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  • アフリカ ― 精神改革のための闘い
    目ざめよ! 1979 | 7月22日
    • アフリカ ― 精神改革のための闘い

      「黒人は賞賛すべき特質を備えている。彼らが不正を働くことはめったにない……彼らの国には安全が十分に行き渡っている。旅行者も住民も強盗を恐れる必要がない」。

      この言葉を残したのは,600年余り前に西アフリカを訪れた世界的な旅行家イブン・バットゥータでした。これは,マンサ・ムサ王によって支配されていた広大なマリ帝国の一部に住む,膚の黒いアフリカ人について述べられた言葉です。

      今日,ここに述べられた道義にかなった安全な状態がアフリカだけでなく全世界に存在するなら,どんなにすばらしいことでしょう。この記述が基本的に言って正しいものであるなら,それらアフリカ人の思いに働く強い力が存在していたことに疑問の余地はありません。

      アフリカ史上,黄金時代と呼ばれているこの時期の特色は,アフリカの黒人たちの間に知的な面での進歩が多々見られたことです。そのことをご存じでしたか。この広大なマリ帝国の都市の一つティンブクトゥは,学問の中心地,様々な知的業績の中心地として世界中に知られていました。16世紀の旅行家であり歴史家でもあるレオ・アフリカヌスは,その当時の町の様子を次のように描写しています。

      「ティンブクトゥには裁判官,医師,聖職者が多数おり,彼らはすべて王から良い給料を受けている。王は学者に非常な敬意を払っている。バーバリー(北アフリカ)から輸入される手書きの書籍に対する需要は大きい。書籍業から得られる利益は,他のどんな商売から得られる利益をも上回っている」。

      当時の文明や道徳の水準が高かったと言われているのは,こうした教えや知的業績のためであると考える人は少なくありません。そこで,今日多くの人々は,現在アフリカを悩ませている深刻な問題の幾つかを解決するため,教育つまり知性に訴えてアフリカ人の思いを動かすことに期待を寄せています。このような訳で,いわゆる“暗黒大陸”において人の思いを動かすための闘いが行なわれているのです。

      アフリカをむしばむ深刻な諸問題

      物事に通じているアフリカ人のほとんどは,この大陸のここかしこで様々な難問題が生じていることを認めるでしょう。一部の土地で見られる経済上の目覚ましい発展とは対照的に,大多数の人々は貧困のうちに生活しています。

      犯罪のはびこる都市は次から次へと増加しています。ヨハネスバーグの郊外にあるソウェトという町では「狂暴な犯罪」が起きており,「実際,世界にソウェトより犯罪発生率の高い都市はほとんどなく,あったとしてもごくわずかであろうと言われています。この町では,ひと月に145件の殺人事件が報告されました。

      世界の他の地域の場合と同様に,インフレや経験不足,どん欲,道徳の退廃などのために進歩が阻まれてきました。エボニー誌はアフリカに関する特集号の中で,「四億の人間が……貧困や無知,病気,新植民地主義に対して総力戦を行なっている」と書いています。

      アフリカの問題 ― 世界の問題

      アジアに次いで世界で二番目に大きな大陸に住む人々の問題,人類家族の十分の一が抱える問題は,着実に全世界に影響を及ぼしつつあります。そう言えるのは,とりわけ,この“大陸”が重要な天然資源に富んでおり,例えば金,ダイヤモンド,クロム鉄鉱の産出は世界でもほぼこの地域に限られているからです。

      米国への石油輸出量では,ナイジェリアはサウジアラビアに次いで第二位を占めています。世界中のウラニウム埋蔵量の三分の一,天然ガスの15%,さらに石油の10%がこの大陸にあります。エネルギーに敏感な世界において,そうした豊富な埋蔵が見過ごされるはずはありません。このような資源が不足すれば,工業国は大きな打撃を受けることになるでしょう。そうなれば,あなたにも影響が及ぶのです。

      黒人指導者たちの中には,諸問題を解決するには大衆の思いを動かさねばならないと感じる人が少なくありません。アフリカの多くの国では,広範囲にわたる教育活動が実施され始めています。指導者たちでさえ,自分たちを“教師”または“教導者”といった称号で呼ぶことによってその必要性を示そうとしています。しかし,それにもかかわらず人々の教育は一筋縄では行きません。それはなぜでしょうか。

      アフリカ人の考え方を支配する様々な力

      「部族主義はアフリカの悩みの種である」と,コートジボアール共和国のフェリックス・ウフェボワニ大統領は語りました。民族主義は,争いを助長する精神的な根強い力となっています。それは自分の生まれ出た部族に対する熱烈な忠誠心のことです。人は自分と同じ部族の者に対しては親切や正直さを示しますが,他の部族の者には,往々にして,不信感あるいは敵意をさえ抱きがちです。あるアフリカの国からのAP通信は,「アフリカの争いはどれを取っても,事実上部族主義がその主因となっている」と伝えています。

      同様に,人々は違った人種の人に対しても強い反感を抱いています。アフリカの至る所で,人種間の緊張が増大しています。人種問題で緊張の続く地域に住む,一人の白人実業家は,「まるで裏庭に爆弾を抱えているようだ」と,その事態を説明しました。

      また,アフリカ社会に押し寄せている現代の物質主義の波も見逃すことはできません。多くのアフリカ人は,大体,昔ながらの古い習慣を捨て去り,現代の科学技術から得られる恩恵の上に一つの文化を築き始めています。彼らが人生において追求しているのは,新時代の便利な物をすべて手に入れることだけなのです。アフリカの多くの土地において,お金は無情な“王”として君臨しており,人々はお金を得るためなら,盗み,殺人,詐欺など何にでも手を出します。このような訳で,物質主義の洪水もまたアフリカ人の思いに攻撃を加えているのです。

      アフリカ人の考え方を支配しているもう一つの強力な力は国家主義です。黒人の政治家たちは,国家に対する忠誠という意識を生み出すことによって自国の人々の統一を図ろうとしてきました。アフリカにはつい最近独立を遂げた国が少なくありませんが,多くの人々の心は,そうした業績のために非常に高慢になっています。

      それで,部族主義,物質主義,国家主義の力に妨げられてアフリカの諸問題は解決を見ることができませんでした。なぜでしょうか。真の平和や一致が少しでも存在するためには,見識あるアフリカ人の多くが認める通り,人々の思いが他の面で訓練される必要があるからです。

      どんな事柄に関する正しい教育が必要か

      「ナイジェリア全国民のために行動の規準を求む」。この見出しは,アフリカで最も人口の多い国の新聞に最近載せられたものです。その見出しの後には,ナイジェリアの多くの人々の間で高い道徳規準つまり正しい倫理が失われていることを嘆く意見がつづられていました。教育や科学技術においては様々な発展が見られますが,「ある国が国家として存続するには,最低限の道徳規準を守らねばならないことを,ナイジェリアの全国民は考え直す必要がある」と,その記事は述べています。なぜでしょうか。

      あるアフリカ人のジャーナリストはこのように憂えています。

      「我々は道路や高速道路の建設に膨大なお金を費やしてきたが,それらを使って旅行するとき,無事に目的地に到着できるという確かな希望を持つことはもはやできない。まして家の壁などは当てにできるものではないようだ。……我々はすべて自分の命や愛する者の命を気遣いながら生きている。今日ナイジェリア人であるということは,そのような生活をすることなのである。しかし,これは一体どういう生活様式なのだろうか」。

      では,何が解決策として掲げられているのでしょうか。先に引用した新聞はこのように言明しています。「したがって,開発途上国は人々の物の見方を変えるためにより慎重な努力を払わねばならない」。(下線は本誌)

      そうです,正しい「行動の規準」を身に付けるためには「物の見方」を変える必要があるのです。しかし,そうした教育は容易なものではありません。人に読み書きを教えることはできても,道徳を教えるためには人の思いだけでなく心そのものをも動かすことが必要とされるからです。そうした道徳を法律によって規制しようとした政府の役人は,アフリカ人の思いを動かす努力を重ねた結果,そうした企てが「風を捕える」ようなものだと考えるようになりました。今のところ,そうした教育は困難を極めています。

      強固な家族関係は強固な町や都市を生み出し,さらにそれらは強固な国家を生み出します。そこで,あるイスラム教の黒人指導者は,「社会の基本単位としての家族を復活させること」を主張しました。(下線は本誌)それには,徐々に破壊されつつあるアフリカ人の家庭を強固なものにするための教育が必要です。アフリカ人のうち45%は15歳以下であるため,特に子供を訓練する必要があります。

      差し迫って必要とされているのは,異なった部族や人種の人に対して持つべき正しい態度をきちんと教えることです。すでに見てきた通り,部族主義や民族主義はアフリカの多くの土地を分裂させてきました。ある国の状況に関する報告は,次のような希望の表明で結ばれていました。「黒い手が友情のうちに白い手を握りしめ,ローデシアにこの国の美しさにふさわしい平和が与えられるように」。

      ある土地が,またはある国家が真の意味で美しくあるためには,人々が仲良く生活していなければなりません。しかし,そうした友情が生まれるためには人の思いが奥底から動かされなければなりません。正しい道徳だけでなく,愛もまた法で規制することはできないのです。しかし,最も重要な教えであれば,正しい道徳を生み出し,家族を強め,異なった部族や人種の人々の間の真の愛を培うことができるに違いありません。

      「不可能だ!」と多くの人は言います。しかし,このような教育は可能であるばかりか,少なくとも41のアフリカの国々と周辺の島々の人々によって実際に首尾よく成し遂げられているのです。だれがそうした業を行なっているのでしょうか。彼らの方法はどれほど成功しているのでしょうか。この大規模な教育活動において,1978年の最後の数か月が特に重要であったのはなぜでしょうか。次の記事からその答えを楽しくお読みになってください。

  • アフリカで成功している教育活動
    目ざめよ! 1979 | 7月22日
    • アフリカで成功している教育活動

      アフリカの少なくとも41の国々で,国際的な教育活動が行なわれていることをご存じですか。そのために教科書や校舎が備わっています。教訓者たちは効果的な教育手段を用い,家庭で個人的に教えることさえ行なっています。この国際的な教育活動の一端として,道徳や家族生活,またすべての人にどのように真の愛を示すかといった事柄についての諭しが与えられます。

      それはまた,自発奉仕者によってのみ行なわれているもので,そうした奉仕者の数はほぼ25万人にも上ります。これらの人々は給料を受けることなく,他の人々を教えるために多くの時間を費やしています。

      今日の世界においてそうした活動は不可能なように思えますが,これこそエホバの証人がアフリカにおいて50年余り行なってきた事柄なのです。昨年彼らはこうした公の奉仕に4,000万時間余りをささげました。これは平均すると,アフリカ大陸全土および周辺の島々に住む男女子供一人に対して六分間費やされたことになります。アフリカ中の住民のうち,個人的に援助したいというこれらエホバの証人たちの心からの願いについて知らない人はほとんどいないでしょう。

      彼らの教える「行動の規準」の基盤とも言える主な教科書は聖書です。エホバの証人は王国会館で毎週行なわれる教育的な集会に加え,昨年中20万以上の家族と共に週ごとの聖書の討議を行ないました。彼らは幾万人もの人々に読み書きを教えただけでなく(アフリカのある国々では読み書きのできるのは人口に対して20%ですが,エホバの証人の間では77%です),一層重要なこととして,彼らに正しい行動の原則を教えました。

      「勝利の信仰」国際大会は重要な役割を果たす

      大きな大会はこの教育活動の重要な部分を成しています。1978年の最後の数か月間と今年の始めに,アフリカ全土および近隣の島々で72の大会が開かれました。驚くべきことに,合計52万4,571人もの人々が出席しました。

      ガーナのある著名な王は,皇太后や長官,長老たちと共にこうした大会の一つに出席しました。「わたしはあなた方の大会の様々な取決めや秩序正しい行動に感銘を受け,魅了されました」と王は感嘆の声を上げました。この王やさらに幾千人もの人々が「魅了され」たのはなぜですか。

      単に秩序正しい行動のためだけではなく,主にそのプログラムのためでした。実際的な講演や新しく発行された,「あなたの家族生活を幸福なものにする」と題する補足的な手引書は,増大しつつある家庭内の不一致に対処する上で本当に家族を助けるものでした。

      教育活動は実際に効果を上げているか

      ナイジェリアの大会出席者の中には,以前ある政党の殺し屋だった人がいました。この人は,政治上の敵対者に対して幾度も暴力行為を行なっていました。また,その人たちの家を焼いたり,彼らの手足を切断したりすることまでしたのです。非常に悪名高い男であったため,彼がよく行く映画館へは行くことを恐れる人さえいました。ところが,たまたまこの映画館の管理人がエホバの証人だったのです。彼はこの男の人と聖書の討議を始め,ついにこの人は生活を変えてエホバの証人になりました。

      以前暴力的だったこの男の人は,他の人に聖書を教えるようになりました。彼が野外での教える業に初めて参加したとき,多くの人は彼が近付いて来るのを見ると逃げ出したものでした。彼が変化したことを納得させるには少なからぬ努力がいりました。しかし,彼は確かに変化しました。今では,同じように生活上の変化を遂げるよう他の人々を援助しているのです。

      それは例外的な経験でしょうか。決してそうではありません。売春婦やどろぼう,酒飲み,麻薬常用者などが援助されて生活を変化させてきました。そうした驚くべき変化を見て深い感銘を受け,エホバの証人になった人々もいます。

      例えば,ローデシアのあるエホバの証人は大農場の白人の所有者に,畑で働いている人々に話し掛けても良いかと,いつも通り尋ねました。その人は,「一体うちの使用人にどんなことを教えるんですか」としんらつな口調で尋ねました。「聖書や聖書の原則についてです」と証人が答えると,「例えばどんなことをかね」と彼は尋ねました。「正直さや清潔さ,色々な習慣において度を過ごさないこと,仕事に対する態度などについて,聖書の考えを知らせたいと思っています」。これを聞いてその農場の所有者は驚きました。というのは,ちょうどこうした事柄についてある使用人たちとの間にしばしば問題が起きていたからです。

      次に自分の使用人の中にエホバの証人が数人いることを知って,「この農場でエホバの証人は一体だれかね」としきりに尋ねました。その証人が,最も優れた,そして最も信頼の置ける働き手の名前を挙げたときには驚いた様子でした。深い感銘を受けたこの農場所有者夫妻は,これらアフリカ人の思いを動かし,そうした変化をもたらした教えがどんなものかを是非調べてみたいと言いました。やがて二人はバプテスマを受けたエホバの証人になり,さらに他の人を教えるために援助する活動に携わっています。

      アフリカのある土地では,エホバの証人の正直さはほとんど伝説のようになっています。大会に来た人々の中には,「落とし物部門」を見て驚く人がしばしばいます。「大抵のアフリカ人は,お金を落とせば二度と戻って来ないと考えています。拾ったお金を届け出ることなど大抵のアフリカ人には聞き慣れない事柄です」と,ケニア生まれのあるエホバの証人は語りました。しかし,金額の多少にかかわらずお金を拾った人は届け,多くの場合なくした人は尋ねに来ます。

      強められる家族

      家族生活についてはどうでしょうか。南アフリカのムダントセインという町の町長は次のような注目すべき言葉を公衆の前で述べました。

      「わたしは六年間,エホバの証人が賃借料を払わなかったとか,妻とけんかをしたとか,離婚の申し出をしたとかいった例を一度として耳にしたことがない。わたしが彼らを深く尊敬しているのはこのためである」。

      こうした大会に出席して,両親と共にやって来た幾千人もの従順な子供たちを見るなら,だれでも聖書の教えの強力な影響力に気付くでしょう。世界を旅行して幾つもの大会を見てきた一人の人は,コートジボアールのアビジャンで開かれた大会をあとにしながら次のように語りました。

      「それにまた,子供たちはどうでしょう。ここアフリカほど,大会中子供たちがよく訓練されていて行儀の良い国はありません。彼らは何時間も両親と座っていますが,暑さや湿気,仮に建てられた会場の固い座席をも気に留めていないようです」。

      エホバの証人のニューヨーク本部で奉仕している89歳になる成員は,アフリカ人の証人たちから暖かい歓迎を受けました。ひと月間あちこちの大会に出席して帰って来た後,グレース・デッカは,「旅行中,どんなことが一番印象的でしたか」と尋ねられました。彼女はためらわずに,こう言いました。「それは人々の思いやり深さ,特に男の人たちの思いやり深さでした。人々は家族そろって大会に出席していましたが,父親は子供を世話する面でとても心を配っていました」。

      もしアフリカ中が礼儀正しく思いやり深い,正直な人々や家族であふれたとしたらどうでしょう。良識ある人ならだれでも,それによってもたらされる安全を感謝するのではないでしょうか。

      部族や人種間の一致

      あなたの親族を家から追い出し,その多くを殺した,別の“家族”の者に対して,あなたならどんな感情を抱きますか。そのような人を愛することができると思われますか。

      まさにそのことが世界中に知られているワツシ族とフツ族の間で起きたのです。彼らの戦いは400年以上も昔から続いています。1963年にこの戦いは全面戦争へと発展し,1万人余りのワツシ族が殺され,生き残った人々は難民としてさまようことを余儀なくされました。両部族の間には激しい敵意が見られます。それにもかかわらず,ケニアのナイロビで開かれた大会に関するある報告には,次のような詳細な事柄が書かれていました。

      「ルワンダから来た,有名なワツシ族のエホバの証人の男女がフツ族の証人と肩を並べて崇拝していた。一般にこれらの人々の間では今でも不和が見られ危険だが,エホバの崇拝者となった人々がそうした不和を過去のものとし,今では互いを“兄弟”“姉妹”とみなしているのは喜ばしいことである」。

      人種間に強い緊張関係の見られる土地で,黒人と白人が共に崇拝を行なっています。南アフリカでは人種問題の起きているケープタウンで,完全な意味で異人種混合の最初の大会が開かれました。出席した6,959人の人々が,違った人種の人々と交われることに胸を躍らせている様子が,ありありとうかがわれました。「エホバの証人は,まるで長年こうしたことを行なっていたかのように行動していた。平和と一致というすばらしい精神が見られた」と,南アフリカからのある報告は伝えていました。

      こうした人種上の一致は,単なる「表面的な黙認」ではなく,証人たちの感情に深く根ざすものです。幾十年もの間,多くの白人の証人たちは宣教者として地元の黒人の証人たちと共に働いてきました。彼らは真の愛のきずなで結ばれているのです。30年以上アフリカで奉仕してきたある宣教者の話はこのことを物語っています。彼はひどい病気にかかり,三か月間も床に就かねばなりませんでした。ある巡回監督に,母国のカナダへ帰りたいかと尋ねられたとき,きっぱり,「いいえ」と答えました。「この人々のいるここがわたしの国です。生きている限り,ここにいたいのです」。

      訪問中のその監督は彼の答えに幾分当惑しましたが,次のような言葉でその報告を結んでいます。

      「エホバの証人の兄弟たちを一つに結び合わせ,国境によっても,人種や習慣や言語の違いによっても破られることのない一致を保たせているものは,エホバに対するこうした心からの献身です」。

      「キリストの思い」を教え込む

      幾十万人もの人々がしっかりした道徳規準によって自己を律するようになっており,その結果,家族のきずなは強められ,すべての人に対して愛を表わすようになっています。そのような人々があなたの隣人であったなら,うれしいと思いませんか。彼らは自分の思いの中に「キリストの思い」を取り入れ,考えや行動においてイエス・キリストの模範や教えに倣っているのです。―コリント第一 2:16。

      この人々は世界が願っているような成功を収めているのです。オックスフォード大学の社会学者であるブライアン・R・ウィルソンは,アフリカのエホバの証人を広範囲にわたって調査した後,この点に注目し,次のように述べました。

      「証人たちは……道徳上の厳格さ,自己鍛練という高い基準を信者に守らせる点で,他に例を見ないほどの成功を収めている。

      「彼らは勤勉に働くこと,きちょうめんであること,酒を慎むこと,また自尊心を保つことの価値を教え込んでいる。その信者たちは東アフリカではめったに見られない,家族関係の本質とも言うべきものに達している。人々を教育し教え込むときの彼らの方法は極めて効果的である……

      「アフリカの政治家たちは,お決まりのさわやかな弁舌で部族主義を非難する。一般の通念には反するようであるが,恐らくエホバの証人ほど新しい会員の中から部族上の差別意識を速やかに取り除くことのできる集団は他にないであろう」。

      「キリストの思い」を持つ人々はさらにまた,この世の困難な状況の中にあっても,生活を有意義なものとし,可能な限り幸福なものとすることができることを知っています。また彼らは,『義が宿り』,すべての人が完全な安全を享受できる,不正のない世界という聖書に基づく希望を熱心に見つめています。それは神の造られる秩序であり,利己心の上に築かれた古い秩序に取って代わるものです。そのような完全な状態の下で生活するようになる人々がそこにいるのは,大規模な聖書教育活動によって自分の生活を首尾よく形造ったからにほかなりません。―ペテロ第二 3:13。詩 85:8-13; 145:20。

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