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  • マゴグのゴグに対するヱホバの言葉
    ものみの塔 1956 | 11月1日
    • 従います。キリストはヱホバの使者または証者でしたが,自分自身で任命した者ではありません。(マラキ 2:7。ヨブ 33:23。黙示 1:5; 3:14)彼の言葉はヱホバの言葉でした。彼は自分自身の考えを語らなかつたのです。(ヨハネ 5:19,30; 7:28; 8:28,42)同じことは,20世紀のヱホバの証者についても言えます。彼らは自分自身で任命して神の証者になつたわけではありません。ヱホバがその任命をしました。その名前である『ヱホバの証者』も,彼らが選んだものではありません。神がその名前を選んだのです。(イザヤ 43:9-11; 44:8)彼らは,初めは『子供で』あつて,訓練もなければ,経験もありませんでした。しかし,ヱホバの啓示された言葉を熱心に研究し,また神の聖霊をいただき,その努力が祝福されることによつて,彼らは神の仕事を果すのに正しい資格を持つようになりました。『私たちの正しい資格は,私たち自身から来るのではない。私たちの正しい資格は,神から来る。神は私たちに奉仕者の資格を正しく与えておられる。』― コリント後 3:5,6,新世。

      22 (イ)ヱホバの証者は,自分に与えられた仕事をどのように受入れましたか。(ロ)次の記事に答えられている興味深い質問のいくらかは何ですか。

      22 それで,資格と権威を持つこれらのヱホバの使者は,国家のさかいとか言語の障害があるにもかかわらず,地の四すみまで急いで出かけて行きました。なにものも彼らの伝道活動を妨げるようには見えません。エレミヤの時と同じく,彼らはひどい迫害や憎しみに充ちた反対を受けました。しかし,そのようなものはヱホバの証者を阻止しなかつたのです。ヱホバの証者は,恐れの気持を抱いたためとか,また王や,君候や,独裁者や,法王や祭司たちの命令に服するため,ひきさがるようなことをしなかつたのです。任命された仕事を行つた彼らがどれ程繁栄したか,また彼らはどの程度までマゴグのゴグに対してヱホバの言葉を宣伝えたか,そしてその結果は何であつたかは,次の記事で研究します。

  • サタンの死の通告を伝える
    ものみの塔 1956 | 11月1日
    • サタンの死の通告を伝える

      『いかにして天より落ちしや……されど汝は陰府におとされ,坑の最下にいれられん。万軍のヱホバ誓をたてて言給わく……わが定めしことはかならず立たん。』― イザヤ 14:12,15,24。

      1 マゴグのゴグに対するヱホバの言葉を伝えるのに誰が選ばれましたか。なぜ,他の人でなく,彼らだけが選ばれましたか。

      前の記事の中で述べられているごとく,この世の終る直前に神の特別な言葉を宣伝えるよう神より任命された者は,すべての民の中でもヱホバの証者だけです。その言葉とは,悪魔サタンであるマゴグのゴグとその同盟者たちに対する亡びの言葉です。この『終の日』にあつて,ヱホバ神が他のすべての者を選ばず,かえつて有名でない小さな群の民を選んで御自分の証者となし,御名と権威によつて語らせ給うたことには,十分良い理由があるのです。神の代弁者として,神の信頼を受け得る者がヱホバの証者以外にいるでしようか。ヱホバ神もいなければ悪魔サタンもいないという不可知論者や無神論者は,決して神に用いられません。神は異教の神々を崇拝する異教徒を用いません。彼らはヱホバ神のことを聞いたこともなく,また多くの偽りの神々に仕えることを欲しているからです。神は自己の利益のみを求め,高慢で尊大の態度を取るこの世の支配者たちを決して用いません。彼らは,昔のパロのように,『ヱホバとは誰か』とぶべつの態度で言います。ヱホバは,誠実と忠節を守る人々,すなわち忠実を保つ人々のみを用います。このわけで,ヱホバはキリスト教国の牧師を用いません。なぜなら,キリスト教国の牧師は,人間を恐れたり,また別の利己的な理由の故に神の敵共と妥協したり,その友になるからです。a

  • 事故があると神を非難する
    ものみの塔 1956 | 11月1日
    • 事故があると神を非難する

      正しい宗教教育をうけていないために,不完全な人々は事故があるとしばしば神を非難します。そして,神は今でも奇跡を行つて人間の失行を救うべきであると人は考えています。ニュージャーシー州のジョセフ・ジェンキンス氏は,自動車事故のため5年間に4人の息子を失いましたが,その4人目の息子が死んだ,と聞いたとき,こう言いました,『神はなぜ伜共をこのよのに取られるか,私には分らない。』神は自動車事故を起させません。機械の故障とか人間の間ちがつた判断であるのに,神を非難するのは,神を冒瀆するものです。聖書の言葉,『すべて人に臨むところの事は,時あるもの,偶然なるものなり。』― 伝道之書 9:11。

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