-
エチオピアの教会を見るものみの塔 1978 | 6月1日
-
-
人の間でマリア崇拝がいかに重要視されているかを示すものでしょう。各月の7日は三位一体の神の祝日であり,12日は天使長ミカエルにささげられた日,また29日はキリストの誕生を祝う日とされています。水曜日と金曜日はいずれも断食の日です。すべてを合計すると,エチオピアでは,1年の少なくとも293日が祝日か断食の日となります。そのうちの180日は,守ることが義務付けられています。
巡礼もエチオピア教会では重要な役割を果たしています。その中で最も人気があるのは,12月の末ごろ行なわれるエチオピア東部のクルビ村への巡礼でしょう。これは,“聖ガブリエル”をたたえる祭りです。祭りの時には,10万人を超えると推定される巡礼がこの寒村の周辺に押し寄せます。
前に触れたように,古代イスラエル人の崇拝はエチオピア教会の教義にある程度影響を及ぼしました。その中には,安息日の遵守,割礼,清い肉と汚れた肉の区別などがあります。教会堂の構造にもユダヤ人社会の影響が認められます。
エチオピアの伝統的な教会はいずれも,エルサレムにあったソロモンの神殿にある程度合わせて造られており,仕切りが設けられています。いちばん外側には,主に詩や聖歌を歌う人々が立ちます。その次の部屋はケデスト(“聖所”)と呼ばれ,ここで聖餐式が行なわれます。“至聖所”と呼ばれる内奥の部屋には,ソロモンの神殿に置かれていた契約の箱の複製品タボトが収められています。行列の際,このタボトは,人々が歌ったり,踊ったり,ばちを打ち鳴らして祈ったり,他の楽器を奏でたりする中を空中高く掲げられて進みます。この光景は,本物の契約の箱がエルサレムに運び込まれた際ダビデ王が喜びのあまりに踊ったときのことを連想させる,と目撃者たちは語っています。―サムエル後 6:11-16と比べてください。
もちろん,こうした教義や慣行の中には聖書と無縁のものが少なくありません。中には,聖書に付け加えられた外典や,“主領の書”“キリスト受難の祈り”“楽園の書”といった題の他の20数冊の書物に由来するものもあります。これらの書物は聖書のある部分より重要であると主張するエチオピア人もいます。
エチオピア教会を特色づける別のものに,魔術と迷信があります。キリスト教とは関係のない数多くの魔術の祈りが“聖母マリア”や“聖人”と結び付けられています。“悪魔の目”は今だにひどく恐れられています。魔術を行なったり,魔法をかけたりする司祭は少なくありません。そうした魔術や魔法には非常に強力なものもあるとのことです。
幾つかの地域では,現在でもへびの崇拝が行なわれています。そうした土地の人々は,“聖人”が聖堂の守護者としてへびを遣わしたと信じています。ある地方では今だに,へびに犠牲をささげている人々がいます。その際に,司祭によって歌や祈りがささげられる場合もあります。
教会と国家の連合がもたらした結果
エザナ王の時に始まった教会と国家の結び付きは時とともに段々強くなっていき,やがて,これが原因で流血の争いが引き起こされるようになりました。西暦6世紀のこと,当時の王カレブは,アレクサンドリア総大司教の求めに応じてイエメンに進行し,苦しめられていたキリスト教徒の復しゅうを果たしました。その後の幾百年もの間に,エチオピアの正統派のキリスト教は火と剣とによって広まっていきました。ザラ・ヤコブ王によって引き起こされた他宗教の弾圧は,ローマ・カトリックの“異端審問”をはるかに上回る激しさであったと言われています。
エチオピア教会は,19世紀に至るまでその権力を増大させてきました。皇帝は同教会に所属し,その信仰の擁護者となることを誓うよう定めた法律が実施されました。同教会の信仰を愚ろうすることを禁じる条項が刑法の一部に組み込まれました。他の宗教による改宗運動は,同教会で定めた“開放区”でのみ行なうことができました。
変化のあらし
16世紀にわたってその生活を厳しく縛られてきたエチオピアの人々は,その生み出した実を評価し始めたようです。人々はどう考えていますか。
最近明らかにされた推定によると,成人の男子の中で読み書きのできる人は全体のわずか10%ほどにすぎません。教会当局や一握りの有力教会員が私腹を肥やしている一方で,エチオピア国民の大半は貧困にあえいでいます。エチオピアを襲った最近の干ばつとききんの際,蓄財を浪費し,必要な助力を拒んだとして,同教会は特に若い世代から厳しく糾弾されました。そのため,同教会は,以前にも増して急速にその支持者を失うようになりました。
その結果,多数の修道僧や司祭は教会を捨て,逃れ場所を故郷の村に求めています。特に若い人々は,自分たちの人生の指針を教会以外の所に求めるようになりました。若年層の人々が大挙して教会から離れていくのを食い止めようとする教会当局の努力にもかかわらず,現在,人々の耳を捕らえているのは無神論的な教えです。
エチオピアの教会の歴史を簡単に振り返って分かったように,これは,東方正教会の慣行にアニミズムやへびの崇拝,ユダヤ人の宗教などを取り入れた独特の宗教です。
こうした状況の中で,エチオピアのエホバの証人は喜びのうちに聖書の真理を隣人に伝えています。エホバの証人たちはこの国において個々の人との聖書研究を多数司会し非常に忙しく働いています。こうして,多くのエチオピア人は,「霊と真理をもって父を崇拝する」方法を知り喜んでいます。(ヨハネ 4:23)もはや彼らは,形式的な崇拝行為にあずかることはありません。彼らは,イエスの語られた次の言葉の真実さを自ら経験したのです。「わたしのことばのうちにとどまっているなら,あなたがたはほんとうにわたしの弟子であり,また,真理を知り,真理はあなたがたを自由にするでしょう」― ヨハネ 8:31,32。
-
-
真の自由が見いだされるところものみの塔 1978 | 6月1日
-
-
真の自由が見いだされるところ
● 多くの人にとって真の自由とは,自分の思い通りに物事を行なえることを意味しています。ニュージーランドの一人の若者もそのように考えていました。しかし時たつうちに,その若者は自分が本当の意味で自由でないことに気付くようになりました。その若者は次のように語っています。
「私は自分で物事を自由に行ないたいと思っていました。15歳のとき家を出,オークランドの親類と同居するようになりました。そこで私はパーティーへ出掛けたり,ホテルで酒を飲んだりしては,本当に生きているのだと感じていました。やがて,かたくなな態度を取るようになり,警察を敵とみなすまでになりました。その後,いわゆる友人と思っていた人々の勧めで,麻薬を使用するようになりました。それ以来,麻薬にひたっていなければ,酒に酔っているという状態が自分の時間の大半を占めるようになりました。ある晩,私はパーティーで,エホバの証人と聖書を学び始めたばかりの少女に出会いました。彼女の言葉によって聖書に対する関心を再び呼び起こされた私は,正気に戻るよう助けられました。
「パーティーのすぐ翌日,私は彼女の聖書研究に参加するように取り決め,それ以来進歩してゆきました。思い返してみるに,私は友人を持ちたいと願っていましたが,間違った場所で求めていたのです。いわゆる“自由”なるものも,この世で知り合った仲間たちも,私にとって楽しいものではありませんでした。真の自由と同様に,真の友人や仲間はエホバの民の間に見いだされます」。
-