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読者からの質問ものみの塔 1976 | 6月1日
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許されない罪が,ヨハネの指摘した「死をきたすような罪」であることは明白です。―ヨハネ第一 5:16。
もし,油そそがれたクリスチャンが悔い改めることなく故意に罪をならわしにして霊に対する罪を犯し,『神の子をあらためて杭につける』なら,神はその者を完全かつ永遠に捨てられるでしょう。(ヘブライ 6:4-6)悔い改めないのですから,復帰することもありません。そうした事態が生じるなら,エホバは,14万4,000人の数を満たすため,その者の代わりにもう一人別のクリスチャンを選んで油をそそがねばなりません。それは,不忠実になったユダ・イスカリオテの代わりに天がマッテヤを選び,クリスチャン会衆を築く基となる,イエスの12人の忠実な使徒を備えたことと比較できます。―使徒 1:23-26。エフェソス 2:20。
これは,油そそがれたクリスチャンが排斥された場合,エホバが直ちにそれに代わる人をお選びになるという意味ですか。そう言える人は一人もいません。排斥された人が許されない罪を犯したかどうか,わたしたちには分からないからです。エホバはそれを知っておられるので,この問題はエホバのみ手のうちにゆだねることができます。代わりの人を選ぶ時と方法を決めるのはエホバです。神は,聖書の中で,この点についての詳細な情報を明らかにしてはおられません。ですから,神がどのような行動を取られるのだろうかとせんさくしたり,排斥された人がもはや悔い改める可能性がないのだろうかと推測しようとしたりするのではなく,問題を義なる裁き主であられるエホバにゆだねることができます。―ヘブライ 12:23。
会衆がだれかを排斥しなければならなかったものの,後日その人が悔い改めて復帰するなら,わたしたちは,エホバが憐れみ深くその人を許してくださったことを喜べます。(ルカ 15:7)排斥される以前に天的希望を抱いていることを表明していて,現在もそうした希望を抱いている人の場合でも,以前に地上で永遠の命を受ける希望を抱いていて,現在もそうした希望を抱いている人の場合でも,それは同じです。わたしたちすべては,このことから学べる教訓を心に銘記しておくべきです。つまり,不完全さや罪の傾向と絶えず戦う必要性,罪を犯した際に許しを求めることの重要性,そして救われるために終わりまで耐え忍ぶことの必要性を心に銘記すべきです。―マタイ 10:22。
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テレビが子守りの役を果たしていますかものみの塔 1976 | 6月1日
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テレビが子守りの役を果たしていますか
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