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リッキー・ティッキー・タビとの生活目ざめよ! 1970 | 4月8日
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リッキー・ティッキー・タビとの生活
リベリアの「目ざめよ!」通信員
勇敢なマングース,リッキー・ティッキー・タビに関するキプリングの物語をお読みになったことがあるでしょう。インドコブラと出会ったキプリングのリッキーは,コブラがしきりに攻めかかるのを巧みにかわしますが,機を見てすばやく飛びかかり,疲れたコブラの首にあごをかけるのです。このように毒ヘビを殺すほどの獣を,愛がん動物とすることができるでしょうか。わたしの主人は,やってみようと言って,ある日,1匹の小さなマングースを腕にだいて帰ってきました。
わたしたちはこの新しいペットに,キプリングの物語中の英雄にちなむ名前をつけました。わたしたちの“リッキー”はアフリカ産のマングースの子供で,鼻先から尾の先までは35センチほどでした。インドにいる体長1メートルのマングースに比べれば,これはかなり小型です。リッキーの顔は長く突き出ており,耳は小さくて丸く,ふさふさした尾の長さはからだの長さとほぼ同じでした。荒い灰色の毛でおおわれた細いからだを,短い足がささえています。なつくかですって? わたしはややためらいながら,リッキーを抱きかかえてみました。リッキーは幼子のごとくにそれを喜んだのです。
リッキーは一見してげっ歯類動物のようでしたが,その愛きょうのあるしぐさには特徴がありました。毎晩,主人が帰宅すると,リッキーはからだを伸ばし,長くつ下をはいた主人の足に自分のからだをしきりにすり寄せました。また,玄関の敷き物の上でするように,わたしたちが自分の足をリッキーの背中にこすりつけてやると,リッキーはそれを喜びました。リッキーは飛び上がってわたしたちの洋服のポケットにとがった鼻先を突っ込み,中にあるペン・鉛筆・カギなどを引き出し,それをくわえて走り去ることもありました。すばやいマングースのリッキーが自分の獲物をどこかに隠してしまう場合,あとからそれを捜すのは容易ではありませんでした。
リッキーは穴にもぐるのが好きでした。ある時,リッキーは訪問客のひざに飛び乗ったかと思うと,客のセーターの中にもぐり込み,肩まではい上がって背中に抜けて,最後には,驚く客のえり首から出てきました。わたしたちのこの新しいペットは,絶えずわたしたちの関心を求め,一方わたしたちはリッキーのために次に何をしてやろうかといつも考えるようになりました。
わたしたちの家に来てまもなく,リッキーは台所にある食器棚の引き出しの一つを占領しました。普通の愛がん動物と異なり,リッキーは夜行性ではありませんでした。リッキーが自分の寝場所にもぐり込むのは晩の7時ごろでした。そして,だれもその引き出しを動かさなければ,家族が活動を始める朝の6時ごろまで寝ていました。そしていかにもものうげに手足を伸ばしてあくびをし,朝の茶をすすってから,また寝床にもどるのです。
しかしひとたび目がさめると,リッキーの一日は活動に満ちたものでした。すべての物を調べ,動く物は追いかけ,庭の土を掘りかえし,よそから来る人にうなり声を立てるのです。いろいろな物を,リッキーの手に届かぬ高い所に置くべきことを学んだのは,何度かつらい経験をしてからでした。特にリッキーは焼き上がったケーキのまん中をほじり返し,追われて冷蔵庫の裏に隠れる前に,砂糖とミルクをひっくり返したのです。しかし,しばらくして,いつものあいきょうのある顔を再びのぞかせた時,わたしは怒りを忘れざるを得ませんでした。
リッキーが普通に声を出す時には,「リッキー・ティク,リッキー・ティク」と聞こえ,その間に低いのど笛の音がまじります。しかし,いったん怒ったり,感情を高ぶらせたりすると,いきり立ったネコのようなうなり声を上げ,つばを叱きかけたりもしました。窮地に陥って泣き声を上げることも珍しくありませんでした。ある時,ケーキを焼いていたわたしのところに鼻を突っ込んだリッキーは,誤って粉の箱の中に落ちました。全身粉だらけになり,怒り狂いながら出てきたリッキーの姿が,大笑いを呼んだことは言うまでもありません。
リッキーは利口でかわいいペットとなりました。まだ子どもであったため,それほどの動物臭はありませんでした。そうしたにおいは動物が年を取るにつれて強くなります。リッキーは家族の一員として扱われることを喜んでいました。わたしたちが,リッキーを主として屋外で生活させることに決め,リッキーのために小屋を作った時,リッキーはこれをひどく嫌いました。それはリッキーの自負心をそこなうものだったのでしょう。
マングースの食欲について言うなら,飽くことを知らないということばで表現するのが適切でしょう。わたしたちの家でリッキーが食べた物としては,生または料理した肉,あらゆる野菜類,ケーキ・卵・果物などがあり,じゃがいもやきゅうりの皮も食べました。加えて,食欲のさかんなマングースは,トカゲ・カエル・バッタその他の昆虫類を決してのがさないのです。
本によると,マングースは小鳥・カニ・クモ・ネズミ・小さなヘビなども食べるとのことです。また,マングースが鳥の卵や貝のからを割る様子はおもしろいものです。マングースは割ろうとする物を前足ではさみ,ラグビー選手がするかのように,またの間を通して後ろの石にぶつけるのです。
家の番になるか
危険なヘビが家の中にはいって来る場合,リッキーがそれを殺し,あるいは少なくとも撃退してくれることを期待できました。そのような出会いがあれば,結果はどうであろうかと何度も考えました。リッキーはよく,侵入して来るネコや犬を追い払いましたが,ヘビと出会ったことは一度もありませんでした。マングースとヘビとの関係について調べた結果,幾つか興味深い事柄がわかりました。
キプリングのリッキーが打ち負かしたインドコブラは,ヘビの仲間としてはのろまなほうである,と専門家は見ています。ニューヨーク動物協会のは虫類部主事ジェームズ・A・オリバーによると,インドコブラが高い位置から下方に向かって行なう攻撃の速さは,北米のガラガラヘビ,西インド諸島の三角頭の毒ヘビなどに比べれば,ほんの6分の1にすぎません。また,コブラの毒牙はやや使いにくい場所にあるのに比べ,あとにあげたヘビ類の場合では,敵に向かって首を勢いよくぶつけるとき,その毒牙がまっすぐ突き刺さる所に位置しています。こうした理由のゆえに,マングースは毒ヘビの多くに対しては勝つことができないと思われるのです。
ある見せ物試合でマングースと大コブラは50分にわたって懸命に戦い,双方とも力つきて引き分けになりました。そしてトリニダード島では,マングースの繁殖を押えるためにボアが利用されています。それですべての事柄を考慮するとき,マングースがどんなヘビでも退治すると考えるのは誤りでしょう。
もとより,おなかをすかせたマングースは小さなヘビまた動きののろいヘビをのがさないでしょう。毒ヘビを殺したのち,その頭をまずのみ込むのです。マングースは毒ヘビにかまれればその毒の影響を大いに受けますが,ヘビの毒牙を口からのみ込む場合には影響を受けません。わたしは,マングースが,砂糖きび畑を荒らすねずみを退治するため,1872年,カリブ海のジャマイカ島に輸入されたことについても学びました。またのちにはハワイにも連れてこられ,ハワイ諸島で最も普通のほ乳類動物になったとのことです。そして野ネズミの数はかなり減ってはいても,決して根絶されてはいません。他方,マングースが山野を荒らしたことは,ある種の鳥類の絶滅という結果になりました。それで,野生動物,とくに鳥類に危険な存在とみなされ,マングースはアメリカ本土への上陸を厳禁されています。
やがて,リッキーの運命を決める日が来ました。リッキーはどんどん成長し,おとなのマングースを飼育してゆくにはいろいろ問題があったからです。それで淋しく思いながらもリッキーをよそにやり,その穴埋めに,より普通の愛がん動物を飼うことにしました。しかし,マングースのリッキーほどに,いつもその存在を意識させるものはありません。あいきょうのあるペットとして,リッキーはわたしたちの期待を上わまわるものでした。
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北西航路 ― 新航路となるか,それとも,幻想に終わるか目ざめよ! 1970 | 4月8日
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北西航路 ― 新航路となるか,それとも,幻想に終わるか
カナダの「目ざめよ!」通信員
近年アラスカ北岸に膨大な石油の埋蔵が知られるようになってから,年来の課題が再び表面に出てきました。つまり,北米大陸北岸に新航路を開き,太平・大西両洋間の距離を幾千キロも縮めることができるでしょうか。この北西新航路の開設は決して容易ではありません。
なぜなら,カナダとアラスカの北に横たわる北極海が,厚さ数メートルの水盤や巨大な浮氷群にほとんど完全におおわれているからです。かろうじて夏の間,大陸北辺にそって多少の開氷面ができるにすぎません。しかし,比較的に条件の良い夏においてさえ,この航路の多くの部分は,北西部の万年浮氷群から流れ込む流氷のため,幾重にも閉ざされるのです。そのため,大型の商船がこの北西航路を完全に通り抜けたことはかつてありませんでした。
それゆえ,1969年9月,アメリカのタンカー,マンハッタン号が,幾百キロも続く氷の海をかき分け,ついに北西航路を通り抜けたことは,意味のあるできごとでした。しかしそれはやさしいことではなかったのです。マンハッタン号は少なくとも6回氷に閉ざされ,同行したカナダ船の救援を受けねばなりませ
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