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世界展望目ざめよ! 1979 | 8月22日
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岩石中の石灰と反応して石膏の結晶を作り,[今度はそれが成長して]一平方インチあたり一万ポンド[一平方センチあたり700キロ]もの圧力を[出し],……岩石を動かし,膨張させた」。
ビタミンCとガン
◆ 福岡市の一病院の外科医長は,ガン末期の患者の命がビタミンCによって延びると言明している。回復の見込みなしと判断された99例のうち,44人には毎日1.5グラム,55人には29グラムのビタミンCを四年間にわたって投与したところ,「1978年8月現在で,ビタミンC投与後に生き延びた平均日数は,二番目のグループが201日であるのに対して,一番目のグループはわずか43日であった」と東京の英文読売に報じられている。同医師の話によると,大量に投与されたグループの中の五人は三年後の今も存命している。この結果はノーベル賞を受賞した化学者ライナス・ポーリングの得た結論に酷似していると言われる。ポーリングが一年前にスコットランドで末期のガン患者のグループにビタミンCを与えたところ,彼らはビタミンCを与えられなかった患者の四倍も長く生きたという。
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聖書理解の助け ― アブラハム目ざめよ! 1979 | 8月22日
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聖書理解の助け ― アブラハム
「知恵は主要なものである。知恵を得よ。自分の得るすべてのものをもって,悟りを得よ」― 箴 4:7,新。
この記事は,ものみの塔協会発行の「聖書理解の助け」(英文)の資料を翻訳したものです。この本の中の項目のいくつかを抜粋して,本誌にしばらくの間掲載する予定です。
アブラハム[多くの人の父]。これはアブラム[高められた父の意]が99歳の時にエホバから与えられた名です。それは,アブラハムの子孫が多くなるという約束を神が再度言明された時のことでした。―創世 17:5。
一族の起こりと初期の歴史
アブラハムはノアから数えて十代目に当たり,セムの子孫として,大洪水の352年後,西暦前2018年ごろに生まれました。創世記 11章26節ではテラの三人の息子の筆頭に挙げられてはいますが,アブラハムは長子ではありませんでした。聖書によると長子が生まれた時テラは70歳であり,アブラハムはその60年後,父テラが130歳の時に生まれています。(創世 11:32; 12:4)アブラハムがその父の子らの中で最初に挙げられているのはその際立った忠実さ,また聖書の中で抜きんでた人物となったためでしょう。このような記述の仕方は,セム,イサクなど聖書中の他の際立った人物についても見られます。―創世 5:32; 11:10。歴代上 1:28。
アブラハムはカルデアの都市ウルで生まれました。ウルはシナルの地の主要都市としてにぎわい,チグリス,ユーフラテス両河の現在の合流点近くに位置していました。それは,未完成に終わったバベルの塔で知られる,ニムロデのかつての王都バベルもしくはバビロンの南東約240キロの地点です。そのおよそ170年後のアブラハムの時代にも,ウル市は依然バビロン的偶像礼拝と市の守護神である月の神シンへの崇拝にひたっていました。(ヨシュア 24:2,14,15)しかしアブラハムは,父祖のセム,ノアなどと同じくエホバ神への信仰の人となり,そのために「信仰を持つ者すべての父」と呼ばれるようになりました。(ローマ 4:11)真の信仰は正確な知識に基づきますから,アブラハムはセムと身近に接することによって必要な理解を与えられたものと思われます。(この二人の生涯には時代的に150年の重なりがあります。)アブラハムはエホバの名を知り,それを用いました。彼の言葉を次に引用します。「至高の神エホバ,天と地を産み出された方」,「天の神,地の神エホバ」。―創世 14:22; 24:3,新。
アブラハムが「ハランに居を定める前」,まだウルに住んでいた時に,エホバは,友人親族から離れて見知らぬ土地に移り住むことを彼に命じました。(使徒 7:2-4。創世 15:7。ネヘミヤ 9:7)ご自分が示すその国でアブラハムから大きな国民を作り出すと神は言われたのです。その時アブラハムは自分の異母妹サラと結婚していましたが,二人には子供がなく,共に年老いていました。ですから,その命令に従うには大きな信仰が必要でした。しかし彼は従いました。
テラはこの時200歳ほどになっていましたが依然その一族の長であり,族長としてアブラハムとサラのこの長い旅に同行することに同意しました。テラが父親としてカナンへの移動を決めたように述べられているのはそのためです。(創世 11:31)父を亡くしたロトはアブラハムのおいでしたが,子供のいないこのおじとおばの養子となっていたようです。そのためロトも旅に同行したのでしょう。一行は北西に約一千キロ進み,やがてハランに着きました。ハランは東西交易路の重要な中継点であり,ユーフラテス川の支流ベリク川を105㌔ほどさかのぼったところにありました。アブラハムは父テラの死までそこにとどまりました。
カナンでの寄留の生活
アブラハムはいま75歳になっていましたが,自分の家の者たちをハランからカナンに移動させ,このカナンの地でその後の百年,各地に移り住む寄留の天幕生活者として過ごすことになり
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