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全地球的な楽園 ― なぜ可能ですか目ざめよ! 1976 | 4月22日
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機会を与える。それは,現実の世界がもはや与えてはくれないと,麻薬中毒者たちの考える種類の満足感である」。
確かに,林の中に逃避する以上のことが必要です。荒野に逃げ出した人々も,相変わらず麻薬にスリルや逃避を求めているからです。しかし,そうではあっても,地球全体が楽園となった時に,『手の加えられていない自然に接する』ことから,わたしたちすべてが平安と満足感を得られるという事実が変わる訳ではありません。
全地球的な楽園の可能性が確かにあるにもかかわらず,それが実現していないのはなぜですか。何が欠けているのですか。そして,あなたが,生きて全地球的なパラダイスを目撃し,そこでの命を享受する可能性が十分にあると確信をもって言えるのはなぜですか。
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あなたは全地が楽園となるのを目撃しますか目ざめよ! 1976 | 4月22日
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あなたは全地が楽園となるのを目撃しますか
疑問の余地はありません。地球はそれ自体の中に,機会さえ与えられれば元の状態に戻れるだけの,膨大な,そしてほとんど無尽蔵といえる力を秘めています。また,生態学上の平衡を取り戻し,それを維持する地球の力に,人間がその科学や技術をもって,協力できるという点についてもほとんど疑う余地はありません。それでは,生物学者や生態学者のような科学者たちは,将来に対して楽観的な見方を持っていますか。決してそうではありません。
米国の指導的な生物学者の一人ゼント-ジオルジ博士は,人間がこれから二つの道のどちらかを選べる,とこう述べています。「輝かしい将来への道か,さもなくば自滅への道である。現在のところ,我々は自滅への道を歩んでいる」。そうです,同博士によれば,将来の見通しは「非常に暗い」ものです。しかも同博士は,50年以上の経験を持つ著名な科学者として語っているのです。さらに,生物理学者ジョン・プラット博士も同様の考えを表明しています。プラット博士は,環境を保護するために,自然および社会科学者,医師,技師,教師,そして創意の才を備えた人などあらゆる学者たちの協力を得なければならない,と主張しています。しかし,そうした助力すべてをもってしても,「我々が何をしようとも,こうした問題が解決され得る,あるいは遅すぎないうちに解決されるという保証はない」と同博士は警告しています。
これらの人々はなぜそれほど悲観的なのでしょうか。それは,人間が汚染をとどめることに失敗しているからです。いよいよ多くの有毒物質が海洋に投棄されており,廃油による海洋汚染も広がっています。大気汚染の原因一つを減らそうとする努力が,別の,しかもいっそう深刻な汚染を引き起こす結果になった場合もあります。その一例は,米国カリフォルニア州の大気汚染対策です。同州の条例は全米で最も厳しいものであるにもかかわらず,新聞の報道はこう述べています。同州は,「汚染対策のあらゆる面で失敗しており」,その地方の「大気汚染がこれまで以上に悪化しているのは悲しい現実である」。
なぜか
全体的な見通しがそれほど暗いのはなぜですか。その原因となっているのは何でしょうか。人間の環境を居住可能な状態に保っておくことが単に一国だけの問題ではなく,国際的な利害にかかわる問題である,という点がその見通しを暗くしている一因を成しているに違いありません。「かけがえのない地球」と題する本の共著者ワードとデュボスは,こう説明しています。「世界的な大気汚染の問題は,個々の政府が自らの力で効果的な対策を講ずる域を超えている」。ワードおよびデュボスによると,「人間の全地球的な相互依存は……全地球的な問題に関する決定を下し,全地を管理するための新たな可能性を求めるようになった」。つまり,「それには,全地球的な責任に対する新しい誓約が求められる」のです。しかし,そのように全地球的な責任を担い,全地球的な規模で協力するどんな見込みがありますか。過去の記録から判断すれば,実際,そうした見込みはほとんどありません。
大英百科事典(1974年版)は,なぜそうした見込みがないかを明らかにしています。同事典は,地球の荒廃を防ぐ技術面での知識を人間が持っていることを述べた後,さらに次の点を示しています。1970年代の諸問題は,「科学や技術の問題ではなく,人間の制度の取決めや機能,および個々の人々の態度の問題である」。
「環境の倫理」と題する本の中で,J・F・カッセルは,その点をいっそう率直に言い表わしています。「現代の人間環境の根本的な問題は,利己心である。しかも,利己心は浸透している。罪の支払う値は死である。生活圏としての地球は死につつある」。それは,何と先見の明のない利己心なのでしょう。科学者ゼント-ジオルジは,「世界を治め,究極の破滅に向かって容赦なく狂ったように突き進んでいる気違いたちの,恐るべき圧力の下に」人々が置かれていることに問題があると結論づけています。
あなたは,これまで観察してこられた事柄から,問題を憂慮した著名な米国の一官僚の述べた次の言葉に同意されるでしょう。「地域社会に害をもたらすとしても,ある利己的な行為によって自分が利益を得られるなら,人は大抵それを実行するであろう」。その事実を例証しているのは,汚染防止装置を取り付けるようにとの政府の命令に,公益事業会社がなかなか応じようとしない理由を明らかにする報告です。100万㌦(約3億円)相当のそうした装置の取り付けを一年間遅らせることによって,そうした会社は年に25万㌦(約7,500万円)を節約できるのです。このことからも,米国の公益事業会社が,自分たちに責任のある公害問題の対策費の八倍もの予算を,宣伝費に充てている理由が分かります。「汚染は,無知と強欲で固まった犯罪である」とは,リッチー-カルダー卿もよく言ったものです。a
『窮すれば神の助けあり』
それでは,将来に対する希望は全くないのですか。根深い利己心のゆえに,人間の科学や技術すべてをもってしても問題を解決できないのであれば,どこから救いの手が差し伸べられるのでしょうか。偉大な創造者エホバ神は,救うことができるだけでなく,実際にそうされます。神? そのとおりです。というのは,神のみことば聖書が,地球に対する神の関心事と目的をはっきりと示しているからです。何と言っても,神は地球を創造された方です。古代の詩篇作者ダビデ王が歌ったとおり,地球は神に属しています。「地とそれに満ちるもの,産出的な地とそこに住む者とはエホバのものである」― 詩 24:1,新。
神のみ子イエス・キリストは,地上にいたとき,み父が地上の被造物に関心を持っておられることを繰り返し保証しました。そして,神が野のゆりをも美しく装い,天の鳥を養っておられ,神の知ることなくしては一羽のすずめも地に落ちない,と述べたイエスはさらに,神が善良な者の上にも邪悪な者の上にも,等しく太陽を輝かせ,雨を降らせておられることを示しました。(マタイ 5:45; 6:26-30)詩篇 104篇の中で,神のしもべの一人は,エホバ神が野の木立ちを豊かに潤し,また人間を含む地上のあらゆる種類の生物のために
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