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  • 『有能で,神を恐れる男子を選び出しなさい』
    ものみの塔 1983 | 12月1日
    • のに適した人」を示唆しています。(マヌエル・グエラ・イ・ゴメス教授著,「エピスコポス・イ・プレスビュテロス」)この見解はまた,パウロがテトスに順を追って説明した,監督として奉仕する資格のあるそれらのクリスチャンに対する要求の中でも強調されています。パウロはこう書きました。

      「つまり,とがめのない人で,一人の妻の夫であり,放とうの責めを受けたり無規律であったりすることのない,信者である子供を持つ人がいるならばです。監督[ギリシャ語,エピスコポン]は,神の家の家令としてとがめのない人で,我意を張らず,すぐに憤らず,酔って騒いだりせず,人を殴らず,不正な利得に貪欲でなく,むしろ,人をよくもてなし,善良さを愛し,健全な思いを持ち,義にかない,忠節で,自制心があり,自分の教えの術に関して信ずべき言葉を堅く守る人でなければならないのです。それは,健全な教えによって説き勧めることも,また,言い逆らう者を戒めることもできるためです」。(テトス 1:5-9)

      こうした要求を注意深く吟味してみると,クリスチャン会衆内の「年長者」が行ないと霊性の,高い基準に達していなければならないことを認識するのに役立ちます。

      16 西暦1世紀当時,長老たちが同時に監督たちでもあったことは,どうして分かりますか。

      16 パウロがギリシャ語のプレスビュテロスおよびエピスコポスという用語,つまり「年長者」および「監督」という語を使っているその仕方に注目するのも興味深いことです。このことから,資格のある年長者たちが会衆内で監督の務めを果たしていたということを推論できます。他の聖句は,同じ会衆の中にそのような年長者の監督が幾人かいることもあり得たという点を示しています。―使徒 14:23; 20:28。フィリピ 1:1。

      17 (イ)監督に対するどんな要求についてパウロはテモテに書き送りましたか。(ロ)長老が宣べ伝える業においても活発でなければならないのはなぜですか。

      17 テモテに書き送った手紙の中でも,パウロは監督に対する要求を列挙していますが,わずかながら異なった用語を用いています。これは異なった状況を考慮に入れたものと思われます。(テモテ第一 3:1-7)初期のクリスチャン会衆は本来,福音を宣明する組織だったので,それらの年長者もやはり良いたよりをふれ告げるのに熱心であるということは当然のこととみなされていました。無精な態度の入り込む余地はありませんでした。―ルカ 24:46-48。コリント第一 9:16。マタイ 25:24-27と比較してください。

      背教が入り込む

      18 背教は監督の立場にどんな影響を及ぼしましたか。

      18 2世紀そして3世紀へと時がたつにつれて,会衆の事態は変わってゆきました。予告されていた背教が根を下ろしたのです。(使徒 20:29,30。ペテロ第二 2:1)まさしく会衆内の長老たちの中から野心的な者たちが現われました。それらの者は堕落した動機を抱いて,自分たちの監督の職を権力と威信を伴う地位とみなすようになりました。会衆の監督たちの中には,司教区つまり複数の教会から成るグループを治める“司教”にさえなった者もいました。やがて,それらの司教たちは平信徒により投票で職務に就けられるようになり,そのような平信徒の中には有力な支配者たちもいました。ですから,カトリックのある歴史家はこう書いています。「これは非常に大きな危険をもたらした。監督の職の威信が高まり,これらの地位にかなりの収入や物質上の利益が伴うようになった時からは特にそうであった。……[こうして]最も有力な司教の職に政治的な人をつけることになった」。

      19 背教は結局,どんな結果をもたらしましたか。

      19 そうです,各司教は権力のある君主のように高められました。次いでこれが,既に真のキリスト教の教えに従わなくなって久しいキリスト教世界の分裂と不和を助長しました。有能で,正直で,霊的な思いを持つ長老である監督に関する神権的な取り決めは,僧職者の位階制へと堕落しました。会衆に対する自発的な奉仕は,神学や哲学や教会法の面での幾年もの高等教育を要する有給の専門職に一変しました。

      20 ここで,どんな質問に対する答えが必要ですか。

      20 これは,各会衆のためのその本来の神権的な取り決めを伴う真のキリスト教が決して回復されることはないという意味ですか。あるいは,「年長者たち」つまり「監督たち」の行なう健全で誠実な奉仕は永久に失われてしまったということでしょうか。また,神権的な組織の向上を指摘するイザヤの預言についてはどうでしょうか。それはこう述べています。「わたしは銅の代わりに金を携え入れ,鉄の代わりに銀を,木の代わりに銅を,石の代わりに鉄を携え入れる。わたしは平和をあなたの監督たちとして任命し,義をあなたに労働を割り当てる者たちとして任命する」。(イザヤ 60:17)次の記事はこうした肝要な質問に答えるものとなるでしょう。

  • 『あなた方の間で指導の任にあたっている人々を覚えていなさい』
    ものみの塔 1983 | 12月1日
    • 『あなた方の間で指導の任にあたっている人々を覚えていなさい』

      「あなた方の間で指導の任に当たっている人々,あなた方に神の言葉を語った人々のことを覚えていなさい。そして,その行ないがどのような結果になるかをよく見て,その信仰に倣いなさい」― ヘブライ 13:7。

      1 19世紀の終わりに,真の崇拝に関してどんな変化が生じましたか。しかし,クリスチャンの長老たちはどのようにして選ばれていましたか。

      19世紀の最後の25年間に,真の崇拝は米国ペンシルバニア州ピッツバーグ市でチャールズ・テイズ・ラッセルと交わる,献身した聖書研究者たちの小さなグループによって回復されるようになりました。これらの聖書研究者たちはまず,バビロン的な伝統や哲学による汚染から清められた,真の聖書の教理を回復しようと努めました。しかし,会衆の組織の分野では当初の回復の進み具合はゆっくりとしたものでした。聖書研究者たちの間には長老や執事(奉仕の僕)がいたものの,ある面では偽りの宗教の考えが依然として幅を利かせていました。ですから,20世紀に入ってからでも,長老たちは,挙手によって示される民主的な票決の手順を経て会衆により選ばれていました。

      2 それでも,エホバの民の中の長老たちに対してどんな高い基準が定められましたか。

      2 そうではあっても,高い基準にかなうことが求められました。1909年11月1日号の「ものみの塔」誌(英文)は,325ページで次のように述べ

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