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  • 『柔和な人たちはさいわいである』
    ものみの塔 1958 | 6月1日
    • の国を嗣業としてあたえ,地の極をなんぢの有としてあたえん。』イエスが地をうけつがれることは,彼が地上に人間としておられた時に示した柔和と信仰に対するむくいの一部です。―マタイ 5:5,新口。詩 2:8。

      イエス・キリストと共にこの嗣業を受ける者は彼の『花嫁』で,14万4000人に限定されており,イエスの足跡の追随者,天的むくいを受ける人々です。(黙示 14:1,3)使徒パウロは彼らに告げています,『もし子であれば,相続人でもある。神の相続人であつて,……キリストと共同の相続人なのである。』イエスはこれらの特に愛された追随者たちを,御自分の『小さき群』と呼ばれます。しかしながら,マタイ伝 5章の5節に言明されている原則は,柔和である故に地上で永遠の生命を受ける,イエスの他の羊にも適用されます。どのように? 彼らは,キリストと彼の花嫁から信頼されて地を管理します。いわば,永久の借地人です。―ロマ 8:17。ルカ 12:32。ヨハネ 10:16。

      ですから,新しい世において,ヱホバ神の祝福を享受したいと望む人々は,義と信仰と愛と忍耐と柔和とを追い求めることにより,神に対する信仰と,神と人とに対する愛をしめしなさい。―テモテ前 6:11,新口。

  • 休暇開拓者の特権
    ものみの塔 1958 | 6月1日
    • 休暇開拓者の特権

      「1958年度ヱホバの証者の年鑑」より

      マルティニークの多くの伝道者は全時間奉仕を目標にしています。休暇開拓者の特権を更に1ヵ月間持ちつづけることにしたある姉妹は語りました,『いま沢山の再訪問があるので,その人々を援助する唯一の方法は休暇開拓奉仕です。』その姉妹は一人で4人の幼い子供を世話しており,しかも,自分の体は余り丈夫ではないのです。この姉妹には他に息子があつて,二人とも既に開拓を始めました。

  • 開拓奉仕の喜び
    ものみの塔 1958 | 6月1日
    • 開拓奉仕の喜び

      ニカラグアにて

      休暇は御言葉を広める絶好の時です。ある宣教者は,何年間も伝道されていない,孤立した場所に出かけて行つて,素晴らしい休暇をすごしました。この宣教者は,良いサマリヤ人のように,十分の霊的「油とブドウ酒」を携えて旅行に出かけました。船で2日間旅行し目ざす目的地に着きましたが彼はそこで多くの人々が,霊的に飢え病気になり癒しを必要としているのを発見したのです。特にはげまされたことは,これら多くの人々が,自分の霊的必要物を自覚していること,またその必要物は正統派の宗教制度の中では満たされないことに気づいていたことでした。その証拠として,10日間に100冊の書籍と900冊の雑誌が配布され,12人が新しく雑誌を予約しました。

      シエラ・レオネにて

      青年時代にヱホバに奉仕することは良いことですが,60を過ぎるまで真理を学ばなかつたらどうしますか。ある78歳になる信仰の深い兄弟は開拓をはじめてから今年で6年目をむかえました。この兄弟は,町から3マイルも離れた山の上に住んでいて,世話をしなければならない畑や,扶養すべき妻がありますが,1週に3回山を下りて奉仕中心地に来ます。そして奉仕や集会がすむとまた3マイルの道を苦労しながら山に帰つて行き,畑を耕したり,家族に対する責任を果すのです。過去5年間に毎月平均105時間を奉仕に捧げたこの兄弟は,ヱホバの奉仕に関するかぎり私は若者であるから,全時間奉仕者として永久に創造主に奉仕しつづけることを望んでいると言つています。

      英領ギアナにて

      13歳になる休暇開拓者の少女は一婦人を非常に感動させました。余り感心したのでその婦人は息子たちを呼んで,その少女が説教する時にどんなに落着いてわけなく聖句を見出したりそれを説明するかよく見るように言いました。少女が再び訪問した時に,最初の証言を聞いた人の中のある男の人が言いました,『私はあのかわいい娘さんがこの前来た時に話を聞きましたが,私が同じことをしなければならないとしたら,あのように聖句を見つけることはとうていできませんね。あなたの本の中に出ていた新世界訳という最良の聖書を求めたいと思います。そしてあなたが今しておられる仕事が私にもできるように,聖書の研究をしたいと思います。』

  • 恩を知らない世を生き残る
    ものみの塔 1958 | 6月1日
    • 恩を知らない世を生き残る

      『しかし,このことは知つておかねばならない。終りの時には,苦難の時代が来る。その時,人々は自分を愛する者,金を愛する者,大言壮語する者,高慢な者,神をそしる者,親に逆らう者,恩を知らぬ者となるであろう。』― テモテ後 3:1,2,新口。

      1 私たちの時代には,何に対する感謝と認識がないことを誰が予言しましたか。

      ハルマゲドンを前にした今の終りの時代そして苦難の時代に恩知らずという死に至る病は全地にひろがつています。ヱホバ神は,この事を予見され1900年前,使徒パウロに霊感を与えてこのことを警告されました。それは感謝する人々が,恩を知らない世の終りを生き残るためです。『しかし,このことは知つておかねばならない』と使徒パウロは書きしるしました,『終りの時には,苦難の時代が来る。その時,人々は自分を愛する者,金を愛する者,大言壮語する者,高慢な者,神をそしる者,親に逆らう者,恩を知らぬ者,神聖を汚す者,無情な者,融和しない者,そしる者,無節制な者,粗暴な者,善を好まない者,裏切り者,乱暴者,高言をする者,神よりも快楽を愛する者,信心深い様子をしながらその実を捨てる者となるであろう。こうした人々を避けなさい。』(テモテ後 3:1-5,新口)恩を知らないことは,感謝することの正反対です。予言の示す通り,また今日私たちも知るように,人々は,神と清い崇拝,両親への真の愛と従順に対して感謝と認識を持たず,それとは反対に自分自身,快楽か金銭の価値を強調し過ぎています。前以て聖書に書かれた歴史は,現在の事実を全く正確に予言していました! 近づいている世の終りを生き残るために,正直な人々は恩を知らない世から離れねばなりません。

      2 (イ)感謝とは何ですか。(ロ)それを表わすには何が必要ですか。

      2 恩を知らない世から離れるため,およそ善にして正しく,神に喜ばれることに対しては感謝と認識を養わなければなりません。真に感謝<アプリシエイト>するとは,単に有難いと思うだけのことではありません。『感謝<アプリシエイト>する』という言葉は,ある物の価値を設定することを意味する『評価する』という言葉に関係があります。その最初の意味は,『価値,質,量に関して判断を下す。評価する。値ぶみ』することでした。(ウエブスター編新国際辞典第2版)感謝<アプリシエイト>するとは,ある物の価値を十分に評価すること,それに関して,心からの満足を感じ,その物を受け入れることです。感謝<アプリシエイト>することは,感覚の知覚によつてあるものに気がつくことと関係があります。しばしば知覚の鋭敏さは感謝することに関係します。『音楽を鑑賞<アプリシエイト>する』,『美術を鑑賞<アプリシエイト>する』という表現の深い意味も,これで分ります。銀行の『評価係』は不動産を正しく評価<アプリシエイト>するための者で,財産にどれだけの金銭的価値があるかを決定するように求められます。不動産の価値があがると,それは『騰貴<アプリシエイト>した』と言われ,価値がさがると『低落<デプリシエイト>した』と言われます。このことからはつきり分る通り,神と真の崇拝に関する最も高い事柄に対して感謝と認識を示すため,評価することに熟練しなければなりません。知識と理解と経験が必要です。しかし,何が本当に価値のあるものかを知るため,何にもまして聖書の健全な導きが必要です。恩を知らない世界は,真の感謝と認識を持たないため死にかかつています。すべて敬虔なもの,良いものを悟る力が殆ど麻痺しているこの世は,間もなく死ぬでしよう。

      3 イエスの言われた羊と山羊のたとえ話を考えるとき,どんな質問は時機にかなつていますか。

      3 キリスト・イエスはマタイ伝 25章に今の時代を予言し,世の終りには二つの級の人々があることを示されました。キリストの右には,感謝を表わした『羊』が置かれました。彼らは神と,統治している王キリストを愛し,至るところで御国の良いたよりを伝道する王の兄弟の残れる者に感謝しています。王の左には滅びに定められた,感謝しない『山羊』がいます。彼らは神とキリストを愛すると言いますが,イエスの地的な兄弟の行つている御国証言の業に対して,暖い是認と満足を少しも持つていません。山羊は,御国の力を持つ王の臨在を悟らず,すべての国民が王の御座の前で裁かれることを悟らないのです。感謝と忘恩との争いにおいて,あなたはどんな立場をとりますか。神の言葉をどのように評価しますか。伝道されている御国のおとずれ,あなたの時間,あなたの生命をどのように評価しますか。聖書の歴史をひもといてこの争いを調べるなら,そして感謝を表わしてそのために救いを確かなものにした少数の人の中に入ろうと決心するならば,あなたはたぶん生命を救うでしよう。

      4 イエスの時代に,感謝と認識はどのように生死の問題でしたか。

      4 神御自身の御子は偉大な奇跡を行つて彼こそ長く待ち望まれていたメシヤであることを証明しました。イエスの時代にこの奇跡を見ることのできた人々は本当に恵まれていたのです。イエスはすべての予言を成就して彼がまさしくメシヤであることを証明したのにも拘らず,感覚の鈍くなつた人々はメシヤを正しく認めることができませんでした。その特権を認識せず,滅びに定められた当時の人々は,イエスの御国の宣明を軽視し,心からの忠誠と支持を与えるにふさわしいものとは評価しなかつたのです。彼らが悟らないのを見たイエスは泣きました。彼らの先祖は40年のあいだ荒野を旅行しましたが,この感謝することを知らない人々は40年も経ないうちにそのまいた忘恩の種を刈り取りました。イエスの予言の通り,西暦70年にローマの軍隊はエルサレムとユダヤを踏みにじつて地を血で染め,神の御国の王の臨在と王に奉仕する特権に感謝しなかつた人々は無残な死に遭いました。キリストの価値を認めて,自分はキリストの鞋をとるにも足りないと感じた洗礼者ヨハネの警告にたがわず,その世代は火の滅びという洗礼を受けました。しかし,感謝することを知り,キリストの役割を正しく評価した人々は,神の聖霊を注がれて力と生命を受けたのです。(マタイ 3:7-12)感謝と認識を持つたゆえに,その組織制度の終りを生き残ることになりました。

      5 これと似たどんな事態がノアの時代に存在していましたか。

      5 恩知らずという病は,むろんイエス時代以前にもありました。ヘブル書 12章16節(新世)において,パウロは初期のクリスチャンたちをいましめ,『一杯の食のために長子の権利を手放した』エサウの如く,聖なる事柄に感謝しない者が起らないように注意せよと述べました。しかし,感謝しなかつたエサウと感謝したヤコブの時代以前にも,感謝することを知らない病が全地にひろがりました。それはノアの時代の世界です。ヱホバの証者であつたノアとその家族は,神の御命令に従うことの必要を認識しました。彼らは伝道し,感謝と認識を持たなかつた人々の間にあつて,安全を図る方舟をつくりました。洪水前の世は生活にわずらわされ,肉の快楽を愛して,時代の重要さには心を閉じてしまつたのです。最も高い山々の頂をも沈めた大水が落ち始めたとき,大多数の人々は初めてノアの警告の価値を見直したことでしよう。しかし,彼らの足が水にぬれた時にはもう間に合いませんでした。忘恩者が生き延びて,間違いを正すことは決して出来なかつたのです。彼らのあやまつた評価も彼らと共に滅びうせました。洪水前の遺跡を掘り起した考古学者は,神が宗教的な世界を拭い去つた証拠を発見しています。ヱホバの証者はその理由を認識しています。それは悪い宗教でした。明らかに,偽りの宗教のために人は感謝と認識を失い,神の眼から見た正しい崇拝を悟る力を失います。―創世 6-8章。マタイ 15:3。

      6 最初の忘恩者は誰でしたか。その忘恩のために彼はどうなりましたか。

      6 しかし,歴史を辿ると感謝しなかつた記録は大洪水より古いもので,エデンの園にまでさかのぼります。アダムとエバは,ヱホバ神に対する清い崇拝と忠実の必要を認識せず,エデンで最初の人類は罪と死に陥りました。最初の忘恩者は外ならぬサタン悪魔であり,その影響を受けて最初の夫婦は神の御言葉と戒めの価値をあやまつて評価したのです。サタンの認識には致命的な欠陥のあることを,イエスは暴露されています。それは真理を高く評価しなかつたことです。イエスは言われました,『彼は初めから,人殺しであつて,真理に立つ者ではない。彼のうちには真理がないからである。彼が偽りを言うとき,いつも自分の本音をはいているのである。彼は偽り者であり,偽りの父であるからだ。』(ヨハネ 8:44,新口)ヱホバはこのようなサタンを創造されませんでした。そうであるなら,実際にヱホバが偽りの父となり偽り者になるでしよう。しかし,神は偽ることのない方です。あやまちは,真理と正義を認識しなかつたサタンにあります。神の霊的な子の中でも,彼はきわめて恵まれていました。それで神の独り子,言葉のとつた賢い道に従うことができたはずです。しかし,自ら忘恩者となつてヱホバの愛ある教えに心から満足せず,それを受け入れませんでした。サタンは忠実な神の霊的子たちとの交わりをさえ高く評価しなかつたのです。忘恩の道は天と地における反逆に導き,ヱホバの宇宙至上権に関する長い間の論争はいま最高潮に近づいています。この論争は間もなく解決されてヱホバに誉を帰し,感謝の心を持つ人すべてに祝福をもたらします。それまでの間,感謝と認識を持たないサタンはかつて記録されたことのないほどの忘恩の行いをしようとしていました。その最も大きなものはカルバリでイエスを殺したことです。ヱホバはイエスの忠実を認め,イエスをよみがえらせて御自身の右に高められました。神の右にあるイエスはいまの裁きの日に栄光ある御国の座についています。当然の死を受けるサタンを見,それは感謝と認識のなかつたためであることを知るとき,私たちは目をみはります。ハルマゲドンのとき,イエスはヱホバの至上権を認識して行動し,忘恩者の君なる反逆者をすみやかに滅ぼすでしよう。

      7 どんな手本にならうとき,世の終りに生き残る希望がありますか。

      7 聖書の歴史全部が忘恩者の記録ではありません。感謝と認識を持ち,正義を愛した人々の手本も聖書中に輝いています。20億以上の人々のいる世は感謝を持たないために滅びようとしていますが,神の恵みを感謝し,それを表わすのに巧みであつた多くの人の生活に倣うとき,あなたはその終りを生き残ることができます。アベルはその一人でした。ヱホバ神の恵みを正しく評価したアベルは,土から出る実を捧げたカインとは異なつて,人間の作る儀式によらず神の定めに従つて真の神を崇拝しなければならないことを悟つていました。(創世 4:2-7)アベルは復活のとき憶えられるでしよう。彼は正しい方法で神に奉仕することの価値を認識したからです。評価に巧みであつた別の人はノアです。ノアが神の御命令を認識したことについては既に述べました。アブラハムとサラも故郷のウルを離れ,典型的な宣教者のように外国の地でヱホバに奉仕する特権を正しく評価しました。アブラハムは常にヱホバの道に従つて生活し,神の恵みをかち得て『忠実な者の父』となつたのです。エリコの女ラハブは滅びに定められた町に住みましたが,その町との社会的な結びつきよりも,彼女の新しく見出したヱホバの神権制度との関係こそ価値のあるものと賢明にも認識しました。ヱホバの勝利を得る軍勢の側に立つ必要を巧みに評価したラハブは,彼女の忠誠を行いに表わしました。その認識と鋭い識別力のために,ラハブは家族と共にエリコの滅びを生き残りました。―ヨシュア 6:22-25。

      8 (イ)感謝と認識に富んでいた他の男女を挙げなさい。(ロ)モーセは彼の特権をどう評価しましたか。

      8 聖書の士師記には,ヱホバの召しを心から認識して,ヱホバの選民を守るために行動した男女の記念すべき記録がしるされています。ヱホバの選民は目に見えない偉大な王を認識しなかつたために,しばしば悲惨な窮境に陥つていました。サムソン,ギデオン,エヒウ,バラク,デボラその他のヱホバの証者は,ヱホバの御名のため,ヱホバの真の崇拝のため,ヱホバの民のために戦うことを大きな特権と考えました。この特権を正しく評価したことを強く確信していたので,彼らは命を賭けてもそれを果したのです。ヱホバの予言者たちも,神に対する特権を認識することにおいてはそれに劣りませんでした。モーセ,サムエル,ダニエル,エレミヤ,エゼキエル,ミカその他多くの人に対して,王や皇帝が怒りを爆発させたことは一再ならずありました。感謝と認識を心に深く抱いたこれらの人々にとつて,ヱホバの代弁者となる特権は比べるもののない宝でした。味方に伝えると敵に伝えるとを問わず,ヱホバの予言,真理そして裁きを宣明せよとの召しは最も価値あるものと,彼らは評価しました。神を恐れたこれらの予言者は,特権を評価するのに巧みでした。モーセはその典型的な例であつて,パウロはヘブル書 11章24-26節(新口)にこう書いています。『信仰によつて,モーセは,成人したとき,パロの娘の子と言われることを拒み,罪のはかない歓楽にふけるよりは,むしろ神の民と共に虐待されることを選び,キリストのゆえに受けるそしりを,エジプトの宝にまさる富と考えた。(すなわち,評価した,認識した)それは,彼が報いを望み見ていたからである。』ヱホバの約束された祝福は最も価値あるものと,モーセは心の中で決め,また評価しました。この希望を持つモーセにとつて,エジプトのどんな物質的宝も価値のないものでした。この評価のゆえに,モーセは生涯を通して多くの祝福と特権を得たのです。ヱホバとイスラエル人とのなかだちとなつたモーセはイエス御自身のなされた事を予影していました。そのうえ,ヘブル書 11章には忠実にして感謝と認識を持つたヱホバの証者たちと共にモーセの名も挙げられており,彼はハルマゲドンの後に復活を受ける人々の中に数えられています。モーセが自分の特権を賢く評価しなかつたとすれば,一時のあいだ快楽の生活を送つたかも知れません。しかし,死んだときには何の希望もなかつたでしよう。

      9 ヱホバの善を最も深く認識し,感謝したのは誰ですか。彼の報いとサタンの報いとを対照しなさい。

      9 神の恵みをかち得て,神の至上権を擁護した忠実な男女の中でも,キリスト・イエスは一段とすぐれてヱホバの賜物と特権を深く認識した人でした。イエスは感謝と認識の完全な手本です。永遠の生命とその祝福に対してヱホバに感謝したイエスの生涯は,忘恩で滅びに行くサタンの道と全く著しい対照をなしています。彼のすべてと持ち物とは父ヱホバからの賜物であつて,神の御子は創造されたときからこの真理を高く評価していました。忘恩にも神の位を奪おうなどと,イエスは決して考えませんでした。神の宇宙的な家族の一人に数えられる特権を喜び,常に感謝と認識を以てヱホバの御名の立証に努めたイエスは,『死に至るまで苦難の杭の死に至るまで従順であられた』のです。(ピリピ 2:5-8,新世)しかし,ヱホバの天的な家族の中でかつては共にいることを喜んでいた二人の神の子たちも,全く違う立場をとつたことに注意して下さい。高慢な忘恩者サタンはヱホバの制度から追われ,いまでは地の近くに追い落されています。そして怒つたサタンは御国相続者の残れる者に戦いを排んでおり,自分の時の短いことも知つているのです。謙遜で,感謝と認識を表わしたキリスト・イエスは初めにいたよりも高い位に挙げられ,不滅性の賜物を与えられました。彼が望み見るものは,来るべきハルマゲドンの戦いを越えて永遠にわたり,父なる神に感謝の奉仕を捧げることです。ヱホバの善に対し,誰が賢い評価をしたと思いますか。イエスの手本にならうため,あなたは何をしますか。

      10 イエスはどのように伝道し,感謝と認識を実際の行いに表わしましたか。

      10 私たちがイエスの手本にならうべきことは,パウロが次のように書きしるしたことからも確かです。『信仰の指導者であり完成者であるイエスをしつかり見つめながら,私たちの走るべき競争を耐え忍んで走ろうではないか。イエスは御自分の前におかれた喜びのために,恥をもいとわないで(イエスの評価を見なさい)刑柱を耐え忍ばれ,神の御座の右に坐られたのである。あなた方は,つかれはてて意気をそうしないために,罪人たちのこのような反対にも耐え忍ばれた方を深く考えるべきである。』(ヘブル 12:1-3,新世)価値あるものを正しく認識したイエスを見つめるとき,私たちは物事を正しく評価することを学びます。クリスチャンとしての私たちの行いに反対する近所の人,友人,親族から非難されても,私たちはいといません。あなたはイエスの手本にならい,御国を得るのに妨げとなる一切のものを喜んで売りますか。次のたとえを話したイエスは,御国奉仕の宝を如何に認識すべきかという価値ある教訓を与えられました。『天国は,畑に隠してある宝のようなものである。人がそれを見つけると隠しておき,喜びのあまり行つて,持ち物をみな売りはらい,そしてその畑を買うのである。また天国は,良い真珠を捜している商人のようなものである。高価な真珠一個を見いだすと,行つて持ち物をみな売りはらい,そしてこれを買うのである。』(マタイ 13:44-46,新口)イエスはこの事をされました。感謝と認識を持つたイエスは,高価な真珠を得るためには他のすべての物を売り,地上の生命さえも捨てて,ヱホバに奉仕することの価値を悟り得たのです。サタンは政治また物質的な利を提供してイエスの認識を試みましたが,サタンの組織制度にある物の一つとしてイエスをひきつけることができず,ヱホバの御名の立証を最も価値あるものとしたイエスの評価を変えることができませんでした。御国奉仕というイエスの宝は時と共に価値を減ずることなく,ますます価値を高め,その価値は今でも疑いなく増していきます。パウロは,この手本にならうことを,私たちにすすめているのです。

      11 感謝と認識という点で,使徒たちはどんな立場をとりましたか。

      11 イエスから完全な教えを受けた使徒たちは,一人を除いて全部がその師のようになりました。(ルカ 6:40)例外となつた一人は物質の利に対する評価をあやまつたのです。後で裏切りの金を宮に投げ込むと,立ち去つて自殺した彼は,その愚かな評価が間違いであつたことを自ら示しました。(マタイ 27:3。ゼカリヤ 11:12,13)他の11人,またユダに代つてそのつとめを得たパウロは,全くのところ,感謝と認識を持つ人々であることを証明しました。真理のため,そして良いたよりのために,彼らは多くの苦しみを受けましたが,ヱホバに対する感謝は,苦難に遭つたためにうすれてしまいましたか。ユダヤ人の最高法廷が使徒たちを鞭うち,伝道を止めるようにと命令して釈放したとき,使徒たちは彼らの特権に対する評価を下げましたか。使徒行伝 5章41,42節(新口)の記録はその答です。『使徒たちは,御名のために恥を加えられるに足る者とされたことを喜びながら,議会から出てきた。そして,毎日,宮や家で,イエスがキリストであることを,引きつづき教えたり宣べ伝えたりした。』使徒たちは真の感謝と認識を持つていました。そのことには何の間違いもありません。使徒たちは,自分自身,金銭,快楽などを過大評価しなかつたのです。彼らは神に対し,キリストに対し,真の敬虔な献身の価値に対して感謝していました。そして敬虔な献身は力のあることを証明しました。これらの手本を考えることは何時でも,そして今とくに益を与えます。恩を知らない現代の世界は,神の御国に最後の証言をするのをやめるよう私たちに強くすすめているからです。

      12 私たちの時代のために予言された大きな特権とは何ですか。それは今どのように差し伸べられていますか。

      12 『すべての民に対してあかしをするために,全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである。』(マタイ 24:14,新口)イエスの言われた御国証言のこの業を行う特権は,いまの裁きの日に住む男女に与えられています。よいたよりのためにパトモス島に流された使徒ヨハネは霊感を受けてこのことを予言しました。霊感の幻についてヨハネはこう書きました,『わたしは,もうひとりの御使が中空を飛ぶのを見た。彼は地に住む者,すなわち,あらゆる国民,部族,国語,民族に宣べ伝えるために,永遠の福音をたずさえてきて,大声で言つた,「神をおそれ,神に栄光を帰せよ。神のさばきの時がきたからである。天と地と海と水の源とを造られたかたを,伏し拝め。』(黙示 14:6,7,新口)ヱホバ神の活動力に動かされたヱホバの証者があなたの家を訪問するとき,ヱホバの御国の証者の一人として活動し,神に栄光を帰する特権はあなたに差しのべられているのです。すべての国民の中から,感謝と認識を持つ男女は絶えず熱心に答え応じて,最後の証言に与ることを喜び,そうすることに心からの満足を見出しています。

      13 (イ)感謝と認識に欠けていた人々と富んでいた人々を調べた結果,何が明白ですか。(ロ)従つて,どんな質問がいま私たちに関係しますか。

      13 現在の世は普通に感謝することさえ,全く知りません。しかし,感謝と認識に富んでいた人々のことを聖書の歴史から考えると明らかなように,認識した上での感謝は普通にありがたく思うとか,あるいは単なる感謝ではなく,それ以上のものではありませんか。そうです,確かにこれはあなたの心,知覚力,理解そして魂と力に関係をもつ生死の問題です。あなたは他の人のしたことを見て,ある人は賢く,ある人は愚かなのを知りました。さて,あなたはヱホバの御国に対してどんな行いをしますか。あなたを動かすものは認識の上に立つ感謝ですか。それとも忘恩ですか。あなたは,ハルマゲドンの嵐にも倒れない家を建てていますか。どうすればもつと深い認識と感謝を養うことができますか。それを持つとき,あなたは恩を知らない今の世の終りに生き残ることができるのです。次の記事をよく考え,考慮するようにすすめます。認識を持ち,感謝して読んで下さい。

  • 世の終りの時にあなたの特権を認識する
    ものみの塔 1958 | 6月1日
    • 世の終りの時にあなたの特権を認識する

      『わたしたちはまた,神と共に働く者として,あなたがたに勧める。神の恵みをいたずらに受けてはならない。神はこう言われる,「わたしは,恵みの時にあなたの願いを聞きいれ,救の日にあなたを助けた。」見よ,今は恵みの時,見よ,今は救の日である。』― コリント後 6:1,2,新口。

      1 コリント後書 6章1,2節において,パウロは何に対して感謝と認識を持つよう,私たちにすすめていますか。

      キリスト・イエスを通してのヱホバの過分の御親切を認識して,あなたは感謝しますか。世の終りにあたつて,今こそ受けいれられる時であり,救いを認識して感謝を表わすべき時です。あなたはこの事を十分に理解していますか。コリントの初期クリスチャンと同じく,あなたは,事実を『見て』理解し,また行動するように求められています。

      2 彼の特権を評価したパウロは,どんな結論に達しましたか。

      2 ユダヤの組織制度の終りのとき,パウロは,キリストを知る特権,またキリストの御国のために活発に奉仕する特権を深く認識して感謝を表わしました。パウロはピリピ人にそのことを述べました,『もし,だれかほかの人が肉を頼みとしていると言うなら,わたしはそれをもつと頼みとしている。わたしは八日目に割礼を受けた者,イスラエルの民族に属する者,ベニヤミン族の出身,ヘブル人の中のヘブル人,律法の上ではパリサイ人,熱心の点では教会の迫害者,律法の義については落ち度のない者である。しかし,わたしにとつて益であつたこれらのものを,キリストのゆえに損と思うようになつた。わたしは,更に進んで,わたしの主キリスト・イエスを知る知識の絶大な価値のゆえに,いつさいのものを損と思つている。キリストのゆえに,わたしはすべてを失つたが,それらのものを,ふん土のように思つている。それはわたしがキリストを得るためであり,律法による自分の義ではなく,キリストを信じる信仰による義,すなわち,信仰に基く神からの義を受けて,キリストのうちに自分を見いだすようになるためである。すなわち,キリストとその復活の力とを知り,その苦難にあずかつて,その死のさまとひとしくなり,なんとかして死人のうちからの復活に達したいのである。』(ピリピ 3:4-11,新口)認識と感謝にあふれたこの筆者は,すべての人にすすめています,『わたしがキリストにならう者であるように,あなたがたもわたしにならう者になりなさい。』(コリント前 11:1,新口)神とキリストに対してあなたの持つ認識と感謝は十分に深いものですか。それゆえに,永遠の生命を得るためには,他のすべてのもの ― 必要ならば,家族,前歴,職業,友人さえも ― を損と思うことができますか,もしできないならば,何が妨げとなつていますか。一つのこと,あるいは多くの事が妨げとなつているかも知れません。

      3 (イ)いま,感謝と認識を妨げるものを幾らか挙げなさい。(ロ)感謝と認識を持つうえに役立つ,どんな助けをヱホバは備えられましたか。

      3 種まきのたとえ話の中で,イエスは,認識と感謝を全く妨げてしまうものを指摘されました。(マルコ 4:15-19)この組織制度の影響を与える神サタンは,もちろんその一つであり,艱難や迫害もその一つです。この組織制度のわずらい,富の惑わし,物質のものを求める欲望によつても,人は神の御国に奉仕する特権に対して認識と感謝を失います。良い地に落ちた種とは,御言葉を聞いて受け入れ,御国の実を結ぶ人々のことです。ヱホバの御言葉を聞いて,それを悟ることは,生命をもたらす感謝と認識に至る大きな助けです。ヨハネ伝 17章3節(新口)で,イエスはこれを確証されました,『永遠の命とは,唯一の,まことの神でいますあなたと,また,あなたがつかわされたイエス・キリストを知ることであります。』生命に至るこの知識の価値は,イエスの山上の教えの中で再び強調されました。『自分の霊的な必要物を意識している人々は,さいわいである。天の御国は彼らのものである。』(マタイ 5:3,新世)自分の霊的な必要を認めることができないと,認識と感謝の不足を生じます。聖書の研究によつて,神はどなたであり,何を擁護されているか,神の御考えと,被造物に対する愛の御目的は何かを知るとき,初めて人は深く神を愛し,神に感謝できるからです。これらのことを学んで理解し始めると,人は神に対して本当の理解と感謝を持ち始めます。

      4 聖書の研究を多くすることは,どのように感謝と認識を深めますか。

      4 神の言葉に対する無知と戦うことにより,恩を知らない病と戦いなさい。もつと多くの時間を費やして神の言葉を学び,神の御考えによれば何が価値あるもので,何がつまらないものかを学びなさい。ヱホバの証者は,霊的な必要物を意識している人々の家で何千という無料の聖書研究を開いています。あなたの必要物を意識し,ヱホバの証者を歓迎して一緒に学んで下さい。彼らはその特権を認職し,感謝しています。ヱホバの善といま近づいているヱホバの新しい正義の世について更に学ぶとき,あなたはヱホバの霊,御言葉,制度をますます深く認識して感謝するようになり,ヨブと同じことを言えるでしよう。ヨブは感謝と認識を持つた人で,復活の希望を抱いて眠つています。『私は私の必要な食物よりも彼の口の言葉を重んじた。』(ヨブ 23:12,ア標)神の御考えを学ぶ必要を評価するのに巧みならば,家庭における聖書研究を何時も計画通りに進めて,食事などの比較的に重要でない事に左右されないでしよう。あなたが,いま学んでいるように,人の生きるのはパンだけによるのではなく,ヱホバの御口から出るすべての言葉によるのです。(マタイ 4:4)いまや,あなたはイエスと同じ認職また感謝を持つようになります。

      5 なぜ,今は特に感謝すべきときですか。

      5 他のどの時にもまして,私たちはいま多くのことに感謝すべきです。長いあいだ待ち望まれてきた御国政府は天の位にすえられ,敵の真中ですでに統治し始めました。それはますます盛んとなつて遂には全地に満ちるでしよう。その事実を深く認識しなさい。御国は今ここにあり,そして留まります。ゆるがない忠誠と献身を捧げて御国を支持することは必要です。この必要を十分認識し,生活の中で御国を第一にするなら,あなたも留まることができます。また,目に見えないさまで王が臨在されている今の時は,裁きの日であることを知りなさい。ノアの時代そしてイエスの時代と同じく,人間に与えられている選択は,従うか,あるいは従わないでその報いを受けるかの何れです。歴史上で最も厳しい忠節の試験が行われています。問題は,あなたは民主主義に忠誠を守つていますか,ではありません。あなたは神権政治,神の政府に忠誠を保つていますか,という事こそ問題です。神の御国は間もなく世界を征服します。それはヨシュアとその軍隊がエリコを征服したのと同じぐらい容易なことです。ラハブのように賢く振舞つて,間違いなく勝を得る者に加わることが必要です。あなたはこの必要を十分に認識していますか。天の最高法廷はいま開かれています。国民も人もすべて反逆する者をハルマゲドンの剣に渡すその力を無視してはなりません。

      6 (イ)私たちの行いは法廷で裁かれている人とどのように似ているべきですか。(ロ)生命に対するヱホバの証者の評価は,どのように表わされていますか。

      6 法廷に立つてその生死を裁かれている人は,生きるにふさわしいことを法廷に立証するため,ありとあらゆる努力をつくします。自分を弁護するときに,その人は法廷の外のピカピカ光る新しい自動車をうらやましげに見たり,向い側の店に飾られた流行の服に目を向けたりしません。その人は弁護に没頭しています。それで生命が救われるかも知れないのです。いまの裁きの日に,天の最高法廷の前であなたの作つている記録に対して,認識を欠くようなことがあつてはなりません。ヱホバの証者は,彼らの持つ新しい世の希望の理由を問う人の前で,何時も弁明に努めています。(ペテロ前 3:15)彼らは生活のわずらいを心にかけていません。広くゆきわたつている忘恩の罪は死の罰を受けます。この罪に対して無実なことをヱホバ神の前に立証することが,ヱホバの証者の願いです。ヱホバの証者の新世社会は,生命など『二束三文』という考えに同調しません。ヱホバの新しい世の生命ははかり得ないほどに貴重なものです。ヱホバの証者はいま忠実に証言してその認識を示します。古い世の考えを受けいれる人は最後に次のことを知るでしよう。つまり,彼らが生命を評価したと等しい価をもつてヱホバは報われるという事です。あなたの生命を『二束三文』と考えるなら,その生命はハルマゲドンで塵に帰るでしよう。賜物である生命を認識して,感謝しなさい。そうすれば生命の与え主はあなたの生命をとらないでしよう。

      7 どんな積極的な命令は,私たちが物質のものを評価する時の助けですか。

      7 あなたが物質主義のために死ぬほど心を悩ましているなら,ぜいたく品がなくて死ぬことはなくとも,認識と感謝のないために死ぬことを悟りなさい。この組織制度の富を評価して,神の言葉の貴重な真理よりも価値があると考えるなら,あなたは本当に貴重なものを見分けていないのです。(シンゲン 3:13-18)イエスの積極的な御命令に従つて,感謝と認識を養いなさい。『あなたがたは自分のために,虫が食い,さびがつき,また,盗人らが押し入つて盗み出すような地上に,宝をたくわえてはならない。むしろ自分のため,虫も食わず,さびもつかず,また,盗人が押し入つて盗み出すことのない天に,宝をたくわえなさい。あなたの宝のある所には,心もあるからである。』(マタイ 6:19-21,新口)あなたの心のあるところ,それこそあなたの高く評価しているものです。滅びに定められたこの世の『宝』に心があるなら,宝と共にその心はハルマゲドンのとき滅びるでしよう。あなたの心と魂と力をヱホバの御国に打ち込みなさい。そうすれば,あなたの心は神の御国と同じほどに長く永遠に生きるでしよう。(ダニエル 2:44)2種類の宝に対してイエスの評価を受け入れ,永続する種類の宝を求めなさい。次のことに心しなさい。物質主義についてイエスに間違いのあることを証明しようとするなら,ヱホバ神に間違いのあることを証明しようとする事になります。イエスの言われたように,イエスの教えは彼御自身のものではなく,彼をつかわされた父の教えだからです。

      8 恐れはどのように,感謝と認識を失わせますか。それをいやす方法は何ですか。

      8 『しかし,』とあなたは言います,『私は金銭を愛していない。近くの御国会館,公開講演,大会にも行つている。「ものみの塔」のこの号を読んでいるように,「目ざめよ!」の雑誌も読んだ。ヱホバの証者には真理がある。その事は私も知つているが,私は心配だ。神の新しい世が必要なことはよく分る。しかし,あなた方の宗教は多くの人に受けが悪い。何処に行つてもあなた方は反対されている。私があなた方と行動を共にしなければならないとしたら ―』何と多くの人々は同じような恐れを抱いて,感謝と認識を無くしてしまつたのでしよう! しかし,なぜですか。感謝と認識は心の問題であり,心に関係する質問は,私たちが何を本当に愛するかということです。そして,恐れを無くするには完全な愛が必要だからです。この場合,恐れのために,神と神の御国また隣人に対する愛が抑えられています。私たちは御国のことをこれら隣人に何時も語るべきでしょう。使徒ヨハネはヨハネ第一書 4章17,18節(新口)でこのことを説明しています,『わたしたちもこの世にあつて彼のように生きているので,さばきの日に確信を持つて立つことができる。そのことによつて,愛がわたしたちに全うされているのである。』神の言葉,聖書を通して,神を更によく知りなさい。そうすれば神に対してあなたの持つ愛は大きくなるでしよう。それと共に感謝と認識も深まり,手本を示されたイエスに似る者となります。あなたがこの「ものみの塔」を手に持つている今の瞬間に,ロシヤの強制労働収容所やドミニカ共和国の刑務所その他どこでも,迫害されているクリスチャンが同じことをしているかも知れません。ただ,その人の持つ「ものみの塔」はひそかに持ち込まれたものでしよう。ところが,あなたは,非難を受けはしまいかと恐れているのに,その人はすでに受けている迫害を恐れていません。その理由は明白です,その人は愛と感謝と認識を持ち,それと共にヱホバの聖霊と祝福も受けています。まつたく感謝と認識は相違をきたします。

      9 どんな助言に従うことによつて,私たちは感謝と認識を持ちながら忍耐できますか。

      9 ヱホバは聖書の筆者を霊感して,感謝と認識をたて起す,次のような助言を書き記させました。『キリスト・イエスの良い兵卒として,わたしと苦しみを共にしてほしい。』(テモテ後 2:3,新口)『ただ,あなたがたはキリストの福音にふさわしく生活しなさい。そして,わたしが行つてあなたがたに会うにしても,離れているにしても,あなたがたが一つの霊によつて堅く立ち,一つ心になつて福音の信仰のために力を合わせて戦い,かつ,何事についても,敵対する者どもにろうばいさせられないでいる様子を,聞かせてほしい。このことは,彼らには滅びのしるし,あなたがたには救のしるしであつて,それは神から来るのである。あなたがたはキリストのために,ただ彼を信じることだけではなく,彼のために苦しむことをも賜わつている。』(ピリピ 1:27-29,新口)刑務所や強制労働収容所にいる私たちの兄弟は,パウロの言葉を深く悟つています。そのような境遇に耐えることは,ヱホバ神からのしるしであつて,ヱホバ神が共におられること,彼らが救われて報いを得ることを示すと,彼らは知つています。彼らはパウロと同じように言えます。彼らはキリストのために苦しむ特権に与つているのです。主御自身が弟子たちに保証されました,『二羽の雀は一銭にて売るにあらずや,しかるに汝らの父の許しなくば,その一羽も地に落つることなからん。汝らの頭の毛までも皆かぞえらる。このゆえにおそるな,汝らは多くの雀よりもすぐるるなり。』― マタイ 10:29-31。

      10 イエスはどんな特権をすべての人にさしのべられましたか。

      10 ヱホバ神はあなたを認めることができ,また喜んで認めて下さいます。ゆえにあなたも,世の終りの時にヱホバのさしのべられた奉仕の特権に喜んで感謝するのは当然です。つづくイエスの御言葉は行動を要求しています,『だから人の前でわたしを受けいれる者を,わたしもまた天にいますわたしの父の前で受けいれるであろう。しかし,人の前でわたしを拒む者を,わたしも天にいますわたしの父の前で拒むであろう。』(マタイ 10:32,33,新口)反対に遭つても固く立つ用意を整えておき,神の御国のために臆せず語ることを決意しなさい。そのとき,王も立つて,あなたのために語るでしよう。それはあなたに永遠の祝福となります。

      11 世の終りの時に,新世社会はどんな特権を受け入れましたか。

      11 今日,神の言葉を熱心に学ぶ人すべてに差し伸べられた特権と義務は,ヱホバに生命を献身して,如何なる時であれ,ヱホバの為そうと望まれるわざをすべて行うことです。クリスチャンはイエスと同じく,水の洗礼によつて献身を象徴します。(ヘブル 10:5-9)あなたの国また,少くとも163の他の国々において,新世社会は感謝と認識を持つ男女,若者たちから成り立つています。彼らは世の終りにあたつてイエスの真の弟子となりました。この特権を受け入れて行動することの必要を,あなたは十分に認識しましたか。弟子とは『師の教えを受け入れて,それを宣べひろめるのに与る者』です。イエスは仲間の証者に命令されました,『それゆえに,あなたがたは行つて,すべての国民を弟子として,父と子と聖霊との名によつて,彼らにバブテスマを施し,あなたがたに命じておいたいつさいのことを守るように教えよ。』(マタイ 28:19,20,新口)この雑誌に引用されたこれらの言葉をどの国語で読むにしても,意味は同じです。御言葉を聞くだけ,また読むだけの者にならず,これを行う者になりなさい。この事をよく悟らねばなりません。―ヤコブ 1:22。

      12 (イ)黙示録 7章の示すところによれば,クリスチャンはいま何をしていますか。(ロ)誰の献身の手本は注目に値しますか。

      12 設立された神の御国とその王を公けに歓呼して迎えることは特権です。ハルマゲドンを生き残り,義の御国の支配の下に暮したいと望むすべての人に,この特権はさしのべられています。しかし,ハルマゲドンのとき,その義なる政府の保護を受ける人々は,いま公けに王をたたえて黙示録 7章10節の言葉を言い表わし,『救は御座に坐したまう我らの神と小羊とにこそあれ』と述べる人々,献身した,信頼のできる男女,若者だけです。しゆろの枝を振ることは,あなたが,支配している御国の生きた証人であるという意味です。ハルマゲドンの艱難が未だ襲わないうちに,この悪い組織制度の中から出なさい。献身したクリスチャンであることを示す白い衣を身に着け,神と小羊の前に受け入れられる清いよそおいをしなさい。この献身した状態において,あなたは,ヱホバの聖なる宮で昼も夜も聖なる奉仕を捧げるのにふさわしい者となります。それを認めてヱホバの小羊はあなたを生命の水の泉に導いて下さるでしよう。『神は,彼らの目から涙をことごとくぬぐいとつて下さるであろう』という約束の成就を既に楽しんでいる新世社会と共に歩んで,あなたは喜びを得るでしよう。(黙示 7:14-17,新口)この幸福とすばらしい希望を価値あるものと見るなら,時機を得た献身によつてそれを表わしなさい。ヱホバは喜んで与える者を愛されます。喜んで,心からあなたを捧げるというすばらしい特権を認識して感謝しなさい。使徒行伝 8章にしるされているように,感謝と認識を表わしたエチオピヤ人の行いに倣いなさい。女王カンダケの財宝を管理していた彼は,物質の価値を知つていました。しかし,キリストについての良いたよりを聞いたとき,それを更に価値ある宝と認識したのです。彼は献身して洗礼を受け,感謝と認識を直ちに表わしました。―使行 8:36-38。

      13 (イ)新世社会と共に,あなたは今どんな特権を楽しむことができますか。(ロ)うすれつつある感謝と認識をどのように強めることができますか。

      13 新世社会の中で,あなたは数多くのすばらしい特権を見出すことでしよう。その何れも神の眼には大きな価値のあるものです。公けの聖書講演会に出席する特権もあれば,「ものみの塔」研究,公けの話し方について神権宣教学校で学ぶ教訓,更に宣教の特権をよく果すのを助ける毎週の奉仕会もあるでしよう。あなたは真のクリスチャンたちと交わります。彼らはあらゆる職業の人々です。また互に愛し合つているゆえに,彼らはイエスの弟子であることがはつきり分ります。(ヨハネ 13:35)これらの祝福をすでに味わつたものの,この組織制度のわずらいのために感謝と認識を失つているならば,すぐに御霊の剣をとり,まとわりつくものを切りはらつて自由になりなさい。その霊感された教えを学んで,ヱホバがあなたに望まれることを正確に知り,ついで聖霊と聖書の真理があなたを自由にするよう,ヱホバの助けを祈り求めなさい。あなたがヱホバへの感謝と認識を表わすのを助けるため,新世社会内の円熟した人々はできるだけのことをするでしよう。彼らはパウロの言い表わしたと同じ態度をとります,『わたしたちは,あなたがたひとり残らず,最後まで望みを持ちつづけるためにも,同じ熱意を示し,怠ることがなく,信仰と忍耐とをもつて約束のものを受け継ぐ人々に見習う者となるように,と願つてやまない。』― ヘブル 6:11,12,新口。

      14 無関心と自己満足に打ち勝つため,何をしなければなりませんか。

      14 恩を知らない病は心と手を麻痺させるうえに,集会に出かけ,家から家の御国奉仕に働くべき足を弱くします。自己満足か無関心のために,あなたがこの病にかかりそうならば,急いでそれを直す処置をとりなさい。『それだから,あなたがたのなえた手と,弱くなつているひざとを,まつすぐにしなさい。また,足のなえている者が踏みはずすことなく,むしろいやされるように,あなたがたの足のために,まつすぐな道をつくりなさい。』(ヘブル 12:12,13,新口)この世から得られるものを高く評価したデマスの誤りを避けなさい。かつては使徒と共に働く特権を楽しんだのにも拘らず,デマスは感謝と認識を失いました。彼の心は何か外の物の上にあつたのです。それでパウロは次のことをテモテに書き送りました,『デマスはこの組織制度を愛したために,私を見捨てた。』その組織制度は今どうなつていますか。そしてハルマゲドンの後にどうなるでしようか。

      15 ゲハジの例からどんな力強い教訓を学びますか。

      15 ゲハジはヱホバの予言者エリシヤと共に働く特権を持つていましたが,物質主義のために感謝と認識を失いました。物質の価値をあやまつて評価した彼は,シリヤの軍勢の長ナアマンから物質のものを得るために偽りを言うことをさえしました。『今は金をうけ衣をうけ,かんらん畑,ぶどう園,羊,牛,僕,婢をうくべき時ならんや。』とエリシヤが尋ねると直ぐにナアマンの癩病はゲハジにつき,彼がエリシヤの前を出て行くとき『癩病発して雪のごとくなりぬ。』としるされています。たしかに,この癩病人はエリシヤと共にヱホバに奉仕する特権をもはや楽しむことができませんでした。世の終りの時であるいま,物質主義のためにふさわしくない状態に陥り,神に受け入れられる奉仕がもはや出来なくなることのないように気をつけなさい。いまは特に御国とヱホバの義を求める恵みの時です。そうするときに,ヱホバの王は,ハルマゲドンの時あなたを求め,あなたの福祉を図るでしよう。

      16 その科学的進歩にも拘らず,ヱホバはこの世をどう評価されていますか。

      16 この世の宗教,政治,商業,娯楽は価値あるものと思われています。あなたが永遠の生命を得るのを助けるかどうかについて言えば,神の言葉が正しく評価しているように,これらは価値のないものです。非常に多くの人は心からの満足と是認をこの世に見出しているように思われますが,もしこの世がそれに値するなら,またこの世のどの部分にしても真の価値があるなら,ヱホバはこの世を間もなく滅ぼそうとなさるでしようか。ヱホバがそうされることはヨハネの言葉に見て明らかです,『世と世の欲とは過ぎ去る。しかし,神の御旨を行う者は,永遠にながらえる。』(ヨハネ第一 2:17,新口)原子時代が到来し,人工の『月』が生まれようとも,恩を知らない世が平和と繁栄の新時代を迎えつつあるとは言えません。天にのぼることまで,科学が考えているからと言つて,古い世に対する確信はその価値を増したわけではありません。バベルの塔を建てた人々も同じことを考えましたが,ヱホバの与えられた打撃から立ち直ることはなかつたのです。この世はハルマゲドンのときに打ち砕かれて,決して立ち上らないでしよう。

      17 真の幸福はどこに見出されますか。

      17 あなたは今さいわいを願い,安全を求めています。そして,慰めや希望と共に,これらを価値のあるものと考えています。では,それらを見出す唯一の方法はヱホバの御言葉,聖書を調べ,世の終りの時のいま,あなたに対するヱホバの御心を学ぶにあることを十分に悟りなさい。神の言葉が約束しているように,あなたは求めているものを聖書の中に見出すでしよう。『完全な自由の律法を一心に見つめてたゆまない人は,聞いて忘れてしまう人ではなくて,実際に行う人である。こういう人は,その行いによつて祝福される。』― ヤコブ 1:25,新口。

      18 いま,私たちの特権を評価するに当つて,どんな前途をよく考えるべきですか。

      18 ハルマゲドンの後にくる新しい世の幻をますます明らかに見て,あなたの幸福は新世社会のましくわわる喜びと共に大きくなるでしよう。目前にある喜びと平和の希望を,いまの組織の憂うつと恐れに比べて考量してごらんなさい。あなたに対する神の御国の価値を評価しなさい。そして,地に楽園の安らかさを回復するわざに与りながら,あなたの楽しむ喜びの生活を考えてごらんなさい。ヱホバの讃美となるように,地を美化するのをあなたは助けることができます。傷つけることも,そこなうこともない世界に,あなたの子供たちは生れてくるでしょう。感謝と認識を持つた男女が約束の復活を受けるとき,あなたはその人々を迎えます。洗礼者ヨハネと語り,彼がイエスについて述べるのを聞くとき,心は本当に躍ることでしよう! アベル,ノアとその家族,アブラハムとサラ,ダビテとデボラ,エフタとその娘など,その他大勢の感謝と認識を持つたヱホバの僕がよみがえされて,あなたと共に神の新しい世を楽しむとき,その人々に会うことを考えてごらんなさい。

      19 奉仕の特権は,どのように標識と似ていますか。

      19 あなたの前に置かれた喜びをよく考えるなら,あなたはイエスの手本にならい,その新しい世を得るために持つているすべての物を『売る』でしよう。(マタイ 13:44,45)クリスチャン会衆の中であなたに与えられる,それぞれの特権は自動車を道に走らせながら,次々に出会う通行税取立所の標識のようです。それは,あなたが正しい道を正しい方向に向つて進んでいることを確信させます。(マタイ 7:14)この道は恩知らずという広い道ではありません。その道は必ず滅びに導きます。生命に至る道は,感謝と認識の道です。この道を見出す比較的に少数の人々の中に入りなさい。世の終りの時におけるあなたの特権を認識し感謝することによつて,そうすることができます。

      20 (イ)自分たちの特権をどのように扱うことを,パウロはすべての人にすすめていますか。(ロ)世の全き終りのとき,ヱホバの王はどの人々に対して認識を示されますか。

      20 ヱホバからどんな賜物や特権を与えられても,それを高く評価し,また忠実にそれを用いてヱホバに誉を帰しなさい。『何をするにも,人々ではなく,ヱホバに仕えるように心から働きなさい。あなた方は,ヱホバから正しい相続の報いを受けることを知つているからである。』(コロサイ 3:23,24,新世)『私たちは与えられた過分の御親切に従つて,それぞれ違う賜物を持つているのだから,予言の賜物を持つならば,私たちに分け与えられた信仰に応じて予言しよう。あるいは宣教であれば,この宣教に努めよう。あるいは教える者であれば,教えることに努め,分ける者ならば惜しみなく分け,治める者であれば,真の熱心をもつて治め,憐れみを示す者であれば,喜んで憐れみを示すようにしよう。あなた方の愛に偽善があつてはならない。悪を憎み,善を止めてはならない。兄弟愛のうちに互にやさしい愛情を持ちなさい。互に尊敬を示すことにおいては,率先しなさい。あなたの仕事を怠るな。御霊に燃え,ヱホバの奴隷でありなさい。前途の希望に大いに喜びなさい。患難の下にあつても忍耐し,たえず祈りなさい。』(ロマ 12:6-12,新世)自分たちの特権を認識して感謝する善意者のすべてにむかい,王は世の終りの時にこう言われるでしよう,『わたしの父に祝福された人たちよ,さあ,世の初めからあなたがたのために用意されている御国を受けつぎなさい。』(マタイ 25:34,新口)あなたはそのような相続に対して認識と感謝を持ちますか。では,古い世の終りの時にあなたの持つ特権を認識して感謝しなさい。

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