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    ものみの塔 1979 | 10月15日
    • 「聖霊による喜び」

      11 新しいクリスチャン会衆は迫害に対してどのように反応しましたか。

      11 場面は変わって西暦33年のペンテコステ以降となります。「良いたより」をふれ告げる責任はそっくり,新しく形成されたクリスチャン会衆の肩にかかっていました。クリスチャン会衆はたちまち迫害に見舞われます。しかしその迫害は,エホバの主権を擁護しキリストによる王国を宣べ伝える,というクリスチャン会衆の使命に対する認識を一層深めさせたにすぎませんでした。ペテロとヨハネは,「わたしたちとしては,自分の見聞きした事がらについて話すのをやめるわけにはいきません」と,大胆に宣言しました。彼らは他の信者たちと共にエホバをたたえ,「主権者なる主……天と地と海とその中のすべてのものを作られたかた」としてエホバに祈願しました。―使徒 4:18-24。

      12 使徒たちは迫害に直面してどんな模範的な立場を取りましたか。結果はどうなりましたか。

      12 迫害の波が再度彼らを襲ったとき,宗教的最高議会の前で,彼らは次のように大胆に証言しました。

      「わたしたちは,自分たちの支配者として人間より神に従わねばなりません。わたしたちの父祖の神はイエスをよみがえらせました。あなたがたが杭に掛けて殺したかたをです。神はこのかたを主要な代理者また救い主としてご自分の右に高めました。それは,イスラエルに悔い改めを,また罪のゆるしを与えるためです。そして,わたしたちはこれらの事の証人であり,聖霊もまたそうです。神はそれを,支配者としてのご自分に従う者たちにお与えになりました」。(使徒 5:29-32)

      主権者なる主エホバおよびその主要な代理者イエス・キリストを支持する点で不屈の態度を維持する限り,使徒たちは彼らの伝道と教える業を助ける聖霊を有していました。

      13 クリスチャンはどのようにして今日に至るまで「聖霊による喜び」を保っていますか。

      13 その危機の間は,食物や他のささいな事柄で争っている時間などありませんでした。隊伍を固めて,外敵に対し共同戦線を張らねばなりませんでした。それを行なった彼らは,使徒パウロが後ほど書いた事柄,すなわち「神の王国は……義と平和と聖霊による喜びとを意味している」ということを経験しました。(ローマ 14:17)エホバの主権と王国を大胆にふれ告げ,一方で正しい原則を兄弟たちと力を合わせて擁護するクリスチャンたちは,今日に至るまで聖霊の助けとその業における喜びを約束されています。―マタイ 25:21と比較してください。

      『たゆみなく続ける』

      14 「語るのをやめるように」と命じられましたが,弟子たちは神から与えられた使命をどのように続行しましたか。

      14 「良いたより」は燎原の火のように広がっていました。使徒たちの喜びと熱意をくじくものは何もありませんでした。「彼らをほっておきなさい」という律法学者ガマリエルの賢明な忠告がいれられたとき,彼らは「[キリストの]名のために辱しめられるに足る者とされたことを喜びつつ,サンヘドリンの前から出て行った」のです。「イエスの名によって語るのをやめるように」というサンヘドリンの命令に彼らはどう反応したでしょうか。記録によると,「彼らは毎日神殿で,また家から家へとたゆみなく教え,キリスト,イエスについての良いたよりを宣明しつづけ」ました。―使徒 5:38-42。

      15 わたしたちの仕事のいくつかの面は異なっているかもしれませんが,使徒たちの残した手本に従ってどんな基本的な活動を続けることができますか。

      15 わたしたちもその使徒たちと同じく,自由のあるところでは「良いたより」を受けるにふさわしい人々を「家から家へと」探して歩きます。そういう人が見つかると,重ねて訪問し,無料の家庭聖書研究を通して援助します。もちろん,わたしたちが今日行なっている業のある面は異なっています。それは神殿や会堂に行って伝道しないという点です。また今は,助けになる印刷物や,業を容易にする自動車その他の交通手段があります。したがって家庭訪問は,音信が印刷されているものを配布し,「良いたより」に反応する人々のところへまた行って神の言葉を教えるのに非常によい方法です。

      『差し控えたりしない』

      16 (イ)パウロはどんな所で証しをし教えましたか。(ロ)わたしたちが今日行なっている家から家に証言する活動と同様の家庭訪問をパウロが行なったことは,どんなことからわかりますか。

      16 使徒パウロは公の伝道においても立派な模範を示しました。会堂で,市場で,川の土手で ― ユダヤ人や他の人たちがいて話ができるならどこでも ― パウロは証しをしました。エフェソスでは学校の講堂で二年間,新しい「弟子たち」に毎日話をしました。(使徒 16:13; 18:4; 19:9)そして後日彼は,エフェソスの会衆の長老になった人々にこう言いました。「アジア地区に足を踏み入れた最初の日から……なんでも益になることをあなたがたに話し,また公にも家から家にもあなたがたを教えることを差し控えたりはしませんでした。むしろ……徹底的に証しをしたのです」。だれに対して? 最後に長老になった人たちだけにですか。そうではありません。パウロはさらに,「神に対する悔い改めとわたしたちの主イエスへの信仰について,ユダヤ人にもギリシャ人にも徹底的に」証しをしたと述べています。ですから,悔い改めや信仰などの初歩の教えを知る必要のあった新しい人々も,パウロがエフェソスに来て最初の日から始めた『公の,また家から家の』宣教奉仕で教えた人々の中に含まれていました。―使徒 20:18-21; 18:19; 19:1-7。ヘブライ 6:1と比較してください。

      17 (イ)いろいろな聖書の翻訳が,ギリシャ語のカト オイクースを「家から家に」と訳出していますが,そのように訳した根拠はどこにありますか。(ロ)パウロの言う『徹底的な証し』は,クリスチャンの行なう証しにどんなことが含まれることを示していますか。

      17 この「家から家に」という句はギリシャ語,カト オイクースの訳です。他にも訳し方はありますが,多くの有名な翻訳聖書にこの表現,すなわち「家から家に」が用いられています。b それはギリシャ語の前置詞カタに「配分」の意味があるからです。(ルカ 8:1 ―「都市から都市」,「村から村」,また使徒 15:21 ―「どの都市にも」― に見られるカタの同様の用法と比較してください。)したがって,パウロの『徹底的な証し』が家々に次々と配分された,と言えるかもしれません。聖書学者のA・T・ロバートソン博士は,使徒 20章20節に関して次のような意見を述べています。

      「家々(に従い)で。この最も偉大な伝道師が家から家に伝道し,それを単なる社交的な訪問に終わらせなかったということは,注目に値する」。

      パウロが「徹底的に証しをした」ように,クリスチャンは今日も,霊的なものを求める傾向のある人々を探し,その人々の家を重ねて訪問し,関心を持つ人々と一緒に勉強します。その後,必要があれば,忠実な監督たちが訪問してその人々を導きます。c

      18 パウロとその仲間が家から家に宣べ伝え教えることを差し控えなかったのはなぜですか。

      18 パウロや当時の他のクリスチャンたちが,家から家に宣べ伝え教えることを『差し控えるべきでなかった』理由は十分にありました。当時は危険な時でした。ユダヤ教の事物の体制の滅びは急速に近づいていました。ローマの皇帝は偶像崇拝を奨励していました。ですから,「神々への恐れの念を厚くいだいて」いた人々は,「世界とその中のすべてのものを作られた神」,すなわち「どこにおいてもすべての者が悔い改めるべきことを」当時「人類に告げて」おられた神を求めることが,緊急に必要でした。―使徒 17:22-31。

      19 (イ)家から家への証言も,他の証言活動と同じく今日極めて緊急に必要とされているのはなぜですか。(ロ)「引き続き信仰にとどまる」ことに熱心であるならば,どんな結果になりますか。

      19 戸別訪問,非公式の証言,再訪問,定期的な家庭聖書研究などによる『徹底的な証し』は,今日においても急を要します。使徒パウロの時代と同じく,「良いたより」が「天下の全創造物の中で宣べ伝えられた」ことは事実です。しかし「大患難」の前にさらに徹底した努力を払う必要があります。使徒パウロがコロサイのクリスチャンたちに告げたように,わたしたちはみな,「引き続き信仰にとどまり,土台の上に堅く立って揺らぐことなく……良いたよりの希望からそらされないでいる」ことが必要です。―コロサイ 1:23。マタイ 24:21。

      20 魂をこめて家から家へ宣べ伝えることは,今日どのように保護となりますか。

      20 ローマ帝国の全盛期におけると同じように,今日でも世の圧力は,クリスチャンたちを不敬虔な人々のいわゆるレクリエーションや不道徳な行ないという快楽にふけらせることをねらいとしています。彼らは,「神を知らない者と,わたしたちの主イエスについての良いたよりに従わない者」―「永遠の滅びという司法上の処罰を」まさに受けようとしている者たちです。(テサロニケ第二 1:6-9)わたしたちの保護は,パウロや当時の他の熱心なクリスチャンすべてと同じように働くことに,また「主の業においてなすべき事を常にいっぱいに持」つことに,「人にではなくエホバに対するように魂をこめて」働くことにあります。(コリント第一 15:58。コロサイ 3:23)一世紀の会衆の使徒パウロや他の人々が残した手本に従って,公にそして「家から家に」働くことや,他の人々が「神に対する悔い改めとわたしたちの主イエスへの信仰」について学ぶように『徹底的な証し』をすることには,大きな満足と喜びがあるのです。(使徒 20:20,21)こうして奉仕するときにわたしたちは,『エホバの崇拝の家に対する熱心がわたしを食いつす』という,わたしたちの主人について言われた言葉が,わたしたちにも常にあてはまることを願ってやみません。―ヨハネ 2:17。

  • 不法の世にあって宣べ伝える
    ものみの塔 1979 | 10月15日
    • 不法の世にあって宣べ伝える

      「また不法が増すために,大半の者の愛が冷えるでしょう。しかし終わりまで耐え忍んだ人が救われる者です。そして,王国のこの良いたよりは,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう。それから終わりが来るのです」― マタイ 24:12-14。

      1 今日,世界では不法がどの程度はびこっていますか。(テモテ第二 3:1-5)

      今日の不法の増加ぶりはどうでしょう。世界の多くの場所で,法と秩序をべっ視する傾向ははなはだしく,いわば大洪水の域に達しようとしています。ほとんどの大都市で犯罪が横行し,町を歩くのももはや安全ではなくなりました。近年になって多数の政府が革命で転覆し,国によっては,内部における造反と外部からの脅威に対して一分のすきもなく武装しているところもあります。共産主義の世界にさえ,ナショナリズムが社会主義的“一致”に優先するため,種々の困難があります。

      2 不法はキリスト教世界の多くの教派にどのように浸透しましたか。

      2 キリスト教世界はどうでしょうか。今の時代に関するイエスの預言通り,『不法の増加』はキリスト教世界の多くの教派に破壊的な影響を与えました。法と秩序を正しく重んずることを奨励する聖書を,今多くの人は「時代遅れ」と考えています。何事にも甘い現代社会に迎合して,不道徳や同性愛,不正行為などを大目に見,そうすることによって多数のまがいのクリスチャン,「神の王国を受け継がない」クリスチャンを生み出している教会は数知れません。―マタイ 24:12。コリント第一 6:9,10。

      3 不法の者はどのようにしてクリスチャン会衆に入り込もうとしましたか。そのような人々についてイエスは何と言っておられますか。

      3 不法の者たちは,わたしたちの主の『約束された臨在』はこの時代にあるのではないと主張して,真のクリスチャン会衆にまで入り込もうとしました。彼らは長老たちをあざけり,主人が地上における王国の関心事をつかさどらせるために「忠実で思慮深い奴隷」を任命したことに異議を唱えます。(ペテロ第二 3:3,4。マタイ 24:45-47)この種の人たちは,マタイ 7章15-23節に記録されている,イエスが警告した人々の中に含まれます。「羊のおおいをかぶってあなたがたのもとに来る偽預言者たちに警戒していなさい。内側では,彼らはむさぼり食うおおかみです。……[その日には]わたしは彼らにはっきり言います,わたしはいまだあなたがたを知らない,不法を働く者たちよ,わたしから離れ去れ,と」。

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