ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 忠実の目標から外づれる
    ものみの塔 1954 | 7月1日
    • 彼に言われた「何が善であるかについて,なぜ私に尋ねるのか? 善である方は一人おられる。生命に入りたいと欲するならば,いましめをつねに守りなさい。」』― マタイ 19:16,17,新世。

      19,20 (イ)この地に,罪はどのように導き入れられましたか?(ロ)原罪は,性の密通となぜ関係がありませんでしたか?

      19 悪魔サタンは卑劣にも,何が善であるかを決定するヱホバ神の権利に対して,論争を引きおこしました。それはいまから約6000年前,エデンの中のことでした。サタンはエバに悪い考え方をうつし,下位のもので低いものである彼女の中に悪い欲望をかき立てて至上の支配者ヱホバを無視させ,ヱホバの代りに,何が善いか悪いかについて彼女自らで判断させようとしました。『それを食べたその日に,あなたの目は必らず開き,また必らず神のようになつて,善と悪とを知るようになると神は知つているからである。』エバの中にあつたこの悪い欲望は,充ちみちて彼女はその禁ぜられた木を食べるという行いをするようになりました。『それで,女は,木の果実が食物として善く,目に美しく,見るからに良いものであるのを見た。女はその果実を取り始め,食べ始めた。後に,夫が共にいた時女はいくらかの果実を夫に与えた。そして夫はその果実を食べ始めた。』ここにおいて,アダムとエバは,完全な従順と忠実という神の目標から外づれ,永遠の恥辱を自らの身にもたらしました。全くその時から彼らは不幸,不法,不潔そして結局には死という道に入り従いました。彼らは至上主権者御自身の規則と言葉を無視し,そして重い叛逆という行いをいたしました。―創世 3:5,6,ヤコブ 1:14,15新世。

      20 キリスト教国の中の或る宗派はこんな風に主張しています。すなわち,アダムの原罪は,密通をしたことと関係していたというのですが,その主張は間違いであるということに注意しなければなりません。性交は問題とする点ではありませんでした。それは,人間にたいする定められた目標となるのではありませんでした。それより前の命令によつて,夫と妻が性関係を持つことは,合法的となつて許されていました。(創世 1:28を見なさい)アダムの原罪は,定められた目標から外づれることをした悪い行いでした。アダムは,神であると共に王であるヱホバを拒否して叛逆し,何が善であり,何が悪であるかについて規則の別な形式をうけ入れましたが,それが彼の原罪でありました。

      結果は聖くない

      21,22 アダムの罪の結果は何でしたか? 家族の無資格とは何ですか?

      21 この一つの叛逆の行いは,意識的にした罪のものであり,その結果はアダムだけではなく,アダムより生じた彼の家族にも全地に亙つて,災いをもたらすこととなりました。『一人の人によつて罪は世に入り,その罪によつて死が世に入つた。それで,死はすべての人に及んだというのはすべての人はみな罪を犯しているからである。』(ロマ 5:12,新世)アダムは,いまや法律を破つたものであり,以前には神であると共に王であつた方の敵となりました。それで,直ちにヱホバによつて法庭に呼び出され,女とまたサタンの支配した蛇とともに有罪であると判定され,宣告されました。アダムと彼の妻は,それ以後は叛逆者として神の聖い制度から追い出されました。人間は,エデンの完全な庭園から追放され,最後には死ぬという限定された寿命を与えられました。そして,顔に汗をながして生活を立てるために,未だ開墾されていない地の部分に住まねばなりませんでした。(創世 3:16-19)ヱホバ神は,もはや彼らの愛ある友でもなければ,賢い助言者でもありませんでした。そして,アダムとエバは神の制度より追い出されてしまいましたので,彼らはその未熟でまた未経験な判断にしたがつて,自給自活の道を構じなければなりませんでした。激しい仕事の辛い苦しさ,人間のつくつた制度がもたらした失望と悲しみ,そして彼らの息子が,気の狂つた人殺しの兄弟によつて殺されて,最初の人間が死ぬのを見るという非常な悲劇これらすべての苦しみは,かつては完全な人間であつたという構造の機能をだめにしてしまう傾向へと導きました。病気がひろまり,そして遂には死がその後に続きました。完全な人間イエスが木の上にかかつた時,彼の神経系統の上に生じたおそろしい苦しみは,どのように彼の死を早めたかを忘れないでください。

      22 子供たちは両親の資産と負債を相続します。アダムは,聖くない者,叛逆の追放者,エデンの美し庭園の地を持つ権利を有しない者,限定されない生命の寿命を持つ権利を有しない者として,死にましたので,これらの無資格または不利益は子孫の上にも来ました。それで,叛逆の族長として,アダムはすべての人間の人種の上に,家族の無資格をもたらしました。

      23,24 (イ)最初の1600年間,どんな種類の記録を罪はつくりましたか?(ロ)これらの結果に対して,ヱホバはどのように見られましたか?

      23 追放されてから後に,何が善であり,何が悪であるかについて,アダムはその聖くない不完全な判断に依存しなければなりませんでしたから,彼の930年という寿命の残つている年の間,彼はますます真の忠実という神の最初の目標から外づれていつたことでしよう。腐敗して下落して行くこの傾向は,次から次へと時代がたつにつれて彼の子供たちはより大きな堕落をするということへ導きました。ついに約1600年の後に,人間はそんなにも堕落して聖くなくなり,完全な忠実という目標から非常に外づれましたので,ヱホバは地に人間をつくつたことを残念に思い心苦しく感じました。ただノアだけが,全く義しいものであると証明されました。ノアもまた罪人として生まれましたので,完全という神の始めの目標から外づれてはいましたが,しかし彼の時代の他の人たち程に堕落していませんでした。詩 51:5。

      24 『ついに神は,人間の悪が地に大きくなり,人間の心にある考えはいつも悪だけに傾いているということを見られた。それでヱホバは地に人間をつくられたことを残念に思い,心苦しく感じました。それでヱホバは言われた「私が創造した人間や,家畜や,匍う動物や,天の飛ぶものを,地の表面からふき去ろう。なぜならば,私はそれらのものをつくつたことを残念に思うからである。」しかし,ノアは,ヱホバの目の中にあつて恵みを受けました。ノアは義しい人でした。その当時の人々の中にあつて,ノアは欠点のない人であるということを証明しました。ノアは神と共に歩きました。』(創世 6:5-9,新世)ある人はこんな風に尋ねるでしよう。ノアの時代の大洪水で,8人の良い人を除いて,神はすべての人を滅ぼしたのであるならば,その後になつて,人間が完全の状態にまで引き上げられ向上される見込みはどのようでしたか? この質問の答えについては,次に続く記事を見てください。

  • 人間が完全な忠実に達する道
    ものみの塔 1954 | 7月1日
    • 人間が完全な忠実に達する道

      1 回復された地上の楽園を得るということは,誰に関係することですか?

      前の記事の中で,人間は神に対する忠実を破り,そして目標から外づれましたので,どのように楽園を失つたかが分りました。いまから,罪人アダムの贖われた子孫たちは,回復された楽園をどのように得るかを研究しましよう。彼らが地上の回復された楽園を得るといつても,それは最初のアダムの家族のすべての者が,無条件で戻ることを意味しません。そうではなく,これは,別のアダムの下にある新しい家族制度に来る人々だけに関係するということが判ります。別のアダムとは,生命を与える父であつて,賢い牧羊者のように新しい群に注意を払います。イザヤ 9:6。ヨハネ 10:11-16。

      2,3 アダムをエデンから追放して後に,神はなぜ彼に律法を与えませんでしたか? 生活のすべての関係支配する律法の完全な法典は,何時そして誰に与えられましたか?

      2 まず次の質問をしましよう,アダムがエデンの楽園から追放された後に,ヱホバは彼に完全な従順という目標を再び語りましたか? エデンの庭園での法庭の裁きの後に,叛逆したアダムにむかつて神が再び語つたという証拠はありません。アダムが完全であつた時に,神は彼に律法を与えました。しかしアダムは利己的な心をもつてその神の律法を破りましたから,いまや不完全で叛逆したアダムに,神は律法を繰り返して話したりまたは新しい律法を与えて,アダムが最高の法律を与える神にたいして完全な忠実という目標に達するかもしれないなどと希望することはないでしよう。後になつて,ヱホバはアダムの子孫たち,たとえばアベル,エノク,ノアそしてアブラハムに話しをされました。これらの人たちは不完全ではありましたが,聖い人たちでありましたので,神は御自分の目的をいくらか示されました,そして神はアブラハムに責務を与え,彼に命令法令,また律法を与えたという記録があります。(創世 26:5。ペテロ後 1:1,21; 3:2)しかし,生命のすべての関係を支配する律法の,完全でそして詳細をつくした法典が,それらのうちの誰かに与えられたという記録はありません。実際に,モーセの時代まで神はそのようなすべてのものを含む律法の法典を与えなかつたと,パウロは示しています。しかしながら,罪とその友である刑罰の死は,王として支配し続けました。だが,アベル,エノク,ノアそしてアブラハムを含んで人間は,どれ程までに人間の完全さについての神の目標から外づれていたかを決めることはできませんでした。どの程度まで,人間は『神の栄光』に達していないかを知ることはできまんでした。なぜ?『なぜならば,(モーセを通しの)律法にいたるまで,罪は世にあつたが,律法のない時,誰も罪を負わせられることはない。しかしながら,死は王としてアダムよりモーセに至るまで支配し,アダムのした過ちの状に似ずに,罪をしなかつた者たちをも支配したのである。アダムは,将来に来るべき者に似ているものである。』ここにおいて,アダムのような者,すなわち第二のアダムの来ることをパウロは暗示しています。―ロマ 5:13,14,新世コリント前 15:45

日本語出版物(1954-2026)
ログアウト
ログイン
  • 日本語
  • シェアする
  • 設定
  • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
  • 利用規約
  • プライバシーに関する方針
  • プライバシー設定
  • JW.ORG
  • ログイン
シェアする