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真の王国の避難所へ逃れるものみの塔 1976 | 1月15日
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て風のさけどころ暴雨ののがれどころとなり かわける地にある水のながれのごとく 倦つかれたる地にある大いなる岩陰のごとくならん かくて正義のいさおは平和 せいぎのむすぶ果はとこしえの平穏とやすきなり わが民はへいわの家におり 思いわずらいなき住所におり 安らかなる休息所におらん』。
5 地上の人々で,ここで描写されている「君たち」に相当する人々は,キリスト教世界の「教会の君たち」ではありません。それは「長老たち」,すなわち3万5,000を超える,エホバの救われ回復された民の会衆の任命された「監督たち」のことです。天の王,すなわちメシアなるイエスに対して直接に責任があるので,彼らは羊飼いの牧羊のようなわざを,『公平をもって』賢明に行ないます。このようにして彼らは,エホバが西暦1919年以来,回復された崇拝者たちを入れられた霊的パラダイスの平和,静穏,信頼性に寄与します。
メシアによるきたるべき千年統治のもとで
6 地上における神の新秩序が霊的パラダイスをもって発足するというのはどういうわけですか。しかしそのパラダイスにいる人々の前には,どんな地的仕事が控えていますか。
6 ちょうど耐水性の箱船がノアとその家族およびすべての動物と鳥のつがいを乗せて,西暦前2370年から2369年にかけての世界的大洪水を通過したのと同じく,霊的パラダイスもエホバの保護のもとに,「大患難」というきたるべき大洪水を生き残るでしょう。この霊的パラダイスの中にとどまる忠実なエホバ崇拝者たちは,「世のはじめから今に至るまで起きたことがなく」また「二度と起きないような」あの「大患難」を,霊的パラダイスと共に生きて通過するでしょう。(マタイ 24:21,22。啓示 7:9-14)このような理由で,大患難後の地上における神の義の事物の新秩序は,「エホバの知識で満たされ」,エホバの忠実な崇拝者たちによって占められた霊的パラダイスをもって発足します。(イザヤ 11:9,新)ノアの三人の息子とその三人の嫁に相当する生存者の「大群衆」の前途には,文字通りの地球全体をパラダイスのように,世界的規模のエデンの園のように美化する仕事が控えています。したがって,イエス・キリストおよびその仲間の王たち14万4,000人の千年統治の下における,人の住む未来の地球は,文字通りの意味でパラダイスとなるでしょう。イエス・キリストご自身,パラダイスということばを使ってそれを約束されました。―ルカ 23:43。
7,8 (イ)ノアおよびその家族と共にだれが箱船で生き残りましたか。(ロ)ノアの家族が,地の下等生物に対する恐れを持たずに箱船から出たのはなぜですか。
7 西暦前2369年当時,ノアの箱船がアララテ山上に着陸し,ノアがエホバ神のお閉めになった扉をあけることを許された時,ノアとその家族は外の広い所へ出てきました。しかし彼らだけが出たのではありません。創世記 8章19節(口)にあるように,「すべての獣,すべての這うもの,すべての鳥,すべての地の上に動くものは皆,種類にしたがって箱舟を出た」のです。彼らも,大洪水を生き残った人間たちと同じように,地上で増えることになっていました。―創世 1:20-25。
8 それら下等な地的被造物は人間に対してどんな関係を持つようになるでしょうか。神は,ノアとその家族を祝福されたとき,その関係を示し,次のように言われました。『地のすべての獣畜天空のすべての鳥 地にはうすべてのもの 海のすべての魚なんじらを畏れ なんじらにおののかん これらはなんじらの手に与えらる』。(創世 9:1,2)ですから,人類は自分たちの前途に恐ろしいことがあることなど全く予期せずに,動物に対してさえそれを予期せずに,保護の箱船から出ました。人類は箱船の中の動物たちに恐れを持ちませんでした。箱船の中ではライオンさえ,雄牛のように植物を食べたのです。
9 そのことは,地の下等生物に関してアダムとエバにお命じになった事柄の成就として,神が「大患難」後に何を行なわれることを示唆していますか。
9 そのことは,人が住む地上での,わたしたち自身の将来を示唆するものであるに違いありません。霊的パラダイスの中にいる人間のエホバ崇拝者たちと共に,地の下等生物も,人類の用のためまた喜びのために保護されるでしょう。「大患難」が終わったのち,神が,地上の生き残った崇拝者たちに対し,魚,飛ぶ生物,また陸上動物に関して再保証をお与えになることは疑えません。全能の創造者は,地のこれらすべての下等生物に,人間への恐れを植え付けられます。それゆえ,これら下等生物が人間を苦しめることはありません。神が最初の男女,すなわちアダムとエバにお命じになったことからすると,人類はこれらの下等生物すべてを従わせ,そしてそれらは従順で無害で,人類に服するものとなるでしょう。―創世 1:27,28。
10 地の下等生物は現在みな人間に服していますか。ダビデはそれらが服す人を預言的にどのように指し示しましたか。
10 大洪水から1,300余年を経て,エルサレムのダビデ王が詩篇 八篇を書いたころ,地の下等生物は,人になれていて人を害さないという意味では,全部が全部人間に従っていたわけではありません。しかし,この詩篇の中でダビデは,これからそれら全部を服させる人を預言的に指し示し,次のように述べました。「わたしが,あなたの天を,あなたの指の業である,あなたの備えられた月や星を見ますのに,死にゆく人間はいかなるものなので,あなたはこれを思いに留められるのですか。また,地に住む人の子はいかなるものなので,これを顧みられるのですか。あなたは,人を神のような者たちより少し低く造り,次いで栄光と光輝を冠としてこれに添えられました。あなたはみ手の業を彼に支配させ,すべてのものをその足の下に置かれました。小さい家畜や雄牛,それらすべて,さらに原野の獣,空の鳥,海の魚,海路を通うすべてのものを」― 詩 8:3-8,新。
11 神が地のすべてのものを服させるべく指名された人の名前は,どこにどのように示されていますか。
11 さてエホバ神はだれを,地のものすべてが服させられるその「人」として指名されましたか。霊感によって記されたヘブライ人への手紙 2章5節から9節は,わたしたちに次のように告げています。「きたるべき,人の住む地,すなわちわたしたちが話しているものですが,神はそれをみ使いたちに服させることはされなかったのです。むしろ,ある証人があるところで証ししてこう述べています。『人間が何者なのであなたはこれを思いに留め,また人の子が何者なのであなたはこれを顧みられるのですか。あなたは彼をみ使いたちより少し低い者とされました。あなたは彼に栄光と誉れの冠を与え,み手の業の上に立ててこれをつかさどる者とされました。あなたはすべてのものを彼の足の下に服させました』。神はすべてのものを彼に服させたのですから,彼に服さないものを何一つ残さなかったのです。しかし,わたしたちは今なお,すべてのものが彼に服しているのを見ません。ただわたしたちは,み使いたちより少しく低くされたイエスが,死の苦しみを忍んだゆえに栄光と誉れの冠を与えられたのを見ています。これは,神の過分のご親切のもとに,彼がすべての人のために死を味わうためでした」。
12 「きたるべき,人の住む地」においては,地のどんな生物も,イエスの足の下に服しますか。
12 これは,「大患難」後,そして悪魔サタンとその配下の悪霊たちが鎖につながれ,底しれぬ深みに監禁されたのち,「きたるべき,人の住む地」は,メシアなるイエスの足の下に服する,という意味です。「小さい家畜や雄牛,それらすべて,さらに原野の獣,空の鳥,海の魚,海路を通うすべてのもの」を含め,人の住む地のあらゆるものが服します。(詩 8:7,8)「原野の獣」には,ライオン,くま,ひょう,コブラや他のすべての毒へびのように,現在どう猛で人間にとって危険な野生動物すべてが含まれます。「海路を通うすべてのもの」には,ピラニア,ふか,しゃちなども含まれています。
13 今天で栄光を受けておられるイエス・キリストは,「きたるべき,人の住む地」において,それら地の下等生物がみな彼に服していることを,どのように示されますか。
13 現在,天において,栄光と誉れの冠を戴くメシアなるイエスは,野生の,人になれていない獣を支配する力を失ってはおられません。(マルコ 1:13; 11:2-7)イエスは,現在危険なそれらの動物がご自分に服するところを示されるでしょう。どんな方法で?「大患難」を生き残って,この地のために神がお立てになる新秩序にはいる,将来の地的パラダイスの相続者たちの「大群衆」に彼らを服させることによってです。このようにして,今日いる野生的で,凶暴で,危険な動物は,エホバ神の地上の崇拝者たちにとって無害なものとされるでしょう。その時広く行き渡る獣と人との間のこの傷つけ合うことのない関係は,イザヤ書 11章6節から9節の描写と一致するでしょう。それは,エホバのクリスチャン証人が現在楽しんでいる霊的パラダイスの中で,すでに成就をみています。
14 贖われた人間の死者が,「きたるべき,人の住む地」に出てくる時に,恐れるものが何もないのはなぜですか。
14 かくして,地上のすべての動物を,全地球に広がったエデンの園で完全な男女に服させるという,創造者なる神の最初の目的は実現します。その世界的パラダイスは平和で安全な場所となるでしょう。この「きたるべき,人の住む地」に墓からよみがえる,贖われた人間の死者すべてにとって,恐れるものは何もないでしょう。(使徒 24:15。ヨハネ 5:28,29。啓示 20:11-14)「ほえるしし」,すなわち悪魔サタンと,その配下の悪霊たちは,近辺にいません。天において栄光を受けた「人の子」は世界中で,人と人との間に,人と獣との間に,そして獣と獣との間に,平和を推進されるでしょう。「正義は産出的な地の住民が確かに学ぶところと」なり,その正義の全地に対する貢献と,全地に及ぼす影響は,平和,静穏,真の信頼,そして安全でしょう。(イザヤ 26:9; 32:17,18)地球は,人がパラダイスの住みかとして永遠に居住する,なんとすばらしい所となるでしょう。これもみな,「きたるべき,人の住む地」が,真の「天の王国」の支配を受けるからにほかなりません。―マタイ 4:17; 5:3,10。
15 「大患難」が目前に迫っているために危険に臨んでいる人々に関し,わたしたちは今何をする特権と機会が与えられていますか。
15 これが「天の王国」です。今わたしたちに与えられている特権と機会は,この王国を世界中に宣明することです。そのもとにすでに逃れているわたしたちは,この空前絶後の世界的苦難の時に住む他の人々の安全を憂慮しています。患難の中の患難は目前に迫っています。この事を心にとめ,わたしたちは,よく教えを聞く人々すべてを真のメシアの「天の王国」に導きつづけ,彼らがそのもとに逃れて安全を得るよう助けていきましょう。世界の最も大きな苦難からの彼らの救いは,そのことにかかっているのです!
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「心からあふれ出ることを」ものみの塔 1976 | 1月15日
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「心からあふれ出ることを」
人は普通,良いたよりを自分だけのものにしておくことはまずできないのではないでしょうか。他の人に語らずにはおられないものです。良いたよりが聞き手に真の祝福をもたらす場合は特にそうです。神の貴重な約束に対する感謝の念で心を満たされているエホバのクリスチャン証人が,聖書の真理を他の人々に分かち与えたいという気持ちに動かされるのはそのためです。それはイエスが次のように言われたとおりです。「心からあふれ出ることを,口が語るものである」― ルカ 6:45,口。
日常生活にさいして到来する聖書のことを話し合える機会を活用した結果,他の人々が真理の側に立つのを見る喜びを経験したエホバの証人は少なくありません。
一例をあげましょう。アメリカ,カリフォルニア州のあるエホバの証人は,とある混雑したスーパーマーケットで買物をしていました。肉の売り場でのこと,隣にいた婦人がこう言いました。「まあ,肉の値段はなんて高いのでしょう。家族をかかえている人でこんなに高い肉を買える人がいるのかしら」。証人はこう答えました。「多くの家庭ではそんな余裕はありませんわ。このごろでは空腹をかかえている人さえ少なくありませんもの」。婦人は証人のことばに同意し,事態が非常に悪化しているため,最後にはいったいどうなるのか見当もつかないと,もらしました。その後どうなったかについて証人は次のように書いています。
「わたしは,大ぜいの人が同様に感じて将来のことをほんとうに心配しているということを婦人に話し,人間が努力しているにもかかわらず事態は改善されるどころか悪化の一途をたどっていることについて話し合いました。
「そして,こうことばを続けました。『奥さんが聖書をよく読んでおられるかどうかは存じませんが,わたしはいつも聖書を読んでおります。イエスのことばによると,こうした危機の時代は聖書の預言の成就を意味するものなのです。事態はいくらかでも良くなるどころか,さらに悪化の一途をたどってゆきます』。婦人は少し考えてからこう言いました。『聖書を読もうと努力したことはありますが,わたしにはとても理解できません』。それはおそらく,ほとんどの聖書が現代のわたしたちの話し方とは異なった古い英語で書かれているためではないでしょうかと述べ,そういうわけでわたしは現代英語で書かれている聖書を持っているのですと話しました。
「すると婦人は,その聖書はだれでも買えるのでしょうかと尋ねました。ちょうど車の中に一冊余分に置いてある
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