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あなたは退屈していますかものみの塔 1972 | 6月1日
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の中にある助言は深い水のようだ。しかし,分別のある人がそれをくみ上げる者である」。(箴言 20:5,新)価値ある事柄に長年の経験を持つ人々に特に関心を示し,質問をし,巧みに探ってごらんなさい。あなたは豊かな報いを得,時間はまたたくまに過ぎるでしょう。―箴言 27:9,17。
しかし,他の人々から益を受けるだけでなく,自分のほうから何かを与えることができますか。自分の考えを述べたり,自分の頭や心に持っている物を他の人々に分け与えますか。
神の新秩序の約束に心から感動し,その良いたよりを他の人々に伝えている若い人々は,それによって人生がいっそう意義あるものになったことを感じています。老若を問わず,真理に飢えている人々を見いだし,それらの人を援助できるのは十分に価値のあることです。そのような人々は真理を退ける人々にくらべればごく少数ですが,それでも,この活動の人を鼓舞する影響力は鈍りません。それどころか,そのためにいっそう挑戦的な,スリルにあふれた活動にさえなるのです。
良い仲間も退屈と戦う助けになります。しかし,もしそれが,人生に価値ある目標を持っていないためにすぐ退屈してしまうような仲間であれば,その仲間は進取の気性と内的な力の発達を妨げる障害物にすぎません。そうした者たちは箴言 17章24節で述べられている愚か者と同様,目を『地の極にそゝぎ』,ぼんやりした事柄を夢見,思いはあちこちとさまよいますが,自分たちの前に定まった目標がありません。
進取の気性とともに,忍耐力と信仰も退屈を克服するうえでの大きな要素です。使徒パウロが,神と神に仕える人々に対するわたしたちの奉仕について述べているように,「わたしたちは,よいことを行なう点であきらめないようにしましょう。疲れはてないでいるならば,しかるべき時節に刈り取るようになるからです」。(ガラテヤ 6:9,新)同様に,真の目的と価値のある能力を培おうとしている時にも,努力の結果を刈り取るようになるまでそれを続けなければなりません。
そうすれば,時を経るにつれ,親の適切な指導と承認のもとにさらに他の能力の開発へ手を広げられ,その結果,わたしたちはよりよい,より興味深い,そして価値のある人間になることができます。将来に対する明るい希望がありますから,生活が退屈になることはありません。
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偉大な天の組織が存在しますかものみの塔 1972 | 6月1日
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偉大な天の組織が存在しますか
1,2 み使いに関する一般的な考え方はどんなものですか。その種の考え方は何に由来していますか。
目に見えない天の被造物である,み使い,つまり霊者たちについて語られるのをよく耳にしますが,概してその目的や活動にかんする心像は漠然としています。時として宗教画家は,み使いたちを女,もしくは翼のある赤ん坊に似た生き物として描きます。
2 しかしながら,み使いに関するこうした考え方は聖書に由来するものではありません。それは異教の考えです。この点は,古代ギリシア神話を少し調べて,花器や壁画また彫刻その他に見られるギリシア神話の神々や女神の像を見ればすぐにわかります。キリスト
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