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人間がパラダイスで神とともにいたとき人間の益のために今や勝ち誇る,神の「とこしえの目的」
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さるを見たとき,自分がさると同族関係にあるなどとは少しも感じませんでした。また,自分は血縁上さるの子孫だなどとは信じていませんでしたし,「これこそ,ついにわたしの骨の骨,わたしの肉の肉」などと,喜んで叫んだりはしませんでした。コプ(さる)は創造の六「日」目のより早い時期に創造されており,彼,アダムは,さるその他の地上の下等な生き物などとは少しも肉的なつながりなしに,神により別個に創造されたという情報を,アダムは神から受けていました。アダムは,四種類の肉があることを知っていました。最近の科学上の発見と一致して,19世紀前に述べられたとおり,「すべての肉が同じ肉ではなく,人間の肉があり,また家畜の肉があり,また鳥の肉があり,また魚の肉があ(る)」のです。(コリント第一 15:39)いえ,たとえ神のみ言葉がコプ(さる)のことを「生きた魂」と述べてはいても,さるはアダムの「補助」,その伴侶としてふさわしい存在ではなかったのです。―創世 2:20,新。
29 アダムはへびと話をしませんでしたし,どんな動物をも崇拝しませんでした。なぜですか。
29 アダムが野のすべての野獣を観察したところ,土あるいは木の上には,うろこで覆われた,手足のない,長い動物が,するすると動いていました。アダムはそれを,「へび」という意味のナーハーシュと呼びました。それはアダムに話をしかけませんでしたし,一方アダムも話をしたりはしませんでした。それはシューという音しか出せない,口のきけない生き物でした。アダムはへびや他の野生動物を少しも恐れませんでした。また,そのどれをも,牛をさえ神聖視して崇拝したりはしませんでした。アダムの神はそれら動物を彼に服させておられました。彼は神の像に似せて,神の様にしたがって造られた,神の地的な子だったからです。それで,天の父である「真の神」エホバだけを崇拝しました。
地上における永遠の命の可能性
30,31 (イ)アダムはいつまで,またどこで生きることになっていましたか。(ロ)正当なこととして,神は従順に関するどんな試験をアダムに課しましたか。
30 アダムはいつまで,またどこで生きることになっていましたか。神は,アダムが死んで,エデンのパラダイスを放置してもよいなどとは考えませんでした。地球は人類の住まない所として放置されることになってはいませんでした。神はアダムの前に,地上のエデンのパラダイスで永遠の命を享受する機会を置かれたのです。しかしそれは,アダムがその創造者なる神に永遠に従順であるかどうかにかかっていました。神は不従順の性向,つまり罪を犯す傾向をアダムの内に宿らせたりはしませんでした。神は,完全な道徳観念とともに,公正・知恵・力・愛などの神聖な特質をご自分の地的な子に付与されました。神は全宇宙に対するご自身の主権の正しさを認めておられるのですから,アダムに対して何ら疑惑の念を抱かずに,ご自分のその地的な子を試みるのは,正当なことでした。神がアダムに課した試験は,アダムの自由をほんの少し制限するものでした。こう記されています。
31 「そしてエホバ神はまた,この命令を人に与えられた。『園のあらゆる木から,あなたは満足のゆくまで食べてよい。しかし,善悪の知識の木からは,取って食べてはならない。それから取って食べる日には,あなたは確かに死ぬからである』」― 創世 2:16,17,新。
32 善悪の知識の木から取って食べることは,アダムが永遠の命を享受するのに不可欠な事柄でしたか。
32 ここで,偉大な命の授与者は,その子アダムの前に,永遠の命か永遠の死かのどちらでも選べる前途があることを示されました。天の聖なる父に対して不従順になれば,アダムは永遠にわたる確実な死を招くことになります。息子が父に示すような誠実な従順を示すなら,永遠の命がもたらされます。しかし,従順を示し続けるなら,その報いとしてアダムは天に移されるという訳ではありません。アダムが造られたのは,み使いたちとともに天で命にあずかるためではなく,地上の楽しみのパラダイスで永遠の命を享受するためだったからです。「天は,エホバの天である。しかし,地は,人の子らにお与えになった」とあるとおりです。(詩 115:16,新)アダムが永遠に生きるのに不可欠だったのは,『園の真ん中の命の木』であって,善悪の知識の木から取って食べることではありませんでした。―創世 3:22,新。
33 「食べるその日には」という表現を,神は明らかにどのような意味で用いましたか。なぜですか。
33 では,「それから取って食べる日には」という表現をアダムはどう解していたのでしょうか。ずっと後の預言者モーセがエホバ神に向かって,「千年もあなたの目には……つい昨日のようで(す)」と述べた言葉にあるような,千年の長さの一日という見地に立って考えるべき理由あるいは根拠は,アダムにはありませんでした。(詩 90:4および表題,新)確かにこうは考えませんでした。『もしわたしが背いて,死なねばならないとしても,おおかた,あるいはほとんど千年間生きられるのなら,結構なことじゃないか』。このように推論する根拠はありませんでした。神は24時間の一日という意味で「日」という言葉を用いていたと,アダムは解していたに違いありません。明らかに神はご自分の地的な子供の理解力に応じて話されたのですから,一貫性という見地から考えて,神は24時間の一日のことを言っておられたに違いありません。神は,「善悪の知識の木から取って食べる,千年の長さの日には,あなたは死ぬ」という意味で言われたのではありません。そのような意味であれば,神の警告の力強さは失われてしまいます。
34 アダムは,禁じられた木に関する禁止命令をどのように受けましたか。アダムは神との意思の疎通をどれほどの期間享受し得ましたか。
34 神は目に見えない使いを通してアダムに話しかけたのかもしれないとはいえ,彼はその強力な警告を直接神から受けました。それは神の言葉,神の音信でした。神は目に見えない世界からアダムに話しかけられたのです。神は,へびのような,ある下等動物を用いて,ご自身の命令をご自分の地的な子アダムに伝えたりはしませんでした。後者の場合,動物としてのこの創造物はその後,神を象徴する存在として用いられ,神聖な存在として,それ相当の敬意をもって取り扱われ得るものだったのです。しかし,真の神は,創造物である動物を通して崇拝されることを欲してはおられません。楽しみのパラダイスにいたアダムは,神を直接崇拝していました。もしアダムが永遠にそうし続けるとすれば,神とのそうした意思の疎通は永遠に保たれたことでしょう。このようにして,アダムが地上のパラダイスに神とともに永久に留まれるとは,何という特権だったのでしょう。
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神は,男と女に対するご自分の目的を明らかにされる人間の益のために今や勝ち誇る,神の「とこしえの目的」
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4章
神は,男と女に対するご自分の目的を明らかにされる
1 神はアダムの創造に際し,アダムが人類の父になるべきことを当人に話されましたか。
最初の人,アダムが地上の下等な生き物だけを仲間として,楽しみのパラダイスのなかで独りでいたとき,神はアダムが人類の父となることについては,何も言われませんでした。しかし,神はそのこと
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