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あなたはどれほどひんぱんに観客になりますか目ざめよ! 1979 | 6月8日
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あなたは娯楽を制御していますか,それとも娯楽があなたを制御しているでしょうか。あなたは,一生懸命に働いてきて本当に息抜きが必要だと思うから観客になるのですか,それとも,努力も思考力も必要とせずただ時間を過ごす安易な手段だからですか。
あなたの家族はどの程度話し合いますか。ある家庭では,テレビを付けている間はだれもが“礼拝のような沈黙”を守らねばなりません。また,父親は居間でクラシック音楽に聴き入り,十代の娘は自分の寝室で最新の“ヒット”レコードを聴いているといった家庭もあります。そうした家族は各自が違った方面の娯楽を楽しむためにいつもばらばらになりがちで,意思の疎通がほとんど見られなくなります。家族が共に話し合ったり考えや経験を分かち合ったりする時間をほとんど持たないなら,家族関係はひどく損なわれるようになります。
直面しなくてはならない決定
多くの場合,決定するのは観客になるかどうかということではありません。というのは,わたしたちは生活において皆ある程度見守る者なのです。だれかがある物事のやり方を学ぶのをただ見守るときでさえ,そうなのです。むしろ,それは何を見ているか,どのくらいひんぱんに,どのくらいの長さ見ているかという問題なのです。
もちろん,わたしたちが見物人になったり,ただ見物のために立ち止まったりすべきでない場合もあります。例えば,火事や事故が起きた際,好奇心から大勢の人がその周りに群がることがありますが,このために救助活動が妨げられる場合もあります。
ただほかの人のするのを見ているよりも自分がある活動に加わるほうがもっと価値があるかどうか考えてみることもできます。(歴代志略下 7章1-3節をご覧ください。)家族や友人とスポーツをすると,心身共にそう快になると考える人もいます。趣味や工芸,何か他の人の喜ぶものを作ることを楽しんでいる人々もいます。こうした事柄から,見物人のときにはほとんど得られなかった満足感や,物事を成し遂げたという気分を味わうことができます。また,与えることを実行する人だけが味わう特別な喜びにあずかれます。―使徒 20:35。
クリスチャンは霊的な活動に携わるために十分の時間を取っておかねばなりません。聖書や関連した文書を個人的に読んだり他の人と話し合ったりすると,さわやかさを感じ励みが得られます。それは心の平安を保つ上でも役立ちます。また,神のみ言葉に記されている良い事柄を他の人々に分け与える活動に加わるなら,肉体的にも精神的にも元気付けられます。そうした良い事柄を聞いた人々を含め,関係のあるすべての人々はそれによって築き上げられます。家族がこうした活動に共にあずかるなら,家族のきずなは強められ,他の方法では得られない喜びを味わえます。
このようなわけで,観客として一晩あるいはわずか一時間でも時を過ごしたなら,その後で次のように自問してみるのは良いでしょう。その時間は有効に費やされただろうか。何らかの面で益が得られただろうか。ほかにどんな事をすることができただろうか,あるいはすべきであっただろうか。「わたしたちはおのおの,神に対して自分の申し開きをすることになる」ということを銘記しつつ,自分の時間や命をできる限り最善の方法で用いたいものです。観客としてどの程度の時間を費やすかによって,わたしたちの現在の生活における喜びや満足,またわたしたちの将来に影響が及びます。―ローマ 14:12。ガラテア 6:7。
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かみつく傾向のある犬目ざめよ! 1979 | 6月8日
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かみつく傾向のある犬
米国衛生局は,どんな種類の犬が最もかみつきやすいかを確かめるために犬の研究を行なった。三種類の犬が他の犬より攻撃的であることが分かった。それらは,ドイツ・シェパード犬,チャウチャウ,プードル犬である。
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