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  • あらゆる国民がそれによって歩むことを選んでいるみ名
    ものみの塔 1973 | 3月15日
    • が今,キリスト教世界の最大限に拡大した,つまりキリスト教世界が世界中の国々に推定9億以上の会員を持つようになった世紀に住んでいるからですか。そしてこれは変化をもたらす原因になりませんでしたか。メシヤすなわちキリストがこられてからは,エホバの名前ではなく,メシヤであるイエスの名によって歩むのが正しくはありませんか。キリスト教世界の教会は,ミカの預言の成就ですか。これは検討に価します。では,調べてみましょう。

  • どの神の名によって歩むかを決定すべき時
    ものみの塔 1973 | 3月15日
    • どの神の名によって歩むかを決定すべき時

      1 エルサレムの二番めの神殿は,もろもろの国民や民族がエホバを永遠に崇拝するために上るべき神殿でしたか。なぜですか。

      預言者ゼカリヤの時代にエルサレムに建てられた二番めの神殿は単なる予表にすぎず,またそれゆえに預言的な意味を持ちました。それは,あらゆる国民や民族がエホバを永遠に崇拝するために上って行くべき永久の神殿ではありませんでした。その事実を考えると,エルサレムの地的な神殿は西暦70年,エルサレムが再び破壊された時に町もろとも破壊されたのです。このたびは第六世界強国ローマ帝国の軍隊によって破壊されました。

      2 だれがそのことを予告しましたか。彼が述べたその時はいつ終わりましたか。

      2 これは,37年前,つまり西暦33年にイエス・キリストが預言していたことでした。そしてイエスのことばによると,そのあとエルサレムは「異邦人の時」(「諸国民の定められた時」)が満ちるまで踏みにじられます。(ルカ 21:20-24)数の上では7つの時のその異邦人の時は,西暦前607年に,バビロニヤ人によってもたらされたエルサレムとユダの地の最初の荒廃の時に始まりました。エルサレムはその王座に,ダビデの王室の王を迎えることは二度とありませんでした。そしてそれに対応して異邦人の時は,地上のエルサレムの二度めの崩壊後1,844年間つづきました。それは,異邦人の時が西暦1914年に終わったとを意味します

      3 1914年に異邦人の時が終わって以来,エルサレムにエホバの三番めの神殿を建てることについてどんな質問が生じますか。エホバの崇拝を広めることはそのような神殿に依存していましたか。

      3 といっても,1914年における異邦人の時の終わりは,エホバの崇拝のための三番めの神殿がエルサレムに建てられる時が来たことを示してはいませんでした。たとえ,異邦人の時の始まった西暦前607年の初秋に,エホバの神殿が,人も家畜もいない荒涼とした土地のただ中に,崇拝者もなく荒廃していたとしても,そのようなことを意味してはいませんでした。エホバの崇拝のために,エルサレムに地的物質の神殿を,今もそこに立っているマホメット教のモスク,つまり石造りのドームの代わりに建てる必要はありませんでした。現代においてエホバの崇拝を始めることや広めることは,そこにそのような神殿を建て,万民がそこへ流れ帰することに依存してはいませんでした。その理由はやがてわかるでしょう。

      4 西暦1914年までにはエホバの崇拝はどこまで衰退していましたか。その時は聖書研究生さえエホバの名前について何を認識していませんでしたか。

      4 西暦1914年当時,地上における,エホバを神とする崇拝は,割礼のある生来のユダヤ人は言う

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