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事故をよく起こしますか目ざめよ! 1970 | 7月8日
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与えられれば,事故も少なくてすむでしょう。
重い物を動かせねばならないような仕事に,体力の面で向いていない人の場合も同じことがいえます。そういう人は,事務などの仕事のほうがよく合い,かなりの体力を要する仕事はできない状態にあるかもしれません。このことに気づかないと,事故を招くおそれがあります。
神経質であることも原因になります。神経質な人は,緊張すると感情的になったり,すぐに怒ったりします。何かがうまくいかないと,いつもの注意力を失い,事故を招きやすい行動をとります。
問題を克服する方法
これにはさまざまな要素が含まれているので,簡単な解決策を打ち出すことは困難です。しかし,この問題を克服する助けになることはいくつかあります。
たとえば雇い主が,事故を起こしがちな人の限界を認めることです。いっそうの訓練と安全教育が必要ならば,それは施すだけの価値があります。そうすれば,工場の安全操業の記録は生産高とともに改善されるでしょう。または,その人の能力にあった,別の仕事にまわすのがよいかもしれません。
働く人自身も,自分自身の限界を知る必要があります。からだが,重い物を持ち上げる仕事などできない状態にあれば,他の仕事をさがして,事故を避けるほうが賢明でしょう。またもし,仕事が神経を緊張させるような種類のもので,自分もまた神経質で,非常に感情的な性質を持っているのであれば,他の仕事をさがすという手もあります。このように,自分自身の限界を認めることにより,自分にとって危険と思われる状態を避ける努力を払えます。
事故は多くの場合,感情が高ぶって自制を失うときに起こります。自動車事故なども,運転手がそういう状態にあるとき,たとえば何かのことで腹を立てているときに起こる場合がよくあります。ですから,すぐに怒ったり,感情的になったりするために,しょっちゅう事故を起こしている人は,自制心を養うことが大切です。聖書のすぐれた助言はその良い助けになります。―箴言 19:11。
危険な状態に目をとめなさい
事故を避けるには,鉄道の踏切りにある,「止まれ! 見よ! 聞け!」という自動車の運転者に対する注意書に従うよう,自分を訓練する必要があります。この場合,運転者は,車を止め,よく見て,考えなければなりません。
行動するまえに,状況をよく見定めるように自分を訓練すれば,事故はおおかた避けられます。さきほど述べた男の人も,家を出るときに,まず自分の周囲を見回していたなら,歩道のパイプに気づき,それにけつまずかずにすんだでしょう。
とかくあたふたとあわてる人は,まずよく見て考えるよう自分を訓練するのは,容易でないかもしれません。しかし意を決して努力すれば,自分を傷つける可能性は少なくなります。過去の事故で痛い思いをし,多くの費用をかけたことを思えば,いままでのやりかたを改めようという気持ちが十分に湧くはずです。
ある状態のもとで何が起こるかは,多くの場合予想できます。たとえば,あなたの家の床がぴかぴかにみがかれているとします。そして,その美しさを長もちさせようとして,あちこちに敷物をしこうと考えるかもしれません。しかしそこでやめるのではなく,さらに先のことを考えてください。電話や玄関のベルが鳴って飛び出すさいに,その敷物に乗ったらどうなりますか。敷物がすべって,ひどくころぶかもしれません。その可能性のあることがわかれば,敷物の裏にすべり止めをつけて,事故を未然に防ぐことができます。
ガスオーブンのバーナーに点火するときの状況も考えてみましょう。オーブンにガスが充満していれば,どんなことになるか,これをまず考えないとしたら,たいへんな事故をひき起こす危険があります。ガスが爆発して火をまともにうけることになりかねません。ガスの栓をひねっておいてマッチに火をつけるのではなく,ガスのたまる間がないように,あとでガス栓をあけるべきです。そのほうが用心深いやりかたです。
また,ふろの湯につかったまま,ラジオをつけたり,電灯のスイッチをひねったりする人がいるかもしれません。この場合も手をとめて,危険はないか,水につかったまま電気器具にさわったらどんなことになるか,と自分に尋ねてみる必要があります。水は電気のよい伝導体ですから,致命的なショックをうける危険があります。
あるいは夜中に起きて,薬箱から,ある薬を取り出します。そのびんの置き場所を知っているので,電灯もつけずにそれに手をのばします。これも危険です。ちょっと立ちどまって考える必要があります。「もしだれかがそのびんを動かしていて,自分が違うびんを手にしたとしたらどうなるのか」と,自問すべきです。これもたいへんな事故になりかねません。レッテルのはってないびんの薬を飲むことにも,同様の危険があります。まちがうこともよくあることです。こうしたところに事故の危険がひそんでいるので,そうした危険を見ぬけるように,自分を訓練する必要があります。
窓をしめきり,エンジンをかけたまま,駐車中の車の中にいることも危険です。人を待つあいだ,車のヒーターで車内を暖めるために,冬によくそうする人がいます。空気が車内にはいらないので,どうなりますか。一酸化炭素がもれて,車内の人は死ぬかもしれません。これはいく度も起きたことです。
こうした状況は,ひそんでいる事故の危険を見ぬくよう自己訓練をしていない人に,事故を引き起こさせるものです。道を横断するときにまず左右をよく見る習慣は,子供のときから身についていますから,自動的にそうしますが,事故を起こしやすい人も,立ち止まって,よく見て,考えるように,たえず自分に言い聞かせる必要があります。事故を起こしやすい自分のことを常に意識して,注意することを習慣にする必要があります。
仕事場で安全にかんする指示が与えられたなら,自分にはそれが人一倍必要なことを思い起こして,普通以上の注意を払うべきです。安全にかんする記事が出版物にのっているのを見たなら,それをよく読み,危険な状況,つまりひそんでいる事故の危険を見ぬくのに役だてるとよいでしょう。事故を起こした人の記事を読むときには,自分がそうした事故を起こさないようにするために,その人がどんなまちがいをしたかによく注意します。
行動する前に,立ちどまり,よく見て考える習慣を身につければ,どんな状況のもとでも,自動的によく注意するようになります。そうなると,事故を起こさずにすむようになり,よく事故を起こす人というありがたくない評判を返上することができます。
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仕事仲間から学んだ真理目ざめよ! 1970 | 7月8日
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仕事仲間から学んだ真理
◆ ルクセンブルグから次のような経験が寄せられています。「わたしの仕事仲間のひとりはエホバの証人でした。わたしたちはしばしば聖書の預言について話し合いました。その後わたしは仕事を変え,その証人との連絡はとだえました。毎日の新聞でいやなでき事ばかりを知るにつけ,わたしは,聖書の預言についてその証人が話していた事を思い出しました。エホバの証人にはいつも敬服していましたので,さらに教えてもらうため以前の同僚を尋ねました。聖書研究をすることに同意したわたしは,今では,エホバの証人のひとりとなり,大へん幸福です」。
― エホバの証人の1970年度年鑑から
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