血によって人類の世を救う
「これは,罪のゆるしを得させるようにと,多くの人のために流すわたしの契約の血である」― マタイ 26:28。
1 「肉の命は血にある」ということばを最初に述べたのはだれですか。
「肉の命は血にある」。この言葉を最初に述べたのはだれですか。紀元前5世紀のギリシャの哲人また医師であり,大英百科事典に「医学の父」とも述べられているヒポクラテスではありません。また西暦7世紀のイスラム教の預言者で,食物に関することも述べているマホメットではありません。a また紀元前16世紀のヘブル人の預言者モーセでもないのです。それは生命の与え主,人間の血を創造し,血の中に生命を宿らせた造物主にほかなりません。これはヒポクラテスがコス島に生まれる千年以上前に創造者ご自身が述べられた言葉です。
2,3 このことばがそのかたによって述べられたのはなぜ適切なことですか。それはだれにむかって述べられましたか。
2 人間の生命の流れであるこの赤い液体の創造者が,このように科学的に正しいことばを述べられたのは全く適切なことです。モーセは紀元前1512年,アラビアのシナイの荒野で神から告げられたこのことばを書きしるしたにすぎません。レビ記と呼ばれるモーセの3番目の本の中に次のことがしるされています。
3 「エホバ,モーセに告て言たまはく……これに言べし……其は肉の生命は血にあればなり 我汝等がこれを以て汝等の霊魂のために壇の上にて贖罪をなさんために是を汝等に与ふ 血はその中に生命のある故によりて贖罪をなす者なればなり」― レビ 17:1,2,11,文語。
4 命をささえる血の働きはどれほど古くから知られていましたか。どんなことがそれを示していますか。神はそのことを目にとめられましたか。
4 人体内のこの不可欠な体液に生命が宿るという神のこのことばに,異論をとなえる人がいますか。たとえ異論を唱えてもそれを裏づけることはできません。医学的に証明されているように,この貴重な体液はふつう23秒おきに体内をめぐり,生命を支える養分を身体の各組織に運んでいるからです。動脈,静脈,毛細管を満たしているこの体液の,生命を支える働きは,早くから認められていました。「輸血の起源は古代エジプトにまでさかのぼる」と言われています。紀元前1513年,預言者モーセがその民をエジプトから導き出した時,エジプトにおいて輸血のようなことが行なわれていたとすれば,必ずモーセの神の目にとまったはずです。血とその正しい処理の方法について,モーセの民に律法を授けられた神が,エジプト人のこの行ないを心にとめられていたとしても,不思議ではありません。―アメリカナ百科事典1929年版第4巻113頁。
5,6 (イ)血と命との関係はアベルの殺害に関する記述の中で,どのように示されていますか。(ロ)宗教に関連したこの犯罪はだれの手で何度もくり返されてきましたか。それは聖書巻末の本にどのように示されていますか。
5 生命を与え,生命を支える血の働きは,聖書の筆者の最初の者(モーセ)から最後の者(使徒ヨハネ)に至るまでそれを認めていました。それで人の命を不法に奪うことは人の血を流すこととして述べられています。命は血に宿るからです。たとえば,敬虔な弟をしっとのために殺したカインの例があります。カインが殺人者であることを明らかにして神は次のように言われました。「あなたは何をしたのです。あなたの弟の血の声が土の中からわたしに叫んでいます」。カインは罪をかくそうとしていました。(創世 4:10)宗教つまり崇拝の正しい形式をめぐって犯されたこの罪は,使徒ヨハネが大いなるバビロンと呼んだ偽りの宗教の世界帝国によって何百万回となく繰り返されてきました。長く続き,宗教の名によって全世界で人間の生命を奪った,偽りの宗教の世界帝国の責任を示して,聖書巻末の本はこの宗教帝国を淫婦として描き,次のように述べています。
6 「その額には,一つの名がしるされていた。それは奥義であって,『大いなるバビロン,淫婦どもと地の憎むべきものらとの母』というのであった。わたしは,この女が聖徒の血とイエスの証人の血に酔いしれているのを見た」「また,預言者や聖徒の血,さらに,地上で殺されたすべての者の血が,この都で流されたからである」― 黙示 17:1-6; 18:24。
7 大いなるバビロンはなぜ人食い的であると言えますか。彼女が人間の生命を犠牲にしていることから,どんな疑問が生じますか。
7 これは象徴的な女,大いなるバビロンが人食いのような者であることを描いています。彼女は人間の血に「酔いしれている」と述べられているからです。しかしバビロン的な宗教は人間の命を永遠に救うことを目的としていると主張しています。では神のことばは人食い的な大いなるバビロンを誇張して描いていますか。宗教の名において人間の生命が犠牲にされてきたことを率直に考えれば,決して誇張ではありません。死をもたらすそのような行為に,神の御名さえ用いられてきました。ではこの流血に対して神は宗教の責任を問われないでしょうか。
8 (イ)生命との結びつきのゆえに,血は益のあるどんなことのために正しく用いられるはずですか。(ロ)医術に関して,ルカはどんな一つの警告を述べていますか。
8 聖書の中においても世の中においても,血は命と結びつけられており,また命を表わすものとされています。血にはこのような性質と価値があるため,神の目から見てさえ人間の血は他の人,全人類の命を救うため当然に使うことができます。しかしそれはどのように行なわれるべきですか。どんな手段によってだれが行なうのですか。今日の多くの人の意見ではそれはヒポクラテスの追随者つまりヒポクラテスの誓いbをする医師です。医師は今日の医学の技術を駆使し,「命の血」を患者の体内に直接に注入することもします。専門家である医師に対するこの信頼のゆえに,聖書の警告は無視されてしまうのです。聖書の一筆者である医師ルカが19世紀前にしるした一つの病気の例が,その警告となっています。クリスチャンの使徒パウロはルカのことを「愛する医者ルカ」と呼んでいます。(コロサイ 4:14)ルカはこの例について次のようにしるしました。「ここに,十二年間も長血をわずらっていて……だれにもなおしてもらえなかった女がいた」― ルカ 8:43-48。
9 病気だったこの同じ人について,マルコはなんと述べていますか。
9 この同じ病人についてのくわしい記述はルカの友人マルコによって書き残されています。「さてここに,12年間も長血をわずらっている女がいた。多くの医者にかかって,さんざん苦しめられ,その持ち物をみな費してしまったが,なんのかいもないばかりか,かえってますます悪くなる一方であった」。しかしマルコと医師ルカが報じているように,絶望的だったこの女は,偉大ないやし手イエス・キリストの衣にうしろからさわっただけで奇跡的にいやされました。マルコは次のように述べています。「すると,血の元がすぐにかわき,女は病気がなおったことを,その身に感じた」― マルコ 5:25-34。
“命を救う医師”
10 1965年の英国医学協会の声明は,血に関する神の律法を致命的に危険なものと見ていることをどのように示していますか。
10 しかし今日では,血に関する神の律法が死をもたらすものであり,専門家である医師が命を救う者であるといった考えが一般に喧伝されています。1965年2月26日付ロンドン・デイリー・ヘラルド紙は英国医学協会について次のことを述べていました。「協会によれば,患者の命を救うことが医師にとって至上の義務である。両親の意志に反する手術によって命を救おうとしたため裁判沙汰になった場合,医師は諸学会の支持を期待できる」。
11 多くの医師は聖書にしるされた神の律法と現代の医学とをどのようにくらべますか。進化論者は血をどのように見ますか。
11 命を救う者,人の現在の命を救う役割をになう専門職に携わる者として自他ともに許すこれらの人々の大多数は,医学の進歩した現在,聖書にある神の律法は非科学的で時代おくれとなり,昔の本である聖書はもはや通用しないと考えています。「聖書は1900年前に書き終えられた。人の命を救う今日の医薬と技術,今日の医学とくらべて,聖書の筆者は何を知っていただろうか」と彼らは言います。聖書の創造の教えを受け入れず進化論を唱える進化論者であれば,神の律法を尊重しません。彼らは医学の倫理をみずから確立しています。彼らの考えによれば血は進化したものであって,人間の創造者の創造したものではありません。
12 他の人は血に関してどんな意見を持っていますか。その結論は何に基づいていますか。
12 しかし意見を持ち,それを表明するのは人の自由です。血は,非人格で盲目かつ無知な,偶然の進化の産物ではなく,全能の神の無比のわざであることを信ずる人もいます。その意見は疑うことのできない事実に基づいて導き出された論理的な結論です。第一次世界大戦のおびただしい流血の前に書かれた,ウィリアム・ハンナ・トムソン博士のことばが思い起こされます。同博士は長年の間ニューヨーク市の病院に関係していた著名な医師です。ニューヨーク・タイムズにのせられた同博士の記事は次のように述べていました。
13,14 (イ)血液中のヘモグロビンに関するどんな事実は,ヘモグロビンの分子が偶然の産物ではないことを示していますか。(ロ)ヘモグロビンの複雑さも何とはくらべものになりませんか。生命の起源について科学は何を見いだしていますか。
13 「地球上の動物で赤い血を持つものはすべて,生きるためには血球中にヘモグロビンと呼ばれる特定な物質を持たなければならない。さてヘモグロビンの分子には,以下の数の異なった原子がそれぞれ定まった比率に応じて含まれていなければならぬ。すなわち水素1130,炭素712,窒素214,酸素245,硫黄2,鉄1の合計2304の原子である。しかも他との特定な比率(ある生理学者はこれを“不明の”という)を保つ鉄の原子1個が欠けても,動物は酸素の吸入と炭酸ガスの放出ができない。すなわち呼吸不能となる。わたしは,ドイツ系の人でドイツの教育を受けた著名な生理化学者に,ヘモグロビン分子中の原子の配列が偶然に成立する可能性について尋ねてみた。『偶然ではあり得ない』と彼は言下に答えた。
14 「しかしヘモグロビンの複雑さも,伝染病に対する免疫のしくみの化学的な研究中に発見された化学物質にくらべれば物の数ではない……現代の科学者が認めているように,生命の起源の問題は研究が進むにつれてますます不可解になって行く」― 1911年7月1日号「ものみの塔」(英文)198,199頁。
15 血液が進化の産物であるという説のあやまりはどのように明らかですか。
15 血液の性質と組成およびそれが命をささえるという事実は,血液が知力,生命,目的のない進化の産物である可能性を否定しています。血液のこのような特色は,理知のある生きた,そして目的を持ち,造り出す神,人間の創造者なしには生まれません。
16 (イ)赤血球に関するどんな事実は創造者の必要を証明していますか。(ロ)どれほど昔に,神は血のことを言われましたか。それはどの程度にまで及んでいますか。
16 赤血球の形と働きを考えてごらんなさい。高度に数学的な頭脳がなければそれを形造ることは不可能です。ふつうの人の血管中にある30兆の赤血球一つ一つは人間の造り主,創造者の存在を反論の余地なく証明しています。創造者は最も進んだ医学者よりもこの生命の赤い液体の必要さ,特性と目的をよくご存じです。1918年シカゴ大学の医学の教授が保存血液の輸血を初めて行なった時よりも5800年以上前に神は血のことを言われました。それは生まれ出た人間としては最初の人であるカインが,弟のアベルをひそかに殺したあとのことです。(創世 4:10,11)それ以来,神は血について多くのことを言われました。文字になった神のことば66巻すなわち創世記から黙示録までの1189章に血のことは447回出ています。c
17 (イ)イエス・キリストによって示されているように,最も偉大な医師はだれですか。(ロ)そのかたは今日,権威をもってどのようにわたしたちに語られていますか。
17 神は御子に力を与え,いやしの奇跡を行なわせました。それは医薬や外科手術によらず即座に行なわれたもので,長血をとめ,視力を回復させ,ろうあ者に聞くことと話すことを得させ,足なえを歩ませ,らい病人を清め,脳をいやし,死人をさえよみがえらせました。このことから見れば,創造者なる神は最も偉大な医師であられます。そして人間のからだとそのつくりについて,またからだをいやし,回復させ,ふたたび生かす方法については,今日最も高い教育を受けた医師よりもよくご存じです。神はこの事柄について間違いのない絶対の権威であられます。神の語られる事柄に耳を傾けなければなりません。神が語られる時,わたしたちすべては学び,益を受けます。神は霊感によって書かれた不変のことばによって今わたしたちに語られます。神はなんと言われていますか。
18 エデンの園において,血を禁ずる律法はなぜ必要ありませんでしたか。
18 人間は生きるために食べます。では人類は創造の神に許されてもうどのぐらいの期間,動物の肉を食べてきましたか。それは人間創造の時からではなく,人類史のうちで過去4335年間のことです。エデンの楽園において,完全な男女は果物,木の実,野菜のような土の産物を食べることを許されました。(創世 1:29,30)それで動物の血を食べてからだを養うことを禁ずる律法は必要なかったのです。
19 (イ)エデンの園からアダムを追放された時,神は血を食べることを許されましたか。(ロ)アベルが犠牲の動物の血を飲んだかどうかは,何からわかりますか。
19 禁断の木の実を食べて罪を犯した人間をエデンの園から追放した時でさえ,神は以後,動物の肉を食べるようにとは言わず,人間に告げてこう言われました。「あなたは野の草を食べるであろう。あなたは顔に汗してパンを食べ,ついに土に帰る,あなたは[低い動物から進化したのではなく]土から取られたのだから。あなたは,ちりだから,ちりに帰る」。(創世 3:18,19)何年ものちにアダムの二番目のむすこ,アベルが羊の犠牲をエホバ神にささげた時,犠牲にささげられた動物の血が流されました。しかしアベルはその血を飲みませんでした。それで神はアベルの犠牲を嘉納されたのです。―創世 4:3-11。
血を食べることを禁ずる神の律法
20 箱舟から出たノアは直ちに何をしましたか。
20 1500年以上ののち,敬虔なノアおよび妻帯した3人のむすこの時代に洪水がありました。洪水の水は少なくとも180日の間,地と山々をおおっていたのです。(創世 7:11から8:5)何か月ものち,洪水を生き残った8人が保護の箱舟から出た時,ノアはすべての清い動物と鳥の中から犠牲をエホバ神にささげました。しかしノアとその家族は犠牲の動物の血を飲まず,また肉を食べませんでした。
21 そのとき神はどんな律法を定めてノアに告げられましたか,
21 神はそれを喜ばれました。神は彼らを祝福して子孫で全地を満たすようにと告げ,ついでエデンのアダムとエバの場合と同じく,わたしたちを含めて将来の全人類の食物に関し,一つの律法を定められました。「すべて生きて動くものはあなたがたの食物となるであろう。さきに青草をあなたがたに与えたように,わたしはこれらのものを皆あなたがたに与える。しかし肉を,その命である血のままで,食べてはならない。あなたがたの命の血を流すものには,わたしは必ず報復するであろう。いかなる獣にも報復するであろう」。(創世 8:18から9:5)そののち虹が初めて現われ,世界的な洪水が二度と人類に臨むことはないという神の永遠の契約が立てられました。―創世 9:8-17。
22 (イ)それで血を禁ずる神の律法がモーセの律法に由来するものでないことは,どのように明らかですか。(ロ)血を禁ずる神の律法が西暦33年以後においてさえ,わたしたちすべてにあてはまるのはなぜですか。
22 その時ヘブル人,イスラエル人,ユダヤ人は存在せず,割礼もありませんでした。人類の三つのわかれであるセムの種族,ハムの種族,ヤペテの種族の先祖がいたにすぎません。それは紀元前2369年のことで,十戒をも含め,イスラエル民族に与えられた律法がエホバ神によって預言者モーセに授けられる856年前です。したがって,動物の血を人間のからだに入れることを禁ずる神の律法は,紀元前1513年にモーセをとおして与えられた神の律法によって存在するようになったのではありません。これから明らかなように,この重要な事柄に関する神の律法は,ヘブル人またイスラエル人つまりユダヤ人だけにその適用を限られていたのではなく,また限られてもいません。西暦33年,神はモーセの律法をイエス・キリストの死の杭に釘づけにしてそれを廃止されましたが,この特定の律法だけは廃止されず,効力を失いませんでした。(コロサイ 2:13,14。エペソ 2:13-15)ノアの時代のこの律法は今でも全人類に適用されます。それは人間が今も動物や鳥の肉を食べていること,またエデンの園と完全な菜食にもどることができないでいる事実と同じく確かです。―創世 1:29,30。2:15-17。
23,24 (イ)弟子ヤコブのどんなすすめは,使徒時代のクリスチャンが,ノアに対する神の律法をなお守ったことを示していますか。(ロ)その布告のことばは,聖霊の役割をどのように示していますか。
23 ユダヤ人のみならずクリスチャンも,ユダヤ人でない人もクリスチャンでない人も,洪水後,人類の共通の先祖であるノアに与えられたこの律法の下にあります。西暦1世紀の使徒時代のクリスチャンはこの事実を認め,それを主張しました。成就し,廃止されたモーセの律法が比喩的に言ってキリストの死の杭に釘づけにされてから16年後,クリスチャンの弟子ヤコブは使徒および古い兄弟のエルサレム会議に対し,ユダヤ人以外のクリスチャンにあてて「偶像に供えて汚れた物と,不品行と,絞め殺したものと,血とを,避けるように」書き送ることを勧めました。「絞め殺された動物の肉および血を味わうこと」(アメリカ訳)を避けるようにとのすすめは,弟子ヤコブだけの考えではなく,神の聖霊によるものです。この重大な事実は,ユダヤ人以外のクリスチャンにあてられた公式の布告のことばづかいによっても強調されています。それは次のように述べられていました。
24 「あなたがたの兄弟である使徒および長老たちから……異邦人の兄弟がたに,あいさつを送る……聖霊とわたしたちとは,次の必要事項のほかは,どんな負担をも,あなたがたに負わせないことに決めた。それは,偶像に供えたものと,血と,絞め殺したものと,不品行とを,避けるということである。これらのものから遠ざかっておれば,それでよろしい。以上」― 使行 15:19-29。
25 (イ)歴史によれば,真のクリスチャンはどれほど長くエルサレムの布告を守りましたか。(ロ)エホバの証人が今日それを守るのはなぜですか。
25 何年ものち,第3回宣教旅行を終えた使徒パウロに対し,弟子ヤコブはエルサレム会議の同じ布告が非ユダヤ人のクリスチャンに対してなお施行されていることを述べています。(使行 21:18-26)西暦3世紀までの宗教的著述家によれば,血を体内にとり入れることを禁ずる,霊感によるこの布告は,発布後何世紀ものあいだクリスチャンたちによって堅く守られていました。特にローマ・カトリックの聖人オーガスチンの時代以後,キリスト教国は霊感によるこの布告を守ることをやめ,キリスト教国の医師はクリスチャンに対する拘束力を持たないものとしてそれを無視してきました。d しかしだれがこの布告を廃止しましたか。神ではありません。神はみずからそれに霊感を与え,エルサレムの忠実な組織をとおして公布させられたからです。それはモーセの律法の廃止に伴って廃止されたのではありません。聖書に基づくこの理由のゆえにクリスチャン,エホバの証人は今日この定めを守り,淫行と偶像崇拝のみならず血をも避けるのです。
血による救いの預言的な例
26 (イ)血がだれのものかについて,エルサレムの布告はモーセの律法とどのように一致していますか。(ロ)犠牲の動物の血を流しておきながらそれをエホバにささげないユダヤ人は,どんな罪に問われましたか。
26 このエルサレム会議の布告が出されたのは,イエス・キリストがカルバリの死の杭の上で血を流されてから何年もあとのことです。しかしこの布告により,神は,モーセをとおして与えられた律法の中に述べられた事柄すなわち人間と動物の血は創造者なる神のものであるという事実が変わらないことを明白にされました。神は生命の与え主であり,人間と動物の命を血の中に宿らせ,命を支える主要な役割を血がになうようにされた以上,それは当然です。この理由でイスラエルにおいては犠牲の動物を殺しておきながらそれをエホバにささげなかった人は,殺人をしたのと同様でした。「その人は血を流した者とみなされる。彼は血を流したゆえ,その民のうちから断たれるであろう」。その人は殺されました。(レビ 17:3,4)犠牲の動物の血を祭壇のもとに注ぐことを,祭司がエホバから命ぜられていたのも,その理由にほかなりません。(レビ 4:7,18,25,34; 8:15; 9:9)血は生命と同じく神聖であり,そのように扱わなければなりません。
27,28 (イ)イスラエルに対する神の律法において,どんな性質が血に帰せられていましたか。それで生命の血を用いて何を成し得ますか。(ロ)レビ記 17章11節から14節はそのことをどのように示していますか。
27 忠実なノアに与えられた律法および昔のイスラエルに与えられた神の律法の場合,生命の流れのこの神聖な性質は,犠牲としてささげられた動物のみならず,人が食物として狩り得た清い動物にも帰せられていました。いずれの場合にも神聖な生命の血が関係しており,したがってそれは神聖な目的に供することができました。罪の罰は死であり,魂すなわち生命は血にあるゆえに血は罪を償い,罪の罰である死を免れるために用いることができます。この律法の意味を論議する必要はありません。それは明白に次のように述べています。
28 「肉の命は血にあるからである。あなたがたの魂のために祭壇の上で,あがないをするため,わたしはこれをあなたがたに与えた。血は命であるゆえに,あがなうことができるからである。このゆえに,わたしはイスラエルの人々に言った。あなたがたのうち,だれも血を食べてはならない。またあなたがたのうちに宿る寄留者も血を食べてはならない。イスラエルの人々のうち,またあなたがたのうちに宿る寄留者のうち,だれでも,食べてもよい獣あるいは鳥を狩り獲た者は,その血を注ぎ出し,土でこれをおおわなければならない。すべて肉の命は,その血と一つだからである。それで,わたしはイスラエルの人々に言った。あなたがたは,どんな肉の血も食べてはならない。すべて肉の命はその血だからである。すべて血を食べる者は断たれるであろう」― レビ 17:11-14。申命記 12:16,23-27とくらべてください。
29 (イ)神は人体内の命の流れをどんなすばらしいことに使われますか。(ロ)神の道と異なることに血を用いるのは,結局どんな使い方であると言えますか。なぜこれは医学上の血の使用にもあてはまりますか。
29 心臓からからだ中に送り出されている赤い流れに含まれる生命の価値のゆえに,エホバ神は人類の世を救って永遠の生命を得させるため,比類のない方法で血を使うことができます。ゆえにこれは全人類の永遠の生命に関する問題です。それには非常に重大な意味があるため,模型的なイスラエルの国において,血を食物として食べた人は死刑にされるか,あるいは特別な清めの手続きをとることが必要でした。(レビ 17:15,16; 7:26,27)この貴重な生命の流れを神の道とは別のことに使うのは誤用であり,用い方をあやまっています。この原則は古代エジプトから現代に至るまでの医学上の血の使用にもあてはまります。なぜですか。医師は,神の定めにしたがって人類の血を神にささげるため聖なる祭壇において仕える神の祭司として任命されていないからです。むかし神は血によって人類の世を救うために必要な事柄をすべてとりはからわれました。神はいわゆる科学的に血を用いることを必要としません。医学の名において血が使われていることは神のみこころに反します。
[脚注]
a 英国ロンドン,ウイリアム・テッグス社出版(1850年)のほん訳「コーラン: モハメッドのアルコーラン」中「第2章 牛。一部はメッカ,一部はメジナにおいて啓示されたもの。「いとあわれみ深い神の名において」の見出しの下に20頁18-23行に次の句があります。「真実の信者よ,我らが食物として汝らに授けた良いものを食し,汝ら神に仕える者ならば神に感謝せよ。まことに彼は,みずから死せるもの,血と豚の肉,および神の名以外の名が唱えられたものを食することを禁じられた。しかし欲望によらず,罪にもどるのでもなく,必要に迫られてこれらのものを食する者は罪せられない。神は恵みあり,あわれみ深いからである」。
「唱えられた」ということばの注として次のことが出ています。「この理由で回教徒は食用の動物を殺す時にはいつでもビスミラーすなわち神の名によってと唱える。もしそれを怠ると,彼らはその肉を食べることを違法と考える」。
b ヒポクラテスの誓いの中には次の一節があります。「たとえ求められても私は致命的な薬を決して与えません。また致命的な結果に導くような助言を与えません」。
また別の一節には次のように述べられています。「私はいかなる時にも堕胎の目的でいかなる薬,器具をも婦人に与えることをしません」。
イマヌエル・ジェイコボビット博士著「ユダヤ人の医学倫理」(1959年)(1967年第3版)124,172,208-210頁を見てください。
c 最古のギリシャ語写本は使徒行伝 17章26節に「血」ということばを欠いており,したがってたいていの現代訳においてその数は446回になります。
d ものみの塔協会が1966年に出版した本「神の自由の子となってうける永遠の生命」(英文)333-335頁をごらんください。