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バビロン的宗教は暴力を生み,また国を滅ぼすものみの塔 1965 | 2月1日
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のを常とした。そしてこの儀式に関連して,この崇拝を悪名の高いものにしたわいせつな行事が発達したのである。そのためにコンスタンチン大帝はこれを抑圧した。―国際スタンダード聖書百科,1955年版第5巻2908頁a。
アメリカナ百科事典によれば,ダムズにはどんな意味がありますか。
アメリカナ百科事典(1929年版第26巻238頁)によれば,スメリア語のダムズは「生命の太陽」を意味しています。しかしヒスロップ著「二つのバビロン」の245頁に次のことが出ています。
(二つの節)「二つのバビロン」は,タンムズに関して何を述べていますか。
ニムロデあるいはオシリスを指して用いられるタンムズの名はアロラスすなわち「火の神」と同じものであり,火をもってきよめる者という意味で彼に与えられたらしい。タンムズは,「完全にする」という意味のタンと,「火」を意味するムズから来ており,「完全にする火」を意味する。ゾロアスター教の経典に見える次の言葉は,この意味および神々の父としてのニムロデの性格を述べたものである。「すべてのものは一つの火から生まれた。父はすべてのものを完全にし,それらを第二の心にひき渡す。すべての国の人々はそれを第一のものと呼ぶ」……人間の魂を完全なものにし,見えない世界に持ち込まれた罪を清める煉獄の火の必要はここから起きている。
更にタンムズについて,ヒスロップは21,22頁に次のことを述べています。
聖書の中で〔エゼキエル 8:14〕彼はタンムズの名で呼ばれている。しかし古典の中では一般にバッカスの名が使われている。バッカスは「悲しまれた者」を意味する。バッカスの名は,普通,放蕩と飲酒以上のものを意味しない。しかし飲乱舞の秘密祭の中心課題は罪と汚れから魂を清めることにあった。この悲しまれた者は,母親の腕に抱かれた幼な子として表わされ,崇められた……
バビロン的な宗教は,ユダヤ人の生活になぜ悪い影響を及ぼしたのですか。
バビロン的偽りの宗教の浸透が神の不興を招き,またユダヤ人の生活を堕落させたことは容易に想像できます。バビロンは混乱の源であり,大洪水後の地における暴虐の発祥地でした。(創世 10:8-12; 11:8,9)その宗教は,悪鬼崇拝,魔術,占いを含めてあらゆる形式の不法と悪をひろめました。それは性を崇め,性の乱行を盛んにしました。a
十字架はニムロデの象徴
(二つの節)十字架の崇拝がバビロンで始まったこと,またそれがどこにひろまったかを説明しなさい。
バビロニア人にとって,真直ぐに立てられた十字架は神聖な象徴物でした。このような十字架は,ヘブライ語のアルファベットにおけると同じく,もともと彼らの用いたTの字(あるいはタウTaw)の形であって,神タンムズすなわちバッカスの頭文字でした。十字架は,いわゆるクリスチャン世紀以前の時代において古くから崇拝されていました。考古学者のゴードン・チャイルドは,この崇拝がバビロンで始まったことを述べています。
「モヘンジョダロで発掘された印章は,3つの顔と角を持った神が,いろいろな動物の間に足を組んで坐り,黙想している様を示している。3つの顔を持ち,獣の主またヨーガ行者の君であるこの神は,明らかにシバの原型である……。いくつかの粘土板は男性の神を示している。女神の子宮からほとばしる河を示したものもある……印章や飾り板に多く見られるまんじと十字架は,早く先史時代のバビロニア,エラムにおいて宗教的ないしは魔術的な象徴物であった。その特色は現代のインドその他になお残っている。b
(二つの節)(イ)「二つのバビロン」にあげられているどんな証拠は,キリスト教国の十字架がバビロンから採り入れられたことを証明していますか。(ロ)(欄外の注)崇拝に十字架を使うことの起源が異教にあることを示すどんな証拠が,更にあげられていますか。
「二つのバビロン」(ヒスロップ)の199,204,205頁には十字架に関して次のことが出ています。
十字架の崇拝は,ローマカトリックの宣教師が渡米するはるか以前のメキシコにおいて行なわれていた。「雨の神」のためと思われる,大きな石の十字架が建てられた。このように広く崇拝され,神聖な象徴とされた十字架は,バッカスすなわちバビロニア人のメシヤの,まぎれもない象徴であった。彼は十字架のついた鉢巻きを何時もしていたからである……バビロニアの神のこの象徴物は,仏教の行なわれるタタール地方(アジア,ヨーロッパにわたるだったん地方)において今も崇められている。それが用いられている方法は,ローマカトリック教会が十字架を用いている事と考え合わせてきわめて興味深い。カーネル・ウィルフォードは,その「アジア探険」の中で次のように述べている。「仏教徒の間で十字架は崇拝の対象ではないが,象徴として好んで用いられている……〔キリスト教国において〕偽りのメシヤ,タンムズの象徴である十字架のしるし,タウ(Tau)は,〔ギリシャ文字X,たとえばクリストスのXに代わって〕用いられた……」c
直接また間接のどんな太陽崇拝が,エホバの宮で行なわれていましたか。
エホバの宮にすわり,バビロニアのバッカス,d タンムズ神のために泣いた背教のユダヤ人の女にとって,十字架は神聖な象徴であったに違いありません。これらの女たちは,実際にはバビロンを建設した強力なかりうどニムロデのために泣いていたのです。ニムロデは人と獣の血を流した罪のゆえに横死したに違いありません。(創世 10:8-10; 9:6)これらユダヤ人の女は,バビロンの女と同じく太陽神を間接に崇拝していましたが,男たちはエルサレムのソロモンの宮で太陽を直接に拝んでいました。預言者エゼキエルはそのことを見ました。―エゼキエル 8:16。
ニムロデ崇拝は暴力を生む
ニムロデ崇拝は,なぜ暴力と堕落の原因になりますか。
ニムロデは大洪水後における暴力の元祖でした。彼は動物をむやみに殺しただけでなく,人を狩り,また人を狩って殺すことを他の者に教えました。それでタンムズあるいはバッカスの神としてニムロデを崇拝することは,当然に人々をニムロデのような行動にかりたてました。人が自分の崇拝する神にならい,よかれ悪しかれ,その神に帰せられている性質にならうのは,普通のことだからです。(ロマ 1:22-28。ヨハネ 8:44。コリント前 11:1。ロマ 12:2。エペソ 4:22-24。ガラテヤ 5:22,23)バビロニア人は,アラルすなわち死者の住む暗い場所と彼らが考えたところで,他の人よりもましな待遇を受けるのは兵士であると信じていたため,ニムロデのような暴力を奨励したことになります。e 今日においてさえ,バッカス神は飲み騒ぎの神となっています。十字架によって表わされたニムロデ崇拝が国中に生み出したものは,暴力とたい廃以外の何ものでもありませんでした。
(イ)バビロン的な宗教は,ユダの国の状態をどのように変えましたか。(ロ)このような偽りの崇拝は,彼らとエホバとの関係にどう影響しましたか。
道徳をたい廃させる汚れたバビロン的な宗教にユダヤ人が陥ったことは,多くのいまわしい病的状態を生み出しました。正義と遵法は消えうせ,殺人が日常茶飯事となりました。(イザヤ 1:15,21。エレミヤ 7:9。申命 28:58-61)エホバの崇拝とエホバの律法を守ろうとした人々は,とくに憎しみと暴力にさらされました。(列王下 24:3,4。エレミヤ 26:8; 32:2,3; 37:15,16; 38:4)神はそれをごらんになり,何らかの処置をされましたか。神はエゼキエルに次のように言われました,「人の子よ,あなたはこれを見たか。ユダの家にとって,彼らがここでしているこれらの憎むべきわざは軽いことであるか。彼らはこの地を暴虐で満たし,さらにわたしを怒らせる。見よ,彼らはその鼻に木の枝を置く。f それゆえ,わたしも憤って事を行う。わたしの目には彼らを惜しみ見ず,またあわれまない。たとい彼らがわたしの耳に大声で呼ばわっても,わたしは彼らの言うことを聞かない」― エゼキエル 8:17,18。
滅亡か平和かを決めるものは崇拝
ついでエゼキエルはどんな刑執行のわざを見ましたか。それは何を前以て示すものでしたか。
エゼキエルの幻の中で,エホバの刑執行者は,太陽を拝んでいた25人の者をまず殺し,壁に刻まれた像を拝んでいた者および十字架のしるしをつけたタンムズの神のために泣いていた女たちを次に殺しました。(エゼキエル 8:17–9:8)これはエルサレムに臨もうとしていたことを,あらかじめ示したものに過ぎません。エルサレムに何が臨んだかについては,この雑誌の後の号にとりあげます。―エレミヤ 25:9,15:18。
(イ)ユダの歴史のこの頁から何を学びますか。(ロ)バビロン的な宗教は現代の諸国家にどんな影響を及ぼしていますか。それはどんな結果になりますか。
ユダの歴史のこの頁は,ユダの災の根本的原因が,バビロン的偽りの宗教にあったことを明白に物語っています。ユダはエホバを神とし,エホバの律法を国の律法とした国であり,神に従順であった時には神の保護を受け,平和と繁栄を楽しみ,道徳的にも物質的にも清い状態でした。ユダの歴史は,世界に見られる悪,不法,暴力の根底にバビロン的な偽りの宗教があることを知る助けになります。偽りの宗教が神の名によって行なった悪は,キリスト教国においてさえ多くの人を神から遠ざけ,共産主義のような無神論のイデオロギーに人々を転向させました。そしてそれは更に暴力を生む結果となっています。今日においても,バビロン的な崇拝が国の中に行なわれているならば,その国はユダと変らず,決して永続しません。
(イ)各人は,諸国家の直面する悪い終わりを避けられますか。(ロ)真の崇拝とバビロン的な偽りの崇拝は,それぞれどんな違う結果をもたらしますか。
しかしイエス・キリストは,国々の中にいる心の正しい人々を力づけることばを述べました。「永遠の命とは,唯一の,まことの神でいますあなたと,また,あなたがつかわされたイエス・キリストとを知ることであります」。(ヨハネ 17:3)エホバ神とみ子を正しく知るとき,また霊と真をもって神を崇拝する人々と交わるとき,混乱したり,煉獄,地獄の火などの迷信的なおそれにとらわれる事はなくなります。それは不法な性の欲求や,他の人の財産また身体に対して暴力をふるいたいという欲求を亢進させません。また諸国家が進んでいる滅びの道に落ち込まないように私たちを守ります。そして私たちを清い者にし,平和と神の恵みをもたらし,正義の新しい秩序の下における生命を保証します。―ヨハネ 4:23,24。
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隣から聞くものみの塔 1965 | 2月1日
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隣から聞く
◆ ブラジル,キュティバ州の一人のエホバの証者は,家から家への伝道をしていましたが,ある戸口では,聖書を読もうとしたところをさえぎられました。家の人は言いました。「どこかよそへ行って,カトリックの方々に伝道して頂けません? 私は20年前に改宗しておりますので,お話をお聞きしなくても結構です」。伝道者は,親切に自分の訪問の目的を説明しようとしましたが,その機会は与えられませんでした。しかし,次の家では温かく迎えられました。家の人は伝道者の話を,むしろ意外なおももちで聞き,喜んで「失楽園から復楽園まで」の本を求めました。次の日曜日,約束どうり,説明のために再び訪ねると,家の婦人は言いました,「私はこの本をお隣の奥さんに見せました。奥さんは非常に喜んで,自分も1冊ほしいと頼んで下さいとのことでした」。証者がたずねると,婦人は,本を受け取ってこう言いました。「なんでも知っていると思った私は,実は,なにも知りませんでした。でも,エホバは,バプテスト派信徒になってから20年の間,私の知らなかった事柄を教えて下さるでしょう」。
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