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ハルマゲドンの勝利の側に立って生き残るものみの塔 1974 | 4月15日
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ハルマゲドンの勝利の側に立って生き残る
「そして彼らはともに叫んで言った,『み座にすわっておられるわたしたちの神に,そして子羊に勝利!』」― 啓示 7:10,新英語聖書。
1 ハルマゲドンにおける全宇宙的な戦争ののち,どんなものがその後に続きますか。わたしたちは今何を行なうのがよいですか。
ハルマゲドンを戦場とする全宇宙的な戦争の終わったのちには,一千年の平和が続きます。この世俗的な事物の体制のその最終的な戦争を生き残るのは,ほんとうに願わしいことでしょう。それに生き残ることは,勝利の側に立つ幸福な人たちの特権です。これは,政治および軍事上の予告者たちがいだく暗い見方とは大きく異なっています。そうした人たちは,核兵器をもってなされる第三次世界大戦のさいにはどちらの側にも勝利はないであろう,と言います。どちらの側もともに敗者になる,というのです。加えて,そうした世界戦争は人類家族全体の自殺になるであろう,との予言もなされています。しかし,そうした人間の論議を聞いても,恐れ驚く必要はありません。やがて到来するハルマゲドンの闘いのさいには,勝利を得る側があるからです。わたしたちは今,必ず勝利を得る側に自分の立場を定めるのがよいでしょう。そうすれば,勝利のすばらしい結果をその後に楽しむことになります。
2 今その勝利の側に立つためにこの世の政治にいっさい関与しないことが求められるのはなぜですか。
2 ここで勝利と言うのは,一つの政党もしくは国家ブロックが他の政党もしくは国家ブロックに対して勝利を収めることではありません。人間の支配に関するある特定の考えが,それを望まない敗北した民に,そして政治上の支配に関して別の考えをいだく人々に強制されるのではありません。また,勝者が敗者を一つの政治陣営の中に無理に入れ,そうしたかたちで人類世界を統合しようというのでもありません。そうしたことによって地上に恒久的な平和は実現せず,また,征服された民の自発的な服従は得られません。ここで述べる勝利は普通の意味での政治上の勝利ではなく,人間による政治を地上から全く除き去るような勝利です。わたしたちがその勝利の側に立つためには,人を分裂させるこの世の政治に関与しないことが求められます。
3 それで,今わたしたちにとって最も興味があるのはどんな点ですか。
3 今日,戦争について話したり考えたりするのを好まない人が多くなっていますが,ここで述べた重要な点が,やがて到来するハルマゲドンの宇宙戦争に魅力的な面を添えています。わたしたちにとって最も興味があるのは,勝利者はその勝利によって何を得るのだろうか,今その勝利者の側に立つ者にとってその勝利は何を意味するだろうか,それはハルマゲドンを生き残ることに価値を与えるものだろうか,という点です。
4 今日存在する政治勢力のどれか一つあるいはすべてが今後の世界的な争闘に勝利を収めるとしても,その勝利者が民に提供できるのはどんなものですか。
4 わたしたちは,これまでのつらい経験に基づいて,この事物の体制下の政治上の勢力が提供するものについて知っています。そのすべてがそろって,あるいはどれか一つのブロックが勝利を得たとしても,この点は変わりません。それは,最も良い場合でも,第一次世界大戦が燃えたった1914年以来それら諸勢力が人類に提供してきたものとさして変わらないでしょう。それはどのようなものでしたか。厳しい苦難の時代であり,一般の民にとって,その厳しさは時とともに増してきました。世界情勢に対する楽観の根拠はしだいに衰退し,悲観的な見方を余儀なくさせる要素が増大しています。現代の科学知識と進歩した工業技術を利用でき,国際協力のための機関として国際連合があるにもかかわらず,明敏な経済学者・社会科学者・環境学者などは,わたしたちが,立法者も政治家も警察関係者もまた教育者もその脱け道を知らない,全くの行き止まり状態に近づいていることを警告しています。こうしたことに加えて,別の世界戦争が起きた場合,その勝利のための,人命・物質資産・生活環境などの面での恐るべき代償についても考えなければなりません。したがって,政治上の勢力が提供しうるものは,1914年以来今日までに提供してきたものよりはるかに貧弱なものにすぎないであろうと言わねばなりません。
5 したがって,ハルマゲドンにおける願わしい勝利者はだれでなければなりませんか。なぜですか。
5 したがって,心の正しい人はみな,きたるべきハルマゲドンの戦争の勝利が,生き残ってそれをとらえたいと思わせるような将来を提供できるかたのものとなることを望みかつ期待すべきです。ハルマゲドンにおけるその願わしい勝利者としては,地上における人間の最初の生活環境を創造したかた,すなわち,神ご自身のほかにいません。これは道理にかなったことです。人間を取り巻く自然環境に関係する事がらは,神とも関係を持っているからです。全人類に影響する事がらは神にも影響を与えます。
6 きたるべきハルマゲドンの宇宙戦争は,地上における人間の最初の生活環境とどういう関係を持っていますか。
6 人間の最初の生活環境は,人間進化の理論を唱える人々が想像して教えるような,穴居人的なものではありません。この問題に関する歴史の事実は,人間のいた最初の自然環境が,完全な庭園,自然の美と喜ばしい生活条件とを備えたパラダイスであったことを示しています。したがって,ハルマゲドンにおける神の勝利による輝かしい結果の一つは,パラダイスを地上に,しかも全地球的な規模で再確立することです。人類のパラダイスへの復帰は,ハルマゲドンにおける神の勝利以外の方法ではもたらされません。これは,ハルマゲドンにおける宇宙戦争について考えるさいに不快なものを感じさせない要素の一つとなります。
人間ではなく,神に対する戦争
7 それで,あらゆる国民はだれに対して戦うことになりますか。しかし,諸国民自身はそうしたことに対してどんな見方をしていますか。
7 こうした論議は,地上のあらゆる国民がハルマゲドンの戦場で創造者なる神と戦うことを意味していますか。まさにそのとおりです! しかし,今日の諸国民は,自分たちが神とのそうした衝突に向かっていると聞かされると,不快に感じることでしょう。事実,政治上の諸国民,とりわけキリスト教世界の諸国民に,彼らがいま戦いの備えをしているのは実際には聖書の神に対してである,という点を納得させるのは難しいことでしょう。牧師たちは,キリスト教世界の諸国民に,西暦四世紀の最初のキリスト教国創立以来のあらゆる国際紛争において自分たちは常に神の側に立ち,神のために戦ってきた,と説いてきました。彼らは,ローマ皇帝コンスタンチヌスと同じような宗教的感情をいだいてその戦争努力を続けています。コンスタンチヌスは,キリスト教国を創立する前,十字架を旗じるしとして戦争を行ないました。このコンスタンチヌスは,自分の政敵との決戦に先だち,光輝く十字架の幻を天から与えられ,「これによって征服せよ」(ギリシャ語で,エン トゥート ニカ)というひらめくようなことばを聞いたと唱えました。
8 きたるべき戦争の戦場の名はどのように示されていますか。それはどれだけの地域を含みますか。
8 しかし,そうではあっても,あらゆる国民が神と戦うようになることを警告しているのは神ご自身です。その戦争が徹底的に行なわれる場所の名,つまりハルマゲドンという名を挙げているのは神ご自身にほかなりません。その戦場は地上であるに違いありません。諸国民がいるのはこの地上であるからです。それら諸国民が外界に逃れ出る道はありません。その戦場は全地を包含しています。つまり,地上のだれもその影響を受けないでいることはできません。
9 諸国民とともに歩みつづけるなら,わたしたちはだれに対して戦うことになりますか。しかし,ルカ 14章31,32節にある,どんな霊感の忠告に従うのがよいですか。
9 諸国民は,自分たちが戦うようになる相手が神であるということを納得しないかもしれませんが,たとえどの国民に属していようとも,わたしたちひとりひとりとしてはどうでしょうか。わたしたちは,神に対して戦うという考えを好みますか。もしそうでないなら,さまざまな国民のいずれかに属しているわたしたちは,この点について何を行なったらよいのですか。わたしたちは,諸国民とともに神に対して戦わせようとするこうかつな企てにあやつられてしまいますか。それを望まないなら,書き記された神のことばである聖書をひもとき,神がこの点でわたしたちに何を命じておられるかを学ぶことが必要です。わたしたちは,神の子の忠告に従わなければなりません。彼は,自分の行なおうとすることの代価をあらかじめ計算することを弟子たちに勧めてこう語りました。「どんな王が,別の王と戦いを交えようとして行進するにあたり,まず座って,二万の軍勢で攻めて来る者に,一万の軍勢で相対することができるかどうかを諮らないでしょうか。事実,それができないなら,その者がまだ遠く離れた所にいる間に,一団の大使を遣わして和平を求めるのです」。(ルカ 14:31,32)わたしたちも同じようにしなければなりません。世の諸国民とともにハルマゲドンに向かって行進を続けますか。それとも,今ただちに神との平和を求めますか。
10 神は,ご自分がハルマゲドンで諸国民と戦うということを,どこで,またどんな描写的なことばで述べておられますか。
10 では,どうしたら,ハルマゲドンへの行進から脱け出て,諸国民の側に立たないようにすることができますか。神は,ご自分がハルマゲドンで諸国民と戦うということを,どこでわたしたちに告げておられますか。それは,聖書の「ヨハネへの啓示」もしくは黙示録の16章16節です。それに先だつ数節は,諸国民が,見えない超人間の影響,つまり,悪意をいだく悪霊の影響によって,この並はずれの戦争に導かれるさまを予告しています。この,神に敵対させようとする影響を,目に見えない悪霊たちの「霊感による表現」として描写しつつ,福音宣明者であり,聖書の筆記者であったヨハネはこう述べます。「それらは実は悪霊の霊感による表現であってしるしを行ない,また人の住む全地の王たちのもとに出て行く。全能者なる神の大いなる日の戦争に彼らを集めるためである。……そして,それらは王たちを,ヘブライ語でハルマゲドンと呼ばれる場所に集めた」。
11 もとのヘブライ語の観点で見ると,その戦場の名にはどんな意味がありますか。
11 この預言的なことばは,当初,福音宣明者ヨハネにより,通俗のギリシャ語で書かれました。しかし,19世紀のヘブライ語に翻訳された場合,その第16節は次のようになっています。「そして,それらは,ヘブライ人がメギドの山[ハル メギドン]と呼ぶ所に彼らを集合させた」― 啓示 16:16,サルキンソン,ギンスバーグ共訳のヘブライ語訳。F・デリッチのヘブライ語訳も参照。
12 それで,ある人々は,最終的な戦争がどこで行なわれると唱えていますか。しかし,そうした考えはどんな質問を提起させますか。
12 ハルマゲドンという名称が『メギドの山』という意味であるために,聖書講釈者や,ラジオなどで世界的な放送をする著名な牧師の中には,きたらんとする宇宙戦争はイスラエルの国のメギドの峡谷,古代都市メギドの廃虚で戦われるであろう,と唱えてきた人たちがいます。現に,その廃虚を今日訪ねる旅行者は,その場所を示す標識とともに,ある人々の意見によるとそこが最終的な戦争の行なわれる場所である,という意味の掲示を読むはずです。しかし,古代メギドの荒れづかの前に広がる谷あいの低地が広いとはいえ,人の住む全地の王や支配者たちの軍勢をそこに集め入れることはできません。そして,文字どおりメギドの遺跡の前でなされる戦争がいったいどんな論争を解決するのですか。非ユダヤ人の諸国民は,戦艦,航空部隊,戦車,大陸間誘導弾,機動化された軍隊などを用いてイスラエル共和国と戦い,メギドを,全世界的な戦略上の中心的な戦場とするのですか。そして,イスラエル共和国がハルマゲドンという場所の勝利の側に立つのですか。
13 そうした意味に取る人は,「大川ユーフラテス」という表現にも示される,「啓示」に関するどんな事実を無視していますか。
13 ハルマゲドンもしくはメギドの山という名称を文字どおりの意味に取る人々はこうした質問を提起させます。そうした人々は,聖書の「ヨハネへの啓示」つまり黙示録が,多くの象徴や比ゆ的表現を用い,おおむね絵画的なことばで書かれていることを無視しています。例えば,同じ16章の12節は,神からの第六の災いが「大川ユーフラテス」の上に注ぎ出されることを述べていますが,それは,この第六番めの象徴的な災いが,今日イラクの国の中央を流れる実際のユーフラテス川の上に起きるという意味ではありません。昔の聖書の時代に,この川の中心をなしていたのはバビロン市でした。バビロン市は,聖書の歴史上三番めの世界強国であるバビロニア帝国の首都でした。したがって,象徴としてのユーフラテスということばは,今日なお存在している偽りの宗教の世界帝国,「ヨハネへの啓示」が,同じ16章の19節で,「大いなるバビロン」と呼ぶものに注意を引きます。同じように,この第16節は,その歴史的な連想のゆえに,ハルマゲドンという名称を象徴的な意味で用いています。
14 メギドという名はどんな二重の意味を含むようになりましたか。なぜ?
14 メギドという名称は躍動的なものを感じさせます。一般の歴史においても聖書の歴史においても,この名称は決定的な戦闘を想起させました。なぜですか。なぜなら,往時その都市は,欧州とアジアとアフリカを結ぶ陸上交通の要路を支配し,そのゆえに,その地方の住民はその地を利用して侵入者を迎え撃ち,その侵入をくい止めることができたからです。それで,メギドという名は二重の意味を含むようになりました。つまり,一方の側には悲劇的な敗北であり,他方の側には栄光ある勝利です。
15 メギドと特別な関係を持つようになったのはだれですか。どのように?
15 聖書の神はこの場所,そしてその近くにあるキシオン川と特別の関係を持つようになりました。この神は,預言者モーセの後継者となった裁き人ヨシュアとともにおられました。それはヨシュアが約束の土地を平定し,メギドを攻略しつつあった時のことです。(ヨシュア 12:21; 17:11)ヨシュアのあとに続いた裁き人たちの時代に,神はメギドの近くで,ご自分の選民に目ざましい勝利を得させました。それは,裁き人バラクと女預言者デボラの時代です。
16,17 (イ)だれにとってその戦闘はささいな事がらではありませんでしたか。それで,イスラエル人のために何がなされましたか。(ロ)バラクとデボラは歌の中でその勝利をだれに帰しましたか。
16 現代の戦闘に用いられる人員や物資の量に比べれば,当時の戦闘は規模の小さなものでした。裁き人バラクはわずか一万人の兵士と女預言者デボラを率いていました。一方,敵の将軍シセラは,普通の地上部隊のほかに,鎌を取り付け,馬で引く戦車900両を有していました。しかし,これは,神にとって決してささいな事がらではありませんでした。神はご自分の選民のためにその戦闘に介入されたからです。神はただ,時を見て豪雨を降らせ,キシオン川の低地に瞬間的な洪水を引き起こして,恐れおののく敵の戦車900両を動けなくしました。圧迫してきた敵のこの奇跡的な敗北ののちに神に対して歌った勝利の歌の中で,バラクとデボラは,こうして敵を打倒したことにおける神の重要な役割に注意を引いてこう述べました。
17 『もろもろの王きたりて戦へる時にカナンのもろもろの王メギドンの水のほとりにおいてタアナクに戦へり 彼ら一片の貨幣をも獲ざりき 天よりこれを攻むるものあり もろもろの星その道を離れてシセラを攻む キシオンの河これを押し流しぬ これかのいにしへの河キシオンの河なり わがたましひよ なんぢますます勇みて進め そのとき馬のひづめは強きものの馳せに馳するによりて地を踏み鳴らせり エホバの使ひ言ひけるはメロズをのろふべし なんじら重ね重ねその民をのろふべきなり 彼らきたりてエホバを助けず エホバを助けてたけき者を攻めざればなり』― 士師 5:19-23; 4:1-3,10,12,13。
18 デボラ,およびバラクとその軍勢が生き残った理由は士師記 4章14-16節にどのように述べられていますか。
18 女預言者デボラ,および裁き人バラクとその仲間の戦士たちは,メギドにおいて勝利の側に立ち,その戦闘を生き残りました。そのことの理由も士師記 4章14-16節に次のように述べられています。『デボラ,バラクに言ひけるは 起てよ これエホバがシセラをなんぢの手にわたしたまふ日なり エホバなんぢに先だちて出でたまひしにあらずやと バラクすなはち一万人をしたがへて[峡谷ぞいにメギドとは反対側にある]タボル山より下る エホバやいばをもてシセラとそのすべての戦車およびその全軍をバラクの前に打ち敗りたまひた(り)」。こののち,統制の乱れた敵勢の追い打ちと,そのすべてを滅ぼすこととは,裁き人バラクとその軍勢にとって難しいことではありませんでした。
19 (イ)バラクとデボラの歌の結びにある祈りのことばは,きたらんとするどんな戦争にあてはまりますか。(ロ)メギドの近くでのその勝利ののちにどんな意義ある事が続きましたか。
19 バラクとデボラがメギドにおけるその勝利ののちに歌った歌の結びにある霊感のことばは,一つの祈りとして,きたるべきハルマゲドンの戦争にあてはまります。彼らはこう歌いました。『エホバよ なんぢの敵みなかくのごとくほろびよかし またエホバを愛する者は日の真盛に昇るがごとくなれよかし』。(士師 5:31)この霊感の祈りの成就は,ハルマゲドンにおいて勝利の側に立つ,エホバを愛する人々すべてにとって,輝かしい将来を意味するものとなります。この点で意義深いのは,そのバラクとデボラの時代について,『こうして後,国は四十年のあいだ太平であった』と記されていることです。
20 今日,「ヘブライ語でハルマゲドンと呼ばれる場所」ということばは何を表わしていますか。
20 わたしたちの時代について見ると,「ヘブライ語でハルマゲドンと呼ばれる場所」ということばは何を表わしていますか。古代のメギドの場合と同じように,それは,決定的な戦争の行なわれる世界の局面をさしています。それは,神とこの世界との敵対関係において,その敵対関係の生じている論争に対する決着の求められるような段階をさしています。高台に位置していた古代のメギドは一つの陸地もしくは大陸から別の陸地もしくは大陸に通ずる陸上交通路を戦略的に握っていましたから,ハルマゲドンは,政治支配者たちがその意を通そうとして結束して力を用い,神がご自身の目的のもとにそれに対応する力で行動しなければならない,世界情勢の終極的な状態をさしています。こうして,宇宙の将来は,これら対立する勢力の対抗の結果によって決定されることになります。
21 (イ)ハルマゲドンに関するそうした見解を得れば,わたしたちは,どんなものに目を向けたり,どんなことを期待したりしませんか。(ロ)聖書をさらに調べることによってわたしたちは何を行なうことができますか。
21 こうして,ハルマゲドンの真の意味について聖書に基づく見解を得れば,誤った方向に目を向けたり,誤ったものを期待したりしないですみます。わたしたちは,イスラエルの国の古代メギドという地理的な位置に目を向けることはありません。また,諸国民の軍隊すべてがイスラエル共和国をその攻撃目標としてそこに結集するのを期待したりはしません。また,イスラエル共和国のユダヤ人が集団的に改宗してナザレのイエスをメシアとして受け入れるのを期待することもありません。そして,ハルマゲドンの勝利の側に立って生き残るためにイスラエル共和国の生来のユダヤ人にくみさねばならないといった考えに導かれることもありません。むしろ,わたしたちは,メギドの峡谷,そうです,イスラエル共和国の全土も,この場合の論争点とは関係のないことを理解します。そして,霊感を受けた神聖な書物の全体を勤勉に調べ,神の霊の助けを得て,ハルマゲドンにおける真の論争点をはっきりと見きわめます。こうしてわたしたちは,真のハルマゲドンにおける勝利者とともに生き残るために,自分が論争のどちらの側に立つべきかを知るのです。
ハルマゲドンにおける論争点
22 今日真のハルマゲドンへの動きをすでに始めているのはだれですか。
22 わたしたちはこの点で誤ることのないようにしましょう。今日,真のハルマゲドンへの動きがすでになされているのです。その方向に動いているのがだれであるかを知るなら,わたしたちは何が論争点となっているかを見きわめることができます。「ヨハネへの啓示」16章14節をもう一度読んでみることにしましょう。それは,宇宙史上の転換点ともいうべき時に,だれがハルマゲドンに向かって行進するかを予告しています。こう述べています。「それらは実は悪霊の霊感による表現であってしるしを行ない,また人の住む全地の王たちのもとに出て行く。全能者なる神の大いなる日の戦争に彼らを集めるためである」。
23 (イ)ハルマゲドンで戦争があるということはどういうことを示していますか。それはだれとの戦いですか。(ロ)それで,ハルマゲドンにおける論争点はなんですか。それはどれほどの範囲に及ぶものですか。
23 こうして集まったことが一つの戦争のためであるということは,そこに何かの論争が関係していることを示しています。論争の決着をつけるためにその戦争が行なわれるのです。これが「全能者なる神の大いなる日の戦争」と呼ばれていることは,全能者なる神と論争関係にあり,その点に関して神を相手に戦いぬこうとする者たちのいることを示しています。神に対して論争をしかけ,戦争によって決着をつけようとする者たちは,結果として何を失わねばならないのでしょうか。それらの者たちの,人の住む全地に対する公式の立場に注目してください。それらの者たちは政治支配者,「人の住む全地の王たち」です。彼らの王国の存亡が問題になっています。彼らがハルマゲドンにおけるこの戦争を挑発するのは,彼らの政治的な支配,彼らの王としての立場を,武力によっても擁護しようとするためです。したがって,ハルマゲドンにおいては,王国ということが最重要の論争点です! それは,英国の「王国」や,タイの「王国」や,スウェーデンの「王国」ではなく,「人の住む全地」を治める王国です。
24 したがって,物事を現状のままで存続させることに関してどんな質問が起きますか。
24 しかし,人の住む全地を治める王国ということがハルマゲドンにおける論争点とされるのはなぜですか。なぜ今,王,皇帝,大統領,その他地上の政治支配者たちを騒がせ,彼らの統治権の継続を問題にしなければならないのですか。人類世界は非常に長い間,事実四千年以上の間,つまりユーフラテス川に面したバビロンのニムロデ王の時代以来これら政治支配者たちのもとで暮らしてきました。したがって,なぜ現状を,つまり,これほど長く存続してきた地上統治の形態を,民自身がそのもとで耐えてゆこうとしているかぎり,あるいはその民主主義に基づく選挙を繰り返しているかぎり,そのまま続けさせないのですか。なぜせめて,この点に関して民の好むところを選ばせないのですか。なぜ,地上の支配に関して世界的な変化をもたらすのですか。世界はすでにたくさんの問題をかかえているではありませんか。
25 (イ)今やその必要を認めて「変化」を望む人々がいますが,そのことに関してどんな質問が起きますか。(ロ)しかし,「人の住む全地の王たち」はどんなことを強いて求めていますか。どんな影響のもとにそうしていますか。
25 しかしながら,「今や変化の時が来た」と確信する人々が今日しだいに多くなっています。でも,それは,現在の世界の統治の状態からどんなものへの「変化」ですか。そして,どのようなものへ変化するか,それをどのように行なうかについて人々は一致していますか。国際行動のための機関として創設以来29年を経た国際連合を持ちながら,今日の困惑した民は,すべての人の合意できるもの,人間のすべての必要にこたえ,今後いつまでも確実に存続するものへの「変化」という問題とうまく取り組むことができません。さらに,「ヨハネへの啓示」16章14節によると,現在行動している政治支配者たちは平和な変化を決して支持していません。彼らは,「全能者なる神の大いなる日の戦争」を最後まで戦いぬかねばならないような状態を強いて求めています。そして,これら支配者たちの背後には,悪意を持つ,超人間の勢力があります。
26 したがって何がなされねばなりませんか。ある人々がその回避を望まないのはなぜですか。
26 したがって,その戦争はなされねばなりません。それを避けたりわきにやったりすることはできません。情報に通じ,聖書の見解を知る人で,それを回避しようとする人がいるでしょうか。そうした人々は,正しい側の勝利を求めています。そして,その宇宙的な戦争ののちに続く,人の住む全地のための変化を待望しています。今の世代の人々の前に差し伸べられた機会についてはっきり知る彼らは,「全能者なる神の大いなる日の戦争」を生き残り,その戦争後の栄光ある特権にあずかることを願っているのです。
27 どんな事実を考えるといま正しい行動を取ることが必要ですか。これをどんな助けと導きのもとで行ないますか。
27 現在,このきたらんとする戦争に関して中立の立場はありません。それは全宇宙的な戦争であり,あらゆる人に関係しています。ハルマゲドンにおいて勝利の側に立つためには,その戦争が始まる前のいま正しい行動を取ることが必要です。心をこめてその側に立つことによってのみ,人は地上に生き残り,この地球の表面に今やきわめて必要な変化が実際に起きるのを見ることができます。いま正しい行動を取るための導きまた助けとして,わたしたちは,何が論争点になっているか,その論争においてどちらの側が正しいかについて,さらに考慮することが必要です。その正しい側が勝利を得るのです!
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人類はハルマゲドンにおける勝利から益を受けるものみの塔 1974 | 4月15日
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人類はハルマゲドンにおける勝利から益を受ける
1 なぜ人類はハルマゲドンで得られる勝利からとこしえの益を受ける立場にありますか。
人類は,ハルマゲドンで得られる勝利からとこしえの益を受ける立場にあります。その勝利は,人類,とりわけハルマゲドンでの戦争を生き残る人々にとって,永久に記念すべきものとなります。それは,「大いなる日」を特色づける勝利となります。今日まで,そのような日はいまだありませんでした。それは,「全能者なる神の大いなる日」です。全能者なる神は,その日になされる全宇宙的な戦争で勝利を得ることによって,それをご自身のために「大いなる日」とします。人類は全能者なる神の勝利から必ず益を受けます。神は人類の最良の友であるからです。
2 (イ)論争点となっている王国はその領域としてどこを包含しますか。なぜ?(ロ)論争点となっているのはどのような状態下の地上に対する支配権ですか。
2 ハルマゲドンにおいて,全能者なる神は,「人の住む全地の王」を戦闘者として相手にされます。王国ということがハルマゲドンにおいて決着を見るべき論争点であるからです。その王国はわたしたちの住む地球をその領域として包含しなければなりません。「人の住む全地の王」が現在そこを支配しており,その支配の座にとどまろうと決意しているからです。論争点は王国ということです。しかしそれは,今日のように,民主主義国家ブロックと共産主義国家ブロックとに分かたれた地上を治める王国ではありません。それら二つの勢力は互いを容認し合って共存しています。またそれは,キリスト教世界と異教世界に分かたれた地上を治める王国でもありません。論争点となっているのは,分かたれることのない一つの地球全体を治める王国,全地に対する単一の王国です。それこそ人類全体に益をもたらすものではありませんか。
3 王国という問題をめぐってハルマゲドンでなされる戦いは偶然に起きるのですか。わたしたちはその変化が神によってもたらされることをなぜ感謝できますか。
3 王国をめぐる論争がハルマゲドンの戦場で戦われるのは,予見されなかった人間世界の情勢や偶然などによるのではありません。この事態は神自身と人間とのためにすべて時を定めて行なわれるのです。太陽と月と星を設け,地球の運行を制御して,人間の計時の用に供しておられる全能者なる神は,全地を治める王国のための時をあらかじめ定められました。神は全地に対する人間の支配をこれまで十分長いあいだ忍んでこられたのではありませんか。全能者なる神がご自分の創造物である地球の王国をいつどのように引き継ぐべきかということを,人間の支配者たちが決定するのですか。神は,1914年の第一次世界大戦とともに始まった世界のあらゆる苦悩と諸国民の苦もんの中で無力な人類がいつまでももがきつづけるままにしておかれ,その助けには来られないのですか。幸いにもそうではありません! 全く必要なもの,全地を治める神の王国は,不完全で死にゆく人間の支配者たちがこれまで人類に与えることのできたいかなるものにも長大な進歩をもたらします。被造物である人間の支配に関して神のもたらす変化が悪い方向への変化であるはずはありません。わたしたちは,その変化をもたらすかたが全能の神であること,そして神がそのために賢明に選ばれた時が到来したことに感謝できます。
4,5 神は,神の支配を求めるどんな祈りを永年聴いてこられましたか。その祈りを教えた人は,そうした支配に関する事がらを推進するために何を言い,何を行ないましたか。
4 これまで19世紀以上の間,全能の神は,山上の垂訓中の教えに従って繰り返しささげられた祈り,つまり,「天におられるわたしたちの父よ,あなたのお名前が神聖なものとされますように。あなたの王国が来ますように。あなたのご意志が天におけると同じように,地上においてもなされますように」という祈りを聴いてこられました。(マタイ 6:9,10)その定めの時がまだ到来していなかったゆえに,全能の神はこの霊感の祈りにこれまではまだ答えを与えてこられませんでした。この祈りは,神の王国の到来とその価値とを信じ,その王国に関係した事がらの推進のために自らの命をさえ犠牲にした人によって教えられたものです。偽のメシアはそのようなことをしません。自分の行なった山上の垂訓の中で天の父の王国を祈り求めるべきことを教えたこの人は,「王国と神の義をいつも第一に求めなさい」とも語りました。パレスチナの住民の間で行なった彼の教育的な業の当初からの主題は,「あなたがたは悔い改めなさい。天の王国は近づいたからです」ということでした。(マタイ 4:17; 6:33)そして,神のメシアによる王国の設立に伴う苦難について予告した中で,彼はこう語りました。
5 「王国のこの良いたよりは,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう。それから終わりが来るのです」― マタイ 24:14。
6,7 (イ)その預言を成就している人々はその預言をしたかたについてどんな信仰をいだいていますか。(ロ)シモン・ペテロは,週の祭りの日に,そのかたについてユダヤ人になんと述べましたか。
6 この注目すべき預言は大々的に成就してきました。そして今日なおその成就は続いています。それを成就しているのは,地的な王たちを持ち,戦争や政治上の争闘を続けているキリスト教世界ではなく,全能の神とそのメシアによる天の王国とを真実に信じている人々です。それらの人々は,神が約束したメシアに関するヘブライ語聖書中の霊感の預言を成就したのがだれであるかを知っています。彼らは,それが,神のメシアによる王国を地上で唱道した者の中で最大のかたであったことを知っています。彼らは,神の与えた聖書から,このメシアが,かつての収税人マタイ・レビが「アブラハムの子,ダビデの子,イエス・キリスト」と呼んだかたであることを,自信と確信とをもって証明することができます。(マタイ 1:1)それは,シモン・ペテロという名のガリラヤ人がシャブオス(週)の祭りの日に古代のエルサレムで証しした人です。その祭りを祝い,また真実を知ろうとする三千人以上のユダヤ人に対して,ペテロはこう語りました。
7 「実際ダビデは天に上りませんでしたが,自らこう言っています。『エホバはわたしの主に言われた,「わたしの右に座っていなさい。わたしがあなたの敵たちをあなたの足の台として据えるまで」』。ですから,イスラエルの全家は,神が彼を,あなたがたが杭につけたこのイエスを,主ともキリストともされたことをはっきりと知りなさい」― 使徒 2:34-36。
8 (イ)メシアが血肉のすがたで到来することを期待しているキリスト教世界とユダヤ人はなぜ誤ったものを期待していると言えますか。(ロ)真のメシアによる王国は人類のために何を行なうことができますか。
8 ダビデはユダヤ人としてエルサレムで王となった最初の者でした。そして,彼の子孫である「ユダ族の」イエスは今,ダビデの天的な主,またメシアつまり油そそがれた者なるキリストともなっています。メシアが血肉のさまでまもなく到来することを期待する,キリスト教世界の宗教的な人々および割礼を受けたユダヤ人は,誤ったものを期待しています。真のメシア,すなわち,ダビデが霊感のもとに語ったとおりエホバ神が天のご自身の右に座するようにと招かれるかた,そして古代のメルキゼデクと同じような王なる祭司となるかたは,今そして今後常に天のメシアであり,神の天的な子なる霊者です。(詩 110:1-4)彼のメシア王国は死すべき地上の人間の王国をはるかに超越した存在です。それは超人間的なものであり,単なる人間の支配者による地上の王国の決してなしえない事がらを人類のために行なうことができます。真のメシア王国は天的なものであり,不従順な天使で,悪霊となった使いたちの君である悪魔サタンの力を打ち砕くことができます。悪魔サタンと配下の悪霊たちの哀れむべき犠牲となってきた人類は,メシアによるそうした王国から永続的な解放と益を受けることができます。
定めの時に設立された王国
9 (イ)地上にあったダビデの王国はいつ覆されましたか。そうした状態でどんな期間を経ることになっていましたか。(ロ)いつ異邦人の支配は去り,メシアの支配が到来しなければなりませんか。
9 エルサレムを都としたダビデの家系の王国は,紀元前607年に,バビロンの軍隊によって覆されました。その災厄の少し前に,エホバ神はご自分の預言者エゼキエルを用いて,約束のメシアが神の定めの時に到来すること,また,その持つ権利のゆえに神がそのメシアに王国を与えることを宣言させました。(エゼキエル 21:25-27)ダビデの王統が異邦のバビロニア人によって滅ぼされたのちにどのようなことが起きたかについては,ユダヤ人も異邦人も歴史を通して知っています。つまり,異邦人が地上を支配し,ダビデの王統の王国がそれら異邦人の支配者たちになんの干渉も加えない時代が始まりました。それは,「異邦人の時」と呼ばれてきました。(ルカ 21:24,文)しかし,全能の神は異邦人の世界支配の時を一定の期間継続させるにすぎません。神はその異邦人の時がいつ終わるかを明確に定めました。そして,そのことを,エルサレムを滅ぼす者となったバビロンの王に示しました。(ダニエル 4:16,23,25,31)その時が来るなら,異邦人の支配は過ぎ去らねばなりません。そして,メシアによる支配が到来しなければなりません!
10 どんな最も強力な政治勢力についてダニエルは予告しましたか。それが支配に関する神の時と法とを変ええなかったことを述べなさい。
10 神は,ご自分の預言者ダニエルによって,異邦人の一政治勢力が起こって,地上の支配に関する神の時と法とを変えようとすることを予告されました。(ダニエル 7:25)しかしながら,この20世紀の世界史は,予告されたこの政治勢力が,全人類史上最強の世界強国でありながら,異邦人の時の終わりとして神の定めた時を,1914年から,それよりもいつかのちの時代に変えることはできなかったことを示しています。確かに,第一次世界大戦が1914年にぼっ発しました。しかし,その年,真に異邦人の時の終わりを画し,それを意味したものは,神の子イエス・キリストが油そそがれた王として正式に即位し,メシアによる神の王国が天に誕生したことです。それ以来の苦難の年月の間,強大な第七世界強国(英米二重世界強国)も,宇宙的に重大な意義を持つこの事実を変えることはできませんでした。「王国のこの良いたより」を人の住む全地に宣べ伝えるエホバのクリスチャン証人たちに対する迫害というかたちで表わされてきた諸国民の憤りも,王国設立のための神の定めの時を取り消すことはできませんでした。
11 (イ)神が統治に関するご自身の力を執られたことに対して感謝をささげるべき時はいつ到来しましたか。(ロ)感謝した者たちの中に地上の諸国民が入っていたかどうかについては何が示していますか。
11 異邦人の時の終わった1914年の初秋,それは,啓示 11章15節にあらかじめ記された次の発表のことばが天において語られる時となりました。「世の王国はわたしたちの主とそのキリストの王国となった。彼はかぎりなく永久に王として支配するであろう」。では,キリスト教世界の諸国家は,宇宙史上のこの新しい局面に対して感謝をいだきましたか。キリストの手中に託される,主なる神の王国の誕生に感謝した者たちの中に,いわゆるキリスト教諸国が含まれていましたか。いいえ,そうではありません! 啓示 11章17,18節の預言は,そのことに感謝をいだく者たちの語ることばをあらかじめ次のように記していました。「いまおられかつておられたかた,全能者なるエホバ神よ,わたしたちはあなたに感謝します。あなたはご自分の偉大な力を執り,王として支配を始められたからです。しかし,諸国民は憤り,あなたご自身の憤りも到来しました」。歴史は,憤りをいだいたそれら諸国民が,王国を宣べ伝える人々の激しい迫害者となったことを証言しています。
12,13 サタンは王国の誕生を喜びましたか。啓示 12章7-12節はその点をどのように示していますか。
12 それ以外のことは期待できません。悪魔サタンとその使いである悪霊たちは,メシアによる神の王国が1914年に天で誕生したことを喜んではいません。啓示の次の章,つまり第12章の7節から12節は,王国の誕生ののちに起きた事がらについてこう述べています。
13 「天で戦争が起こった。ミカエルとその使いたちが龍と戦った。龍とその使いたちも戦ったが,優勢になれず,彼らのための場所ももはや天に見いだされなかった。こうして,大いなる龍,すなわち,初めからのへびで,悪魔またサタンと呼ばれ,人の住む全地を惑わしている者は投げ落とされた。彼は地に投げ落とされ,その使いたちもともに投げ落とされた。そして,わたしは大きな声が天でこう言うのを聞いた。『今や,救いと力とわたしたちの神の王国とそのキリストの権威とが実現した! わたしたちの兄弟を訴える者,日夜彼らをわたしたちの神の前で訴える者は投げ落とされたからである。……地と海には災いが来る。悪魔が,自分の時の短いことを知り,大きな怒りをいだいてあなたがたのところに下ったからである』」。
14 (イ)地の王たちは導かれるままにどこに集まっていますか。なぜ,そしてどんな影響のもとで?(ロ)わたしたちが王たちとともにそこに集められるとすれば,それは最終的に何を意味することになりますか。
14 こうして,悪魔サタンとその使いである悪霊たち,および地上の諸国民は,メシアによる神の王国が異邦人の時の終わった1914年に誕生したことに対して同様の感情を経験しました。したがって,大いなる龍である悪魔サタンの口から出る霊感の表現が,人の住む全地の王たちを,王国という問題をめぐってなされるハルマゲドンの戦争に集めるということも,少しも不思議ではありません。また,これら憤った諸国民の王たちがそうした悪霊の影響のままにそこに集まることも驚く理由にはなりません。しかし,わたしたちが自分自身について厳密に調べるべきことがあります。つまり,わたしたち個人個人としては,こうして惑わされている「人の住む全地の王たち」の側に集められるままになっていますか。もしそうであるなら,わたしたちは,自分が彼らの王国を支持し,メシアによる神の王国を支持していないことを明白に示すことになります。そしてまた,それら「人の住む全地の王たち」がハルマゲドンで被る事がらを,わたしたちも自分の身に受けねばならないことになるでしょう。それはなんですか。啓示 19章19-21節がこう述べています。
15 啓示 19章19-21節は,ハルマゲドンにおいて地の王たちとその支持者たちに降りかかるものについてどのように描写していますか。
15 「そしてわたし[使徒ヨハネ]は,野獣と地の王たちとその軍勢が,馬に乗っているかたとその軍勢に対して戦いをするために集まっているのを[つまり,ハルマゲドンに集まっているのを]見た。[そして,彼の外衣に,実にそのもものところに,王の王また主の主と書かれた名がある。(16節)]そして,野獣は捕えられ,それとともに,野獣の前でしるしを行ない,それによって,野獣の印を受けた者とその像に崇拝をささげる者とを惑わした偽預言者も捕えられた。彼らは両方とも生きたまま,いおうで燃える火の湖に投げ込まれた。しかし,そのほかの者たちは,馬に乗っている者の長い剣で殺された。その剣は彼の口から出ているものであった。そして,すべての鳥は,彼らの肉を食べて満ち足りた」。
16 (イ)それで,ハルマゲドンにおいて勝利者として登場するのはだれですか。彼が王の王と呼ばれているのはなぜですか。(ロ)敵の軍勢の処刑はだれによってなされますか。敗北する者たちの遺体はどのように処理されますか。
16 この預言的また象徴的な描写から,ハルマゲドンにおける「全能者なる神の大いなる日の戦争」の勝利者として登場するのがだれであるかを判断することは,だれにとっても難しいことではないはずです。それは王の王,また主の主であり,白い軍馬に乗る者として描写されています。(啓示 19:11)この天の戦士は,地の王たち,およびハルマゲドンでその王たちの側に整列する者たちの処刑を命ずる号令を発します。それはさながら,長い剣が彼の口から突き出るかのようです。王の王なるかたのこうした命令を遂行するのは天のみ使いたちの軍勢です。こうして,彼が王の王,つまり,それら地上のすべての王たちに勝る王であることが実証されます。それら地上の王たちに従い,またそれを政治的に支持する者はみな,それら人間の王たちとともに滅ぼし去られます。王の王に従う人々はハルマゲドンにおけるその宇宙戦争を生き残りますが,この描写の中で,それらの人々が地の王たちやその軍勢のなきがらを葬るようにと命令されているのではありません。では,野にさらされ,腐臭を放つそれらの遺体をだれが処理するのですか。その処理のために用いられるものは,腐肉を食う野鳥たちとして描かれています。
17 そうした死と遺体の処理法とはそれら処刑された者たちについて何を意味していますか。なぜ?
17 こうしたいとわしい死とそこに残された肉体の処理のしかたとは,それが復活の希望の全くない死であることを意味しています。それは,その者たちが,ハルマゲドンの戦場で全能の神によって,つまり,キリストの率いる,神の天の軍勢によって処刑されるからです。それらは,エホバ神とそのメシアによる王国の敵対者として矯正不能であることを示す者たちです。彼らは二度と生きず,象徴的な「野獣」や象徴的な「偽預言者」と同様の運命をたどります。これらは人間の設けた政治上の機構であり,「いおうで燃える火の湖」に生きたまま投げ込まれるかのようにして永久の滅びに処されます。啓示 20章14節と21章8節は,この燃えるいおうの「湖」を,「第二の死」,つまりとこしへの絶滅の象徴としています!
生き残る人々にもたらされる戦争後の祝福
18 義の政府を愛する人々はだれを愛し,だれを憎みますか。その人々は猶予することなくどちらの側に整列しますか。
18 これがこの世代に生きるすべての人にとってきわめて重大な問題であるために,聖書は,ハルマゲドンにおける宇宙戦争で敗北を被る側に整列している人々の前途にあるものについてきわめて簡明率直に述べています。全人類のための正義の完全な政府を真に愛する人々は,王の王たる者に対してことさらに戦い,こうしてメシアによる神の王国を退ける人々の前途にあるものについて考え,恐れに身の縮むものを感じます。彼らは,遠い昔から約束されてきた,この義と平和と繁栄の王国の源である,あわれみの神を愛しています。そして,神の敵対者である悪魔サタンを憎みます。そのサタンから,人類に対するあらゆる誤った統治,および人類社会のあらゆる不義と不安動揺と過酷な生活状態とが出ています。彼らは,み子イエス・キリストを通してハルマゲドンで得られる,神の栄光ある勝利によって,すべての理知ある創造物に対するエホバ神の宇宙主権が立証される日を待望しています。こうして正当な宇宙主権者に対して愛をいだく人々は,なんら猶予することなく,神のメシア,王の王であり,主の主であるかたの側に整列します。ただその側に立ってのみ彼らは生き残ることができます。
19 地上で生き残る人々にとって,ハルマゲドンにおける勝利が言い知れぬ喜びのおりとなるのはなぜですか。
19 ハルマゲドンの戦場における神の勝利は,「全能者なる神の大いなる日の戦争」のなされるこの地上に生き残るすべての人にとって言い知れぬ喜びのおりとなります。エホバの宇宙主権の立証をたたえる彼らの歓喜の歌は,全地がいまだ聞いたことのないものとなるでしょう。エホバの大敵対者がニムロデ王国のバビロンの時以来用いてきた獣のような政治体制がついに地上全体から現実に除き去られるのを見るとは,なんという喜びではありませんか。そうです,エホバの油そそいだ者の手にゆだねられる,慈しみに富む王国が,神の栄光と人類のとこしえの祝福とを目的として愛による支配を行なうために,その妨げとなるものが全地から除かれるのです!
20 その喜びに加えて,さらに大いなるどんな勝利の喜びがありますか。
20 この比類のない喜びの上にさらに加わるのは,主権者なる主エホバの側のいっそう大きな勝利に伴う喜びです。これはハルマゲドンにおける勝利のすぐあとに続きます。それは,地上の見える政治体制を背後から操って人間を傷つけてきた邪悪な者,すなわち悪魔サタンを,その使いである悪霊たちもろともに拘束することです。これらの者は地の近辺から除かれ,隔たったところにある底知れぬ深みに閉じ込められて封印され,メシアによる神の王国に対しなんら干渉できなくなります。
21 (イ)生き残る人々は,悪霊たちが底知れぬ深みに入れられるのをどのようなかたちで目撃しますか。しかし,これらの生存者にとって,そのことはどのようにして現実のものとなりますか。(ロ)生き残る人々がメシアによる神の王国の抱擁のもとで平安を感じるのはなぜですか。
21 こうして悪霊たちが底知れぬ深みに投げ込まれる時,そのことを永年待望してきた,ハルマゲドンの地上生存者たちは,啓示 20章1-3節の預言的な描写に基づいて,それを信仰の目で見るにすぎませんが,その喜ばしい結果をきわめて現実的
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真実となったアフリカでの予想ものみの塔 1974 | 4月15日
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真実となったアフリカでの予想
1947年のこと,ガーナ,アクラ市のパラディウム映画劇場でエホバの証人の大会が開かれ,それには,800人の兄弟たちが出席しました。その大会ではW・R・ブラウン兄弟が閉会のことばを述べました。耳を割るばかりの拍手の中で,ブラウン兄弟はこう話しました。「次にお会いする時,皆さんの数は,800人ではなく,8,000人なっているでしょう」。
1950年,ギレアデ学校で訓練を受けた十分の数の宣教者たちがすでにここ西アフリカに来ていたため,年老いたブラウン兄弟夫妻はアフリカを離れてカリブ諸島の故郷に帰りました。
アフリカ滞在中に,ブラウン兄弟はナイジェリアの著名な政治家ナムディ・アジキウェ博士と知り合いになりました。それから10年たってもアジキウェ博士はブラウン兄弟のことを忘れませんでした。独立したばかりのナイジェリアの知事に任じられた同博士は1960年10月にブラウン兄弟夫妻をナイジェリアに招待しました。
ブラウン兄弟夫妻はその機会をとらえてガーナを再び訪れました。昔,彼とともに真理のための戦いに携わった人々の何人かが,今でも真理の側にしっかりと立っているのを見るのは,同兄弟にとってほんとうに大きな喜びでした。そして,ガーナにはその時何人の伝道者がいたでしょうか。1960年4月には,8,172人が野外奉仕を報告していました。―エホバの証人の年鑑より
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