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  • この惑星の地球はどうなりますか
    新しい地へ生き残る
    • 1章

      この惑星の地球はどうなりますか

      1 あなたはどのような将来を期待していますか。それはどうしてですか。

      この惑星の地球に今住んでいる幾十億もの人々の一人として,あなたにはどんな将来があるでしょうか。互いに本当に愛し合う人々の中で,平和で安全な生活を営める将来であって欲しい,と思われますか。それも可能ですが,それよりもずっとすばらしい生活ができるのです。ところが,大多数の人々が予期しているのは,そのような将来ではありません。それはなぜでしょうか。

      2,3 核戦争の脅威は将来に関する多くの人々の見方にどのように影響を及ぼしていますか。

      2 核戦争の脅威のために人類の大多数にとっては,果たして何らかの将来があり得るだろうかという深刻な疑問が生じています。1945年,1個の原子爆弾が初めて戦争で使用された時,7万人余りの男女子供が一瞬のうちに殺されました。その後,日々そして年々,さらに幾千人もの人々が苦しみもだえながら死んでゆきました。しかし今日では,ただ1個の典型的な弾頭に,第二次世界大戦中に投下された爆弾すべてに相当する爆発物が入っているのです。そして,幾万もの核兵器が直ちに使用できるよう配備されています。それでも世界は軍備競争に毎日,およそ20億㌦(約4,800億円)を費やしているので,人々は恐怖にあえいでいます。

      3 しかし,もし“限定核戦争”だけが起きるとしたらどうですか。それはやはりぞっとするような結果をもたらすでしょう。著名な科学者,カール・セーガンによれば,もし諸国家が保有している核破壊力のたとえほんの一部分を使ったとしても,「我々の地球上の文明が滅びることにはほとんど疑問の余地がない。……しかも,人類種族の絶滅の現実の可能性があるように思える」とのことです。多くの人々はこのような見通しを忘れてしまおうとしますが,そうしてもその危険がなくなるわけではありません。中には“生存主義者”社会を造り出してきた人々がいますが,その仲間は急速に増えています。それらの人々は,ある人々が生き残れればよいと考えて,孤立した地域に避難所を構築し,そこに食糧や医療品を貯蔵し,望ましくない侵入者を追い払うための銃をも備えています。

      4 環境の誤用はなぜ重大な脅威と考えられますか。

      4 核戦争のほかに,科学者たちは環境が誤用されているために世界的な災害の起こる可能性について警告しています。わたしたちの呼吸する空気の汚染は大変憂慮されている一つの問題です。森林は恐るべき割合で消失し続けています。しかし森林は地球の酸素の循環や雨の循環および土壌保全にとって重要なものなのです。無知と貪欲のために,大切な耕地が損なわれています。飲料水は多くの場合,有害な化学物質で汚染されています。しかし,こうした資源は人間の命を維持するために不可欠なものなのです。

      5,6 ほかのどんな状況のために人々は安全で幸福な生活を期待できなくなっていますか。

      5 凶悪な犯罪のために人々がまるで自宅で囚人になるよう強いられている事実のほうが,もっと身近な重大問題だと思う人々もおられるでしょう。政治的また社会的不安も生活を危険なものにしています。まんえんする失業や物価の急騰するインフレは窮乏と失意を招いています。多くの人々の家庭生活は決して満足すべきものではありません。家族を結合させるべき愛のきずなは往々にして失われています。どこでも,人々は“われ先に”という態度を取っています。

      6 では,安全な生活を享受できるようになるとの期待を抱ける確かな根拠をどこに見いだせるのでしょうか。もし地球の住民としてのわたしたちの将来がただ,これらの問題に対して共に責任を負っている人間や諸国民が進んでしようとしている,またなし得ることだけに依存しているとしたなら,見通しは本当に暗たんたるものと言えるでしょう。しかし,それが真相でしょうか。

      無視してはならない事実

      7 (イ)聖書が神の言葉であることを示すどんな証拠がありますか。(ロ)聖書が述べる事柄を知るのは人々にとってなぜ肝要なことですか。

      7 人間は物事を予測する際,往々にして地球と人類の創造者のことを度外視します。しかし,どうすれば,創造者がどんな目的をお持ちかを知ることができますか。聖書はそのことを教えています。聖書は,その中に収められている事柄が神に由来すること,つまり神の霊感を受けて記されたものであることを繰り返し述べています。その主張は真実ですか。もしそれが真実なら,あなたの命はそれに従って行動することにかかっています。これは重要な事柄ですから,聖書を個人的に調べてみるようお勧めいたします。そうすれば,将来に関する詳細な知識を反映している,聖書の数多くの預言が際立ったものであることにお気づきになるでしょう。あなたの永続する幸福にとって大変重要な事柄を論ずる点で,聖書の知恵に匹敵できるものはありません。もし読者が偏見のない態度で証拠を考慮なさるなら,聖書は超自然的な源,つまり人類を本当に愛しておられる,ひとりの神に由来しているとしか言えないことを認識できると,わたしたちは確信しています。a 聖書には,人類史のこの危機的な時代に臨んで,わたしたちが生き残るのに肝要な情報が収められています。適切にも聖書は地上で最も広く流布されている本です。―ペテロ第二 1:20,21; 3:11-14; テモテ第二 3:1-5,14-17を参照してください。

      8 聖書は惑星であるこの地球の創造者がだれであるかをどんな名によって明らかにしていますか。

      8 聖書の冒頭の節は基本的な真理の一つとして,『神が天と地を創造された』ことを述べています。(創世記 1:1)b 中には神を無名のままにすることを好む人々もいますが,聖書はそうしていません。創世記 2章4節は創造者がだれであるかを名を用いて明らかにし,「エホバ神が地と天を造られた」と告げています。(また,創世記 14:22; 出エジプト記 6:3; 20:11をも参照してください。)聖書のかなりの部分は元々ヘブライ語で書き記されており,ヘブライ語の聖書本文には神の固有の名が神聖な四文字語<テトラグラマトン>(יהוה)として7,000回近く出てきます。中にはそれをヤハウェと字訳する翻訳者もいますが,この名の最も一般的な形はエホバです。

      9 (イ)神を表わすその名はだれに由来していますか。(ロ)神のみ名はわたしたちにとってどれほど重要ですか。(ヨエル 2:32。ミカ 4:5)

      9 この名は信心深い人間によって考案されたのではありません。それは創造者ご自身によって選ばれたものです。(出エジプト記 3:13-15。イザヤ 42:8)それは仏陀,ブラフマー,アラーあるいはイエスなどと交互に用い得る名ではありません。預言者モーセは適切にも古代のイスラエル国民に次のように思い起こさせました。「あなたは今日よく知っているはずである。また,自分の心に思い出しもしなければならない。すなわち,エホバ[ヘブライ語: יהוה]は上なる天においても下なる地にあってもまことの神である,ということを。ほかにいないのである」。(申命記 4:39)この方こそイエス・キリストが祈られた神,つまり「唯一まことの神」として語りかけられた方なのです。今日,この方は地上のあらゆる国民の中の事実に通じている人々によって崇拝されています。―ヨハネ 17:3。マタイ 4:8-10; 26:39。ローマ 3:29。

      10 核戦争の脅威や汚染による損傷はどうして地球に対する神の目的を挫折させるものとはなりませんか。

      10 エホバは地球の創造者であられるゆえに,この惑星全体はこの方のものであって,その将来はそのみ手にかかっています。(申命記 10:14。詩編 89:11)人類の諸問題は神の処理能力の及ばないものではありません。人間は核戦争を予想して恐れおののいています。しかし,何十億とも知れぬ無数の恒星の中で,恐るべき規模で起きている原子核反応は,だれの法則によって制御されていますか。神は惑星のこの地球上の生命を守るのに必要な知識や力を持っておられるのではありませんか。同様に,人間が無知と利己心から環境を汚染したために生じてきた諸問題も全能の神の目的を阻むものとはなりません。地球とその上の魅惑的な生物を創造するのに必要な知恵と力を持っておられるその方はまた,もしそれがご意志であれば,すっかりきれいにして出直しをさせることがおできになります。(イザヤ 40:26。詩編 104:24)では,わたしたちの住みかであるこの惑星に関連してエホバはどんな目的を持っておられるのでしょうか。

      地球はいつまでとどまるか

      11 (イ)地球はついにはどうなると,一部の科学者は考えていますか。(ロ)それらの科学者よりもだれのほうがこうした問題についてもっとよくご存じですか。それはなぜですか。

      11 地球とその上の生き物すべてを滅ぼすのが神の目的ですか。太陽はついには爆発的膨張を遂げて大きくなり,地球を包み込んでしまうであろうという学説を立てる天文学者もいます。また,物質宇宙の性質そのもののゆえに,太陽はもはや輝かなくなり,地球ももはや生命を維持できなくなる時が必ず来ると説く人々もいます。しかし,そのような人々の考えは正しいと言えますか。創造者,つまりエネルギーと物質を存在させた方,わたしたちの生活が依存している諸法則を創始された方は,何と言っておられますか。―ヨブ 38:1-6,21。詩編 146:3-6。

      12 伝道の書 1章4節の言葉は真実であることがどのように示されていますか。

      12 エホバは賢い王ソロモンに霊感を与えて,地球そのものの存続期間と比べた人間の寿命について書き記させました。伝道の書 1章4節でソロモンは次のような言葉を記しました。「代は去り,代は来る。しかし,地は定めのない時に至るまで立ちつづける」。人間の歴史はこの言葉の真実性を証しするものとなっています。人類の世代はそれぞれ別の世代で置き換えられてきましたが,地,つまりわたしたちがその上で生きている地球は依然として立ちつづけています。しかし,いつまででしょうか。新世界訳聖書の字義訳によれば,それは「定めのない時に至るまで」です。それはどういう意味ですか。

      13 (イ)「定めのない時」は何を意味する場合もありますか。(ロ)では,地球が永久に持ちこたえ得ることをどうして確信できますか。

      13 ここで「定めのない時」と訳出されているヘブライ語の言葉,オーラームは基本的に言って,現在の観点から見て定めのない,もしくは隠されていて分からない長期の,ある期間を意味しています。それは永遠を意味することもあります。当面の問題の場合もそうですか。それとも,今はわたしたちから隠されてはいるものの,恐らく定めのない将来のある時期に地球はその終わりを迎えることをこの表現は示唆していますか。聖書の中で「定めのない時に至るまで」続くと言われていたもので,結局は確かに終わりを迎えたものもあります。(民数記 25:13; ヘブライ 7:12と比べてください。)しかし聖書はまた,オーラームをとこしえなるもの ― 例えば創造者ご自身と関連づけています。(詩編 90:2とテモテ第一 1:17を比べてください。)この表現が地球に関連して何を意味しているかについては,不確かな点は何もありません。詩編 104編5節はこう述べているからです。「[神]は地の基をその定まった場所に置かれました。それは定めのない時に至るまで,まさに永久によろめかされることがありません」。c ―また,詩編 119:90も参照してください。

      14 地球がいつの日か荒廃した不毛な所と化するのではないことがどうして分かりますか。

      14 永久に持ちこたえることになるのは,単なる不毛の,産出力を失った地球ではありません。エレミヤ 10章10節から12節はこう教えています。「エホバは真実に神である。……[神]はその力によって地を造った方,その知恵によって産出的な地を堅く立てた方,その理解によって天を張り伸ばした方である」。この方は単に「地」をお造りになっただけでなく,「産出的な地」を堅く立てられたことに注目してください。この後者の表現の出ている箇所で多くの翻訳者はヘブライ語の言葉,テーヴェールを単に「世界」と訳出しています。しかし,ウィリアム・ウィルソン著,「旧約聖書用語研究」によれば,テーヴェールは「肥よくで,人の住んでいる所としての地,人が住むことのできる地球,世界」という意味です。この肥よくな,人の住む地球に関するエホバの目的について,詩編 96編10節は励みを与えるものとして次のように宣言しています。「エホバ自ら王となられた。産出的な地も堅く立てられているので,よろめかされることはありえない」。―また,イザヤ 45:18も参照してください。

      15 これらの事実はイエスがその追随者たちに教えられた祈りとどのように一致しますか。

      15 ですから,イエス・キリストが,「あなたの王国が来ますように。あなたのご意志が天におけると同じように,地上においてもなされますように」と神に祈るよう追随者たちに教えられたのは,わたしたちの住む惑星の地球に関してだったのです。―マタイ 6:9,10。

      16 (イ)その時,地上にはどんな人々が住みますか。(ロ)聖書が述べている「新しい地」とは何ですか。

      16 エホバのご意志は,地球が,その所有者に敬意を払わず,少しも互いに愛し合うことのない人々の住む所となることではありません。昔,エホバは次のように約束されました。「悪を行なう者たちは断ち滅ぼされるが,エホバを待ち望む者たちは,地を所有する者となる……義なる者たちは地を所有し,そこに永久に住むであろう」。(詩編 37:9,29)聖書の述べる,「来たるべき,人の住む地」は,神を恐れ,仲間の人間を誠実に愛する人々の居住する場所となります。(ヘブライ 2:5。ルカ 10:25-28と比べてください。)神の天の王国のもとで生ずる,その変化はたいへん大きなものですから,聖書は「新しい地」について語っているのです。それは別の地球ではなく,人類の創造者が地上で創造を開始した時以来意図された楽園(パラダイス)のような状態の中で生活する人間の社会のことなのです。―啓示 21:1-5。創世記 2:7-9,15。

      17 生き残るための神のご要求を今学ぶのはなぜ重要なことですか。

      17 その「新しい地」が確立されるには必然的に,それに先立って大規模な滅び ― 人類がこれまで経験してきたどんな事をもはるかにしのぐ滅びが生じます。地球そのものと,その創造者に本当に感謝する人々すべてのために,創造者は「地を破滅させている者たちを破滅に至らせ」ます。(啓示 11:17,18)神がこのことを行なわれる時は非常に近づいています! それが完了する時,あなたは生き残る人々の中におられるでしょうか。―ヨハネ第一 2:17。箴言 2:21,22。

  • わたしたちの将来を決する論争
    新しい地へ生き残る
    • 2章

      わたしたちの将来を決する論争

      1 (イ)現在,どんな問題が多くの人々の考え方を支配していますか。人々は解決策をどこに求めていますか。(ロ)人々は多くの場合何を考慮し損なっていますか。

      近年,わたしたちは人間の将来にかかわる焦眉の問題を次から次へ矢つぎばやに突きつけられてきました。こうした状況のために,どこでも人々は必死に安らぎを求めています。人々は神の存在を信じているかもしれませんが,もしこの地上の状態が改善されてゆくとすれば,それらの人々には人間が改善をもたらすことになるのだと思えるかもしれません。ある人々は現行の政府を通して,あるいは政府の決定に対する大衆の抗議運動によって改善を図ろうとします。中には革命こそ唯一の方法だと考えている人々もいます。それらの人々は,法律を変えたり,支配者あるいは政府全体をさえ交代させれば,必ず事態を改善できると考えています。しかし事実は何を示していますか。人間は何千年にもわたって試みましたが,結局,すべての臣民を差別することなく公正に扱い,すべての臣民に真の安全と永続する幸福をもたらすような政府をただの一つも生み出してきませんでした。これはどのように説明できますか。

      2 世界の状態はなぜこれほど悪いのですか。

      2 権力を持つ人々がたとえ何か高潔な目的を持っていようとも,人間の政府はすべて,公職に就く人々の支配力の及ばない勢力によって操作されています。だれがそうしているのですか。それは超人的な霊者,つまり悪魔サタンとその悪霊たちです。確かに多くの人々はこのような霊者の存在を信ずることを嘲笑します。しかしイエス・キリストはそうされませんでした。個人的にサタンの背景をご存じでしたので,サタンのことを「この世の支配者」と呼ばれました。(ヨハネ 12:31)聖書は象徴的な言葉遣いを用いて全地球的な政治体制を一匹の野獣として描写し,「龍[サタン]は自分の力と座と大きな権威を[その野獣]に与えた」ことを明らかにしています。(啓示 13:1,2。ダニエル 7:2-8,12,23-26と比べてください。)そして,聖書はわたしたちの時代に関して,「地……は災いである。悪魔が……あなた方のところに下ったからである」と述べて,その災いが増大することを予告しました。(啓示 12:12)これ以外に,人間の社会が陥っている混乱状態を満足のゆく仕方で説明する方法はあり得ません。しかし,どうしてこのようなことが起きたのでしょうか。どうすれば安らぎが得られますか。

      主権に関する論争

      3 創世記 2章16,17節は神に対する人間の正しい関係について何を示していますか。

      3 聖書の冒頭の数章は,エホバ神が最初の一組の人間,アダムとエバを創造して,両人をエデンの園に置いたとき,彼らとご自分との関係についてその二人に教え諭されたことを告げています。神はその二人の父,その寛大な供給者,それとともに宇宙主権者であられました。二人は自分自身の益のために,自分たちの命を存続させ得るか否かは神への従順に依存しているということを認識する必要がありました。―創世記 2:16,17。使徒 17:24,25と比べてください。

      4 (イ)サタンはどこから来ましたか。(ロ)彼はどんな誤った欲望を高ずるままにしましたか。

      4 当時,創造物はすべて完全でした。動物とは違って,み使いたちや人間には自由意志を行使する能力がありました。ところが,人間が創造されて間もなく,み使いたちのひとりが個人的な決定を下す,すばらしい能力を誤用して,エホバの主権に反逆しました。こうして彼は自ら,サタンという名の文字通りの意味である敵対者もしくは反抗者となりました。(ヤコブ 1:14,15; 啓示 12:9と比べてください。)野心に動かされたサタンは,最初の一組の人間を誘ってエホバ神から離れさせ,二人を自分の影響力のもとに引き入れようと考えました。サタンは自分を神として敬う人間で地を満たす可能性があることをその二人のうちに見て取りました。(イザヤ 14:12-14; ルカ 4:5-7と比べてください。)エデンで起きた事柄に関する記述は決して単なる作り話ではありません。イエス・キリストは歴史的な事実としてそれに言及されました。―マタイ 19:4,5。

      5 (イ)どんな論争がエデンで引き起こされましたか。(ロ)その論争はだれに影響を及ぼしますか。

      5 イエスは悪魔について,『[彼は],真理の内に堅く立ちませんでした……彼は偽り者であって,偽りの父です』と言われました。(ヨハネ 8:44)記録に残る悪魔の最初の偽りは,彼が神の真実さに疑いをさしはさんだ時,エバに対して語ったものでした。彼は神の律法を退けるよう勧め,人は各々生活の中で自分自身の規準を設けるほうが有益であると論じました。(創世記 3:1-5。エレミヤ 10:23と比べてください。)こうしてエホバの主権はその時エデンで挑戦を受けました。その後の出来事が示すように,神に対する理知ある被造物すべての忠誠にも疑いがさしはさまれました。彼らは本当に神を愛するゆえに神に仕えましたか。それとも,彼らを誘って神から引き離そうと思えばそうすることもできましたか。(ヨブ 1:7-12; 2:3-5。ルカ 22:31)これらの争点は天と地のすべての者に影響を及ぼすことになりました。宇宙主権者はどんな処置を講じられましたか。

      6 エホバはなぜ反逆者たちを直ちに滅ぼされませんでしたか。

      6 エホバは直ちに反逆者たちを滅ぼす代わりに,それらの争点が一度限り解決されるよう,賢明にもある期間を猶予されました。神はご自分のために何らかの主張の正しいことを証明するためにこのことをなさったのではありません。かえって,自由意志を持つ被造物が神の主権に対する反逆の生み出した悪い実を自ら見,また自分たちが個人個人この重要な事柄でどんな立場に立つかを明らかに示す機会を与えるためにそうなさったのです。これらの争点が解決されたなら,だれにも二度と再び平和を乱すことは許されないでしょう。

      7 (イ)人間の政府はどのようにして始まりましたか。(ロ)それはどんな記録を残してきましたか。

      7 エホバ神は人間の創造者ですから,その正当な支配者でもあられました。(啓示 4:11)しかしやがて,サタンとその悪霊たちは人間の内に,善悪に関する自分自身の規準を設けるだけでなく,仲間の人間を支配する欲望を引き起こし始めました。ニムロデはメソポタミアの諸都市を支配する王として地歩を固めた最初の人間でした。彼は「エホバに敵対する[動物と人間双方の]力ある狩人」でした。(創世記 10:8-12)ニムロデの時代から現代に至るまで,ありとあらゆる種類の人間の政府が試みられてきました。しかし歴史の研究者がだれでも知っているとおり,その記録はおしなべて腐敗と流血の記録となっています。―伝道の書 8:9。

      8 イエスはなぜ世の政治体制に関係することを拒否されましたか。

      8 イエス・キリストが地上におられたとき,サタンは自分の影響力のもとにイエスをも引き入れようとしました。サタンはただ一度の崇拝行為と引き換えに,「人の住むすべての王国」をイエスに提供しました。イエスはそれを拒否されました。(ルカ 4:1-13)後に人々はイエスを王にしたいと思いましたが,イエスは退かれました。(ヨハネ 6:15)イエスは世の政治体制がどんなものであるかをご存じでしたし,その改善を図ろうとするのは神のご意志ではないことも悟っておられました。

      9 (イ)人類の諸問題を解決するには,神の王国だけが行ない得るどんなことがなされなければなりませんか。(ロ)その王国とは何ですか。

      9 イエスはその父なる神エホバに対する全き忠節を証明されました。イエスはみ父の道を愛され,いつもみ父を喜ばせる事柄を行なわれました。(ヨハネ 8:29)イエスは人類の諸問題の解決策が神の王国によってもたらされることを知っておられました。その王国は天から支配を行ない,人類の必要としている,義にかなった愛ある指導を与える,一つの現実の政府なのです。その王国だけがサタンとその悪霊たちの影響を除去することができるのです。その王国だけがあらゆる人種および国家の人々を結合させ,平和に生活するただ一つの地球的家族にすることができます。ただその政府だけが罪と死への隷従状態から人類を解放することができます。その政府だけが永続する幸福を人類にもたらすことができます。この王国は,政治家によって設立され,聖職者によって祝福される,ある種の取り決めではありません。真のクリスチャンはその王国の関心事を促進するために肉の戦いの武器に訴えることはしません。それは神ご自身によって即位させられた一人の完全な天的な王をいただく神ご自身の政府です。これこそイエスが宣べ伝え,そのために祈るよう追随者たちに教えられた王国なのです。―ダニエル 2:44。啓示 20:1,2; 21:3,4。

      あなたはどちらの側を選びますか

      10 (イ)わたしたちが各自直面しなければならない大きな争点とは何ですか。(ロ)その争点に関してわたしたちは何をしているべきでしょうか。

      10 あなたが直面しなければならない争点はこうです。つまり,宇宙の創造者であられるエホバ神が,宇宙の正当な主権者,その最高の支配者でもあられることを認めるかということです。あなたは聖書の中で述べられているその神の目的とご要求を時間をかけて学んでこられましたか。その地位を敬い,その道を高く評価するがゆえに,あなたはこの方に対して愛の気持ちから従順であることを示しておられますか。―詩編 24:1,10。ヨハネ 17:3。ヨハネ第一 5:3。

      11 別の道を選んだからといって,なぜ幸福がもたらされるわけではありませんか。

      11 それ以外の何らかの道を選ぶ人々はもっと幸福ですか。人間は神に聞き従う代わりに自分たちの独立を主張することによって益が得られると述べたサタンの論議は,どんな結果をもたらしましたか。神が地を所有しておられること,また最初の一組の人間の子孫である人類はすべて兄弟同士でなければならないことを認めようとしなかったために,今世紀だけでも戦争で男女子供少なくとも9,900万人が殺害される結果になりました。聖書の道徳規準を当てはめなかったために家族は離散し,性病が広まり,麻薬中毒によって健康が損なわれ,凶悪な犯罪が引き起こされてきました。横死を免れる人たちでさえアダムから受け継いだ罪のために死に直面しています。すべての証拠は,人々が創造者の賢明な愛あるご要求を無視すると,結局,自分自身や周りの人々を傷つけるようになることを示しています。(ローマ 5:12; イザヤ 48:17,18と比べてください。)確かにそれはあなたが望んでおられるような生活ではありません。あなたはそれよりもはるかに勝ったものを選ぶことができるのです。

      12 (イ)聖書はわたしたちにどんな温かい招待を差し伸べていますか。(ロ)神のみ言葉を自分の生活に漸進的に当てはめると,何を経験するようになりますか。

      12 聖書は次のような招待を差し伸べて,温かく訴えています。「あなた方はエホバが善良であることを味わい知れ。そのもとに避難する強健な人は幸いだ」。(詩編 34:8)そうするには,エホバを知るようになり,それからその助言を当てはめなければなりません。そうするとき,あなたの生活は有意義な充実したものとなります。一時的には問題を忘れるのに役立つかもしれませんが,後にしばしば心痛をもたらす恐れのある,つかの間の快楽を捕らえようとする代わりに,どうすれば人生の諸問題に首尾よく対処し,永続する喜びを見いだせるかを学べるでしょう。(箴言 3:5,6; 4:10-13; 1:30-33)同時に,神の王国によってもたらされる驚くべき祝福にあずかる見込みを見いだせるでしょう。もしこれがあなたの切望しておられる生活なら,いま行動するのは肝要なことです。それはなぜですか。

      すべての国の民はハルマゲドンに向かう

      13 今エホバの側にしっかりと立つのはなぜ重要なことですか。

      13 故意にせよ,無関心のままにせよ,サタンの導きに従う人間や組織をエホバは永久に許容なさることはありません。神の律法を無視し,地球を誤用し,他の人々の命を損ない続けることは許されるものではありません。彼らは聖書の中で「エホバの大いなる日」と呼ばれる清算の日に直面します。―ゼパニヤ 1:2,3,14-18。

      14 すべての国の民は今や何に集められていますか。

      14 現在の事物の体制の終わりの時代における出来事に関する啓示の中で,イエス・キリストは,「悪霊の霊感による表現」が『人の住む全地の王たちのもとに出て行き,全能者なる神の大いなる日の戦争に彼らを集める』ことを明らかにされました。その啓示が示すとおり,「それらは[王たち]を,ヘブライ語でハルマゲドンと呼ばれる場所に集め」ました。この集合は今や進行しています!―啓示 16:14,16。

      15,16 (イ)ハルマゲドンとは何ですか。(ロ)それはなぜ必要ですか。

      15 聖書の述べるハルマゲドンは,核“凍結”などによって回避できるものではありません。国際的な交渉もそれを食い止めるものとはなりません。この名称は明らかにメギドという古代の都市から取られていますが,中東のある場所よりもはるかに多くの事柄が関係しています。すべての国の民はそのさまざまに異なる政治理念にもかかわらず,目に見えない「この世の支配者」に唆されて,エホバ神に対する反対の立場を表明する,一つの世界的情勢のもとに集められています。「人の住む全地の王たち」はそのすべての追随者たちと共々に,自らの立場を取ることを余儀なくされています。ハルマゲドンの直前になると,神の王国とそれを告げ知らせる人々すべてとに対する彼らの反対は全地で大いに激しさを増してゆくでしょう。神のみ言葉が言明するとおり,彼らがサタンの存在を認めようが認めまいが,『全世界は邪悪な者の配下にある』のです。邪悪な世界全体とその世界に信頼を寄せる人々はすべて,そうです,その道を見倣う者はすべて取り除かれなければなりません。―ヨハネ第一 5:19; 2:15-17。

      16 この世界は徹頭徹尾腐敗しきっています。単に名うての犯罪者だけでなく,普通の市民も無神経なまでに法律を無視する態度や仲間の人間の身体や所有物に対する関心の欠如を表わしています。とりわけ,神ご自身がそのみ言葉,聖書の中で述べておられる事柄に留意しようとしません。また,神の主権も尊びません。神はご自分のみ名が被ってきたそしりを晴らし,またこの地を義を愛する人々が真の平和と安全を享受できるパラダイスにするよう道を備えるためにも行動を起こす必要があります。

      17 (イ)その滅びはどれほど大規模なものとなりますか。(ロ)だれが成り行きを導くことになりますか。

      17 滅びが臨む時,それがエホバからのものであることには疑う余地が少しもないことでしょう。荒廃が地球の全域を襲うでしょう。エホバの刑執行隊が活動を開始する時,エホバが行動を起こしておられることを諸国民は知るでしょう。政府の権威が崩壊する時,すべての人の手はその友に刃向かうでしょう。そして神のみ子は天から成り行きを導かれます。―啓示 6:16,17。19:11-13。ゼカリヤ 14:13。

      18 生き残るのはどんな人々ですか。

      18 人間が行なう核戦争の結果とは違って,この滅びは無差別にもたらされるのではありません。しかし,だれが生き残るのでしょうか。何らかの宗教を奉じていると唱える人々がみな生き残りますか。それとも,クリスチャンであると唱える人々が恐らくみな生き残りますか。イエスはそのような「多くの者」のことを「不法を働く者たち」と呼ばれました。(マタイ 7:21-23)「新しい地」に生き残るのは,エホバとその王なるみ子,キリスト・イエスとの親密な関係を本当に築いてきた人たちだけでしょう。そのような人々は自分たちの生き方と,王国について証しをすることによって,自分たちが本当に『神を知っており』,また『わたしたちの主イエスについての良いたよりに従っている』ことを証明するのです。あなたはご自分がそのような人であることを示しておられますか。―テサロニケ第二 1:8。ヨハネ 17:3。ゼパニヤ 2:2,3。

  • 現在の体制はいつまで続きますか
    新しい地へ生き残る
    • 3章

      現在の体制はいつまで続きますか

      1 聖書の約束に関して,わたしたちの多くはどんなことを尋ねてきましたか。

      ハルマゲドンで最高潮に達する事柄として,聖書の中で極めて鮮明に描写されている出来事が起きるまで,あとどれほどあるのかを知りたいと思うのは,ごく自然なことです。現在の邪悪な体制はいつ滅ぼされるのでしょうか。わたしたちは生き長らえて,この地球が義を愛する人々の完全な平和と安全を享受できる場所となるのを見ることができるのでしょうか。

      2 (イ)イエスの使徒たちは同様のどんなことを尋ねましたか。(ロ)わたしたちは現在の邪悪な体制がいつ終わるかを正確に知っていますか。(ハ)しかし,イエスは非常に役立つどんな情報を提供されましたか。

      2 イエス・キリストはこのような疑問に答える驚くべき詳細な事柄を提供されました。イエスはその使徒たちから,「あなたの臨在と事物の体制の終結のしるしには何がありますか」と尋ねられた時に,そうなさいました。現在の邪悪な体制の実際の滅びに関してイエスは,「その日と時刻についてはだれも知りません。天のみ使いたちも子も知らず,ただ父だけが知っておられます」と,はっきり言われました。(マタイ 24:3,36)ですが,イエスは確かに,「事物の体制の終結[ギリシャ語: シュンテレイア]」,つまり「終わり[ギリシャ語: テロス]」に達する期間の事を見る世代について,かなり詳しく描写されました。あなたの聖書のマタイ 24章3節から25章46節を,また並行記述であるマルコ 13章4節から37節およびルカ 21章7節から36節までの箇所をご自分でお読みください。

      3 イエスの答えはどうして単に1世紀の出来事を描写しただけのものではないと言えますか。

      3 これらの記述を読んでみると,西暦70年におけるエルサレムとその神殿の滅びを含め,その滅びにつながってゆく出来事をイエスはただある程度まで描写しておられたにすぎないことが分かるでしょう。それとともに,イエスは明らかに,はるか遠い将来に及ぶある事柄を考えておられたのです。どうしてそう言えますか。なぜなら,マタイ 24章21節で,「世の初めから今に至るまで起きたことがなく,いいえ,二度と起きないような大患難」について述べておられるからです。それには一つの都市とその中に閉じ込められた人々の滅び以上の事柄が生ずる必要があります。そして,ルカ 21章31節では,それらの描写された出来事は待望の「神の王国」の到来を指し示すものであると言われています。注意するようにとイエスの言われた,その顕著な「しるし」とは何ですか。

      複合的なしるし

      4 イエスがお与えになった「しるし」とは何ですか。

      4 イエスは戦争,食糧不足,はびこる疫病,大地震および不法の増大する時代に見られる愛の欠けた精神などを予告されましたが,これらの事柄のどれ一つといえども,ただそれだけでは「しるし」とは言えません。その状況が完全に整うには,予告された特徴がすべて一世代の生涯のうちに成就しなければなりません。また,それには,「逃げ道を知らない諸国民の苦もん」や,上の天や人々の周りの海で生じる出来事のゆえに人々が『恐れから気を失う』事態も含まれるでしょう。(ルカ 21:10,11,25-32。マタイ 24:12。テモテ第二 3:1-5と比べてください。)このすべてとは対照的に,そのしるしの一部として,イエスはご自分の追随者たちが国際的な迫害を受けるにもかかわらず,神の王国の良いたよりを地球的な規模で宣べ伝えることを予告されました。(マルコ 13:9-13)その複合的な描写は,特にわたしたちの生きているこの時代に合致しますか。

      5 これらの出来事を歴史の繰り返し以上のものにしているのは何ですか。

      5 嘲笑者たちは,戦争,飢きん,地震などは人間の歴史の中で繰り返し起きていると言ってあざけるかもしれません。しかし,こうした出来事は単に二,三の孤立した場所だけでなく,ずっと昔に前もって予告された年に始まる,ある長い期間にわたって,地球的な規模で全部一緒に現われる時には,特別の意味を持つようになります。

      6,7 20世紀のどんな出来事や情勢は確かにその複合的なしるしと合いますか。(答えを述べる際,自分の聖書を使って,イエスの預言のどの部分について論じているのかを示してください。)

      6 次のような事実を考慮してください。1914年にぼっ発した戦争はそれほど大きなものだったので,最初の世界大戦として知られるようになり,それ以来平和は確かに二度と再びこの地球に戻ってはきませんでした。第一次世界大戦に続いて,人間がそれまでに経験した最大の飢きんの一つが生じましたが,今日でさえ1年におよそ4,000万もの人々が食糧不足のために死んでいます。1918年に起きたスペイン風邪は病気の歴史の点で類例のない割合で人命を奪いましたし,科学的研究にもかかわらず,今でも何千万もの人々がガン,心臓病,忌まわしい性病,マラリア,住血吸虫病,回旋糸状虫症などで苦しめられています。大地震の起きる頻度は1914年以前の2,000年間における平均の20倍にまで増大しました。恐怖や苦もんは地球的な規模であらゆる年齢層の人々を苦しめています。その理由の中には経済的な不安,凶悪犯罪ならびに潜水艦から発射されたり,天から突入したりする兵器の使われる核戦争による絶滅の脅威などがありますが,このような脅威は20世紀以前には決して考えられなかった事柄です。

      7 このすべてのまっただ中で,イエスが予告なさったとおり,神の王国の良いたよりを世界中で告げ知らせる異例な業が行なわれています。200以上の土地や海洋の島々でエホバの証人は,これらの世界の出来事の意味を神のみ言葉の光に照らして理解するよう,あらゆる階層の人々を無償で助けるために毎年何億時間も費やしています。証人たちは神の王国の臣民として「大患難」を生き残る道を熱心に人々に指し示しています。しかも証人たちは,カナダのある報道で評されたように,「おそらく世界の他のどんな宗教団体よりも数少ない違法行為のために,より多くの迫害を甘受している」にもかかわらず,そうしているのです。

      8 この預言にはまた,どんな期間のことが含まれていますか。

      8 わたしたちはまた,イエスがその預言の一部として,ある特定の期間の満了について指摘し,「エルサレムは,諸国民の定められた時が満ちるまで,諸国民に踏みにじられるのです」と言われたことも考慮しなければなりません。(ルカ 21:24)その「定められた時」は終わりましたか。

      「諸国民の定められた時」

      9 (イ)諸国民によって「踏みにじられ」た「エルサレム」とは何ですか。(ロ)その『踏みにじる』ことはいつ始まりましたか。

      9 その答えの重要性を認識するには,エルサレムそのものの意義を理解しなければなりません。シオンの山に王家の住居のあるその都は「偉大な王の町……エホバの都」と述べられています。(詩編 48:2,8。マタイ 5:34,35)ダビデの王家の歴代の王は「エホバの王座に」座すると言われました。ゆえに,エルサレムはエホバが地で行使された支配権の見える象徴でした。(歴代第一 29:23)ですから,バビロニア人の軍隊がエルサレムを滅ぼし,その王を流刑に処し,その地を荒れ果てるままにすることが神により許されたとき,彼らはダビデ王の王家の子孫によって運用された神の王国を踏みにじっていたのです。西暦前607年にそのことが起きた時,「[異邦]諸国民の定められた時」の始まりがしるしづけられました。その時以来,ダビデの子孫はだれ一人エルサレムで王として支配しませんでした。

      10 (イ)『踏みにじる』ことが終わるとはどういう意味ですか。(ロ)その時,イエスはどんな「エルサレム」から支配なさるのでしょうか。それはなぜですか。

      10 では,その『エルサレムを踏みにじる』ことが終わるとはどういう意味ですか。それは,エホバが再び,ダビデの子孫である,ご自分の選ばれた王を即位させて,今度は単にユダヤ人の間だけでなく,人類の事柄全体の点で権威を行使させるようになったことを意味します。その方は主イエス・キリストです。(ルカ 1:30-33)しかし,イエスはどこから支配なさるのでしょうか。エルサレムの地的な都からでしょうか。神の王国に関連した特権は肉のイスラエルから取り去られようとしていたことをイエスははっきり述べられました。(マタイ 21:43; また,23:37,38も参照してください。)その後,まことの神の崇拝者たちは「上なるエルサレム」,つまり自分たちの母である,忠節な霊の被造物で成る,神の天的な組織に目を向けました。(ガラテア 4:26)イエスはその天的なエルサレムで即位させられ,地に対して支配権を行使することになると言えるでしょう。(詩編 110:1,2)それは「諸国民の定められた時」の終わりに起きるのです。それはいつでしょうか。

      11 および表(27ページ)(イ)「定められた時」がいつ満了するかはどのように算定されますか。(ロ)それで,その「定められた時」の終わりには何が始まりましたか。(ハ)歴史家は1914年をどのように見ていますか。(29ページを参照してください。)

      11 それはダニエル 4章10節から17節aの「七つの時」の主要な成就の終わる1914年に起きることが,その何十年も前から知られていました。しかし,その重要な意義に対する十分の認識はその後の何年もの期間に徐々にもたらされました。聖書研究者たちは,イエスが王国の支配権を得て天で臨在していることを示すものであると,自ら言われたその複合的なしるしの詳細が,自分たちの目の前で現われるのを漸次見るようになりました。彼らがまさしく「事物の体制の終結」の時期に入ったこと,キリストが1914年に王として支配し始められたこと,そしてこの邪悪な世の終わりがこれらの事柄の始まるのを見た世代のうちに来ることは明らかになりました。

      あなたの期待はどれほど確実ですか

      12 ある人々はどんな間違った期待のために,この結論を容易に受け入れられなくなっていますか。(マタイ 24:26,27。ヨハネ 14:3,19)

      12 中には,イエスの預言の成就となっているこれらの事実に気づいてはいても,それが指し示す結論を容易に受け入れられない人々がいます。それはなぜですか。そのような人は何かほかのことを期待しているからです。それらの人は,キリストの再来が目に見えるもので,人類の集団改宗をもたらすことになると教えられてきました。1世紀にはユダヤ人たちも実現されない事柄を期待していました。ユダヤ人たちはメシアの到来が自分たちをローマから解放する力を発揮するものになるという期待を抱いていました。その誤った期待に固執していたため,彼らは神のみ子を退けました。キリストが王国の支配権を得て臨在しておられる時に,そのような間違いを繰り返すのは何と愚かなことでしょう。聖書そのものが実際に述べている事柄をよく調べるほうが,どんなにか勝っていることでしょう。

      13 聖書そのものはキリストの臨在とどんな出来事を関連づけていますか。

      13 聖書はキリストがその敵のただ中で支配し始めることを示しています。(詩編 110:1,2)聖書は,キリストが王国の権威を与えられた後に,サタンとその悪霊たちが地の近辺に放逐されることを告げています。ですから,地の災いが増大する時期があることになります。(啓示 12:7-12)その期間中に生き残ることを望んで行動を起こす機会を人々に与えるため,王国の音信を宣べ伝える業は強化されます。(マタイ 24:14。啓示 12:17)しかし,その結果世界全体が改宗されることになりますか。それどころか,聖書は,その業に続いて人類史上類例のない滅びが起きることを示しています。人間は栄光を受けられたイエス・キリストを肉眼では決して見ることがありませんが,王としてのキリストの臨在に関する諸事実を潔く受け入れない人々は皆,予告どおり,自分たちの滅びをもたらしているのがまさしくその方であることを“見る”のを余儀なくされるでしょう。―啓示 1:7。マタイ 24:30。テモテ第一 6:15,16; ヨハネ 14:19と比べてください。

      14,15 1914年以来何十年も過ぎたにせよ,これはなぜ今が本当に「終わりの日」であることを疑うべき理由とはなりませんか。

      14 しかし,1914年以来,今や70年たったということは,その年以来,今が本当に「終わりの日」なのか,また刑執行者としてのキリストの到来が近いのかどうか,多少疑わしいという意味でしょうか。決してそうではありません! 1914年に始まる「しるし」の成就をその初めから見る人々に関してイエスは,「あなた方に真実に言いますが,これらのすべての事が起こるまで,この世代は決して過ぎ去りません」と言われました。(マルコ 13:30)その世代を構成する人々は数の点では急速に減少してはいますが,今なおいます。

      15 確かに統計は,地球的な規模で見た人間の平均寿命が今わずか60歳であることを示していますが,何百万もの人々がその年齢以上生き続けます。手近にある統計によれば,1980年には1914年当時生きていた人々のうちおよそ2億5,000万人が依然として生きていました。その世代はまだ絶えてはいません。しかし興味深いことに,国連が発表した数字は,1900年あるいはそれよりも前に生まれた人たちのうち,1980年には推定3,531万6,000人しか生きていなかったことを示しています。それで,そのうちの個々の人々が70代および80代に達するにつれて,その人数は急速に減少しています。イエスの預言的なしるしの詳細すべてとともに考え合わせると,これらの事実は終わりが近いことを強力に示唆しています。―ルカ 21:28。

      16 それで,わたしたちはどんな態度を取るべきでしょうか。

      16 今は無関心な態度を取るべき時ではありません。今は緊急感を抱いて行動すべき時です! イエスが弟子たちに注意なさったとおりです。「あなた方も用意のできていることを示しなさい。あなた方の思わぬ時刻に人の子[イエス・キリスト]は来るからです」― マタイ 24:44。

      [脚注]

      a 詳しくは,「あなたの王国が来ますように」と題する本の127-139ページ,185-189ページをご覧ください。

      [29ページの囲み記事]

      歴史家は1914年をどう見ているか

      1914年に始まった戦争が大戦または第一次世界大戦と呼ばれているのは,もっともなことです。これほど破壊的な戦争は,かつて行なわれたことがありませんでした。それ以後の戦争は,1914年に始まったことを続けてきたにすぎません。この重大な年の及ぼした影響に関する次のような注解を考慮してください。

      ● 「この戦争はヨーロッパの地図を塗り変え,三つの帝国を滅ぼした革命を引き起こしただけでなく,その直接的および間接的影響はほとんどあらゆる分野でそれをはるかに超えるものとなった。同大戦の後,政治家も他の人々もともにその影響の進展を遅らせ,もしくは食い止め,物事を“普通の”状態に,つまり1914年以前に存在していた世界の状態に引き戻そうとした。しかしそれは不可能であった。その地震は余りにも激しく,余りにも長引いたために,旧世界はその根底まで崩れ去ってしまったのである。旧世界をその社会体制や思想の世界および道徳的信念を含め,かつての状態に再建できる者はひとりもいなかった。

      「…少なからず重要だったのは,生じた価値の変化であり,この変化は非常に多くの分野で全く新しい価値基準を確立するものとなった。……残忍で,隣人の所有物を意に介さなくなったのは,戦地に行った将兵たちだけではなかった。単にさまざまの幻想や多くの偏見ならびに数多くの見せかけの価値だけではなく,生活や社会行動のための多くの伝統的規準も壊滅してしまった。あたかも物事にはもはや何ら深い根源などはないかのように,価値は変わっており,あらゆる事柄が変動しているように思えた。―経済制度においても,また性道徳,政治原理および芸術上の原則に関しても同様であった……

      「この時代の特色となった根本的な不安は特に経済的分野で著しいものがあった。この分野では厳密な法則と安定した価値を伴う,複雑ながらも,適応性のある,均衡の取れた制度が,戦争のために無残にも崩壊した……物事を“普通の”状態に戻すことはこの分野でも不可能であった」―「世界史 ― 諸民族の生活と文化」(ストックホルム; 1958年),第7巻,421,422ページ。

      ● 「半世紀が過ぎ去ったものの,大戦の悲劇が諸国民の体と魂に残した傷跡は依然として薄れてはいない。……この苦しい体験が物理的にも倫理的にもそれほど重大なものであったために,以前と同じ状態のまま留まったものは一つもなかった。社会全体,つまり政府の機構,国境,法律,軍隊,各州相互の関係はもとより,イデオロギー,家族生活,運命,地位,個人間の関係,すなわちすべてが徹底的に変化したのである。……人類はついにその平衡を失い,今日に至るまで,まだ一度も取り戻してはいない」― シャルル・ドゴール将軍が1968年に述べた言葉(1968年11月12日付,ル・モンド紙)。

      ● 「1914年以来ずっと,世界のすう勢に気づいている人々は皆,一層重大な災害に向かうよう運命づけられ,予定されている行進と思えるもののために大いに憂慮させられてきた。多くの真面目な人々は,破滅に陥る事態を回避しようにも,手の施しようがないと感ずるようになってきた。人類は怒った神々によって翻弄されるギリシャの悲劇の主人公のようであり,もはや運命を支配できなくなったと彼らは見ている」― バートランド・ラッセル,1953年9月27日号,ニューヨーク・タイムズ・マガジン誌。

      ● 「現代の有利な見地から振り返って見ると,今日,第一次世界大戦のぼっ発は,英国の歴史家アーノルド・トインビーの意味深長な言葉である,20世紀の“苦悩の時代”を招来するものとなったことがはっきり分かる。現代の文明はそのような時代の中からまだ決して抜け出してはいないのである。この最後の半世紀の動乱はすべて,直接的にせよ,間接的にせよ,1914年に端を発している」―「諸王朝の没落:旧秩序の崩壊」(ニューヨーク; 1963年),エドモンド・テーラー著,16ページ。

      しかし,世界に衝撃を与える,このような事態の進展を,どのように説明できますか。ただ聖書だけが満足のゆく説明を述べています。

      [27ページの図表]

      1914年 ― 聖書に基づく年代計算と世界の出来事によってしるしづけられる年

      年代計算

      → 聖書は「七つの時」という期間を予告しており,その期間の後に神はご自分の選ぶ者

      に世界の支配権を授けることになっていた(ダニエル 4:3-17)

      → 「七つの時」=2,520年(啓示 11:2,3; 12:6,14; エゼキエル 4:6と

      比べてください。)

      → 「七つの時」の始まり: 西暦前607年(エゼキエル 21:25-27。ルカ 21:24)

      → 「七つの時」の終わり: 西暦1914年

      イエス・キリストはその時,天で即位させられ,敵のただ中で支配し始められた

      (詩編 110:1,2)

      サタンは天から放逐された; 人類は災いを被る(啓示 12:7-12)

      終わりの日が始まった(テモテ第二 3:1-5)

      終わりの日をしるしづけるものとして予告された出来事

      → 戦争(最初の世界大戦は1914年に始まった; 平和は

      確かに二度と再び戻ってこなかった)

      → 飢きん(今や1年におよそ4,000万人の人命を奪っている)

      → 病気の流行(科学的研究が進んでいるにもかかわらず)

      → 地震(1914年以来,大地震の回数は平均約20倍増えた)

      → 恐怖(犯罪,経済的崩壊,核による絶滅に対する恐れ)

      現在の邪悪な世は,1914年の出来事を見てきた世代が過ぎ去る前に神によって滅ぼされる(マタイ 24:3-34。ルカ 21:7-32)

  • 生き残る人々を待ち受けている生活
    新しい地へ生き残る
    • 4章

      生き残る人々を待ち受けている生活

      1 来たるべき「エホバの日」に,地球はどうして廃虚となるままにされることはありませんか。(イザヤ 45:18)

      来たるべき「エホバの日」は畏怖の念を起こさせるものになるとはいえ,地球が損なわれて,人の住めない状態のまま放置されるようになるわけではありません。その時の影響は,生態系を混乱状態に陥らせ,生き残る人たちを放射能の恐るべき影響で苦しませるようになると憂慮されている,核による大破壊の場合とは異なったものになります。創造者は地球を台なしにさせて,人間が住めないようにする代わりに,「地を破滅させている者たちを破滅に至らせ」ようとしておられます。―ヨエル 2:30,31。啓示 11:18。

      2 エホバが忠実な人たちを救出して大患難を切り抜けさせてくださることを,わたしたちはどうして確信できますか。

      2 エホバの忠実な僕たちは,その時,自分たちの周りで神がどんな破壊的な勢力を働かせようとも,神が自分たちを救出できるということについては少しも疑念を抱いていません。それら僕たちは,道徳的に腐敗したソドムやゴモラが『天からの硫黄と火』で滅ぼされた時,エホバのみ使いたちがロトとその二人の娘を救出したことを知っています。(創世記 19:15-17,24-26)また,モーセの時代にエジプト全土の初子が滅ぼされた時,エホバの刑を執行するみ使いがイスラエル人の家々,つまり過ぎ越しの子羊の血でしるしを付けられた家々を過ぎ越したことを知っています。(出エジプト記 12:21-29)ですから,破壊をもたらす激烈な大患難が突然起こる時にも,エホバはご自分を避難所としている人たちを救出してくださいます。―詩編 91:1,2,14-16。イザヤ 26:20。

      3 生き残る人々はどうしておびただしい死体のために健康を脅かされることがありませんか。

      3 大規模な破壊が生ずる結果,確かにエホバによって打ち殺される者が地上の至る所に散らばっていることでしょう。しかし,生き残る人々の健康を守るために何をする必要があるかを神以上に良く知っている人は一人もいません。神はその「大きな晩さん」に天の鳥や野の獣を招き,それら鳥や獣が打ち殺された者たちの肉を存分に食べることになると告げておられます。(啓示 19:17,18。エゼキエル 39:17-20)それら鳥獣が食い尽くせないものを,神はほかの方法で片づけることがおできになります。それから,エデンで言明された地球に対する神の目的が,その成就に向かって進展してゆくでしょう。

      神の最初の目的が明示する事柄

      4 エホバは最初の一組の人間にどんな生活を始めさせましたか。それはわたしたちにとってどうしてことさら興味深い事柄ですか。

      4 エホバがエデンで人間家族に生活を開始させた時のことを考えれば,大患難を生き残る人々の将来に何が控えているかが分かります。創造者は人間が住めるように地球を整えた際,喜ばしいまでに多種多様な植物,それに魚や鳥や陸上の動物をたくさん生み出されました。「エホバ神はエデンに,その東のほうに園を設け,ご自分が形造った人をそこに置かれ」ました。(創世記 2:8)しかし,神は全地を楽園(パラダイス)にし,次いでそれを人間のために一つの庭園として維持されたわけではありません。かえって,エホバは最初の一組の人間にすばらしい生活を始めさせ,二人に祝福を授け,その二人に仕事を割り当てられました。その二人の前に自分たちの能力を十分に用いて,物事を成し遂げることに満足を見いだせる企画を示されました。それは二人の生活を有意義な充実したものにするはずでした。敬虔な特質を反映する子供たちを育て,楽園を地の果てに広げ,その楽園とそこにいるたくさんの生物を世話するのは,その二人にとって何と魅惑的な割り当てだったのでしょう。もしアダムとエバがエホバの主権を尊び続けたなら,二人は決して死ななかったことでしょう。二人は地上で完全な命を永遠に享受できたでしょう。―創世記 1:26-28; 2:16,17。

      5 それで,大患難を生き残る人々の前にはどんな見込みがありますか。

      5 もちろん,大患難の直後の地上の状態はエデンのそれとは異なっていることでしょう。しかし,地球と人間に対する神の最初の目的は変わることなく存続してゆきます。楽園は地球を取り巻くことになっており,人類はそれを世話する者となり,すべての人はまことの神の崇拝において結ばれることでしょう。それらの人々の前には,神の子供の栄光ある自由を享受しながら,永久に生きる機会が開かれるでしょう。―ルカ 23:42,43。啓示 21:3,4。ローマ 8:20,21。

      6 (イ)軍事装備があれば,それはどうなりますか。(ロ)だれかが空腹を強いられるような事態は,どうして二度と生じなくなりますか。

      6 最初に,古い体制の廃虚が確かに一掃される必要があります。残っている軍事装備は,平和利用のために造り替えられることでしょう。(エゼキエル 39:8-10。ミカ 4:3と比べてください。)なお畑にある作物は,生き残る人たちを養うために取り入れられるに違いありません。それから,種がまかれ,新たに収穫が行なわれ,「地は必ず産物を出すことでしょう。神,わたしたちの神は,わたしたちを祝福してくださいます」という約束は,そのとおりになるでしょう。(詩編 67:6。申命記 28:8と比べてください。)古い体制の分裂をもたらす利己的な分子は取り除かれるので,だれかが空腹のまま夜寝床に就かざるをえないような事態は二度と再び生じないでしょう。―詩編 72:16。

      7 エホバが地の新しい王を選任なさった仕方は,神ご自身の知恵と愛をどのように反映していますか。

      7 それはエホバの指導と祝福を得ることの重要性を認識する人々で構成される世界となります。そして,その指導と祝福は神の知恵と愛を反映する仕方で与えられるでしょう。エホバが地の新しい王として選任されたのはそのみ子,イエス・キリストなのです。聖書は,神がこの方を用いて地球とその上の様々の生物すべてを創造されたことを明らかにしています。(コロサイ 1:15-17)神のこのみ子は,地上で命を永続させるには何が必要かを十分に理解しており,また人間にかかわる事柄に特別の愛着を抱いておられます。―箴言 8:30,31。

      8 キリストは,その地上の臣民がエホバの主権にどのように答え応ずる態度を培うよう助けてくださいますか。

      8 とりわけ,み子はエホバの主権を忠節に擁護しておられます。イエスに関しては次のように予告されていました。「彼の上にエホバの霊が必ずとどまる。それは知恵と理解の霊,計り事と力強さの霊,知識とエホバへの恐れの霊である。エホバへの恐れに彼の楽しみがあるであろう」。(イザヤ 11:2,3)イエスは地上の臣民が自分たちの生活をエホバの道に合わせることに同様の楽しみを見いだすよう助けてくださいます。その王権のもとで,大患難を生き残る人々は,わたしたちの最初の二親が住みかとしてエデンを与えられた時に神が人間のために意図された生活を営める状態に回復させられるでしょう。

      イエスの行なわれた宣教が明らかにしている事柄

      9 (イ)受け継いだ罪の悲惨な影響の幾つかは何ですか。(ロ)イエスの奇跡はどんな希望を差し伸べるものとなりますか。

      9 しかし,そのような生活を楽しむには,わたしたちは罪の悲惨な影響から解放される必要があります。わたしたちはすべて,アダムから罪を受け継いでいるのです。アダムはエホバの主権を無視する不法な態度を示した時に完全性を失ってしまいました。罪のもたらす結果は様々な仕方で現われます。それは病気や身体的欠陥,さらには間違った動機から物事を考えたり,言ったり,行なったりする傾向を招くことがあります。そして,ついには死を生み出します。(ローマ 5:12; 6:23)イエスは地上で宣教に携わっておられた間,神の王国の臣民となる人々を救済するためになさる事柄をはっきりと示す数多くの奇跡を行なわれました。

      10 イエスは科学者がその同じことを繰り返し得ないような奇跡を行なえましたが,それはなぜ不合理なことではありませんでしたか。

      10 しかし,中にはイエスの奇跡に関する聖書の感動的な記述を読んで,疑問に思う人もいます。それはなぜですか。なぜなら,今は懐疑主義が人気のある世の中だからです。懐疑主義者は,現代の科学者が奇跡をもう一度行なえる,あるいはそれを説明することができるなら,奇跡は信じられると思うかもしれません。しかし,科学者が膨大な時間とお金を研究に投じているのはなぜですか。なぜなら,科学者の理解していない事柄がたくさんあるからです。実際,イエスの携わられた宣教に対するわたしたちの態度の点で問題となっているのは,人間の事柄に神が介入しておられることを進んで認めるかどうかということです。

      11 使徒 2章22節には,イエスの奇跡を描写するどんな表現が使われていますか。その表現は何を示唆していますか。

      11 西暦33年,使徒ペテロはエルサレムにいた群衆に向かって,イエスのことを「神がその人を通して……強力な業と異兆としるしにより,神によってあなた方に公に示された人」と語りました。(使徒 2:22)その奇跡はペテロがここで指摘しているように,「強力な業」であって,ほかの人間がその同じことを繰り返し得る,あるいは説明できる行為ではなく,神の力がイエスを通して働いていたことを示す証拠でした。それは確かにイエスがメシア,神ご自身のみ子であることを示す「しるし」でした。それはまた,「異兆」,すなわち心温まる将来の出来事を指し示すために起きた事柄だったのです。

      12 (イ)らい病を患っていた人たちが清められたことに関する記述は,どうして励みを与えるものですか。(ロ)イエスがまひした人をいやされたことに関しては,特にどんな点が注目に値しますか。

      12 聖書の福音書の記述を読んでみてください。そしてその際,イエスの行なわれた奇跡は,神のメシアによる王国のもとで地上で生活する人間のために行なってくださる事柄を示す予告編のようなものであることを覚えていてください。それは,西暦33年にイエスがエルサレムに向かっておられた時,10人のらい病人を清められたとおり,人を醜くするらい病のような病気にかかっている人たちが清められる機会になります。イエスはご自分がそのような人々を助けることができると共に,そうしたいと本当に望んでおられることを証明なさいました。(ルカ 17:11-19。マルコ 1:40-42)体がまひしている人たちも少なくありませんが,そのような人たちもまた,いやされることになります。それはまひのために寝たきりになっていた人の場合と同様です。その人を治したイエスは,そのいやしと人間の罪を許すこととを結びつけられました。―マルコ 2:1-12。

      13 (イ)目の見えない人,(ロ)耳の聞こえない,もしくは言語障害のある人々,(ハ)多くの医師の治療を受けても苦しみが和らげられない人々に,それぞれ希望を差し伸べるものとなる,イエスの奇跡の一つについて述べなさい。(ニ)イエスはあらゆる疾患や病を治すことがおできになりますが,どうしてそれが分かりますか。

      13 目の見えない人の目は開かれ,耳の聞こえない人の耳は聞こえるようになり,言語障害を持つ人たちの舌は自由に動かせるようになります。それはイエスが1世紀当時,ガリラヤやデカポリスで人々のためにそのようなことを行なわれたのと同様です。(マタイ 9:27-30。マルコ 7:31-37)今日,医師がいやすことのできない人々は少なくありません。『多くの医者にかかってはいろいろな苦痛に遭わされ,自分の資産をすべて使い果たしたのに益を受けることもなかった』カペルナウムの一婦人も同様の状況にありました。しかしイエスは彼女をいやされましたし,もっともっと大勢の,彼女のような人々のために同様のことをなさるでしょう。(マルコ 5:25-29)がん,心臓病,マラリア,住血吸虫病など,どれ一つとして決して難しすぎるものとはなりません。それは,イエスがガリラヤで宣教に携わっていた時に,「あらゆる疾患とあらゆる病」を治して,明らかに示されたとおりです。―マタイ 9:35。

      14 イエスが死者をよみがえらせたことに関する記述は,生き残る人々にとって復活が何を意味するかをどのように示していますか。

      14 それはまた,大患難に際して神によって滅ぼされる人々ではなく,幾世紀にもわたって死んでいった他の幾十億もの死者が再び生き返って,かつて一度も自分たちの手の届く所にはなかった種々の見込みにあずかる機会が開かれる時となります。それは生き残る人々にとって何を意味していますか。ナインの村の近くで,イエスは一人息子をよみがえらせて,そのやもめの母親の悲しみの涙をぬぐい去らせました。また,カペルナウムでは,ある娘を死の眠りから覚めさせて,その娘の二親を大いに狂喜させました。(ルカ 7:11-16。マルコ 5:35-42)あなたの愛する人たちが死人の中から戻って来る時,そこに居合わせたいと思われますか。それは「新しい地」に生き残る人々の感動的な経験となることでしょう。

      15 (イ)イエスの教えは,その時,地上で生活する人々がどんな人かをどのように示していますか。(ロ)どのようにすれば,その時の生活を今,前もって味わうことができますか。

      15 その時の生活は,今あまりにもしばしば人々に重荷を負わせる心痛や苦痛を繰り返すものとはなりません。イエスの奇跡だけでなく,その教えもこのことを示しています。なぜなら,本当にイエスの弟子となる人たちだけが「新しい地」に生き残ることになるからです。(ヨハネ 3:36)イエスはその追随者たちに物質上のものの追求よりも霊的な価値を優先させ,エホバに頼り,その導きを仰ぎ,そしてエホバの祝福を感謝するよう教えられました。イエスはほかの人々のことを深く気遣い,他の人のために自分自身を与えて,言葉と手本によって愛と謙遜の大切さを強調されました。キリストの弟子となって,このような原則を本当に当てはめる人たちは,自分の魂を大いにさわやかにするものをすでに見いだし,今度はさわやかにするものを他の人々にもたらしています。(マタイ 11:28,29。ヨハネ 13:34,35)それでもこれは,現在の愛のない世界が取り除かれる時になお生きている人たちの楽しむ生活のほんの一端を前もって味わうものとなるにすぎません。もし今,賢く行動するなら,あなたはそのような生活を営むことができるのです。

      [33ページの囲み記事/図版]

      人類に対する神の最初の目的

      敬虔な特質を反映する人間で地を満たすこと

      楽園を全地に広げ,楽園とその中の動物を世話すること

      地上で命を永久に享受すること

  • 人類の将来に関する信頼できる予想
    新しい地へ生き残る
    • 5章

      人類の将来に関する信頼できる予想

      1 聖書の預言はどうしていつも正確であることが分かりますか。

      わたしたちには将来に関して聖書が告げる事柄を確信できる確かな理由があります。その預言は物事のすう勢を研究して,それから予言を行なってきた人間の当て推量に基づいてはいません。『聖書の預言はどれも個人的な解釈からは出ていません。預言はどんな時にも人間の意志によってもたらされたものではなく,人が聖霊に導かれつつ,神によって語ったものだからです』。(ペテロ第二 1:20,21)こういうわけで,聖書の預言はどんな詳細な点でも正確であることが分かってきました。

      2 世界情勢に関する預言の実例を挙げなさい。

      2 聖書は名指しで世界帝国,バビロン,メディア・ペルシャおよびギリシャなどの興亡を予告しました。聖書はバビロンがどのようにして没落するのか,またその征服者の名前をもほとんど2世紀前に告げ知らせました。それは詳細にわたって成就しました。聖書はバビロンの都がついには廃虚と化し,二度と再び人が住まなくなることを予告しましたが,その状態は今日に至るまで続いています。(ダニエル 8:3-8,20-22。イザヤ 44:27-45:2; 13:1,17-20)聖書では名を挙げられていない他の諸国家のことも前もってたいへん詳しく描写されていたため,事情に通じている人々はそれらの国家を容易に見分けることができます。

      3 予言的な形式で述べられていない預言がありますか。

      3 しかし,聖書の預言的な情報はただ1種類だけではないことをよく知っておかなければなりません。このことについては,神の王国のもとで人類が経験する事柄に関する異兆となったイエスの奇跡に関連して,すでに述べました。予言の響きを持つ言葉遣いが用いられてはいないような聖書中の他の部分にも預言的な要素が含まれているのです。

      魅惑的な預言的な型

      4 わたしたちはモーセの律法の預言的な意義にどのように注意を向けさせられていますか。

      4 例えば,聖書の中の一つの書,ヘブライ人への手紙は,何気なく読む人なら単なる歴史とみなすかもしれない事柄の預言的な意義に,わたしたちの目を開かせてくれます。その書は,『[モーセの]律法は来たるべき良い事柄の影を備えている』ことを明らかにしています。―ヘブライ 10:1。

      5 物件も,より大きな事柄を予表する場合があることを何が例証していますか。

      5 時には預言的な型を設けるために物件が用いられました。例えば,エホバの指図でモーセにより建てられた神聖な天幕,つまり幕屋,およびそこで行なわれた奉仕に関して,神による霊感を受けた,ヘブライ人への手紙の筆者は,それが「天にあるものの模型的な表現また影」であったことを説明しています。それは,至聖所が天にある,エホバの大いなる霊的な神殿を表わしていました。こうして,「キリストは,すでに実現した良い事柄の大祭司として来た時,手で造ったのではない,すなわち,この創造界のものではない,より偉大で,より完全な天幕を通り,そうです,やぎや若い雄牛の血ではなく,ご自身の血を携え,ただ一度かぎり聖なる場所に入り,わたしたちのために永遠の救出を得てくださったのです。……キリストは,実体の写しである,手で造った聖なる場所にではなく,天そのものに入られたのであり,今やわたしたちのために神ご自身の前に出てくださるのです」。(ヘブライ 8:1-5; 9:1-14,24-28)ここで描写されている霊的な実体からは大きな益がクリスチャンに及ぶので,わたしたちの人生の歩みは,こうした事柄に対する認識の念を反映させるものであるべきです。―ヘブライ 9:14; 10:19-29; 13:11-16。

      6 (イ)ガラテア 4章21-31節,(ロ)マタイ 17章10-13節では,人物にどんな預言的な意義があるとみなされていますか。

      6 聖書の中で言及されている人物もまた,預言的な予型の役を果たしています。ガラテア 4章21節から31節ではその詳細な実例が,アブラハムの妻サラ(「上なるエルサレム」に当たると言われている),はしためハガル(「今日の[地上の]エルサレム」と同一視されている),およびその子供たちの例で説明されています。もう一つの例では,イエスは,バプテストのヨハネが預言者エリヤに対応する人物であることを認識するよう,弟子たちを助けました。そのヨハネはエリヤのように偽善的な宗教的慣行を恐れずに暴露したのです。―マタイ 17:10-13。

      7 イエス・キリストはどんな点で,(イ)ソロモン,(ロ)メルキゼデクによって,予示されていましたか。

      7 知恵と繁栄した平和な治世とで知られたソロモンは,いみじくもイエス・キリストを予示していました。(列王第一 3:28; 4:25。ルカ 11:31。コロサイ 2:3)アブラハムとメルキゼデクの出会いに関する創世記の記述はたいへん短いものですが,詩編 110編1節から4節は,それもやはり意味深いものであることを示唆しています。なぜなら,メシアは「定めのない時に至るまで,メルキゼデクのさまにしたがう祭司」となるはずだったからです。つまり,ご自分が生まれることになっていたその家系のゆえにではなく,神から直接任命されて祭司職を受けることになっていたからです。後に,ヘブライ人への手紙はこの点を詳しく述べ,このような真理に対する認識を,神を喜ばせようと努める人たちの重要な特質であるクリスチャンとしての円熟性と結びつけています。―ヘブライ 5:10-14; 7:1-17。

      8 (イ)生活の中での経験も預言的な意味を持つものとなることを示す例を挙げなさい。(ロ)そのような経験にはあらゆる面に,成就の点で,必ず相似点がありますか。

      8 ここでは人物の職務もしくは地位よりも,預言的な相似点が関係していることは明らかです。また,人の生活の中での経験も含まれています。ある時,ユダヤ人の宗教指導者たちが不信仰な態度を表わしたので,イエスは彼らにこう言われました。「邪悪な姦淫の世代はしきりにしるしを求めますが,預言者ヨナのしるし以外には何のしるしも与えられないでしょう。ヨナが巨大な魚の腹の中に三日三晩いたように,人の子もまた地の心に三日三晩いるのです」。(マタイ 12:38-40。ヨナ 1:17; 2:10)しかし,イエスは,ヨナの生活で起きたすべてのことがご自分の経験しようとしていた事柄を予表していたとは言われませんでした。エホバから割り当てを受けた時,イエスはヨナがタルシシュへ逃げようとしたように,逃げ去ったりはなさいませんでした。しかしイエスが示されたように,ヨナが大きな魚の腹の中に入った経験は聖書の記録の中に含められました。なぜなら,それはイエスご自身の死と復活に関する預言的な詳細を示すのに役立ったからです。―マタイ 16:4,21。

      9 (イ)イエスは二つの歴史上の期間に見られる,どんな預言的な面を指摘されましたか。(ロ)霊感を受けたペテロは,重大な意味のあるどんな詳細な点についてさらに述べましたか。

      9 ある歴史上の期間もまた,わたしたちにとって特に興味深い預言的な予想を可能にするものとなります。イエスはご自分が王国の支配権を得て現われる時点に達する時代について話した時,神の裁きが邪悪な人々に執行された,ほかの二つの場合との相似点を比較されました。イエスは「ノアの日」と「ロトの日」のことを,重大な意義を持つものとして語り,特に当時の人々が日常生活の事柄に気を取られていたことを強調されました。そして,わたしたちが早速行動を起こし,ロトの妻がしたように,あとに残した物を欲しそうに後ろを振り向かないようにと勧められました。(ルカ 17:26-32)使徒ペテロが霊感を受けて記した第二の手紙の中では,重大な意味のある詳細な点がさらに指摘されていますが,それは大洪水前にみ使いたちが示した不従順,ノアの行なった宣べ伝える業,ソドムの人々が示した法を侮る放縦な態度のゆえにロトが抱いた苦悩,神がご予定の時に邪悪な者たちを断つことによって,来たるべき事柄の型を設けておられたという事実,および神はご自分の忠実な僕たちを救出することができ,また必ずそうしてくださるという証拠などです。―ペテロ第二 2:4-9。

      10 エレミヤ書と啓示とを比べて,成就した預言にも,さらに預言的な価値があり得ることを示しなさい。

      10 預言は成就してしまえば,あとは単に歴史的な意味で興味深い事柄になるというわけではありません。起ころうとしている事柄に関する事前の通知と,それが成就した仕方とは共に,それよりもはるかに遠い将来の出来事を預言的に示している場合がしばしばあります。このことは古代のバビロンについて記されている事柄についても言えます。それは際立って宗教的色彩の強い帝国で,今日でもなお世界は至る所でその影響を受けています。バビロンは西暦前539年にメディア人とペルシャ人の手に落ちましたが,西暦1世紀の終わりに書き記された啓示の書は,預言者エレミヤの言葉遣いを利用し,大いなるバビロン,つまり偽りの宗教の世界帝国に関連して,その預言がなお後代に適用されることを指し示しています。このことを示す例として,啓示 18章4節とエレミヤ 51章6,45節,啓示 17章1,15節および16章12節とエレミヤ 51章13節および50章38節,啓示 18章21節とエレミヤ 51章63,64節を比べてください。

      11 背教したイスラエルと不忠実になった時のユダに対するエホバの取り扱い方に関する記録には,どんな重大な預言的意義がありますか。それはどうしてですか。

      11 同様に,背教した十部族のイスラエル王国や二部族のユダ王国の不信仰な王ならびに祭司たちに対するエホバの取り扱い方にも預言的な意味があります。聖書中に記録されている,それらの古代の王国に適用された預言とその成就は共に,現代のキリスト教世界を神がどのように取り扱われるかを生き生きと描写するものとなっています。同世界もまた,聖書の神に仕えると唱えてはいますが,神の義のおきてを甚だしく破っているのです。

      12 わたしたちはどうすれば,このような記述から個人的に益が得られますか。

      12 ですから,これらの記述はすべて,今日,重大な意義を持っています。それは,現代の情勢を神がどのように見ておられるか,また来たるべき大患難を生き残るためにわたしたちは個人個人何をしなければならないかを理解するのに助けとなります。わたしたちはこうして,「聖書全体は……教え,戒め,物事を正し,義にそって訓育するのに有益で」あることを一層十分に認識するよう助けられるのです。―テモテ第二 3:16,17。

      すべてが予定されていたのですか

      13 神は預言的な型を作ることができるようにするために人々を誘って罪を犯させたのではないことが,どうして分かりますか。

      13 わたしたちはこのすべてから,聖書中に記録されている民族や国家の行動がすべて神によって予定されていたので,預言的な重要性を持つようになったのだと解すべきでしょうか。神が昔,ご自分の僕たちをある特定の仕方で取り扱い,将来のために意図された,より大きな事柄の型を設けるようにされたことは明らかです。しかし,人間の行動についてはどうですか。その中のある人々は重大な罪を犯しました。神はそれらの人を誘って,聖書の記録を作り上げるためにそれらの罪を犯させましたか。クリスチャンである聖書の筆者ヤコブはこう答えています。『悪い事柄で神が試練に遭うということはありえませんし,そのようにしてご自身がだれかに試練を与えることもありません』。(ヤコブ 1:13)神は預言的な型を作ることができるようにするため,不当なことを人にさせたりはなさいませんでした。

      14 (イ)エホバは,人間が,あるいはサタンでさえ,将来のある時点で何を行なうかを,どうしてご存じなのですか。(ロ)エホバの,ご自身とご自分の目的とに関する知識は,どのようにして聖書の預言の一部となっていますか。

      14 エホバは人間の創造者であられることを忘れてはなりません。エホバはわたしたちがどのように作られているのか,また人は何に動かされてそのように行動するのかをご存じです。(創世記 6:5。申命記 31:21)ですから,ご自分の義の原則に従って生活する人々の結末と神を必要としていることを無視しようとする,あるいは神の道を曲げる人々にどんな結果が臨むかを正確に予告することがおできになります。(ガラテア 6:7,8)悪魔は昔用いたのと同様の策略を用い続けることもエホバはご存じです。エホバはまた,ご自分が特定の状況のもとで何を行なうか,つまりご自分が常に表わしてきた,公正,公平,愛および憐れみなどの高潔な特質に従って行動することをご存じです。(マラキ 3:6)エホバの目的は必ず成し遂げられるものですから,エホバはそれを成し遂げるために講ずる処置と結果を予告することがおできになります。(イザヤ 14:24,27)それでエホバは,個々の人間の実生活や諸国家の出来事を選んで,将来がどうなるかを予想する助けを備えるために,それを聖書に織り込ませることがおできになりました。

      15 使徒パウロは,聖書の記述が単なる歴史以上のものであることをどのように強調しましたか。

      15 ですから,使徒パウロはイスラエルの歴史の様々な出来事を述べたのち,適切にも仲間のクリスチャンにこう述べました。「さて,これらの事は例として彼らに降り懸かったのであり,それが書かれたのは,事物の諸体制の終わりに臨んでいるわたしたちに対する警告のためです」。(コリント第一 10:11)また彼は,ローマにあるクリスチャンの会衆にあててこう書きました。「以前に書かれた事柄は皆わたしたちの教えのために書かれたのであり,それは,わたしたちが忍耐と聖書からの慰めとによって希望を持つためです」。(ローマ 15:4)こうして聖書の記述が単なる歴史以上のものであることを認識する時,わたしたちはその記述から人類の将来を予想する驚嘆すべき手掛かりを引き出すことができるようになるのです。

      [41ページの囲み記事/図版]

      預言的な型 ― 何を指し示しているか

      ノアの時代

      幕屋

      ソロモン王

      三日間魚の腹の中にいたヨナ

      バビロンの陥落

  • 滅ぼされた世
    新しい地へ生き残る
    • 6章

      滅ぼされた世

      1 (イ)人類はかつて世の滅びに直面したことがありますか。(ロ)ノアはその滅びに関する警告をあざけりませんでしたが,わたしたちはなぜそのことを感謝できますか。

      かつて一度,世の滅びの差し迫っていた時期がありました。すべての国の人々は,地球的な規模の大洪水に関する神の警告を嘲笑しなかったひとりの人が自分たちの先祖の中にいたことを感謝することができます。ノアが聴いて従ったために,ノアとその妻,および3人の息子とその妻たちは生き残りました。わたしたちは皆,これらの人たちの子孫なのです。―創世記 10:1,32。

      2 神はなぜその世を滅ぼされましたか。

      2 神は地が暴虐で満ちているのをご覧になったため,その世を滅ぼされました。『人の悪が地にあふれて』いたのです。(創世記 6:3,5,13)状況は20世紀の今日のそれとたいへん似ていました。

      3 情勢がそれほど深刻なものになった原因は何でしたか。

      3 ノアの時代の情勢がそれほど深刻なものになった原因は何でしたか。創世記 6章2節は一つの重大な要因を明らかにして,こう伝えています。「まことの神の子らは人の娘たちを見,その器量の良いことに気づくようになった。そして彼らは自分たちのために妻を,すべて自分の選ぶところの者をめとっていった」。しかし,そのどこが間違っていたのですか。実は,それら神の子らは結婚することにした単なる人間の男子ではありませんでした。それら「まことの神の子ら」とは,地上の美しい女たちや結婚にともなう喜びを見て取り,人間の形を取ったみ使いたち,つまり霊の被造物だったのです。(ヨブ 1:6と比べてください。)彼らが人間の体を備えた姿で現われ,結婚するのは,神に対する不従順な行為でした。聖書は,彼らが「そのあるべき居所を捨てた」こと,また女たちとのその関係が「不自然な」もの,つまり倒錯であったことを述べています。(ユダ 6,7。ペテロ第一 3:19,20)その合いの子として生まれた子らは異常なまでに大きな者たちでした。それらの者はネフィリム,つまり「倒す者たち」と呼ばれました。彼らは暴れ者だったからです。―創世記 6:4。

      4 (イ)ノアはなぜ神から恵みを示されましたか。(ロ)命を存続させるためにどんな準備がなされましたか。

      4 ノアはその腐敗した世のただ中で生活していましたが,エホバの目に恵みを得ました。それはどうしてでしたか。なぜなら,『ノアは義にかなった人だった』からです。ノアはエデンで生じた論争を知っていましたし,またとがのない者,つまり「忠誠な人」でした。(創世記 6:8,9,エルサレム聖書)エホバはノアとその家族と,あらゆる種類の陸上の動物や飛ぶ生き物の典型的なものとを存続させるために,箱船,巨大な収納箱のような建造物を建築するよう,ノアに指図をお与えになりました。神が次のように説明なさった通りです。「わたしはいま,地に大洪水をもたらして,その内に命の力が活動しているすべての肉なるものを天の下から滅ぼし去ろうとしている。地にあるものはすべて息絶えるであろう」。(創世記 6:13-17)賢明にもノアは神の言われることを聴いて従いました。

      5 大洪水はどれほど広範囲にわたるものでしたか。

      5 聖書に基づく詳しい年代計算の示すところによれば,その大洪水は西暦前2370年に臨みました。それはまさしく現代に至るまで人類史上最大の大激変でした。それがあまりにも圧倒的なものだったため,「全天下の高い山々がことごとく覆われるように」なりました。(創世記 7:19)その大洪水によって『その時の世は滅びを被ったのです』。(ペテロ第二 3:6)しかし,『もしも一番高い山々まで水で覆われたのなら,それだけの水が今はどこにあるのだろう』と尋ねる人がいるかもしれません。それは明らかにこの地上にあります。

      6 大洪水の後,水はどこへ行きましたか。

      6 聖書はノアの時代のどこかの山がエベレスト山ほど高かったと述べてはいないことを理解しておかなければなりません。科学者によれば,昔,多くの山々は現在よりもずっと低く,中には海の中から押し上げられたものさえあると言われています。さらに,海洋そのものももっと小さくて,海洋の下に遠く伸びている河川によって証明されているように,大陸は今よりももっと大きかった時代があったと考えられています。しかし,現在の地上に関して,ナショナル・ジオグラフィック誌は1945年1月号の中で次のように報じています。「海洋には海面上の土地の10倍もの容積の膨大な量の水がある。この海面上の土地を全部海に投じて平らにすれば,水は地球全体を2.4㌔の深さで覆うことになるであろう」。ですから,その洪水の水が落下した後,ただ山々が隆起し,海底が下がったりして,水が陸から引いてゆき,また極地の氷の覆いが出来上がる前には,聖書が述べるように,『高い山々をことごとく』覆うに足る十分の水がありました。―創世記 7:17-20; 8:1-3。詩編 104:8,9と比べてください。

      7,8 聖書以外にも,大洪水に関するどんな記録がありますか。

      7 これほど圧倒的な地球的規模の大洪水は,まさしく,これを生き延びた人々に決して忘れることのできない印象を与えたに違いありません。後代の人々はその話を聞かされることになったでしょう。聖書の記録はすべての国の民が大洪水の生存者の同一のグループの子孫であることを述べていますから,その大激変に関する初期の人々の何らかの記憶を示す証拠があるはずだと考えるのはもっともなことです。実情はそうですか。まさにそのとおりです!

      8 大洪水の生存者たちの子孫が遠い所に移住し,時がたつにつれ,詳細な事柄はゆがめられ,その記述はそれぞれの地方の宗教的な考え方に合わせて書き換えられました。しかし,一緒に保護された少数の人々以外の人類を滅ぼした大洪水に関する思い出が,世界の至る所の原住民の伝説の中に含まれていることは,偶然の一致とはまず考えられません。そのような記憶はメソポタミアや,アジア,オーストラリアや太平洋の島々でも,南北両アメリカのインディアンの幾十もの部族の中にも,また古代ギリシャ人やローマ人の間で語られた物語の中にも,北欧でも,さらにアフリカの種々の部族の中にも,見いだせます。それらの記述の多くは,人間と一緒に舟の中で保護された動物について述べています。中には,聖書の記録に類似して,水がいつ引いたのかを確かめるために鳥が放たれたことを述べているものもあります。(創世記 7:7-10; 8:6-12と比べてください。)これほど広く各地で思い起こされている古代の出来事はほかに一つもありません。

      9 ノアの暦の「第二の月」の出来事を思い起こさせるものとなるどんな慣行がありますか。

      9 大洪水に関連した詳細な歴史上の事柄は実際,今日に至るまで習慣に影響を及ぼしてきました。どのように影響を及ぼしていますか。聖書は大洪水が「第二の月,その月の十七日」に始まったと伝えています。その「第二の月」は今日の暦の10月後半と11月前半の時期に当たります。(創世記 7:11)ですから,世界の至る所で多くの人々が一年のその時期に死者の日,もしくは祖先の祭りを祝うのは注目に値する事柄です。なぜその時に祝うのですか。なぜなら,この習慣は大洪水によって引き起こされた滅びに関する記憶を反映するものだからです。a

      10 大洪水に関する聖書の記述はなぜ信頼でき,また個人的な意味でもなぜ最も価値のあるものですか。

      10 しかし,起きた事柄に関する改悪されていない証言が収められているのは,ほかならぬ聖書です。ノアが見,また体験した事柄は後に聖書に組み込まれました。何世紀も後に,神ご自身,預言者イザヤを通して話された時,「ノアの水」に言及されました。(イザヤ 54:9)神の初子であられるみ子も,ノアの時代の出来事を観察されました。そして後に,地上に来られた時,この方,つまりイエス・キリストはその大洪水のことを歴史上の事実として話し,またなぜそれほど多くの人がそのとき死んだのかを説明されました。

      『彼らは注意しませんでした』

      11 なぜそれほど多くの人々が大洪水で滅ぼされましたか。

      11 イエスは,ノアの家の者のほかはみな法を犯す凶暴な者であったとは言われませんでした。それどころか,次のように述べられました。「洪水前のそれらの日,ノアが箱船に入る日まで,人々は食べたり飲んだり,めとったり嫁いだりしていました。そして,洪水が来て彼らすべてを流し去るまで注意しませんでしたが,人の子[イエス・キリスト]の臨在の時もそのようになるのです」― マタイ 24:37-39。

      12 彼らが『注意しなかった』のは,どうして重大なことでしたか。

      12 人々が適度に食べたり飲んだりし,あるいは誉れある仕方で結婚したりしたのは間違ったことではありませんでした。しかし,地球的な規模の大災害について警告されていた時に,そのような個人的な事柄の追求を中心とした生活を続けていたので,彼らはノアのことも,また警告の音信をノアにふれ告げさせておられたエホバ神のことも実際には信じていなかったことをはっきりと示しました。もし信じていたのなら,どうすれば生き残れるかについて真剣に尋ね,それからそのための要求に応じるため急いで行動を起こしていたことでしょう。恐らく人々の中には,当時広まっていた暴力行為を食い止めるために何かをすべきだということに同意する人もいたと考えられますが,地球的な規模の洪水ということは人々にとって到底考えられない事柄と思えたに違いありません。ですから,イエスが述べたとおり,人々は「洪水が来て彼らすべてを流し去るまで[ノアの伝えた神の音信に]注意しませんでした」。それはわたしたちにとって警告となる例として記録されました。

      13 (イ)キリストは目に見えない仕方で臨在していると聞かされると,今日の多くの人々は,予告されていたとおり,どのように反応しますか。それはなぜですか。(ロ)そのような人は何を無視していると,ペテロは述べていますか。

      13 同様に,霊感を受けた使徒ペテロも,次のように書き記して,警告を発しました。『[今やわたしたちが生きている]終わりの日にはあざける者たちがあざけりを抱いてやって来ます。その者たちは自分の欲望のままに進み,「この約束された彼の臨在はどうなっているのか。わたしたちの父祖が死の眠りについた日から,すべてのものは創造の初め以来と全く同じ状態を保っているではないか」と言うでしょう』。そのような人々はだれかに申し開きする必要があるなどと考えたいとは思いません。ですから,キリストの臨在という考えや,それが不敬虔な生き方を追求する者にとって何を意味するかということを,自分たちの頭の中から押しのけるのです。しかしペテロはさらにこう続けています。「それは,彼らの望みのままに,このことが見過ごされているからです。つまり,神の言葉によって,昔から天があり,地は水の中から,そして水の中に引き締まったかたちで立っていました。そして,それによってその時の世は,大洪水に覆われた時に滅びを被ったのです。しかし,その同じみ言葉によって,今ある天と地は火のために蓄え置かれており,不敬虔な人々の裁きと滅びの日まで留め置かれているのです」― ペテロ第二 3:3-7。

      14 創造の時にも,またノアの時代にも「神の言葉」が成就したことからすれば,今日,わたしたちはなぜ物事を真剣に考えてみるべきでしょうか。

      14 あざける人たちは,「神の言葉」は成就されずに終わることはないという事実を無視しています。そのような人々の見解を論ばくするため,使徒ペテロはわたしたちの注意を創造の昔の時代に向けさせています。その時,神はこう言われました。「水の間に大空が生じ,水と水との間に区分ができるように」。そのように宣言してから,「神は大空を造り,大空の下に来る水と大空の上方に来る水とを区分してゆかれた」のです。こうして,「神の言葉」,つまり目的を述べたその言葉は成就しました。(創世記 1:6,7)さらに,神の言葉は,ノアの時代に神が地球的な規模の大洪水を起こすことを命じ,その水を用いて「その時の世」を滅ぼされた時にも成就しました。それで,何ものも抵抗できない,その同じ神の言葉によって,現在の不敬虔な事物の体制にも滅びが臨むのです。

      15 (イ)ペテロ第二 3章7節はどうして惑星のこの地球が燃え尽きることを予言しているのではありませんか。(ロ)では,「火のために蓄え置かれている」「天と地」とは何ですか。

      15 大洪水の時に起きた事柄は,来たるべき事柄の一つの型でした。昔のその時に滅ぼされたのは地球ではなく,不敬虔な人々でした。では,『今ある天と地は火のために蓄え置かれている』と述べた言葉は何を意味していますか。(ペテロ第二 3:7; 2:5)それでは,物理的な天の中にある,すでに強烈なまでに熱い太陽や恒星に文字通りの火がどんな影響を及ぼすというのでしょうか。それに,文字通りの地球を焼き尽くすことは,それを楽園にするという神の目的と調和するでしょうか。ここで言及されている,「今ある天と地」は,明らかに象徴的なものであるに違いありません。(創世記 11:1; 列王第一 2:1,2; 歴代第一 16:31と比べてください。)「天」は一般の人類の上に高く上げられる統治上の支配力を表わしており,「地」とは不敬虔な人間の社会のことです。それらはエホバの大いなる日に,あたかも火で焼かれるように完全に滅ぼされてしまいます。このことに関する神からの警告をあざけり続ける人々は,自分の命を重大な危険にさらしています。

      敬虔な専心を保つ人たちの救出

      16 ペテロ第二 2章9節に示されているとおり,救出を可能にするかぎとなるのは何ですか。

      16 大洪水に関する記述は,わたしたちが今日,心に留めなければならない一つの重要な事柄を劇的な仕方で例示しています。それは何ですか。使徒ペテロは神がノアの時代に行なわれた事柄に言及した後,次のように結んでいます。『エホバは,敬虔な専心を保つ人々をどのように試練から救い出すか,一方,不義の人々を切り断つ目的で裁きの日のためにどのように留め置くかを知っておられるのです』。(ペテロ第二 2:9)ですから,救出を可能にするかぎは,敬虔な専心を保つ人となることです。

      17 ノアは敬虔な専心を保っていた証拠をどのように示しましたか。

      17 それは何を意味していますか。ノアは明らかに敬虔な専心を保った人でした。「ノアはまことの神と共に歩んだ」のです。(創世記 6:9)彼は啓示されたエホバのご意志と調和した生き方を追求しました。ノアは神との個人的な密接な関係を持っていました。箱船を建造し,すべての鳥や動物の典型的なものを集めるのは,膨大な仕事でした。彼は成り行きを待つ態度を取りませんでした。彼は信仰を持っていました。「ノアはすべて神から命じられたとおりにしていった。まさにそのとおりに行なった」とあるとおりです。(創世記 6:22。ヘブライ 11:7)人々はエホバの義にかなった道を思い起こさせられる必要がありましたし,不敬虔な者たちの来たるべき滅びについて警告を受けなければなりませんでした。ノアはそのためにも「義の伝道者」として努力しました。―ペテロ第二 2:5。

      18 大洪水を生き残った人たちは各々,どうしてそのような専心を保っていたに違いありませんか。

      18 ノアの妻と彼の息子たちおよびその妻たちについてはどうですか。それらの人たちには何が求められましたか。聖書の記述は特にノアに注意を集中しています。それは彼が家族の頭だったからですが,他の人たちもまた,敬虔な専心を保つ人たちだったに違いありません。それはどうしてですか。エホバはご自分の預言者エゼキエルに対して,ノアの子供たちの場合を引き合いに出し,たとえノアが当時イスラエルで生きていたとしても,彼の子供たちはその父の義に基づいて救い出してもらえるなどとは期待できないことを示されました。彼らは従うべきか否かについては十分判断できる年になっていたので,エホバとその義にかなった道に専心従っている証拠を個人的に示さなければなりませんでした。―エゼキエル 14:19,20。

      19 それで,わたしたちは何を,またどのように行なっているべきでしょうか。

      19 世の滅びが確かに差し迫っているので,聖書はその滅びを絶えずしっかりと銘記し,わたしたちもまた敬虔な専心を保つ人であることを立証するよう勧めています。(ペテロ第二 3:11-13)今日,ノアの子孫の中には,その賢明な助言に留意し,「新しい地」に生き残ることになる人々が,地上のあらゆる場所にいます。

      [脚注]

      a 「死者の崇拝」(ロンドン; 1904年),J・ガルニア大佐著,3-8ページ。「偉大なピラミッドの傍らにおける生活と仕事」(エディンバラ; 1867年),C・ピアッツィ・スミス教授著,第2巻,371-424ページ。

  • 災いに直面して賢く行動しなさい
    新しい地へ生き残る
    • 7章

      災いに直面して賢く行動しなさい

      1 (イ)タイタニック号が沈んだ時,(ロ)ペレー山が大爆発を起こした時,人々はどうしていたずらに滅びうせましたか。

      信頼できる筋から災害が迫っていることを警告されると,賢い人々は自分の命を守るために行動を起こします。(箴言 22:3)しかし,幾千とも数知れぬ多くの人々が,信頼の置き場を誤ったためにいたずらに滅びうせました。救命ボートに乗り込むようにとの警告が出されたにもかかわらず,何百人もの船客は,決して沈まないという主張を信じていたために,1912年に,遠洋定期船,タイタニック号と共に海底に消えてゆきました。マルティニーク島のペレー山が1902年に火山灰と火山岩を噴出し始めた時,近くのサンピエールの住民は恐れましたが,地域社会の主立った人々の利己的な関心事がかかわっていたために,地元の政治家たちや新聞の編集者は人々の恐怖心を静めることに努め,町を離れないように勧めました。ペレー山は突如大爆発を起こし,3万人もの人々が滅びうせました。

      2 (イ)今日,どんな緊急な警告が発せられていますか。(ロ)事態はどうして深刻なのですか。

      2 今日,なお一層緊急な警告が発せられています。それはある地方の災害ではなく,神の宇宙的なハルマゲドンの戦いが近いことに関するものなのです。(イザヤ 34:1,2。エレミヤ 25:32,33)エホバの証人は人々の命を保護することを目的として,世界中の人々の家庭を繰り返し訪問し,賢く行動するよう勧めてきました。あなたは必要な行動を起こし,ぐずぐずせずに速やかにそうするほど命を愛しておられますか。

      『世は過ぎ去りつつあります』

      3 世に対するわたしたちの態度は,どうしてわたしたちの生き残る見込みに影響を及ぼしますか。

      3 あなたが生き残る見込みを持てるかどうかを決める重要な要素の一つは,世に対するあなたの態度です。あなたは人間として生きている限り,この世の中にいます。しかし,その間違った欲望を共にしたり,その不敬虔な行為を見倣ったりしなければならないわけではありません。神とその目的の代わりに,人間とその計画に信頼を置くことによって,この世と提携しなければならないわけでもありません。しかし,選択しなければなりません。つまり,両方の側にとどまることはできません。「だれでも世の友になろうとする人は,自分を神の敵としているのです」。それはなぜですか。なぜなら,神の言葉が述べるとおり,『全世界は邪悪な者の配下にある』からです。―ヤコブ 4:4。ヨハネ第一 5:19。詩編 146:3-5。

      4 (イ)ご自分の聖書を用いて,どんな行ないや態度は人が神の王国のもとで生活するのを阻む恐れがあるかを説明しなさい。(ロ)そのような事にふけってきた人はだれでも,なぜそれを早くやめるべきですか。

      4 神が非としておられる事柄に執着していることを示す生き方をする人たちをエホバが保護して,義の新秩序に入らせようとされないのは,もっともなことです。神が非としておられる事柄にはどんな事がありますか。世の人々が当たり前の事柄と思っている活動や態度は数多くあります。しかし,もしこの邪悪な世の終わりに生き残りたいと願うのなら,他の人々が何を行ない,どう考えるかにはかかわりなく,淫行を行なう者,姦淫を犯す者,同性愛者および不道徳な汚れた行為やみだらな行ないにふける者たちは生き残る人々の中に入れないという聖書の警告にわたしたちは留意します。たとえ他の人々がどんなにしばしばうそや盗みに訴えようとも,わたしたちはそのような生き方を退けます。たとえオカルトが人気があっても,わたしたちはそのようなことを避けます。他の人々がしっと心を抱いたり,争いを引き起こしたり,怒りを激しく燃やしたり,ざ折感から逃避しようとして麻薬を使ったり,アルコール飲料をたくさん飲んだりするかもしれませんが,わたしたちはそのような人たちには見倣いません。また,もしわたしたちがこうした事柄にふけってきたのなら,わたしたちは変化する必要に真っ正面から立ち向かってゆきます。たとえ,それらの事柄のどれかが過去の自分にとっては「普通の」事柄のように思えたにしても,わたしたちはそのような事柄をやめます。それはなぜですか。なぜなら,わたしたちは本当に神を愛しており,命を愛しているからです。また,神の言葉は,「そのような事柄を習わしにする者が神の王国を受け継ぐことはありません」と警告しているからです。―ガラテア 5:19-21。エフェソス 5:3-7。コリント第一 6:9,10。コリント第二 7:1。啓示 22:15。

      5 (イ)もしわたしたちにとって命が貴重なものなら,わたしたちは何をすることを学ばなければなりませんか。(ロ)この節の終わりにある聖句の中では,どんな立派な特質に言及されていますか。それはどれほど重要ですか。どうすれば,それを伸ばすことができますか。

      5 もし永遠に幸福に生きる機会がわたしたちにとって重要なものであるなら,わたしたちは命の授与者,エホバ神を喜ばせる方法を学ぶ必要があります。(使徒 17:24-28。啓示 4:11)わたしたちはそのみ言葉を自分の生活のあらゆる面に漸進的に当てはめなければなりません。そうすれば,わたしたちはほどなくして自分自身や他の人々,また個人の所有物や才能に対する自分の態度を真剣に考察し,それが神のみ前における自分の立場にどのように影響するかを考えるようになります。わたしたちの周りの人々は自分自身のことを,つまり自分の部族や人種あるいは国家のことを得意に思う見方を持っているかもしれませんが,わたしたちは,「神はごう慢な者に敵し,謙遜な者に過分のご親切を施される」と述べる聖書の言葉を真剣に考えます。―ヤコブ 4:6。ゼパニヤ 2:2,3。詩編 149:4。

      6,7 わたしたちはなぜヨハネ第一 2章15節から17節の光に照らして自分自身の生活を吟味すべきですか。

      6 たとえ他の人々が物質主義の社会によって刺激された欲望の奴隷となるままになったり,あるいは個人的に目立ちたいという欲望によって動かされたりするかもしれませんが,わたしたちはヨハネ第一 2章15節から17節の光に照らして自分自身の生活を吟味します。その句はこう述べています。「世も世にあるものをも愛していてはなりません。世を愛する者がいれば,父の愛はその人のうちにありません。すべて世にあるもの ― 肉の欲望と目の欲望,そして自分の資力を見せびらかすこと ― は父から出るのではなく,世から出るからです。さらに,世は過ぎ去りつつあり,その欲望も同じです。しかし,神のご意志を行なう者は永久にとどまります」。もし変化する必要があるのでしたら,今こそそうすべき時です。

      7 この世とその生き方は永久に続くわけではありません。それは“決して沈まない”ようなものではありません。この世的な人々は自分たちの追随者を手放さないようにし,自分たちの努力で世界を改善できるのだと思い込ませようとするかもしれません。しかし,差し迫っている災いを免れさせていただく唯一の道は,神の警告の音信に留意する以外にありません。この点で,預言者ヨナの時代のニネベ人は,わたしたちが心に留めるほうが良い手本を残しました。

      「彼らはヨナの宣べ伝えることを聞いて悔い改めた」

      8 ヨナが神の警告をもたらした時,ニネベ人はどのように知恵を示しましたか。結果はどうなりましたか。

      8 西暦前9世紀のこと,エホバはアッシリアの首都ニネベの人々のもとにヨナを赴かせ,彼らの悪のゆえにニネベは打ち倒される定めになっているとふれ告げるように任命されました。ヨナが彼らはわずか40日のうちに滅びうせるであろうと警告した時,彼らはどのような反応を示しましたか。彼らはあざける代わりに,「神に信仰を置くようになり,断食をふれ告げて粗布をまとい」ました。王自身も彼らと一緒になって,神に熱心に呼ばわり,自分たちの悪い道と暴虐から離れるよう民すべてに勧めました。彼は,「まことの神が……その燃える怒りから離れて,我々が滅びないようにしてくださることはないとだれが知っているだろうか」と考えました。彼らがその悪い道を捨てたために,エホバは彼らに憐れみを示され,彼らの命は助けられました。―ヨナ 3:2-10。

      9,10 (イ)イエスはニネベ人がどんな点で見倣うべき手本であると言われましたか。(ロ)今日,だれがそれらニネベ人に似ていますか。

      9 イエスは西暦1世紀の不信仰なユダヤ人に対する戒めとして,その歴史上の出来事に注意を引き,次のように言われました。「ニネベの人々は裁きの際にこの世代と共に立ち上がり,この世代を罪に定めるでしょう。彼らはヨナの宣べ伝えることを聞いて悔い改めたからですが,見よ,ヨナ以上のものがここにいるのです」― マタイ 12:41。

      10 今日の場合はどうですか。そのような悔い改めを示す人がだれかいますか。います。ニネベ人のように,聖書の神を崇拝していると公言したことは一度もありませんでしたが,今やエホバの警告の音信に留意している幾万もの人々が世界中にいます。それらの人たちはこの世界に滅びが臨もうとしている理由を学ぶと,神の憐れみを求めます。それらの人々は自分たちの以前の生き方に関して思いと心の真の変化を遂げ,今では「悔い改めにふさわしい業」を行なうことに専念します。(使徒 26:20。また,ローマ 2:4も参照してください。)あなたの願いは,そのような人の一人になることですか。もしそうでしたら,ぐずぐずしないでください。

      急いで和平を求めなさい

      11 (イ)ギベオン人にはどんな背景がありましたか。(ロ)彼らはどうしてイスラエルとの和平を求めましたか。

      11 ヨシュアの時代のギベオン人もまた,賢く行動したために,命を助けてもらうことになりました。彼らはカナン人で,その生き方は不道徳で,物質主義に根ざしており,偶像崇拝や悪霊崇拝を行なう者たちでした。エホバは彼らの滅びを定めておられました。彼らは,40年前にエホバがイスラエルをどのようにエジプトから救出したか,またヨルダン川の東のアモリ人の強力な王たちが彼らの前に立ち得なかったことを知っていました。破城つちを使わなかったのに,エリコの巨大な城壁が彼らの前ですっかり倒壊してしまったことや,アイの都市が荒廃した塚と化してしまったことはだれでも知っていました。(ヨシュア 9:3,9,10)ギベオンの都市の住民は生きたいと思いましたが,イスラエルの神との戦いでは決して勝てないということを悟りました。早く行なう必要のある事柄がありました。それは何でしたか。彼らはイスラエルと条約を結ぶことを主張することはできなかったので,何とかそうするよう少なくとも試みてみるべきだと考えました。どのようにするのでしょうか。

      12 (イ)ギベオン人はその用いた方法にもかかわらず,どうして助けられましたか。(ロ)彼らはどんな変化を遂げなければなりませんでしたか。どんな仕事を与えられましたか。

      12 彼らは抜け目なく行動し,大変長い旅をしてきたように思わせる外見をした人々をヨシュアのもとに送りました。ヨシュアに近づいたそれらの人々は,自分たちは遠い土地からの者で,エホバが行なわれた偉大な事柄について聞いており,自分たちの民の代表として自らを僕としてささげ,自分たちと契約を結んでもらいたいとお願いするために訪ねてきたと述べました。ヨシュアとイスラエルの首長たちは同意しました。後に,その欺きが暴露されると,ギベオン人は自分たちの命が失われるのを恐れていたことを謙遜に告白し,自分たちに求められることは何でも喜んでさせていただきたいとの態度を示しました。(ヨシュア 9:4-25)エホバは事の全体を見ておられました。エホバは欺かれたわけではありません。エホバは彼らが以前にモアブ人がしたようにご自分の民を腐敗させようとしていたのではないことをご覧になることができ,また生きたいという彼らの真剣な願いを評価されました。それでエホバは,彼らがまきを集めたり水をくんだりして,神聖な幕屋でレビ人のもとで働くよう割り当てられるのを許され,こうして彼らはエホバの崇拝を支持できるようになりました。もちろん,そのような奉仕を受け入れていただくために,彼らは以前の汚れた慣行を捨てなければなりませんでした。―ヨシュア 9:27。レビ記 18:26-30。

      13 (イ)わたしたちはどうすれば,ギベオン人にかかわるその預言的な劇から益を受けることができますか。(ロ)大いなるヨシュアに命を助けていただくため,今日,人々には何が求められていますか。

      13 わたしたちが「終わりの日」の最後に近い時期に生活していることを考えると,生き残りたいと願う人々すべてにとって肝要なのは,ぐずぐずせずに,しかも全き誠実さをもって行動することです。エホバの現代の刑執行者であられるイエス・キリストは,ヨシュアのようにだまされることはあり得ません。そのような人たちがイエス・キリストと協定を結んで刑の執行を免れられるようにする唯一の道は,まことの神であられるエホバに対する自分たちの信仰を公に言い表わす以外にありません。(使徒 2:17-21と比べてください。)そのような人たちはまた,神から割り当てられた役目に就いておられるイエス・キリストを受け入れ,今後は罪に定められたこの世の生き方をもはや愛してはいない人として生活しなければなりません。それから,神の謙遜な僕となって,神の民の会衆と共に交わりながら神に対して神聖な奉仕を行なわなければなりません。―ヨハネ 17:16。啓示 7:14,15。

      14 ギベオン人が敵の軍勢からエホバによって救出されたことは,どうしてわたしたちにとって重要な意義がありますか。

      14 ギベオン人はエホバの民の側に付いて間もなく,重大な圧力を受けることになりました。アモリ人の5人の王がギベオンを包囲し,住民を再び自分たちの側に強制的に付かせ,イスラエルに反対させようとしました。ギベオン人は使者を派遣してヨシュアに緊急な援助を懇願しました。その結果,彼らが経験した救出は,歴史全体を通して極めて壮観な出来事の一つとなりました。エホバは敵を大混乱に陥らせ,彼らの上に天から雹の石を落下させ,イスラエルが敵を完全に敗走させるまで奇跡的に昼間を延長させました。(ヨシュア 10:1-14)ギベオン人がそのように救助されたことは,宇宙的なハルマゲドンの戦いで,まことの神の崇拝者たちの大群衆がなお一層驚嘆すべき仕方で救出されることを,預言的に示すものとなりました。その救出の恩恵に浴する機会はあらゆる国の民のために開かれており,もし今賢く行動するなら,その益にあずかれます。あなたはその機会を活用しておられますか。―啓示 7:9,10。

  • すべての国の民の中から出て来る,生き残る人々
    新しい地へ生き残る
    • 8章

      すべての国の民の中から出て来る,生き残る人々

      1 アブラハムになされたどんな約束は,人類の「すべての家族」が神の是認を受けられることを示していますか。

      エホバはすべての国や部族の人々に愛ある関心を抱いておられます。そして,地のすべての家族がエホバの是認と祝福を享受できるようにする備えを設けてこられました。エホバはノアの子セムの子孫,アブラム(アブラハム)に対して次のように言われました。「あなたの国を出,あなたの親族と父の家とを離れて,わたしが示す国へ行きなさい。そうすればわたしは,あなたから大いなる国民を作り,あなたを祝福し,あなたの名を大いなるものにする。あなたは祝福となりなさい。そしてわたしはあなたを祝福する者たちを祝福し,あなたの上に災いを呼び求める者をのろう。地上のすべての家族はあなたによって必ず自らを祝福するであろう」。(創世記 12:1-3。使徒 7:2-4)どんな国に生まれようと,あるいはどんな言語を話そうと,それにはかかわりなく,今日のわたしたちはその「地上のすべての家族」に含まれています。―詩編 65:2。

      2 (イ)アブラハムのように,わたしたちにはどんな特質が必要ですか。(ロ)ヘブライ 11章8-10節に示されているとおり,アブラハムはその特質を持っていたという証拠をどのように示しましたか。

      2 ここで約束されている神からの祝福にあずかりたいなら,わたしたちは信仰を持たなければなりませんが,それと全く同様,エホバからこの約束を告げられた人物も信仰の人でした。(ヤコブ 2:23。ヘブライ 11:6)アブラハムの信仰は単なる受け身の信仰ではなく,行動を伴うものでした。彼は信仰に動かされてメソポタミアを出,かつて一度も見たことのない遠い土地に向かいました。「信仰によって,彼は,異国にいるようにして,約束の地に外国人として居留し」,その地のどんな都市王国にも所属しませんでした。「彼は真の土台を持つ都市[神の王国]を待ち望んでいたのです。その都市の建設者また造り主は神です」― ヘブライ 11:8-10。

      3 アブラハムはイサクに関して,信仰を試すどんな綿密な試みを受けましたか。

      3 アブラハムが100歳に達し,その妻サラが90歳になった時,エホバは息子イサクを与えて奇跡的な仕方で二人を祝福されました。その息子に関連してアブラハムは神に対する信仰と従順を試す綿密な試みを受けることになりました。エホバはアブラハムに,今は若者となったイサクを連れてモリヤの地に行き,そこでその子を焼燔の捧げ物としてささげるよう指示されました。アブラハムは復活によってその息子を生き返らせる神の能力に対する信仰を抱いて,従うことにしました。(ヘブライ 11:17-19)父に柔順だったイサクは,すでに手を縛られて祭壇の上に載せられており,アブラハムはイサクを殺す短刀を手にしていた時,エホバのみ使いが事態に介入しました。その試みはアブラハムが何物をも神から差し控えないことを十分証明するに足りるものとなりました。それゆえに,神はアブラハムとのご自分の契約を確証なさいました。聖書が次のように述べているとおりです。

      4 その時,神はすべての国の民に関してさらにどんな重要な約束をなさいましたか。

      4 「『わたしは自らにかけてまさに誓う』と,エホバはお告げになる,『あなたがこのことを行ない,あなたの子,あなたのひとり子をさえ与えることを差し控えなかったゆえに,わたしは確かにあなたを祝福し,あなたの胤を確かに殖やして天の星のように,海辺の砂の粒のようにする。あなたの胤はその敵の門を手に入れるであろう。そして,あなたの胤によって地のすべての国の民は必ず自らを祝福するであろう。あなたがわたしの声に聴き従ったからである』」― 創世記 22:15-18。

      5 (イ)アブラハムがイサクをささげようとしたことによって何が予表されていましたか。(ロ)創世記 12章3節の成就として,人々はどのようにして,大いなるアブラハムの上に「災いを呼び求め」ますか。その結果はどうなりますか。(ハ)わたしたちはどうすれば,その方を「祝福する」ことができますか。

      5 大いなるアブラハムはエホバで,イサクはイエス・キリストを予表していたことを識別すると,これらの出来事がわたしたちにとって個人的にいかに重要なことかを認識できるようになります。実際,わたしたちの将来を決するものとなるのは,エホバ神に対してわたしたちがどのように行動するかということなのです。アブラハムがイサクをささげようとしたことによって例示されているように,神がわたしたちの罪のための犠牲としてその独り子を実際にお与えになったゆえに,わたしたちはとこしえの命の見込みを持つことができるのです。(ヨハネ 3:16)だれでもエホバの上に「災いを呼び求める」ことをあくまでも続け,エホバを侮ったり,その愛ある目的を軽んじたりする者は,自らの永遠の滅びを意味する呪いを受けることになります。(サムエル第一 3:12-14; 2:12と比べてください。)しかし,もしわたしたちが感謝の気持ちを抱く者であれば,わたしたちは大いなるアブラハムを『祝福する』ようになります。どのようにしてでしょうか。み子を通してもたらされる命という過分の贈り物を含め,すべての善いものがエホバから来ることを進んで認めることによって,そうすることができます。また,エホバの善良さや,その王権の見事な特質について他の人々に語り告げるでしょう。(ヤコブ 1:17。詩編 145:7-13)このようにしてわたしたちは,エホバから永久に祝福を受ける見込みを持てるようになるのです。

      約束されたアブラハムの「胤」

      6 (イ)アブラハムの主要な「胤」とはだれですか。(ロ)わたしたちはどうすれば,その方によってもたらされる祝福を受けることができますか。

      6 エホバは人類を祝福するためのその取り決めの一部として,義にかなった天的な政府を設けることをもくろまれました。イエス・キリストはアブラハムの子孫として,つまりその最も重要な子孫もしくは「胤」としてお生まれになり,エホバはこの方に王権をお授けになりました。(ガラテア 3:16。マタイ 1:1)ですから,神がアブラハムに対して誓われた誓いの言葉が示すように,地上のすべての国の民の中から出て来る人々はイエス・キリストによって祝福されることになるのです。あなたはご自分のために,その祝福を得るために求められている事柄を行なっておられますか。例えば,あなたの人生の歩みは,イエスの命の犠牲があなたにとっていかに重要であるかを正しく認識していることを明らかに示しているでしょうか。あなたは王としてのイエスの権威に本当に服従しているでしょうか。―ヨハネ 3:36。使徒 4:12。

      7 (イ)「アブラハムの胤」には,ほかにだれが含まれますか。(ロ)神に忠実に奉仕する人がすべて天に行くのでないことは,どうして分かりますか。

      7 使徒ヨハネは天的な出来事に関する預言的な意味のある予告編を見せられ,その中で彼は他の人々が天的なシオンの山でイエス・キリストと共に交わっているのを見ました。彼らもまた,「アブラハムの胤」の一部なのです。啓示 14章1節から5節に述べられているとおり,彼らは「人類の中から買い取られた」者で,その数は14万4,000人です。(ガラテア 3:26-29)それにはだれが含まれていますか。聖書は,義に傾く気持ちのある人々をすべて天に連れて行くのが決して神の目的ではなかったことを実に明白に示しています。(マタイ 11:11。使徒 2:34。詩編 37:29)キリストと天の王国を共にするすばらしい特権は,千年の間キリストと共に王および祭司となる「小さな群れ」に限られています。―ルカ 12:32。啓示 5:9,10; 20:6。

      8 「小さな群れ」を選ぶことはいつから始まりましたか。それはいつまで続きますか。

      8 その「小さな群れ」を選ぶことはどのようにして始まりましたか。天的な王国を共にするようにとの慈しみ深い招待は最初,生来のイスラエル人に差し伸べられました。しかし,イスラエル人は信仰に欠けていたため,14万4,000人全員を提供することにはなりませんでした。それで,サマリア人,それから後にすべての国の民からの人々が招かれました。(使徒 1:8)キリストの共同相続者の最初の人たちは西暦33年のペンテコステの時に聖霊で油そそがれました。このグループの人たちを選ぶことは,14万4,000人が神によって是認された者として証印を押される時まで続きます。それから,天的な政府に感謝して従う臣民として地上で生きる人たちを集めることに注意が向けられます。

      9 (イ)聖書中のどんな表現がこの天的な級に当てはまりますか。(ロ)生来のイスラエルはだれを予表していましたか。

      9 キリストと共に天的な王国の相続者となる人たちは聖書の中では「選ばれた者たち」,「聖なる者たち」,「神〔によって〕……油を注がれた」人たちと呼ばれています。(テモテ第二 2:10。コリント第一 6:1,2。コリント第二 1:21)これらの人々はまた,集合的にキリストの「花嫁」として描写されています。(啓示 21:2,9。エフェソス 5:22-32)また,そのほかの種々の見地から見て,彼らはキリストの「兄弟たち」,「キリストと共同の相続人」および神の「子たち」とも呼ばれています。(ヘブライ 2:10,11。ローマ 8:15-17。エフェソス 1:5)国籍にかかわりなく,霊的に言って,彼らは「神のイスラエル」です。(ガラテア 6:16。ローマ 2:28,29; 9:6-8)エホバは肉のイスラエルとのご自分の律法契約を終了させた時,霊的なイスラエルをご自身との新しい契約にお入れになりました。しかし,律法のもとにあった肉のイスラエルに対するその取り扱い方は,来たるべき事柄の型を示すものとなりました。(ヘブライ 10:1)では,神によりその「特別な所有物」として選ばれた肉のイスラエル国民はだれを予表していましたか。諸事実は,天でキリストと共に支配させるために神が選ばれた霊的なイスラエルを指し示しています。(出エジプト記 19:5,6とペテロ第一 1:3,4および2:9とを比べてください。)彼らはキリストと共になって,人類の中の他の従順な人々すべてに祝福を差し伸べる手だてとなる機関を構成します。この点を認識することは,聖書を理解する一つのかぎとなります。

      「胤」によって祝福される人たち

      10 エホバの崇拝者であった非イスラエル人はだれを予表していましたか。

      10 神は特別な仕方でイスラエル国民を取り扱っておられた期間中,その国民の者ではなくても,心に動かされてイスラエル人と交わって真の崇拝を共にしたいと願う人たちのためにも,愛ある備えを設けられました。それらの人々のことが聖書の記録の中で言及されているのは注目に値します。今日,それらの人々にもまた,対応する人々がいますか。確かにいます。それらの人たちは多くの点で,霊的なイスラエル人ではないものの,神の王国の地的な臣民としてとこしえの命というすばらしい見込みを心に抱く人たちを表わしています。それらの人たちこそ,神がアブラハムに対して,「地のすべての国の民」の中から出て来て,その胤によって自らを祝福するであろうと言われた者たちなのです。―創世記 22:18。申命記 32:43。

      11 (イ)ソロモンの神殿の献納式の際,このグループのことがどのように言及されましたか。(ロ)イザヤ 56章6,7節で予告されているとおり,今日,「異国の者たち」はどのようにして,「エホバに連なって」いますか。

      11 全人類が真の崇拝において結ばれることは,神の常に変わらぬ目的でした。ソロモンによってエルサレムに建てられた神殿の献納式に際し,適切にも王は,イスラエルと一緒に受け入れられる崇拝をささげたいと願う異国の人たちの祈りをエホバが聞き入れてくださるよう祈りました。(歴代第二 6:32,33)また,イザヤ 56章6,7節で神はこう約束なさいました。「エホバに連なって,これに仕え,エホバの名を愛し,その僕になろうとする異国の者たち,……それらの者をわたしはまた,わたしの聖なる山に連れて来て,わたしの祈りの家の中で歓ばせる。……わたしの家はすべての民のための祈りの家とも呼ばれるからである」。現代の「異国の者たち」は,ここで表わされている精神を反映して,単にむとんちゃくな傍観者ではなく,『エホバに連なる』人たちとして,今やすべての国の民の中から集まって来ています。それらの人たちは自らエホバに献身し,その献身を水の浸礼によって象徴し,それから「エホバの名」とそのみ名が表わす事柄すべてに対する自分たちの愛を証明する仕方で奉仕することにより,そのことをしています。―マタイ 28:19,20。

      12 モーセの律法は,神の王国の地的な臣民となることを望む人々が,霊的なイスラエルに当てはまる高い規準に従わなければならないかどうかを,どのように示していますか。

      12 それらの人たちに対しても,霊によって油そそがれたクリスチャンに劣らず,同様の忠実さが求められています。モーセの律法のもとで,エホバは,真の崇拝を奉じた「外人居留者」に対して,イスラエルを拘束していた同じ律法に従うことを要求されました。(民数記 15:15,16)その両者の関係は単なる容認ではなく,純粋の愛の関係であるべきでした。(レビ記 19:34)同様に,外人居留者によって予表されていた人たちは,自分たちの生活をエホバのご要求に全く調和させることに努め,また霊的なイスラエルの残っている者たちとの愛ある一致を保って奉仕するよう努めます。―イザヤ 61:5。

      13 もし「新しい地」に生き残りたいと思うなら,イザヤ 2章1-4節のどんな詳細な事柄を心に留めるべきですか。

      13 エホバは,今日エホバの宇宙的な崇拝に群れをなして集まっている,「すべての国の民」から出て来る,熱心な人々の群れを,ご自分の預言者イザヤを用いて描写されました。こう予告しておられます。「多くの民は必ず行って,こう言う。『来なさい。エホバの山に,ヤコブの神の家に上ろう。神はご自分の道についてわたしたちに教え諭してくださる。わたしたちはその道筋を歩もう』」。その結果,彼らは『その剣をすきの刃に打ち変え』て,争いに悩まされているこの世のただ中にあってさえ,『もはや戦いを学んでいません』。(イザヤ 2:1-4)あなたはその幸福な人々の群れの中におられますか。あなたは,エホバのご要求を学び,それを自分の生活に当てはめ,戦いの武器に頼ることをやめたいという願いをそれらの人たちと共にしておられますか。神は,この歩みを追い求める大群衆が生存者として『大患難から出て来て』,平和な「新しい地」に入ることを約束しておられます。―啓示 7:9,10,14。詩編 46:8,9。

  • 救出への道を導くのはだれですか
    新しい地へ生き残る
    • 9章

      救出への道を導くのはだれですか

      1 (イ)「大患難」を切り抜けて無事に救い出していただくためには,わたしたちは何に服従しなければなりませんか。(ロ)神がモーセをお用いになった仕方は,このことをどのように例証するものとなっていますか。

      わたしたちはイエス・キリストの指導を受け入れ,自分が本当にその言われることに聴き従い,その足跡に従って歩んでいる,説得力のある証拠を示してはじめて,この邪悪な世から救われ,生きたまま保護されて,来たるべき「大患難」を通過させていただけるのです。(使徒 4:12)西暦前1513年に生来のイスラエル人がエジプトから救出された時のその前後の出来事は,このことを実によく例証するものとなっています。エホバは奇跡的な仕方でイスラエルに紅海を渡らせて安全な所へと導き,追跡するエジプト人の軍勢を滅ぼされました。そのすべての事柄において,神はご自分の民を導くためにモーセをお用いになりました。―ヨシュア 24:5-7。出エジプト記 3:10。

      2 (イ)イスラエルと共にエジプトを去った「入り混じった大集団」とは,どんな人々でしたか。(ロ)それらの人々の多くは何に引きつけられたに違いありませんか。(ハ)彼らはほどなくどんな事柄で試みられましたか。

      2 イスラエル人が約束の地に入る見込みを抱いてエジプトから進み出た時,他の人々がその隊伍に加わりました。モーセが後に書き記したとおり,「入り混じった大集団も彼らと共に上って行き」ました。(出エジプト記 12:38)それはどんな人々でしたか。それはイスラエルと運命を共にしたエジプト人もしくは他の異国の人々でした。それらの人々は,エホバがご自分こそ唯一まことの神であること,またエジプトの神々は偽りの神々であって,これを崇拝する者たちを救出できないことを実証するために,圧制的なエジプトの国民に臨ませた,畏怖の念を起こさせる災厄を見ていたのです。それに,「乳と蜜の流れる地」での生活の見込みについてイスラエル人から聞いた事柄は,彼らにとって善いことだと思えたに違いありません。(出エジプト記 3:7,8; 12:12)しかし,それらの人たちはまた,モーセが神によってその民の支配者ならびに救出者として立てられた者であることを十分に認めましたか。彼らはほどなくして試みられました。―使徒 7:34,35。

      3 (イ)モーセの指図に従うのは,どうして肝要なことでしたか。(ロ)「モーセへのバプテスマ」は何を意味していましたか。(ハ)それは霊的なイスラエル人にとってどうして重要な事柄ですか。

      3 イスラエルが「入り混じった大集団」と共に紅海の岸に近づいた時,エジプトの王とその軍勢は彼らを引きずり戻して奴隷にするためにその後を追いました。救出してもらうためには,彼らは一緒にとどまり,モーセの指図に従わなければなりません。なぜなら,エホバは彼らを導くためにモーセを用いておられたからです。エホバは超自然的な雲によって敵を引き留めるとともに,海の水を引き分けて,海底を干上がらせました。後にエジプト人に起きた事柄とは著しく対照的な事柄として,イスラエルと「入り混じった大集団」のすべてはモーセと共にその乾いた海底を横切って逃れました。(出エジプト記 14:9,19-31)左右には水の壁があり,頭上には神の臨在を示す雲が立ちこめる中を,彼らが進んで行った時,ある重要な事柄が起きました。聖書はそれをバプテスマ ― 水による文字通りのバプテスマではなく,エホバの預言者であるモーセ,つまり神によって彼らの救出者となるよう遣わされた方への象徴的なバプテスマと呼んでいます。(コリント第一 10:1,2)同様に,この邪悪な世の滅びを生き残る霊的なイスラエル人は皆,救出者としてのキリストへの同様のバプテスマを受け,その指導にしっかりと付き従っている,説得力のある証拠を示さなければなりません。現代の『入り混じった集団』はそれらの人たちに付き添って行かなければなりません。

      4 エホバがキリストにお与えになった権威はどれほど大きなものですか。

      4 エホバはご自分のみ子,イエス・キリストに大きな権威をお授けになりました。神はこの方によってわたしたちを『現在の邪悪な事物の体制から救い出す』ことを可能にしてくださったので,わたしたちはその恐ろしい運命を共にする必要がなくなりました。(ガラテア 1:3-5。テサロニケ第一 1:9,10)エホバはモーセを通して,その民の当面の生活の見込みに影響を及ぼす律法をイスラエルにお与えになりました。彼らはその律法に従った時に,大いにその益を受けました。しかし,律法の中には,不従順に対しては死の処罰を定めたものもありました。後にイエスはモーセよりも大いなる預言者となられました。イエスの教えられた事柄は『永遠の命のことば』でしたから,それらのことばに故意に従おうとしないなら,死に陥ることになり,その死から救い出されることはありません。ですから,イエスの言われる事柄を心に留めるのは何と重要な事柄なのでしょう。―ヨハネ 6:66-69; 3:36。使徒 3:19-23。

      5 イエスに対する服従を魅力的なものにするのは何ですか。

      5 ある人々にとって,指導者に対する服従という考え方は望ましい事柄とは思えません。そのような人たちは権威が余りにも乱用されるのを見てきました。しかし,イエスご自身のことばは人を安心させるような精神を反映しています。イエスは温かさを込めて次のようにわたしたちを招いておられます。「すべて,労苦し,荷を負っている人よ,わたしのところに来なさい。そうすれば,わたしがあなた方をさわやかにしてあげましょう。わたしのくびきを負って,わたしから学びなさい。わたしは気質が温和で,心のへりくだった者だからです。あなた方は自分の魂にとってさわやかなものを見いだすでしょう。わたしのくびきは心地よく,わたしの荷は軽いのです」。(マタイ 11:28-30)何と魅力的な見込みなのでしょう。その温かな招待の言葉に留意し,この方に全幅の信頼を寄せる人たちは,失望させられることはありません。(ローマ 10:11)そのような人々は愛ある羊飼いの群れの中の羊のように,安心感を味わえるでしょう。

      本物の立派な羊飼い

      6 (イ)イスラエル国民はどのように囲いの中の羊に似ていましたか。(ロ)エホバはそれらの「羊」のための羊飼いに関してどんな約束をなさいましたか。それはどのように成就しましたか。

      6 イスラエル国民はエホバに属する羊の群れのようでした。エホバは律法契約を設けてくださり,その契約は羊の囲いの保護壁のような役を果たし,不敬虔な世の諸国民の生活の仕方に接しないよう彼らを囲い込むものとなりました。それはまた,よく反応を示す人たちをメシアに導きました。(エフェソス 2:14-16。ガラテア 3:24)羊飼いで,王でもある,そのメシアに関してエホバはこう予告されました。「わたしは[わたしの羊]の上に一人の牧者を起こす。その者は必ず彼らを養う。それはすなわち,わたしの僕ダビデである」。(エゼキエル 34:23,31)それは,当時死んでいたダビデが再び神の民の王として個人的に支配することを意味してはいませんでした。むしろ,エホバはダビデの王統から王なる羊飼いを起こし,その王を通して神は安全を計ることになったのです。(エレミヤ 23:5,6)いろいろな時代に種々の人間が偽って自分が救出者なるメシアであると唱えましたが,西暦29年にエホバは,バプテスマを施す人ヨハネを用いて,イエス・キリストを本当に神によって遣わされた者,つまり真正の信用証明書を持つメシアとしてイスラエルの「羊」に紹介されました。その方は神の天的なみ子であって,その生命の本質はユダヤ人の一人の処女の胎内に移されて,彼がダビデの王統から生まれ出るようにされたのです。ダビデという名は「愛する者」という意味です。ですから,イエスが水によるバプテスマをお受けになった後,適切にもエホバは他の者に聞こえるように天から次のように言明されたのです。「あなたはわたしの子,わたしの愛する者である。わたしはあなたを是認した」― マルコ 1:11。

      7 (イ)イエスは「りっぱな羊飼い」として,「羊」に対するご自分の愛ある関心の深さをどのようにはっきりと示されましたか。(ロ)それは以前の偽りのメシアの行ないとどのように対照的でしたか。

      7 イエスは亡くなる4か月ばかり前に,こう言われました。「わたしはりっぱな羊飼いです。りっぱな羊飼いは羊のために自分の魂をなげうちます」。(ヨハネ 10:11)イエスはご自分の役割と以前にやって来た偽りのメシアのそれとを対照させて,こう言われました。「羊の囲いに戸口を通って入らず,どこかほかの場所からよじ登る者,その者は盗人であり,強奪者です。しかし,戸口を通って入る者は羊の羊飼いです。戸口番はこの者に対して戸を開け,羊はその声を聴き,彼は自分の羊の名を呼んで導き出します。自分のものをみな外に出すと,彼はその前を行き,羊はあとに付いて行きます。彼の声を知っているからです。よその者には決して付いて行かず,むしろその者からは逃げるのです。よその者たちの声を知らないからです」― ヨハネ 10:1-5,8。

      8 (イ)イエスはご自分に付いて来たユダヤ人を,どんな新たな「羊の囲い」に導かれましたか。(ロ)イエスはこの囲いに何人の人々をお入れになりましたか。

      8 ユダヤ人の羊の囲いの中にいて,律法契約の導きに答え応じた人々は,「戸口番」である,バプテスマを施す人ヨハネがイエスを紹介した時,この方をメシアとして受け入れました。彼らはイエスが「自分の羊」と呼ばれたものになったので,イエスは彼らをエホバのものである新しい比ゆ的な羊の囲いに導かれました。この囲いは霊的なイスラエルと結ばれて,イエスご自身の血によって有効なものとなった,新しい契約に基づいて築かれたエホバとの恵まれた関係を表わしました。彼らはこの契約によって,すべての国の民の人々に祝福をもたらす手だてであるアブラハムの「胤」としてのキリストと共に天的な命を得ることができるようになりました。(ヘブライ 8:6; 9:24; 10:19-22。創世記 22:18)神が死人の中からよみがえらせ,天的な命を回復させられたイエス・キリストは,この新しい契約という羊の囲いの「戸口」です。イエスはそのみ父の目的と調和して,限られた人数 ― ちょうど14万4,000人 ― の人々だけを,最初にユダヤ人の中から,また後にはサマリア人や異邦人の中からこの囲いにお入れになりました。立派な羊飼いであられるイエスは,ご自分の羊を各々名によって知っておられ,ご自分の羊を愛を込めて個人的に世話し,注意を払っておられます。―ヨハネ 10:7,9。啓示 14:1-3。

      9 イエスが言及しておられる「ほかの羊」とはだれのことですか。それらの人々はいつ集められますか。

      9 しかし,イエスは羊を世話する仕事を,天の王国を得るこの「小さな群れ」に限定しておられるのではありません。(ルカ 12:32)イエスはまたこう言われました。「わたしにはほかの羊がいますが,それらはこの囲いのものではありません。それらもわたしは連れて来なければならず,彼らはわたしの声を聴き,一つの群れ,一人の羊飼いとなります」。(ヨハネ 10:16)これらの人々はだれですか。彼らは新しい契約に入っていない人たちです。つまり,霊的なイスラエル人ではありません。しかし,彼らは霊的なイスラエルの成員と密接な交わりを持つよう導かれています。一方,それら油そそがれた成員は依然として地上におり,イエスが描写しておられるような仕方で羊として世話されることを必要としています。「ほかの羊」は,この終わりの日の期間中,イエスの血の犠牲の価値に対するその信仰に基づいて地上でとこしえの命を受けるためのエホバの備えの中に集められている人たちです。彼らは啓示 7章9,10,14節の「大群衆」と同一の人々です。ですから,彼らには来たるべき大患難を生き残る見込みがあります。

      10 それら「ほかの羊」の一人となるには,何が求められていますか。

      10 この立派な羊飼いによって保護され,存続させられる,このような「ほかの羊」に関する聖書の描写に合致するためには,人はその羊飼いの声に「聴き」従い,自分は本当に,天の王国の本物の相続人たちを含む「一つの群れ」の一部であるという証拠を示さなければなりません。あなたはそうしておられますか。あなたはどれほどその声に注意深く聴き従っておられますか。

      11 ヨハネ 15章12節でイエスの言われた事柄にわたしたちが本当に「聴き」従っているという証拠を示すものとなるのは何ですか。

      11 あなたはきっと,イエスが,「わたしがあなた方を愛したとおりにあなた方が互いを愛すること,これがわたしのおきてです」と言われたのをご存じでしょう。(ヨハネ 15:12)そのおきてはあなたの生活にどのように影響を及ぼしていますか。あなたが示しておられる愛は,イエスが模範を示されたような愛ですか。それは本当に自己犠牲の愛でしょうか。あなたの行動や感情は,クリスチャンの会衆内のすべての人々およびご自分の家の者に対するそのような愛を示す証拠となっていますか。

      12 (イ)もしわたしたちが本当に『イエスによって教えられて』いるのでしたら,わたしたちはどれほどの変化を遂げてゆきますか。(ロ)ですから,わたしたちは聖書から物事を学んで,何をしているべきでしょうか。

      12 使徒パウロは,もしわたしたちが本当にイエスのことばを「聴き」,『彼によって教えられて』いるのなら,わたしたちの全人格が変化すると述べています。わたしたちは自分の以前の生き方に合った人格を脱ぎ去り,エホバの優れた特質を反映する「新しい人格」を着けます。(エフェソス 4:17-24。コロサイ 3:8-14)聖書を研究する際,神を喜ばせるために,個人的に調整する必要のある分野について真剣に考えておられますか。良心的にそのような変化を遂げておられますか。あなたは,イエスがわたしたちの時代のためにお命じになった肝要な業 ― 設立された神の王国の良いたよりを宣べ伝えること ― に注目し,その業にあずかる方法を求めておられますか。あなたに対する神の過分のご親切を深く感謝するがゆえに,そうしたいという心からの願いがあなたのうちに引き起こされていますか。―マタイ 24:14。

      13 (イ)もし注意しないなら,わたしたちはどのように自分の心によって誤導されるおそれがありますか。(ロ)それで,わたしたちはどの程度までキリストの足跡に従わなければなりませんか。

      13 わたしたちは自分自身の心によって誤導されるままにならないよう,十分注意しなければなりません。何百万もの人々はイエス・キリストを信じていると公言し,その教えられた事柄の幾つかを引き合いに出すことができるかもしれませんが,それらの人々は,ただ自分にとって都合のよい事柄だけを適用します。中には,甚だしく間違っていると考えられる行ないにふけるようなことは避ける人たちもいるでしょう。そのような人たちにとって,神の王国のもとで楽園となる地球上の生活の見込みは結構なことだと思えるでしょうし,それらの人はキリスト教の原則を自分たちの生活に誠実に当てはめようと努力している人々といま交わることを喜んでいるかもしれません。しかし,もし「新しい地」に生き残る人たちの一人になりたいのならば,わたしたちはイエスの言われる事柄すべてに注意深く聴き従わなければなりません。わたしたちは自分自身の歩みを首尾よく導くことができないという事実を正しく認識するのは肝要なことです。わたしたちは神のみ子,つまりエホバによってその民の救出者として任命された方の言われることに聴き従わなければなりませんし,その方の足跡に注意深く従って歩まなければなりません。―エレミヤ 10:23。マタイ 7:21-27。ペテロ第一 2:21。

  • 『彼らはもはや飢えることがない』
    新しい地へ生き残る
    • 10章

      『彼らはもはや飢えることがない』

      1 食物にかかわる世界の問題はどれほど深刻ですか。

      今日,世界が直面している主要な問題の一つは食糧にかかわる問題です。食物の価格が高いために多くの人々は困っています。他の人々は現実の飢餓に直面しています。最近の報告によれば,必要な食物がないために,毎年4,000万人 ― ある年には5,000万人もの多くの人々 ― が亡くなっています。この人数のおよそ10倍もの人々はひどい栄養不良のために苦しんでいます。中には食べきれないほどの食物を生産している国もありますが,政治的な抗争や商業上の貪欲のために多くの場合,食べ物を最も必要としている人たちに余剰食糧を届けようとする努力が妨げられています。―啓示 6:5,6と比べてください。

      2 物が豊富な国でさえ,どうして人々には憂慮すべき理由がありますか。

      2 物が豊富にあるように見える国でも,人々は不穏な将来に直面しています。それはなぜですか。多くの場合,農業の現行の生産方法は石油に依存しており,地球のその供給量には限度があるからです。また,市販の肥料に依存するあまり,地球の水資源は汚染されています。作物を守るはずの殺虫剤が余りにも大量に用いられているため,土壌の将来の生産性の頼みの綱である有機質が破壊されています。人間が努力を払っている,ほとんどあらゆる分野で重大な問題が増大し続けています。ある知識人の国際的な公開討論会の議長を務めたアウレリオ・ペッチェイは,この世界を「大災害から大災害へと傾きながら跳ね返って飛んでゆく弾丸」に例えました。このような記録を持つ世界に将来に対する希望をかけるのは現実的なことでしょうか。―エレミヤ 10:23。箴言 14:12。

      3 全人類が十分の食物に恵まれるようにすることを保証できるのはだれですか。何があなたにそのような確信を抱かせますか。

      3 何百万もの人々は,ただ神のみが与え得る助けを自分たちが必要としていることを認めてきましたが,それは分別のあることです。それらの人たちは聖書の預言を調べた結果,エホバ神がすでにその天的なみ子,イエス・キリストを即位させ,その方に地球全部を所有物としてお与えになられたことを知っています。(詩編 2:7,8)その方は,地の産物が全人類に寛大に供給されるようになることを保証する知恵と能力とを持っておられます。(詩編 72:7,8,16。コロサイ 1:15-17)現在の利己的な体制が取り除かれる時,キリストは生き残る人間の努力を導いて,全地が物をよく産する楽園となるようにされます。

      4 そのような物質の備えから益を受けるには,わたしたちは今,何をしなければなりませんか。

      4 しかし,その方の支配の益にいつまでもあずかる人たちは,人はパンだけで生きるのではないことを識別する人たち,つまり霊的な価値や,神のご意志を学んでこれを行なうことから力をくみ取る重大な必要性を正しく評価する人たちです。聖書は繰り返しこのことの重要性を強調しています。(ヨハネ 4:34; 6:27。エレミヤ 15:16)イエスも次のように述べてその点を強調されました。「『人は,パンだけによらず,エホバの口から出るすべてのことばによって生きなければならない』と書いてあります」。(マタイ 4:4)わたしたちも現在の世の終わりを生き残りたいなら,今そのような霊的な食物が必要です。ヨセフとその兄弟たちに関する聖書の記述は,どうすればそれを得ることができるかということをわたしたちのために例証するものとなっています。

      「ヨセフのところに行け」

      5 ヨセフはどのようにしてエジプトで奴隷になりましたか。

      5 神は,アブラハムのひ孫,ヨセフに,ヨセフが生活の中で際立った役割を果たすようになることを示す夢をお与えになりました。この事と,彼がその父によって特別に愛されていたこととのために,ヨセフの10人の異母兄弟はヨセフを憎みました。彼らはヨセフを殺そうと謀りましたが,ついに彼を奴隷として売り渡し,彼はエジプトに連れて行かれました。さて,ヨセフに関する神の目的はどのようにして達成されることになりましたか。―創世記 37:3-11,28。

      6 (イ)ヨセフはどうしてファラオの注意を引くようになりましたか。(ロ)ファラオを当惑させたのはどんな夢でしたか。

      6 ヨセフが30歳の時,エホバはエジプトの支配者,ファラオに二つの夢を見させ,そのために彼は悩まされました。最初の夢の中で彼は「姿が美しく肉づきの良い」7頭の雌牛と,同時に「姿が醜く,肉づきも悪い」他の7頭の雌牛を見ました。すると,そのやせた雌牛は肥えた雌牛を食べてしまいました。もう一つの夢の中でファラオは,1本の茎についた「丸く膨れた良い」七つの穂と,「やせて東風に焦がされた」ほかの七つの穂を見ました。またもや,そのやせたのが丸く膨れたのを食い尽くしてしまいました。このすべては何を意味していましたか。エジプトの知者はだれ一人,その夢を解き明かすことはできませんでした。しかし,ファラオの献酌人が,かつて獄にいた時,仲間の囚人,ヨセフが夢を正確に解き明かしたことを思い起こしました。ファラオは早速ヨセフを呼び出しました。―創世記 41:1-15。

      7 (イ)ヨセフはどのようにしてエジプトの食糧管理者となりましたか。(ロ)飢きんがひどくなった時,エジプト人は生きてゆくために何をしましたか。

      7 ヨセフは己に誉れを求めることなく,ファラオにこう語りました。「ファラオの夢はただ一つのことです。まことの神はその行なおうとしておられる事をファラオにお告げになったのです」。(創世記 41:16,25)ヨセフは,2番目の夢も最初の夢と同じ意味であることを説明し,その確かさを強調しました。エジプトで7年の豊作の後に7年の飢きんが続くことになっていました。彼は飢きんに備えて豊作の年の間に穀物を貯蔵して管理する有能な人を立てるようファラオに勧めました。ファラオは確かに神がこのすべてをヨセフに明らかにしたことを認め,ヨセフを食糧管理者として任じ,エジプトにおいてファラオの権威に次ぐ権威を彼に与えました。予言どおり,異常なまでの豊作の7年が訪れ,ヨセフは膨大な量の食糧を貯蔵させました。それから,予告されていた飢きんがその地を固く捕らえました。人々がパンを求めてファラオに嘆願すると,彼は,「ヨセフのところに行け。何でも彼の言うところを行なうのだ」と答えました。それでヨセフは彼らに穀物を売り,最初は金で支払わせ,やがて家畜で支払わせ,そしてついには身柄と土地とを引き換えにして支払わせました。彼らは生き続けるために,その身をファラオへの奉仕のために完全に引き渡さなければなりませんでした。―創世記 41:26-49,53-56; 47:13-26。

      8 (イ)ヨセフの異母兄弟は,必要な食糧を得るために何をしなければなりませんでしたか。(ロ)この記録はなぜ保存されてきましたか。

      8 同時に,その飢きんはエジプトの周りの土地にも影響を及ぼしました。やがてヨセフ自身の異母兄弟がカナンから下って来ました。彼らがヨセフを奴隷として売り渡してから20年余りたっていたので,彼らはその兄弟を見分けることができませんでした。彼らはヨセフの夢の中でずっと前に予告されていたとおり,彼の前で身をかがめ,食糧を請い求めました。(創世記 37:6,7; 42:5-7)ヨセフは巧みに兄弟たちを試み,自分と父に対する彼らの態度が本当に変化したことを示す,納得のゆく証拠を見いだしました。ついに彼は自分がだれであるかを明らかにし,神が彼らに先立って自分をエジプトに遣わしてくださったのは,実際,「命を長らえさせるため」であったということを説明しました。ヨセフの指図で彼らは父と家族の者たちをエジプトに移動させました。(創世記 45:1-11)このすべてはわたしたちの益のために記録されており,その預言的な意義は今日の出来事と関係があります。―ローマ 15:4。

      わたしたちの飢えと渇きを今充足させる

      9 (イ)今日の世界はどうして霊的な飢きんに見舞われているのでしょうか。(ロ)これはなぜ人類の諸問題の根本原因の一つですか。

      9 人類の諸問題の根本原因の一つは霊的な飢きんです。人類はエホバを見捨てたために,エホバはそのみ言葉を理解することを人類に許しておられません。その結果,彼らは『パンの飢きんではなく,水の飢きんでもなく,エホバの言葉を聞くことの飢きん』に遭っています。(アモス 8:11)霊的に飢えた人々は,人生にはどんな意味があるのか,人々はなぜ死ぬのか,将来に対する真の希望が果たしてあるのか,などという重要な疑問の答えを模索しています。そのような人々は霊的な飢えのために正気を失い,多くの場合,自分たちの渇望を充足させようとするあまり,不道徳な行為や犯罪行為にかかわって,自分自身と他の人々を傷つけています。

      10 (イ)イザヤ 65章13,14節の成就として,エホバの僕たちの間にはどんな状態が見られますか。(ロ)霊的な飢きんと霊的な豊作の期間は,いつの時期に当たりますか。

      10 これとは対照的に,エホバはご自分の忠節な僕たちのために霊的に豊かなものを与えてこられ,彼らの間には純粋の愛があります。エホバは,ご自分が霊感を与えて記させたみ言葉の中の人に満足を与える真理を明らかにして,彼らが理解できるようにさせ,ご自分の証人として行なうべき仕事を彼らにお与えになりました。彼らはそれらの真理を,霊的に飢え渇いて,神との関係において命を求める他の人たちと喜んで分かち合います。(イザヤ 65:13,14。ルカ 6:21)古代エジプトでは当時,7年の豊作に続いて7年の飢きんが生じました。しかし,現代においては霊的な飢きんと霊的に豊かに恵まれている期間は時を同じくして進行しています。

      11 (イ)ファラオとヨセフはそれぞれだれを予表していますか。それはどうしてですか。(ロ)「大群衆」の取る道は,飢きんに見舞われたエジプト人のそれとどのように似ていますか。

      11 今日,支配者はファラオではありません。大いなるファラオであるエホバ神は宇宙主権者です。エホバはイエス・キリストにご自分の権威に次ぐ権威をお授けになりました。大いなるヨセフであるイエスは,命を支える霊的な食物を分配する責任をエホバから委託された方です。この世の宗教的ならびに一般的な人生哲学のために人類は霊的な飢えで責めさいなまれるままにされています。ただイエス・キリストに頼り,イエスの指図なさる仕方で霊的な食物を得てはじめて,彼らは養ってもらうことができるのです。飢きんに見舞われたエジプト人によって予表されていた何百万もの人々は,そのようにして養われています。それらの人々はイエス・キリストを通してエホバに,時の限りを定めずに全く献身し,そのようにして来たるべき神の憤りの日に生き残る者となる見込みのある大群衆の中に含められています。

      12 (イ)天におられるイエスは,どのようにして霊的な食物をこの地上のわたしたちが得られるようにしておられますか。(ロ)「忠実で思慮深い奴隷」の実体を,納得のゆく仕方で見分けさせるものとなるのは何ですか。

      12 しかし,イエスは天におられます。どのようにして,この地上にいるわたしたちに益をもたらす霊的な食物を備えておられるのでしょうか。イエスはご自分の「忠実で思慮深い奴隷」を通してそのようにすると予告されました。(マタイ 24:45-47)それは,なお地上にとどまっている,霊によって油そそがれた者たちの会衆で成り立っている,複合的な「奴隷」です。(イザヤ 43:10と比べてください。)そのような人々の残りの者は依然として地的な舞台にとどまっています。この真のクリスチャン会衆は,その教えと行ないを聖書と比べることによって,容易に見分けることができます。その会衆は純粋に,イエスのお命じになった事柄を教えています。ですから,それは世の政治的な事柄にかかわりを持たず,かえってその成員はすべて神の王国を公にふれ告げる人たちです。それらの人々はキリスト教世界の諸教派の中で分裂したりしてはいません。それらの人々はイエスが言われたとおりに結ばれており,彼らはすべてその主に見倣ってエホバの証人となっています。(ヨハネ 17:16,20,21; マタイ 24:14; 28:19,20; 啓示 1:5を参照してください。)彼らは霊的に豊かなものを享受し,大いに喜んでそれを他の人々と分かち合っています。

      13 (イ)多くの人々はどのようにして,自分がヨセフの10人の異母兄弟のような者であることを示してきましたか。(ロ)わたしたちはすべて,どうすれば,キリストが「奴隷」級を通して備えてくださる霊的な食物から益を受けられますか。

      13 多くの人々はそれら油そそがれたクリスチャンをあざけって,『あなた方は自分たちのほうがわたしたちよりも勝っていると考えているのですか。自分たちだけが正しいのだと考えているのですか』と言ってきました。しかし,やがてある人々は,エホバが確かに地上に証人たちを持っておられ,それら証人たちは本当にエホバの言葉をふれ告げていることを謙遜に認めます。それらの人々は,唯一のまことのクリスチャン会衆があって,その成員は結ばれていることを聖書が示しているという事実を正しく評価するようになります。(エフェソス 4:5。ローマ 12:5)そのような人々は諸事実を正直に,また謙遜に調べて,その組織に導かれて来ました。ヨセフの10人の異母兄弟は,イエスの油そそがれた追随者たちを以前迫害したり,あるいはそうした迫害者たちを精神的に支持したりしましたが,今では本当に心を変化させたことを明らかに示している,そのような人々を予表していました。(ヨハネ 13:20)それらの人々はイエス・キリストがその『忠実な奴隷』級を通して備えてくださる霊的な食物を受け入れています。彼らは,ものみの塔の出版物の中で論じられている聖書の真理で自分を養い,エホバの証人の集会に定期的に出席し,そして神のご意志を行なう業に活発にあずかるにつれ,霊的な強さを得ています。あなたもこれらの謙遜な人たちの一人ですか。―ヘブライ 10:23-25。ヨハネ 4:34と比べてください。

      14 この聖書劇から学べる原則にしたがって生活する人たちは,どんな霊的な状態を享受しますか。

      14 こうして,愛の気持ちから自分の命をイエス・キリストを通して自分たちの創造者に自由に用いていただけるようにする人たちはすべて,人を幸せにし,さわやかにするものを享受します。霊的に,『彼らはもはや飢えることも渇くこともありません……み座の真ん中におられる子羊[イエス・キリスト]が,彼らを牧し,命の水の泉に彼らを導かれるからです』。―啓示 7:16,17。イザヤ 25:6-9。

  • 「バビロンの中から出て逃げよ」
    新しい地へ生き残る
    • 11章

      「バビロンの中から出て逃げよ」

      1 (イ)どんな崇拝が神に喜ばれるかは,どうすれば分かりますか。(ロ)神はわたしたちが何から逃げるよう促しておられますか。

      人生に関する疑問の満足のゆく答えを求めて,一つの宗教から他の宗教へと遍歴してきた人たちは少なくありません。そのような人たちは信条や慣行にある種の類似点を見いだしていますが,また数多くの相違点をも見いだしています。しかし,神のみ言葉を指針として用いることによってはじめて,人はだれでもどの答えが真実か,どんな慣行が本当に神に喜ばれるものかを確かめることができます。創造者はご自身とその目的を聖書によってわたしたちに知らせてくださいます。創造者はまた,偽りの崇拝の根源を暴露して,わたしたちに見させてくださいます。そうすることによって,創造者はご自分が「大いなるバビロン」として描写しておられるものに気をつけるよう,わたしたちに警告し,その中から『逃げる』よう,わたしたちに促しておられます。あなたはその警告に留意しておられますか。―啓示 18:4,21。エレミヤ 51:6。

      2 「大いなるバビロン」とは何ですか。

      2 「大いなるバビロン」とは何ですか。総体的に見て,大いなるバビロンは,古代バビロンの宗教に根源を有する態度,信条あるいは慣行を唱道する宗教すべてによって構成されています。ですから,その実体を明らかにする特徴は,古代バビロンそのものの起源と宗教を調べることによって見定めることができます。

      3 (イ)古代のバビロンはどのようにして始まりましたか。その創設者はどんな精神を助長しましたか。(ロ)今日,さまざまな宗教はその精神をどのように反映していますか。

      3 ノアの時代の大洪水から優に1世紀以上たった後,バベル(後のバビロン)の都は一つの塔を中心にして築かれました。それは明らかにニムロデによって推進された企画でした。このニムロデはその仲間の者たちのうちにエホバに対する反逆の精神と自分自身を目立たせようとする欲望を生じさせました。(創世記 10:9,10; 11:1-9)あなたは今日,そのような精神に気づいておられますか。つまり,信心深い者であると唱えている人々でさえ神のみ言葉を軽視しており,自分自身に注意を引いたり,あるいは自分を目立たせようとさえしたりするために宗教が用いられていることにお気づきですか。

      4 バビロン的な宗教は,神に関する真理をどのようにゆがめましたか。

      4 バビロニア人の宗教の中では三つ組の神々が目立った存在でした。アヌ,ベルおよびエアで成る三つ組の神もありましたし,もう一つはシン,シャマシュおよびイシュタルで成るものでした。それに加えて,バビロンの各地の礼拝所は偶像で満ちていました。このすべては,エホバという名を持っておられる,ただおひとりのまことの神が存在するという事実からも人々の注意をそらせるものでした。(申命記 4:39。ヨハネ 17:3)命のない偶像が用いられるとともに,それらの神々に帰せられた特質や行為のために,多くの人々は創造者に関してゆがめられた見方を持つようになりました。―エレミヤ 10:10,14; 50:1,38。コリント第一 10:14,19-22。

      5 (イ)死に関するバビロニア人の信仰は,実際にはエバに対するサタンのうそをどのように粉飾したものですか。(ロ)この事から他のどんな教えが生じましたか。

      5 バビロニア人は死とは単に別の命に移ることにすぎないと信じていましたが,これは神がわたしたちの最初の二親に話された事柄と相反する考え方でした。ギリシャ人の哲学者たちはこの考え方を広げて,人間には不滅の魂があると述べました。悪魔の最初のうそは,たとえアダムとエバが神に背いても,二人は肉体においては『決して死なない』と言うことでした。今や,人々は,永久に生きるのは,自分たちの見ることのできない,自分たちの内部にあるものなのだと教えられたのです。この偽りの教えのために,地獄の火,煉獄,先祖崇拝その他さらに多くの事柄に対する信仰が生まれるようになりました。―創世記 3:1-5。伝道の書 9:5,10。エゼキエル 18:4。

      6 (イ)今日,普通に見られる他のどんな慣行の根源はバビロニア人の宗教にありますか。(ロ)これはどれほど重大な事柄ですか。

      6 バビロニア人の宗教にはまた,占星術,占い,魔術および魔法などの慣行も含まれていましたが,人々はこのような方法で,自分自身を富ませたり,他の人々を支配したりするために用い得る超自然的な導きを求めてきました。(ダニエル 2:27。エゼキエル 21:21)これらの慣行はみな聖書の中では気をつけるよう警告されているにもかかわらず,今日,何と一般的に行なわれているのでしょう。人々はそのようなことを行なって,直接悪霊たちの思うつぼにはまっていますが,それら悪霊たちは自分たちが授ける恵みに対する苛酷な代償を要求するのです。―申命記 18:10-12。イザヤ 8:19。使徒 16:16。啓示 18:21,23。

      7 大いなるバビロンが,(イ)政治上の支配者たちとの不倫な関係と,(ロ)莫大な富を持っていること,また(ハ)流血の責任を持っていることを示す,どんな証拠がありますか。

      7 聖書は大いなるバビロンの実体をさらに明らかにして,同バビロンと政治上の支配者との不倫な関係,その富,および神の真の僕たちに対する責任を含め,同バビロンの流血の罪に対する責任について述べています。(啓示 17:1-6; 18:24)これらの点での世界の諸宗教の記録は周知のとおりです。

      真理に対するあなたの愛はどれほど大きなものですか

      8 大いなるバビロンの神は実際にはだれですか。

      8 もし人が大いなるバビロンの何らかの部分に属して,その祝祭にあずかったり,あるいはその道を見倣ったりするなら,だれが誉れを受けますか。確かにエホバではありません。それどころか,そのような人は実際には,人間の思いをくらましてきた「この事物の体制の神」の前で身をかがめているのです。―コリント第二 4:4。

      9 サタンがそれほど多くの人々を宗教的に惑わすなどということがどうしてあり得るのでしょうか。

      9 それにしても,それほど多くの人々がこのような仕方で惑わされるなどということがどうしてあり得たのでしょうか。それらの人々は,『真理への愛を受け入れなかったゆえに』サタンのわなの犠牲になってきたのだと聖書は答えています。(テサロニケ第二 2:9-12)これは驚くには当たりません。家庭でも,仕事をしている時でも,自分の欠点に直面する時でも,つまりいつでも真実を語る人々を,あなたは何人ご存じですか。聖書,つまり神の真実の言葉が述べることを示される時,どれほど多くの人々が自分たちの以前の信仰や習慣を喜んで捨てる,すなわち自分の生活様式を変えたり,聖書に合わせたりするでしょうか。あなたはいかがですか。

      10 (イ)エホバはどのような人々を求めておられますか。(ロ)わたしたちはどうすれば,自分がそのような人であることを示せますか。

      10 エホバは真理に対するそのような愛を抱く人々を求めておられます。エホバご自身が「真理の神」であられます。(詩編 31:5)そのみ言葉の教えは想像の所産ではありません。それは真理です。イエスはサマリアの一婦人に向かって,『真の崇拝者は霊と真理をもって父を崇拝するでしょう。……実際,父は,ご自分をそのように崇拝する者たちを求めておられるのです。神は霊であられるので,神を崇拝する者も霊と真理をもって崇拝しなければなりません』と言われました。(ヨハネ 4:23,24)あなたはそのような人になりたいと願っておられますか。

      解放のための神の備え

      11 (イ)イザヤ 49章8,9節には,どんな事が予告されていますか。(ロ)それはいつ最初の成就を見ましたか。(ハ)それはなぜわたしたちにとって興味深い事柄ですか。

      11 エホバはわたしたちに対する導きを備えるため,バビロンの圧制的な支配からの救出に関する約束を,ずっと前に聖書の中に記録させておられました。その約束はキュロス大王がユダヤ人と共に非イスラエル人のネティニムをも解放した時に成就を見たので,彼らはエホバの神殿を再建するためにエルサレムに戻ることができました。しかし,それがその約束に関するすべてだったのではありません。当時起きた事柄は,大いなるキュロス,つまり主イエス・キリストによってもたらされる,それ以上の救出を指し示していました。その方の指導に従うなら,わたしたちは単に自分自身を目立たせようとするだけの人々によって惑わされないよう保護されます。次のように語られた預言は特にイエスに当てはまるものでした。「エホバはこのように言われた。『わたしは善意の時にあなたに答え,救いの日にあなたを助けた。わたしは絶えずあなたを保護した。あなたを民のための契約として与えるためであった。それは土地を復興させ,荒廃した世襲所有地を再び所有させ,捕らわれ人たちに「出よ!」と言い,闇にいる者たちに「現われよ!」と言うためだったのである』」。(イザヤ 49:8,9)この言葉はどのようにイエスに成就しましたか。

      12 (イ)その預言はどのようにイエスに成就しましたか。(ルカ 4:16-18)(ロ)この事には,わたしたちにとってどんな励ましとなる事柄がありますか。

      12 エホバはイエスの祈りにお答えになりました。そして,イエスが勇敢に宗教的な虚偽を暴露して,『人を自由にする真理』を知らせた時,確かにみ子を助け,保護されました。(ヨハネ 8:32)イエスを滅ぼそうとするサタン的な努力がなされたにもかかわらず,エホバは地上におけるみ子の業が成し遂げられるまで,み子の命を守られました。それから,イエスをよみがえらせて天で不滅の命を得させ,そこでその解放の業を続けられるようにされました。神はイエスを,人々が大いなるバビロンへの隷従から自由にされることになるという「契約」,もしくは保証としてお与えになりました。復活させられて,栄光をお受けになったイエス・キリストが確かに天におられるのと全く同様,正しい心を持つ人々が大いなるバビロンの宗教的な暗闇から救出されるのもまた,確かなことです。あなたもそのような救出の益にあずかりますか。

      13 西暦36年以降,イエスはどのようにして「諸国民の光」となられましたか。

      13 その解放の範囲に関してエホバは次のように予告されました。「わたしはまた,諸国民の光のためにあなたを与え,わたしの救いが地の果てに至るようにさせた」。(イザヤ 49:6)ゆえに,西暦36年には異邦人,つまりユダヤ国民ではない人々が霊的イスラエルの会衆に導き入れられるようになりました。こうして,異邦人が霊によって油そそがれたクリスチャンの会衆に加えられましたが,これで「諸国民の光」としてのイエスの役割が限界に達したわけではありません。

      14 (イ)イエスは「諸国民」からのほかのどんな人々のためにも光となることになっていましたか。(ロ)それらの人々は古代のバビロンを去ったどんなグループの人々によって予表されていましたか。(ハ)イザヤ 49章10節の成就として,彼らはすでにどんな霊的な祝福を享受していますか。

      14 イエスはご自分がさらに,地上でとこしえの命を享受する「ほかの羊」を集めるようになることをご存じでした。(ヨハネ 10:16)それらの人たちは,西暦前537年にバビロンから脱出するユダヤ人に加わった,ソロモンの僕たちの子らと,イスラエル人ではないネティニムによって予表されていました。(エズラ 2:1,43-58)現代におけるそれらの人々の大群衆はすでに,大いなるバビロンから「出なさい」という命令に留意してきました。それらの人たちは今,「彼らは飢えることも,渇くこともない。また,焼けつくような熱や太陽が彼らを打つこともない。彼らに哀れみを抱いている方がこれを導いて,水の泉のほとりに導くからである」と述べる,イザヤ 49章10節で予告されていた,人をさわやかにする霊的な祝福を享受しています。啓示 7章9,16,17節ではこれらの祝福が適切にも「ほかの羊」の「大群衆」に適用されています。

      『わたしの民よ,彼女から出なさい』

      15 聖書はなぜ,神の民となる人たちに大いなるバビロンを出るよう促していますか。

      15 霊感によって見せられた幻の中で使徒ヨハネは,神の裁きの執行が大いなるバビロンにとって何を意味するかを示されました。その執行が確かであるゆえに,天からのひとりのみ使いは神に代わって話し,次のように促しました。「わたしの民よ,彼女の罪にあずかることを望まず,彼女の災厄を共に受けることを望まないなら,彼女から出なさい。彼女の罪は重なり加わって天に達し,神は彼女の数々の不正な行為を思い出されたのである」― 啓示 18:4,5。

      16 自分が本当にその命令に留意しているかどうかを示すものとなるのは何ですか。

      16 霊的イスラエルの成員はその命令に留意してきましたし,今はそうするよう他の人たちを促しています。もし人が真の崇拝と偽りのそれとを一緒にするなら,神を喜ばせることはできないことを,それら成員たちは知っています。もし,だれかがエホバの証人と交わっていながら,依然として大いなるバビロンとの結びつきを断っていないなら,どうしてその人は大いなるバビロンの一部ではないと言えるでしょうか。たとえその礼拝式に決して出席しないとしても,もし職場で,あるいは親族と共に宗教的な祝日に参加するなら,その人は依然として汚れたものに触れていることになります。(イザヤ 52:11)もし,魂の不滅性に対する信仰や悪霊に対する迷信的な恐れを反映する家族的なしきたりに加わるなら,その人は依然として大いなるバビロンの罪にあずかっていることになります。どっちつかずの態度を取ることはできません。もしエホバがまことの神であることを信ずるのなら,ただその方だけに仕えなければなりません。―列王第一 18:21。

      17 (イ)啓示 14章6,7節で示されているように,何をするよう,あらゆる場所の人々が招かれていますか。(ロ)受け入れられる仕方でエホバを崇拝するには,それらの人々はほかのどんな命令に従わなければなりませんか。

      17 「唯一まことの神であられるエホバの崇拝に加わりなさい!」という魅力的な招待が,あらゆる国民,部族および国語の人々に差し伸べられています。(啓示 14:6,7)その招きに応ずるには,あなたもまた,「バビロンの中から出て逃げよ。各々自分の魂を逃れさせよ」という命令に留意した,古代の神の僕たちに見倣わなければなりません。―エレミヤ 51:6。

  • 滅びるか,生き残るか,どちらの人であることが明らかにされていますか
    新しい地へ生き残る
    • 12章

      滅びるか,生き残るか,どちらの人であることが明らかにされていますか

      1 この章ではどんな疑問を考慮するよう励まされますか。

      今日存在する宗教事情からすれば,わたしたちは,心の中の本当の自分を示すよう求められています。わたしたちは本当にエホバとその道を愛していますか。そのみ子,イエス・キリストに対して,「あなたは義を愛し,不法を憎んだ」と言われていますが,わたしたちはそのような人でしょうか。(ヘブライ 1:9)わたしたちはそのことを喜んで公にはっきりと示し,他の人々がわたしたちの立場を知ることができるようにしていますか。エヒウおよびレカブの子エホナダブに関する聖書の記録は,自分の立場を吟味するのに助けとなります。

      2 エヒウとエホナダブはどんな人でしたか。

      2 西暦前10世紀のこと,エヒウはサマリアを首都とするイスラエルの十部族王国の王となるべく油そそがれました。彼は王妃イゼベルを含め,王アハブの邪悪な家に属する者たちすべてを滅ぼすよう任命されました。このイゼベルはイスラエルでバアル崇拝を促進し,エホバの崇拝を根絶することに努めていました。エヒウに会おうとして出てきたケニ人(したがって,イスラエル人ではない)エホナダブは,エヒウの刑の執行計画について知っていたに違いありません。しかし,エホバに対するエホナダブの愛はどれほど強いものでしたか。彼は自分が,まことの神であられるエホバだけが崇拝されなければならないと固く信じている者であることを公に明らかにしたでしょうか。

      「あなたの心は,わたしと共にあって廉直ですか」

      3 エホナダブはエホバの崇拝に関する自分の立場をどのようにして公に知らせましたか。

      3 その二人があいさつを交わした後,エヒウはエホナダブに自分の立場を明らかにするよう求めました。エヒウは,「わたしの心があなたの心と共にあるように,あなたの心は,わたしと共にあって廉直ですか」と尋ねました。エホナダブはためらうことなく,「そうです」と答え応じました。エヒウは,「もしそうなら,あなたの手をぜひわたしに出しなさい」と言いました。そこで彼はエホナダブを自分の戦車に乗り込ませ,「ぜひ,わたしと共に進んで行き,わたしがエホバと張り合う関係を一切認めていないのを見なさい」と言いました。エホナダブは恐れてしりごみしたりはしませんでした。―列王第二 10:15,16。申命記 6:13-15を参照してください。

      4,5 (イ)エヒウはどんな方法で,バアルの崇拝者たちに自分がだれであるかを明らかにさせましたか。(ロ)それから,エヒウはどんな行動を起こしましたか。エホナダブはどこにいましたか。(ハ)バアル崇拝者たちのその滅びに,あなたはどのように反応しますか。

      4 サマリアに着いたエヒウは,バアルを崇拝する者たちすべてに自分がだれかを明らかにさせる処置を講じました。預言者,祭司およびバアルの崇拝者たちすべては,バアルの家における立派な犠牲の傍らに呼ばれました。彼らは,出席しない者はだれでも命を失うことになると通告されました。エヒウはバアル崇拝者すべてが着用して,自分がだれであるかを明らかにさせるようにするため,衣を支給するよう指示しました。エホバを崇拝していると唱える者もまた,こうして自分が実際にはだれに仕えているかを示すよう求められました。それはバアルとバアルが実際に表わしていた偽りの神である悪魔サタンにとって輝かしい時となるように見えました。

      5 それはエホバの真の崇拝者たちのための場所ではありませんでした。ただバアルの崇拝者たちだけが居合わせていることを確かめるために調査がなされました。それから儀式が始まりました。その間,エヒウの部下たちは外で用意をし,エヒウの合図に従って行動を起こしました。彼は,「彼らを討ち倒せ! ひとりも出て行かせるな」と命じました。バアルの崇拝者たちはみな滅ぼされ,バアルの家は取り壊されました。「こうして,エヒウはイスラエルからバアルを滅ぼし尽くした」のです。エホナダブはエヒウの傍らでこれらの出来事を目撃しました。(列王第二 10:18-28)その起きた事柄に対してあなたは個人的にどう反応なさいますか。わたしたちはだれ一人他の人々,たとえそれが邪悪な者たちであっても,その死を喜ぶわけではありませんが,そのような事柄がなぜ必要だったのか,また今日,わたしたちが読めるよう聖書の中に記録されたのはなぜかということを正しく評価しているでしょうか。―エゼキエル 33:11と比べてください。

      6 (イ)大いなるバビロンはどのようにして滅ぼされますか。(ロ)イエスは地上におられたとき,エホバと張り合う関係を一切認めない態度をどのように示されましたか。

      6 この記述はさまざまな宗教団体に属する建造物を破壊したり,あるいは偽りの崇拝を熱烈に信奉する人々を滅ぼしたりする権限をわたしたちに与えるものではありません。エホバはご自分の義にかなった裁きを執行させるために,その現代の証人たちではなく,栄光をお受けになったイエス・キリストを,大いなるエヒウとして任命されました。この天的な王は,連合した政治上の諸強国が大いなるバビロンに対する自分たちの憎しみを表明するのを許すことによって,偽りの宗教の世界帝国の絶滅を生じさせることになります。(啓示 6:2; 17:16; 19:1,2)イエスは地上におられたとき,悪魔に誉れをもたらすことになる,ただ一度の崇拝行為をさえしようとはされませんでした。イエスは人間の伝承の代わりに神のみ言葉を退けることや商業的利益のために神の崇拝を利用することを公然と非難されました。エホバと張り合うような関係は一切認めませんでした。―ルカ 4:5-8。マタイ 15:3-9; 21:12,13。

      7 (イ)バアル崇拝を示す現代の証拠の幾つかを挙げなさい。(ロ)王としてのキリストはなぜこのような事を許容しておられるのでしょうか。

      7 では,今敵のただ中で支配しておられるキリストは,現代のバアル崇拝が一見繁栄しているように見える状態をなぜ許しておられるのですか。またどうして,人々がエホバのご要求を押しのけ,この事物の体制の神を敬いながら,うまくやりおおせそうに見えるままにしておかれるのでしょうか。人々が自分たちの性的不道徳に対して,まるで神は異議を唱えていないかのように振る舞ったり,物質主義の生き方を称賛したり,クリスチャンと称しながら,心霊術に類する行為にふけったり,バビロン的な教理をまるで神の言葉でもあるかのように教えたりするのを,どうしてキリストは許容しておられるのでしょうか。それは人々を試みて,彼らがだれを崇拝しているかを外面的に示させ,こうして彼らが保護されるか,あるいは処刑されるか,そのどちらがふさわしいかを明らかにさせるためであることを,その古代の劇は示しています。

      8 わたしたちはどんな重大な質問を自分自身にしてみる必要がありますか。

      8 あなたはどんな道を選ばれましたか。自分が現代のバアル崇拝を行なう者であることを明らかにする恐れのある慣行をすべて捨てましたか。あなたは世から離れて,エホバの真の崇拝者としての立場を取られましたか。―コリント第二 6:17。

      9 (イ)もしわたしたちが本当にエホナダブに似ているなら,わたしたちは何をしていることになりますか。(ロ)参照されている聖句は,その重要性をどのように強調していますか。

      9 非イスラエル人でエホバの崇拝者であったエホナダブは,地上におけるとこしえの命の希望をもって今集められている「ほかの羊」を予表していました。あなたはエホナダブの精神を表わしておられますか。あなたはご自分が大いなるエヒウ,および迫り来る「わたしたちの神の側の復しゅうの日」をふれ告げている地上の,その油そそがれた追随者たちの仲間であることを喜んで公に示しておられますか。あなたはその緊急な業に彼らと共にあずかっておられますか。(イザヤ 61:1,2。ルカ 9:26。ゼカリヤ 8:23)あなたはエホバに全き専心を示し,エホバがあなたの心の中に占めるべき場所を何ものにも侵させないようにしておられますか。(マタイ 6:24。ヨハネ第一 2:15-17)あなたの生活は,エホバとの関係があなたの最も貴重な所有物であって,他の一切のものはそれを中心にして築かれていることをはっきり示すものとなっていますか。―詩編 37:4。箴言 3:1-6。

      あなたは印を持っていますか

      10 聖書はエホバの崇拝者たちだけが生き残ることをどのように示していますか。

      10 もし人が“良い”生活を送ることに努め,神のみ言葉の中で明確に非とされている事柄を行なう宗教を避けるなら,それ以上何も要求されていないと結論するのは,重大な間違いです。「新しい地」に生き残ることを望む人々もすべて,やはり,エホバの崇拝者であることが間違いようのないほどに明らかにされなければなりません。(啓示 14:6,7。詩編 37:34。ヨエル 2:32)この知らせは,エルサレムが西暦前607年に滅ぼされる前に,預言者エゼキエルに与えられた幻の中で伝えられています。

      11 (イ)エゼキエル 9章1-11節に記録されている幻について述べなさい。(ロ)生き残るためのかぎとなったのは何でしたか。

      11 エゼキエルは,不忠実なエルサレムとその住民を滅びに陥れるよう任じられた者たちをエホバが呼び出されるのを聞きました。彼は打ち砕くための武器を持った6人の者を見ましたが,同時に亜麻布をまとって,腰に書記官のインク入れを帯びている一人の人がいました。エホバは最初に,この亜麻布をまとった人にこう言われました。「都の中,エルサレムの中を通れ。その中で行なわれているすべての忌むべきことのために嘆息し,うめいている者たちの額に,あなたは印を付けなければならない」。それからまた,ほかの6人の者たちにこう言われました。「彼のあとについて都の中を通って行き,討て。あなたの目は惜しみ見てはならない。同情を抱いてはならない。あなた方は,老人も,若者も,処女も,小さな子供も,女たちも殺し尽くさなければならない ― 破滅に至らせるのである。しかし,身に印のある者にはだれにも近づいてはならない。あなた方はわたしの聖なる所から始めるべきである」。エゼキエルはそれに続いて生じた滅びを幻の中で見ましたが,それがあまりにも大規模だったので,依然その地にいたイスラエルの者がみな滅びに陥れられているかのように思えました。(エゼキエル 9:1-11)生き残るためのかぎとなったのは何でしたか。それは書記官のインク入れを持つ人によって額に付けられた印でした。

      12 (イ)印を付けられた者たちが,そのために「嘆息し,うめいて」いた忌むべきこととは何でしたか。(ロ)エホバはなぜそのような事を嫌悪されたのでしょうか。

      12 ただ,エルサレムで行なわれていた「すべての忌むべきことのために嘆息し,うめいている」人たちだけが,生き残る者として印を付けられました。その「忌むべきこと」とは何でしたか。次のような五つの事柄が列挙されています。(1)エホバの神殿の奥の中庭の入り口の所にあった「ねたみの象徴」。それがどんな形のものであったにせよ,イスラエル人はそれをエホバに示すべき専心の対象にしていました。(列王第一 14:22-24)(2)壁に刻まれた,はうものや獣の彫り物。しかも神殿の構内ではその彫り物の前で香がささげられていました。(3)タンムズ神の死を悼んで泣く女たち。タンムズはエホバに背いた反逆者ニムロデの別名です。(創世記 10:9)(4)エホバの神殿に背を向け,太陽に向かって身をかがめて,あきれるほどの不敬な態度を示す男たち。(申命記 4:15-19)(5)決定的な侮辱として,人々はその地を暴虐行為で満たすとともに,おそらく性器の象徴と考えられる「若枝」をエホバの鼻に向かって突き出していました。エホバがなぜそのようなことを嫌悪されたのかお分かりですか。―エゼキエル 8:5-17。

      13 (イ)それらの「忌むべきこと」に匹敵できる現代の慣行を一度に一つずつ取り上げて,注解を述べなさい。(ロ)こうした慣行について,あなたはどのように感じていますか。

      13 あなたはそれら「忌むべきこと」に匹敵する,キリスト教世界の次のような現代の慣行に対して,どのように反応なさいますか。(1)同世界の多くの教会には偶像があって,聖書は偶像崇拝に気をつけるよう警告しているのに,人々はそれら偶像の前で身をかがめて崇拝を行ないます。(コリント第一 10:14。列王第二 17:40,41と比べてください。)(2)同世界は神による創造の代わりに,動物からの人間の進化を主張する,すう勢に同調するとともに,国家の象徴として用いられる,動物や鳥を描いたものの前で熱烈な専心を表明することに加わります。(3)同世界は崇拝の面では,昔からタンムズの宗教的な象徴であった十字架を呼び物にしており,ニムロデの精神を表わす,流血の戦争で死んだ者たちを追悼する儀式に加わります。(しかし,ヨハネ 17:16,17を参照してください。)(4)同世界は神がそのみ言葉を通して述べておられる事柄に背を向け,むしろ現代科学や人間の哲学の提供する“啓発”を好みます。(テモテ第一 6:20,21。エレミヤ 2:13と比べてください。)(5)それでも十分ではないかのように,同世界は場所によっては革命を支持しており,神の名によって語ると唱えながら,性的不道徳を大目に見る態度を取っています。(ペテロ第二 2:1,2)中には,これを自由主義的な傾向と考える人々もいます。それらの人々はこうした傾向すべてに同意するわけではないとしても,他の傾向に共に応じたり,あるいは少なくとも大目に見たりするかもしれません。人類の創造者から人々を遠ざけ,神を辱めるこうした慣行について,あなたはどのように感じておられますか。

      14 諸教会に幻滅を感じているからといって,その人が必ずしも生き残る者となるわけではないのはなぜですか。

      14 多くの人々は諸教会に幻滅を感じて,もはや集会に出席していません。それらの人々はまた,世の中の暴力行為や不正のために大いに当惑させられているかもしれません。しかし,そうだからといって,必ずしもそれらの人々が生き残る者として印を付けられているわけではありません。人々は「書記官のインク入れを帯びている人」によって印を付けてもらわなければなりません。諸事実は,「忠実で思慮深い奴隷」級が今日その印を付ける仕事をしていることを示しています。―マタイ 24:45-47。

      15 (イ)その印とは何ですか。(ロ)人はどのようにしてそれを付けてもらいますか。

      15 神の是認を得ている者として印を付けてもらいたいと思う人々はすべて,エホバがその「奴隷」級を通して与えておられる指図を受け入れ,エホバの真の崇拝者とならなければなりません。口ではエホバを敬いながら,実際には世の道を愛する人であってはなりません。(イザヤ 29:13,14。ヨハネ第一 2:15)そのような人たちはエホバとその規準を愛さなければならず,エホバを辱める教えや慣行のために「嘆息し,うめいて」心の中で悲しまなければなりません。だれ一人として文字通りのインクで額に印を付けてもらうわけではありません。しかし,象徴的な印を持っていれば,献身してバプテスマを受けたクリスチャンとして,エフェソス 4章24節で描写されている「新しい人格」を身に着けていることがすべての人々に明らかになります。そのような人々は生きた信仰を持っており,エホバに誉れをもたらす事を行なうよう公にも,また個人的にも努力を払います。単にキリスト教世界から出て来た人たちだけでなく,油そそがれた人たちの級の仲間として「新しい地」に生き残ることを望む人々はすべて,背景にはかかわりなく,この印を持っていなければなりません。

      16 この幻は子供や親にとってなぜ特に重要ですか。

      16 特に重大なのは,エホバの刑執行者たちが,年齢,性別,独身あるいは結婚関係などはいずれも,エホバに対して罪を犯した人の命を助ける理由にはならないと告げられたことです。既婚者は命を助けてもらうためには,夫にせよ,妻にせよ,個人的に印を持っていなければなりません。もし親が自分の子供たちに印を付けさせないよう反対するなら,あるいは子供たちをエホバの僕となるように育てないなら,親はそのような子供たちに生ずる事柄に対して責任を負わなければなりません。敬虔な親の従順な子供たちはエホバによって「聖なる者」とみなされますが,反抗的な子供たちはそのようにはみなされません。(コリント第一 7:14。詩編 102:28。箴言 20:11; 30:17)もし子供たちがバプテスマを受けたクリスチャンになれるほどの年になっているのに,その要求に従って行動したいと思わないのなら,バプテスマを受けても,受けなくても,その年齢のゆえに命を助けてもらうということにはなりません。ですから,責任能力のある年齢に達した人が各々神に献身し,そのご意志を行なっている人としてはっきりと印を付けられるのは,何と肝要なことでしょう。

      17 エホバの同情に関して,わたしたちはここで何を学びましたか。

      17 エホバはその証人たちを遣わして,差し迫った滅びについて人々に警告をさせ,安全な道を指し示させることによって,人類に対する大いなる同情の念を示してこられました。しかし,エホバは偽りの宗教の記録と偽りの宗教が生み出してきた腐った実をよくご存じです。大いなるバビロンが滅ぼされる時,それにすがりつこうとする人に対しては決して同情は示されないでしょう。来たるべき神からの裁きの執行を生き残るには,わたしたちは天と地の創造者であられるエホバの真の崇拝者として,イエス・キリストの足跡に従って歩まなければなりません。

      [95ページの図版]

      あなたは生き残るのに必要な印を本当に持っていますか

  • 再創造の時
    新しい地へ生き残る
    • 13章

      再創造の時

      1 (イ)どんな驚くべき機会が,「新しい地」に生き残る人々を待ち受けていますか。(ロ)それには何が求められますか。

      現在の腐敗した世の終わりを生き残るのは,すばらしい見込みです。わたしたちはこの世の不正や貪欲や暴虐から逃れたいと切望しています。しかし,ほかにもわたしたちが生き残るのをなお一層願わしいものとしている事柄があります。それは何ですか。「新しい地」の一部となる人々すべてにはまた,自分自身の不完全さや病気や苦しい生活から,そうです,死からさえ解放される機会があることです。(啓示 21:1-5)しかし,このことが生ずるためには,罪そのものが完全に根絶されなければなりません。それはどのようにして可能になるのでしょうか。それはイエス・キリストが説明された「再創造」と関連づけられています。

      2 マタイ 19章28節で言及されている「再創造」とは,どいうことですか。

      2 イエスは使徒たちに向かって,「再創造のさい,人の子が自分の栄光の座に座るときには,わたしに従ってきたあなた方自身も十二の座に座り,イスラエルの十二の部族を裁くでしょう」と言われました。(マタイ 19:28)この再創造は,他の聖書翻訳の表現によれば,「再生」の時,つまり「すべてが新しくされる」時となります。(ロザハム訳のエンファサイズド・バイブル; エルサレム聖書)人間はこの再創造によって,最初に持っていた完全さを再び享受することができるようになります。

      3 (イ)アダムの罪はどんな結果をもたらしましたか。(ロ)アダムの子孫はなぜだれ一人として,受け継いだ罪の影響から自らを自由にすることができませんでしたか。

      3 アダムの子孫は皆,アダムから受け継いだ罪のために死ななければなりませんでしたし,多くの人々は死をもたらすものとなる悲痛な病気に苦しめられてきました。(ローマ 5:12)死からの免除は決してお金で買えるものではありません。不完全な人間が行なえたことで,自分自身,あるいは他のだれかのために放免をもたらし得た業は一つもありません。神の公正によれば,もし人間がとこしえの命を享受する機会を再び持つとしたなら,アダムが失ったもの,すなわち完全な人間の命と同等の価値を持つ犠牲がささげられなければなりません。アダムの子孫で,そのような命をささげ得る人は一人もいません。―詩編 49:7-9。伝道の書 7:20。

      4 (イ)必要な贖いはどのようにして備えられましたか。(ロ)どうすれば,その益を受けることができますか。

      4 憐れみ深いことに,エホバは,その独り子であるイエスを完全な人間として地上に送り,「対応する贖い」としてその命を捨てさせることにより,必要な備えを設けてくださいました。(テモテ第一 2:5,6)人類に対する過分のご親切と神の愛の何と崇高な表明なのでしょう。その結果,可能になった命は,報酬のようにわたしたちが獲得できるものではなく,神からの贈り物なのです。しかし,それはこの神からの備えを自分が必要としていることを本当に認め,その備えに信仰を働かせ,神のみ子に対する従順によって,その信仰を証明する人たちにだけ与えられます。(ローマ 6:23。ヨハネ 3:16,36)しかし,人類はその犠牲の益をいつ味わうことになっていましたか。

      キリストの犠牲から今受けられる益

      5 (イ)キリストの犠牲の益を最初に受けることになっていたのはだれでしたか。(ロ)他のどんなグループの人が益を受けてきましたか。それは特にいつからですか。

      5 その益は,(神の大祭司の役割を持つ)イエス・キリストがご自分の犠牲の価値を天で神の前にささげた後,直ちに人間の生活に影響を及ぼし始めました。最初に,西暦33年のペンテコステから始まって,キリストと共に相続人となるよう召され,天でキリストと共に王ならびに祭司として仕えることになった人たちが,その益を味わうようになりました。(使徒 2:32,33。コロサイ 1:13,14)それから,地上でとこしえの命を受ける希望を抱く人々が,1935年に際立った仕方で現われ始めました。それらの人々の希望もまた,キリストの犠牲によって可能になったのです。(ヨハネ第一 2:1,2)その犠牲の価値がこうして漸進的に適用されることは,古代イスラエルの贖罪の日に起きた出来事によって示されていました。

      6 贖罪の日に起きた事柄の概略を簡単に述べなさい。

      6 イスラエルの神聖な幕屋で,また後には神殿で職務を行なったのは,アロンのレビの家の成員であった一人の大祭司でした。アロンの家の他の男子は従属の祭司で,レビの部族の残りの男子は補佐として奉仕しました。罪を償うものを供えるため,大祭司は2頭の動物を犠牲にし,その各々の血は,エホバによって規定されたとおりに,至聖所で別々にささげられました。最初に,アロンの家系の大祭司によって,レビ族全体を含む「自分自身と自分の家」のために1頭の若い雄牛がささげられました。(レビ記 16:11,14)次は,他の十二部族である「民のための」罪の供え物としてささげられたやぎでした。(レビ記 16:15)そのうえ,イスラエル全体の罪が1頭の生きたやぎの頭の上で告白され,そのやぎは荒野に連れ去られました。(レビ記 16:21,22)このすべては何を意味していましたか。

      7 (イ)そこではただ一つのどんな犠牲が予表されていましたか。(ロ)用いられた犠牲の動物がただ1頭だけでなかったのはなぜですか。

      7 使徒パウロは,その成就の中心を成しているのがイエス・キリストのただ一つの犠牲であることをこう説明しています。「キリストは,実体の写しである,手で造った聖なる場所にではなく,天そのものに入られ……今やわたしたちのために神ご自身の前に出てくださるのです。……ご自分の犠牲によって罪を取りのけるため(です)」。(ヘブライ 9:24-26)では,イスラエルの贖罪の日に至聖所に運び込まれたのは,ただ1頭の動物の血だけでなかったのはなぜですか。それはイエスの完全な人間としての犠牲によって成し遂げられる事柄の異なった面に注意を引くためでした。そして,1頭の生きたやぎの頭の上でイスラエル国民の罪を告白し,それからそれを荒野に連れ去ることにより,もう一つの面が際立たせられました。

      8 (イ)贖罪の日の所定の手順は,だれが最初にキリストの犠牲の益を受けることを示していましたか。(ロ)「民のための」罪の供え物は,イエスの犠牲のどんな適用の仕方を示していましたか。(ハ)1頭のやぎを荒野に連れ去ることは,さらにどんなことを例証しましたか。

      8 アロンの家のためにささげられた雄牛の血が最初に至聖所に運び込まれたとおり,イエスの犠牲の益も最初に,キリストと共になって天の祭司職にあずかる人たちのために適用されました。これは西暦33年以降行なわれてきました。イエス・キリストには,アロンの場合のように贖罪をしてもらわなければならない罪はありませんでしたが,キリストと共に従属の祭司となる人たちには罪がありました。それらの人々はレビの部族によって表わされていました。(ペテロ第一 2:4,5)2番目の犠牲,つまり「民のための」罪の供え物のやぎの血をささげることは,人類の他の人々が天的級の後にイエスの犠牲の益を受けることを示していました。それらの人は地上の回復された楽園で命を得るようになる人々です。彼らは贖罪の日の「イスラエルの[祭司ではない]十二の部族」によって表わされていました。(マタイ 19:28。詩編 37:29)イエスはそれらの人々すべてのために死なれただけでなく,それらの人たちのために犠牲の死を遂げて,それらの人たちの罪をも実際に運び去ってくださり,人々に解放をもたらされるのです。このことは,イスラエルの罪が1頭の生きたやぎの上で告白された後,最後にそのやぎが二度と見られることがないように荒野に連れ去られたことによって示されていました。―詩編 103:12。イザヤ 53:4-6。

      9 (イ)キリストの犠牲に信仰を働かせる人たちは,今どんな祝福を享受しますか。(ロ)将来,さらにどんな益がもたらされますか。

      9 キリストを通して設けられている,エホバの愛ある備えに信仰を働かせる人たちはすべて,以前の生き方にかかわりなく,今や,本当に罪を許され,神のみ前で清い立場を得ることができます。そのような人たちは清い良心を抱いて神に対して神聖な奉仕を行なうという貴重な祝福を享受することができます。(コリント第一 6:9-11。ヘブライ 9:13,14)しかし,そうだからといって,それらの人々が現在,罪の影響を全然受けない命を授けられるという意味ではありません。(ヨハネ第一 1:8-10。ローマ 7:21-25)キリストと共に天で支配することになっている人たちは,地上の歩みを終え,よみがえらされて天で不滅性を与えられて初めて,そのような命が現実のものとなります。人類の他の人たちは,再創造によって罪から完全に解放されることが可能になります。

      「再創造のさい」

      10 (イ)再創造はいつ始まりましたか。(ロ)それ以後の,イエスの約束の成就として,座を与えられてきた人たちがだれかいますか。

      10 イエスが言われたように,再創造とは,「人の子[イエス・キリスト]が自分の栄光の座に座る時」のことです。(マタイ 19:28)もちろん,イエスが即位させられた時,直ちにすべてのことが起きたのではありません。イエスは西暦1914年に即位させられた後,最初に,サタンとその悪霊たちを放逐して,天を清められました。それから,ご自分の油そそがれた追随者たちを復活させ,天的な栄光を受けさせました。(啓示 12:5,7-12。テサロニケ第一 4:15-17)単にキリストの忠実な使徒たちが自分たちに約束されていた「十二の座」を与えられただけでなく,14万4,000人の他の人たちすべても死人の中から復活させられるにつれ,漸進的に天で即位させられています。―啓示 3:21。

      11 「ほかの羊」はどんな仕方で,再創造の及ぼす影響をすでに感じていますか。

      11 天的な級を構成する人々を選ぶことが終わりに近づいた時,「ほかの羊」の大群衆を集めることが,特に1935年以来開始されました。それらの人たちもまた,キリストの犠牲の益を享受し,『自分たちの長い衣を子羊の血で洗って白く』するようになりました。それらの人々は「神のご意志にそいつつ真の義と忠節のうちに創造された新しい人格を着ける」よう助けられています。(啓示 7:9,10,14。エフェソス 4:20-24)増大し続けるそれら大勢の人々は,回復される楽園で,彼らが永久に生きられるようにするため,キリストを通して設けられた神の備えの益を受けています。―啓示 7:17; 22:17。

      12 (イ)ここでイエスが言及しておられる「イスラエルの十二の部族」は,だれを表わしていましたか。(ロ)生き残る人々以外にだれが再創造の益にあずかりますか。

      12 今や間もなく,この邪悪な世は滅ぼされ,サタンとその悪霊たちは底知れぬ深みに入れられます。そして,人類のための千年間の裁きの日が始まります。イエス・キリストはいわば裁判長となり,すべての人々が十分の機会と助けを与えられ,エホバの義の道を学び,それに従って行動できるように取り計らってくださいます。死に至るまで忠誠を保つ者であることを証明した,キリストの油そそがれた追随者たちは,「イスラエルの十二の部族を裁く」業にキリストと共に加わります。(ルカ 22:28-30。啓示 20:4,6)これは,彼らが単にイスラエルの生来の子孫だけを裁くという意味ではありません。むしろ,彼らは贖罪の日の「イスラエルの[祭司ではない]十二の部族」によって予表されていた人々すべてを裁くのです。それには請け戻された人類の世全体が含まれます。(コリント第一 6:2)大患難を生き残る人たちは,人類を向上させるこの計画の益を最初に受ける人たちとなります。しかし,さらに何十億もの人々もまた,それにあずかることになります。なぜなら,裁かれる人々の中には,「生きている者と死んだ者」が含まれているからです。(テモテ第二 4:1。使徒 24:15)キリストの犠牲によって覆われる死者が戻る時,どんなにか胸が躍ることでしょう。愛する人々が再会する時,どんなにか喜びの涙が流れることでしょう。

      13 千年間の裁きの日のもたらす効果は,どうして確かに一種の再創造と言えますか。

      13 それは人類が罪によってもたらされた,身体的ならびに精神的な無能力状態から,やっとのことで救済される時となります。イエスは地上におられた時,まひした人たち,目が見えなかったり,耳が聞こえなかったり,あるいは話すことができなかったりした人たち,および肉体の一部が醜くなったり,病気のために力の衰えたりした人たちを瞬間的にいやされました。そのような強力な業は,イエスがその千年統治の際,全人類のためにしてくださる事柄のほんの前触れにすぎませんでした。エホバの親切に関するそのような驚くべき証拠を目撃しながら,もしくは経験によって知りながら,エホバの主権をはねつける者はだれであろうと永久に滅ぼされます。それは当然なことです。しかし,エホバの義の道を教える教育によって,誠実な信仰と従順を証明する人たちの考え方や動機は徐々に改善され,それらの人々はついには完全さの極致に達することでしょう。エホバを愛するそのような人々は,再生,つまり再創造を本当に体験した者となるでしょう。それらの人々はあたかも新しい父,つまりとこしえの父,イエス・キリストと共に,人生の新たな出発をさせていただいたかのようになるでしょう。―イザヤ 26:9; 9:6。

      14 最後の試みを通過する人々は皆,どんな貴重な関係を享受しますか。

      14 それから,千年の終わりの最終的な試みを通過したのちに,それらの人々は神ご自身の子たち,つまり神の完全な宇宙的な家族の一部としてキリストを通してエホバ神によって受け入れられるでしょう。これは,大患難を生き残る人々だけでなく,パラダイスの地で命の喜びにあずかるためによみがえらされる死者のすべてにとっても,なんと励みを与える見込みなのでしょう。―ローマ 8:20,21。

  • 「新しい天と新しい地」はどのようにして始まりますか
    新しい地へ生き残る
    • 14章

      「新しい天と新しい地」はどのようにして始まりますか

      1 (イ)聖書では,何がしばしば「天」と呼ばれていますか。(ロ)ある章句では,「地」は何を意味していますか。

      天のことを話すと,宇宙空間や月や星のことを考える人は少なくありません。聖書はまた,「天」を支配権と関連づけています。(使徒 7:49)「天」という表現は,宇宙の主権者であられる神ご自身を指して用いられる場合もあります。(ダニエル 4:26。マタイ 4:17)人間の政府さえも「天」と呼ばれる場合があります。なぜなら,それは臣民よりも高い立場にあるからです。(ペテロ第二 3:7)同様に,「地」は多くの場合,地球を意味しますが,それはまた,人類の社会を指す場合もあります。(創世記 11:1。詩編 96:1)このことを知っておけば,「新しい天と新しい地」に関する魅惑的な約束の重要な意義を認識するのに役立ちます。その約束の幾つかは,古代イスラエルの時代に最初の成就を見ました。

      『わたしが創造しているものを喜べ』

      2 エホバはなぜイスラエルが流刑にされるのを許されましたか。しかし,何を予告されましたか。

      2 イスラエル国民は神との契約に入っており,神に従うことに厳粛に同意していました。しかし,彼らは不忠節になりました。そのために,エホバは,保護を差し控え,エルサレムを滅ぼされるままにし,その民がバビロンに流刑にされることを知らせました。(イザヤ 1:2-4; 39:5-7)しかし,エホバはまた,憐れみ深いことに,悔い改めた残りの者たちの回復を予告されました。―イザヤ 43:14,15; 48:20。

      3 イザヤ 65章17節の約束は,何を意味するものでしたか。

      3 それは確かな事柄なので,エホバはその後代の回復について,それがあたかもすでに起きているかのように語り,こう言われました。「いまわたしは新しい天と新しい地を創造している……以前のことは思い出されることも,心の中に上ることもない。しかし,あなた方はわたしが創造しているものに永久に歓喜し,それを喜べ。いまわたしは,エルサレムを喜びのいわれ,その民を歓喜のいわれとして創造しているからである」。(イザヤ 65:17,18)これはそれら悔い改めたイスラエル人が救出されることを意味していました。

      4 (イ)予告された救出はいつもたらされましたか。(ロ)その当時の「新しい天」と「新しい地」とは何でしたか。

      4 このようなことは人間の見地からは不可能と思えましたが,強力なバビロンは西暦前539年にメディア人とペルシャ人の手に落ちました。ユダヤ人は新しい政府,つまり「新しい天」の支配を受けました。キュロス大王はその「新しい天」で際立った役割を果たしました。キュロスはユダヤ人の宗教に改宗しませんでしたが,権威を持つことをエホバから許されてそれを行使したこと,またエルサレムの神殿を再建させるようエホバから任命されたことを認めました。(歴代第二 36:23。イザヤ 44:28を参照してください。)西暦前537年にエルサレムに戻った総督ゼルバベルと大祭司エシュアもまた,その政治上の「新しい天」で際立った仕方で仕え,回復させられたユダヤ人の残りの者は「新しい地」,つまりその地に清い崇拝を再び確立した,清められた社会を構成しました。―エズラ 5:1,2。

      5,6 (イ)彼らが本当に変化した民であることを示す証拠となるのは,どんな事柄でしたか。(ロ)エホバから戒められた時,彼らの反応は,流刑にされる以前のそれとどのように異なっていましたか。

      5 自分たちが思いと心の両面で変化した民であることを示す証拠として,彼らは清い崇拝の関心事を生活の中で第一にし,本当にエホバの主権を尊び,そしてその預言者たちに聴き従う必要がありました。このことと一致して,彼らがユダに着いた時に最初に行なった事柄の一つは,『イスラエルの神の祭壇を築いて』,犠牲をささげることでした。―エズラ 3:1-6。

      6 物質主義に流れる傾向と人間に対する恐れのために,神殿の建設を完了することが妨げられた時,エホバはご自分の預言者を用いて民を戒められ,彼らはその戒めに留意しました。(ハガイ 1:2,7,8,12; 2:4,5)後に,結婚に関する律法の要求に従わなかった重大な怠慢が指摘された時,人々は自分たちの道を正しました。(エズラ 10:10-12)彼らは,比ゆ的に言って見えない目や,神の言葉の聞こえない耳を持つ代わりに,霊的ないやしを経験し,エホバのご意志と調和して自分たちの能力を用いました。(イザヤ 6:9,10と35:5,6を比べてください。)その結果,神はイザヤ 65章20節から25節にある約束に従って彼らを繁栄させました。

      7 イザヤの預言には,さらに後代の成就がありますが,どうしてそれが分かりますか。

      7 しかし,「新しい天と新しい地」に関する預言の成就は,それですべてでしたか。決してそうではありません。クリスチャンの使徒ペテロは,1世紀のクリスチャンがさらに後代の成就を切に待ち望んでいたことを述べています。(ペテロ第二 3:13)彼らが待ち望んでいた事柄は,今やわたしたちの眼前で展開しています。どのようにしてですか。それは,大いなるキュロス,つまり栄光を受けられたイエス・キリストの即位にかかわる出来事と関連して生じています。

      8 (イ)エホバはいつこの「新しい天」を存在させましたか。これはその預言の最初の成就とどのように比べられますか。(ロ)その「新しい天」の成員は,どのように漸進的に増大してきましたか。

      8 すでに見てきたとおり,エホバ神がご自分のみ子に権威を授けて,敵のただ中で支配を始めさせたのは,1914年のことでした。その時,待望久しい「新しい天」が存在するようになりました。そのとき起きた事柄は,古代イスラエルの救出と関連づけられている出来事よりもはるかに重要な意義を持っていました。(詩編 110:2。ダニエル 7:13,14)1914年に生み出されたその政府は実際,天そのものから支配しており,神は全地を治める権威をその政府にお与えになりました。その後,霊によって油そそがれた,キリストの(すでに亡くなった)追随者たちが,自分たちの主と共に天で王ならびに祭司となるために,復活させられるにつれ,この政府は拡張を見るようになりました。その王国級のほかの成員で,自分たちの地上での生活を終えた人々もまた,その「新しい天」の増大する成員に加えられてきました。(テサロニケ第一 4:14-17。啓示 14:13)キリストの共同相続人の確かに大多数の人々は今,その天の王国で活動しています。こうしてキリストと一緒になった,霊によって生まれたクリスチャンは,エホバが,「いまわたしは,エルサレムを喜びのいわれ,その民を歓喜のいわれとして創造している」と言われた,新しいエルサレムを構成しています。―イザヤ 65:18。

      9 エホバは1919年に,まさしくこの地上で,どんな「歓喜のいわれ」を作り出されましたか。

      9 エホバは天だけではなく,地上においても「歓喜のいわれ」を作り出されました。王国相続人の残りの者は依然として地上の舞台にいます。第一次世界大戦中,キリスト教世界の僧職者は戦時下の病的な興奮状態に乗じて,それら聖書研究者たちを偽って告発し,その統治体の幾人かの成員に長期間の禁固刑を科させました。しかし,彼らは1919年に解放され,大いなるバビロンの扇動によってもたらされた捕らわれから実際に解き放たれました。彼らは背後から自分たちを支えるエホバの霊に助けられて,清い崇拝と神の王国の関心事に全く専心した民として組織を建て直しました。

      10 (イ)これらの霊的イスラエル人の期待は,西暦前537年に帰還したユダヤ人のそれとはどのように異なっていましたか。(ロ)エホバは,なすべきどんな仕事を彼らにお与えになりましたか。(ハ)彼らがなお地上にいる間,エホバは彼らをどのように豊かに祝福してこられましたか。参照されている聖句は,彼らが享受している状態をどのように描写していますか。

      10 しかし,彼らの希望や期待は,西暦前537年に自分たちの故国に帰ったユダヤ人のそれとは異なっていました。霊的イスラエルの成員は,自分たちのために「天に取って置かれている」相続財産を楽しみにしていました。(ペテロ第一 1:3-5)しかし,彼らが実際にその報いを受ける前に,エホバは彼らのなすべき仕事を持っておられました。このことに関して,エホバは次のような預言的な言葉を述べられました。「わたしはわたしの言葉をあなたの口に置き,わたしの手の陰で必ずあなたを覆うであろう。それは,天を植え,地の基を据え,シオンに向かって『あなたはわたしの民である』と言うためである」。(イザヤ 51:16)エホバはその「言葉」,つまり音信を,全地でふれ告げさせるために,ご自分の僕たちの口に置かれました。彼らは,神がその「新しい天」をたいへんしっかりと据えられたので,人間も悪霊もそれを根こぎにし得ないことを,確信を抱いて知らせ始めました。エホバが天のシオンの代表者たちを取り扱われた仕方は,彼らがその民であることを疑う余地なく明らかにするものとなりました。この世の霊的にも,また道徳的にも荒廃した状態とは対照的に,霊的イスラエルの占めている「地」,つまり彼らの活動分野は,霊的な価値と活動が栄える所となりました。それは霊的パラダイスです!(イザヤ 32:1-4; 35:1-7; 65:13,14。詩編 85:1,8-13)しかし,イザヤ 65章17節で予告された「新しい地」についてはどうですか。

      「新しい地」のための準備

      11 (イ)エホバは,「新しい地」の成員となる見込みのある人々を,特にいつから整えてこられましたか。(ロ)彼らは古代バビロンを去った,どんな人々によって予表されていましたか。

      11 特に1935年以降のことですが,エホバは,楽園の地におけるとこしえの命に関する期待を抱く人々の大群衆を集めるための時が到来したことを霊的イスラエルの成員に理解させました。王国相続人の「小さな群れ」と比べて,それらの人々はまさしく大群衆となりました。(啓示 7:9,10)それらの人たちもまた,霊的パラダイスに入れられました。これらの人々は,西暦前537年にユダヤ人と共にバビロンを去った,イスラエル人ではない人たちと,その後に同様にバビロンを去った人々によって予表されていました。(エズラ 2:58,64,65; 8:17,20)地的な希望を抱く,現代のエホバの証人のこの大群衆はすべて,「新しい地」の成員となる見込みを持つ人々です。

      12 人々は「新しい地」のふさわしい基となれるよう,今どのように整えられていますか。

      12 大患難を生き残り,前途に完全な人間の命を得る見込みのあるそれらの人々は,まさしくその「新しい地」の基を構成し,その最初の成員となります。その基が堅固であることは重要なことです。ですから,彼らは現に今,エホバの道を徹底的に教え悟されているのです。それらの人々は宇宙主権の論争に関する心からの認識を持てるように助けられています。そして,『心をつくしてエホバに依り頼み,自分の理解に頼らない』ことがどんなに肝要なことかを学んでいます。(箴言 3:5,6)彼らは「王国のこの良いたより」を宣べ伝える業に今十分にあずかって,自分が神の王国の熱心で忠節な支持者であることを証明する機会を持っています。(マタイ 24:14)そして,あらゆる国民,言語および人種の中から来る人々が愛ある兄弟関係を保って一緒に働く,一つの全地球的な社会の一部であることが何を意味するかを体験しています。(ヨハネ 13:35。使徒 10:34,35)あなたもこの教育計画から十分の益を得られるよう,個人的に力を注いでおられますか。そうする人々すべてにとって,その前途には驚嘆すべき見込みがあります。

      「新しい地」は現実の事柄となる

      13 来たるべき「新しい地」は,エホバの約束の成就の点で,西暦前537年に起きた事よりも,どのようにはるかに壮大な事柄となりますか。

      13 「新しい地」を存在させるというエホバの約束の最終的な完全な成就は,西暦前537年当時に起きた事よりもはるかに壮大な事柄となります。「新しい地」を構成する人たちは,単に大いなるバビロンから解放された人々であるというだけのことではなく,偽りの宗教のあの世界帝国全体が永久に滅ぼされてしまうのです。(啓示 18:21)義にかなったこの人間の世界 ―「新しい地」― は,イザヤの預言の最初の成就の場合がそうであったように,エホバをそしり,その僕たちを迫害する諸国家によって取り囲まれることはありません。人間の政府はすべて,エホバの主権に服従することを拒んだために,打ち砕かれて存在しなくなり,現在の邪悪な人間の社会はこの地上から完全に絶やされてしまいます。(ダニエル 2:44。箴言 2:21,22)神の義の新秩序が始まる時,この惑星の地球に住むのは,エホバを敬い,その道に無上の喜びを見いだす人々だけです。―詩編 37:4,9。

      14 (イ)ペテロ第二 3章13節と啓示 21章1節はいつ成就しますか。(ロ)その時,「新しい天」が機能を果たす環境は,どんな点で異なりますか。(ハ)「新しい地」には,だれが含まれますか。

      14 使徒ペテロは霊感を受けて記した第二の手紙の中で,その輝かしい時代に注意を向けさせました。(ペテロ第二 3:13)使徒ヨハネは胸の躍るような,その同じ見込みを指し示して,自分に与えられた啓示について詳しく伝え,「わたしは,新しい天と新しい地を見た。以前の天と以前の地は過ぎ去っており,海はもはやない」と述べました。(啓示 21:1)大患難が過ぎて,サタンとその悪霊たちが底知れぬ深みに入れられると,新しい時代が始まります。サタンとその悪霊たちの卑劣な影響力はなくなってしまいます。サタンの事物の全体制は滅び去ってしまいます。それで,「新しい天」はエホバの主権を無視する政府からの干渉を何ら受けることなく,被造物に対するエホバの愛ある目的を遂行してゆきます。その「新しい天」のもとには,本当に「新しい地」があります。それは,美と豊かさと幸福と平和の宿る全地球的な楽園で,終わりのない命を受ける,貴重な見込みを神から差し伸べられる,「大群衆」で構成されるのです。死んだ人間がよみがえらされる神のご予定の時が来ると,それらの人々も,義の宿る,その「新しい地」の一部となる機会を持つことになります。―啓示 20:12,13。

      15 啓示 21章3,4節の約束は,あなたにとってどうして重要な事柄ですか。

      15 神がその時の人類のために備えておられる事柄に関して,使徒ヨハネは天からの次のような発表を聞きました。「見よ! 神の天幕が人と共にあり,神は彼らと共に住み,彼らはその民となるであろう。そして神みずから彼らと共におられるであろう。また神は彼らの目からすべての涙をぬぐい去ってくださり,もはや死はなく,嘆きも叫びも苦痛ももはやない。以前のものは過ぎ去ったのである」。(啓示 21:3,4)それは何と気分を浮き立たせるような生活なのでしょう。

      16 (イ)イザヤ 11章6-9節,(ロ)イザヤ 35章1-7節,(ハ)イザヤ 65章20-25節の約束は,わたしたちの心の中に,将来に関するどんな期待を呼び起こしますか。(ニ)だれがこのような喜ばしい見込みをわたしたちのために可能にしてくださいますか。

      16 エデンに存在した状態や,イエスが行なわれた奇跡は,その「新しい地」の生活がどのようなものかを示す,楽しい予告編となっています。そのうえ,イザヤ 11章6節から9節や35章1節から7節および65章20節から25節にある預言の特色は,その時,物理的な成就を見,従順な人類にとって大いなる祝福となるでしょう。すべての点でパラダイスとなった地球で,肉体的また精神的な完全さと共に,霊的な健康と繁栄という,本当に必要な状態を享受できる時,その生活は何と人をさわやかにさせることでしょう。わたしたちの前途にはこのような驚嘆すべき見込みがあるのですから,そのすべての偉大な創造者であられるエホバに感謝の声を上げずにいることなど,どうしてできるでしょう。

  • 王国の論争で人々を分ける
    新しい地へ生き残る
    • 15章

      王国の論争で人々を分ける

      1 王国の論争で人々が分けられることは,わたしたち各人にとってなぜ重大な事柄ですか。

      わたしたちは重大な決定を迫られています。争点となっているのは,イエス・キリストの手中にあるエホバのメシアによる王国に対するわたしたちの態度です。この論争で,すべての国々の人々を分けることが行なわれています。人は各々個人の行動に基づいて,二つのグループのどちらかに入れられています。そのうちの一つのグループだけが,差し迫った世の滅びを生き残ることになります。―マタイ 24:40,41。

      2 (イ)このメシアによる王国は,エホバの主権にかかわる論争とどのように関係していますか。(ロ)その王国は間もなくどのようなものになりますか。それで,わたしたちはどんな事を真剣に考えてみるべきですか。

      2 エホバはご自分のメシアである,油そそがれたみ子をすでに天で即位させられました。「諸国民の定められた時」の終わりである1914年に,神はイエス・キリストに諸国民を相続物として,つまり全地を所有物としてお与えになりました。(詩編 2:6,8)エホバの油そそがれた王を王座にいただく,メシアによる政府は,地球に関する神の愛ある賢明な目的を成し遂げる,神の手だてです。ですから,この王国に対するあなたの態度は,エホバの宇宙主権に関するあなたの考え方をはっきり示すものとなります。そのメシアによる王国は間もなく,今人間の事柄を支配している全政治体制を「打ち砕いて終わらせ」,全地を治める唯一の政府となります。(ダニエル 2:44。啓示 19:11-21)その政府が地球をパラダイスに変え始める時,あなたはどこにおられるでしょうか。その政府によって導かれ,完全な命を享受するようになる人々の一人となりますか。イエスは,今生きている人々が何に基づいてそのような見込みを共にすることができるかをはっきり述べられました。

      王とその『兄弟たち』

      3 マタイ 25章31-33節で,イエスはどんな事を述べられましたか。

      3 イエスは「事物の体制の終結」についてご自分の使徒たちに話された時,幾つかのたとえ話,つまり例えをお用いになりました。そして,最後の例えの中で,こう言われました。「人の子がその栄光のうちに到来し,またすべてのみ使いが彼と共に到来すると,そのとき彼は自分の栄光の座に座ります。そして,すべての国の民が彼の前に集められ,彼は,羊飼いが羊をやぎから分けるように,人をひとりひとり分けます。そして彼は羊を自分の右に,やぎを自分の左に置くでしょう」。―マタイ 24:3; 25:31-33。

      4 (イ)このたとえ話はダニエル 7章13,14節とどのように関係していますか。(ロ)どのように自問してみるのは有益なことですか。

      4 イエスはここでご自身のことを「人の子」と言っておられることに注目してください。それはこの預言のもっと前のところで,すでに繰り返しそう言っておられるとおりです。(マタイ 24:27,30,37,39,44)この表現を用いておられることから,およそ6世紀も前にダニエルに与えられた預言的な幻のことが思い起こされます。その幻について預言者ダニエルはこう書きました。「わたしが夜の幻の中でずっと見ていると,見よ,天の雲と共に人の子[イエス・キリスト]のような者が来るのであった。その者は日を経た方[エホバ神]に近づき,彼らはこれをその方のすぐ前に連れて来た。そして,その者には,支配権と尊厳と王国とが与えられた。もろもろの民,国たみ,もろもろの言語の者が皆これに仕えるためであった。その支配権は,過ぎ行くことのない,定めなく続く支配権,その王国は滅びに至ることのないものである」。(ダニエル 7:13,14。ヘブライ 2:5-8)支配を行なう,そのような権威は,すでにイエス・キリストに与えられています。1914年以来,イエス・キリストはその天の王座から支配しておられます。あなたは個人的に,その支配権にどのように答え応じてこられましたか。あなたの生き方は,神ご自身によって全地の支配者とされた,この方に対するふさわしい敬意を示す証拠となっていますか。

      5 王としてのキリストに専心仕えていると唱える人の主張が本物かどうかを,キリストはどのようにして決められますか。

      5 単なる言葉だけでは十分ではありません。わたしは神の王国を信頼していますとか,イエス・キリストを愛していますと言うのは,やさしいことです。しかし,イエスは羊とやぎに関するたとえ話の中で,ご自分は天にいて人の目に見えないので,ある人の主張が本物かどうかを決める際に考慮する,主要な要素となるのは,地上でキリストを代表する人たち,つまりその『兄弟たち』の扱い方であることを示されました。―マタイ 25:40,45。

      6 キリストのそれら『兄弟たち』とは,だれのことですか。

      6 その『兄弟たち』とはだれのことですか。それは,天の王国でキリストと共に相続人となるよう,神が人類の中からお選びになった人たちです。その人数は14万4,000人で,その残りの者だけがなお地上にいます。(啓示 14:1,4)それらの人たちは神の霊の働きによって「再び生まれ」たので,神の子たちです。ですから,彼らは聖書の中でイエス・キリストの『兄弟たち』と言われています。(ヨハネ 3:3。ヘブライ 2:10,11)イエスは人々がそれら『兄弟たち』に対して,それもその中の「最も小さい」者に対して人々が行なう事を,ご自分に対して行なわれる事柄とみなされます。

      7 キリストの『兄弟たち』は,どうしてキリスト教世界の諸教会の会員のことではありませんか。

      7 今日,キリストのそれら『兄弟たち』はどこにいますか。キリスト教世界の教会に通っている人たちの中に見いだせるでしょうか。では,イエスはご自分の真の追随者について何と言われましたか。「わたしが世のものではないのと同じように,彼らも世のものではありません」と言われました。(ヨハネ 17:16)キリスト教世界の諸教会と教会員について,本当にそのように言うことができますか。その態度や行為は事実上,彼らがいるこの世の人々に普通に見られる態度や行為を大いに反映させるものとなっています。諸教会が政治に関係していることは周知のとおりです。1945年に国際連合憲章が作成されていた時,プロテスタント,カトリックおよびユダヤ教の代表者たちが顧問として居合わせていました。近年,ローマの教皇たちは国際連合を「調和と平和の最後の頼みの綱」および「平和と公正の最高の討議場」としてほめたたえてきました。300ほどの宗派で成る世界教会協議会は,政治的な革命に必要な資金を調達するのに使う基金をさえ提供してきました。ところが,イエス・キリストはローマ総督ピラトに向かって,「わたしの王国はこの世のものではありません」と言われました。―ヨハネ 18:36。

      8 (イ)キリストの『兄弟たち』の実体を明らかにするのに,何が役立ちましたか。(ロ)王国を宣べ伝える業は彼らにとってどれほど重要ですか。

      8 事実は,ただ一つのグループだけが王国を支持する確固とした立場を取り,それを世界的にふれ告げる精力的な努力を傾ける一方,この世の政治的な事柄に関係することは一切避けてきたことを示しています。そのグループとはエホバの証人です。その中に,キリストの『兄弟たち』の残っている人たちがいます。それらの人々は自分たちの主とその使徒たちに見倣って,都市から都市,また家から家に行って,神の王国の良いたよりを人々に告げる業に一身をささげてきました。(ルカ 8:1。使徒 8:12; 19:8; 20:20,25)1919年に,米国オハイオ州,シーダー・ポイントで開かれたエホバの証人(当時,国際聖書研究者として知られていた)の大会で,大会出席者たちは,自分たちの「使命は到来する輝かしいメシアの王国を告げ知らせることであったし,またそうすることである」ということを思い起こさせられました。1922年に行なわれた同様の大会でも,このことが再び強調され,出席者たちは,「王とその王国を宣伝し,宣伝し,宣伝せよ」と促されました。彼らは自分たちの自由に使えるあらゆる手段を用いて,確かに今日に至るまで,そのことを世界中で行ない続けてきました。(マタイ 24:14)彼らがそのように活動してきたので,王国の論争があなたに紹介されたのです。あなたはこの事で何を行なっておられますか。

      『あなた方はわたしの兄弟たちの一人にした』

      9 (イ)マタイ 25章35-40節で描写されている境遇は,王国の奉仕の務めとどのように関係していますか。(ロ)こうして,どこにいる人々もどんな試みに直面させられてきましたか。

      9 霊によって油そそがれた,キリストの『兄弟たち』は,神の王国を大胆に宣べ伝える一方,世から離れた状態を保っているため,厳しい試みを受けてきました。(ヨハネ 15:19,21)中には,飢えや渇きや衣服に事欠くことを経験した人たちもいます。自分の家を後にして,自らはよそ者となる場所で奉仕してきた人々は少なくありません。それらの人たちは自分の奉仕の務めを果たしながら,病気にかかったり,空腹を経験したりしましたし,中には迫害者の手にかかって死んだ人たちさえいます。キリストの『兄弟たち』のこうした経験のゆえに,すべての国の人々は一つの試みに直面させられてきました。人々は神とキリストとに対する愛に動かされて,天の王国のそれら大使たちを助けに来たでしょうか。(マタイ 25:35-40。コリント第二 5:20と比べてください。)おもに人道主義的な親切ではなく,それら大使たちがキリストに属しているゆえに差し伸べられる助けこそ,王により,直接自分になされた事柄とみなされるのです。―マルコ 9:41。マタイ 10:42。

      10 (イ)「やぎ」の行なった抗議は,どうして妥当なものではありませんか。(ロ)それとは対照的に,「羊」はどんな立場を取りましたか。

      10 イエスはそのような助けを差し伸べる人たちのことを羊に例えておられます。その『兄弟たち』を助けようとしない人々は,イエスのたとえ話の中ではやぎと呼ばれています。それらの「やぎ」は,イエス・キリストを見なかったと抗議するかもしれません。しかし,イエス・キリストはご自分の僕たちを彼らのもとにお遣わしになり,それらの僕たちは自分がだれであるかを疑問の余地なく明らかにしてきました。「やぎ」は皆,キリストの『兄弟たち』を迫害するわけではありませんが,天の王に対する愛に動かされて,その代表者たちを助けに来るわけでもありません。(マタイ 25:41-45)それらの人々は,悪魔サタンが目に見えない支配者となっている,この世にしがみついています。「羊」も文字通りキリストを見ることができるわけではありません。しかし,「やぎ」とは対照的に,それらの人々は,神の王国をふれ告げる人たちを支持して,自分たちも恐れずにそれらキリストの『兄弟たち』と提携していることを実証します。「羊」は自分たちが何をしているのかを知っており,イエス・キリストによる神の王国を支持する側を積極的に選びます。そのようなわけで,彼らの行動は王の目には称賛に値するものとなります。

      11 (イ)多くの人々はキリストの『兄弟たち』の一人に決して会ったことがないのに,どうしてそのような人々をここで述べられている事柄に基づいて裁くことができるのですか。(ロ)この業が首尾よく行なわれることを何が保証していますか。

      11 しかし,どのようにしてすべての国の人々をこのことに基づいて裁くことができるのでしょうか。み父が天の王国をお与えになる,イエスの『兄弟たち』は「小さな群れ」にすぎないと,イエスは言われませんでしたか。(ルカ 12:32)多くの人々は決して個人的に,それら『兄弟たち』の一人に接することはありません。けれども,キリストの『兄弟たち』は確かにエホバの証人の国際的な組織の中核を成しています。この組織された人々によって,極めて重要な王国の論争があらゆる場所の人々に紹介されているのです。このすべては,キリストご自身がその天のみ座から,またみ使いたちの助けを得て,導いておられるのです。地球を取り巻くおよそ200の国々や島々で ― 神の王国を宣べ伝えることが政府によって禁止されている所でさえも ― この分ける業は何ものにも抑えられることなく進展しており,人々が大群衆となって神の王国の側に立ちつつあります。

      12 (イ)「羊」はどのようにして自分たちの立場を明らかにしていますか。(ロ)なぜそうするのですか。

      12 それらの人々はこのことをどのようにして示していますか。その王国が今支配しており,それは間もなくこの世の体制を終わらせようとしていることを熱心にふれ告げる,油そそがれた者たちと一緒に働くことによってそうしています。こうして彼らは,自分たちがエホバのメシアによる王国を支持する立場を取った者であることを公に明らかにし,またほかの人々にもそうするよう愛を込めて促しています。それら心の正しい人々は,生き残りたいという願い以上の,はるかに優れたものに動かされています。彼らはエホバとその道を本当に愛しています。王としてのキリストをいただく,その王国の備えのゆえに,彼らの心は感謝の気持ちで満たされ,彼らは他の人たちにもその備えの益を得てもらいたいと願っているのです。ですから,彼らは自分たちにできる最善を尽くして,王国の証しを行なうことに十分にあずかっているのです。彼らはイエスが弟子たちに教え諭されたとおりに,『王国を第一に求め』,物質上の必要なものに関する心配のために王国の事柄を二次的な位置に押しやることはしません。それらの人々はこのようにしてすばらしい祝福にあずかる見込みのある人となります。―マタイ 6:31-33。

      あなたは「王国を受け継ぎ」ますか

      13 (イ)エホバはいつから羊のようなそれらの人々のための報いのことを考えてこられましたか。(ロ)それらの人たちが『王国を受け継ぐ』とは,どういう意味ですか。

      13 イエスのたとえ話の「羊」であることを実証する人たちのために備えられているのは,実際驚嘆すべきものです。イエスは天のみ座からそれらの人たちに向かってこう言われます。「さあ,わたしの父に祝福された者たちよ,世の基が置かれて以来あなた方のために備えられている王国を受け継ぎなさい」。(マタイ 25:34)創世記 3章15,16節にしたがって,人類を請け戻すための神の備えの益を受けることのできる子供たちを,アダムとエバが最初に生み出した時に「世の基が置かれて」以来,エホバはそれらの「羊」のための報いのことを考えてこられました。(ルカ 11:50,51と比べてください。)彼らの報いは,アダムが失った完全な人間の命を,回復された楽園で享受する機会にあずかることです。それらの人たちが『王国を受け継ぐ』からと言って,それは天に行くという意味ではありません。なぜなら,そのたとえ話は,「羊」が天の王国の相続人である王の『兄弟たち』と同じではないことを示しているからです。ですから,「羊」はその天の政府の地上の臣民であるに違いありません。リデルとスコットの希英辞典は,ここで「王国」と翻訳されているギリシャ語のバシレイアが,受動態の意味で,人が『王によって支配されている』という意味に解することもできると述べています。ここでは明らかにそのような意味で用いられています。

      14 「やぎ」に下される裁きは,「羊」の受け継ぐものとはどのように対照的なものとなりますか。

      14 「やぎ」が去って永遠の切断に,つまりあたかも火による場合のように完全な滅びに陥る時,「羊」はメシアなる王によって保護されることでしょう。(マタイ 25:41,46。啓示 21:8と比べてください。)死ぬ必要の全くない,それらの人たちは,守られて大患難を切り抜け,サタンとその邪悪な事物の体制の卑劣な影響の全くない,輝かしい「新しい地」に入ります。それこそ彼らの祝福となります。なぜなら,それらの人たちは今王国の論争で正しい決定を下しているからです。

      15 (イ)このたとえ話が今適用されるものであることは,どうして分かりますか。(ロ)ですから,どんな業は極めて重要ですか。

      15 「やぎ」の滅びが永遠のものであるゆえに,このたとえ話はもっと後代まで,つまり恐らくキリストの千年統治の期間に入るまでは適用できないと考えるなら,重大な間違いを犯すことになるでしょう。それどころか,イエスはこのたとえ話を「事物の体制の終結」のしるしの一部としてお話しになりました。(マタイ 24:3)イエスが述べておられる事柄は,イエスが即位させられた後,しかもその『兄弟たち』がなお肉の体でとどまっていて,イエスが指摘しておられる苦しみを経験している時に生じます。わたしたちはその時代に生きており,この時代は急速に尽きようとしています。ですから,その王国に全き確信を置くだけでなく,今そうすることの重要性を理解するよう他の人たちを助けるのは,何と肝要なことでしょう。

  • あなたは個人的に何を行ないますか
    新しい地へ生き残る
    • 16章

      あなたは個人的に何を行ないますか

      1 どんな決定を個人的に下さなければなりませんか。

      エホバに仕える決定は,だれかほかの人があなたに代わって下せるものではありません。もしあなたの配偶者が忠実な神の僕でしたら,それは貴重な祝福をもたらすものとなり得ます。同様に,もしあなたの親がエホバを愛しているなら,あなたは恵まれた立場にあります。そのような家庭事情は,「霊と真理をもって」エホバを崇拝する人たちと交わるよう,人を促すものとなるでしょう。(ヨハネ 4:23,24)しかし,あなたはやがて個人的な決定を下さなければなりません。あなたは本当にエホバを愛し,その僕の一人になりたいと願っておられますか。あなたは義の行き渡る世界で生活をしたいと本当に願っておられますか。

      2 (イ)エホバに仕えることに対する親の態度は,なぜ特に重要ですか。(ロ)子供たちを立派に歩み始めさせるために,親はどんな五つの事柄を行なえますか。

      2 もしあなたが親でしたら,神の王国のもとでとこしえの命の祝福をお子さんたちに享受させたいと思われるに違いありません。お子さんが自分の人生航路の計画を立てられる年ごろになれば,あなたはお子さんのすることを制御できなくなるでしょう。しかし,あなたが真の崇拝に関して個人的に行なう事柄は,よかれあしかれ強力な影響を及ぼすものとなります。もしあなたがエホバに仕えることを差し控えるとしたら,とこしえの命に至る道を歩み始める,おそらく最善の機会となり得るものをお子さんから奪うことになるでしょう。あるいは,もしもあなたが神に献身しながら,その献身に恥じない行動をすることに無関心になるとしたら,家族全体が霊的な災いを被り,大患難ですべてを失う事態に陥る恐れがあります。しかし,もしあなたが忠実の模範を示し,神のみ言葉を研究するようお子さんを個人的に助け,エホバに対する愛とその見える組織に対する敬意を自分自身と子供たちのうちに培い,神のご意志を行なうことによってどのように保護されるかを悟るよう子供たちを助け,神聖な奉仕に喜びを見いだす方法を子供たちに示すなら,あなたは命に至る道を子供たちに立派に歩ませ始めていることになります。これはエホバの祝福を得て初めて可能になります。(テモテ第二 1:5と比べてください。)そのためにたゆまず祈ってください。また,あなたの側に多くの努力が求められます。しかし,その結果は何と価値あるものとなるのでしょう。

      3 (イ)もし家族の成員から反対されたなら,どうすればよいでしょうか。(ロ)しかし,もし反対が続いたなら,どうですか。

      3 もしかすると,あなたは,家族の他の成員がエホバへの愛をあなたと共にしない状況に直面するかもしれません。家族の他の成員は,あなたが“熱中する”のを思いとどまらせようとしますか。あるいは,露骨に反対しますか。どうすれば,神の目的を理解する喜びをあなたと共にすることができるように助けられるでしょうか。一緒に王国会館に来て,そこで行なわれている事柄を自分で見てもらうように家族の成員を招待することによって,障害を克服できる場合が少なくありません。そこにいる際に,エホバの証人の信じている事や行なっている事柄に関して抱いている疑問を解くため,長老たちの一人と話し合えるかもしれません。しかし,もし反対が続く場合はどうですか。その場合には,次のように自問する必要があります。『わたしはエホバとそのみ子イエス・キリストを本当に愛しているだろうか。わたしはこのおふたりがわたしたちのためにしてくださった事柄すべてを十分に感謝しているので,わたしの愛と感謝を示すためにも,多少の苦しみは喜んで耐えられるだろうか。わたしは,もしできれば,とこしえの命を得るための神の備えを家族にもとらえさせる助けとなるよう,正しい手本を示せるほど十分に自分の家族を愛しているだろうか』。―マタイ 10:36-38。コリント第一 7:12,13,16。

      諸国民がそのもとに向かう旗じるし

      4 わたしたちはどうすれば,自分が本当にエホバを愛していることを示せますか。

      4 今や,メシアによる王国に同調することによって,エホバに対する自分たちの愛を証明する機会が,あらゆる場所の人々に差し伸べられています。その政府こそ,エホバのみ名の正しさを立証する手だてなのです。その王国に対するわたしたちの態度は,自分がエホバご自身についてどう考えているかを明らかに示すものとなります。

      5 (イ)イザヤ 11章10節には,現代のためのどんな事柄が予告されていますか。(ロ)それは何を意味していますか。

      5 エホバは預言者イザヤに霊感を与えて,こう書き記させました。「そして,その日には,もろもろの民のための旗じるしとして立ち上がるエッサイの根がある。諸国の民は物を問い尋ねようとして彼のもとに向かい,その休み場は必ず栄光に満ちる」。(イザヤ 11:10)その「エッサイの根」とは,栄光を受けられた主,イエス・キリストです。イエスは王としての権威を行使し始めた時,命を与える「根」として,エッサイを源としてその子ダビデ王を通して現われたメシアなる王たちの家系に新たな活力を付与しました。(啓示 5:5; 22:16)1914年以来,イエスは「もろもろの民のための旗じるし」,つまり義の政府を切望する人々のための,いわば集合点として『立ち上がって』おられます。エホバがイエスをその旗じるし,つまり真のメシアなる王として立てられたのです。―イザヤ 11:12。

      6 (イ)人間は何によって天的な王の周りに集まることができるようになりましたか。(ロ)人々は「旗じるし」に向かって『物を問い尋ねた』結果,何を学んできましたか。

      6 しかし,この地上にいる人間はどうして天の王の周りに集まることができるのでしょうか。聖書から情報を与えられて,理解の目をもってその方を見ることができるようになる必要があります。霊的イスラエルの残りの者は,聖霊の導きのもとで,その活動を精力的に行ない,建てられたメシアによる神の王国の良いたよりを全地にわたってふれ告げてきました。すべての国の民の中の個々の人々は感謝の気持ちを抱いて聴き従ってきました。それらの人々は王国の臣民となって,パラダイスの地で命を永遠に享受するための神のご要求について尋ねてきました。聖書から与えられた答えで満足したそれらの人々は,その答えに従って行動し,エホバのメシアによる王国の側に立つようになりました。あなたはそうしておられますか。

      『彼らは聞くが,行なわないであろう』

      7 エゼキエル 33章30-33節には,聖書の音信に対するどんな反応が予告されていますか。

      7 エホバの証人は熱心な活動のゆえに,しばしば人々の間で話し合われる話題となっています。しかし,それらの人々はエホバの証人がふれ告げる音信をどのように考えているでしょうか。多くの人々の反応は,バビロンに流刑の身となっていた預言者エゼキエルの仲間の人々のそれに似ています。エホバはそれら流刑にされた人々に関して次のように言われました。「人の子よ,あなたについてであるが,あなたの民の子らは……互いに話して……言った,『どうか,来て欲しい。エホバから出る言葉がどんなものか聞きなさい』。こうして,彼らは民が入って来るときのように,あなたのもとに入って来て,わたしの民としてあなたの前に座るであろう。彼らは確かにあなたの言葉を聞くが,これを行なわないであろう。彼らは口でみだらな欲望を言い表わし,その心は不当な利得を慕って行くからである。そして,見よ,あなたは彼らにとって官能的な愛の歌のようであり,声がきれいで,上手に弦楽器を奏でる者のようだ。そして彼らは確かにあなたの言葉を聞くが,これを行なう者はだれもいない。そしてそれが実現するとき ― 見よ,それは必ず実現する ― 彼らはまた,自分たちの中に預言者がいたことを知らなければならなくなる」― エゼキエル 33:30-33。

      8 ある人は,そのような態度を取っている証拠をどのように示しますか。

      8 エホバの証人を称賛し,その聖書文書を好む人々は少なくありません。それらの人々は無償の家庭聖書研究の勧めをさえ受け入れるかもしれません。中には証人たちによって開かれる特別の集会に,友人たちと一緒に来る人たちもいます。例えば,イエス・キリストの死を思い起こす毎年の記念式の際には,出席者数が活発なエホバの証人の人数の2倍になるのも珍しいことではありません。中には,その出席者数が証人たちの人数の5倍にも達する土地もあります。しかし,それらの人たちは自分たちの聞く聖書の真理に関して何を行なうつもりなのでしょうか。250万人以上の人たちはその真理を個人的に心に銘記し,自分たちの生活をそれに合わせました。しかし,他の人々はその真理をあたかも単なる楽しい音楽,つまり人を楽しませるものでもあるかのように扱っています。そのような人々は圏外にとどまり,励ましの言葉は述べるかもしれませんが,神に一身をささげて献身しませんし,その神聖な奉仕に加わりません。

      9 賢い人々は,疑ったり延ばしたりする代わりに,何をしますか。

      9 疑ったり,延ばしたりしたところで,何が得られるというのでしょうか。確かに,来たるべき復しゅうの日にエホバの恵みと保護が得られるわけではありません。生き残る人たちの一人となるには,自分が『エホバに加わって』おり,自分がエホバのものであることを示す,説得力のある証拠を提出しなければなりません。―ゼカリヤ 2:11。マタイ 7:21。

      彼らは正しい決定を下した

      10,11 (イ)ホバブとは,どんな人ですか。どんな招待が彼に差し伸べられましたか。(ロ)彼がどんな決定を下したかは,どうして分かりますか。

      10 イエス・キリストの追随者として,エホバの崇拝者となった人たちは皆,そうなるための個人的な決定を下しました。このことは,天の王国の相続人である人たちすべてについても言えます。今や,他の人たちにも,大患難を生き残って,地上で完全な状態で生活する見込みを伴う選択をする,貴重な機会が開かれています。ホバブはそれらの人たちの見倣う価値のある手本を残しました。

      11 ホバブはモーセの義理の兄弟でした。ホバブはイスラエル人ではなく,ミディアン人の領地で生活をしていたケニ人の部族の一員でした。イスラエルがモーセを通して律法を受け,エホバの崇拝のための神聖な幕屋を立てた後,約束の地に向かって北に移動する時が来ました。エホバの臨在を表わす雲の柱は彼らに先立って行き,進むべき道筋や宿営する場所を示すことになりました。しかし,地形や,野営をするのに必要なものを見いだす場所を知っている人がだれか一緒にいれば助かったはずです。モーセは自分たちに加わるようホバブを招きましたが,最初ホバブは生まれ故郷で親族と共にとどまるほうが良いと考えて,その申し出を断わりました。ところが,モーセは彼に考え直すよう促し,イスラエルの「目となって」彼らと共に行き,エホバがその民にお授けになる祝福にあずかる見込みのある人となるよう勧めました。裁き人 1章16節に示されているように,ホバブは賢明にもそうしました。―民数記 10:29-32。

      12 (イ)今日,だれが,どんな点でホバブに似ていますか。(ロ)今日,どんな招待は,モーセがホバブに差し伸べた招きに似ていますか。

      12 今日,ホバブによって表わされていた人たちがいます。それらの人々は霊的イスラエル人ではありませんが,彼らと運命を共にして,神の新秩序に向かって進みます。そうするために,それらの人々はこの世的な親族や人間の政府とのかかわり合いを断たなければなりません。彼らは,大いなるモーセであるイエス・キリストの指導のもとで,良いたよりを宣べ伝えるために,しばしば新しい区域を探し出しては,喜んでキリストの『兄弟たち』の残りの者と共に仕えてきました。その多くは大抵,神の王国を人類にとって真の希望を与える唯一の手だてとして公に告げ知らせるため,自分の時間を十分に用いる開拓者あるいは宣教者として,王国をふれ告げる人に対する必要が特に大きな地域に移って行きました。このような神聖な奉仕にあずかる機会は,今なお沢山あります。資格のある人たちは自らを役立てて,そのような拡大された奉仕に伴ってもたらされる祝福にあずかるよう,招待されています。あなたもそうすることができますか。

      13 (イ)ヤエルとは,どんな人でしたか。その夫はエホバの僕たちに関してどんな立場にありましたか。(ロ)ヤエルはどのように試みに直面しましたか。

      13 ホバブがイスラエルと共に行くことに決めてからおよそ180年後のこと,その子孫の一人で,ヘベルという名の男の人がその妻ヤエルと共に,メギドからさほど遠くない所に住んでいました。ヘベルはケニ人の他の人々から別れて,イスラエルを厳しく圧迫していたカナン人の王ヤビンと平和な関係に入っていました。エホバがバラクをイスラエルの救出者としてお立てになった時,ヤビンの軍の長シセラは,その軍隊と,車輪に鉄の大鎌のついた戦車900両を集合させました。しかし,エホバはご自分の民のために戦い,敵の陣営の中に混乱を生じさせ,鉄砲水でその兵車を動きの取れない状態に陥らせました。シセラ自身は自分の兵車を捨てて,徒歩でヘベルの妻ヤエルの天幕のほうに逃げました。シセラが望んでいたとおり,彼女はシセラを天幕の中に招じ入れました。―裁き人 4:4-17; 5:20,21。

      14 ヤエルはどんな決定を下しましたか。それは何に関する証拠を示すものでしたか。

      14 今や,試みが始まりました。彼女はエホバの民のこの敵に対して何を行なうのでしょうか。彼女はシセラに毛布をかけ,凝乳を与えてその渇きをいやさせ,彼が眠りに陥るのを待ちました。そこで彼女は,「天幕の留め杭を取り,また,つちを手に握った。そして,忍び足で彼のところに行き,その留め杭を彼のこめかみに突き刺し,それを地に打ち込んだ。彼がぐっすり眠り,疲れきっていたときであった。こうして彼は死んだ」のです。彼女がした事は,勇気と,エホバとその民に対する愛とを要する事柄でした。また,それには彼女の側の積極的な行動と努力が必要でした。―裁き人 4:18-22; 5:24-27,31。

      15 今日,人々はどのようにして自分がヤエルに似ていることを示していますか。

      15 イスラエル人ではない,ほかのエホバの崇拝者たちについても言えることですが,ヤエルは,キリストの霊的な兄弟たちに対して善を行なう「ほかの羊」を表わしています。「ほかの羊」は自分たちの身近な親族が世とその支配階級に対してどんな結びつきを持っていようとも,それにはかかわりなく,世の支配者たちがエホバの民を圧迫することに賛成しません。彼らはより大いなるバラク,つまり主イエス・キリストとその真の追随者たちに忠節を示します。ヤエル級のこれらの人々は世の支配者たちに対して個人的に手を上げることはしませんが,エホバの僕たちを圧迫しようとする努力をくじくために,何であれ自分たちに自由に用い得るものを使用します。彼らは,自分たちがすべての敵を滅ぼすエホバの目的と全く一致していることを知らせるのを差し控えたりはしません。

      16,17 (イ)使徒 8章には,わたしたちの見倣う価値のある,どんな手本が記録されていますか。(ロ)その後に,わたしたちは何を行ない続けるべきですか。

      16 一刻も猶予してはいられません。もしあなたが本当にエホバとそのメシアによる王国に対して信仰を抱いているなら,またもしご自分の生活を聖書の要求に合わせたのでしたら,ぐずぐずせずに,そのことを公に明らかにしてください。使徒 8章の中で伝えられている,エチオピア人の宦官の示した精神を反映させてください。その宦官は自分に求められている事柄を理解するや否や,イエスに関する良いたよりを説明してくれたフィリポに,「わたしがバプテスマを受けることに何の妨げがあるでしょうか」と尋ねました。こうして彼はすぐさま水に浸されました。

      17 こうして立派に歩み始めたなら,エホバとのあなたの関係を日ごとに強め,そのみ言葉を自分の生活に一層十分に当てはめる道を求め,この事物の体制の終わりの時代中になされる,王国をふれ告げる肝要な業に,できるだけ十分にあずかってください。

  • 従順に対する異なった態度
    新しい地へ生き残る
    • 17章

      従順に対する異なった態度

      1 エホバはなぜバビロニア人にエルサレムを滅ぼすことをお許しになりましたか。

      エホバはエルサレムがバビロニア人によって滅ぼされる前の幾年もの間,起ころうとしていた事柄とその理由について,ユダヤ人に警告なさいました。ユダヤ人は神に従う代わりに,自分たちのかたくなな心の性向に従っていました。―エレミヤ 25:8,9; 7:24-28。

      2 (イ)当然なことですが,どんな益が神に対する従順に依存していますか。(ロ)イスラエルはどのようにしてエホバとの契約関係に入りましたか。

      2 エホバはご自分に仕えるようだれをも強制なさいませんが,ご自分の是認とそれに伴ってもたらされる命の祝福を欲する人々すべてにまさしく従順を要求しておられるのは,もっともなことです。エホバはイスラエルをエジプトから救出した後,彼らにこうお告げになりました。「もしわたしの声に固く従い,わたしとの契約を本当に守るなら,あなた方はあらゆる民の中にあって必ずわたしの特別な所有物となる。全地はわたしのものだからである。そしてあなた方は,わたしに対して祭司の王国,聖なる国民となる」。(出エジプト記 19:5,6)神が彼らに対するご自分の要求をはっきりと述べられ,「契約の書」が読まれるのを彼らが聞いた後,彼らは自らの自由意志に基づいて,神とのそのような関係に伴って生じる責任を受け入れました。―出エジプト記 24:7。

      3 (イ)その後,イスラエルはどんな点でエホバに対する反逆の精神を表わしましたか。(ロ)これらの出来事はなぜ聖書に記録されていますか。

      3 しかし,反抗的な精神が表われるようになるまでには,ほんのわずかな時間しかかかりませんでした。イスラエルの子らはエホバに対する自分たちの信仰を公に放棄したのではありません。しかし,多くの人々はエホバの律法を破って,エジプト人の慣行とエホバの崇拝とを一緒にしようとしました。(出エジプト記 32:1-8)後に,ある人々はエホバがご自分の見える代表者として用いておられた人たちをとがめました。(民数記 12:1-10; 16:1-3,31-35)イスラエルは一国民としては,人間に対する恐れに動かされたため,神の言葉に基づいて行動する信仰が欠けていたことを示しました。(民数記 13:2,31-33; 14:1-4。ヘブライ 3:17-19)意図せずに過ちが犯された時は,謙遜に悔い改めた人たちは許してもらうことができました。しかし,この国民は9世紀以上の期間にわたって故意に,まず神の一つのご要求,次いでもう一つ,そしてしばしばその多くを無視しました。彼らの行なったこととその結果は,わたしたちを戒める例として聖書の中に記録されています。―歴代第二 36:15-17。コリント第一 10:6-11。

      4 (イ)レカブ人とはどんな人々でしたか。(ロ)エホナダブは彼らにどんな義務を課しましたか。

      4 エレミヤの時代には,彼らの歩みの悲惨な結果に関して繰り返し警告が与えられた後,エホバはユダヤ人の前に一つの手本を示されました。それは,レカブ人でした。レカブ人はエホナダブの子孫で,イスラエル人ではありませんでした。エホナダブは,エホバと張り合う関係を一切認めなかったエヒウと全く一致していることをはっきり示した人でした。レカブ人の部族の族長であったこのエホナダブ(もしくは,ヨナダブ)は,かつて彼らに,定めのない時に至るまでぶどう酒を避け,また家に住んだり,農業に従事したりしてはならず,遊牧民として天幕に住むよう命じました。こうして彼らは,自分たちがその中で生活したイスラエル人と共にエホバを崇拝する一方,放縦や都市の生活の悪習に煩わされない,まじめで簡素な生活を送ることになりました。

      5 レカブ人は従順の点でどのように模範を示しましたか。

      5 ユダヤ人が宇宙主権者であられるエホバに聴き従おうとしていなかったのですから,レカブ人がその父祖である人間に従うことなど期待し得たでしょうか。彼らは確かに,それも模範的な仕方で従いました。レカブ人はバビロニア人とシリア人の軍勢がユダに侵入した時にはエルサレムに避難しましたが,彼らは引き続き天幕に住みました。しかし,彼らがその中に住んでいた民がぶどう酒を飲むことを許されていたのであれば,ぶどう酒に手を出そうとしない彼らの決意はどれほど固いものでしたか。エホバはエレミヤに,レカブ人を神殿の食堂に連れて来させ,ぶどう酒の杯を並べて,ぶどう酒を飲むよう勧めさせました。彼らは飲もうとはしませんでした。それはなぜでしたか。明らかに彼らはエホバに対する自分たちの父祖の専心の態度を高く評価し,自分たちの福祉に対する父祖の愛ある気遣いを認めたので,その命令に従いました。ユダヤ人があらわにしたエホバに対する従順の欠如を暴露するものとなった,この従順の優れた模範を,エホバは喜ばれました。―エレミヤ 35:1-11。

      6 (イ)今日,だれがレカブ人に似ていますか。(ロ)不従順なイスラエルの対型となったのはだれですか。

      6 今日,レカブ人に似ている人々がいます。それは主の「ほかの羊」です。それらの人々がぶどう酒を飲むかどうかは,今日問題ではありません。(テモテ第一 5:23と比べてください。)これは,大酒飲み,あるいはもしかして飲んだくれにならないかぎり,個人的な事柄です。(箴言 23:20。コリント第一 6:9,10)しかし,敬虔な従順は肝要な事柄です。背教したイスラエルの対型であるキリスト教世界とは対照的に,現代のレカブ人級の人々は,その行動によって,自分たちが敬虔な従順の価値を知っていることを示します。これは彼らにとってどのように益となるでしょうか。

      7 (イ)エホバはレカブ人に対して,励みを与える,どんな約束をなさいましたか。(ロ)それは,現代のレカブ人級の人々にとって,どんな希望を抱かせるものとなっていますか。

      7 エホバはレカブ人に対してその専心の態度のゆえに,現代に対する力強い預言的な重要な意味を持つ,ある約束を与えて,こう言われました。「あなた方はあなた方の父祖エホナダブの命令に従った。そしてそのすべての命令を守り,すべて彼があなた方に命じた通りに行ないつづけるので,それゆえ,イスラエルの神,万軍のエホバはこのように言われた。『わたしの前に常に立つ人が,レカブの子ヨナダブから断たれることはない』」。(エレミヤ 35:18,19)彼らは西暦前607年におけるエルサレムの滅亡を生き残った人々の中に含まれました。それで,彼らによって予表されたこの級の人々は,キリスト教世界と,エホバの主権を認めようとせずに,気ままに独自の道を行く世の残りの人々すべてとの来たるべき滅亡を生き残ることでしょう。

      従順が必ずしも容易ではない理由

      8 従順が難しいものであることに気づく人々が少なくないのはなぜですか。

      8 従順を身に着けるのが難しいことに気づく人々は少なくありません。そのような人々は,みんなが自分のやりたい事をする世の中で育ってきました。それらの人も,神の王国のもとでの生活について学ぶ事柄に好感を持つかもしれません。しかし,もし誇りのためにその考え方が曇らされると,それらの人々は神のご要求のある事柄でしりごみしたり,あるいはそれが伝えられる仕方をとがめたりするかもしれません。(箴言 8:13; 16:18)預言者エリシャの時代のシリアの軍の長ナアマンにはそのような問題がありました。

      9 (イ)ナアマンはどのようにして,エリシャに会いに行くことになりましたか。(ロ)彼は何を期待しましたか。しかし,実際には何が起きましたか。

      9 ナアマンはらい病で悩まされていました。しかし,あるイスラエル人の捕らわれ人の少女が,ナアマンはエホバの預言者エリシャのもとに行きさえすれば,いやされるに違いないという信仰を大胆に言い表わしたため,ナアマンはイスラエルへ旅立ちました。彼は馬や戦車を伴ってエリシャの家に進んで行きました。ところで,ナアマンは著名な人だったので,エリシャが出て来てこれを迎え,それから儀式を執り行なって,病気にかかった肉の部分が治るまで,その上で手をあちらこちらに動かすものと期待していました。エリシャはそれどころか,単に使いの者をやって,彼にヨルダン川へ行って,そこで7回身を洗うようにと命じたにすぎませんでした。―列王第二 5:1-12。

      10 (イ)ナアマンはどのように反応しましたか。(ロ)最後に彼は何に動かされて従いましたか。(ハ)結果はどうなりましたか。

      10 ナアマンは誇りを傷つけられ,憤りを抱いて去りました。しかし,その従者たちから説得された後,彼は本当に謙遜になりました。こう記されています。「そこで,彼は下って行って,まことの神の人の言葉の通りに七度ヨルダンに身を浸した。その後,彼の肉は小さな少年の肉のように元に戻り,彼は清くなった」。ナアマンはエホバが唯一まことの神であられることを確信するようになり,その最初の反応とは異なって,エリシャから与えられた指図が実際には神からのものであったことを悟りました。―列王第二 5:13-15。

      11 (イ)ナアマンはどんな点で「ほかの羊」を表わしていましたか。(ロ)わたしたちすべては,どんな大切な教訓を学ばなければなりませんか。

      11 あなたは,もしかすると,ナアマンの特徴の幾らかがご自分のうちにあることにお気づきでしょうか。信仰を働かせた,非イスラエル人の,ほかの人たちについても言えるように,聖書の中でナアマンは真の崇拝に加わる「ほかの羊」を表わすために用いられています。それらの人たちは皆,罪のうちに生まれたので,かつては霊的な意味で病気にかかっていました。それらの人たちは皆,エホバの油そそがれた僕級の助けを求め,次いでこの「奴隷」が神の言葉から教えてくれた事柄に基づいて従順に行動しなければなりませんでした。(マタイ 24:45)中には,会衆の集会に定期的に出席する必要性,世から離れていることやクリスチャンの受ける水のバプテスマの重要性などの,自分たちに与えられる聖書的な助言すべてを,ある時点では理解していない人たちもいました。そのような人たちは,キリストの追随者となるために『自分を捨てる』必要があることに自分の心が抵抗するので,献身して水のバプテスマを受けることをためらってきたのかもしれません。時には,会衆内の責任のある人たちから助言が与えられる仕方を批判した人たちもいました。しかし,本当に主の「ほかの羊」でありたいと思う人はすべて,早晩,謙遜と,愛に基づく従順との重要性を学ぶ必要があります。―ヤコブ 4:6。マタイ 16:24。

      わたしたちに益となる命令

      12,13 (イ)エホバのご命令に対する従順は,どうしてわたしたちの益となりますか。(ロ)このことはどのように例証できますか。

      12 わたしたちはエホバとその道について知るようになると,昔,ご自分の僕たちに向かって次のように話された言葉がいかに真実かを正しく評価できるようになります。「わたし,エホバは,あなたの神,あなたに自分を益することを教える者,あなたにその歩むべき道を踏み行かせる者である。ああ,あなたがわたしのおきてに実際に注意を払いさえすれば!」(イザヤ 48:17,18)エホバの誠実な願いは,その民がエホバのおきてに注意を払って,災いを避け,命を享受することです。エホバは,わたしたちがどのように造られているか,また何がわたしたちに真の幸福をもたらすかをご存じです。それで,わたしたちを堕落させたり,あるいはわたしたちと他の人たちとの関係を損なったりする恐れのある行ないに気をつけるよう,わたしたちに警告しておられます。

      13 淫行や姦淫に気をつけるようにとの,その警告に留意してきた人たちは,そのような行為のもたらす感情的な混乱や病気や私生児の出産などを経験せずにすみました。(コリント第一 6:18。ヘブライ 13:4)コリント第二 7章1節にあるような助言を当てはめることによって,それらの人々は健康を損ない,早死にを招き得る,たばこや他の麻薬の中毒にならないよう守られてきました。『血を避けなさい』というご命令は,自分の将来の命に関するすべての見込みを左右する方であられる神に対する信頼を強めるのに役立ってきましたし,同時に輸血によって広まる危険性のある恐ろしい病気にかからないよう彼らを守るものともなってきました。―使徒 15:28,29。

      14 不必要に世とかかわり合う代わりに,王国を第一に求めることによって,わたしたちはどのように益を得られますか。

      14 わたしたちは世にいるかぎり,ある程度はこの世と接する必要があります。しかしエホバは,わたしたちがこの世に希望をかけない,つまりその一部とならないよう警告しておられます。この世の将来がどうなるかをご存じなのです。神が取り壊そうとしておられるものを築きながら生涯を送るのは,何と愚かなことでしょう。しかも,もっと悪いことに,そうする人たちは,自分の人生をささげてきたこの世と運命を共にするということに気づくでしょう。ですから,神のみ子から与えられた次の助言は何と有益なのでしょう。神の王国を求めてください! あなたの生活の中でそれを第一にしてください!―ヨハネ第一 2:17。マタイ 6:33。

      15 (イ)アダムが失ったものを取り戻す人たちの一人になるには,わたしたちは何をすることを学ばなければなりませんか。(ロ)エホバは千年期の間,わたしたちにどのように話されますか。

      15 エホバはわたしたちが何を必要としているかを十分承知の上で,ご自分の民をその義にかなった新しい事物の体制のもとでの生活に備えさせておられます。アダムの不従順のために人間は不完全になり,とこしえの命を失い,そして楽園から追放されました。もし,アダムの失ったものをもって恵みを受ける人たちの一人になりたいのなら,わたしたちは確かに,神が話されるとき,注意を払う者であるという証拠を示さなければなりません。では,人間が完全な状態に引き戻されてゆく,来たるべき千年期に際して,神はどのようにわたしたちに話されるのでしょうか。それは,メシアによる王国を通してなされます。その政府もまた,地上に見える代表者たちを持つことになりますか。そうです。その王は,『全地で君』として奉仕する人たちを持つことになります。(詩編 45:16。イザヤ 32:1,2と比べてください。)人類はそれら君たちに対する愛に基づく従順によって,自分たちの天の王に対する服従を証明するようになるでしょう。

      16 長老たちに対する従順は,今なぜ身の守りとなりますか。それは,神の新秩序における生活のためにどのように良い備えをさせるものとなりますか。

      16 エホバはその時のための備えとして,今,ご自分の見える神権組織を通して訓練を施しておられます。エホバは諸会衆の中に,霊的な意味での年長者たち,つまり長老たちを立ててこられました。それら長老たちは会衆の集会のための必要な監督を行ない,王国の音信を宣べ伝える点で率先しています。長老たちはエホバに仕えたいと願う人たちすべてが聖書の原則を当てはめる仕方を学ぶように助け,自分と神との関係を傷つける恐れのあるわなに気をつけるよう,愛に基づいて警告します。また,エホバの証人は世界中で,あらしや地震や,武器を用いた突発的な暴力行為などの際に,長老たちの指示に留意したおかげで命拾いをするようになったことに気づいてきました。会衆は長老たちのものではありません。それは神のものです。長老たちは霊感を受けているとは主張しません。しかし,聖書が示すように,神は彼らを用いて指導の任に当たらせておられるので,長老たちに対する従順は,エホバがご自分の僕たちをその新秩序に生き残るよう備えさせるために用いておられる取り決めに対して敬意を抱いていることを証明するものとなります。―使徒 20:28。ヘブライ 13:17。

      17 従順であるよう,わたしたちに動機づけを行なうのは,何であるべきでしょうか。

      17 しかし,そのような従順の動機づけとなるのは,単に来たるべき世の滅びを生き残る人たちの一人になりたいという願いだけではありません。さらにもっと多くの事柄があります。どんな事柄でしょうか。命と,命を支えるために神が設けてくださった備えすべてに対する感謝の気持ちです。また,わたしたちの生活を豊かにする神からの贈り物,つまり推論したり,美や霊的な価値を認識したり,わたしたちの創造者を知って崇拝したりする能力に対する感謝の念です。さらに,それはわたしたちが永遠に生きるための機会を持てるようにするため,神がご自分のみ子を与えて,その命を犠牲として捨てさせるほどに神を動かした,その大きな愛を認識することです。

      18 わたしたちは神をよく知ると,神とその組織に対する従順をどう見るようになりますか。

      18 神をよく知るようになった人たちにとっては,従順は不快な義務ではありません。そのような人たちは,神の目的とご要求を正確に理解すると共に,それを適用することによってもたらされる良い結果を経験するので,物事を神の道に従って行なうのは,道理にかなった唯一の分別のあるやり方だという考え方が,疑問の余地のないものとなります。そして,そのやり方が身の守りとなることを認めています。それはまた,神に対する自分たちの愛を示す道なのです。それらの人々は神に従うことに大きな喜びを見いだしています。―ヨハネ第一 5:3。詩編 119:129。

      [135ページの図版]

      らい病にかかっていたナアマンのように,誇りを克服する必要のある人もいます

  • あなたは地の新しい王に忠節な人ですか
    新しい地へ生き残る
    • 18章

      あなたは地の新しい王に忠節な人ですか

      1 イエスが西暦33年に王として紹介された時,群衆はどのように答え応じましたか。

      西暦33年ニサン九日のこと,イエス・キリストはご自分をユダヤ人の王,つまり予告されたメシアとして人々に紹介なさいました。イエスがエルサレムに向かってオリーブ山を下って行かれると,大勢の弟子たちは喜び,イエスの行なわれた強力な業のゆえに神をたたえました。(ルカ 19:37,38。ゼカリヤ 9:9)しかし,彼らは自分たちが王として歓呼して迎えた,その方に忠節であることを実証したでしょうか。彼らの忠節はほどなくして試みられました。

      2 (イ)今日,多くの人々は,キリストが地の新しい王であるという発表に,どのように答え応じていますか。(ロ)しかし,どんな質問は真剣に考慮するに値しますか。

      2 天から活発に支配しておられる,栄光を受けられたイエス・キリストは,1914年以来,地の新しい王として全人類に紹介されてきました。キリストの手中にある政府のもとで生活する見込みと,人類の諸問題の真の解決策とは,あらゆる国民の中からの人々を歓ばせてきました。しかし,それらの人たちは忠節であることを実証するでしょうか。わたしたち個人個人についてはどうですか。

      王ご自身の忠節の記録

      3 (イ)イエスご自身は,どうしてエホバの「忠節な者」と呼ばれていますか。(ロ)忠節とはどういうことですか。

      3 イエス・キリストは,宇宙主権者であられるエホバに対するご自分の忠節が確固たるものであることを示す,豊富な証拠を提出なさいました。イエスは聖書の中で適切にもエホバの「忠節な者」と呼ばれています。(詩編 16:10。使徒 2:24-27)ここで用いられている「忠節」という意味のヘブライ語の言葉には,愛ある親切という考えが含まれています。それは単に律法もしくは公正にのみ基づく冷たいものではなく,愛や感謝という動機づけを持つものなのです。―詩編 40:8; ヨハネ 14:31と比べてください。

      4,5 (イ)サタンの反逆に続いて,イエスの忠節さは天でどのように示されましたか。(ロ)その忠節さはまた,地上でもどのように示されましたか。

      4 天において,サタンが神にのみ属する誉れを自分自身のために求めるようになり,み使いの中のほかの者たちがエホバの天の組織の中の自分たちの正当な場所を捨てた時,神の初子なるみ子は彼らの精神に見倣いませんでした。そうすることなど,み子にとっては考えられないことでした! 自己犠牲をいとわない専心の深さがそれほどのものでしたから,み父のご意志を遂行するに際して,この忠節なみ子は天的な栄光をあとにし,ひとりの人間となり,苦しみの杭の上での死をさえ甘んじて受けられました。イエスは,聖書がご自分のために述べている大要のどんな詳細な点も,それがご自身にかかっている限り,成就せずに終わることがないよう,愛に基づいて取り計らわれました。―フィリピ 2:5-8。ルカ 24:44-48。

      5 イエスが地上におられた間,サタンはイエスに大きな圧力を加え,神から与えられた,なすべき業をやめて,脇道にそれさせようとし,もしできれば,神ご自身にみ子を退けさせるような事をイエスにさせようと誘惑しました。サタンはイエスに,際立った立場や権力 ― ただし,サタンが支配者であるこの世の一部となって受けるもの ― を得させるような事柄を行なうよう促しました。イエスは聖書を指針として引用し,拒絶なさいました。(マタイ 4:1-10)イエスはたいへん優れた能力を持っておられましたが,常にみ父のご意志と調和した仕方でそれを良くお用いになりました。そして,神から遣わされて行なうよう求められた業を行なうことに全く没頭されました。(ヨハネ 7:16-18; 8:28,29; 14:10)忠節の何という立派な模範なのでしょう。

      6 イエスに与えられた報いは,どんな点でわたしたちに忠節を求めるものとなりますか。

      6 イエスの実証された忠節のゆえに,エホバがこの方を死人の中からよみがえらされ,「さらに上の地位に高め,他のあらゆる名に勝る名を進んでお与えになったのです。それは……すべてのひざがイエスの名によってかがみ,すべての舌が,イエス・キリストは主であると公に認めて,父なる神に栄光を帰するためでした」。(フィリピ 2:9-11)この「他のあらゆる名に勝る名」は,エホバのご意志を成就できるようにするために,イエスに授けられた権能と権威を表わしています。この方に向かって『ひざをかがめる』とは,その地位を認め,その権威に服従することを意味します。それには,王としてのこの方に忠節に服することも含まれます。

      エホバの油そそがれた者たちに対する忠節な愛

      7 イエスの追随者は,忠節に関してどんな事柄で試みられますか。

      7 イエスは昇天なさった後,もはや人間の目では見ることができなくなったため,その追随者たちは心を探る忠節の試みを受けることになりました。その追随者たちはイエスから教えられた原則に従って生活したでしょうか。彼らは世から離れていたでしょうか。聖霊によって監督の責任を授けられた人たちを敬ったでしょうか。イエスから割り当てられた業を魂を込めて行なったでしょうか。

      8 ヨナタンとダビデの間の忠節な愛は,何を予表するものでしたか。

      8 やがて,「ほかの羊」が集められて,天の王国の相続人の「小さな群れ」と交わることになっていました。それらの人は王であられるキリストとの関係および互いの関係における自分たちの割り当てられた立場を本当に正しく認識するでしょうか。事実は,イエス・キリストのもとにある「一つの群れ」の一部となっている人々すべての間に相互の純粋の愛が育っていることを示しています。このことは,ダビデに対するサウル王の子ヨナタンの破ることのできない,尽きない愛によって予表されていました。エホバに対するダビデの全き専心と,巨人ゴリアテを打ち殺す際の神に対するその信頼のほどを目撃したヨナタンは,深い感銘を受け,その『魂はダビデの魂と結び付き,ヨナタンは自分の魂のように彼を愛するようになりました』。エホバが王権をヨナタンではなく,ダビデに授けようとしておられることが明らかになったときでも,ヨナタンの愛は衰えませんでした。ヨナタンはダビデのために自分の命をさえ何度も危険にさらしました。―サムエル第一 17:45-47; 18:1; 23:16,17。

      9 ダビデの軍隊で仕えた,イスラエル人でない人々は,同様の忠節さをどのように表わしましたか。

      9 ヨナタンのほかにも,ダビデを慕った,イスラエル人ではない人たちがいました。それらの人々は傭兵ではなく,エホバの油そそがれた者であるダビデに対する専心の情に動かされて行動した勇敢な人たちでした。その中には,ケレト人,ペレト人およびフィリステア人の都市ガトの土着人がいました。それらの人々は,ダビデの子アブサロムが偽ってイスラエルの人々の心を盗もうとした時,忠節にダビデに付き従いました。アブサロムの際立った地位とその狡猾さにもかかわらず,彼らはその耳ざわりの良い話によって裏切り行為に引き入れられたりはしませんでした。―サムエル第二 15:6,10,18-22。

      10 (イ)キリストと油そそがれた残りの者と「ほかの羊」の密接な関係は,詩編 45編の中でどのように描写されていますか。(ロ)どのような意味で,『友なる処女たちは王の宮殿に入る』のですか。

      10 キリストと油そそがれた残りの者と「ほかの羊」との関係に関する,もう一つの心温まる描写は,詩編 45編に見られます。これは単なる美しい詩ではなく,メシアによる王国について預言的に述べた詩で,神ご自身が「王座」,すなわちイエスの王権を支える基として描かれています。(詩編 45:1-7。ヘブライ 1:8,9)詩編作者はキリストの花嫁のことを,婚礼の日に王のもとに連れて来られる「王の娘」として描写しています。その娘と共にいるのは「友……処女たち」です。これらの処女とはだれのことですか。それは神の王国の地上の臣民となることを心待ちにしている人たちです。これらの人々は『歓びとうれしさに満たされて』,「花嫁」級の最後の一人が天でキリストと結ばれるときまで,その「花嫁」級に伴って行きます。そして,天に上るのではなく,王の奉仕のために自らをささげることによって,花嫁級の人たちと共に「王の宮殿に入る」のです。あなたはその行列に加わっている幸福な人々の一人になられましたか。―詩編 45:13-15。

      忠節はわたしたちに何を求めるものとなりますか

      11 どんな状況は,「世のもの」ではないという点でわたしたちを試みるものとなりますか。

      11 わたしたちがどのような人間かを示すものとなる,生活上の状況は,数え切れないほどあります。わたしたちは本当にエホバのメシアによる王国を信頼していますか。それはわたしたちにとって実在するものですか。イエスは,ご自分の真の追随者は「世のもの」とはならないと言われました。あなたについても,そう言えますか。―ヨハネ 17:15,16。

      12 わたしたちはたとえ不完全ではあっても,さらにどんな点で忠節の証拠を示せますか。

      12 わたしたち不完全な人間の場合には,忠節は完全性を要求するものではありません。しかし,それは確かに,人が見ていようがいまいが,故意に聖書の命令を破ることは避けるよう求めるものとなります。それはわたしたちを動かして,世の道にどれほど近づけるかを見ようとするのではなく,むしろ聖書の原則を十分に当てはめるよう努力させるものとなります。それは悪いことに対する純粋の憎しみをわたしたちに培わせるようになります。―詩編 97:10。

      13 忠節さは,背教者の耳ざわりの良い話からどのようにわたしたちを守るものとなりますか。

      13 もしわたしたちが悪いことを本当に憎むなら,好奇心に誘われるまま悪事に近づくのを許したいとは思いません。性的に不道徳な人たちの生活に好奇心を抱く人は,身の破滅を招くことになりかねません。(箴言 7:6-23)同様に,背教者たち,つまりエホバとその組織を捨て,そののち以前の仲間たちを言葉を用いて『たたく』人々が作り出した文書を,好奇心にかられて買って読んだりする人たちも,霊的な破滅に遭う恐れがあります。(マタイ 24:48-51)箴言 11章9節は,「背教者はその口によって仲間の者を滅びに陥れる」と警告しています。しかし忠節は,彼らの耳ざわりの良い話のために誤導されないよう,わたしたちを守るものとなります。―ヨハネ第二 8-11。

      14 (イ)王としてのキリストに対するわたしたちの忠節を証明できる最も重要な方法の一つは何ですか。(ロ)この業はどうしてそんなに重要なのですか。

      14 忠節を示すことのできる最も重要な方法の一つは,イエスがその弟子たちに行なうよう教えられた業に魂を込めてあずかることです。イエスは自ら都市から都市,また村から村へ行って,神の王国の良いたよりを宣べ伝えて手本を示されました。(ルカ 8:1)イエスは真のクリスチャンが今日行なっていると考えられる事柄を予告して,こう言われました。「王国のこの良いたよりは,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう。それから終わりが来るのです」。(マタイ 24:14)王国の論争があらゆる場所の人々に紹介されて,人々が個人的に決定を下せるようになっているのは,良いたよりがこのように宣べ伝えられているからなのです。大群衆にとって,その決定は,大患難を切り抜けて自分たちを存続させるものとなるでしょう。(啓示 7:9,10)あなたはこの緊急な業に忠節にあずかっておられますか。

      15 (イ)詩編 145編10-13節は,エホバの忠節な者たちが何について語るようになることを述べていますか。(ロ)それはわたしたちにどのように当てはまりますか。

      15 昔,詩編作者ダビデは次のように書き記しました。「エホバよ,あなたのすべてのみ業はあなたをたたえ,あなたの忠節な者たちはあなたをほめたたえます。彼らはあなたの王権の栄光について語り,あなたの力強さについて話します。それは,その力強い行ないと,その王権の光輝に満ちた栄光とを人の子らに知らせるためです。あなたの王権は定めのないすべての時にわたる王権,あなたの統治権は代々限りなく続きます」。(詩編 145:10-13)その王権は今や,イエス・キリストの忠節な手中にある,メシアによる王国を通して行使されているので,わたしたちはその王権について自由に,また熱意を込めて話すことにより,神とキリスト双方に対するわたしたちの忠節を証明するのです。

      16 忠節の念は,王国を宣べ伝える業にわたしたちがどの程度あずかるか,またその業にあずかるわたしたちの動機にどのように影響を及ぼすはずですか。

      16 あなたはご自分の生活の中で,王国について証しをする,この業をどれほど際立ったものとしておられますか。自分の追求している他の事柄よりもこの業を本当に優先させていますか。あなたが個人的になさる事は,ほかの人たちがする事よりも多いかもしれず,あるいは少ないかもしれません。境遇は個人個人異なります。しかし,わたしたちはすべて,次のように自問することによって益が得られます。『わたしがあずかっているのは,単に義務感,もしくはしるしばかりの捧げ物を反映するだけのものだろうか。わたしはそれを単に生き残るための要求とみなしているのだろうか。それとも,わたしはエホバに対する愛や,そのメシアなる王に対する専心の念およびわたしの仲間の人間に対する純粋な気遣いに動かされて,その業を第一の場所に置き,それを中心にして自分の生活の中の他の関心事を築いているだろうか』。わたしたちは忠節の念に動かされて,この業がわたしたちの王にとってそうであるのと同様,わたしたちにとっても重要なものであることを証明する道を求めてゆきます。

      17 イエスは,邪悪な者たちを滅ぼす時,だれに向かって「平和を語る」ようになられますか。

      17 西暦33年にエルサレムに入城した時,弟子たちにより歓呼の声を上げて王として迎えられた方は,メシアなる王を通して表明されるエホバの主権を退ける者たちすべてを,間もなく滅ぼされるでしょう。しかしこの方は,ご自分の忠節の模範に見倣ってきた,あらゆる国民の中からの人々のあの「大群衆」に向かって「平和を語る」ようになられるでしょう。あなたはそれらの人々の一人になられますか。―ゼカリヤ 9:10。エフェソス 4:20-24。

  • 『わたしたちは神があなた方と共におられることを聞きました』
    新しい地へ生き残る
    • 19章

      『わたしたちは神があなた方と共におられることを聞きました』

      1,2 (イ)ゼカリヤ 8章23節は,現代に関して何を予告していますか。(ロ)ここで言及されている神はどなたですか。聖書はこの方の固有のみ名をどのように強調していますか。

      「わたしたちはあなた方と共に行きます。神があなた方と共におられることを聞いたからです」。これは,あらゆる国民の中からの人々がわたしたちの時代に言うようになると,聖書の予告していた事柄です。(ゼカリヤ 8:23)そして,ゼカリヤの預言の言及している,この神とは,どなたですか。わたしたちは迷うままにされてはいません。聖書のこの比較的に小さな書の中で,その方の固有のみ名は135回出ています。それはエホバです!

      2 この方は自らご自分の固有の名,エホバについて,次のように言われました。「これは定めのない時に至るわたしの名,代々にわたるわたしの記念である」。(出エジプト記 3:15)このみ名の重要性は,それが主や神などの称号の出てくる回数を合わせた合計よりもはるかに多く,ヘブライ語聖書全巻の本文に7,000回近く出ていることからも分かります。予告されていたとおり,この「終わりの日」には,そのみ名が人々の一つのグループと際立った仕方で結びつけられてきました。

      「わたしたちはあなた方と共に行きます」

      3 ゼカリヤ 8章20-23節で予告されているとおり,(イ)だれがエホバを求めますか。また,(ロ)だれと交わって,そうしますか。

      3 このことに関して,預言者ゼカリヤは古代エルサレムのエホバの神殿の再建の時に,神による霊感を受けて,次のように書き記しました。「万軍のエホバはこのように言われた。『今後,もろもろの民また多くの都市の住民がやって来るであろう。一つの都市の住民が必ず別の都市の住民のところに行って,こう言う。「さあ,真剣な気持ちで行ってエホバの顔を和め,万軍のエホバを求めようではないか。わたし自身も一緒に行く」。こうして多くの民また強大な国民がまさにやって来て,エルサレムで万軍のエホバを求め,エホバの顔を和めようとするであろう』。万軍のエホバはこのように言われた。『その日には,諸国のあらゆる言語から来た十人の者が,ユダヤ人である一人の者のすそをとらえ,まさしくとらえてこう言う。「わたしたちはあなた方と共に行きます。神があなた方と共におられることを聞いたからです」』」― ゼカリヤ 8:20-23。

      4 この預言はどうして,ユダヤ教にも,またキリスト教世界にも当てはまりませんか。

      4 エルサレムの再建された神殿に関連してゼルバベルの時代に始まった,この預言の限られた成就は,現代におけるはるかに壮大な成就を指し示していました。それはどんな民と関連していますか。『エホバを求める』人々が,自分たちの伝統的な崇拝にすがりつく生来のユダヤ人がするように,迷信深くも神のみ名を発音しようとさえしない民のもとに向かうと考えるのは全く不合理なことです。また,神聖なみ名の使用を避けるユダヤ人の習慣に見倣っているキリスト教世界に向かうとも考えられません。今日,人々がエホバを崇拝するために向かっているのは地上のエルサレムではありません。イエスが予告なさったように,神はそこにあったご自分の神殿を見捨てられたので,それは西暦70年に滅ぼされ,以来今日に至るまで二度と再建されませんでした。このことから,道理をわきまえる人ならだれでも,神はそれらクリスチャンではないイスラエル人と共におられるのではないことが分かります。―マタイ 23:37,38。列王第一 9:8,9と比べてください。

      5 聖書は,(イ)今日,エホバを代表する「エルサレム」と,(ロ)ゼカリヤが預言した「ユダヤ人である一人の者」の実体をどのように明らかにしていますか。

      5 今日,エホバを代表する「エルサレム」は,ヘブライ 12章22節では「生ける神の都市なる天のエルサレム」として描写されています。古代エルサレムがエホバの支配権の見える象徴物であったとおり,「天のエルサレム」は,イエス・キリストが1914年における異邦人の時の終わりに王として即位させられた,神のメシアによる王国なのです。(歴代第一 29:23。ルカ 21:24)その政府にはこの地上に代表者たち,つまりその政府を人類にとって唯一の確かな希望として忠節にふれ告げている人たちがいます。その王国が1914年に建てられたことを最初に告げ知らせた人たちは,「小さな群れ」の残っている者たちでした。それらの人たちは霊的な意味での「神のイスラエル」なのです。それらの人々はゼカリヤが預言した霊的な「ユダヤ人」です。(ルカ 12:32。ガラテア 6:16。ローマ 2:28,29)これらの人々は1931年以来,神に対する愛と,エホバがまことの全能の神であることを知らせる責任に対する認識のゆえに,エホバの証人という名称を採用してきました。―イザヤ 43:10-12。

      どのように見分けられますか

      6 (イ)今日,神が共にいてくださる民の実体に関して,何百万もの人々を確信させてきたのは,どんな事柄ですか。(一度に一つの点を考慮し,聖句を読んでください。)(ロ)あなた個人にとっては,どの点が最も印象的でしたか。

      6 これらの霊的なユダヤ人がエホバの証人としての自分たちの責任を忠実に果たしてきた結果として,世界中の何百万もの誠実な人々は『エホバを求める』よう助けられてきました。これらの人々は,エホバが本当にそのみ名を負うそれらの民と共におられることを悟るようになりました。このことを彼らに確信させるものとなっているのは,どんな事柄ですか。多くの事柄がありますが,中でも次のような点が際立っています:

      (1)エホバの証人の信条はすべて聖書に,それも単に個々ばらばらの聖句ではなく,神のみ言葉全体に基づいています。エホバの証人は独自の創意に基づく事柄を教える代わりに,聖書の述べる事柄を指摘して質問に答えます。エホバに話していただくことによって,エホバを尊びます。(ヨハネ 7:16-18と比べてください。)

      (2)聖書は,神ご自身が諸国民の中から「ご自分のみ名のための民」を取り出されると述べています。(使徒 15:14)それらの人々は個人的にそのみ名を呼びますし,それを全地で知らせるために努力することでしょう。(イザヤ 12:4,5)エホバの証人は世界中で,エホバという神の固有のみ名と著しい仕方で結びつけられた民となっています。

      (3)エホバの証人には人を満足させる霊的な食物が豊富にあります。証人たちは聖書から学ぶ事柄と,それが人生観に及ぼす影響のゆえに,一般の世の人々とは対照的に幸福な民となっています。これは,エホバがご自分の僕たちに当てはまるようになると言われた事柄です。(イザヤ 65:13,14。マタイ 4:4と比べてください。)

      (4)エホバの証人は自分たちの行動の規準を定め,日常生活の事柄で決定をする際の導きを得るために,神の言葉を用います。つまり,家庭で,仕事に際して,学校で,娯楽を選ぶ際,避けるべき慣行を見分ける際,携わるべき最も価値ある活動を決める際にそうします。エホバは,そうする人たちの「道筋をまっすぐにしてくださる」と約束なさいました。(箴言 3:5,6)

      (5)エホバの証人の会衆の監督の仕方は,長老たちが高められた僧職者階級となる代わりに,神の王国のための仲間の働き人である群れの模範となっていた,1世紀の神の会衆のその型に基づいて定められています。(ペテロ第一 5:2,3。コリント第二 1:24)

      (6)エホバの証人は世の政治的な事柄には関係せず,聖書が真のクリスチャンのために述べている業,すなわち終わりが来る前に証しのために全世界で神の王国の良いたよりを宣べ伝えることを行なっています。(マタイ 24:14。ヨハネ 17:16; 18:36と比べてください。)

      (7)エホバの証人は,イエスがその真の弟子たちに行なうよう命じられたとおり,本当に互いに愛し合います。皮膚の色,出身部族,経済事情,国籍,言語などは,どれ一つとして他の人を見下げさせるものとはなりません。人間としての不完全さにもかかわらず,証人たちはすべて,国際的な兄弟関係で本当に結ばれており,このことですべての功績を神に帰しています。(ヨハネ 13:35。使徒 10:34,35と比べてください。)

      (8)初期のクリスチャンのように,現代のエホバの証人も迫害をものともせずに,ずっと神に仕え続けます。証人たちは神に信頼し,反対者に対して仕返しをしたりはしません。過去においてそうであったように,神はご自分の僕たちと共におられて,僕たちを救い出してくださいました。(エレミヤ 1:8。イザヤ 54:17)

      7 (イ)「十人の者」とは,だれのことですか。(ロ)それらの人々は,エホバが本当に自分たちの神になられたという証拠をどのように示しますか。

      7 これらの事柄は,予告されていたとおり,『諸国のあらゆる言語からの十人の者』が王国相続人の残りの者に向かって全き確信を抱いて,「わたしたちはあなた方と共に行きます。神があなた方と共におられることを聞いたからです」と言っている,ほんの幾つかの理由にすぎません。(ゼカリヤ 8:23)聖書は地的な事柄に関する完全性を表わすために「十」という語を用いていますから,これら「十人の者」は,キリストの霊によって油そそがれた『兄弟たち』と一緒に,今真の崇拝を奉じている人たちすべてを表わしています。それらの人たちは単に集会で残りの者と交わるだけでなく,自分自身が自分たちの神エホバの崇拝者であることを明らかにします。それらの人たちはイエス・キリストを通して神に献身し,水のバプテスマによってその献身を表わし,こうして『エホバに加わり』たいとの願いをはっきり示します。それから,エホバの証人たちによって全地でなされている業に喜んであずかります。―ゼカリヤ 2:11。イザヤ 61:5,6。

      見倣う価値のある模範

      8 (イ)シェバの女王はどうしてエルサレムへ旅をするようになりましたか。(ロ)女王は到着してから何をしましたか。その結果,どうなりましたか。(ハ)今日,ある人々はどのようにこの女王に似た人となっていますか。(詩編 2:10-12)

      8 このような行動を取る人たちの中のある人々は,ソロモンの時代のシェバの女王に似ています。この女王はずっと遠くから,『エホバのみ名に関連してソロモンのうわさを聞いていました』。女王はソロモンと一度も個人的に話したことはありませんでしたし,エルサレムのエホバの神殿に行ったこともありませんでした。それで,果たして万事自分が聞いたとおりかどうか,ある程度疑わしく思いました。しかし,女王は事実を知ろうとして努力し,らくだを用いて,恐らく2,250㌔の旅行をしたと思われます。そして,すべての「難問」に対する答えを見いだし,「ご覧ください,私はその半分も告げられていませんでした」と叫びました。それで,エホバはご自分の崇拝者たちを愛しておられると結論せざるを得ませんでした。(列王第一 10:1-9)中には,この世で重きをなしてきた人々で,今日この女王の模範に見倣っている人たちもいますし,もっと身分の低い多くの人々もそうしてきました。それらの人々は,エホバの証人が人間ではなく,大いなるソロモンであるイエス・キリストを自分たちの王として,この方に頼っていることを示す証拠を見ています。それらの人たちは神の言葉から与えられる答えで思いと心を満足させられ,声を合わせてエホバをたたえたいと思うようになります。―ルカ 11:31と比べてください。

      9 (イ)ラハブの態度はシェバの女王のそれとどのように異なっていましたか。(ロ)ラハブとその家の者が保護されるに至った,一連の出来事については,どんな点が注目に値しましたか。(ハ)今日,ある人々がラハブのような人たちであることを何が示唆していますか。

      9 ほかの人たちは,うわさを聞いて,イスラエルの神が『上の天においても下の地においても神』であることをすでに確信していた,エリコのラハブに似ています。(ヨシュア 2:11)イスラエルから斥候がその地に入った時,ラハブはそれら斥候を歓迎し,彼らを隠し,自分の命を危うくしながら彼らを保護しました。彼女は信仰を抱いていたので,エホバの民の側に立って,業によってその証拠を示しました。(ヘブライ 11:31。ヤコブ 2:25)そして,身を守るために与えられた指図に注意深く従いました。ラハブはまた,その父や母,その兄弟や姉妹たちのためにも愛ある気遣いを示し,生き残るための要求に従うなら命を助けてもらえる道を開きました。(ヨシュア 2:12,13,18,19)その結果,エリコと,バアルを崇拝するその住民が滅ぼし尽くされた時,彼女とその家の者たちは救出されました。(ヨシュア 6:22,23)今日,このことには強力な意義があります。それは,エホバがラハブのような人たちの命を助けてくださることをはっきり示しています。それらの人たちがラハブのようであることは何によって示されますか。これらの人々はエホバに信仰を置き,自分たちが霊的イスラエルの成員の仲間であることを示し,この経路を通して与えられる指示にしっかり従い,また同様にすることの知恵を理解するよう,身近な親族の成員や他の親族を熱心に助けるよう努力します。

      10 (イ)ゼカリヤの預言が示すように,エホバの証人と交わるよう人々を本当に引きつけているのは何ですか。(ロ)わたしたちはどうすれば,エホバに対する愛こそ,わたしたちの心を本当に満たしているものであることを示せますか。

      10 もちろん,あらゆる国民の中の人々を引き入れて,エホバの証人と交わらせるものとなっている真の魅力は,エホバ神ご自身です。そのみ言葉はそれらの人々に訴えます。エホバの僕たちの生活に見られる霊の実は,それらの人々を引きつけるものがあります。これらの人々はエホバの特質と人類に対するその取り扱い方を熟知するにつれ,サタンと不信仰な人間が神のみ名にもたらした数々の非難を一掃して,そのみ名の正しさが立証される時を待ちこがれます。彼ら自身,創造者に喜ばれるような,また創造者の栄光をたたえるよう他の人々を動かすような仕方で,自分たちの事柄を処理するよう努力します。(ペテロ第一 2:12)そして,イエスが弟子たちに教えられたとおり,心をつくしてこう祈ります。「天におられるわたしたちの父よ,あなたのお名前が神聖なものとされますように。あなたの王国が来ますように。あなたのご意志が天におけると同じように,地上においてもなされますように」。(マタイ 6:9,10)また,その祈りと調和して,「[エホバの]み名のための民」であるという,紛れもない証拠を示している人たちと全く一致して,神への神聖な奉仕を行ないます。

  • 『小なる者が強大な国民となる』
    新しい地へ生き残る
    • 20章

      『小なる者が強大な国民となる』

      1 (イ)真の崇拝者の増加の規模について,エホバは何を予告されましたか。(ロ)だれが,またどのようにして,実際にこのことをもたらしましたか。

      エホバを崇拝する人たちは長い間,人類の総人口と比べて比較的少数でした。しかし今日,その数は義を愛する人たちにとって胸の躍るような速さで増加しています。その増加の規模についてはエホバがこう予告されました。「小さな者が千となり,小なる者が強大な国民となる。わたし自ら,エホバが,その時に速やかにそれを行なう」。(イザヤ 60:22)この聖句が述べているように,エホバがこのことを実現させてくださるのです。どのようにしてそうなさるのですか。ご自分の僕たちを周囲の国たみとは鋭い対照をなすものにし,心の正直な人たちを強力に引きつける状態をそれら僕たちの間に生じさせることによって,そうなさるのです。

      2 (イ)イザヤ 60章1,2節はだれに語りかけられた言葉ですか。(ロ)「エホバの栄光」は,どのような仕方でその女の上に輝くようにされましたか。(ハ)残りの者は,どのように『光を放ち』ましたか。

      2 このことはイザヤ 60章1,2節で予告されていましたが,その箇所でエホバはご自分の「女」,つまり忠節な霊の被造物と,霊によって生み出された地上の子らで構成されている,ご自分の組織に語りかけて,こう言っておられます。「女よ,起きよ,光を放て。あなたの光が到来し,あなたの上にエホバの栄光が輝き出たからである。見よ,闇が地を,濃い暗闇が国たみを覆うからである。しかし,あなたの上にはエホバが輝き出て,あなたの上にその栄光が見られるようになる」。このような対照をもたらす根拠となっているのは,1914年におけるイエス・キリストの手中にあるメシアによる王国の誕生です。その時,「エホバの栄光」が,王国を誕生させた,ご自分の天の組織の上に輝き出ました。その組織の中には大いに歓ぶいわれがありました。(啓示 12:1,2,5,10-12)そして,地上では王国の相続人の油そそがれた残りの者が,その喜びにあずかりました。1919年から始まって,それら残りの者は,神の王国を人類にとって唯一の真の希望を与える手だてとして全世界でふれ告げる業に着手するとともに,『光を放ち』ました。―ペテロ第一 2:9。マタイ 5:14-16。

      3 (イ)特に1914年以来,なぜ『闇が地を覆って』きましたか。(ロ)唯一の真の解決策とは何ですか。

      3 これとは対照的に,1914年に世界の国たみは,自国の主権を維持するために戦い,暴力と不安の時代に突入し,この状態から決して回復できませんでした。以来,安定性が失われたため,“科学上の進歩”にもかかわらず,多くの人々は安定した将来を期待できないことに気づかされてきました。確かに,『闇が地を覆って』います。人々はなぜ抜け出す道を見いだせないのですか。なぜなら,諸国民は主権者であられるエホバを退けたからです。精々,少数の支配者は,“神”に対して口先だけの忠誠を述べますが,決して神の名を用いません。支配者たちはあくまで自分で物事を管理する覚悟でいますが,彼らの直面する問題は人間の解決能力の及ばない事柄なのです。(エレミヤ 8:9。詩編 146:3-6)貪欲と腐敗を伴う現在の世は,その「終わりの日」に入りました。そして,この世を待ち受けている滅びを回避できる方法は一つもありません。ただ,神の王国に全き信仰を置く人たちだけが,確信を抱いて将来を待ち望むことができます。心の正直な人たちはこのことを認識するとともに,単に王国について語るだけでなく,自分たちの宣べ伝える事柄と一致した生活をしようと真剣に努力する,エホバの証人と活発に交わるようになっており,その人数は増大しています。

      『小さな者が千となる』

      4 イザヤ 60章4節の成就として,まず,どんな集める業に注意が向けられましたか。

      4 第一次世界大戦が終わった時,王国の相続人たちを集める業は依然として完了していませんでした。天でキリストと共に支配する,予告された14万4,000人を満たすのに必要な,天のエルサレムの「息子たち」や「娘たち」が依然としてもっといました。しかし,エホバはこの業の結末を予告して,こう言われました。「あなたの目を周囲に上げて,見よ! 彼らはみな集められた。彼らはあなたのもとに来た。あなたの息子たちは遠くからやって来る。脇腹に抱えられて世話を受けるあなたの娘たちも」。(イザヤ 60:4)1919年以降の王国をふれ告げる業の結果として,さらに何千人もの人々がエホバに献身し,バプテスマを受け,聖霊によって油そそがれました。しかしイエスは,王国相続人のグループ全体のことをひとまとめにして,ただ「小さな群れ」と言われました。(ルカ 12:32)イザヤ 60章22節で予告された事柄が成就するためには,真の崇拝を行なうよう集められる人々が,確かにもっといるようになるはずでした。実際,そのとおりになってきました!

      5 イザヤ 55章5節には,さらに増加をもたらすもととなるものが,どのように描写されていますか。

      5 それらの人々のことはイザヤ 55章5節で次のように言われています。「見よ,あなたは自分の知らない国民を呼び,あなたを知らなかった国の者たちがまさにあなたのもとに走って来る。あなたの神エホバゆえに,イスラエルの聖なる方のためにである。その方があなたを美しくされるからである」。これは霊的なイスラエル以外のところからの人たちです。それらの人たちは多くの国々から来ますが,すべてが神の王国を忠節に支持する,一致した民となります。それらの人々は,霊的イスラエルの残りの者が当時,聖書に関する自分たちの理解にしたがえば,『知らなかった国民』でしたし,またそれらの人々も以前は神の僕たちを正しく認めてはいませんでした。しかし,良いたよりが宣べ伝えられる結果として,それらの人たちは引きつけられています。なぜなら,彼らはそれら霊的イスラエル人がまことの神を崇拝していることを認め,またただ神の祝福からのみもたらされる霊的な美しさがそれらの人々のうちにあることを識別するからです。

      6 王国の音信はどれほど遠くまで伝えられていますか。胸の躍るような,どんな結果がもたらされていますか。

      6 王国の音信を宣べ伝えるのを妨げたり,人々の注意をそらして,ほかの事柄を追求させようとしたりするために,サタンがあらゆることを行なってきたにもかかわらず,真理の光は地上の遠く離れた所にさえ引き続き達しています。その結果は,神が昔ご自分の「女」に向かって次のように預言的に言われたとおりになりました。「その時,あなたは見て,必ず光り輝き,あなたの心臓は実際にわなないて広がるであろう。海の富があなたのもとに向かうからである。諸国民の資産もあなたのもとに来る。……そして,[彼らは]エホバの賛美を告げ知らせる」。(イザヤ 60:5,6)そうです,かつては神から遠ざけられていた人類の「海」の一部であった人たちの「大群衆」,つまり諸国民を覆う「濃い暗闇」のために生活を陰気なものにさせられていた人々が,霊的イスラエルと一緒になりました。神の目にとって,それらの人々は確かにあらゆる国民からの貴重なものなのです。

      7 増加を予告した言葉遣いによれば,エホバはご自分の目に本当に貴重なものが何かをどのように示しておられますか。

      7 エホバはエルサレムのご自分の神殿が再建される時に,預言者ハガイを動かして,次のように伝えさせました。「『わたしはあらゆる国民を激動させる。あらゆる国民のうちの望ましいものが必ず入って来る。わたしはこの家を栄光で満たす』と,万軍のエホバは言われた」。(ハガイ 2:7)諸国民をそのように激動させ,震動させることによって,彼らはついには滅ぼされてしまいますが,しかしそのようなことが起きる前に,「あらゆる国民のうちの望ましいもの」がそれら諸国民の中から集められて,エホバの偉大な霊的な神殿,つまりその世界的な崇拝の家に導き入れられなければなりません。この世がすさまじい音をたてて崩壊する時,彼らはその家で身の安全を得ることになるでしょう。エホバにとって貴重なのは,このような生きた崇拝者たちです。エホバが欲しておられるのは,彼らの物質の富ではありません。(ミカ 6:6-8)それらの人たちがエホバに与え得る,最大の価値のあるものは,彼らの行なう魂を込めた崇拝です。それらの人々はすべて,「エホバの賛美を告げ知らせ」ながら,心からの専心と熱心な奉仕という捧げ物を持ってやって来ます。彼らが姿を現わしたので,天と地の両方にいる神の忠節な僕たちに,何という喜びがもたらされてきたのでしょう。

      8 聖書は,王国の地的な相続人となる見込みのある人々がどの程度集められるかを示唆する,どんな事柄を述べていますか。

      8 パラダイスの地で命を享受する希望を心に抱く,それらエホバの崇拝者たちは,どれほど大勢いるのでしょうか。聖書は数を決めていません。その数は,エホバの愛ある備えを利用する,あらゆる国民からの,できるだけ多くの人々のために,未知数のままにされています。しかし,どれほどの人々を期待すべきかを示す事柄が,イザヤ 60章8節にあります。雲はその下にある地球をかなり暗くするものですが,この句はそれらの人々のことを,その『雲のように飛んで来る』はととして描写しています。これは短時間に非常に多くの人々が移動することを示しています。エホバの崇拝者たちが,このように大群となって流れ込んで来るので,霊的なイスラエルの「小さな者」が「千となり,小なる者が強大な国民となる」と予告されていましたし,エホバはご自分が「その時に速やかにそれを行なう」であろうと言われたのです。(イザヤ 60:22)このことは,実際に起きてきた事柄と合致しますか。

      9 1935年以来,このような増加はどの程度まで起きてきましたか。

      9 最初の世界大戦が終わった後,王国について公に証しする業に活発にあずかっていたのは,わずか数千人の人たちだけでした。1935年までにその合計は全世界で6万人を少し下回りました。1941年には王国をふれ告げる人々の人数は10万人台を超えました。1953年までには50万人以上になりました。それから10年後,その人数は100万人を数えました。1984年の初めまでに,265万2,323人に達しました。それらの人々は,神の王国のみが将来に対する真の希望を差し伸べている理由を他の人々に示すために,1日に平均,優に100万時間以上をささげています。エホバの証人として自分たちがエホバのメシアによる王国の臣民であることの証拠を示す人々の人数と比べて,今日の世界のおよそ60か国のそれぞれの人口が,この増大する「国民」よりも数の点で少ないのは,注目に値する事柄です。しかし,この特異な「国民」は世の政治とは全然関係を持たず,まことの神への奉仕に全く専心しています。

      10 (イ)どんな状況を考えると,この発展はわたしたちの目に驚嘆すべきものとなりますか。(ロ)さらに多くの人々がなおもやって来ることを何が示唆していますか。

      10 これでこの預言は成就の限界に達しましたか。これまですでに起きた事柄は,聖書の描写に十分合致します。それにまた,この業が行なわれてきた状況,つまり克服された障害,それを首尾よく成し遂げるために神の導きがあったことを示す証拠,その業にあずかっている人たちの示した献身の深さなどを考慮すると,それは驚嘆に値する事柄です。また,それが人々の生活にもたらした変化はすばらしいものがあります。しかし,エホバを支持する立場を公に取る人々の増加は止まってはいませんし,また衰えてもいません。最近の何年かにわたって,毎月,平均して優に1万人以上の人々が水のバプテスマを受けるために進み出ており,その合計は毎年上昇してきました。それらすべての人たちは,バプテスマによって表わされる事柄にしたがって生活することにより,「新しい地」に生き残る,頼もしい見込みを持つことができるでしょう。

      11 (イ)聖書は,それら幾百万もの人々が,一つの組織の一部となることを,どのように示唆していますか。(ロ)その組織の主要な目的は何ですか。

      11 これら幾百万もの人々は,各々自分独自の仕方で神に仕える,単なる独立した聖書研究者ではありません。彼らは素直にエホバの見える組織の一部となっている人たちです。これまでに見てきたとおり,まず王国の相続人たちが「集められ」ました。今や,諸国民から地的な命の希望を抱く,ほかの人々が,『彼らのもとに来て』います。(イザヤ 60:4,5)それらの人々は「一人の羊飼い」であるイエス・キリストのもとで,「一つの群れ」の中で結ばれています。(ヨハネ 10:16)使徒ペテロは真のクリスチャンたちのことを世界的な『仲間の兄弟たち』として描写しましたし,パウロはそれらクリスチャンに,孤立したりせず,「集まり合う」よう促しましたが,神の裁きを執行する日が近づいているのですから,なおのことそうする必要があります。(ペテロ第一 5:9。ヘブライ 10:23-25)そうすれば,それらの人々は,この組織が存在する偉大な目的にあずかるよう,強められ,また備えをすることになります。しかも,その目的とは何ですか。それはエホバのみ名を大いなるものとすることです。―ペテロ第一 2:9。イザヤ 12:4,5。

      なすべき業

      12 (イ)イエスは,わたしたちすべてがあずかっているべき業をどのように示されましたか。(ロ)その業はどれほど重要ですか。それはなぜですか。

      12 エホバの組織と交わるようになる人々はすべて,ほどなくして,その組織の中にいる人たちは働く人々であることを悟るようになります。それらの人々はみな,イエス・キリストに見倣ってエホバのみ名の正しさを立証する手だてである,神の王国を活発に宣べ伝える人たちです。イエスご自身も,「わたしは……神の王国の良いたよりを宣明しなければなりません。わたしはそのために遣わされたからです」と言われました。(ルカ 4:43)イエスは,ほかの人たちも神のご意志を行なうことを中心にして生活を築く必要があることを熱心に話されました。イエスはご自分の追随者たちに,ご自身の行なっていた,その同じ業を行なうよう教えられました。わたしたちが生きている,この時代に関して,イエスは,「王国のこの良いたより」が「あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えられる」であろうと予告されました。(マタイ 24:14)これは今日,わたしたちのだれもが行なえる最も重要な業です。それはなぜですか。なぜなら,わたしたちはその業によって,全創造物の福祉が依存している,エホバ神の正当な主権を擁護できるからです。その活動に心を込めてあずかることにより,わたしたちはエホバの豊かな過分のご親切に対する感謝の念を表明します。わたしたちはまた,差し迫った大患難を生き残ることを可能にする唯一の方法を活用するよう,仲間の人間を助けます。―テモテ第一 4:15,16と比べてください。

      13 (イ)イザヤ 60章17節には,エホバの組織に関してどんな状態が予告されていましたか。(ロ)それを十分に味わうためには,わたしたちは何をしなければなりませんか。(ハ)そうする人たちの前途にはどんな見込みがありますか。

      13 それらの人々は,エホバの組織の中に見いだす状況によって,心を温められます。それは,エホバがイザヤを通して,「わたしは平和をあなたの監督たちとして任命し,義をあなたに労働を割り当てる者たちとして任命する」と予告なさったとおりです。(イザヤ 60:17)行き渡るその平和は,単なる理論ではなく,現実,つまり神の聖霊の一つの実なのです。これは,一個人が単に組織と交わりさえすれば,その平和を十分に味わえるという意味ではありません。人は個人的に,「平和に役立つ事柄や互いを築き上げる事柄を追い求め」なければなりません。(ローマ 14:19)つまり,ほかの人たちの不完全さに対処する際,敬虔な知恵を表わし,辛抱強さや自制を働かせている証拠を示し,自分も神に許していただきたいと願うのと全く同様,ほかの人たちをも許すことを学ぶ必要があります。同時に,そうです,『平和を作り出さなければ』なりません。(ヤコブ 3:17,18。ガラテア 5:22,23。コロサイ 3:12-14)そうする人たちは,今やはっきりと姿を現わして,「幸福な神」であられるエホバへの奉仕に専心している「強大な国民」の一部であることに大いなる喜びを見いだします。(テモテ第一 1:11)支配者としてのサタンに服する全世界に対して,エホバが裁きを執行なさる時,保護されるのは,この「国民」の成員なのです。

  • 戻って来る人たちを温かく迎える
    新しい地へ生き残る
    • 21章

      戻って来る人たちを温かく迎える

      1 この章では,どのような人たちのことが論じられていますか。

      ある時点で聖書の真理に十分接して,エホバがまことの神であられることを知り,その目的についてある程度理解した人は少なくありません。それらの人たちはエホバの証人ではないとしても,証人たちと共に聖書を研究してきたかもしれません。あるいは,もしかすると,その親は証人たちだったかもしれません。そのような人々の多くは王国会館で何度か集会にも出席しました。王国の音信をほかの人たちと分かち合う業にも幾らかあずかったことさえあるかもしれません。しかし,神のご意志を行なうことに身をささげてはいませんでした。なぜそうしませんでしたか。

      2 (イ)それらの人はどうしてエホバの組織からさまよい出ましたか。(ロ)それらの人々はどうして,もう一度帰りたいと思うようになりますか。

      2 それらの人々は自分たちの欲しいと思う魅力的なもの,つまり自分たちの生活をいっそう楽しくしてくれるように思えるものをこの世が提供しているので,そのようなものを求めてエホバの組織から迷い出ます。しかしやがて,そのような人々の中のある人たちは,自分たちの期待していたような生活ができないことに気づきます。そして,もし現状のまま生活してゆくなら,この世と共に滅びうせてしまうということを自覚します。そのような人たちはエホバの「家」に見いだされる安全と霊的な豊かさを忘れてはいないので,そこにもう一度いたいと思うようになります。しかし,エホバはそのような人たちを受け入れてくださるでしょうか。

      放とう息子が戻って来る

      3 (イ)放とう息子のたとえ話の中で,イエスは同様の状況をどのように描写されましたか。(ロ)その父親はだれを表わしていますか。

      3 その答えは放とう息子に関するイエスの有名なたとえ話の中で示されています。イエスは一つの例えとして,二人の息子を持っていた,ある男の人について語られました。その年下の息子は父親にその財産のうちの自分の分を求めました。彼はそれをもらってから,遠い国へ行き,そこで道楽にふけった生活をして,無謀にもすべてを浪費してしまいました。こうして,放とうにふけったのです。その国が飢きんに襲われた時,その若者は困窮の余り,豚を飼う仕事をせざるを得なくなりましたが,その粗末な飼料を食べることさえ許されませんでした。彼は問題に圧倒されて揺り動かされ,本心に立ち返りました。彼は自分の父の家で雇い人でさえどんなに良い生活をしていたかを思い起こし,帰ることに決めました。彼は自分の罪深い歩みを認め,息子としてではなく,雇われた僕として迎えてもらえるよう,お願いすることにしました。(ルカ 15:11-19)しかし,彼がしたすべての事から見て,父親は彼を戻らせるでしょうか。このたとえ話の中の父親によって表わされているエホバは,このような人が戻って来ることをどのように見ておられるのでしょうか。

      4 息子が戻って来た時,父親は息子をどのように迎えましたか。

      4 イエスはこのことに関するエホバの気持ちを生き生きと描写し,さらにこう言われました。「[その年下の息子]がまだ遠くにいる間に,父親は彼の姿を見て哀れに思い,走って行ってその首を抱き,優しく口づけしたのです。その時,息子は言いました,『父上,わたしは天に対しても,あなたに対しても罪を犯しました。わたしはもうあなたの息子と呼ばれるには値しません。あなたの雇い人の一人のようにしてください』。しかし父親は自分の奴隷たちに言いました,『さあ早く,長い衣,その一番良いのを出して来てこれに着せ,その手に輪をはめ,足にサンダルをはかせなさい。それから,肥えさせた若い雄牛を連れて来てほふるのだ。食べて,楽しもうではないか。このわたしの息子が,死んでいたのに生き返ったからだ。失われていたのが見つかったのだ』。こうして彼らは興じ始めました」― ルカ 15:20-24。

      このたとえ話は今日どのように当てはまりますか

      5 (イ)イエスのたとえ話の中の年長の息子はだれを表わしていましたか。(ロ)では,年下の息子,つまり放とう息子はだれを表わしていましたか。

      5 この例えの中で,初子であるその年長の息子は,適切にも「天に登録されている初子たちの会衆」に相当します。(ヘブライ 12:23)年下の息子についてはどうですか。彼は,天的な希望を抱いている「小さな群れ」以外の一つのグループを表わしているに違いありません。主の「ほかの羊」のすべてがその年下の息子に関する描写に合致するわけではありませんが,中にはそれに合致する人たちもいます。「ほかの羊」を集める業が,1935年に始まって,特に際立ったものとなる以前でさえ,エホバが唯一まことの神であることを知っている人たちがいました。それらの人たちは神の王国のもとで地的な命を享受する希望について知っており,天的な希望を抱く「初子たちの会衆」の者であるというような考えは,自らは抱いていませんでした。しかし,それらの人たちはエホバへの奉仕に一身をささげる代わりに,世の事柄を追求することに没頭しました。それらの人たちは神から授けられた「資産」,つまり自分たちが持つことを許された時間や命を取って,利己的な個人的満足を図るために用いました。しかし,エホバの僕たちが初めて「大群衆」の実体をはっきりと理解した1935年に,年下の息子に相当する多くの人々はみ父の家における奉仕のために心を込めて自らをささげました。それはイエスがそのたとえ話の中で描写なさったのと同様の歓びの時でした。

      6 その成就において,ある人々はどのように年上の息子の態度を示しましたか。しかし,残りの者すべてがそうだったと言えますか。

      6 確かに,その当時,年下の息子によって表わされた級の人たちの到来をそのように歓ぶことに皆があずかったわけではありません。イエスはそのたとえ話の中で,このようになることを示唆されました。しかし,「小さな群れ」の残っている人たちすべてがそのような精神を表わしたわけではありませんし,イエスはその例えの中で,そのような罪人が本当に悔い改める時にエホバご自身が抱かれる歓びにあずかることを最初は不快に思った人たちのためにさえ,道を開かれたままにしておかれました。―ルカ 15:7,10,25-32。

      7,8 (イ)さらに近年になって,ほかの人々は何が原因でエホバの家の者たちの所から遠くへ去って行きましたか。(ロ)ある人々はどんな点で放とう息子と同様に感じてきましたか。(ハ)そのような人々はなぜ戻るべきですか。

      7 しかし,1930年代の半ばにこれらの出来事が生じて以来,ほかの人たちは,自分たちもまた,ある点でその放とう息子のようであることに気づいてきました。それらの人たちはエホバの霊的な家,つまりその見える組織のことをよく知っていながら,自分たちの生活の仕方のゆえに神の組織から,あたかも「遠い土地」へ行ったかのように遠く引き離されました。それらの人たちはエホバの僕たちに反対したのではありませんが,自分自身の生き方が神のみ言葉の規準とは一致しませんでした。それらの人は生活全体を自分たちの世俗の仕事や自分自身を中心にして築いていたのかもしれませんが,神のみ前における自分たちの責務や,わたしたちの生活しているこの時代の重大性には十分重きを置きませんでした。中には,当時,会衆と交わっていたほかの人たちの不完全さのために感情を害され,エホバが物事を正されるのを辛抱強く待たなかった人たちもいます。しかし,そのような人々はすべて,信仰の家の者たちとの交際を絶った時,どんな状態に陥りましたか。

      8 やがて,ある人々は自分たちが霊的な貧困状態に陥っていることを悟りました。それらの人々は,どんなに楽しい,つかの間の時を過ごしても,それは永続する幸福をもたらすものではないということを理解できます。同時に,自分たちの生き方のために肉体的にも,感情的にも,また霊的にも損害を被っていることに気づいているかもしれません。そして,神も希望もない人々すべてと同様,内心むなしく感じています。(エフェソス 2:12)そして,本当に幸福だったのは,エホバの「家」にいた時だけだったことを悟ります。それで,戻りたいと思います。そうすべきではありませんか。その霊的な貧困状態にとどまっていたからといって,一体どんな益が得られるというのでしょうか。延ばすなら,悲惨な事態を招きかねません。もしこの世にしがみついたままでいるなら,この世が滅ぼされる時,自分の命を失うことになってしまいます。

      9 (イ)エホバはなぜ,そのような人たちが戻って来るのを歓んでおられますか。(エゼキエル 18:23)(ロ)それらの人たちには何が求められますか。

      9 しかし,そのような人たちは戻ることができますか。エホバはそれらの人々が帰って来るよう温かく招いておられますし,その見える組織も,そうする人たちに愛ある助けを差し伸べています。(ゼカリヤ 1:3,4)何が求められていますか。イエスのたとえ話に示されているとおり,それらの人々は本心に立ち返り,率先して戻って来て,自分たちが神に対して罪を犯したことを認めなければなりません。もしキリスト教の精神に甚だしく反する行ないにふけっていたのでしたら,今ではそのような生き方を捨てて,本当に悔い改めていることを示す,説得力のある証拠を長老たちに見せなければなりません。その人たちの真剣な願いは,今や神の見える組織の一部としてエホバに仕えることでなければなりません。(ルカ 15:18-21。箴言 28:13)もしそれが本当にその人々の心にある事柄であれば,自分たちの悪い道や考えを捨てて,エホバのもとに戻るとき,確かに大きな歓びがもたらされることになります。(イザヤ 55:7)しかし,そのような人々の歓びが,王国会館で再び温かく歓迎される時の歓び以上に大きなものとなるには,霊的にしっかりと築き直すことが必要です。

      しっかりした土台の上に築く

      10 (イ)悔い改めた人々は,エホバのご要求に対するどんな態度を培う必要がありますか。(ロ)どうすれば,エホバとの個人的な親しい関係を培えますか。

      10 だれでもエホバの家の者たちのもとに戻る人にとって,エホバの人格的特質のさまざまな特色に十分精通するようになり,エホバとの個人的な親しい関係を培うのは,とりわけ重要な事柄です。エホバがわたしたちに要求しておられる事柄はすべて,実際には自分自身の益のためであるということを悟る必要があります。そのおきては生活から喜びを奪うどころか,むしろ,一時的な快感をもたらし得ても,ひどい報いを刈り取らせる恐れのある事をしないよう,わたしたちを守るものとなります。(イザヤ 48:17。ガラテア 6:7,8)エホバがわたしたちを懲らしめてくださるのは,わたしたちに対するその愛のゆえなのです。(箴言 3:11,12)個人研究をし,それに続いて学んだ事柄を黙想し,真剣な祈りをささげ,定期的に集会に出席するなら,わたしたちはエホバに全幅の信頼を置き,すべて自分の行なう事柄にエホバの導きを求める仕方を学ぶよう助けられます。―箴言 3:5,6。

      11 それら迷い出た人々は,(イ)悪いことに対する憎しみを培い,(ロ)理解を求め,(ハ)敬虔な規準を当てはめる点で首尾一貫した態度を取り,(ニ)何であれ,しようと計画する事柄の結果を考慮することを学び,(ホ)ほかの人々に対する愛ある気遣いを示すことによって,どのように助けられますか。

      11 迷い出た人たちは,何が正しいことか,また何が間違っているかは知っていたかもしれません。しかし,今や,悪い事柄に対する憎しみをも培わなければなりませんし,また悪に囲まれている限り,引き続きそうしてゆかなければなりません。(詩編 97:10)ただ単に知識だけでなく,理解をも求めるなら,この点で助けられることでしょう。まず第一に,それには物事を神との関係において考えることが関係しています。わたしたちは,神がわたしたちを教え諭すのにお用いになるさまざまな方法や,その助言に対するわたしたちの反応が,神とわたしたちとの関係にどのように影響を及ぼすかを認める必要があります。(箴言 4:7; 9:10)わたしたちは首尾一貫した立場を取り,自分の行なうすべての事柄において終始エホバの規準を当てはめることの重要性を認識しなければなりません。(テトス 2:11,12。テサロニケ第一 4:7)同時に,単なる一時的な楽しみだけでなく,わたしたちの決定がどんな結果をもたらすかをも注意深く考慮すべきです。(箴言 20:21; 23:17,18; ヘブライ 11:24-26と比べてください。)わたしたちはまた,自分の言動がほかの人に及ぼす影響についても愛をもって考慮すべきです。―ローマ 15:1,2。

      12 (イ)サタンとその用いる方法に関して何を知っていれば,わたしたちは自らを守る点で助けられますか。(ロ)この戦いで勝つには,何が必要ですか。

      12 わたしたちはクリスチャンとして,自分が霊的な戦いのまっただ中にいることを認識すると,大いに強められます。わたしたちの主要な敵対者は,悪霊たちと共にいる悪魔サタンです。彼はありとあらゆる手段を用いて,エホバがわたしたちに行なうようお与えになった重要な王国の業からわたしたちの注意をそらせようとしています。サタンの目的はわたしたちを唆してエホバの規準を押しのけさせて,自分が支配者であるこの世のものにならせることです。そのわなは多くの場合,(幸福,身体的に楽しみを与えるもの,愛および愛情などを求める)正常な欲求に訴えるものですが,サタンはわたしたちを促して,そのような欲求を際立たせては,その目的をゆがめさせたり,あるいは不当な仕方でその充足を図るように仕向けたりします。わたしたちは神が備えてくださる霊的な武具を十分活用することによってのみ,わたしたちの霊的な生活を守るこの戦いで,勝利者となることができます。―エフェソス 6:11-18。

      13 (イ)わたしたちはどうすれば,自分の魂のためにさわやかなものを見いだせますか。(ロ)キリストに見倣ってエホバに仕えるとき,どうして真の幸福がもたらされるのですか。

      13 もしわたしたちがイエスのもとに行き,その「くびき」を取るなら,わたしたちは自分の魂のためにさわやかなものを見いだすことになると,イエスは言われました。(マタイ 11:29,30)「くびき」を負うとは,仕えることを意味しています。しかし,神のみ子に見倣ってエホバに仕えると,本当に人をさわやかにするものが得られます。それはなぜですか。なぜなら,それは真の自由をもたらすからです。わたしたちはもはや,自分ではすべきではないと分かっていながら,恐らくしないでいたいと願っている事柄をする,罪に捕らわれた,その奴隷ではありません。(ヨハネ 8:32,34-36)もし,クリスチャンとしてのわたしたちの人格がイエス・キリストを土台として築かれているなら,わたしたちはエホバの目的におけるイエスの役割を正しく評価するでしょうし,イエスの言われることに聴き従い,またイエスから学ぶことでしょう。イエスはみ父のご意志を行なうことを喜びとされました。わたしたちもまた,そうすることを学ぶでしょう。(ヨハネ 4:34。詩編 40:8)わたしたちは神の道徳規準に付き従うゆえに,清い良心を享受することができるでしょう。わたしたちは単に自分のためだけに生きる代わりに,与えることからもたらされる幸福を味わうようになります。(使徒 20:35)生活はわたしたちにとって真の目的のあるものとなるでしょう。何よりも,わたしたちはエホバご自身の,つまりその子たちとなる人々すべてのみ父の是認を受けていることを知る喜びを抱けるでしょう。―箴言 10:22。

  • あとに残したものを切望してはなりません!
    新しい地へ生き残る
    • 22章

      あとに残したものを切望してはなりません!

      1 (イ)神の忠実な僕たちには,間近な前途にどんな祝福が控えていますか。(ロ)ところが,中には何をする人々がいますか。

      聖書預言の成就は明らかに,わたしたちが今日,まさしく神の輝かしい新しい事物の体制の門口にいることを示しています。この邪悪な世は間もなく過ぎ去り,それと共に心痛や,この世がもたらしてきた失意や悲嘆もなくなります。この地球は一変して,まことの神の崇拝者たちが完全な人間としての命を永遠に享受できる楽園となります。エホバはこのような事柄に関するご自分の約束の確実さに関し,使徒ヨハネに向かってこう言われました。「書きなさい。これらの言葉は信頼できる真実なものだからである」。(啓示 21:1-5)ところが,不思議に思えるかもしれませんが,中には,こうした真理を知っていながら,神が滅ぼすと言っておられるこの世の生き方に戻ってゆく人たちがいます。何という悲しいことでしょう。どうして戻ってゆくのでしょうか。

      2 (イ)そのような結末を避けるには,人は最初に真理を学んでから,その後,何をすべきですか。(ロ)もしそうしようとしないなら,その人の考え方は何に支配され,どんな結果になる恐れがありますか。

      2 それらの人たちは最初,神の王国とその王国によって行なわれる事柄に関する良いたよりを聞いた時,喜んでそれを受け入れました。しかし同時に,クリスチャンとしての円熟に向かって邁進し,神のみ言葉の理解を深め,それを自分の生活に十分に当てはめる道を求めてゆくのは重要なことです。(ヘブライ 6:1,11,12)もし,だれでも感謝の念を失ったために,そうするのを怠るなら,その人は神に仕える特権を貴重なものとみなしてゆこうとはしなくなります。そのような人は神が約束された物理的な祝福を待ち切れなくなるかもしれませんが,自分の霊的な成長の必要性や,神がわたしたちに今行なうようお与えになった,宣べ伝えて弟子を作る業に,できる限り十分あずかることの重要性を正しく認識していません。物質上の所有物を持ちたい,また楽しみと思える事をしたいという欲求を充足させるために,自分の時間がますます多く取られるようになっているのかもしれません。その人は霊的な関心事を二次的な位置に置きます。そして,突然ではなく,一度に少しずつ,この世に引き戻されてゆきます。―テモテ第一 6:9,10。

      3 (イ)エホバを崇拝しない人たちを友として選ぶのは,どうして危険なことですか。(ロ)人はどんな時に,そのような人々と気楽に交わっている自分に容易に気づくことがありますか。

      3 ある人は,義の宿る世界で生活するために「新しい地」に生き残りたいと思うと言うかもしれません。しかし,その人の仲間の選び方は,その人の言う事柄を裏付けるものとなっていますか。もちろん,毎日,仕事の際に,学校で,買い物をする時に,あるいは家にいてさえ,エホバに仕えない人たちとの接触を避けられない場合があります。しかし,仕事の休憩時間中,学校での授業の前後,電話をしたり友だちを訪ねたりする時,娯楽の時間中などに,だれと付き合うことを選びますか。それは本当に重要なことですか。聖書はこのように注意しています。「惑わされてはなりません。悪い交わりは有益な習慣を損なうのです」。(コリント第一 15:33)しかし,「悪い交わり」とは何ですか。ある人々がエホバを崇拝せず,ただ自分の目に正しいと思える事柄をするからといって,それが何らかの相違をきたすのでしょうか。わたしたちがすでに学んできた事柄によれば,その種の人たちは「新しい地」に生き残らないことが分かります。友だちを選ぶ際にエホバの規準を見くびる人はだれでも,ほどなくして,自分ではあとに残してきたと,かつて考えていたこの世に,戻ってしまったことに気づくでしょう。しかし,聖書に記録されている,警告を与える実例は,もしわたしたちがこれを心にとめるなら,そのような歩みをしないよう,わたしたちを保護するものとなります。―コリント第一 10:11。

      『わたしたちに対する警告のために書かれました』

      4 (イ)ヨセフが亡くなった後,イスラエルはエジプトでどんな生活をしましたか。(ロ)イスラエルがエジプトから救出された時,どうして「入り混じった大集団」が彼らに加わりましたか。(ハ)その預言的な劇は,現代においてどのように成就してきましたか。

      4 エホバがイスラエルをエジプトにおける奴隷状態から救出された時,彼らはきっとどんなにか安らぎを感じたことでしょう。ヨセフが亡くなった後,彼らは残忍な圧制を経験したので,エジプトは自分たちが投げ込まれた熱い炉のように思えたことでしょう。(出エジプト記 1:13,14。申命記 4:20)しかし,その後エホバは十の打撃,つまり災厄をエジプトにもたらされました。まことの神とエジプトの神々との著しい相違がはっきりと示されました。それで,イスラエルがその地を去った時,ちょうど今日,「大群衆」がこの世から別れて,霊的イスラエルの残りの者と交わっているように,イスラエル人ではない「入り混じった大集団」が彼らと共に出て行きました。(出エジプト記 12:38)しかし,エジプト出国後,間もなくその宿営で何が起きましたか。

      5 (イ)彼らは救出された後,間もなく,どのように「エジプトに引き返し」ましたか。(ロ)それはどうして起きましたか。

      5 クリスチャンの弟子ステファノは,『その心の中で[彼らは]エジプトに引き返した』と説明しました。これは彼らが救出されてから,わずか数か月後のことでした。(使徒 7:39,40)そのことを示すどんな証拠がありますか。彼らはエジプトで見慣れていた金の子牛を作り,「エホバへの祭り」を行なっているのだと宣言しました。しかし,彼らはエジプト人に見倣っていたのです。(出エジプト記 32:1-6)エホバは彼らのことで甚だ不快に思われました。彼らの行ないは,シナイ山で与えられた律法とは全く相反するものでした。幾千人もの人々が命を失いました。どうしてそのようなことが起きたのでしょうか。彼らはエホバのおきてを知ってはいたものの,明らかにそのおきてやまことの神が実際に彼らを導いていたという事実に対する心からの感謝の念を強めてはいませんでした。

      6 (イ)エホバは荒野で彼らのためにどんな備えを設けられましたか。(コリント第一 10:3,4)(ロ)ある人々はどうして,エジプトでいつも入手していたものを切望するようになりましたか。

      6 イスラエルもイスラエルと共に出て来た「入り混じった大集団」も両方とも,エジプトを去った時,そうするのが正しいことを知っていました。しかし,1年たっても,彼らは依然として約束の地に入ってはいませんでした。依然として「乳と蜜の流れる地」で家を持ってはいませんでした。彼らすべてには物質上の食べ物は十分ありましたし,とりわけ霊的なものは豊かにありました。雲の柱と火の柱は,エホバが彼らを導いておられることを絶えず示す証拠となりました。彼らは紅海やシナイ山でエホバの力を示す,畏怖の念を起こさせる証拠を見ていました。律法契約は,人を霊的に養い,さわやかにさせるものを彼らに与えました。その契約はまた,彼らが個人的に行なうべき多くの事柄を規定しており,自分たちの行ないや考え方や動機をどこで調整する必要があるかを示すものとなりました。それらがエホバに喜ばれるものとなるようにするためでした。ところが,彼らは自分たちのためにエホバがしておられた事柄すべてを感謝する代わりに,かつてエジプトで持っていた物質上のものを切望するようになりました。利己的な切望が多くの人に破滅をもたらす結果になりました。―民数記 11:4-6,31-34。

      7 (イ)斥候たちが報告を持ち帰った時,人々はどうしてエジプトに戻ることについて話しましたか。(ロ)その結果,どうなりましたか。(ヘブライ 3:17,19)

      7 その後間もなく,モーセは人々を遣わして約束の地をうかがわせました。彼らが戻って来た時,それは本当に「乳と蜜の流れる」所であることに全員同意しました。しかし,その斥候のうち10人はその土地の人々を恐れ,その防備の施された諸都市のためにおびえていました。それらの斥候は心を尽くしてエホバに信頼してはいなかったので,ほかの人々の心を恐れでおののかせました。またもや彼らの考えはエジプトに逆戻りし,彼らはエジプトに戻る計画について話しました。彼らの信仰の欠如のゆえに,20歳およびそれ以上の年齢のその世代の者は全部荒野で死に,決して約束の地には入れませんでした。―民数記 13:27-33; 14:1-4,29。

      8 (イ)ソドムが滅ぼされた時,ロトとその家族が命を助けてもらうには,何をしなければなりませんでしたか。(ロ)ロトの妻はどうして塩の柱と化しましたか。(ハ)このことには,警告となる,どんな音信がわたしたちのために含まれていますか。

      8 これより400年以上前に,その同じ教訓が,ある異なった背景の中で強調されました。アブラハムのおいロトは,物質面では繁栄していても,道徳的には腐敗していたソドムに住むようになりました。ソドムとその地域の不道徳行為が余りにも甚だしかったため,エホバはこれを滅ぼして,決して建て直されないようにすることをお決めになりました。そして,ロトとその家の者たちを救い出すために,み使いたちが遣わされました。ロトが将来婿になる人たちに警告したところ,その人たちの目に「彼は冗談を言っている者のように見え」ました。しかし,それは決して冗談ではありませんでした。明け方,み使いたちはロトとその家族を都市の外へせき立てて,後ろを振り返らずに逃げるよう命じました。彼らの命は従順にかかっていました。ロトとその二人の娘は命じられたとおりにして,命を助けられました。しかし,ロトの妻は明らかに,あとに残した物質上のものを振り捨てて立ち去るのを渋っていました。彼女は振り返って後ろを見たため,命を失い,塩の柱となってしまいました。わたしたちはそれが何を意味するかを個人的に心に留めているでしょうか。わたしたちが要点を見落とすことがないようにするため,イエスはその点を現代の古い体制から逃れることの緊急さに関する警告の中に含められました。イエスが簡潔に,「ロトの妻のことを思い出しなさい」と言われたのは,物質上の所有物のことを気にかけすぎることのないよう注意なさった時のことでした。(創世記 19:12-26。ルカ 17:31,32)わたしたちはどうすれば,イスラエル人やロトの妻の陥った落とし穴に陥らないよう,自分を守ることができますか。

      『さらに勝った場所をとらえようとする』

      9 信仰とは何ですか。どうすれば,それを培えますか。

      9 後ろを振り返らせようとする影響力を避けるには,前途にあるものに対する,増し加わる信仰を培う必要があります。ヘブライ 11章1節は信仰を『望んでいる事柄に対する保証された期待,見えない実体についての明白な論証』と定義しています。それは,不動産権利証書のように,わたしたちが神の約束されたものを所有するようになることを確証するもの,つまり保証するものです。信仰は強力な証拠に基づいていますから,その結果,わたしたちには肉眼で見ることのできないものを信ずる強固な理由があります。それは軽信,つまり単にある事柄がよさそうだというだけの理由ですぐ信ずることではありません。真の信仰を持つには,信仰の基礎である証拠を個人的によく知るよう十分関心を持たなければなりません。同時に,自分の学んでいる事柄が自分自身の生活にどのように関係しているかを注意深く考慮し,学んでいる事柄に対する心からの純粋な感謝の気持ちを培う必要があります。

      10 (イ)アブラハムは信仰を持っていることの証拠をどのように示しましたか。どれほどの期間そうしましたか。(ロ)彼のした事が正しかったということは,どうして分かりますか。

      10 アブラハムはそのような信仰を抱いていました。その結果,アブラハムはエホバの指図に従ってカルデアの繁栄した都市ウルをあとにし,それまでに一度も見たことのない土地である,遠いカナンに移りました。彼はそこで一外人居留者として生活し,安全を求めて都市王国のどれかに所属したりはしませんでした。「彼は真の土台を持つ都市[エホバのメシアによる王国]を待ち望んでいたのです。その都市の建設者また造り主は神です」。もしカルデアでの生活をずっと切望していたのでしたら,彼はきっと戻っていたことでしょう。それどころか,彼は「さらに勝った場所,すなわち天に属する場所をとらえようとして」いたのです。(ヘブライ 11:8-16)アブラハムは単に数年,あるいは10年か20年間,その「さらに勝った場所」をとらえようとして努力したのではありません。その死に至るまで,つまりウルを去った後100年かそれ以上にわたってずっとそのように努力しつづけたのです。彼は単に信仰を抱いていると言うだけでなく,その業によって信仰を示したのです。その結果として,アブラハムに対する報いは保証されています。アブラハムが復活させられる見込みはそれほど確かなので,イエスが言われたように,『神にとっては,アブラハムは生きているのです』。―ルカ 20:37,38。ヤコブ 2:18。

      11 イサクやヤコブは,彼らもやはり信仰を持っていたことを,どのように示しましたか。

      11 しかし,アブラハムの子イサク,またイサクの子ヤコブについてはどうですか。彼らはカルデア人の生活の仕方を一度も経験したことがありませんでした。しかし,それを理由にして,その生活がどんなものかを自分で知ろうとは考えませんでした。彼らはエホバの約束について親から学んだ時,それを心に留めました。彼らはアブラハムが抱いていたような信仰を培いました。彼らもまた,『さらに勝った場所をとらえようとして』いたのです。神は彼らのことを恥とはされませんでした。―ヘブライ 11:9,16,20,21。創世記 26:24,25; 28:20-22。

      12 エサウとディナはどうして深刻な問題に陥るようになりましたか。

      12 一方,ヤコブの兄エサウは霊的な物事を正しく評価しませんでした。彼はエホバの崇拝者ではない女たちと結婚しました。彼は神聖な物事を大事にするどころか,一杯の食物と引き換えに自分の家督権を売り渡しました。(創世記 25:29-34; 26:34,35。ヘブライ 12:14-17)彼は,今すぐ肉体的満足を与えるものを欲する人でした。ヤコブの娘,ディナもまた,深刻な問題に陥りました。それはなぜですか。なぜなら,彼女は異教徒である「その地の娘たち」と交わることを好んだからです。―創世記 34:1,2。

      13 (イ)今日の世の一部となっている人々は,実際どんな生活をしていますか。(ロ)どうすれば,この世に引き戻されないよう自分を守れますか。

      13 もしあなたがアブラハム,イサクおよびヤコブのように,エホバのメシアによる王国のもとで生活する『さらに勝った場所』を本当に『とらえようとしている』のでしたら,この世に引き戻されないようにしてください。この世は永続する将来を決して差し伸べてはいないことを覚えていてください。「しかし,神のご意志を行なう者は永久にとどまります」。そして,それは人をどんなにか十分に満足させる生活となることでしょう。―ヨハネ第一 2:17。

      [172ページの図版]

      ロトの妻のことを思い出しなさい!

  • 『あなた方には忍耐が必要です』
    新しい地へ生き残る
    • 23章

      『あなた方には忍耐が必要です』

      1 (イ)エホバの証人はどうして本当に幸福な人々ですか。(ロ)しかし,ヘブライ 10章36節にある,どんな助言が,わたしたちすべてに当てはまりますか。

      エホバを確信のよりどころとしてきた人たちは,今日地上で純粋な意味で最も幸福な人々です。それらの人々は,人生の諸問題に対処する方法に関する,まさに最善の助言を見いだし得るところを知っています。それはつまり,神ご自身のみ言葉です。また,将来に目を向けても恐れることはありません。なぜなら,この地に対する神の目的が何であるかを知っているからです。(エレミヤ 17:7,8。詩編 46:1,2)それにもかかわらず,使徒パウロは仲間のクリスチャンにこう書き送りました。『あなた方には忍耐が必要です。それは,神のご意志を行なった後,約束の成就にあずかるためです』。(ヘブライ 10:36)何が原因で,このように忍耐が必要なのですか。

      2 イエスの弟子たちはどうして忍耐を必要としていましたか。

      2 イエスはご自分の死を前にして,前途にひかえている事柄に使徒たちの注意を喚起し,次のように言われました。「あなた方が世のものであったなら,世は自らのものを好むことでしょう。ところが,あなた方は世のものではなく,わたしが世から選び出したので,そのために世はあなた方を憎むのです。奴隷はその主人より偉くはないと,わたしがあなた方に言った言葉を覚えておきなさい。彼らがわたしを迫害したのであれば,あなた方をも迫害するでしょう。彼らがわたしの言葉を守り行なったのであれば,あなた方の言葉をも守り行なうでしょう。しかし彼らは,わたしの名のゆえにこれらすべてのことをあなた方に敵して行なうでしょう。わたしを遣わした方を知らないからです」。(ヨハネ 15:19-21)これは何と真実な言葉だったのでしょう。

      3 (イ)弟子たちはどうして『イエスの名のゆえに』迫害されるのですか。(ロ)迫害者たちはどのような意味で,イエスを遣わされた方を『知らない』のでしょうか。(ハ)この迫害に対しておもに責任があるのはだれですか。

      3 イエスの追随者たちは,真のキリスト教が意味するものを退ける世のただ中で生活するゆえに敵意の的となります。キリストとは,「油そそがれた者」という意味です。イエス・キリストは全地を支配する王となるようにエホバによって油そそがれた方です。ですから,イエスの弟子たちが『その名のゆえに』迫害されることになるとイエスが言われたのは,弟子たちがエホバのメシアなる王としてのイエスを忠実に支持するゆえに,つまり地上のどんな支配者よりもキリストに従うがゆえに,したがって人間の政府の事柄に関係するからではなく,キリストの王国を忠節に支持するがゆえにそのような迫害を受けるという意味です。イエスはまた,迫害者たちが「わたしを遣わした方を知らない」,すなわち宇宙主権者であられるエホバ神を認めようとしないゆえに反対が起きるということも付け加えられました。(出エジプト記 5:2と比べてください。)この迫害の主要な扇動者はだれですか。悪魔サタンです。―啓示 2:10。

      4 (イ)啓示 12章17節の成就は,わたしたちの生活にどのように影響を及ぼしますか。(ロ)サタンの目標は何ですか。

      4 とりわけ,1914年におけるエホバのメシアによる王国の誕生に続いて,サタンが天から放逐されて以来,真のクリスチャンに加えられる圧力は激しくなりました。このことを過小評価してはなりません。悪魔と悪霊たちは,イエス・キリストの手中にある神の王国の側に立っていた人たちすべてに対して全面戦争を行なっているのです。このことに関して啓示 12章17節は次のように述べています。「それで龍[悪魔サタン]は女[神の天の妻のような組織]に向かって憤り,彼女の胤[霊によって油そそがれた,地上にいる,キリストの追随者たち]のうちの残っている者たち,すなわち,神のおきてを守り行ない,イエスについての証しの業を持つ者たちと戦うために出て行った」。「ほかの羊」もまた,戦いのまっただ中にいます。サタンはこうかつな手段を用いて,神のおきてに従うのをやめさせるよう,誘惑したり強制したりしようと努めています。サタンはこれらの人たちの霊性を弱めさせ,ついでそれを完全に打ち砕きたいと考えています。その目標は,エホバのメシアなる王としてのイエスについてふれ告げるのをやめさせることです。しかし,神の忠節な僕たちはこの霊的な戦いで勝利者となっています。

      クリスチャンはどのように反応すべきですか

      5 ある政府は,エホバの証人に反対してどんな処置を取ってきましたか。

      5 エホバの証人が法律をよく守る人々で,地域社会で健全な影響を及ぼしていることを認める官吏は少なくありません。けれども,人間の政府はすべて,サタンの世の事物の体制の一部です。(ヨハネ第一 5:19。啓示 13:2)ですから,ある政府がまことの神を崇拝する人たちの集会を禁じたり,その聖書文書の出版を禁止したり,それらの人たちが神の王国について宣べ伝えるのを禁じたり,そうです,それらの人を投獄し,身体的に辱めたりしても,少しも驚くには当たりません。もし個人的にそのような圧力を受けるとしたら,あなたはどうなさいますか。

      6 (イ)わたしたちは官吏に対してどんな態度を取るべきですか。(ロ)しかし,わたしたちは何をすることを固く決意していますか。(ハ)たとえ迫害されても,わたしたちはどうすれば,幸福であり続けることができますか。

      6 イエス・キリストの使徒たちは官吏を尊敬していました。使徒たちは迫害されても,仕返しをしたりはしませんでした。しかし,神から命じられた事柄をするのをやめるよう命令された時,使徒たちは断固としてこう返答しました。「わたしたちは,自分たちの支配者として人間より神に従わねばなりません」。(使徒 5:29。ローマ 12:19。ペテロ第一 3:15)使徒たちは命を脅かされた時でさえ,死を恐れて妥協したりはしませんでした。「死人をよみがえらせてくださる神」に仕えていることを知っていたのです。(コリント第二 1:9。ヘブライ 2:14,15)使徒たちは迫害されましたが,幸福でした。神を喜ばせていることを知っていたので,幸福だったのです。つまり,神のみ名の立証にあずかり,その油そそがれた王に対する自分たちの忠節さを証明する機会を得たので,幸福だったのです。(使徒 5:41,42。マタイ 5:11,12)あなたもそのような人ですか。あなたは自分がそのような経験をしている人たちの仲間であることを公に明らかになさいますか。エベド・メレクは,恐れてしりごみする人ではありませんでした。彼はどんな人でしたか。

      7 (イ)エベド・メレクとはだれですか。彼は今,わたしたちにとってどうして興味深い人物ですか。(ロ)エベド・メレクは,エレミヤが泥のある水溜めに投げ込まれたのを聞いた時,どんな行動を起こしましたか。それはなぜでしたか。

      7 エベド・メレクは,エルサレムがバビロニア人によって滅ぼされるに至るまでの期間中そこに住んでいた,神を恐れるエチオピア人でした。彼はゼデキヤ王の家で雇われていました。当時,エレミヤはユダ王国と周囲の諸国民に対してエホバの預言者として仕えていました。エレミヤは神からの警告の音信を妥協せずに伝えたため,激しい迫害を被るようになりました。彼はエルサレムのある君たちの扇動に遭って,水溜めに投げ入れられ,泥の中に沈んで死にそうにさえなりました。エベド・メレクはイスラエル人ではありませんでしたが,エレミヤがエホバの預言者であることを認めていました。エベド・メレクはなされた事を聞くや,エレミヤのことを執り成すために,直ちに都の門の傍らで王を探し求めました。彼は王の命令に従って行動を起こし,すばやく30人の人々と縄や古くなったぼろ切れを手に入れました。そして,そのぼろ切れをわきの下にあてて,縄ですりむけるのを防ぐようエレミヤに指示し,それから人々はその預言者を水溜めから引き揚げました。―エレミヤ 38:4-13。

      8 エホバはエベド・メレクにどんな頼もしい約束の言葉を伝えさせましたか。それはなぜですか。

      8 エベド・メレクは君たちのたくらみの裏をかくことになったので,彼らから何をされるかを心配したのももっともなことでしたが,エホバの預言者に対する敬意や神に対する信頼の念は,その憂慮の念を補って余りあるものでした。その結果,エホバはエレミヤを通してエベド・メレクに次のように確約されました。「『いまわたしはこの都市にわたしの言葉を実現させる。それは災いのためであって,良いことのためではない。それはその日,あなたの前で必ず起こる。そして,わたしはその日,あなたを救い出す』と,エホバはお告げになる,『あなたはあなたがおびえている人々の手に渡されることはない。わたしは必ずあなたを逃れさせ,あなたが剣によって倒れることはないからである。あなたは自分の魂を必ず分捕り物として持つことになる。あなたがわたしに依り頼んだからである』と,エホバはお告げになる」― エレミヤ 39:16-18。

      9 (イ)「ほかの羊」はどのようにしてエベド・メレクのようになりましたか。(ロ)それで,エベド・メレクに対するエホバの約束は,今日,「ほかの羊」にとって何を意味していますか。

      9 その約束は今日,エホバの僕たちにとって何と貴重なものなのでしょう。エベド・メレクのように,「ほかの羊」は,現代のエレミヤ級の人々,つまり油そそがれた残りの者に対してなされている不当な仕打ちや,残りの者がエホバの音信を宣べ伝えるのをやめさせるためになされている試みを見ています。それら「ほかの羊」は,油そそがれた者級の人々を守り,支持するために,自分たちにできることならどんな処置でもちゅうちょすることなく取ってきました。ですから,エベド・メレクに対するエホバの約束が,彼らを強め,自分たちが反対者によって滅ぼされるのを神はお許しにならず,かえって自分たちは一つの級として神に守られ,来たるべき世の滅びを生き残って,神の義の「新しい地」に入ることができるという確信を強固にするものとなっているのももっともなことです。

      10 クリスチャンは生活のどんな領域で迫害を経験しますか。

      10 イエス・キリストの足跡に従って歩む人々はすべて投獄の脅威にさらされるわけではありませんが,皆,いずれにしても確かに迫害に遭います。(テモテ第二 3:12)何千人ものクリスチャンの妻や,夫たちも,まさしく自分の家庭で何年もの間激しい反対に忠実に耐えてきました。子供たちもまた,エホバに仕えたいとの願いのゆえに親から勘当されました。(マタイ 10:36-38)また,クリスチャンの若者は学校で,年長の人たちは職場で迫害に遭うかもしれません。エホバの証人はすべて,神の王国について公に証しする業にあずかる時,迫害を経験します。そのような人たちすべてに,イエスの言われた,「あなた方は自らの忍耐によって自分の魂を獲得するのです」という言葉が当てはまります。―ルカ 21:19。

      11 (イ)ほかのどんな状況が多くの人に厳しい試練をもたらしますか。(ロ)ほかにだれがそのような事柄を経験しましたか。それはなぜですか。

      11 ほかの種々の状況のもとで試練に遭う人も少なくありません。生活から多くの喜びを奪う,重い病気にかかっているかもしれません。あるいは,非常に困難な経済事情に直面しているかもしれません。時には,身近な伴侶の述べる言葉が不当で,不親切なものである場合もあるでしょう。族長ヨブの場合,サタンはヨブの忠誠を打ち砕こうとして,これらの方法を全部用いました。もしわたしたちが同様の状況にあるとしたら,どのように反応しますか。―ヤコブ 5:11。

      12 (イ)ノアはその奉仕の務めの点で,なぜ特に忍耐を要しましたか。(ロ)今日の状況はどのように似ていますか。

      12 一方,わたしたちが個人的にエホバの目的について証しをする努力を払っても,好意的な反応がほとんど得られないならどうですか。その場合にも,やはり忍耐が必要です。ノアが大洪水の前に宣べ伝えた何年もの期間全体を通して,ノアに加わってエホバに仕えたのは,妻と息子たちとその妻たちだけだったことを忘れないでください。残りの人間は皆,「注意しませんでした」。(マタイ 24:39)同様に今日,大多数の人々は「注意しません」。しかし,ある地方ではかつて王国の音信に対する好意的な反応はほとんどありませんでしたが,今では,まことの神の崇拝者の豊かな収穫が行なわれています。何年もの間,人々の無関心さやあからさまな反対を耐えて,今ではこのすばらしい取り入れの業にあずかっている人たちは何と幸いなのでしょう。

      『耐えてゆく人たちは幸いです』

      13 (イ)耐えてゆくためには,わたしたちは何を明確に把握しておかなければなりませんか。(ロ)わたしたちはサタンの方法に関して何を認める必要がありますか。

      13 「新しい地」で命を受ける,すばらしい見込みにあずかり損ねないようにするには,全創造物が直面している大論争,つまり宇宙主権の論争を明確に把握しておくのは肝要なことです。わたしたちは断固としてエホバの側についていますか。二つの側があるだけで,中間の立場は決してないことを十分に認識しているでしょうか。もしこの戦いで犠牲者になりたくないなら,敵意と誘惑は両方とも,サタンがわたしたちの忠誠を打ち砕き,神に従うのをやめさせ,メシアによる王国について証しをする極めて重要な業からわたしたちをそれさせるために用いる方法であることを認識する必要があります。―ペテロ第一 5:8,9。マルコ 4:17-19。

      14 (イ)わたしたちはだれとの,またどんな関係を深めなければなりませんか。(ロ)エホバはどのようにわたしたちを助けてくださいますか。

      14 わたしたちはまた,エホバに全く頼る態度を培わなければなりません。超人間的な敵の巧妙なわなを自分の力だけで避けようとするのは,何と愚かなことでしょう。しかし,もしわたしたちが心を尽くしてエホバに頼るなら,苦難に遭ったり,誘惑に直面したりするとき,わたしたちは一層エホバに近づくようになります。(エフェソス 6:10,11。箴言 3:5,6)エホバはわたしたちを強制して,ある道を行かせようとはなさいません。わたしたちの意志に反してわたしたちを導くことはありません。しかし,もしわたしたちがみ言葉に指針を求め,エホバに力を祈り求め,その組織を離れないようにするなら,エホバはわたしたちの歩みを導いてくださいます。そして,ご自分の尽きることのない愛を新たに示す証拠をもって,わたしたちを強固にしてくださるでしょう。―ローマ 8:38,39。

      15 (イ)わたしたちの生活の中で,だれのことが第一にされるべきですか。(ロ)わたしたちは自分の信仰を試みるものとなる状況をどう見るべきですか。

      15 あなたが遭遇する苦難や誘惑は,あなたを試すものとなるでしょう。あなたは生活の中でだれのことを第一になさいますか。サタンの主張は,わたしたちはみな,おもに自分のことを気にかけているということです。大抵の人はそのとおりです。イエス・キリストは異なっておられました。あなたも異なっていますか。エホバのみ名を大いなるものにすることを第一にする生き方を学んでこられましたか。もしそうでしたら,あなたの信仰を試すものとなる状況を回避する代わりに,エホバに誉れをもたらすためにそれを利用する知恵を与えてくださるよう祈りつつ,その状況に正々堂々と対処することができるでしょう。あなたが遭遇する患難は忍耐を生み出すことになり,忍耐は,エホバに対するあなたの愛ゆえにその是認を促すものとなるでしょう。「試練に耐えてゆく人は幸いです。なぜなら,その人は是認されるとき,エホバがご自分を愛し続ける者たちに約束されたもの,すなわち命の冠を受けるからです」― ヤコブ 1:2-4,12。ローマ 5:3,4。

      16 わたしたちはどんな目標に到達するよう努力すべきですか。

      16 単にエホバへの奉仕を始める,あるいはしばらくの間忍耐するだけでは十分ではありません。わたしたちは競走に参加しており,賞は決勝線を越える人たちのものとなります。この古い体制が崩壊して荒廃する時,目をしっかりと賞に向けて今もなお努力している人たちはみな,何と幸いなことでしょう。その時,何と輝かしい見込みがそれらの人たちを待ち受けているのでしょう。―ヘブライ 12:1-3。マタイ 24:13。

  • 秒読みの決定的瞬間が近づきました!
    新しい地へ生き残る
    • 24章

      秒読みの決定的瞬間が近づきました!

      1 著名な科学者によれば,“世の終わり”はどれほど迫っていますか。

      1947年当時,科学者たちは“世の終わりの時計”なるものを考案しました。その時計は「原子科学者会報」という雑誌の表紙に載せられており,核による世界の絶滅の危機がどれほど迫っていると考えられるかを劇的に示すために用いられています。その“時計”の針はこれまでに再々動かされ,国際情勢がどの程度危険だと考えられるかによって,時には進められ,時には戻されてきました。1984年の初めには,これらの針は真夜中の12時3分前に進められました。もしもその針が真夜中の12時に達したなら,それは恐ろしい核戦争が始まったことを意味するのです。

      2 エホバは秒読みをいつ開始されましたか。その決定的瞬間は何を意味するものとなりますか。

      2 しかし,何ものにも食い止められることなく進められてきた,決して逆戻りできない秒読みを,エホバ神が開始されたのは,およそ6,000年前のことでした。その秒読みの決定的瞬間は,全宇宙の平和と福祉が依存している,神の主権の正当性を立証するために,神が定められた時です。神はご自分の目的を公に述べると共に,その推移をわたしたちが識別できるよう時を表示するものをも備えてくださいました。エホバはエデンにおける反逆に続いて直ちに,ご自分の「女」,つまり忠節な霊の被造物で成るご自分の組織から,「初めからの蛇」であるサタンの頭を砕く「胤」を生み出させ,最終的にはサタンを打ち砕いて永久に消滅させることを約束なさいました。(創世記 3:15。啓示 12:9。ローマ 16:20)義を愛する人たちはその時をどれほど待ちこがれていることでしょう。

      3 (イ)メシアの到来する時が注意深く定められていたことを何が示していますか。(ロ)その時,何のための基礎が置かれましたか。

      3 遠い昔に前もって予告されていた,神の定められた時に,その約束の「胤」,つまり神のみ子であるメシアは地上に現われました。イエスはサタンの高慢な挑戦に対する輝かしい答えとして,死に至るまで完璧な敬虔な専心を保たれました。そしてイエスはまた,罪のない人間としてのご自分の死によって,アダムの子孫を罪と死から請け戻す手だてを備えられました。こうして,やがては「悪魔の業を打ち壊す」ための基礎が置かれました。―ヨハネ第一 3:8。ダニエル 9:25。ガラテア 4:4,5。

      4 (イ)イエスは地上におられた時,どんなグループの人々を集め始められましたか。(ロ)神の予定と一致して,キリストはいつ王として支配し始められましたか。(ハ)キリストが最初に取られた行動の一つは何でしたか。

      4 イエスはなお地上におられた時,天の王国でご自分と共に共同の相続人となる男女を集め始められました。その中には,ちょうど14万4,000人の選ばれて,試された忠節な人たちが含まれることになりました。このグループの最後の成員を集める時が到来したとき,天では「支配権と尊厳と王国」とがイエスに授けられました。(ダニエル 7:13,14)イエスはまさしく時間表どおり,1914年に支配する王として活動を開始されました。サタンとその悪霊たちは早速天から放逐されましたが,これはいわば政府の所在地を清める処置でした。(啓示 12:7-12)現在の世界の体制はその終わりの時代に入りました。

      5 どんな人たちは生きていて,エホバの主権の正しさが立証されるのを目撃するようになりますか。

      5 およそ6,000年間続けられてきた秒読みの決定的瞬間が,今や近づきました。その時が非常に近づいたので,1914年当時生きていて,今では相当年を取った人たちが,エホバの主権の正しさを立証することを特色とする,胸の躍るような出来事が起きないうちに,一人残らず舞台から消え去って行くということはありません。―マルコ 13:30。

      6,7 (イ)「大群衆」に関するどんな事実は,大患難が非常に近いことを示唆していますか。(ロ)それらの人々はどうして強い期待を抱いて将来に目を向けていますか。

      6 神のほかの忠節な僕たちもまた,共に居合わせて,その大いなる日の出来事を目撃することになります。とりわけ,「大いなる群衆」,つまり「大群衆」の実体がはっきりと理解された1935年に始まって,それら大勢の人々が姿を現わすようになりました。最初は数百人の人々でしたが,やがて数千人,後には数十万人,今では数百万人もの人々が地球の周りに広がるようになりました。絶対確実な神のみ言葉はこのグループの人々のことを「大患難から出て来る」,つまり大患難を生き残って,まさしく神の新秩序に入り,決して死ぬ必要もなく生きてゆく人たちとして描写しています。(啓示 7:9,10,14。ヨハネ 11:26)このグループの初期の成員は今では60代,あるいは70代,さらにはもっと高齢になっています。エホバはこのグループの人たちを集める業が早く始まりすぎないようにされました。この「大群衆」はその最も初期の成員の多くの人たちをも含めて,「新しい地」に生き残ることでしょう。

      7 「大群衆」のこの希望は,全人類を滅ぼす恐れのある核によるどんな大破壊によっても,くじかれることはありません。これらの人たちは楽観的で勇気があるのも,もっともなことです。これらの人たちは,「終わりの日」の出来事が現われるにつれ,「あなた方は身をまっすぐに起こし,頭を上げなさい。あなた方の救出が近づいているからです」と言われたイエスの助言を自分自身に当てはめて,強い期待を抱いてそれらの出来事を見守ってきました。(ルカ 21:28)しかし,その救出が行なわれる時までの残された期間中,さらに世界を震撼させる重大な出来事が起こることになっています。

      なお前途に控えている出来事

      8 (イ)テサロニケ第一 5章3節で予告されている,非常に重要などんな出来事が,これから起きようとしていますか。(ロ)何年も前に,このことのためにどのように舞台が整えられましたか。(ハ)近年,世界平和を確保するために,どんな圧力が加えられてきましたか。

      8 使徒パウロはそれらの出来事の一つを指摘して,次のように書き記しました。「人々が,『平和だ,安全だ』と言っているその時,突然の滅びが,ちょうど妊娠している女に苦しみの劇痛が臨むように,彼らに突如として臨みます。彼らは決して逃れられません」。(テサロニケ第一 5:3)その宣言がどんな形をとるかは,後になってみなければ分かりません。しかし,この世界が「終わりの日」に入って間もなく,その舞台が整えられたのは注目に値する事柄です。1919年に,国際連盟の目的は「平和と安全」を達成することであると言明されました。第二次世界大戦後,国際連合憲章は,「平和と安全」が同国際機関の主要な目標であることを明らかに述べました。同機構はその目標を達成しませんでした。しかし,近年,あらゆる階層の人々が多くの国々で非常に大規模な大衆示威運動に参加して,核兵器の生産・実験・配備すべてを中止するよう世界の指導者たちに勧めてきました。人々は世界平和が保証されることを願っており,それ以外の道として考えられる事柄におびえています。

      9 「平和だ,安全だ」という,予告された,その宣言を支持する人たちには,どうして突然の滅びが臨むのですか。

      9 そのような,あるいは他の何らかの発案のいずれの結果にせよ,人間の指導者たちは間もなく,「平和だ,安全だ」という非常に重要な宣言を行なうでしょう。それは単なる見せ掛けにすぎないでしょう。しかし,それを支持する人たちは,神の王国の必要を認めずに,自分たちの方法で目標を達成したことを言明するようになるでしょう。こうしてエホバの主権を否認する時,『突然の滅びが彼らに突如として臨みます』。

      10 大いなるバビロンの滅びをもたらす事態は,どのようにすでに進展していますか。

      10 出来事は急速に進展してゆくでしょう。大いなるバビロン,つまり偽りの宗教の世界帝国は,かつてのその政治上の情夫たちによって荒廃させられるでしょう。宗教が地球上の至る所で人々を扇動して憎しみや流血や戦争を引き起こす力となっていることを,政治家たちはすでに強く意識するようになってきました。政治家たちは僧職者から圧力を受けることにうんざりしています。世界の多くの場所では礼拝所の出席者数が大きく減少してきました。見えすいたものであれ,あるいは本性を隠したものであれ,無神論的な見解が世論を左右しています。同時に,国際連合の数多くの成員国は強力な反宗教政策を取っています。エホバは裁きを執行するご自身の定められた時が到来すると,政治支配者たちが国際的に広範囲に及ぶ処置を講じて,大いなるバビロンに敵対し,これを完全に滅ぼすのを許されるでしょう。―啓示 17:15,16; 19:1,2。

      11 (イ)次に,諸国民はだれに敵対しますか。(ロ)その結果,さらに,どんな出来事が起きるようになりますか。

      11 その勝利に酔い,自分たちの見えない支配者である悪魔サタンに駆り立てられる諸国民は,次いで地上のエホバご自身の忠実な証人たちを攻撃することになります。(エゼキエル 38:14-16)それら証人たちが平和を好み,法律を守り,政治に干渉したり,戦争の責任を負ったりしない人々であるという事実は,考慮されることはありません。諸国民は全面的な支持,つまり政治体制に対する崇拝を要求するでしょう。しかし,諸国民がエホバの見える組織を打ち壊そうとして行動するとき,神はご自分の忠節な僕たちのために果断な行動を起こし,彼らを救助してくださるでしょう。天の軍勢はサタンの見える組織のあらゆる痕跡を根絶し,その組織にしがみつく者たちすべてを滅ぼすでしょう。その後,大敵,悪魔サタン自身が捕らえられ,1,000年の間完全にその働きができないようにされ,その間にサタンの卑劣な影響の及ぼした結果すべてが完全に除去されて,地はパラダイスに変えられてゆきます。その後,サタンは回復された人類を試みるため,短期間解き放たれることになります。サタンに付いてゆく道を選ぶ人々はすべて,サタンと悪霊たちと共々に滅ぼし絶やされてしまいます。―啓示 19:19-21; 20:1-3,7-10。

      見事な「新しい地」に迎え入れられる

      12 (イ)「大群衆」は自分たちの救出をだれによるものとしますか。(ロ)だれが彼らに加わって,神をたたえますか。

      12 地上で生き残る恵まれた人々は,現在の世の終わりの畏怖の念を引き起こさせる出来事を後にし,キリストの千年統治を眼前にして,神への感謝の声を上げる時,強烈な感謝の気持ちで満たされることでしょう。「大群衆」は心からの深い感情を抱いて,「救いは,み座に座っておられるわたしたちの神[エホバ]と,子羊[イエス・キリスト]とによります」と,大声で叫ぶことでしょう。そして,神の忠節な天の組織の成員も皆,これらの出来事の重大な意義に対する認識に動かされ,それら大群衆と共に崇拝に加わって,次のように言うことでしょう。「アーメン! 祝福と栄光と知恵と感謝と誉れと力と強さが,わたしたちの神に限りなく永久にありますように。アーメン」― 啓示 7:10-12。

      13 聖書は,人類を養ったり,いやしたりするために設けられる備えをどのように描写していますか。

      13 全人類はついにまことの神を敬う,一致した一つの人間社会,つまりエホバの愛ある主権の表現となる「新しい天」のもとにある「新しい地」を構成するようになります。聖書の巻末の書は,喜ばしい象徴的な表現を用いて,その時,人類に及ぶ驚嘆すべき益を「神と子羊とのみ座から出て」天の新しいエルサレムの大通りの中央を流れる「水晶のように澄みきった,命の水の川」として描写しています。この川には両岸に沿って「命の木」があり,それらの木は実を生み出してそれを食べる人々を養い,また諸国民をいやすための葉を出します。そこで表わされているのは,信ずる,従順な人類をいやし,養い,イエス・キリストを通してとこしえの命を享受できるようにさせるため神が設けてくださる備え全体のことなのです。―啓示 21:1,2; 22:1,2。

      14 「新しい地」の状態は,どんな点で,今日の世界の状態と異なったものになりますか。

      14 その時,地上に行き渡る状態は,この古い世がかつてもたらしたどんな状態とも異なって,人をさわやかにするものとなるでしょう。キリストの犠牲の恩恵が適用され,神のご意志について教える教育が施されることによって,死人の中から復活させられる人たちを含め,従順な人々は罪のあらゆる痕跡から解放され,肉体的,精神的,感情的および霊的に進歩して,ついには完全な状態に到達するよう助けられるでしょう。人は皆,分裂をもたらす「肉の業」を生み出す代わりに,愛,喜び,平和,辛抱強さ,親切,善良,信仰,温和および自制という敬虔な実を豊かに生み出すことを学ぶようになるでしょう。(ガラテア 5:19-23)このような精神が行き渡るので,地球の産物は全人類の必要とするものを惜しみなく供給するために用いられるでしょう。人類はこの地球とその住民に対する創造者の最初の目的を成就するために一緒に働くので,生活はかつてなかったほどに大変意義深いものとなるでしょう。

      15 (イ)どんな魅力的な招待が,すでに人類に差し伸べられていますか。(ロ)それで,わたしたちは個人個人,何をしているべきでしょうか。

      15 神の霊とキリストの花嫁は,喜びにあふれてこのすべての事柄を期待しつつ,今やあらゆる場所の人々に熱心な招待を差し伸べ,次のように語ります。『「来なさい!」 そして,だれでも聞く者は,「来なさい!」と言いなさい。そして,だれでも渇いている者は来なさい。だれでも望む者は命の水を価なくして受けなさい』。(啓示 22:17)ですから,今は,エホバの大いなる日までの秒読みが大患難で決定的瞬間に達するまで,単に待っている場合ではありません。「命の水を価なくして受けなさい」という,慈しみ深い招待を受け入れたあなたには,今やその招待を他の人々に差し伸べる特権があります。今は,神のすばらしい「新しい地」に生き残る者となることを切に願う人たちすべてが,熱心な活動にあずかるべき時です。

  • 神の王国の地的な領域を相続する,今生きている人々に関する預言的な型と描写
    新しい地へ生き残る
    • 神の王国の地的な領域を相続する,今生きている人々に関する預言的な型と描写

      次のような人々のグループ,もしくは個人によって予表されていた:

      (1)ノアの子らとその嫁たち(創世記 6-9章)。

      (2)ロトとその娘たち(創世記 19章)。

      (3)ヨセフの10人の悔い改めた異母兄弟(創世記 37,42-45章)。

      (4)飢きんに見舞われ,身をヨセフに売り渡したエジプト人(創世記 41章; 47:13-26)。

      (5)イスラエルと一緒にエジプトを去った,入り混じった集団(出エジプト記 12:38)。

      (6)贖罪の日における,イスラエルのレビ人ではない十二部族(レビ記 16章。マタイ 19:28)。

      (7)イスラエルの中の外人居留者(レビ記 19:34)。

      (8)モーセの義理の兄弟ホバブ(民数記 10:29-32)。

      (9)エリコのラハブ(ヨシュア 2,6章)。

      (10)イスラエルとの和平を求めたギベオン人(ヨシュア 9,10章)。

      (11)ケニ人ヘベルの妻ヤエル(裁き人 4,5章)。

      (12)サウル王の子ヨナタン(サムエル第一 18章; 23:16,17)。

      (13)ダビデと共に戦った異国の者(サムエル第二 15:18-22)。

      (14)シェバの女王(列王第一 10章)。

      (15)らい病を清めてもらったナアマン(列王第二 5章)。

      (16)レカブの子エホナダブ(列王第二 10:15-28)。

      (17)エホバの神殿に向かって祈った異国の人々(歴代第二 6:32,33)。

      (18)ネティニムと,ソロモンのイスラエル人ではない僕たちの子ら(エズラ 2,8章)。

      (19)レカブ人(エレミヤ 35章)。

      (20)エチオピア人エベド・メレク(エレミヤ 38章; 39:16-18)。

      (21)悔い改めたニネベ人(ヨナ 3章)。

      その上,次のように預言的に描写されていた:

      (1)アブラハムにより,その胤を通して自らを祝福する,地上のもろもろの家族(創世記 12:3; 22:18)。

      (2)エホバの民と共に喜ぶ諸国民(申命記 32:43)。

      (3)義なる者たち,つまりエホバを待ち望む人たち(詩編 37:9,29)。

      (4)花嫁の処女なる友たち(詩編 45:14)。

      (5)廉直で,とがめのない者たち(箴言 2:21)。

      (6)エホバの家で教えられ,その道筋を歩む諸国民(イザヤ 2:2-4)。

      (7)物を問い尋ねようとして旗じるしのもとに向かう諸国民(イザヤ 11:10)。

      (8)闇から出て来る諸国民(イザヤ 49:6,9,10)。

      (9)以前には知られていなかった国民(イザヤ 55:5)。

      (10)エホバに仕え,その名を愛する異国の人々(イザヤ 56:6)。

      (11)「海の富」,「諸国民の資産」,『はとの群らがる雲のように飛んで来る』人たち(イザヤ 60:5,6,8)。

      (12)イスラエルの羊の群れを牧した,よそからの者たちや,その農夫およびぶどう栽培者である異国の者たち(イザヤ 61:5)。

      (13)書記官のインク入れを帯びた人によって額に印を付けられる人たち(エゼキエル 9章)。

      (14)エホバの名を呼び求め,畏怖の念を起こさせるその日に安全に逃れる人たち(ヨエル 2:32)。

      (15)あらゆる国民のうちの望ましいもの(ハガイ 2:7)。

      (16)『エホバのもとに加わる』諸国民(ゼカリヤ 2:11)。

      (17)『一人のユダヤ人のすそをとらえる十人の者』(ゼカリヤ 8:23)。

      (18)王から平和を語り告げられる諸国民(ゼカリヤ 9:10)。

      (19)王の兄弟たちに善を行なう「羊」(マタイ 25:31-46)。

      (20)悔い改めた放とう息子(ルカ 15:11-32)。

      (21)りっぱな羊飼いの声に聴き従う「ほかの羊」(ヨハネ 10:16)。

      (22)キリストに信仰を働かせ,『決して死ぬことのない』人たち(ヨハネ 11:26)。

      (23)腐朽への奴隷状態から解放され,神の子供の栄光ある自由を持つ創造物(ローマ 8:20,21)。

      (24)神のみ子に信仰を働かせるゆえに永遠の命を得る,世の人々(ヨハネ第一 2:2。ヨハネ 3:16,36)。

      (25)エホバの神殿で昼も夜も仕える「大群衆」(啓示 7:9-17)。

      (26)だれでも命の水を飲み,自らもほかの人たちに,「来なさい!」と言う人たち(啓示 22:17)。

      上記の人々は,ただこの本の中で論じられたり,言及されたりしている人たちにすぎません。

日本語出版物(1954-2026)
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