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ティルス ― 不信実な都市ものみの塔 1976 | 9月15日
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とツロ[ティルス]の住民などです」― 詩 83:3-7,口。
不信実なティルスは,自国の奴隷市場でイスラエル人をギリシャ人やエドム人に売り渡すことまでしました。聖書には,ティルスとイスラエルが直接戦火を交えたことは記録されていませんから,これらの奴隷は,他の民族によって捕えられ,その後ティルスの奴隷商人の手に渡ったものと思われます。あるいは,保護を求めてティルスやその近辺の地域に逃げて来たイスラエルの逃亡者を,これらティルス人が奴隷にしたのかもしれません。
ティルスの不誠実さゆえに,エホバは,ご自分の預言者を通して,同市とその住民の上に災いが臨むことを宣告されました。こう書かれています。「[わたしは]おまえたちのおこないの報復をおまえたちの頭上にこさせる。これはおまえたちが……ユダの人々とエルサレムの人々とをギリシャびとに売っ(た)からである」。(ヨエル 3:4-6,口)「[エホバ]はこう言われる,『[ティルス]の三つのとが,四つのとがのために,わたしはこれを罰して許さない。これは彼らが人々をことごとくエドムに渡し,また兄弟の契約を心に留めなかったからである。それゆえ,わたしは[ティルス]の石がきに火を送り,そのもろもろの宮殿を焼き滅ぼす」― アモス 1:9,10,口[新]。
ネブカデネザルによる攻囲
バビロニアの王ネブカデネザルは,エルサレムとその壮麗な神殿を滅ぼした後,ティルスを攻囲しました。西暦一世紀のユダヤ人史家ヨセフスによると,その攻囲は13年の長きにわたりました。長期にわたる激しい攻囲の結果,兵士の頭はかぶとですれて「はげ」てしまい,その肩も,攻囲陣地の構築に使う資材を運ぶため「みな破れ」ていました。しかし,これほどの努力を払っても,エゼキエル書 29章18節に示されているように,『[ネブカデネザル]もその軍勢も,ティルスになしたその働きのために,なんの報いも得ませんでした』。
世俗の歴史は,バビロニア軍の攻囲がどれほど徹底的で,効果的であったかについて,何の手がかりも与えていません。しかし,エゼキエル書の預言的な記述からすれば,多くのティルス人が殺され,物的にも多大の損害を被ったことがわかります。(エゼキエル 26:7-12)それで明らかにバビロニア人は,自分たちが得たいと思っていたものを得られなかったという点で,その骨折りに対して「なんの報い」も得なかったことになります。
種々の徴候からして,ティルスはバビロニア人によって加えられた攻撃から立ち直ったようです。イスラエル人がバビロニアの捕囚を解かれてユダとエルサレムに戻ってエルサレムでエホバの神殿の再建を開始したとき,これらティルス人はその建築資材としてレバノンの杉材を提供しました。(エズラ 3:7)何年か後のネヘミヤの時代には,ティルス人の貿易商人がエルサレムに住みつき,市内で魚その他様々の商品を売っていました。―ネヘミヤ 13:16。
アレクサンドロス大王による攻囲
しかし,ティルスに対する預言の言葉は死文化してはいませんでした。同市は,その栄光のすべてを奪い去られることになっていました。ティルスがまだその預言の最終的な成就を経験していないことを示すため,エホバ神は預言者ゼカリヤを用いて,こう宣告させました。『[エホバ]はティルスを攻め取り,その富を海の中に投げ入れられる。これは火で焼き滅ぼされる』。(ゼカリヤ 9:4,口[新])この預言やそれ以前の預言は西暦前332年に驚くべき成就を見ることになりました。
そのころ,マケドニアのアレクサンドロス大王は中東に進攻し,ティルスを含むフェニキアの諸都市に屈服するよう要求しました。他の都市がアレクサンドロスに恭順の意を示したのに対し,ティルスはその門を開きませんでした。当時のティルスは,海岸から0.8㌔ほど離れた島にあり,堅固な要塞で守りを固めていました。陸に面した側の城壁の高さは,46㍍余りもありました。
ティルスががん強にも屈服するのを拒んだため,アレクサンドロスは配下の軍を用いて同市を攻囲し始めました。アレクサンドロスは艦船を保持していなかったため,陸地にあったティルスの旧市街を破壊し,その残がいで島の都市に向けて半島堤つまり突堤を作りました。幅が61㍍ほどある突堤の先端部には,塔が築かれ,兵器が据えられました。ティルス人は焼き打ち船を使ってこれらの塔を破壊し,突堤にも損害を与えました。アレクサンドロスは,これにひるまず,塔を再建し,突堤の幅も広げました。
攻囲の長びくのを嫌ったアレクサンドロスは,破城つちを載せた攻囲用のいかだの建造を命じました。アレクサンドロスの軍は,これを使ってティルスの二つの港に突破口を開き,同市の要塞によじ登ったのです。
7か月の攻囲の後,ティルスは陥落しました。同市が陥落した後も,ティルス人は必死の抵抗を続けたためアレクサンドロス配下の将兵は同市に火を放ちました。戦いで殺された8,000人のティルス人を別にしても,後日報復手段として2,000人が殺され,3万人が奴隷として売られました。
ティルスの栄華の果て
その後,幾度も再建が行なわれたとは言え,ティルスに対する聖書の預言は完全な成就を見ました。今日,ティルスのかつての栄華はもはやどこにも見られません。スールと呼ばれる小さな海港が遺跡とともにその場所に残っているにすぎません。大英百科事典(1971年版)によると,同市には「とりたてて重要な意義はなく,1961年の推定人口は1万6,483人」でした。(第22巻,452ページ,英文)このように,今日に至るティルスの歴史は,次の預言の言葉の真実性を証ししています。
『ティルスよ,わたし[エホバ]はあなたを攻め,海がその波を起こすように,わたしは多くの国民を,あなたに攻めこさせる。彼らはティルスの城壁をこわし,そのやぐらを倒す。わたしはその土を払い去って,裸の岩にする。ティルスは海の中にあって,網をはる場所になる』― エゼキエル 26:3-5,口。
ティルスのたどった悲惨な最後は,エホバ神が不信実な行為を軽く見ておられないことを明示しています。これは,神のご意志を知ることの重要性と神に忠節につき従う理由をわたしたちに銘記させずにはおきません。不信実な行為を放置なさらないのと同じように,神はご自分の忠節なしもべたちに必ず報いられます。―ヘブライ 6:10。
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読者からの質問ものみの塔 1976 | 9月15日
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読者からの質問
● もし油そそがれたクリスチャンのある者が,生き残って新秩序に入るなら,彼らは年老いて死にますか。そうでないとすると,その地的な命はどのように終わるのですか。
率直に言って,聖書はその点について何も述べていません。それがどんな仕方で行なわれるにしても,これら聖霊によって油そそがれたクリスチャンは,天での命という報いを受けるためにその地的な命を終えなければなりません。―コリント第一 15:35-38。
小麦と雑草に関するイエスの例え話は,「事物の体制の終結」の時に,「王国の子たち」のある者が地上に生きていることを示しています。(マタイ 13:24-30,37-43)また,聖書中のひな型のあるものも,これら油そそがれた者たちの幾人かが破壊的な「大患難」を生き残るであろうことを示唆しています。(マタイ 24:21)では,これらのひな型の幾つかを考慮してみましょう。
エゼキエル書 9章には,秘書官の墨入れを持った「人」が,西暦前607年のエルサレムの滅びを生き残ることになっていた人々に,『印』を付ける様子が描かれています。これは現代において,油そそがれた「王国の子たち」の集合体が率先して行なっている,印を付ける業を表わすものと理解されています。エゼキエルの記述によると,印を付けることを終えたその「人」がエホバに報告を提出したのは,エルサレムにおける刑執行の業が終わった後のことでした。それは,油そそがれた者級のある者がこの世代に臨む刑執行の業を生き延びて,その後も地上に残ることを示唆しています。(エゼキエル 9:4,8,11)また預言者エゼキエル自身,古代エルサレムの滅びの後もバビロニアで生き続けたという事実は,この点に関して同じ事柄を示しています。
さらに,ノアの妻(より偉大なノアであるイエスの花嫁となる,油そそがれた者級を表わす)も洪水を生き残りました。(マタイ 24:37-42。エフェソス 5:25-30)今日,油そそがれた残りの者たちが,より偉大なエヒウであるイエス・キリストの滅びの業を生き残ることを望む
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