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神経衰弱 ― 治療か,それとも予防か目ざめよ! 1974 | 12月8日
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の原因を突きとめるよう,努力することが大切です。過度に神経質であるために神経衰弱になったのでしょうか。災難または外傷のためですか。生活環境が原因ですか。それとも欲求不満,心配,恐れといった感情に原因がありますか。自分ひとりで,またはクリスチャンの奉仕者とか,かかりつけの医師など円熟した友人の助けを得て,ひとつひとつ詳しく調べてみます。原因を認めるだけで十分な場合もあります。
ある地区では,神経衰弱になると精神病医に相談するのが流行しているかもしれませんが,物理療法を行なう医師や,カイロプラクター,昔型の整骨医などにかかって非常によくなった人たちも少なくありません。腕がよく,陽気で,理解のあるマッサージ師にかかるのであれば,マッサージも効果があるでしょう。
もちろん,くつろげないために緊張が原因となっているならば,くつろぐことを学ばなければ回復しません。そのための時間を取って,くつろぐ練習をすることです。堅いベッドか長いすの上に寝て,手と前腕,次いで足,脚,くびの筋肉といった順番に,一度にからだの一部をくつろがせます。また仕事をしている時にも,気分をくつろがせることを考えます。せかせかするよりも,落ち着いた,きまったペースで物事を行なうように努力します。速度を落とすことも学ばねばなりません。いつも走ることをやめ,自分を制して歩くようにします。夜床に着く前にはとくに,くつろぐための時間を取ります。そうすれば寝つきがよく,ぐっすり眠ることができます。旋律の美しい,気持ちの落ち着く,明るい音楽を聞くのも,神経を静めるのに効果があります。もしできれば,週末ごとに短い休暇を取ります。主婦であるならば,午前中をベッドの中で過ごすことを,1,2か月続けてみるのもよいでしょう。回復するまでは,家をりっぱに整えることよりも健康を取りもどすことを第一にします。
またもし何か悪い習慣があってそのために神経衰弱になり,それを治そうとしているのであれば,その習慣を捨てなければなりません。悪い食習慣があれば改めなければなりません。麻薬常用癖があればそれを捨て,アルコール飲料の使用については節度と自制が必要です。
精神,感情そして霊の面の助け
おそらく,物理的な手段を用いるだけでは不十分でしょう。精神や感情,そして霊の面にも注意を払わねばなりません。この点で聖書の原則がいかに役だつかは,確かに注目に価します。たとえば,フィリピ 4章8節には,精神衛生のための良い方法が記されています。この節はわたしたちに,なんであれ真実なこと,愛すべきこと,よく言われること,徳とされること,賞賛すべきことであれば,それらのものを考えつづけなさい,と助言しています。聖書はまた,「心のたのしみは良薬なり」とわたしたちに教えています。―箴 17:22。
あなたは「心配のある人」ですか。ではご自分に尋ねてみてください。わたしが心配している問題は,本当にわたしの問題だろうか。この問題について今自分に何かできるだろうか,と。もしできなければ忘れてしまうことです。きょうの問題だけを考え,あすのことは心配しないことです。この点でも聖書はりっぱな助言を与えています。「何事も思い煩ってはなりません。ただ事ごとに祈りと祈願をなし,感謝をささげつつあなたがたの請願を神に知っていただくようにしなさい。そうすれば,いっさいの考えに勝る神の平和が,あなたがたの心と知力を……守ってくださるのです」。そしてイエスは次のように言われました。「次の日のことを決して思い煩ってはなりません。次の日には次の日の思い煩いがあるのです。一日ごとの悪はその日にとってじゅうぶんです」― フィリピ 4:6,7。マタイ 6:34。
また,相手に調子を合わせるようにするのも効果があります。あなたの奥さまは口やかましいひとですか。ごく如才なくふるまって調子を合わせてください。あるいは相手を変化させることによって事態を調整することを試みることもできます。酒を飲んで暴力をふるう夫を持っている場合についても同じことが言えます。対立を避けることに努めるか,あるいは環境を変えるよう試みてみます。ある知者は言いました。「主よ,わたくしが自分で改めることのできない事がらを受け入れるおおらかさを,わたくしが改めることのできる事がらを改める勇気を,そしてその違いを知る知恵をわたくしにお授けください」。そうです,ことわざにあるとおり,「治らないものはがまんしなければならない」のです。それをがまんする助けになるのは何でしょうか。それは愛です。愛「はすべてのことに耐え」ると聖書は述べています。―コリント第一 13:4-8。
また,重要な事がらとそうでない事がらとを区別することも学ばねばなりません。『あなたにかんする限り,すべての人と仲良くする』ことによって,不必要に問題を起こさないようにしなければなりません。(ローマ 12:18)また,不品行とか,発作的に腹を立てるといった「肉の業」も避けなければなりません。―ガラテア 5:19-21。
治療よりも予防
「わずかの予防は万全の治療にまさる」とは,この場合にも当てはまることわざです。いうまでもなく,神経衰弱を治すのに役だつ事がらのほとんどは,もし実行されていたなら,神経衰弱を未然に防いでいたことでしょう。したがって,神経の健康を保つために人が学び得る最も重要な教訓は,協力の教訓であると言われています。『自分にして欲しいと思うとおりに,人にもしなさい』という戒めを守れば,たしかに協力することはできます。―ルカ 6:31。
神経衰弱の予防に大いに役立つもう一つのことは,満足することです。これは聖書が繰り返しわたしたちに勧めている資質です。貪欲に金を愛し,富むことを熱望しないようにという聖書の警告もたいへんよい助けになります。なぜならそのようなことをすれば,霊的な面で損失をこうむるだけでなく,神経衰弱を含め,「多くの苦痛で自分の全身を」刺す結果になりかねないからです。―テモテ第一 6:6-10。
実際に則した知恵も,神経衰弱の予防にたいへん役にたちますが,利他的な愛はもっと役にたちます。『愛は人を築き上げる』という聖書の原則は,霊的な面のみならず,精神,肉体,感情等あらゆる面に当てはまります。(コリント第一 8:1)すでに述べたとおり,「肉の業」が神経衰弱を起こすことがある以上,その正反対のもの,すなわち霊の実を培うことも,神経衰弱の予防に役立つことになります。その実とは何でしょうか。「愛,喜び,平和,辛抱強さ,親切,善良,信仰,柔和,自制」です。聖書の原則を自分の生活に当てはめることが,神経衰弱の治療と予防に何にもまして役だつことは,疑問の余地のないところです。―ガラテア 5:22,23。
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スコットランド教会と聖書目ざめよ! 1974 | 12月8日
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スコットランド教会と聖書
● スコットランド教会は,聖書の真実性を否定しようとする僧職者を容認し続けるでしょうか。ファイフにあるストラスキネス教会のアレステヤー・ベネットは,次のように述べています。「スコットランド教会は,古代以来の信経に対する強制的な服従から自らを解放した。……次の大胆な一歩は,聖書にあるすべての事がらへの強制的な服従からスコットランド教会を解放することである。……幼稚で時代おくれな信条や慣習は,聖書の中でたまに,もしくは目だたない程度に出て来るのではない。その全体に出ているのである」。
しかし,スコットランド教会が承認している「新英語聖書」は,この点について何と述べているでしょうか。「人々は昔から預言してきたが,それは人間の気まぐれによるのではない。それらは聖霊に動かされた人々であり,神のことばを語ったのである」(ペテロ第二 1:21)この件に関して同教会が処置を取るか否かは,この問題について同教会がどんな立場に立っているかを示すものとなります。
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