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  • 自分の霊 ― どのように制御できますか
    ものみの塔 1981 | 3月15日
    • こうすれば,双方のことをよく考えずに早まった判断を下すというわなを避けるのに役立ちます。(箴 18:13)一見すると,自分たちの方が100%正しく,相手の兄弟は完全に間違っていると思えるかもしれません。しかし,注意深く調べていくうちに,事はそれほど簡単ではないのに気付くのが普通です。箴言 18章17節の次の言葉は至言と言えます。「法廷で最初に話す人は常に正しいように見えるが,それもその相手が彼に質問をし始めるまでのことである」―「今日の英語聖書」。

      努力を続けなければならない

      こうした提案に従うなら,問題を解決するために本当の意味で努力していることになります。それは敗北主義者のように,「どうにもならない」と言ってさじを投げる態度ではありません。問題にぶつかってゆけば,それだけでも自制を失う可能性が少なくなるのです。また,その努力を払っていれば,自分の考え方を調整する必要をいつも銘記していることができます。他の人の失敗に絶えず心を乱されているなら,その努力は特に有益でしょう。

      自分の感情を処理するに当たっては,どんな時にもわたしたちの神,エホバの助けを求めなければなりません。米国ニュージャージー州に住む一人の若い女性は,この点で深刻な問題を抱えていました。この女性は事あるごとに腹を立て,ちょっとしたことで気分を害していました。こうした傾向を克服するよう自分自身力を尽くして闘う一方,次のようにも語っています。「自分の抱く疑いをどうか消し去ってください,とエホバに一生懸命お祈りしました。そして,心の奥底,体の内奥の部分をさえ探って間違った考えをどうか取り除いてくださいとお願いしました」。エホバはその誠実な祈りを聞き届けてくださったようです。というのは,その女性はさらにこう語ったからです。「これまで何か月もの間,悪い言葉を一つも口にせずに済んでいます。自分で言うのもなんですが,だいぶ気性が穏やかになりました」。

      しかし,こうした提案を実行してある程度よくなった後に,時としてひどく気持ちをかき乱されることがあるならどうしますか。まず,あきらめようという気になるほどひどく落胆しないことです。むしろ,エホバのゆるしと,闘いを続けるための助けを求めるべきです。次に,実際に気分を害している時には,詩篇 4篇4節(新)の助言を思い出すと有益です。「気をかき乱されるがよい。しかし罪を犯してはならない。言いたいことは心の中で,寝床の上で言い,黙っていよ」。

      それは最善の道か

      しかし,『いら立ちを覚えたら,“内に秘めずに発散させる”方が良いのではないか』と言う人もいるでしょう。そう考えている人は少なくありません。しかし,一人の主婦はある日朝食の時にそれを実行し,主人に帽子を帽子掛けに掛けさせようとしました。しかし彼女は,腹を立ててしまった後の気持ちを次のように話しました。「もちろん,本気で怒ることはまずないのですが,本当に怒ると,その後二,三日は具合いが悪くなります。正直言って,あの日の朝食の後はひどくいやな気分になりました。そして驚いたことに,主人は今でも帽子を片付けるよりテーブルの上に置きっ放しにする方が多いのです」。この話は,怒りを発散させることがこの夫婦のどちらかにためになったように聞こえますか。

      腹を立てたことのある人たちは,次のような影響があったと言っています。「胃の調子が悪くなる」。「体中が震え,物がぼやけて見える」。「本当にかっとなってしまった」。こうした事柄は良い影響と言えますか。

      しかし,そればかりではありません。体によくないうえに人間関係も悪くなります。激高して言ったりしたりした事柄は大抵深い傷跡を残し,取り返しがつきません。最後に,自分を抑えないならエホバの不興を買うことを知っているので,罪悪感を覚えます。

      「怒ることに速い者は愚かなことを行な(う)」,「怒ることに遅い者は識別力に富(む)」という聖書の言葉が真実であることは否定できません。―箴 14:17,29,新。

      また,「激怒する者は口論をかき立て,怒ることに遅い者は言い争いを静める」という箴言は何とよく現実に当てはまった言葉でしょう。(箴 15:18,新)自分の霊を制することのできない人は確かに『火に油をそそぎ』,問題を複雑にするのに対して,柔和な霊を示す人は問題を静めます。「答えが柔らかであれば激怒を遠ざけ,痛みを生じさせる言葉は怒りを引き起こす」― 箴 15:1,新。

      自分の霊を制するなら,本当に有益な結果を刈り取ることになります。それによって悪い結果を避けられるだけでなく,他の人々と仲良くやってゆくことも学べます。また,霊的な兄弟たちを信頼し,兄弟たちに確信を抱くようにもなります。その方が兄弟たちの弱点を繰り返し並べ立てるよりもはるかに良いのではないでしょうか。兄弟たちの良い特質を探し,それに見倣う喜びがあります。その結果,他の人たちはわたしたちに一層親しみを感じ,わたしたちも他の人たちに一層の親しみを感じるようになるでしょう。そうなればますます愛に満ちた雰囲気がかもし出されるに違いありません。

      実際のところ,一群の人々が何かの目的をもって集まると,その人たちはある種の「霊」,つまり支配的な傾向を示します。(フィレモン 25)その霊が人を築き上げ励ますものであるか,消極的で気落ちさせるものであるかは,主にその集団の中の個々の人にかかっています。世界各地の幾万もの会衆にいるエホバの証人は,一般に,他の人々を引き付ける健全な霊を示しています。

      すでにエホバの証人になっている人は,自分の交わっている会衆の健全な霊に貢献することを目標にしてはいかがですか。自分の霊を制し,温かくて友好的な,人を強めるような態度で他の人々に接するなら,それができます。そうすれば,霊的兄弟姉妹たちの間に,幸福な家族の霊を広めるのに寄与することになります。こうして惜しみなく与えるとき,霊を制する面で自分も助けられるというおまけまで付いてきます。立派な霊は人から人へと伝わり,寛大さは寛大さを生むからです。賢人の述べる通り,「寛大な魂は自分も肥え」るのです。―箴 11:25,新。

  • 悔い改めを示すことがすべての人に求められる
    ものみの塔 1981 | 3月15日
    • 悔い改めを示すことがすべての人に求められる

      ヨエルの預言は,神のみ前に清くあることの大切さを力強く示しています。イスラエル人は重大な罪を犯していたので,身に災いを受けないために悔い改める必要がありました。悲しげな様子をしているだけでは不十分でした。エホバ神が願っておられたのは,彼らが罪を心から認めることでした。預言者ヨエルは次のように言明しています。「あなた方の衣ではなく,心を引き裂き,あなた方の神エホバに帰れ。主は情け深く,憐み深く,怒るのに遅く,愛の親切に富んでおられ,その災いのために必ずや悔いられるからである」― ヨエル 2:13,新。

      イスラエル人はすべて罪人でしたから,年齢にかかわりなく,だれもが神殿に行ってエホバ神のみ前に身を低くしなければならず,幼児でさえ例外ではありませんでした。また,結婚の日の喜びを,神にゆるしを求める祈願の妨げとしてはなりませんでした。ヨエルの預言はこう述べています。「民を集めよ。会衆を神聖にせよ。年寄りたちを集めよ。子供たち,乳房を吸う者たちを集めよ。花婿はその奥まった部屋から,花嫁はその婚姻の間から出よ」。(ヨエル 2:16,新)人は,これらの聖句の精神に沿い,創造者のみ前に清くあることを生活の中の最重要事とすべきです。

      乳飲み子は生まれながらに罪を持っていますから,親には,神のみ前でふさわしい立場を保つ重大な責任があることになります。なぜなら,それによって,幼い子供は神聖なもの,清いものとみなされるからです。―コリント第一 7:14と比較してください。

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