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実を結ぶクリスチャンは敬虔な満足を示すものみの塔 1967 | 5月15日
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たためです。確かに,これらの監督の信仰はエホバを崇拝する他の人の模範です。―ヘブル 13:7。
16 物質的な必要を満たすことより宣教奉仕のことを第一にした開拓者はどんな経験をしましたか。
16 開拓者として全時間奉仕に携わる人は特に,神への奉仕を第一にすれば,生活上の必要物は備えられるという約束の真実さを経験しています。一例をあげれば,ある開拓者はクリスチャン大会のあと,ほとんどお金もなく,泊まる場所のあてもないままに,自分の任命地に帰りました。帰り着いた第1日をどう使おうかと考えた彼は,マタイによる福音書 6章33節のイエスのことばを思い出しました。彼は一日中,野外宣教をし,行く先々で貸間を探していることにふれました。しかし何も提供されませんでした。午後遅く,気だてのよい婦人に証言した彼は,もう一度宿泊場所の必要なことにふれました。隣室で話を聞いていたその家の下宿人は婦人に呼びかけて言いました。「ごらんなさい,この人の寝る場所はあります。食事にさそいましょう。彼が払えなければ,わたしが払います。この人は神の仕事をしているのですから」。これは決して例外的な経験ではありません。全生活を神への奉仕にささげるため,家と持ち物を捨てた人がよく経験することです。―使行 16:14,15。マルコ 10:29,30。
17 (イ)むずかしい状態の下でも実を結ぶことができたのは,使徒パウロのどんな態度のためですか。(ロ)何を信頼していれば,経済的な苦難に面しても信仰の実を絶えず結べますか。
17 これは『常に御国を求め』る者はいつも豊かに備えられるという意味でなく,満足を見いだすという意味です。ローマの獄にいた使徒パウロは,自分の経験について,マケドニア,ピリピのクリスチャン会衆に書きました。「わたしは,どんな境遇にあっても,足ること[満足すること]を学んだ。わたしは貧に処する道を知っており,富におる道も知っている……わたしを強くして下さるかたによって,何事でもすることができる」。(ピリピ 4:11-13)パウロは事態がむずかしくなればやめる人ではありませんでした。獄においてさえ,彼は神の国のことを求め続けました。彼は番兵に伝道し,また人々の訪問を受けては伝道しました。(使行 28:16,30,31。ピリピ 1:13)獄にいる間に彼は霊的にすばらしい助言の書簡6通を書き,それは今聖書の一部となっています。それで,迫害あるいは困窮のゆえの逆境にあっても,絶えず信仰の実を結ぶことができます。エレミヤ記 17章7,8節は述べています。「おおよそ〔エホバ〕にたより,〔エホバ〕を頼みとする人はさいわいである。彼は水のほとりに植えた木のようで,その根を川にのばし,暑さにあっても恐れることはない。その葉は常に青く,ひでりの年にも憂えることなく,絶えず実を結ぶ」〔文語〕。エホバに全幅の信頼をおく者はいつでも霊的なことがらを第一にします。―ヘブル 13:5,6。
さらによいものを目ざす
18 今日のわたしたちはアブラハム,イサク,ヤコブのような信仰をどのように示せますか。なぜそのことを願うべきですか。
18 このような進路を行く,現代のエホバのクリスチャン証人の信仰は,神のことばの中に名をあげられている昔の忠信な人々の信仰と同じです。アブラハムは神の命令に従って古代カルデヤの富裕な町ウルを離れ,カナンの地の寄留者となりました。「(彼は)信仰によって,他国にいるようにして約束の地に宿り,同じ約束を継ぐイサク,ヤコブと共に幕屋に住んだ。彼は,ゆるがぬ土台の上に建てられた都を,待ち望んでいたのである。その都をもくろみ,また建てたのは神である」。紀元前20世紀のその昔,彼らは当時の世界が提供した楽しみの多くを喜んで捨てました。それは,神の建てられる永遠の都,自分がその下に住む天の政府に望みをかけていたからです。自分が出てきた所のことを考えていたなら,そこに帰ることもできたでしょう。しかし彼らは帰りませんでした。「だから神は,彼らの神と呼ばれても,それを恥とはされなかった」。(ヘブル 11:8-16)神はあなたの生活の進路を同じように喜んでおられますか。
19 (イ)なぜ今は非常に緊急な時代ですか。(ロ)このことを知りながら,神の新しい事物の制度で祝福を受けられない場合のあるのはなぜですか。イエスはどんな適切な警告をしておられますか。
19 わたしたちは今,重大な時代に住んでいます。これは現存する悪い事物の制度の「終りの時」です。御国が1914年に天で立てられて以来すでに52年以上たちました。人間6000年の歴史は今まさに終わりを迎えようとしています。いまは「事物の制度の終結」の時であり,それを裏づける事実は明白です。(マタイ 24:3,新世訳)今は非常に緊急な時代です。そのことを信じますか。実を言えば,それを信ずると言う人の中で,神がもたらす新しい事物の制度での祝福を受けそこなうかも知れない人がいます。それは自分の心と思いを前途の希望から離しているためです。その人々は信仰を守り,「衣食」があるだけで満足することをせず,この世の物質主義的な渦に吸い込まれています。そして神への奉仕より,この世の楽しみを熱心に求めています。それでイエスは警告されます。「あなたがたが放縦や泥酔や,世の煩いのために心が鈍っているうちに,思いがけないとき,その日がわなのようにあなたがたを捕えることがないように,よく注意していなさい。その日は地の全面に住むすべての人に臨むのであるから。これらの起ろうとしているすべての事からのがれて,人の子の前に立つことができるように,絶えず目をさまして祈っていなさい」― ルカ 21:34-36。
20 どうしたらいつも実を結ぶクリスチャンになれますか。
20 神に対する愛を深め,神のことばの正確な知識をもつなら,この世の事柄に引き込まれることはありません。むしろ自分の生活をいつも「重要」な事柄に向けるようになるでしょう。こうしてわたしたちは実を結ぶクリスチャンとなり,「イエス・キリストによる義の実に満たされて,神の栄光とほまれとをあらわすに至る」でしょう。―ピリピ 1:9-11。
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神の全時間のしもべものみの塔 1967 | 5月15日
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神の全時間のしもべ
1 (イ)エホバの証人のうちどれだけの人が全時間奉仕者ですか。(ロ)イエスが示されたとおり,真のクリスチャンに対する神のみこころは何ですか。初期クリスチャンはそれにどう応じましたか。
バプテスマを受けたクリスチャンであるエホバの証人はすべて全時間奉仕者です。彼らはみこころを行なうため自分の命を神にささげています。そして,聖書を学んでいるので,そのみこころが何であるかを知っています。イエス・キリストはエホバの証人のおさたる者として,彼らに手本を示されました。(黙示 3:14)イエスは神の国の福音を伝道する者となり,どこに住む人にも福音を伝えました。(マルコ 1:14,15。ルカ 8:1; 4:15,16; 5:27)
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