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みことばを心に植えるものみの塔 1970 | 4月1日
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を弟子とし…彼らにバプテスマを施し(なさい)」とのイエスのご命令に答え応じておられますか。
23,24 人格を改めるという点で,100万を越えるエホバのクリスチャン証人は何をしましたか。
23 今日,100万を越えるエホバの証人は,道徳上の悪・肉の汚れなどの無用なものを捨て去ることによって,救いを得るための正しい段階を進んでいます。彼らはパウロの語った次のことばを信じています。「あなたがたの以前の生き方に基づき,人を欺く欲望にしたがって腐敗している古い人格を脱ぎすて,あなたがたの心に動く力によって新たにされ,真の義と忠節にそいつつ,神の御心にしたがって造られた新しい人格を着けるべきである」。(エペソ 4:22-24,新)「神の御心にしたがって造られた」新しい人格を築くには,まず第一に古い人格を脱ぎ捨てなければなりません。それ以外に道はありません。そうすれば,変化が生じはじめます。そして,「魂を救い得ることばが植えられることを柔和に受け入れ」る人の心には,新たな力が働くようになるでしょう。パウロはそうした新しい人格を築くことに深い関心をいだいていました。コリント前書 9章27節(新)で次のように述べたのもそのためです。「わたしは自分のからだを押えて,奴隷のようにこれを導く。それは,他の人々に伝道しておきながら,どうかして自分が非とされることのないためである」。
24 タルソのサウロはその心に『御国のことば』を植えられて,使徒パウロになりました。彼は自分が良い土であることを示しました。そして多くの実を結ぶことを願った彼は,行って伝道し,人々にバプテスマを施しました。この点でパウロは今日のわたしたちの良い模範です。
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ある人々は信者になったものみの塔 1970 | 4月1日
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ある人々は信者になった
1 良いたよりを宣べ伝えることに関して,使徒パウロはどんな態度をとりましたか。
使徒パウロはすぐれた福音伝道者でした。彼は喜んで地の果てに行って,神の御国の良いたよりを宣べ伝えました。アテネでは,エピクロス派・ストア派などの学識の深い哲学者としばしば論議をかわし,かなりの論争を引き起こしました。こうしるされています。「ある者らは[パウロ]に言ふ『このさへづる者なにを言はんとするか』ある者らは言ふ『かれは異なる神々を伝ふる者のごとし』これはパウロがイエスと復活とを宣べたるゆゑなり」。(使行 17:18)その後まもなく,パウロはそれらの人々に伴われて,裁判所のある丘つまりアレオパゴスに急いで出かけ,人々はそこでパウロの話をさらに詳しく聞きました。アレオパゴスの中に立ったパウロは語りました。「アテネ人よ,我すべてのことについて汝らが神々を敬ふ心のあつきを見る」― 使行 17:22。
2 パウロはまことの神についてどのように証言しましたか。
2 使徒行伝 17章22節から34節までの記録を読むと,パウロが神について語った事柄から多くを学べます。パウロはアテネ人に向かって,「知らざる神に」としるされた祭壇を見たことを述べ,その事実を用いて話の要点を明示できました。というのは,彼らが知らずに拝んでいるのは,「世界とその中のあらゆる物とを造り給ひし神」であると人々に語ったからです。パウロが彼らに広めようとしていたのは,ほかならぬこの神でした。パウロの崇拝していた,人々の「知らざる神」は,何物をも必要としてはおられません。なぜなら,その神は「みづからすべての人に生命と息とよろづの物とを与へ給(ふ)」かただからです。さらにパウロは,この神が「一人よりしてもろもろの国人を造りいだし,これを地の全面に住ましめ」たことを述べています。それらアテネの人々はこの神を見いだすことができました。神は,人間が達し得ない遠いところにおられるかたではないからです。パウロはまた,人間はエホバ神によって命を得,動き,かつ存在している者であり,彼らの中のある詩人が言ったように,『われらはまたそのすえである』とアテネの人々に語りました。
3 地に対するさばきについて語ったパウロは,人々の心をどれほど動かしましたか。
3 宇宙を治めておられる神は,「さきに立て給ひし一人によりて義をもて世界をさばかんために日をさだめ,彼を死人のうちよりよみがへらせて保証を万人に与へ給へり」と語ったパウロは,人々のあいだに大きな騒ぎを起こしました。(使行 17:22-31)それは耳新しい事柄でした。アレオパゴスに来て,パウロの話を聞いた男女にとって,それは確かに考えさせるものでした。事実,「アテネ人も,かしこに住む旅人も,皆ただ新しきことをあるひは語り,あるひは聞きてのみ日を送(って)」いたほどです。確かにパウロは人々に語るべき新しい事柄を知っていました。そして幾人かのアテネ人は心を動かされ,信者になりました。しかし他の人々は,「死人の復活をききて……あざわらひ……ある者は『われらまたこの事を汝に聞かん』」と言いました。―使行 17:21,32。
4 アテネ及びコリントにおけるパウロの伝道活動は,どんな結果をもたらしましたか。
4 『御国のことば』が人の心にどんな感銘を与えるか,つまり真理の種がどんな種類の土に落ちるかは,だれにもわかりません。それは道ばたか石地,あるいはいばらの中に落ちるかもしれません。一方,良い土に落ちて,実を結ぶ場合もあるのです。使徒パウロは実を結ぶのを見て,大きな喜びを得ました。聖書の記録は,パウロが人々の中から出て行った時,「彼につきしたがひて信じたるもの数人あり。そのうちにアレオパゴスの裁判人デオヌシオおよびダマリスと名づくる女あり,なほその他にもありき」と述べています。(使行 17:33,34)したがってパウロがまいた種は実を生み出しました。この場合,その実は一裁判官とある婦人その他の人々でした。それよりも前のこと,パウロは自らが良い土であることを示しました。その心と思いに『御国のことば』を鳴り響かされたパウロは,真の伝道者,百倍もの実を結ぶ者になったからです。コリント会衆を設立したパウロが,その会衆の人々に書き送った次のことばを思い起こしてください。「汝らは即ち我らの書にして我らの心にしるされ,またすべての人に知られ,かつ読まるるなり。汝らは明かに我らの職によりて書かれたるキリストの書なり。しかも墨にあらで活ける神の御霊にてしるされ,石碑にあらで心の肉碑にしるされたるなり」― コリント後 3:2,3。
5 今日,真のクリスチャンは,自分たちがパウロに似ていることをどのように示していますか。
5 真のクリスチャンは,『それゆえ,行って,すべての国の人々を弟子とし,彼らにバプテスマを施しなさい』とのイエスのご命令を心にとめています。(マタイ 28:19,20,新)確かにパウロは宣教においてこのことを行ない,すぐれた成果を収めました。エホバとその愛する御子キリスト・イエスとを知った人々すべてが,今行なうように求められているのはこのことです。今日,真のクリスチャンは使徒たちと同様,自分たちの伝道する人々が,神のみことばを理解できるように助けなければなりません。真のクリスチャンは教える者でなければならず,弟子あるいは学ぶ者が『御国のことば』の真意を悟るのを助けなければなりません。イエスは言われました。「御国のこの良いたよりは,すべての国の民への証として,人の住む全地に宣べ伝え
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