-
天からの戰爭は地に平和をもたらすものみの塔 1955 | 10月15日
-
-
7人の王で示され,またそこに述べられている獣の7つの頭で表わされています。この頭あるいは世界勢力について,『七つの頭は七つの山である。』と記されています。キリストの御国とその領域も山と語られています。ダニエル書の中で,キリストの御国は『もろもろの国を打ち破りて,これを滅せん。これは立ちて永遠にいたらん。』と書かれています。御国は,サタンとその悪鬼,およびこの古い世の国々を表し示す偶像を打ち砕いて転倒させる石で示されています。こう書かれています。『その像を撃たる石は,大なる山となりて全地に充てり。』象徴的な山,つまり私たちの登る山は,キリストの支配をうける御国制度であつて,いまやその新しい組織制度は地上に建てられています。この新しい御国政府から,ヱホバの律法と言葉は出てきます。そして,すべての国の人々は,いまこの山に来てヱホバの道をまなび,ヱホバの路に歩んでいます。―エレミヤ 51:25。黙示 17:9,新世。ダニエル 2:44,35。
4 実際の山に逃げることはなぜ無用のものですか?
4 地上にあるあらゆる山よりも,一際高い実際の山に登ることは,まつたく不可能なことです。しかも,不可能ということだけでなく,その山に登つたにしても,ヱホバの怒りを避けることができず,安全の場所にはなりません。『たといかれら陰府に堀くだるとも我手をもてこれを其処より曳いださん。たといかれら天に攀のぼるとも我これをそこより曳おろさん。たといかれらカルメルの嶺にかくるるとも我これを捜して其処より曳いださん。たといかれら海の底にかくれて我目を逃るるとも,我蛇に命じて其処にて之を咬しめん。』(アモス 9:2,3)しかし,すべての国の人々は,いまヱホバの新しい組織制度に逃げることができます。そして,それはヱホバの造られるものであるために,安全の場所であり,ヱホバの怒りを受けません。ヱホバの山は,他のすべての山々よりも高いとイザヤの予言の述べるごとく,キリストの支配下にあるこの聖なる崇拝の場所は,古い世に属する地的のあらゆる政府よりも勝つており,優れています。
ハルマゲドンの戦
5,6 この世の人々は,ハルマゲドンをどのように見なしますか?
5 『山に逃げよ』という助言を,イエスはなぜ言われましたか?『世の初めから今にいたるで全くなく,又今後も二度と起らないような大きな患難』を避けるためです。その患難は,戦争です。しかも天からの戦争であつて,その戦争の行われるところは,『ヘブル語でハルマゲドン』と呼ばれます。(マタイ 24:16,21,新世。黙示 16:16)ハルマゲドンの戦争は,人間のすろ戦争ですか? 人間の現代の戦争は,空中でなされます。空の要塞は,空中から爆弾を降らします。―都市は廃墟となり,家々は灰燼に帰し,人々は打ちつぶされ,木葉みじんに吹き飛ばされます。現代の戦争が,ますますその残酷さを増すにつれ,人々の傾向は,現代の戦争や将来の戦争をハルマゲドンと言います。特に,水素爆弾が爆発して以来,この傾向は強まつています。
6 ニューヨーク,ディリー・ミラの社説は,原子武器の管理についてロシヤと戦うべし,と論じて,こう述べていました。『それとも我々は自重忍耐して,世界をしてハルマゲドンに突入させるか?』 ロスアンヂェルスの一新聞は,次の戦争についてこの見解を示していました。『それは歴史上で最大のものであろう。それはハルマゲドンであろう。』テンポという雑誌は,『原子核ハルマゲドン』に近ずいていると述べていました。マッカサー元帥は,議会の合同集会に演説をなし,以前に述べた警告をくり返して言いました。『軍事同盟,勢力の均衡,国家連合,これらはみな失敗して来た。ただ,悲惨な戦争のみが残されている。今日の戦争の物凄い破壊力は,戦争以外の道をふさいでいる。我々には最後の機会が残されている。偉大なもので,より公平な制度を考案しないならば,我々のハルマゲドンは戸口に近づいているのである。』フランダース上院議員は,『全く正直なところ,世界はハルマゲドンの大いなる戦に備えて動員しているように見える。』と述べました。最後に,大平洋で行われた水素爆弾の試験後,ニューヨーク,ワールドテレグラム,アンド・サンの主筆はこう言つていました『ありていに言えば,アメリカの自由世界の指導者たちとソビエットの指導者たちは恐怖を感じている。ここ8週間から10週間にかけて,彼らはハルマゲドンに直面していることを悟つた。……今日,ワシントンとモスコーの両都市は,恐れに覆われている。』
7 ハルマゲドンとは何ですか? 誰がその戦争に戦いますか?
7 実際のところ,人間の戦争をハルマゲドンと呼ぶことは,盗みを行うものです。それは,ハルマゲドンの真実の意味を盗み取つています。そのために,人々は実際のハルマゲドンに対して警戒を払いません。ハルマゲドンは,人間のする戦争ではありません。ハルマゲドンを第3次世界大戦の原子戦争と見なすことは,ハルマゲドンの真実の意味について目を閉じていることになります。ハルマゲドンは,聖書の言葉であつて,特に『全能の神の大いなる日の戦争』と定義されています。(黙示 16:14,新世)それはヱホバの戦争です。キリストの支配をうける天の軍勢は,その戦争を行い,地から悪をことごとく引き抜くとともに,その代りに永遠の平和を植えます。『それから私が見ていると,天が開かれ,見よ白い馬がいた。その馬に乗られている方は忠実,真実な者と呼ばれ,正義によつて裁き,戦争を行う。それに,天の軍勢は,白い馬に乗つて彼に従い,純白で,汚れのない麻布の衣を着けていた。諸国民を打つために,彼の口から鋭い長い剣が出る。彼は鉄の杖をもつて諸国民を治め,また全能の神の激しい怒りの酒槽を踏む。そして彼は,原の蛇,悪魔サタンである龍を捕えて千年のあいだ縛つた。』― 黙示 19:11,14,15; 20:2,新世。
8,9 ゼパニヤとイザヤとエレミヤは,どのようにハルマゲドンを説明していますか?
8 人間と諸国家と軍隊は,ヱホバに対して罪を犯したために,ヱホバの激しい怒りは彼らの上に降ります。いくら賄賂をしようとも,ハルマゲドンを避けることはできません。『ヱホバの大いなる日近ずけり。近づきてすみやかに来る。聴けよ是ヱホバの日なるぞ。かしこに勇士のいたく叫ぶあり。その日は忿怒の日,患難および痛苦の日,荒かつ亡ぶるの日,黒暗またをぐらき日,あつき雲および黒雲の日,ラッパをふき鯨声をつくり,堅き城を攻め,高き櫓を攻むるの日なり。われ人々に患難を蒙らせて盲者のごとくに惑いあるかしめん。彼らヱホバにむかいて罪を犯したればなり。彼らの血は流されて塵のごとくになり,彼らの肉は捨てられて糞土のごとくになるべし。かれらの銀も金もヱホバの烈しき怒の日には彼らを救うことあたわず,全地その嫉妬の火に呑るべし。すなわち,ヱホバ地の民をことごとく滅したまわん。ヱホバ言いたもう。是ゆえに汝らわが起て獲物をする日いたるまで我を俟て。我もろもろの民を集え,もろもろの国を集めてわが憤恨とわが烈しき忿怒をことごとくその上にそそがんと思い定む。全地はわが嫉妬の火に焼ほろぼさるべし。』『ヱホバはよろずの国にむかいて怒り,そのよろずの軍にむかいて忿恚り,かれらをことごとく滅し,かれらを屠らしめたもう。』― ゼパニヤ 1:14-18; 3:8。イザヤ 34:2。
9 ハルマゲドンの時に用いられるヱホバの御力は,全地を震わします。そして全地にわたつて人は殺され,その状態はまつたく悲惨なものです。『視よ,ヱホバこの地をむなしからしめ,荒廃れしめ,これを覆してその民をちらしたもう。民おきてにそむき,法を犯し,とこしえの契約をやぶりたるがゆえに地はその下にけがされたり。このゆえに,呪詛は地をのみつくし,そこに住める者は罪をうけ,また地の民はやかれて僅かばかり遺れり。地は砕けにくだけ,地はやぶれにやぶれ,地は揺にゆれ,地は酔える者のごとく蹌きによろめき,仮蘆のごとく,ふりうごく。その罪はそのうえにおもく,遂にたおれて再びおくることなし。』『その日,ヱホバの殺したもう者は,地のこの極より地の彼の極に及ばん。彼らは哀まれずあつめられず,葬られずして地の面に糞土とならん。』― イザヤ 24:1,5,6,19,20。エレミヤ 25:33。
10 ハルマゲドンの亡びは,人間の戦争とどのようにちがいますか? それにもかかわらず,人間はどのように事態を逆にしていますか?
10 この世の人々は,ヱホバのなされるこの亡びのことを聞くと,非難の声をはり上げます。そして,そのような亡びをもたらす神は,残酷無慈悲な方であると言い立てます。しかし,この世の人々は,こう考えています。地から金属を掘り出して,それから戦車や,鉄砲や,軍艦や,飛行機や,ロケットや,そして爆弾をつくり,そして無罪の人と有罪の人の区別を問わず,また善人と悪人のけじめもつけずに,これらの殺人武器を人々に投げつけ,流血で地を染めるのは悪くないと考えているのです。人間は,この地をも,地上の人々をも,また自分自身をも所有していません。それでいながら,地を汚し,人々を殺しても決して悪いとは感じないのです。しかし,地とそのすべてのもの,また地上のものでも地下のものでも,生命を持ち呼吸をするあらゆる生物の所有者であるヱホバは,生命を取つてはならない,と人間は言います。人間の戦争は,有罪と無罪の区別をつけることなく,多くの人を殺します。ヱホバの戦争は,区別をつけてなされるもので,悪人のみを殺します。そして,正義を愛して,ヱホバを求める人は,ひとりといえども殺されることはありません。それにもかかわらず,人間の残忍で勝手気儘な戦争は良いが,ヱホバの正義の戦争は,悪いと人間は言います。事態を逆にしているため,彼らは禍をうけます。『禍なるかな。かれらは悪をよびて善とし,善をよびて悪とし,暗きをもて光とし,光をもて暗とし,苦をもて甘しとし,甘きをもて苦とする者なり。』(イザヤ 5:20)人間は,雑草を枯らしても作物に害を与えぬ化学薬品を畠に撒布します。しかし,悪人をこなごなに吹き飛ばしても,無罪な者だけを残す爆弾を都会に投下できないとは,残念至極のことであります。
11 ハルマゲドンは,ヱホバの属性と,どのように一致していますか?
11 ハルマゲドンの戦は,正義の戦であり,正義,力,智,そして愛というヱホバの属性に一致しています。その戦は,善と悪の区別をして亡びをもたらす故に,正義のものであります。その戦は,死に値する者たちを殺します。その戦は,ヱホバに奉仕を捧げる善意者たちを殺しません。この戦はヱホバの御力を表明します。そして,あますところなく十二分に行われて,定められていた亡びを達成いたします。この戦は,全く正当なものですハルマゲドンに対抗できるだけの強い力は,他にありません。ハルマゲドンは,ヱホバの智を表明するものです。なぜならば,災を起す人や,平和を乱す人を,地より一掃することにより,永久の平和が設立されるからです。そして,ハルマゲドンの戦は,神とキリストに仕えようと欲し,かつ友なる人間と平和の中に住もうと欲する人々にたいして,愛を示します。悪しき人や国が,絶えず戦争をしかけたり行つたりする時,人々はどうして平和を楽しめますか?
ハルマゲドンに備える
12 どんな二つの級の人々は,警告をうけていますか? 彼らはどのように答え応じますか?
12 ヱホバはハルマゲドンが近ずいているという警告を宣べ伝えさせていますが,それはまたヱホバの愛のあらわれであります。それにより,生きようと欲する人々は,神と和解する時間が得られ,そしてヱホバと戦おうと欲する者たちには備えをする時間が与えられます。ヱホバは,平和を欲する者たちにこう助言しています。『すべてヱホバの律法を行うこの地の遜るものよ,なんじらヱホバを求め,公義を永め,謙遜を求めよ。然すれば,なんじらヱホバの忿怒の日にあるいは匿さるることあらん。』ヱホバは,戦を切望する者たちを招いています。『戦争の準備を為し,勇士をはげまし,軍人をことごとくちかより来らしめよ。なんじらの鋤を剣に打ち変え,なんじらの鎌を鎗に打ちかえよ。弱き者も我は強しと言え。』(ゼパニヤ 2:3。ヨエル 3:9,10)諸国民は,謙遜を求めよという助言を聞き入れず,むしろ戦争の準備をせよとの招きの言葉に従つています。1952年,スペインの聖晩餐集会で,スペルマン枢機官は,こう述べました。『安全と安定は地上に存在していない。いまや大軍隊が結集しつつある。世界の銀工場は鋤を鉄砲や剣に変えている。研究室の科学者は,全滅をもたらす戦争の武器を発明している。宣伝は,正常を逸した憎しみをあおり立てており,殺して亡してしまおうという狂気を人間の心に植えつけている。おそらくは,世界はハルマゲドンにむかつて突進しているのであろう。どの国家といえども,ハルマゲドンを生き残ることはできないのである。』― ニューヨーク,タイムズ紙,1952年5月29日。
13 『弱き者も我は強しと言え』というヱホバの御言葉は,どのように適当なものですか?
13 『弱き者も我は強しと言え。』というヱホバの言葉に注意して下さい。地上の弱い人間は,自分自身の力に恐れを感じ,心配しています。人間は,その原子爆弾や水素爆弾,そしてあまりに恐ろしくて試験もできないコバルト爆弾の強烈な力に恐れおののいています。人間は,原子戦争で表わされる自分の軍事力を恐れて生活しています,しかし,水素爆弾の試験についての資料が発表された後,1954年4月7日のアメリカの一新聞はこう報じました。『ある科学者の言葉によると,水素爆弾は強力なものであるが,自然はもつと強力なものである。地震や暴風雨は,一番強力な水素爆弾よりも,もつと強力なものであると,一気象専門家は言つている。また,ちよつとした地震は1万個の原子爆弾よりも,はるかに強力なものであると言う。さらに,水素爆弾には地震を起したり,火山の爆発を起させるほどの力はないと言う。別の気象台の科学者は,暴風雨を始めさせたり止めさせたりする水素爆弾の力を疑うと言つている。そして,2000万トンのトライナイトロトリュン(一種の爆烈薬)爆発に匹敵する水素爆弾は,暴風雨の進行を25秒間止めるだけの力しかない。しかし,暴風雨は幾日も,幾週も続くのであると彼は述べている。』1954年6月の『科学アメリカン』はこう計算しました。『十分発達した暴風雨は,500兆馬力のエネルギーを発散する。それは,1秒間に数千個の原子爆弾爆発に匹敵するものである。』ヱホバは,あらゆる要素の創造主であり,それらの要素を制禦し,そしてそれらの要素を用いてハルマゲドンについての御言葉を成就いたします。『火よ,霰よ,雪よ,霧よ,みことばにしたがう狂風よ。』人間たちは,爆弾を持つていて,自分は強い者と考てていますが,しかしなんと弱い者なのでしよう! ―詩 148:8。
14 ハルマゲドンの時にこの世の人々がヱホバに助けを求めるとき,ヱホバはどのように答えられますか?
14 この古い世の人間と国家は,自ら選んで自分の力に頼つており,その軍事力に依存しています。そして,ますます増加する原子武器の背後に安全を求めます。現代人や,また口先きでは神と神の御言葉に仕える人々も,聖書を非実際的なものときめつけて押しのけてしまい,金や武力に依存します。実際のところ,彼らはそのような物質を自分の神々となし,その神々に頼つて自分の安全と保護を得ようとしています。彼らは,ヱホバに背を向けて,その代りに不信仰な目で見ることのできる物質の神々を選んだため,彼らに対するヱホバの怒りが燃える時,いくら全能者に願い求めても,それは全く無益なものであります。『然るになんじら我を棄てて他の神に事うれば,我かさねて汝らを救わざるべし。汝らが選める神々に往て呼れ。なんじらの艱難のときに之をして汝らを救わしめよ。』またそのような利己的な者にむかい,こう言われています。『彼らは背を我にむけて,その面を我に向けず,されど彼ら災にあうときは,起てわれらを救い給えという。なんぢがおのれのためにつくりし神は何処にあるや,もし汝が災にあうとき,かれら汝を救うを得ば,起つべきなり。』人間のつくつた神々に頼るのではなく,私たちは人間をつくつたヱホバ神に頼るべきであります。―シシ 10:13,14。エレミヤ 2:27,28。
15 『靴をつけたまま死ぬ』ことより,何が勝つていますか?
15 『靴をつけたまま死ぬ』という諺があります。ヱホバは,ハルマゲドンで彼らのその願をかなえさせ,『靴をつけたまま死な』せます。ヱホバは彼らが最強の力に達し,それから戦をするのを許します。軍靴をつけたまま死にたいのが,この世の人の願いなら,その願はかなえられましよう。しかし,ヱホバに奉仕する私たちは,彼らの靴をはきたいとは欲しません。私たちのつけたいと欲する他の靴があります。それは,エペソ書 6章14,15節(新世)で述べられている靴です。『平和の福音の備えを足にはきなさい。』ハルマゲドンに私たちが備えることはいまこの神権的な靴をはき,そして設立されたキリストの御国の良いたよりを学んで,それから家から家へ,また街頭で,そして公共の集まるところで ― 適当な機会があるところならばどんな場所であろうと,その良いたよりの伝道に出かけることです。このようにして,私たちは謙遜と公義を求め,かつヱホバのいましめに従います。そして,ヱホバの恵みをいただき,ハルマゲドンの際に保護されます。しかも,私たちだけではなく,他の多くの人も保護されるでしよう。この古い世が軍靴をつけたまま死にたいなら,その願はかなえられましよう。しかし,私たちは神権的な靴をつけて生きましよう。そして,平和の良いたよりを伝道し,ヱホバ神の讚美を歌い続けましよう!
16 ヱホバは,ハルマゲドンに備えねばなりませんか? あなたは,なぜそう答えますか?
16 さて,ヱホバ神についてはどうでしようか? ヱホバ神はハルマゲドンに備えますか? ハエを殺すためにあなたは準備しますか? 虫ケラをつぶすのに,準備をしますか? ハエをピシャリと叩けるようにするため,幾週ものあいだ毎朝体操をいたしますか? 虫ケラをつぶすために,筋肉を発達させ,強い力を得る目的で何ヵ月ものあいだ体操用の鉄唖鈴で訓練しますか? そのことは必要ですか? 特別な訓練などをしないでも,ハエや虫ケラを退治することはできませんか? 虫を退治するということに関する限り,そのような準備は無用のものであり,かつ時間の浪費ではありませんか? それと同じ理由からして,ヱホバがハルマゲドンに備えるのは全く不必要です。ヱホバの目から見るとき,人間は蝗のようです。ヱホバは宇宙を創造しました。この地は宇宙の宏大さから見るとほんの一点に過ぎず,人間は宇宙から見るときほんの微小物にすぎません。ヱホバには,特別に御使たちを訓練して戦わせることも,また地上の弱小な国家と軍備競走をする必要はありません。ヱホバは,一瞬の予告をも必要とせずにハルマゲドンを戦い,そしてハルマゲドンに勝つことができます。―イザヤ 40:15,22。
17 警告が与えられているにもかかわらず,ハルマゲドンはなぜ盗人のように人に来るのですか?
17 ハルマゲドンに備えるヱホバの業は,ただ人間の益のために警告を述べ伝えることです。神に善意を持つ人々は,キリストの支配下にある新しい組織制度,すなわち山に逃げることができます。しかし,サタンの支配下にあるこの崩れゆく古い組織制度を好む者たちは,敗け戦に備えることができます。ハルマゲドンの攻撃は,こそこそした卑怯なものではありません。しかし,この世の人には夜の盗人がくるのと同じように来ます。『ヱホバの日は,夜盗人がくるのと全く同じように来る。』(テサロニケ前 5:2,新世)どうして,そういうことになりますか? 警告は述べられています。警告は,口の言葉を通して全世界に伝道され,そして100以上の言語で出版される幾千万冊の本や,冊子や雑誌は配布されています。そのように広く喧伝されている戦が,この世にはなぜ盗人のごとく来ますか? なぜならば,この世の人の目は見えず,その耳は聞えず,その心は見分けることができないからです。(マタイ 13:14,15)彼らの目は閉じ,耳は閉じ,心は閉じています。しかし彼らの口はいつも開いています。そして,ヱホバがいま御自身の証者をして宣明させている警告の音信を嘲笑し,馬鹿にするために開いているのです。このこと身体,私たちがこの古い世の終の日にいるという証拠であつて,しかも予言されていたものです。『終の日には,嘲ける者が,自分自身の欲望に従つて歩みながら嘲けりをもつてやつて来てこう言うであろう。「約束された彼の臨在はどこであるのか? 私たちの祖先が死の眠りについて以来,すべてのものは創造の最初の時とそつくりそのままではないか?」』 さらに,彼らは『自分の欲望に従つて』事実を見ないと,聖書は述べています。彼らの目は,ただ自分の計画を見るだけであり,その耳は自分の企てのみを聞き,その心は自分の理論のみを考えます。彼らは自分自身の欲望に従い,良いたよりの伝道とハルマゲドンの警告には,目をつぶつて耳をふさぎ,それを見分けようとはしません。―ペテロ歿 3:3-5,新世。
18 誰が暗やみにいませんか? 彼らは,ハルマゲドンの後に何を見ますか?
18 しかし,忠実な者たちは,ヱホバの御言葉の予言的な光を通して,この時代に生ずる出来事を見ます。そして,彼らに対して聖書はこう述べています。『しかし,兄弟たちよ,あなた方は暗やみの中にはいない。それで,その日が盗人のように,あなた方を不意に襲うことはないであろう。あなた方はみな光の子であり,昼の子であるからだ。』かく霊的に目覚めている者にむかい,イエスはこう言われました。『あなた方の目は見ており,あなた方の耳は聞いているからさいわいである。』(テサロニケ前 5:4,5。マタイ 13:16,新世)そのような人は,ハルマゲドンについてのヱホバの御目的をいま見て,聞いて,そして見分けることにより,そしてヱホバの警告に注意を払い,かつヱホバのいましめに従つて山に逃れることにより天からの戦争に生き残ります。そしてそれが地にもたらす平和をたのしみます。彼らは,ハルマゲドンの大破滅にもこの感覚と知覚力を保ち続け,かつ生残者に与えられる次の招きの言葉に応じてその感覚を用います。『きたりてヱホバの事跡をみよ。ヱホバはおおくの懼るべきことを地になしたまえり。ヱホバ地のはてまでも戦闘をやめしめ,弓をおり,戈をたち戦車を火にてやきたもう。なんじらしづまりて我の神たるをしれ。われはもろもろの国のうちに崇められ,全地にあがめらるべし。万軍のヱホバはわれらと偕なり。』― 詩 46:8-11。
-
-
天からの戦争の後に来る平和ものみの塔 1955 | 10月15日
-
-
天からの戦争の後に来る平和
『私は新しい天と新しい地を見た。前の天と前の地は過ぎ去り,海ももはやないからである。神は彼らの目から涙を全部拭い取られるであろう。死はもはやないであろう。そして欺きも叫びも苦しみもないであろう。前のものは,過ぎ去つたからである。』― 黙示 21:1,4,新世。
1 地に対するヱホバの御目的は何ですか?
『地は永久に存つなり。』この霊感の言葉から,地は亡びてしまうという宗教的な主張は偽りのものと曝露されます。ヱホバは,地を創造しても荒れ果てた状態に置かずむしろ『人の住所につくり』ました。はつきり言明されている神のこの御目的により,地は火で燃えてすつかりなくなつてしまうという主張は,根こそぎに覆えされます。ヱホバの御目的は,地を亡すことではなく,地を救うことです。ハルマゲドンは,地を亡しません。むしろ,『地を亡ぼす者らを亡ぼす』ものです。―伝道之書 1:4。イザヤ 45:18。黙示 11:18,新世。
2,3 天と地の亡びについて,聖書は何と言つていますか? しかし,なぜ実際の天と地ではありませんか?
2 しかし,地は裁きの日の火のために保たれていると,聖書は述べていませんか? たしかに,聖書は述べています。それで,地は永久に保つなりと述べる他の聖句と,このこととは相矛盾すると,ある人は性急に結論づけるかもしれません。しかしながら,前後の関係から判断しつつ,火についての聖句を読む時『地』は必らずも実際の遊星を意味しないことは明瞭です。『むかしに天があり,また神の言葉により地は水から,そして水の中で成り立つていた。その時の世は,それらの手段により,水で覆われた時に亡びをうけた。しかし,同じ御言葉により現在の天と地は,火のために貯えられ,裁きと不敬虔な人の亡びの日にたいして保たれている。しかし,ヱホバの日は盗人のように来るであろう。その時天は鳴り轟く音とともに過ぎ去り,非常に熱した天体は溶けさり,地とその中にある業は曝露されるであろう。このように,これらのものはみな溶けさるのであるから,あなた方は聖い振舞と敬虔な行をし,ヱホバの日の臨在を待ち望みて,心にしつかりと憶えていなければならない。その日には,天は燃えくずれ,非常に熱した天体は溶けさるであろう。しかし,神の約束により,私たちは新しい天と新しい地を待つている。それらの中に,正義は宿るであろう。』― ペテロ後 3:5-7,10-13,新世。
3 この聖句は,まずノアの時の洪水について述べています。その時,天と地で成り立つていた昔の世界は,水で亡ぼされました。洪水は,実際の遊星である地を亡ぼしましたか? そのような事は決してあり得ません。ノアとその家族は方舟に入つて洪水を生き残り,水が減水した後に方舟から出て,洪水前と同じ地に立つたからです。実際の地は,洪水で亡ぼされず,今日でも存在しています。そして,その大洪水を物語る証跡を持ち越しています。また,ノアの日の洪水が,地表より幾光年も遠く離れている実際の天を亡ぼさなかつたことは,確かです! しかし,天と地は過ぎ去つて,別の天と地,すなわち火で亡ぼされる『現在の天と地』と入れ代りました。そして,『現在の天と地』に入れ代るものは,『新しい天と地』です。『神の約束により,私たちは新しい天と新しい地を待つている。それらの中に正義は宿るであろう。』星の輝く天とこの遊星の地が,ノアの時の洪水で亡ぼされなかつたのと同じく,ハルマゲドンの火のごとき亡びにも存在し続け,その後も永遠に存続するでしよう。なお,ついでのことですが,地が燃える時に『天は燃えくずれ』てしまうと主張する宗教家は,どうして天に行けるのでしようか?
4 洪水で亡びた天と地は何でしたか? ハルマゲドンは,どんな天と地を亡しますか?
4 それでは,洪水で亡ぼされた昔の天と地は何でしたか?『天』は,サタンの反逆に加り,人間の形に表われて女と同棲した見えざる霊者を指しました。洪水により,この状態は終りました。『地』は,この遊星である地に住んでいた悪しき人間たちを意味し,彼らは洪水で亡ぼされました。この見解は,自分勝手な独りよがりの解釈ではありません。聖書は,しばしば場所や界域の名称を用いてその地に住む者たちを示しています。丁度人が今日はロシヤやエジプト,あるいはメキシコと言いながら,その前後の関係から,場所を意味したり,そこの民を意味したりするのと同じです。次の聖句を考えてごらんなさい。『天よきけ。地よ耳をかたむけよ。』『全地皆智恵を聴かんとて,ソロモンの面を見んことを求めたり。』『全地よヱホバにむかいて謳うべし。』自然の天と地にむかつて聞くべしとは命じていません。自然の天と地には聞く耳がありません。しかし,天にいる御使たちは聴くことができ,地に住む人間はソロモンの言葉を聞き,かつヱホバの讃美を歌うことができます。サタンとその悪鬼共は,洪水前とは違う状態下で,いまでも存在しています。そして,サタンと悪鬼共は,ハルマゲドンで亡ぼされる天であります。諸国家として組織され,そしてヱホバに反対する国民は,ハルマゲドンの火のごとき裁きをうけて燃えつきてしまう地であります。―イザヤ 1:2。列王記略上 10:24,ア標。詩 96:1。創世 6:1,2。コリント後 4:4。エペソ 6:12。黙示 12:9,12; 20:1,2。
5 誰が誰を棄てましたか? 人間の平和努力は,良く成功していますか?
5 大多数の人間の意見とは逆に,永久の平和はただハルマゲドン後になつて,この地に来ます。今日多くの人は,神はこの地に関心を持たず,この地を棄ててしまつた,と考えています。その考え方は,エゼキエルの時代の多くの人の考えと同じです。『ヱホバは我らを見ず。ヱホバはこの地を棄てたり。』しかし,ヱホバはこの地をも,また地上の従順な人をも決して棄てません。実際には,キリスト教国の人々はヱホバを棄てました。『そはわが民は二つの悪しき事をなせり。すなわち,活る水の源なる我をすて自己水溜を堀れり。すなわち壊れたる水溜にして水を有たざる者なり。』彼らは,ヱホバの御言葉の中にある真理の生命の水を飲もうとはせず,むしろ科学の哲学や人間の政治的な計画に依存しています。彼らは平和を設立するキリストの御国に依存せず,むしろ人間の策略や残酷な戦争に頼つています。人間の策略は,国家的な利己主義のために行きづまつており,残酷な戦争は,将来の戦争の種子を播くのみです。彼らは平和を語りながら,戦争を準備します。『平和でない時に,平和,平和』と彼らは言います。『和をもとむる使者はいたく哭く。』のも全く当然なことです。彼らの交渉は,絶えずみじめな失敗に終つています。そして,解決は得られず,かえつて,危険な戦争は,この原子時代に,ますます必至のものとなりつつあります。そのことについて,英国科学進歩協会会長は,こう述べました。『繰り返しなされる原子爆発は,何人も耐えることもできず,また避けるこのできない放射能に達するという可能性に我々は直面せねばならない。』ヱホバは,『地を亡す』者たちを阻止されると言われていますが,それは全く誇張した言葉ではありません。―エゼキエル 8:12。エレミヤ 2:13; 6:14。イザヤ 33:7。
ハルマゲドン後の平和な世
6 後日,ハルマゲドンを二度と再び戦う必要は,なぜありませんか?
6 天からの戦争の後,将来に戦争の起る恐れはありません。天からの戦争は,正義の戦争であり,すこしの不正をもその後に残さないからです。予言はこう述べています。『なんぢらヱホバに対いて何を謀るや。彼まつたく亡したもうべし。患難かさねて起らじ。』この患難はふたたび起らないと,イエスは言われました。(ナホム 1:9。マタイ 24:21)なぜ起る必要がありますか? 平和を打ち砕く者は,みな地から取り去られてしまいます。ただ平和を愛する者のみが残ります。平和を愛する者はみな唯一つ真の神ヱホバに献身していて,ヱホバの原則に導かれています。考えと行は一致したものになります。人間の戦争が再び起ることは,決してありません。戦を行つて血を流し,そして死にむかつているこの古い世の中にいても,ヱホバの新しい世の社会は,次の平和の予言を成就しています。『彼らはその剣を鋤に打ちかえ,その槍を鎌に打かえん。国と国とは剣を挙て相攻めず,また重ねて戦争を習わじ。』― ミカ 4:3。
7 地に対するヱホバの最初の御目的について,人間はどの程度までその目的にかないましたか?
7 しかし,『現在の天と地』すなわち『現在の悪い組織制度』に入れ代る『新しい天と新しい地』は人間の戦争を無くすこと以上をいたします。地についてのヱホバの御目的は,ことごとく実現されます。『我このことを語りたれば,必らず来らすべし。我このことを謀りたれば,かならず成すべし。』ヱホバの最初の御目的は,この地を正義な人々で充たすだけでなく,地を美化することです。正義な人々は,地を管理して守り,そして治めます。また,地の損耗を防ぐために緑の草木で地を装うでしよう。そうして,無用の雑草が生えしげらないようにします。彼らは地を治めて管理し,地を楽園<パラダイス>の状態にいたします。そして,下等動物に対しても愛の支配を行います。この古い世の人々は,なんと堕落していることでしようか! 人間は商売の儲けを図つて山の森林を切り出しますが,切り出したままであるために,風や雨で山は侵触されて行きます。人間は平原の草を鋤き返してしまい,波うつ草原の海を土塊に変えてしまいました。人間の飽くことを知らぬ鉱山の方法は,土を全部流し去つて,鉱山をすつかり駄目にしてしまいます。人間は金を儲けようとして,動物をむやみやたらに,私利に供しただけでなく,利己的な遊びの対象として勝手気儘に殺しています。人間は,地についてのヱホバの御目的を見せびらかしながら,なんという間違をしているのでしよう。人間は地を管理するかわりに,地を剥いでしまい,地を守る代りに喪失し,治める代りに亡してしまい,そして愛の気持で動物を支配する代りに,動物を私利に供したり,勝手気儘に殺しています。―ガラテヤ 1:4,新世。イザヤ 46:11。創世 2:15; 1:28。
8 人間は,自分たちの住居である地にたいして,感謝の足りないことをどのように示していますか?
8 人間は自分の地的な住居に対して感謝の念をいだいてはいません。なんでも貪り取つてしまおうという私欲のために,人間は動物や,植物や,鉱物の資源を私利に供していますが,今後の人々の必要品ということについては一向に頓着しません。それに,地の産物を奪い取つて掠取するときに,その利益は少数の者だけを富まし,大多数の者は貧困になやんでいます。現在の原子時代に,地を荒らす速度は,ますます早まつています。自然の資源を奪うだけに止まらず,生命を維持しようとする地の力もいまは危うくなつています。工業や医薬で危険な放射線を用いたり,また原子武器を試験したりしているため,地や海や空気は汚されています。この汚染の程度はもつと悪くなつてどんな種類の生命も地上に存在できなくなるであろうと多くの科学者は恐れています。ある宗教家たちは,ヱホバは地を亡すと教えますが,事実は,人間が地を亡ぼそうとしているのです。ヱホバは地を亡す代りに,地を救いに来ます。ヱホバはハルマゲドンの時に起ち上つて,地を亡す者たちを亡し,堕落した人間の手より地を救わねばなりません。
9 従順な人間は,ハルマゲドン後に地をどのように取り扱いますか?
9 従順な人間だけが,全能の神のその戦を生き残ります。従順な人間は,地的な住居に感謝しています。そして,神の御意と一致しつつ地を管理します。彼らは目に見えない新しい天の指示の下に,地を耕し,美化し,全地を楽園<パラダイス>に変えます。地は豊かに産物を出し,以前の飢饉は忘れられます。そして,旱害や,植物の病気や,虫害もなくなり,もはや作物が駄目になることはありせん。(詩 67:6)畠以外の地は,草や花や,灌木や森林で覆われます。人間はそこで休息したり,あるいは静養を取り,またあらゆる種類の鳥や動物はそこに生存します。人間が神の命ずる通りに支配するとき,人間と動物界には永遠の平和が保たれます。
10 人間の行動が変化する前に,どんな変化は来なければなりませんか?
10 神の律法は,人の心の中にあります。神の原則は,人間の心に注がれます。正義の訓練をうける良心は,人間を導いて公正と愛に歩ませます。言葉と行が正義の充ちる心から生ずる時,規則の重要性は失われます。善についての規定はありません。しかし,心がヱホバの御霊で充ちる時,善は内奥から自然に来ます。良い法規や抑制の原則が多くあるにもかかわらず,今日の人々は不道徳で悪い事柄に走つています。人間は不完全で病気な心を持つている故に話したり,行つたりします。そのような心を持つとき,多くの悪が生じます。(シンゲン 23:7。マタイ 12:34; 15:19)気持と行動がすつかり変る前に,心の変化がなければなりません。ヱホバへの愛,およびヱホバの御意,道,そして御考えを尊重する念で心が充ちるとき,本当にただその時だけに,正義と平和はこの地に来ます。
11 その時,何が必要でなくなりますか?
11 そのとき,もはや戦争はなく,武器の試験もなく,また戦争の殺し合いをするために,人を徴召したり,訓練したりすることもありません。戦争のために今大量に用いられている資源は,人間の益のためと,地を改善するために用いられます。国際的な政治の必要は,もはやなくなります。その時,全部の人は,皮膚の色やその住む場所を問わず,みなひとつの民,ヱホバの民であります。そのときには,病気がないため,医者の必要はありません。死人がいないため,葬儀屋は必要でありません。犯罪者がいないため刑務所の必要はありません。離婚はないため,離婚裁判の必要はありません。孤児院の必要はありません。なぜならば,その時誰が生活していますか?
12,13 どんな予言は,ハルマゲドン後の地上の状態に適用されますか? それは,どのような事を示していますか?
12 ヨハネ黙示録 21章1,3,4節(新世)は,『現在の天と地』が過ぎ去つた後の新しい世の状態について,はつきりと明示しています。その第1節は,こう述べています。『それから,私は新しい天と新しい地を見た。前の天と前の地は過ぎ去り,海ももはやないからである。』この悪い世に属する目に見えない支配勢力の天と,目に見える地上の支配者が亡びてしまうだけでなく,動揺していて休みのない海と示される人間の群衆は,神より遠ざかつているため,亡ぼされてしまいます。彼らはふたりの主人に仕えることができません。神の側にいると共に,サタンの姦婦の制度を支えることはできません。(イザヤ 17:12,13。マタイ 6:24。ルカ 21:25。黙示 17:1,15)地上に残る者たちは,ハルマゲドン前の今,謙遜と正義を求め,そしてヱホバの御言葉を学ぶと共にに,御言葉に従順に従う者たちです。黙示録 21章3,4節は,ハルマゲドン後の彼らにあてはまるものです。『そして神自ら人間と共にいるであろう。神は彼らの目から涙を全部拭い取られるであろう。死はもはやないであろう。そして欺きも,叫びも苦しみもないであろう。以前のものは,過ぎ去つたからである。』
13 実際には,この約束だけで,すべてのことが言いつくされているのです。もし涙がないなら,悲しみもなく,失意落胆の状態もなく,ただあるものは満足と幸福だけです。もし,痛みがないなら,人を不具にする事故もありません。歎きと叫びがないなら,病気はありません。そして,もはや死がないなら,従順な人類は永遠に生きつづけて,永遠に存続する遊星の地で楽園<パラダイス>の状態を永久に楽しみます。心配や,問題や,悲しみや,病気や,痛みや,戦争や死がなくなつてしまうなら,ヱホバの正義の新しい世に存在する素晴らしい平和と満足を何が害いますか? 正常な心を持つ人なら,誰でもその新しい世で永遠の生命を得たいと必らず欲するはずです。
14 ある人々は,どんな反対論を持ち出しますか? しかし,どのように辻つまが合いませんか?
14 ところが,不思議なことに,ある人は苦難の無い世界に住みたくないと答えます。その人たちは,そのような世界は単調で面白くなく,苦難があつてこそ生活は活気づくのだと論じます。しかし,このような人は辻つまが合つていません。もし神が全能なら,なぜ神は多くの地上の苦難を許されるのかと,彼らは他の時にはひどく不平を言います。しかし,なぜこの不平を言うですか? 苦難を許しておられる神になぜ感謝をしないのですか? 生活を面白いものにし,単調さをなくすのは,苦難であると,言つてはいませんか? それでいて,苦難のない正義の新しい世には心を惹きつけられないのです。それならば,苦難を許しておられる神にたいして,いまなぜ不平を言うのですか? しかも苦難は幸福をもたらすと,彼らは論じているのです。実際に,彼らは理性のない子供のようです。そして,ヱホバが何を許し,何を為そうと,彼らは満足を感じないのです。イエスは当時の人々を,愉快な遊びもしようとせず,また悲しい遊びをもしようとしなかにた子供たちになぞらえました。ヨハネは食べもせず,また飲まなかつたために,彼らはヨハネを好みませんでした。イエスは食べて飲んだために,彼らはイエスを好みませんでした。彼らはただ欠点を見つけようとしたのです。そして,満足せず,批判ばかりしていました。現在の古い世には苦難があると言つて不平をこぼし,また新しい世には苦難がないと言つて不平をぼす今日の人々は,愚かにも,それと同じ部類に入つているのです。―マタイ 11:16-19。
15 何が為されるため,新しい世は退屈でありませんか?
15 新しい世は,退屈なものでありません。退屈を避けるために,苦難や病気や,死は必要でありません。人は新しい世で働かねばなりません。そして,人は『その手の業を長く楽しむ』と聖書に約束されています。知的なものにせよ,肉体的なものにせよ,仕事は多くあります。地を管理して守り,そして治めることは,全身全霊を傾けてする仕事であり,それに下等動物に愛の支配を行うことは,非常なよろこびであります。或る者は発明し,他の者は生産し,そして又他の者は使用します。多種多様の仕事があり,それぞれ最高の知力と技術を必要とします。怠惰とか単調はなく,まして退屈などということはありません。
いま山に逃げよ!
16 ヱホバを遅いと非難する代り,私たちはなぜヱホバの忍耐に感謝の気持ちを持つべきですか?
16 現在,私たちは怠けた生活をすべきではありません。もし怠けるならば,私たちは亡びをうけるでしよう。ヱホバはハルマゲドンの戦をして,新しい世を設立するのが遅いと,ある人々は考えています。しかし,ヱホバは遅いのではありません。ヱホバは耐え忍ばれているのであり,私たちの救を図つておられるのです。『ある人々は遅いと考えているが,ヱホバは御自分の約束を果すのに遅いのではない。ヱホバはあなた方を耐え忍ばれているのである。ヱホバは,ひとりの人の亡びるのも欲せられず,むしろ全部の人が悔い改めるようにと欲しておられるのである。』『主ヱホバ言いたもう。我は活く。我悪人の死るをよろこばず,悪人のその途を離れて生るを悦ぶなり。なんぢら翻り翻りてその悪しき道を離れよ。なんぢらなんぞ死べけんや。』現在の時は,特別な期間であつて,人々は,亡びに運命づけられた古いサタンの世から逃れ出て,キリストの支配下にある新しい組織制度に来ることができます。そして,あらゆる国からの人々とともに,ヱホバの山に来ることができるのです。―ペテロ後 3:9,新世。エゼキエル 33:11。
17 この古い世はなぜ盲目であつて,そして酒に酔つた人に比較されるのですか?
17 現在の古い世は,この音信に目を開かず,耳を傾けず,危険な現在の時を見分けません。なぜ? その理由は,この世の神が覆つている覆いのためです。『いま私たちの述べる良いたよりが実際に覆われるならば,それは亡びゆく人々の中に覆われるのである。それらの人々の中にあつて,この世の組織制度の神は不信者の心をめくらにし,神の像であるキリストについての栄光ある良いたよりの光を輝かせまいとしている。』酒に酔つている人を見たことがありますか? その人の覆いのかけられたような,どろんとした,霞んだ目付きを憶えていますか? 酔ぱらいは,はつきり見ることができず,正気を失い,その行はあやふやです。でも酔ぱらいに何か尋ねてみると,自分の気は確かだと言い,どんな事でも間ちがいなく上手にやつてのけると言います。その人の状態は暗やみにいるものですが,当人はそのことを知りません。これと同じく,サタンも,この組織制度の諸国民に覆いをかけて,暗やみに閉じこめ,その知覚を失わせています。そして諸国民は盲目となつて,そのことを自覚していないのです。諸国民は,物事をはつきりと見たり,聞いたりすることができ,自分たちは正気だと考えています。しかし実際には彼らはサタンの葡萄酒,すなわちサタンの宗教的,政治的宣伝を飲んで,酔つているのです。サタンは偽りの覆いをつくつて,それを人々の心の上や,目の上にかけています。それで,彼らは盲目の状態に閉じこめられながら,ハルマゲドンの亡びに導かれます。サタンの宣伝と『悪鬼共によつて霊感された表現は………全地の王たちのところに行き,全能の神の大いなる日の戦争のために王たちを集める。』― コリント後 4:3,4。黙示 16:14,新世。エレミヤ 51:7。黙示 17:2; 18:3。
18 盲目にされている人々は,私たちの伝道する音信をどのように見なしますか? しかし,その智恵は何ですか?
18 悪魔によつて欺かれ,盲目にされている多くの人々は,その事実を認めると思いますか? 酔ぱらいが自分の酔つているのを認めないように,それらの人々はその事実を認めません。それらの人々に真理を伝道してごらんなさい。キリストの犠牲について語つてごらんなさい。キリストの御国がいま設立されていることを指摘してごらんなさい,人類はこの古い世の終りの日に生存している証拠を示してごらんなさい。ハルマゲドンの近づいていることを警告し,その亡びからどのように逃れ得るかを説明してごらんなさい。それらのことがらについて,人々はどういう風に考えますか? それは『亡んで行く者たちにとつて愚かである。』自惚れて高慢なこの世は,この世の智恵で盲目になつています。聖書の言う通りです。『この世はその知恵により神を認めるに至らなかつた。』神を知ることは,永遠の生命を意味するものであり,かつこの生命を与える知識を得させないものはこの世の知恵であるために,本当に『この世の智恵は愚かなものである。』この愚かさの覆いから逃れ出て,ヱホバの御言葉の光をうけつつ,はつきりと物事を見るためには,人はサタンのかけた覆いをかなぐり棄てなければなりません。―コリント前 1:18,21; 3:19。ヨハネ 17:3,新世。
19 私たちは,どの場所にいることにより,サタンの盲目の覆いを避けることができますか?
19 人の目を盲目にさせるこの覆いをかなぐりすてるために,人は何処に行きますか? ただ一つの特定の場所で,その覆いは亡ぼされています。『またこの山にてもろもろの民のかぶれる面帕ともろもろの国のおおえる外帔をとりのぞき。』(イザヤ 25:7)ヱホバの山,すなわちキリストの支配する御国には,サタンの覆いはありません。そして,いまあらゆる国々の男も女も子供も,この保護を求めて逃れよと言われているのです。幾十万という人々は,すでに逃れており,さらに幾十万人の人々はいま逃れつつあります。さらに又他の幾十万の人々は,これから目を覚まして逃れるでありましよう。これらの人々はみな天からの戦争に生き残り,そしてその戦争が地にもたらす永遠の平和を楽しみます。
-
-
その8 協会を破壊せんとの内外からの試み挫折すものみの塔 1955 | 10月15日
-
-
ヱホバの證者の近代歴史
その8 協会を破壊せんとの内外からの試み挫折す
1918年の2月の終りの頃,ニューヨークに於けるアメリカ合衆国陸軍情報部は,ブルックリンに在るものみの塔協会の調査を開始しました。偽りの噂が乱れとんでいました。その一つは協会がベテルの家に強力な無線局を設けて,大西洋の彼方のドイツの敵と音信を交わしているというのでした。その本当のことは,ラッセル兄弟の生きているとき,ある兄弟が彼に小さい無線の受信セットを贈つたのに過ぎません。送信施設は全くなかつたのです。ベテルの家から,無線によつて送信された音信などは一つもありませんでした。これは1915年のできごとで,ラヂオ放送の行われた以前のことであり無線電報も始められたばかりの時代でした。1918年に,陸軍情報部の二人の者がベテルの家に来ました。彼らは屋上に案内されて,かつて無線受信機が据えてあつた小屋を見せられ,次に階下の倉庫に案内され,箱詰めされてある受信機を見ました。双方の話し合いの結果,情報部の者によつて受信セットは運び去られたのです。
1918年2月25日の日曜日にカリフォルニャ,ロス・アンゼルスに於いて,ジェー・エフ・ルサフォードは講演をしました。次の木曜日のこと,即ち2月28日に,陸軍情報部は,ロス・アンゼルスにあつた聖書研究者の本部の所有物を調らべ,沢山の協会の出版物を接収しました。次の月曜日(3月4日)に,ペンシルベィニィヤのスクラントンでは,協会の数人の兄弟たちが,陰謀という疑い
-