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  • アルコールに頼るとどんなことになるか
    目ざめよ! 1978 | 3月22日
    • 妊娠中常習的にアルコールを飲む婦人が,ある程度知恵の遅れた子供を産む確立は50%で,さらに複数の身体的奇形のある子供を産む確率は30%である,と言って差し支えなかろう」。

      研究者たちは,生まれた時に“酔っ払って”いた赤ん坊について報告しています。そうした赤ん坊の血液中のアルコール定量は,多くの土地の法律で酔酒とみなされるアルコール定量よりも高いものでした。新生児の中には,禁断症状の見られる赤ん坊までいました。

      赤ん坊に与える害について,デトロイト・ニューズ紙はこう伝えています。「この症候群の後遺症は回復不能のものであり,犠牲者の多くは家庭や施設で一生の間特別な看護を受けねばならない,という点で医師たちは意見の一致を見ている」。

      どの程度の飲酒が,出産予定の母親にとって“飲み過ぎ”なのでしょうか。これには様々な意見があります。スミス博士は,一日五杯飲めば,それは飲み過ぎであると語っています。そして,ある定義によると,一杯というのは「アルコール分50%のウイスキーが1オンス(約28cc)入っているカクテル」のことです。スミス博士は,妊娠中にビールやワインを飲み過ぎても同じ結果を招きかねない,と警告しています。

      しかし,メディカル・ワールド・ニューズ誌の最近号は次のように述べています。「度を過ごさない飲酒でさえ成長している胎児に有害であることを示す証拠がいよいよ多くなっているのに驚いた,国立アルコール乱用およびアルコール中毒研究所は,すべての妊婦に一日二杯以上の飲酒は控えるよう警告すべきであるとして,政府に強く働きかけている」。この記事は,その証拠は,「極めて説得力のあるもので,憂慮されている」と付け加えています。

      ですから,あらゆる点から見て,アルコールの乱用の代価は膨大なものです。しかも,問題は悪化しており,過度の飲酒にふける人は増加の一途をたどっています。

      では,アルコール依存を未然に防ぐためにはどうしたらよいでしょうか。すでに,アルコールに依存するようになっている人を助ける方法があるでしょうか。

  • アルコール乱用の脅威に立ち向かう
    目ざめよ! 1978 | 3月22日
    • アルコール乱用の脅威に立ち向かう

      アルコールの乱用について言えば,「予防は治療に勝る」ということわざが当てはまります。アルコールに依存するようになってから,その結果に対処するよりは,アルコール依存を未然に防ぐほうがはるかに良いでしょう。

      その「予防」は子供が幼い時から始める必要があります。幼い子供たちは,親からアルコールに対する正しい見方を学ばねばなりません。親は自分たちの言動によって,大きな影響を子供たちに及ぼします。親が飲酒をほどほどにしておくなら,子供は成長してから,習慣的に大酒にふけることが大人にとって当たり前などとは考えないでしょう。

      息子や娘がアルコール飲料を時々飲んでも良い年頃になったと(土地の法律を念頭に置いたうえで)親が判断するなら,どうして注意が必要であるかを念入りに説明しなければなりません。年若い人たちは経験に乏しく,体も小さいうえ,アルコールに慣れていないので,大人のようにアルコールを処理できないのです。

      大人のための予防法

      大人の場合にも,予防は最善の策です。アルコールの何なるかを認めねばなりません。すなわち,ある程度の楽しみを与える飲み物ではあっても,乱用すれば命取りになりかねない脅威とみなすのです。

      自分が主人役になって社交的な集まりを催す場合,際限なくアルコール飲料を勧めねばならないなどと考える必要はありません。アルコール飲料を勧めるとしても,節度をわきまえて勧めねばなりません。アルコール分を含まない飲み物をも幾らか用意しておき,客が“清涼”飲料を選んでも気まずい思いをさせてはなりません。また,客がアルコール類を一,二杯飲む場合,賢明な主人役は際限なく勧めたりしないよう注意を払います。相手がもう一杯飲みたいかどうかにかかわりなくグラスを満たすなどして,客に飲酒を強いてはなりません。

      自分が客になった場合,単にアルコール飲料が絶え間なく出されるからといって,飲み続けねばならないなどと考えてはなりません。主人役がアルコール飲料を“強く勧める”なら,「これが私の限界です」とか,「今はこれまでにしておきましょう」などと言って,丁重に断わることができるでしょう。そのようにして断わったのに,主人役がどうしてもアルコール飲料をつぐような場合,それを飲む義務はありません。自分の言葉と行動を一致させるようにしましょう。良い主人役ならそのことを認めるはずです。

      客が自動車を運転して帰宅しなければならないなら,そのことも念頭に置かねばなりません。そのような人にアルコール類を勧めるのは親切な行為ではありません。それは,客にとって,また何の関係もないのに事故に巻き込まれる人にとって,命取りになりかねません。

      夜遅くなると,飲酒運転をする人の数が増えてきます。ですから,夜遅くなってから車を運転する際には,特別に注意しなければなりません。週末や休日など人々が飲み過ぎる傾向のある時はなおのこと注意が必要です。

      また,運転をしている際には,法律で“優先通行権”を認められていても,それに固執してはなりません。飲酒運転をする人は,しばしば道路交通法を無視します。交通事故で死ぬ人の半数は,“違反をしてはいなかった”ということを忘れてはなりません。その人たちが加害者ではなくても,結局一命を落としているのです。

      アルコール乱用の予防といえば,昨年の初頭,在欧米軍の総司令官はその大規模な例ともいえる策を実施しました。同司令官は配下の士官に次のような訓示を与えました。「在欧米軍の内部で,アルコール乱用が大きな問題となっており,この問題と真っ向から取り組むために,全員が力を合わせねばならないことは諸君も知っているはずである」。総司令官は,「飲酒の占めるウエートを減らし,それを非とする」ために,ヨーロッパ全土の軍人クラブで行なわれている,“幸福な時間”を廃止するよう命令しました。“幸福な時間”というのは,一週間に一日,夕方二時間ほどの間,アルコール飲料が半額になることです。総司令官がこの制度を廃止したのは,アルコールの乱用を思いとどまらせる試みの一環でした。

      体の働きに協力する

      体がアルコールをどのように処理するかを知っておくのも有益です。そうすれば,アルコールを飲む人も,自分の体を酷使しない方法をよりよく理解できるでしょう。

      アルコール飲料は,体の中で一般の食物と全く同じように処理されるわけではありません。大抵の食物は,様々な段階を経て,まず胃で,それから小腸で酸化されてゆきます。こうして食物中の栄養分は血液中に吸収され,体の他の部分へ運ばれてゆきます。しかし,アルコールは事実上ほとんど形を変えずに,胃と小腸で吸収され,それから血液によって肝臓に運ばれます。

      肝臓は一定の速度でアルコールを酸化します。肝臓の処理能力以上のアルコールが運ばれて来ると,肝臓は処理できなかった分を酸化せずに血液の流れに戻します。アルコール分はそれから心臓へ運ばれ,そこから循環器系を通して体の他の部分へ送り出されます。そしてやがて肝臓に戻り,そこでさらに幾らかのアルコール分が酸化され,残りは血液の流れに再び戻ります。この過程はアルコール分が完全に酸化されるまで続きます。

      “火”酒やビールやワインのいずれを飲む場合でも,それを少しずつ飲み,“一気に”飲み干すようなことは避けます。そうすれば,肝臓はアルコール分を楽に処理できます。肝臓が処理できる程度にアルコール分が運ばれてくるからです。そうすれば,酸化されずに血液中に戻されるアルコールの量は比較的少なくなります。

      平均的な飲酒家が肝臓の酸化作用を速める方法はありません。コーヒーをブラックで飲んでも,冷たいシャワーを浴びても,新鮮な空気を深呼吸しても,この作用の速度を速めることはできません。体をいたわる最善の方法は,アルコール飲料は数杯にとどめ,それをゆっくり飲み,一定の時間をかけて飲むことです。これは,ウイスキーだけでなく,他のアルコール飲料の場合も同じです。ビール一かん,あるいはワイン・グラス一杯のワインには,ウイスキー・グラス一杯分のウイスキーに相当するアルコール分が含まれているからです。

      問題を抱えた飲酒家

      しかし,飲酒がすでに深刻な問題となっている場合はどうですか。どうすれば自らを矯正できますか。他の人々にはどんなことができるでしょうか。

      問題を抱えた飲酒家は,自分がアルコールの問題に陥っているという現実に正面から取り組まねばなりません。自分はやめようと思えばいつでも禁酒できるのだ,などと考えて自らを欺いてはなりません。飲酒のために健康を損ない,発狂し,あるいは死んでしまうまで,そうした幻想に取りつかれていたアルコール中毒者は少なくないからです。

      問題を抱えた飲酒家が最初に踏むべき段階は,助けを受けられるよう,自分にとって飲酒が問題となっている点を認めることです。それを認めないなら,その人が手遅れにならないうちに問題に対処する可能性はほとんどありません。しかし,大抵の場合,アルコール中毒者は,自分たちがアルコール中毒にかかっていることを認めようとしません。その人たちをしてアルコール中毒に走らせた思考過程が,それについて何らかの手を打つことを邪魔するのです。そこで,そのような人の家族や友人たちが,そうした人々を助けようとしなければならないのです。

      その問題を処理するのに,公の機関の助けを当てにできますか。もちろん,異なった土地には,助けを差し伸べる様々な機関があります。しかし,ワールド・ヘルス誌の次の言葉に注目してください。「アルコール関係の問題に対して,十分な反応のあった国の数は,これまでのところごくわずかである。これほどひどい被害をもたらしている伝染病に対して同じほど無策であるとすれば,それは大いに責められるべきこととみなされるであろう。また,同じほどの規模を持つ“麻薬”問題は,騒ぎを引き起こさずにはおかないであろう」。

      どうしてこのような事態が見られるのでしょうか。ワールド・ヘルス誌はこう答えています。「余りにも多くの国で,[アルコール]は社交界の選んだ,容認され,重宝がられ,文字通りあがめられてさえいる薬剤になっているからである。……アルコールは楽しみ,もてなし,友情,祝祭,でき合いの神経強壮剤,男らしさ,ロマンス,祝い,取引きをまとめる飲み物,笑い,俗物根性,そして恩寵の印なのである。アルコールなしにどうしてやっていけるだろうか。アルコールが本当に健康を損なうなどとどうして言えるだろうか。これと反対の意見を述べる者は,興をさます者として退けられる」。

      しかし,この出版物が指摘しているとおり,アルコールの乱用は,健康,幸福,そして命そのもの

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