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    目ざめよ! 1979 | 11月22日
    • パレスチナ解放機構の全国会議に出席するため,教会の許しを得ずにシリアの首都へ行った」とタイムズ紙は述べている。しかし短期間,“不興”をこうむった後,政治活動熱心で型破りなこの司祭は「今日[5月7日],法王ヨハネ・パウロ2世に接見を許され,西ヨーロッパにおけるメルキ教団の監査役に任命された」。

      風潮を変化させる

      ◆ 医師を訪れる患者は,病気が良くなるように薬を処方してもらおうと考えるのが普通である。そして医師もたいていその願いに応じて何らかの薬を与えている。しかしオーストラリア医師会では,この風潮を変化させる運動を展開した。それで一部,次のように書かれたポスターを掲示するよう会員に勧めている。「何かするより何もしない方が,医学的に見て良い場合もあります」。「安心させること,あるいは何かの簡単な手段を講ずるように勧めるだけで,他に何も必要でない場合がある」と同協会では説明している。

      緑色の北極グマ

      ◆ 1978年の夏の間,カリフォルニア州サンディエゴ動物園の北極グマが緑色になった。動物園およびスクリップス海洋研究所の科学者は,体色の変化という異常現象の理由を最近明らかにした。クマの毛に緑藻類が繁殖したのではないかという最初の予想とは異なり,毛の外側は案外きれいであることが分かった。藻類は毛の内部に住みついたのである。「外被の硬い粗毛は中空であり,普通は特別な絶縁物である空気をその中に満たしている。しかし緑色の粗毛は,空気のあるべき所に藻が繁茂したものである」とニュー・サイエンティスト誌に説明されている。科学者の一人は次のように述べた,「藻はまさに緑色の無料便乗者だ」。

      “プロの泣き女”

      ◆ アフリカのカメルーン・トリビューン紙の伝えるところによれば,「“プロの泣き女”のグループが“良きサマリア人”をスローガンに[ザンビアの]銅地帯の諸方の町に次々に現われている」。女たちは死者の出たことを知ると,招かれなくても,派手な衣装を着けて病院の死体仮置き場に行き,アフリカの宗教的な韻律を唱える」と,同紙は述べている。招かれざる客は,埋葬に至るまでの伝統的な儀式にもすべて参加する。トリビューン紙の説明によれば,「その後,親族と共に墓地から家に戻ると,嘆き方は一段と熱を帯びる。それは重要な時 ― 支払いの時だからである」。彼らは,遺族の財力に応じて,75㌦(約1万5,000円)かそれ以上を得る。しかしこの風習を批判する人々に言わせれば,「彼らは金もうけの道具として賛美歌集や聖書を持ち歩く」のである。

      身体障害者を手助けするサル?

      ◆ 重度の身体障害者は生活の最も基本的な事をするのにも,費用のかかる付添いの手助けを必要とすることが多い。しかし一女性研究者は,盲導犬の視力が盲人のために用いられるのと同様,サルを訓練してこの仕事の一部を行なわせることができるのではないかと考えている。女史は手回しオルガンひきが使うようなノドジロオマキザルを手に入れて,1年近く訓練した。その後6か月間,肩から下が麻ひした人と過ごした後にこの雌のサルは,「手際が悪いとはいえ,この人の食事の世話をすることを習い覚えた」とタイム誌に書かれている。この雌ザルは「電燈の点滅,かぎ,本,スリッパなどの小物を取ってくること,ドアを開けること,ステレオの回転盤にレコードを載せること,物をしまうことなどもできる」。

      サルの新しい主人の言うには,「このサルのクリステルには独自の性格があり,ばかげた事には耳をかさない」。

      忘れっぽい,電車の乗客

      ◆ 日本の国鉄が最近発表したところによると,1978会計年度中に忘れっぽい乗客が電車や駅に置き去りにした現金は空前の24億円という額になった。現金の78%は持主に返された。電車や駅に忘れられた物品の数は181万2,229個に及んでいる。乗客が一番忘れやすいのは傘で,合計47万本に上っている。

      スキーで北極へ

      ◆ ソ連のタス通信の報道によると,7人からなるスキー探険隊が,氷結した北極海を通り北極点までの1,600㌔の道のりをスキーで進んだ。ソ連のスキーヤーたちは無事に北極点に到達したと報道されている。

  • 聖書理解の助け ― 怒り
    目ざめよ! 1979 | 11月22日
    • 聖書理解の助け ― 怒り

      「知恵は主要なものである。知恵を得よ。自分の得るすべてのものをもって,悟りを得よ」― 箴 4:7,新。

      怒り 聖書の中では,基本的には「鼻孔」(激情に燃え立つ人の激しい息づかい[または,その荒い鼻息]から),「熱さ」,「興奮」,「怒り」,「激怒」,「あふれ出た[感情]」,「自然な衝動もしくは欲望」などを意味するヘブライ語およびギリシャ語の言葉が,文脈により,またその場の意味合いによって「怒り」,「義憤」,「憤り」,「激しい反感」,「激怒」,「激昂」などと訳されています。

      神の怒り

      怒りには正当な場合とそうでない場合とがあります。神の怒りは常に正当なものです。それは,原則に根ざし,専心の献身を求める当然の権利に基づき,常に真理を擁護する態度に発し,義とそれを実践する人々に対する愛に支配されているからです。神の怒りが一時的な気まぐれから出,そのため後でそれを後悔するというようなことはありません。エホバは関係するすべての問題を見きわめ,その状況についてすべての事を完全に知っておられます。(ヘブライ 4:13)エホバ神は人の心を読み,無知と怠慢と故意の罪の程度に注目して公正に対応されます。―申命 10:17,18。サムエル前 16:7。使徒 10:34,35。

      神の憤りを制御する諸原則

      神の怒りはいつでも制御されており,愛,知恵,公正の属性と調和を保っています。また,その全能の力により,怒りをご自分の欲するだけ表明することもおできになります。(ヨハネ第一 4:8。ヨブ 12:13; 37:23)神の怒りがむなしく終わることはありません。それには常に十分の理由があり,必ず効果を上げます。神の怒りは神ご自身の原則が実施されることによって和らぎ,静められます。例えば,イスラエルにおいて故意の殺人者のための贖いは認められませんでした。その者の血を流すことによって初めて,その地は清められ,神の不興は除かれました。(民数 35:16-18,30-33)しかし,犠牲および大祭司の奉仕を基として公義を満たし,心が『熱して』いたであろう,神の定めた血の復しゅう者の怒りを静めるための取り決めも設けられていました。これが避難都市の備えでした。―申命 19:4-7。

      エホバの怒りは,公義が十分に遂げられるときに初めて静められ,和らぎます。神の憤りは一切の不義に対して向けられます。神は不義を容認されず,当然の処罰を免れさせるということはされません。(出エジプト 34:7。ハバクク 1:13)しかし,イエス・キリストの犠牲に基づいて神の怒りは和らげられ,撤回されます。イエスは,信仰を働かせる人々に対し,その人々の当然受けるべき苦痛と懲罰を身に負われたからです。(イザヤ 53:5)この取り決めによってエホバ神はご自分の義を示され,「イエスに信仰を持つ人を義と宣するさいにもご自分が義にかなうように」されました。(ローマ 3:26)このようにして公義は十分に満たされ,しかも神は憐れみを差し伸べるための基を持たれます。不従順な人の上には神の憤りがとどまっています。(ヨハネ 3:36)ですが,信仰を働かせるなら,イエス・キリストの犠牲がその人を神の憤りから救うのです。―テサロニケ第一 1:10。

      怒りを表明される方法,またその理由

      神の怒りは直接表明される場合と間接的に表明される場合とがあります。神は自然の事物を支配する法則も利用され,また他の人を用いて怒りを表明する器とされる場合もあります。神の道徳上の律法を犯す人は神の憤りの下に置かれ,『その誤りに対して当然な十分の返報を身に受け』ます。その人々は否認された精神状態,堕落,病気,抗争,死などを経験します。(ローマ 1:18,24,27-32)人が神の法とも調和する土地の法律を犯して行政府から処罰を受ける場合,それはその人に対する神の憤りの間接的な表明です。(ローマ 13:1-4)イエス・キリストは神の怒りの主要な執行者であり,神の憤りを余すところなく表明して,邪悪な者に対する神の怒りを完遂します。―エレミヤ 30:23,24。啓示 19:7-16,19-21。

      神の選んだ人々に対する誤った態度や行動は神の怒りを引き起こします。エジプト人は,イスラエルがエホバを崇拝することを許さなかったために災厄を被りました。(詩 78:43-50)ミリアムとアロンは,神の定めたモーセの地位に対する不敬のために神の激しい怒りを経験しました。(民数 12:9,10)エホバの怒りは低い立場の人々を圧迫した裁き人に対して向けられました。(イザヤ 10:1-4)「良いたより」の伝道の業を妨害する人々も神の憤りを受けることになります。―テサロニケ第一 2:16。

      エホバは偽りの崇拝に対して怒りを抱かれます。エホバの民と唱える人々が他の神々にそれてゆく時には特にそうです。(出エジプト 32:7-10。民数 25:3,4。士師 2:13,14,20。列王上 11:8,9)ほかにも,不道徳行為,真実の抑圧,悔い改めの不足,「良いたより」に対する不従順,み言葉に対する不敬,ご自分の預言者に対する嘲弄,貪欲さ,無礼さ,そねみ,殺人,抗争,欺瞞,悪意,また,つぶやく者,陰口をきく者,神を憎む者,尊大な者,ごう慢な者,うぬぼれる者,有害な事柄をもくろむ者,親に不従順な者,合意したことに不実な者,憐れみのない者,心霊術を行なう者,うそをつく者などに対して神は怒りを抱かれます。ここに挙げたすべて,また他のあらゆる不義の行ないに対して神の怒りが示されるのです。―コロサイ 3:5,6。テサロニケ第二 1:8。ローマ 1:18,29-31; 2:5,8。歴代下 36:15,16。啓示 22:15。

      怒りは主要な特質ではない

      しかし,エホバ神は「怒ることに遅く,愛の親切に富んで」おられます。(出エジプト 34:6; 民数 14:18,新)エホバを恐れ畏んで義を実践するなら,その人はエホバからの憐れみを受けます。全能者は人間の相続した不完全さを認め,そのために,またイエスの犠牲に基づいて憐れみを示されるからです。(詩 103:13,14。創世 8:21。ゼパニヤ 2:2,3も参照)神はご自身のみ名のゆえ,また選びの民に対するご自分の目的を遂げるために怒りを抑えられます。(イザヤ 48:9。ヨエル 2:13,14)エホバの怒りは,真実に神に仕え,自分の罪を認めて悔い改める人々に対してはやがて消えてゆきます。(イザヤ 12:1。詩 30:5)エホバは怒りの神ではなく,幸福の神,近づきにくい神ではなく,正しい手順でみ前に近づく人々に対して平和で,静穏で,さわやかな方であられます。(テモテ第一 1:11。詩 16:11。啓示 4:3と比較)これは,異教の偽りの神々に付せられる,怒りに燃える無慈悲で残酷な特質,またそれらの神々の像に描かれる特質とは対照的です。

      人の怒り

      人間の怒りも,原則にのっとるものであれば,正しい場合があります。人が当然義憤を表明すべき場合もあるでしょう。わたしたちは,「邪悪なことは憎悪」するように命じられています。(ローマ 12:9)聖書は義憤を表明した例を数多く記しています。―出エジプト 11:8; 32:19。民数 16:12-15。サムエル前

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