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真理のみことばを裏づける土地と考古学ものみの塔 1968 | 12月15日
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の王にそむけり」。それからこの章は,モアブの王メシャに対してヨラム王が起こした行動を述べていますが,モアブ人は大いに卑しめられ,敗北しました。
9 聖書を裏づけるメシャの記録にかんして考古学はどのように貢献しましたか。
9 考古学上の発掘により,メシャ王がしるした反逆の記録いわゆるモアブ碑石が発見されました。聖書のヘルブ語とほとんど変わらない一方言で書かれたこの碑石は,メシャ王の手で一つにはその反逆を記念して建てられました。この碑石は1868年,死海東岸のなかほど,モアブの領土内の地点で発見されました。モアブの王は自らをケモシ神の崇拝者と述べています。そして,イスラエルの神エホバの名が碑文の中に出ています。偽りの神ケモシはモアブを救い得ませんでした。モアブ碑石に刻まれたメシャの碑文は,モアブに対するエホバの勝利を隠すことはできません。エレミヤは述べました。「ケモシの民は滅びたり」。またゼパニヤはこう預言しました。「必ずモアブはソドムのごとくになりアンモンの子孫はゴモラのごとくにならん」。(エレミヤ 48:46。ゼパニヤ 2:9)そのとおりのことがメシャとその民モアブ人に生じました。モアブ碑石にはテトラグラマトンつまり,まことの神の名前を表わす4文字だけでなく,聖書の中の14の地名がヘブル-フェニキア語でしるされています。この碑石は多年聖書学者の研究に貢献してきました。
10 ソドムとゴモラの廃虚はどこにありますか。どんな権威者がこの点について述べていますか。
10 前述のとおり,「モアブはソドムのごとくになりアンモンの子孫はゴモラのごとくにならん」とゼパニヤは述べました。ソドムとゴモラおよびその平地の町々はどんな運命をたどりましたか。ウェルナー・ケラーはこう語っています。「我々は今日……それら二つの町の消失にかんするなぞが解かれたと確言できる」。腐敗したそれら平地の町々は,死海南端の水中に廃虚として横たわっています。死海の水面はそれらの町が滅ぼされた当時よりも一段と高くなったからです。こうしてなぞは解かれました。確かに,「イスラエル人が……パレスチナに……定着したのちの聖書の物語りは,考古学および碑文学上などさまざまな資料により,ますます明らかにされている」のです。「要約すれば,我々は今や再び聖書全巻を宗教的な歴史の真実の記録として取り扱うことができる」と考古学者アルブライトは述べています。
11 ここに掲げられている「驚くべき遺跡」の名をあげ,当誌上の地図で各々の場所を示しなさい。
11 当時神に敵対した人々は色々な町にたてこもっていました。エホバの預言者はそれらの町に対する滅びの宣告を述べましたが,その成就は,廃虚と化したそれらの町々に見られます。そのような遺跡は神の預言者の宣告の正しさを確証する見事な証拠です。一権威者はそのような「驚くべき遺跡」としてツロ,シドン,ベテル,サマリヤ,エルサレム,バビロンなどの町々,エジプト,エドム,ペリシテ人の地を上げています。考古学上の発掘調査の行なわれた町々の遺跡は,ハゾル,コラジン,ナザレ,カイザリヤ,サマリヤ,シケム,シロ,ベテル,エリコ,ギベオン,ギベア,エルサレム,クムラン,ベテズル,ラキシ,デビル,エジオンゲベルなどです。しかし決してこれが全部ではありません。
12 ラキシとアゼカはどんな町ですか。どこにありますか。それらの町は神のみことばをどのように裏づけますか。
12 この雑誌に掲げた大きな地図を見ると,シェフェラのアゼカの近くにラキシの町があります。これら二つの町の遺跡はいずれも発掘されました。この発掘調査の際,聖書の記録の多数の詳細な点を確証する考古学上の貴重な資料が出土しました。1935年,いわゆる「二重の門楼」の番兵詰所跡から,文字の刻まれた土器の断片が18個発掘されました。そして,それらのかけらは幾つかの手紙であることがわかり,今では「ラキシの手紙」として知られています。それら出土品はエレミヤ記 6章1節にある合図の火にかんする聖書のことばを確証し,また,ラキシがエレミヤ記 34章7節で言及されているアゼカの近隣の町であることを証明しています。そして,ラキシとアゼカが最後に残された要害の町であると述べた聖書のことばを裏づけています。さらに,ユダの人々がエホバの命令を破ってエジプトに下り助けを求めた事実も確証されました。「ラキシの手紙」は,ネブカデネザルに最後まで抵抗したこの前哨地点にかんする記録をのせています。そのうえ,当時のユダヤ人はエホバというお名前を躊躇せずに用いていたことをも示しています。まことの神のお名前であるエホバを表わす四つのヘブル文字テトラグラマトンが「ラキシの手紙」の中にしるされているのです。
13 (イ)今日のサマリヤ地方には聖書を裏づけるどんな場所がありますか。(ロ)旅行者はほかにどんなところを今日でも見ることができますか。それらは地図のどこにありますか。
13 ヨシュア記 8章によれば,ヨシュアはエバル山上でエホバのための祭壇を築きました。そしてイスラエルの人々は年取った人,官吏,さばき人,祭司,レビ人,他国の寄留者,一般の住民など,すべてがエバル山とゲリジム山の前に集まりました。そこでイスラエル人を前にして祝福とのろいのことばが読まれたのです。ゲリジム山やエバル山は今もそこにあり,だれでも訪れることができます。1963年,幾百人ものエホバの証人は地理上のこれらの要所や約束の地の他の史跡を訪れました。サマリヤ地方の南部,ゲリジム山とエバル山の近くで証人の多くは,かつてイエスがなさったように,スカルの村近くのヤコブの井戸で水を飲みました。そこでは今もなおさわやかな冷たい水が地下からわき出ています。ヨルダン川,ガリラヤの海,ベツレヘムやヘブロンの町々,ヒンノムの谷その他数々の地理上の場所は今もあり,あなたも尋ねることができます。それらの場所はだれでも尋ねることができ,今も依然としてそこにあるのですから,真理のみことば聖書を裏づける証拠となります。
14 イエスがオリブ山にすわって眺められた光景は今日どうなっていますか。
14 以上述べた事柄は大変明確な実例ですが,イエスが重大な預言を述べた時の情況を示す聖書の説明の正確さを物語る証拠についても,同じことが言えます。マルコ伝 13章3節によれば,イエスは「オリブ山にて宮のかたに対ひて坐し」ておられました。そのオリブ山は今もそこにあります。そこから西方を見渡すと,ゲッセマネの園のかなた,ケデロンの谷の対岸に現代のエルサレムの町の東側の城壁が見えます。イエス時代,その場所には壮麗な宮が立っていました。そのさまは,ものみの塔協会の1968年のカレンダーに描かれています。かつての宮の敷地に今はイスラム教の寺院,岩のドームが立っています。その場所もその土地も依然としてそこにあり,マルコ伝 13章3節のことばは地理的にも確証されています。オリブ山で腰をおろされたイエスはその地を眺めましたが,宮の場所は今日でもオリブ山から眺められます。
15 聖書以外にポンテオ・ピラトが実在の人物であることを示すどんな証拠がありますか。どこで発見されましたか。
15 イエスの宣教の末期にポンテオ・ピラトという人物が登場します。キリスト・イエスの時代にエルサレムのローマ総督だったこのポンテオ・ピラトにかんしては,海岸地方の平野の町カイザリヤで考古学上の貴重な資料が近年発見されました。ピラトについては聖書中の記録と古代の歴史家とくにヨセハスの著述以外,考古学的な証拠は何も知られていませんでした。ところが1961年,ミラノ大学のイタリア考古学探検隊がカイザリヤの近くで縦58センチ横79センチほどの石板を発見しました。この碑文には,ポンテオ・ピラトとチベリウス(テベリオ)の名前の一部がラテン語でしるされており,その石板はピラトが実在したことを考古学的に立証しています。エホバの証人は,聖書がピラトについて述べているゆえに,彼が実在の人物であることを知っています。聖書を認めない人々は,ポンテオ・ピラトとしるされたこの碑文を前にしてどうするつもりでしょうか。
16 聖書を裏づける考古学上の資料はわたしたちにとってなぜ有益なものですか。
16 真理のみことばを裏づけるこの土地から得られた記録はほかにもたくさんあります。これまで述べたのはその一部にすぎません。では,このような知識はわたしたちにどんな影響をもたらしますか。どんな益がありますか。考古学によりもたらされた,聖書を裏づける資料からどんな益が得られますか。約束の地というエホバのすばらしい賜物は,終わりの時代の今どんな点で役だちますか。聖書とその土地について知り,また考古学やその土地がもたらす,聖書の裏づけとなる証拠を学ぶとき,真理のみことばに対するわたしたちの認識は深められます。古い写本の発見は正真正銘の聖書原典の本文を再現させるのに大きく貢献しました。同様に,発掘された膨大な量の出土品により,聖書の本文にしるされている事柄は,歴史,年代学,地理いずれの面でも詳細な点にいたるまで信頼できるということが確証されました。
17,18 (イ)大英博物館の附属図書館長はどんな見解を公に述べましたか。(ロ)考古学者グルックはなんと述べていますか。
17 こうして聖書の批評家は考古学により困惑させられています。多年,大英博物館の理事と同附属図書館長をつとめる英国のひとりの著名な学者は,聖書についてこう述べました。「考古学上の証拠によりその権威は回復されようとしており,また,その背景にかんするより深い知識が得られたため聖書はいっそう理解しやすくなり,その価値は高めらようとしている。考古学はまだ決定的なことばを述べてはいない。しかしこれまでに得られた結果は信仰の示す事柄,つまり知識の増加は聖書に利するということを確証している」。
18 考古学者ネルソン・グルックは自著,「砂漠に流れる川」の中でこう述べています。(1959年版,31頁): 「しかし実際のところ,聖書に述べられている事柄を論ばくできる考古学上の発見は一つもないと断言できるであろう」。
19 (イ)考古学は何を確証していますか。(ロ)どのようにして約束の地に親しむことができますか。
19 真理と神のみことばに資する考古学上の諸事実の益を幾つか列挙してみましょう。考古学は,族長にかんする物語やサウルとダビデの統治を確証しています。また聖書中の出来事の年代を定める助けとなり,聖書時代の文化や風習にかんする知識を供します。さらに,聖書の歴史的な背景を述べ,また聖書中の色々なことばの意味を理解する助けとなります。真理のみことばの土地はまぎれもなく存在しており,そこに横たわっています。それでは,できるだけその土地について詳しく知るようにしましょう。聖書の記録の中に,あるいは神のみことばを研究する際に,場所や土地のことが出てきたなら,聖書に載せられている地図や他の地図を用いてそれらの場所を調べてみましょう。聖書を読むときそこに書かれている事柄をいっそう深く理解したいと思いますか。確かにそう思います。土地の地理を思い浮かべると,書かれたことばの意味をいっそう深く理解できます。(これはわたしたちの願うべき事柄の一つです)そして,やがて約束の地について詳しく知るようになり,その結果,聖書そのものにいっそう通ずることになるでしょう。
20 エホバの贈り物であるその土地とみことばにどう答え応じるべきですか。
20 その土地は造り主をたたえます。創造者がたたえられることはわたしたちの喜びです。贈り物であるその地は与え主を立証し,わたしたちはエホバの立証されることを喜びます。また神のみことばの贈り物を愛し感謝します。そして,詩篇 119篇130および140節のことばに声を和します。「聖言うちひらくれば光をはなちて 愚かなるものをさとからしむ なんぢの聖言はいときよし このゆえになんぢの僕はこれを愛す」。わたしたちはエホバのしもべです。ゆえにエホバの真理のみことばを愛します!
21 ヨシュア記 23章14節のことばはわたしたちにとってどんな意義を持っていますか。
21 神のみことばの批評者や反ばく者が提供するものは,偽り,疑い,当惑,こじつけ以外の何物でもありません。それらはわたしたちにとって無益なものです。むしろエホバの証人はヨシュアの述べた次のことばの真理を認め,そのことばに和して語ります。『わたしたちの神エホバがわたしたちに語られた良いことばはひとつも欠けることなくすべて果たされた。わたしたちはこのことを自分の心と魂のすべてをもって十分に知っている。それらはみなわたしたちに真実となった。ひとことも果たされないものはなかった』― ヨシュア 23:14,新世訳。
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小さな種子からものみの塔 1968 | 12月15日
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小さな種子から
● 米国カリフォルニア州産の巨木セコイア(アメリカ杉)の,一粒の種子の重さはわずか1ミリグラムにすぎない。しかしそれほど小さな種子から高さ60メートルを優に越す大木に生長する。この種の木のあるものは高さが83メートルあり,根もとの部分の周囲は30メートル以上もある。つまりそれは約17人の男子が腕を広げて根もとの部分を取り巻くほどの長さである。これは神の御手のわざの一例にすぎない。
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