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多発性硬化症 ― やっかいな病気目ざめよ! 1972 | 5月22日
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ましたが,からだがなんとなく硬直していました。1961年にミネアポリスに行って,ある脊柱指圧療術者を尋ねたところ,多発性硬化症にかかっているようだと言われて,脊柱の矯正治療を受けました。私はそのときからビタミンBなど,ビタミン類を飲み始めました。
その後,右手が1か月余りきかなくなって,左手で食事をしました。するとまた右手が使えるようになり,私は正常にもどりました。それはまったくやっかいなものでした。
1962年の2月には私は非常に楽しく仕事をしました。しかし3月には一時歩くことができませんでした。以来,毎年一度は歩行困難になりました。それから9か月後,また6か月後というふうに再発しました。
足もよくきかなくなってきて,しばしば倒れました。それからぼうこうが悪くなりました。1964年,ある医師は私にコーチゾンを与え,私の病気を末梢神経炎と呼びました。コーチゾンは痛みを和らげるようでした。別の医師は私を診断して,背中に短波治療を受けることと,運動をすることを勧めました。1965年には私は,ミネソタ州にあるメイヨー・クリニックに行きました。ここで私はいろんな検査やテストを受けました。そして1週間以上たってついに,私の病気は多発性硬化症であると診断されました。私の場合は,筋肉をいっそう硬化させるおそれがあるので,コーチゾンの使用はこれ以上つづけないほうがよいと考えられました。
1965年の末,私は宣教者の仕事をつづけるためにまたガイアナにもどりました。足はしだいに悪くなり,1968年から車いすを使うようになりました。
1972年の現在は両手がしだいに弱くなっています。両方の足で立つこともできません。自分の名前を書くことすら困難で,タイプは2本の指で打ちます。現在はからだ全体が衰弱していますが,人々と聖書の勉強をすることが,しっかりとした思いを保つ助けになっています。
多発性硬化症の人は他人の助けに依存しています。私はガイアナに住んでいるので幸いです。この国の人々は親しみやすくて理解があるからです。ジョージタウン公共病院のお医者さんや看護婦さんたちはほんとうに親切で,必要なときに助けを差しのべてくださいます。暖かい気候はからだによいらしいので,気候まで私に好意的です。気温は1年を通じて摂氏28度と29度のあいだです。
主人と私は今まで18年間全時間奉仕を行ない,ここには14年ほど住んでいます。私は自宅で,電話で,また近所の人や友だちと話すときに,人々に聖書を教えることができます。多発性硬化症はやっかいな病気ですが,それでも活動的な状態を保つのはよいことです。―寄稿
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空気を浄化する働き者の土壌菌目ざめよ! 1972 | 5月22日
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空気を浄化する働き者の土壌菌
◆ スタンフォード大学付属研究所の科学者たちは,土壌中の微生物が致命的な一酸化炭素を大気から除去するのにはかりしれない働きをしているという結論を出した。いままでに土壌中から取り出された200種の細菌のうち少なくとも16種は活発に一酸化炭素ガスを除去する。アメリカ全体で毎年,200万トンの「人工」一酸化炭素が作り出される。しかし,付属植物学研究所の所長はアメリカの土壌が500万トン以上の一酸化炭素を除去しうるとみている。樹木の伐採がほとんど行なわれず,土地がコンクリートで舗装されていない地域の人々はこの働きから非常に大きな益を受けている。したがって,過去10年間大気中の一酸化炭素の濃度がほとんど一定に保たれていたという事実はこれら土壌中の微生物を考慮に入れるときに大かたの説明がつくようである。
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