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戦争に悩まされた世界で良いたよりの種をまくものみの塔 1974 | 2月15日
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20 (イ)なぜ異邦人は「種」を受け入れるために信仰を特に働かせねばなりませんでしたか。(ロ)ユダヤ人であれ,異邦人であれ,彼らはイエスにかんするどんな貴重な事実を受け入れなければなりませんでしたか。
20 コロサイ会衆の多くの人がそうであった異邦人,すなわち非ユダヤ人について言うなら,彼らが神のことばの「種」を受け入れるには,信仰が必要でした。彼らが献身していた多くのギリシャやローマの神々を捨てて,エホバという名を持つ,天地とその中の万物の創造者である,唯一の生きた真の神に信仰を集中しなければなりませんでした。しかし彼らは,割礼のない異邦人であろうと,生来のユダヤ人であろうと,イエス・キリストをも,エルサレムのダビデ王の子孫であるこのイエスが約束のメシア,すなわちキリストであるということをも,信じなければなりませんでした。彼らは,この人が「全創造物の初子」であるということを信じなければなりませんでした。エホバ神がイエスを死人の中からよみがえらせて,天における不滅の命を与えられたので,イエスがまた「死人の中からの初子」であるということも信じる必要がありました。さらに彼らは,イエス・キリストが,彼らが所属することを望んだ「からだである会衆の頭」である,ということも信じなければなりませんでした。また,「彼のうちには,知恵と知識とのすべての宝が注意深く秘められている」ということも信じなければなりませんでした。ですから彼らは,異教哲学や人間がつくり上げた宗教的伝統にはもはや固執してはなりませんでした。―コロサイ 1:15-18; 2:3,8。使徒 14:11-18。
21 (イ)コロサイ人は,彼らの口の中に入れられたその「種」をどうしなければなりませんでしたか。なぜですか。(ロ)外面で表現するよう彼らを動かすには,どんな特質を心から働かせなければなりませんでしたか。
21 こうしたことは,「良いたよりの真理」の中に含まれている重要な事がらの一部でした。そして彼らはこれらの事がらに心から信仰を持たねばなりませんでした。使徒パウロが何年か前ローマ人に書き送っていたとおりでした。「信仰の『ことば』……わたしたちが宣べ伝えているものです。その『あなたの口の中にあることば』,つまり,イエスは主であるということを公に宣言[あるいは,告白]し,神は彼を死人の中からよみがえらせたと心の中で信仰を働かせるなら,あなたは救われるのです。人は,義のために心で信仰を働かせ,救いのために口で公の宣言[あるいは,告白]をするからです」。(ローマ 10:8-10)コロサイ人の心は「りっぱな土」のようだったので,彼らは確かに心から信仰を働かせて「王国のことば」,「神のことば」の種を受け入れ,それが心の中で根をおろし,また自らを表現するようにしました。
22,23 (イ)それらのコロサイ人は,イエスがどんな公の立場を占めておられることを信じなければなりませんでしたか。ですから彼らは何の支配のもとにありましたか。(ロ)したがって彼らは,手紙の筆者のパウロのように,その政府に関連してどんな立場を占めていましたか。そしてイエスのどんな命令を行なうことにあずかりましたか。
22 イエスはメシアすなわちキリストである,という信仰とともに,エホバ神がイエスを,昔のサレムの王メルキゼデクによって予表されていた王なる祭司のように,ご自分の右にすわらせたということを信じなければなりませんでした。その結果彼らはキリストの霊的王国の支配下にはいりました。そうです,彼らは,神が「わたしたちをやみの権威から救い出し,ご自分の愛するみ子の王国へと移してくださいました」ということを信ずることが要求されました。(コロサイ 1:13)彼らは,神の愛するみ子の,当時すでにあった王権のもとにいただけでなく,キリストによって「世をご自分と和解させ」る神の取決めにおいて,「キリストの代理をする大使」でもありました。(コリント第二 5:19,20)コロサイ人に手紙を書いた獄舎にいた間,パウロは,「少しもはばかりのないことばで良いたよりの神聖な奥義を知らせる」ことについて述べ,「その良いたよりのために,わたしは鎖につながれた大使となっています」と言いました。(エフェソス 6:19,20)したがってコロサイ会衆は,使徒パウロのように,「良いたよりの神聖な奥義」のための大使の一団でした。彼らは,マタイによる書 24章14節のイエスの預言の成就にあずかる義務がありました。
23 「王国のこの良いたよりは,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう」。
24 (イ)コロサイ人はいまやどの国民に属していましたか。彼らはどんな実を生み出さねばなりませんでしたか。(ロ)したがって,彼らの心にまかれた「種」が生み出していた実はどんな種類の実でしたか。
24 神のメシアの王国のためにこの大使の活動に携わることによって,コロサイ人は王国の実を生み出していました。彼らは,「その実を生み出す国民」の一部であることを証明していました。生来の,割礼を受けたイスラエルの国民から取り去られた「王国」はいまや,それらコロサイ人のクリスチャンたちが属していた霊的イスラエルの国民に与えられていました。(マタイ 21:43)「王国のことば」,「神のことば」の象徴的な「種」は彼らの心にまかれていました。そして彼らの心はりっぱな土だったので,彼らは自分たちの心にまかれたものと同種のものを産出していました。つまり,彼らもまた「王国のことば」を他の人びとに,すなわちコロサイ会衆外の人びとにもたらし,宣べ伝え,教えていたのです。―マタイ 13:19。ルカ 8:11,15。
25 コロサイ人が示した模範を考えるとき,わたしたちには,戦争に悩まされた世紀についてどんな質問が湧いてきますか。わたしたちは何に対して神に感謝するでしょうか。
25 西暦1世紀の昔に,小アジアのコロサイにあったクリスチャン会衆に関連して,見習う価値のあるすぐれた模範が示されました。戦争に悩まされた20世紀の今日においてもそれは繰り返されているでしょうか。もしそうであれば,それはわたしたちが,宗教的状態にかんして神に祈るときに,使徒パウロのように,「いつもわたしたちの主イエス・キリストの父なる神に感謝」する理由となるでしょう。
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良いたよりを語り告げるわざは世界じゅうで実を結んでいるものみの塔 1974 | 2月15日
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良いたよりを語り告げるわざは世界じゅうで実を結んでいる
1 西暦1世紀に生じた身の毛のよだつような事件はどの事件でしたか。その事件が世界中に知られる前に,何が世界中に宣べ伝えられていましたか。
西暦の始まった第1世紀における,身の毛のよだつような最も恐ろしい事件は,西暦64年のローマの大火ではなく,西暦70年のエルサレム市の攻囲と破壊でした。ローマの将軍チツスは,要害堅固なその町に対してめざましい勝利を収めたため,西暦71年にローマに帰還したとき凱旋行進をもって報いられ,その栄誉を記念して凱旋門が建てられました。しかしながら,反逆したユダヤ人との血なまぐさい戦いは,彼らの最後のユダヤのとりでである,死海を見おろすマサダの要さいが,西暦73年に攻略されてはじめて終わりました。このことは,何万というユダヤ人が奴隷として売られるに及んで,世界中のユダヤ人に大きな恥辱と,非難と,宗教的ざせつ感をもたらしました。しかし,割礼を受けたユダヤ人に対するこの悪いニュースが世界中に知られる前に,永遠の喜びの良いたよりは,当時知られていた世界全体に広められていました。それは神のメシアの王国,地上のエルサレムに依存しない王国の良いたよりでした。
2 (イ)その西暦1世紀に良いたよりを広めたのはどんな人たちでしたか。(ロ)ローマが焼ける前,キリスト教は東から西にどのくらい広まっていましたか。
2 その西暦1世紀に良いたよりを広めたのはどんな人たちだったでしょうか。それは,エルサレムを自分たちの宗教的中心地と見ていた,割礼のある生来のユダヤ人ではありませんでした。それは,皇帝ネロから,ローマを焼いたというぬれぎぬを着せられていた人びと,つまりシリアの町アンティオキアにおいて初めてクリスチャンと呼ばれた,平和で何の害も働かないキリストの追随
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