18:12; 12:11-20。ペテロ前 3:6。

      預言的な面

      アブラハムの模範的な生活には,預言的な意味がたくさんあるので,その点でも私たちのあゆむ道の光となります。アブラハムは,何度もエホバ神をあらわすのに用いられました。それで,アブラハムの名前が偉大になり,アブラハムが祝福になるというのは,エホバがご自分の御名を偉大なものにし,エホバが祝福になるということを表わしました。―創世 12:2。マラキ 1:11。

      また,サラが長い間,子供を生まなかったように,神の天的なエルサレム,つまり神の妻のごとき制度も,油そそがれた『女のすえ』であるイエスを生み出すまで,長い間子供を生みませんでした。そしてアブラハムが二度,サラとの関係をかくしたように,エホバ神は長い間ご自分の妻のごとき制度をあたかも否定された,あるいはその関係をかくされたように見えました。つまりサタンの手先が地上における彼女の代表者たちをふみにじるのを許しました。―イザヤ 54:1-8。

      アブラハムがふたりの女性により,ふたりの息子を得たように,エホバ神は,ふたつの国民,つまり地的な制度による生来のユダヤ人と,天的制度,上なるエルサレムによる霊的ユダヤ人を得ました。どれいの召使いであるハガルが,一時的なつとめを果たしたように,イスラエルの国も,律法契約にしばられて一時的なつとめを果たしました。自由の女としてのサラが,約束のすえを生んだように,自由の天的なエルサレムも,約束のすえを生み出しました。―ガラテヤ 4:21-31。

      アブラハムが自分の息子イサクをささげたことは,エホバが御自分のひとり子をささげることをあらわしていました。最後にアブラハムが,イサクの花嫁を得るためにエリエゼルをつかわしたことは,エホバがご自分の御子に霊的な花嫁を得るため,ペンテコストの時いらい聖霊を送るということを表わしていました。―ヨハネ 3:16。ガラテヤ 3:16。

      アブラハムのような人々の生涯が聖書に記録されているので,聖書は私たちの足のともしび,道の光だということがよく分かります!

  • 実を結んだ再訪問
    ものみの塔 1961 | 12月1日
    • 実を結んだ再訪問

      ペルーにて

      ひとりの宣教者はこういうことを発見しました。つまり,たとえ本を求めなくても,いくらか関心を示した人をみんな再訪するのは賢明だということです。その宣教者が,雑誌を配布していた時,ひとりの男の人が,いまはお金がないので,ほかの日に来てもらったら雑誌をいただきますと言いました。宣教者はその約束をして,また訪問した時,雑誌だけでなく「楽園」の本も配布しました。次にまた訪問した時,その男の人およびふたりの子供たちと聖書の勉強を始めました。―1961年のエホバの証者の年鑑より

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