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神の主権を認めることには益があるものみの塔 1975 | 9月1日
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「予期していたとおり,激しい禁断症状に襲われました。眠れぬ夜が幾晩も続きました。座っていることも,横になっていることも,何かを読むこともできませんでした。わたしはヒステリックな叫び声を上げました。体がひきつって自分でもどうしようもありませんでした。しかし,医師と愛する夫,そして何よりもエホバ神の助けによって,わたしは麻薬への奴隷状態から解放されたのです。
「もちろん,今でも時々気分の重くなることはあります。でも,まわりの人は,以前よりずっとよく見えるし態度も明るくなった,と言ってくれます。緊張が高まると,今では薬に頼るのではなく,それに立ち向かうようにしています。わたしにとって大きな力の源となっているのは,祈りによって生まれるエホバ神との強固な関係です。
「重い病気にかかり,こうした医療を受けなければならない人がいることもよく理解できます。しかし,わたしと同じように,そうした薬剤の使用を断ちたいと思いながら,どうしたらよいのかわからないでいる人も少なくないのではないでしょうか。わたしがこの体験を書いたのはそのためです。唯一の真の解決策は,神に対する祈りと,原動力となる聖書の原則に基づく強固な意志力です」。
『互いへの愛とすべての人への愛』
神の主権を認めることには,「主が,あなたがた相互の愛とすべての人に対する愛とを……増し加えて豊かにして下さるように」という聖書の勧めに一致して行動することも含まれます。(テサロニケ第一 3:12,口語)クリスチャン同士が互いに愛を示し合う一つの重要な方法について,ヘブライ 10章24,25節はこう述べています。『愛と善行とを励むように互いに努め,……集会をやめることをしないで互いに励まそうではないか』― 口語訳。
聖書のこの命令に従うために非常な努力を払っている人も少なくありません。例えばアルゼンチンに住むチェバリエ一家は,仲間のクリスチャンたちと週ごとに行なう聖書研究の集会に,50㌔近くもあるところを定期的に出席しています。この集会に出席するために毎月収入の25%を費やします。こうした出費について尋ねられたチェバリエ氏は,次のように答えました。
「それは,経済的には少しきゅうくつになりますが,わたしはこれこそ今できる最良の投資と考えています。エホバは,それだけの努力を払うに値するおかたです。いや,それ以上のかたでしょう。また集会は子どもたちにとって,欠かすことのできない非常に重要なものです」。
クリスチャン会衆外の人々を含めた「すべての人」に対する愛についてはどうでしょうか。イエスは,神の「王国の良いたより」を公に宣べ伝えることによって,そのことを行なわれました。そして,ご自分の弟子たちにも同様の業を行なうよう指示されました。(マタイ 4:23; 10:5-7; 24:14)今日,その業は世界的な規模に達しています。それを示す例として,北部メキシコの山岳地帯ドゥランゴ州を旅行するエホバの証人のある奉仕者から寄せられた次の報告をみてみましょう。
「この地域の兄弟たちに奉仕するには,神に対する愛と隣人に対する愛が求められます。というのは,人々の住んでいる所まで行くのに,高い山や低い山を幾つも越えていかなければならないからです。時には,わずか8家族か10家族の住む村落に行くのに,起伏の多い岩だらけの地域を4時間近くも歩かなければならないことがあります。
「それにもかかわらず,こうした孤立した地域に住む人々のところに行く努力が常に払われています。時々兄弟たちは,わずか一枚の毛布と食糧だけを携えて,一,二週間山岳地帯で過ごします。こうした,人里離れた土地に住む人々でさえ『良いたより』を聞き,それに答え応じています」。
『生ける神』の『生きている』ことば
聖書は繰り返し,創造者を『生ける神』と呼んでいます。(エレミヤ 10:10; 23:36)それに対応して神のことばについても,『神のことばは生きていて,力を及ぼす』と書かれています。(ヘブライ 4:12)しかし,聖書にはなぜ他の著作集にまさって人々を動かし,その生活をより良い方向に変化させる力が備わっているのでしょうか。
「神の霊感を受け」て書かれたゆえに,生活に関する聖書の高潔な原則は,正しいことをしたいと願っている人々の敏感な心の琴線に触れるのです。(テモテ第二 3:16)時には,聖書の真理にほんの少し触れただけで,全く新しい生活を始める人もいます。
かつては熱心なカトリック教徒であった,アルゼンチンに住む若い女性ドーラに生じたのはまさにそのことでした。彼女の結婚生活は楽しくまずまず幸福なものではありましたが,霊的な必要は満たされていませんでした。正義と平和を求めて,共産主義青年運動と世界平和擁護委員会の活動に4年間携わりました。そんなある日,ドーラは手にした一冊のクリスチャン・ギリシャ語聖書(新約聖書)を読み始めました。イエスのことばに深い感銘を受けた彼女は,祈りのうちにエホバ神に近づき,聖書の勉強をしたいのでエホバの証人の助けを差し向けてくださいと頼みました。「今日彼女は,真の平安と喜びに満ちた生活に導いてくださったエホバに,深く感謝しています」と,アルゼンチンからの報告は述べています。
聖書が人をりっぱな行動へと動かす別の理由は次のことにあります。つまり聖書を読むと,神が人類を扱われる方法と,人類に対する神の目的とが分かるからです。例えば,真理に飢え渇いている人々は,人生の目的や,人間の歴史が波乱に満ちている理由などを聖書研究を通して知り,将来に対する確固とした希望を持つよう助けられます。夫と娘が不慮の死を遂げたトルコに住むある婦人の例は,希望を与える聖書の音信がいかに迅速に人を助けるかを物語っています。
「前途になんの希望もなくなってしまったため,この婦人は病気になり,体をまっすぐに伸ばして歩けないほど弱くなってしまいました。
「そんなある日,八百屋の店先で,エホバの証人が,神について,また聖書が差し伸べる[死者の復活の希望を含む(使徒 24:15)]希望や慰めについて語っているのを耳にしました。婦人はその場でエホバの証人に自分の住所を教え,やがて聖書の勉強を始めました。
「真理に関する知識に進み,霊的な力を得るにつれ,婦人の健康は目に見えてよくなっていきました。今では再びまっすぐに立って歩けるようになり,喜びに輝くその表情には,神のことば聖書を勉強することによって得た希望が満ちあふれています」。
近年,世界じゅうの幾百万もの人々が,神の主権を認めることにより,幸福と満足と希望を見いだしてきました。どうすればそうなるのかを,ご自身で直接お調べになってはいかがですか。エホバの証人は,お宅で,あるいは他のご都合のよい場所で,あなたが聖書の勉強をなさるのを,喜んで無償でお助け致します。
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思いがけない祝福ものみの塔 1975 | 9月1日
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思いがけない祝福
● アフリカのある国でのこと,エホバの証人の地域大会の終わった日に暴動が起きました。ひとりの新しい証人が家に帰ってみると,兵士と裁判官が彼を待ち受けていました。彼は暴動を起こした政党に以前,属していたのです。暴動の間何をしていたかが尋ねられ,彼はエホバの証人の地域大会に出席していたことを告げました。しかしそれだけでは不十分でした。彼らは証拠を求めたのです。兵士たちの同伴のうえで証人は大会のプログラムを取って来ることを許されました。プログラムの全部が読まれたのち,しゅう長は彼を無実であると宣言し,伝道活動を続けるようにと励ますことさえしました。これを見た村人たちは,「あなたが祈りをささげている神は生きている神だ」と言って驚嘆しました。この証人は大会に出席したことをどんなにか感謝したことでしょう。
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