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「奉仕者」であるとはどういう意味ですかものみの塔 1976 | 3月1日
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努めています。それらは,可能な限り,そして翻訳が許す限り,あらゆる種類の人々が,住んでいる場所と話す言語とを問わず,容易に理解できる表現でなければなりません。というのは,使徒パウロも次のように言っているからです。「あなたがたも,舌で,容易に理解できることばを出さないなら,何を話しているのかどうして人にわかるでしょうか。あなたがたは,実際には空気に話していることになるのです」― コリント第一 14:9。
「叙任」はどこに位置を占めるか
17 「叙任」という語は何を意味しますか。
17 英語で用いられるとき,「叙任」という語は「奉仕の,もしくは聖職者[司祭]の職を授けること。手を置くかまたは他の形でクリスチャンの奉仕の職務に就かせること。叙任式により取り分けること」を意味します。―ウェブスター第三新国際辞典。
18,19 (イ)どんな意味で,キリスト・イエスの真の弟子はみな「ミニスター」と言えますか。(ロ)神の,バプテスマを受けたしもべとなる人はみな,会衆内で奉仕し責任を担う特別の務めに「任命」されますか。
18 キリスト・イエスの真の弟子になる人々はみな神の「しもべ」になります。ラテン語の古い意味によれば,彼らはみな「ミニスター」と呼ぶことができます。なぜならそのラテン語はもともと同じもの,すなわち「しもべ」を意味したからです。しかし,わたしたちが見てきたように,聖書は確かに,幾人かの人々が,特別の奉仕の割り当てにおいて仕えるべく会衆内で『任命』を受けていて,任命を受けたという意味での「しもべ」であることを示しています。長老や補佐のしもべたちの場合がそれです。―テトス 1:5。テモテ第一 3:1-13。
19 それらの人々はバプテスマによってそのような任命を受けるのではありません。使徒パウロは,「だれに対しても性急に手を置いてはなりません」とテモテに書き送ったとき,バプテスマのことを言っていたのではなく,会衆内での奉仕の務めとそれに伴う責任を人々に任ずる行為のことを述べていたのです。(テモテ第一 5:22。テモテ第一 3:1-15と比較してください。)パウロ自身バルナバとともに,特定のわざのために聖霊により『取り分けられて』いました。それでアンティオキアの一団の長老たちは,そのことを認め,『彼らの上に手を置き』ました。―使徒 13:1-5。使徒 6:1-6に記録されている,ある特定の奉仕の割り当てを扱う「確かな男子七人」を『任命』したときの使徒たちの行為と比較してください。
20,21 パウロ,テモテ,そしてアルキポの例は,会衆内のある成員たちが,会衆内で割り当てを受けることにより,任命されたという意味での「しもべ」もしくは「ミニスター」であることをどのように示していますか。
20 それで,真のクリスチャンは(兄弟も姉妹も同じように)みな奉仕しますが,会衆内の特定の奉仕に任命されるのは,その中の一部の人です。といってもそれは,そのような任命を受けていない兄弟姉妹は平信徒級であるという意味ではありません。使徒パウロは,「自分の行程と,主イエスから受けた奉仕の務め[ディアコニア; 奉仕,行間逐語訳; 職務,新英]すなわち……良いたよりについて徹底的に証しすることを全うできさえすれば,わたしは自分の魂を少しも惜しいとは思いません」と言いましたが,その時彼が,自分に与えられた,「[イエスの]名を諸国民」すなわち異邦人「に……携えて行く」特別の奉仕の務めに言及していたことは明らかです。(使徒 20:24; 9:15。使徒 21:19; テモテ第一 1:12; コロサイ 1:25と比較してください。)ローマ 11章13節で彼はこう言っています。「わたしは実際には諸国民への使徒なのですから,自分の奉仕の務め[ディアコニア; 奉仕,行間逐語訳]を栄光あるものとします」― 使徒 1:15-17,20-25。
21 同様に,パウロはテモテに「自分の奉仕の務め[ディアコニア]を十分に果たしなさい[あなたがなすべく召された務めをすべて行ないなさい,新英]」と言ったときにも,エフェソスでテモテにゆだねられていた特別の奉仕の務めのことを言っていました。会衆内のある問題を正すのを助けるべくテモテはエフェソスに残されていました。(テモテ第二 4:5。テモテ第一 1:3,4)コロサイ 4章17節では,パウロはこの「特別のことば」をアルキポに与えています。「主にあって自分が受け入れた奉仕の務め[ディアコニア; 任務,新英]を終始見守り,それを全うするように」。コロサイの他の弟子たちもみな神のしもべでしたが,アルキポは明らかにある特定の奉仕の割り当てを受けたのです。それには長老の一団が手を置くことが伴ったにちがいありません。
会衆内の「叙任された」しもべたち
22 キリスト・イエスとその弟子たちの示した聖書的先例に従うと,「叙任された」という語は,今日この語が有する意味において,だれに当てはまりますか。
22 ではどんなことが理解できますか。イエスには多くの弟子がありましたが,12人を使徒として選び出された,つまり「選び」「任命」された,ということです。(マルコ 3:14,15。ルカ 6:12,13。ヨハネ 15:16)パウロとバルナバは,諸国民に良いたよりを携えて行くべく,アンティオキアの弟子たちの中から選ばれて特別に「任命された」ことをわたしたちは知っています。(使徒 13:47)また,パウロがエフェソスの長老たちに,聖霊が彼らを,会衆内の残りの人々に仕えるべく「任命した」,と話したことも知っています。(使徒 20:17,28)これらの場合いずれも,彼らがバプテスマを受けた時ではなく,バプテスマのあとにそのような任命が行なわれています。それで今日でも,神の民の会衆内には,特定の資格で会衆に仕えるべく任命されている人々(バプテスマを受けてかなりたっているのが普通)がいます。そのように会衆から特別の奉仕の任命を受けた人たちは,叙任という語が今日有する意味において,「叙任された」と言えるでしょう。b
23,24 (イ)政府機関は一般に,「任命された奉仕者」という表現をどのように理解していますか。もし彼らの質問の中でこの表現が用いられたなら,どのように答えるべきですか。(ロ)公の証言が行なわれている地域内の人々を自分の「会衆」と言ったり,人々の家の戸口の登り段を自分の「説教壇」と言うのは適切ですか。
23 以上のことを考えるとき,もしある政府機関が,時々あるように,市民の職業や地位を調べるなら,人はどうすべきですか。彼らは,「叙任された奉仕者」という表現を,任命された管理者,会衆に霊的な物を供給する人,会衆の「牧師」もしくは牧者として行動する人,と理解しています。例えば辞典類は,「宗教儀式を執り行なう権威を持つ者」と,一般に理解されている「奉仕者」に関する教会の定義を挙げています。そのような政府機関は,「奉仕者」という語を使っても,個々のクリスチャンすべてが良いたよりを他の人々に伝えるために個人的に努力を払って行なう奉仕のことを言っているのではありません。それで回答のさいには,そうしたことばに自分自身の定義を付すよりも,当局者が知ろうとしていることに従って適切に答えるのがよいでしょう。
24 例えば人々は,戸別訪問をする伝道者が,わたしの奉仕する「会衆」は,証言の行なわれている地域内に住む人々のことです,と言うとは考えもしないでしょう。ですからその地域内の人々は,証言を行なっている人を自分に仕える「奉仕者」と認める,あるいは受け入れることをしないかもしれません。そして実際に彼ら自身の宗教に所属しているかもしれません。同様に,もしわたしたちが伝道地域内の人々の家の戸口の登り段を,良いたよりを携えて行く人の「説教壇」であると言うとするなら,またたとえ彼が,三分から五分の「聖書の話」と自分で呼んでいるものを話したとしても,彼らはその答えを正しく理解するでしょうか。その「説教壇」というのは,一般の人々が来るように招待されている建物の中の演壇,と普通は理解されているのです。
25 もし会衆内で実際に奉仕の任命を受けているなら,「叙任」された日としてどの日を挙げることができますか。
25 もちろん,正当に権限を与えられている人によって,特定の奉仕を行なう立場に実際に任命されているなら,そのように答え,また「叙任」された日付として,バプテスマを受けた日ではなく,任命権を持つクリスチャンの一団がそのような任命を行なうことによって,事実上『その人の上に手を置いた』日を告げるとよいでしょう。
26 初期クリスチャンたちはみな,会衆内での奉仕の特定の務めに任命されましたか。そのことは彼らの一致に影響しましたか。
26 初期のクリスチャン会衆においては,バプテスマを受けた信者はみな聖霊で「油そそがれ」,天への召しを受けていました。にもかかわらず全部が全部,使徒,預言者,教える者,長老,あるいは奉仕のしもべであったわけではありません。したがって,バプテスマを受けたあと,みながみな特定の奉仕に任命されたわけではありません。それでも全員が,コリント第一 12章12節から30節で使徒が指摘しているとおり,全部が共に協力し「互いに対して同じ気づかいを示す」多くの肢体のある一つの体のように,共に奉仕しました。
27 神および仲間の人間に対する奉仕に関して,わたしたちすべては今日どんな健全な態度を喜んで取るべきですか。
27 それでわたしたちは,特定の奉仕や責任に正式に任じられる資格を持ちそれに任じられていてもいなくても,わたしたちすべてが,この時代に対する神のご意志を成し遂げるために協力して奉仕することができますように。わたしたちはみな,真理を他の人々に語る共通の特権を大切にし,それを熱心に用いて,わたしたちの生活に光と希望をもたらした良いたよりを他の人々と分かち合いましょう。
「目は手に向かって,『わたしにあなたは必要でない』とは言えず,頭も足に向かって,『わたしにあなたがたは必要でない』とは言えません。それどころか,実際には,体のなかでほかより弱く見える肢体がかえって必要なのであり,また,体のなかでほかより誉れが少ないと思う部分,これをわたしたちはより豊かな誉れをもって包みます」― コリント第一 12:21-23。
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読者からの質問ものみの塔 1976 | 3月1日
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読者からの質問
● アブラハムがシェケムに埋葬所を購入した,と述べている使徒 7章16節の記述と,創世 23章15節から19節の言葉を,どのように調和させることができますか。
アブラハムがシェケムに埋葬所を買ったと述べる使徒 7章16節と,ヘブロンの近くのマクペラにそのような地所を購入したと伝える創世 23章15節から19節は,食い違うように思えるかもしれません。しかし,考えうる説明は幾つかあります。まず,問題の詳細点を少し調べてみましょう。
アブラハムが約束の地に入って間もないころ(西暦前1943年),彼は,後日サマリア市の建てられた北部地方のシェケムにしばらくの間住んだことがありました。(創世 12:6-8)後日,アブラハムの妻サラが死ぬと(西暦前1881年),アブラハムは,エルサレムの南方ヘブロンの近くにある,マクペラの野とほら穴を埋葬地として購入しました。こう書かれています。「アブラハムはその妻サラをカナンの地にあるマムレ,すなわちヘブロンの前のマクペラの畑のほら穴に葬った」。(創世 23:15-19,口)やがて,アブラハム,イサク,リベカ,そしてレアも,そこに葬られました。―創世 25:9; 49:29-32。
アブラハムの孫ヤコブも一時期シェケムの近くに住み,そこに土地を購入し,祭壇を築きました。(創世 33:18-20)エジプトで臨終の床にあったヤコブは,シェケムではなく,アブラハムがヘブロンの近くに購入した地所に,先祖と共に自分を葬るよう,息子たちに命じました。(創世 49:29-32; 50:12,13)シェケムでなされた埋葬については,ヨシュア 24章32節に,約束の地に入って後,イスラエル人がヨセフの骨を,「ヤコブが……買い取ったシケムのうちの地所」に葬ったことが述べられています。その地所は,ヨセフの息子マナセに割り当てられた土地の一部でした。
こうした歴史を念頭に置いて,使徒 7章15節と16節に注目できます。クリスチャンの弟子ステファノは,その巧みな弁護の言葉の中で,こう述べました。「ヤコブはエジプトへ下りました。そして彼は没し,父祖たちも没しました。そして彼ら[「父祖たち」]はシェケムに移され,アブラハムが銀子を払ってシェケムのハモルの子から買った墓に横たえられました」。ですから,ヤコブではなく,アブラハムがシェケムにある土地を購入したとステファノは述べているように見えるかもしれません。ところが,創世 23章17節と18節は,アブラハムがヘブロンの近くのマクペラに墓所を買ったと述べているのです。
ヘブロンに購入した土地に加えて,アブラハムが,自分の前にエホバの現われた地,また自分がその後に祭壇を築いた地であるシェケムを購入したことも考えられる,とする学者もいます。(創世 12:7)そうであれば,
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