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アルコール乱用の脅威に立ち向かう目ざめよ! 1978 | 3月22日
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栄養分は血液中に吸収され,体の他の部分へ運ばれてゆきます。しかし,アルコールは事実上ほとんど形を変えずに,胃と小腸で吸収され,それから血液によって肝臓に運ばれます。
肝臓は一定の速度でアルコールを酸化します。肝臓の処理能力以上のアルコールが運ばれて来ると,肝臓は処理できなかった分を酸化せずに血液の流れに戻します。アルコール分はそれから心臓へ運ばれ,そこから循環器系を通して体の他の部分へ送り出されます。そしてやがて肝臓に戻り,そこでさらに幾らかのアルコール分が酸化され,残りは血液の流れに再び戻ります。この過程はアルコール分が完全に酸化されるまで続きます。
“火”酒やビールやワインのいずれを飲む場合でも,それを少しずつ飲み,“一気に”飲み干すようなことは避けます。そうすれば,肝臓はアルコール分を楽に処理できます。肝臓が処理できる程度にアルコール分が運ばれてくるからです。そうすれば,酸化されずに血液中に戻されるアルコールの量は比較的少なくなります。
平均的な飲酒家が肝臓の酸化作用を速める方法はありません。コーヒーをブラックで飲んでも,冷たいシャワーを浴びても,新鮮な空気を深呼吸しても,この作用の速度を速めることはできません。体をいたわる最善の方法は,アルコール飲料は数杯にとどめ,それをゆっくり飲み,一定の時間をかけて飲むことです。これは,ウイスキーだけでなく,他のアルコール飲料の場合も同じです。ビール一かん,あるいはワイン・グラス一杯のワインには,ウイスキー・グラス一杯分のウイスキーに相当するアルコール分が含まれているからです。
問題を抱えた飲酒家
しかし,飲酒がすでに深刻な問題となっている場合はどうですか。どうすれば自らを矯正できますか。他の人々にはどんなことができるでしょうか。
問題を抱えた飲酒家は,自分がアルコールの問題に陥っているという現実に正面から取り組まねばなりません。自分はやめようと思えばいつでも禁酒できるのだ,などと考えて自らを欺いてはなりません。飲酒のために健康を損ない,発狂し,あるいは死んでしまうまで,そうした幻想に取りつかれていたアルコール中毒者は少なくないからです。
問題を抱えた飲酒家が最初に踏むべき段階は,助けを受けられるよう,自分にとって飲酒が問題となっている点を認めることです。それを認めないなら,その人が手遅れにならないうちに問題に対処する可能性はほとんどありません。しかし,大抵の場合,アルコール中毒者は,自分たちがアルコール中毒にかかっていることを認めようとしません。その人たちをしてアルコール中毒に走らせた思考過程が,それについて何らかの手を打つことを邪魔するのです。そこで,そのような人の家族や友人たちが,そうした人々を助けようとしなければならないのです。
その問題を処理するのに,公の機関の助けを当てにできますか。もちろん,異なった土地には,助けを差し伸べる様々な機関があります。しかし,ワールド・ヘルス誌の次の言葉に注目してください。「アルコール関係の問題に対して,十分な反応のあった国の数は,これまでのところごくわずかである。これほどひどい被害をもたらしている伝染病に対して同じほど無策であるとすれば,それは大いに責められるべきこととみなされるであろう。また,同じほどの規模を持つ“麻薬”問題は,騒ぎを引き起こさずにはおかないであろう」。
どうしてこのような事態が見られるのでしょうか。ワールド・ヘルス誌はこう答えています。「余りにも多くの国で,[アルコール]は社交界の選んだ,容認され,重宝がられ,文字通りあがめられてさえいる薬剤になっているからである。……アルコールは楽しみ,もてなし,友情,祝祭,でき合いの神経強壮剤,男らしさ,ロマンス,祝い,取引きをまとめる飲み物,笑い,俗物根性,そして恩寵の印なのである。アルコールなしにどうしてやっていけるだろうか。アルコールが本当に健康を損なうなどとどうして言えるだろうか。これと反対の意見を述べる者は,興をさます者として退けられる」。
しかし,この出版物が指摘しているとおり,アルコールの乱用は,健康,幸福,そして命そのものに対する大きな脅威となっているのです。それでも,ある機関がこの問題を扱ってくれるだろうなどと考えてはなりません。
また,アルコール中毒になるまでほっておいても,後で何らかの医学的な治療を受ければ治るだろうなどと考えてもならないのです。アルコール中毒を医学的に“治す”ことはできません。食餌および栄養の向上,低血糖症の克服,薬物投与,および入院治療など役に立つ事柄は数々ありますが,さらに多くの事が必要とされています。根本的な問題は,個々の人の思いと心に残っています。
動機や他の要素に適切な注意を払わずに“臨床的”な治療を受けただけのアルコール中毒患者は,必ずと言ってもよいほどアルコール中毒に逆戻りします。早期の治療,向上しようとする患者の誠実な願いと決意,そして親しい人々の助けなどが,回復するための主な要素です。
中には,アルコール中毒患者の問題を話し合い,アルコールが体にどんな影響を及ぼすかを当人に説明すれば,飲酒をやめさせるのに役立つ,と考える精神科医もいますが,ニューヨークのベンジャミン・キッシン博士はこう語っています。「この診療所にいると,それだけでは満足のゆく成果が得られないことが分かる。それだけでは十分でない」。同博士はさらに,「我々は人々の生活様式を変えようとしている」と述べています。
生活様式を変えねばならないということに疑問の余地はありません。また,不健全な交際をやめる,つまり本当の友人ではなく,人のアルコール中毒を助長するような友人と別れることも肝要です。しかし,人の生活様式全体を変えてしまうほどの強力な動機付けはどこから得られるでしょうか。
最も強力な助け
助けとなることが十分に証明された源が一つあります。それは他のいかなる助けよりも強力です。それは,正しい動機付け,つまり思いと心の正しい態度を得るよう多くの人を助けてきました。その源は,全宇宙で最も強力な方,すなわち全能の神ご自身です。
エホバ神は人間を創造されました。エホバは,人間が自分の問題を解決する方法,および自分に加えられる圧力や自分の感情に対処する最善の方法を一番よくご存じです。ですから,人がこの源に助けを求めるとき,その人は最善の助けを受けることになります。
この助けがもたらされる一つの方法は,神が人類の導きとして著された本に見いだされる優れた助言です。その本は,神のみ言葉である聖書です。聖書を読めば,人生が問題に満ちあふれている理由が分かりますし,神の約束しておられるすばらしい解決策についても学べます。聖書は,現在のこの不満の多い,問題に満ちた世を終わらせることが神の目的である,とわたしたちに教えています。神はこの世界に代わって,今日広く見られる悪い事柄すべての除き去られた,義の新秩序,すなわち地上のパラダイスを招来します。(ルカ 23:43。啓示 21:4,5)ですから,人生の目的と将来にある事柄とを学ぶことは,『生活様式を変える』上で極めて強力な動機付けとなります。
聖書は,以前大酒飲みであった人々が神の目的の正確な知識を得たとき,その習慣から離れたことを示しています。聖書は大酒飲みを,淫行の者,偶像を礼拝する者,盗む者などと一緒に挙げ,それから,「でも,あなたがたの中にはそのような人たちもいました。しかし,あなたがたは洗われて清くなったのです。神聖なものとされたのです。……義と宣せられたのです」と述べています。―コリント第一 6:9-11。
アルコール中毒を克服することは確かに可能であるゆえに,聖書はこう諭しています。「古い人格をそのならわしとともに脱ぎ捨て,新しい人格を身に着けなさい。それは,正確な知識により,またそれを創造したかたの像にしたがって新たにされてゆくので(す)」。(コロサイ 3:9,10)神のみ言葉から得られるその正確な知識は,生活様式を変えるのに必要とされる動機を与えるものとなります。
ほかにも助けとなる事柄があります。アルコールの乱用を本気で克服したいと思うなら,人は助けとして神の力を幾らかでも与えてくださるよう神に求めることもできます。神の強力な活動力,すなわちその聖霊は,求める者に与えられます。イエス・キリストはこう言われました。「求めつづけなさい。そうすれば与えられます。探しつづけなさい。そうすれば見いだせます。たたきつづけなさい。そうすれば開かれます。……まして天の父は,ご自分に求めている者に聖霊を与えてくださるのです」― ルカ 11:1-13。
この点で,南米のある国に住む一人の男の人の経験は数ある経験のほんの一例にすぎません。アルコール中毒のためにこの人の生活はめちゃくちゃになっていました。この人はしばしば酔っ払い,良い勤め口を棒に振り,自分のお金を浪費し,家族を貧困へと追いやりました。数日間にわたって“飲み歩き”,あげくの果て刑務所行きになることも珍しくはありませんでした。また,暴力をふるって妻を度々脅しました。一方,妻は,三人の子供を連れて家を出ると言ってやり返しました。
ところがその人の妻は,エホバの証人の一人と聖書を研究するようになり,神のみ言葉から夫に対する妻の最善の接し方を学びました。たとえ夫がアルコール中毒であっても例外ではありません。彼女は夫を今までより大切に扱うようになりました。やがて夫はそれに気づき,妻にそのような優れた変化をさせたものが何であるか知りたいと思い,自分も聖書を研究するようになったのです。研究が進むにつれ,飲酒に頼る度合いはいよいよ少なくなってゆきました。
それからこの人は,自分のアルコール中毒を治すために医学的な治療を受けることに同意しました。しかし彼はその治療を最後まで受けませんでした。どうしてですか。彼は,自分の学んだ事柄のゆえに,今や禁酒するだけの十分な意志力を身に着けられたと語りました。そして,飲酒を完全に断ったのです。彼はまた,自分の交友も変化させ,以前の友人たちが依然として開いていた酒宴に参加することを断わるようになりました。
その結果,生活全体が向上しました。家族生活はずっと幸福になり,他の人々との関係もよくなり,定職に就くことができ,より良い家に住めるようになりました。この経験で大変興味深いのは,医学的な治療によってではなく,聖書の助けによって得ることのできた決意,祈り,妻の助け,そして築き上げる交わりのお陰でその習慣を断ち切れたと彼が語ったことです。
これは例外的な経験ではありません。世界各地から寄せられた,数多くの同様の経験は,アルコール中毒を克服するのが不可能ではないことを示しています。
しかし,ひとたびアルコール依存を克服したなら,細心の注意を払わねばなりません。以前アルコール中毒患者であった人の大半にとって,アルコール飲料に関する最善の忠告は,それに触れるな,というものです。以前アルコール中毒患者であった人にとって最善の道は,アルコールから完全に遠ざかることである,という点でほとんどの権威者たちは意見の一致を見ています。飲酒に節度を保ち,アルコールの乱用に逆戻りしないよう自制心を再び持てた人は比較的少数にすぎません。大抵の人にはそれができません。
ですから,アルコール飲料は生活にある程度の楽しみを加えるものになるとはいえ,それを扱う際には爆発物を扱うときのように細心の注意を払わねばなりません。さもなくば,それは“爆発”して,深刻な問題を巻き起こし,致命的な結果を引き起こしかねません。
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地球 ― 平らか,それとも丸いか目ざめよ! 1978 | 3月22日
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地球 ― 平らか,それとも丸いか
● 地球は平らではなく丸いということを,人間が初めて感づいたのはいつごろだったのでしょうか。クリストファー・コロンブスの時代ですか。いいえ,それよりも前のことです。アービング・ロビンは次のように書いています。「西へ向かって航海して,東方へ行き着けると信じるには,地球が球体であることをも信じていなければならない。ジェノバに住む船長,クリストファー・コロンブスはそのことを信じていたが,それを信じていたのは彼一人だけではなかった。それを信じていた人は幾世紀も昔から存在していた。というのは,西暦前500年の昔に,ギリシャの学者ピタゴラスが地球は丸いと主張していたからである。1250年に書かれたノルウェーの一教科書には同じことが述べられているだけでなく,地球の四季,一年間の太陽の角度の変化,そして卓越風などがある理由も説明されている。古代の知識すべてが失われてしまったわけではない。それはただ一時期人気がなかったにすぎないのである」― 探検と発見の過程と原因百科
● ピタゴラスは西暦前540年から500年ごろの人です。しかし,それよりもさらにずっと前,西暦前8世紀の人であるヘブライ人の預言者イザヤは,地球が球体であることを示し,こう書き記しました。「地の円の上に住んでおられる方[エホバ神]がおられ,その中に住んでいる者たちはばったのようである」。(イザヤ 40:22,新)ここで「円」と訳出されているヘブライ語は,「球」とも訳せます。(B・デビッドソン著,「ヘブライおよびカルデヤ語聖書聖句索引」)興味深いことに,この節の「円」という言葉に関して,スコフィールド参照聖書は,欄外の注で,「地が球体であることに対する,驚くべき言及」と述べています。モファット訳は,「彼は丸い地の上に座っておられる」と訳出し,カトリック・ドウェー訳はここを,「地の円球の上に座られる方こそその方なり」と訳しています。古代の人々は全般的に地は平らであると考えていたとはいえ,地球の創造者の霊感によって記された言葉が地球は丸いということを正しく示しているのは当然のことです。
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