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    目ざめよ! 1979 | 9月22日
    • 決定に直面することを,我々の大多数はよく知っている。多くの場合,親も自分の役割について非常に困惑しており,導きとなる資料にも事欠いている。わたしはエホバの証人の配布している本『あなたの若い時代 ― それから最善のものを得る』を読み終えたが,この本にはあらゆる宗教の人々にとって良い助言が多く含まれている……わたしはその宗教の全体を“売り込んで”いる訳ではないが,それに何か良いものがあるなら,利用するのが賢明だと思う」。

      ソ連の物価

      ◆ モスクワとニューヨークの生活費はどのように違うだろうか。US・ニューズ・アンド・ワールド・リポート誌に載せられた最近の物価は次のようである。(最初に挙げたのがモスクワ価格): バター1㌔ ― 5.7㌦(約1,150円),3.73㌦(約750円); 牛乳1㍑ ― 46セント(約90円),58セント(約120円); 卵1ダース,大 ― 2.37㌦(約470円),99セント(約200円),じゃがいも1㌔ ― 15セント(約30円),64セント(約130円); コーヒー1㌔ ― 30.35㌦(約6,070円),5.05㌦(約1,010円),歯みがき粉大 ― 53セント(約110円),1.68㌦(約340円);“団地”サイズの冷蔵庫 ― 446㌦(約8万9,000円),285㌦(約5万7,000円); 半自動洗濯機 ― 250㌦(約5万円),290㌦(約5万8,000円)(全自動); 黒白テレビ ― 449㌦(約9万円),159㌦(約3万2,000円); 地下鉄運賃 ― 8セント(約16円),50セント(約100円); ナイロン・ストッキング ― 2.58㌦(約520円),1.75㌦(約350円)。医療,高等教育など,基本的項目の中のあるものはソ連では無料である。また住居費,休暇の費用その他も格安である。

      移植された狂犬病

      ◆ 米国,アイダホ州ボイシの37歳になる一婦人は,ある林務官の角膜を右目に移植して約五週間後に頭痛と顔面麻ひのために入院した。彼女の麻ひは徐々に進行し,当惑した医師たちの懸命の治療のかいなく,彼女は短時日のうちに死亡した。その後,科学者たちは疾病の原因が,移植された彼女の角膜の提供者にあることをつきとめた。彼はその時には知られていなかった神経の病気で死んだのである。しかし冷凍にされた彼の目を改めて調べたところ,狂犬病のビールスが発見された。

      日焼けに悪影響を及ぼす太陽黒点

      ◆ 地球の大気のオゾン層は,致命的な皮膚ガンである悪性黒色腫を誘発すると考えられている紫外線から我々を保護している。コネチカット大学のミカエル・ビオラ博士によれば,1979年は太陽黒点の活動の増加する周期にあたり,そのためオゾン層が減少しているので,太陽を好む人々にとっては危険な年かもしれないと警告されている。「どんなふうに日光にさらされるかが問題である。一年中,戸外で働くことよりも,大部分の時間を屋内で過ごし,時おり直射日光にあたるほうが危険なことのように思われる」と同博士は語っている。ビオラ博士の研究の示すところによると,海辺で長期間過ごす余裕のある職業を持つ人の,女性では足,男性では胴に最も多く皮膚ガンが見られる。

      “骨を作る”

      ◆ 南アフリカのヨハネスバーグから約160㌔離れた山の中で,毎日幾十㌔もの骨がまき散らされてきた。野生動物の係官は,世界でも珍しいコンドルの一種を救う目的で骨を運んでいる。ハンターが食肉動物を追い回しているため,腐肉を食べる鳥の餌となる死体が減って,この醜い鳥は死に絶えつつあるという。成鳥はなきうさぎを捕食してどうにか生き延びているが,小動物の骨には,ひな鳥の成長に必要なだけのカルシウムが含まれてはいないようである。「餌の中にカルシウムが含まれていなかったため羽がもろくなり,その羽を折って多くの若い鳥が死んだ」と,ロンドンのサンデー・エキスプレス紙は報じている。「親鳥はガラスや陶器の破片を与えてひな鳥を養おうとし始めており」,しばしば致命的な結果を招いている。

  • 聖書理解の助け ― 軍隊
    目ざめよ! 1979 | 9月22日
    • 聖書理解の助け ― 軍隊

      「知恵は主要なものである。知恵を得よ。自分の得るすべてのものをもって,悟りを得よ」― 箴 4:7,新。

      軍隊 陸上での戦闘のために組織され,訓練された多数の人々の集団。アブラハムの時代から,クリスチャン時代以前のエホバの僕たちは武力による戦闘に携わりました。エラム人ケダラオメルとその同盟者たちがアブラハムのおいロトとその家の者たちを連れ去った時,アブラハムは「訓練された者,三百十八人の奴隷たち」で成る自分の軍隊を召集し,近隣の盟約者たちと共にダンまで北へ200㌔近く追撃しました。そこからは軍勢を幾手かに分けて夜襲をしかけましたが,それは聖書時代に繰り返し用いられた戦術でした。―創世 14:13-16,新。

      イスラエル人

      その400年余り後,イスラエル国民は大急ぎでエジプトを出ましたが,そのとき民はよく組織された「戦闘隊形」を整えていました。それは,本隊,前衛,後衛,左右両翼の五隊編成であったのかもしれません。(出エジプト 6:26; 13:18,新)これを追うエジプト軍は「より抜きの兵車六百両,それにエジプトの他のすべての兵車が加わって」構成されていました。一台の兵車には普通三人が乗りました。一人は馬を御するため,他の二人は戦闘のため,それは恐らく弓の射手であったでしょう。弓はエジプト人の主要な攻撃用具であったからです。これに騎兵が同行しました。(出エジプト 14:7,9,17,新)ヨセフスの記述によると,この時のエジプト軍はおよそ25万を数えました。

      エジプトを出てまもなくイスラエル人は自由な民として最初の交戦を経験しました。アマレク人がシナイ山域のレピデムで攻撃して来たのです。モーセの指示の下にヨシュアは直ちに実戦部隊を集めました。戦闘はその日ほとんど一日続き,イスラエルは戦闘に未熟であったにもかかわらず,エホバはこれに勝利を与えました。―出エジプト 17:8-14。

      エジプトを出て約一年後,軍役に堪える者として二十歳以上の男子の数が数えられました。それは合計60万3,550人でした。(民数 1:1-3,45,46)荒野での旅の終わり近くに同様の調査がもう一度行なわれましたが,兵員の数はやや下がって60万1,730人となっていました。(民数 26:2,51)レビ人は軍務を免除されたのでこれらの数字に含まれず,別に数えられました。―民数 1:47-49; 3:14-39; 26:57,62。

      免除規定

      レビ族に加えて,次の人々に兵役の免除が規定されていました。(1)「新しい家を建ててそれを奉献していない」者,(2)「ぶどう畑を設けてそれを使いはじめていない者」,(3)「女と婚約してまだめとっていない者」,(4)妻をめとった者,「その者は軍隊に出るべきではなく……一年のあいだ自分の家にあって免除されている」,(5)「恐れておじ気づいている者」。―申命 20:5-8; 24:5,新。

      カナン征服後の軍隊の編成

      カナンに定着して後,大規模な常備軍を維持する必要はほとんどなくなりました。境界での小ぜり合いは普通,関係するその地方の部族によって処理されました。数部族からの兵力を結集して大きな勢力を作ることが必要な場合,エホバは裁き人を起こしてその指揮を執らせました。動員令はいろいろな方法で伝えられました。ラッパによる合図,使者たち,また戦闘員を奮起させるために特別のしるしが送られた場合もあります。―民数 10:9。士師 3:27; 6:35; 19:29。サムエル前 11:7。

      戦士たちは,剣,槍,ほこ,投げ矢,石投げ,弓,矢などの武器を自分で用意したようです。人々は一般に食糧も自分でまかないました。サウルの軍隊に入っている自分の息子たちのためにエッサイが糧食を送ったのはそのためです。(サムエル前 17:17,18)しかし,志願した人々の一割が取り分けられて他の人々の糧食調達に当たった例も一度あります。―士師 20:10。

      イスラエルの宿営にエホバが臨在されたことは,兵士たちに清浄と儀式上の清さとを要求しました。(申命 23:9-14)律法下において性交は人をその翌日まで汚れた者としましたから,ダビデもウリヤも軍務に就いている間は注意して性関係を避けました。(レビ 15:16-18。サムエル前 21:1-6。サムエル後 11:6-11)異教諸国の軍隊はしばしば征服した都市の婦女を犯しましたが,イスラエルの兵士は勝利を得てもそのような事を行ないませんでした。捕虜にした女と結婚することも一か月過ぎてからでなければ許されませんでした。―申命 21:10-13。

      イスラエルの窮極の勝利はエホバに依存していましたが,それでも軍を巧みに統率することは必要でした。その責任は任ぜられた士官たち,および千人の長や百人の長に委ねられました。祭司たちは士気を鼓舞し,その戦役に指示と目的を与える任務を割り当てられていました。(民数 31:6,14。申命 20:2-4,9)裁き人の時代にはエホバによって起こされたその者が軍を戦線に導きました。また,戦術と戦略を練ったのもその裁き人です。裁き人は自分の兵力をいろいろな形で展開させました。分隊編成(普通は三分),不意打ち,待ち伏せ,正面攻撃,渡し場の掌握などです。―ヨシュア 8:9-22; 10:9; 11:7。士師 3:28; 4:13,14; 7:16; 9:43; 12:5。

      王政時代

      民は裁き人の下での神権的な取り決めに満足せず,むしろ「諸国民すべてのように」,「わたしたちの前を出て行き,わたしたちの戦いを戦う」王を持つことを願いました。(サムエル前 8:20,新)しかしサムエルは,そのような王は自分独りで戦うのではないことを警告しました。王は民の息子たちを取り,「自分のものとして兵車に乗らせ,自分の騎兵たちの中に置き,ある者たちは彼の兵車の前を走らねばならない」でしょう。(サムエル前 8:11,12,新)王は最高指揮官であり,軍の長がこれに次ぐ権威を持ちました。―サムエル前 14:50。

      サウルの軍隊の規模と兵力は必要に応じて変わりました。ある時サウルは3,000人を選び取り,そのうち1,000人を息子ヨナタンの指揮下に置きました。(サムエル前 13:2)別の戦いの時には33万人が集められました。(サムエル前 11:8)しかし,ミクマシでしたように,3万台の兵車,6,000人の騎兵に加えて「砂粒のように数多い民」を動員することのできたペリシテ人の高度に機械化された軍隊と比べると,イスラエルの装備ははるかに貧弱に見えました。サウルとヨナタンを別にすれば,「戦いの日に民のだれの手にも剣も槍も見当たらなかった」と記されています。―サムエル前 13:5,22,新。

      ダビデの治世にイスラエルの軍隊は規模の点でも効率の面でも大いに強化されました。戦いの装備をし,ヘブロンに来てサウルの王権をダビデに委ねた者はおよそ33万2,500人いました。(歴代上 12:23-38)ダビデの軍隊にはイスラエル人以外の人々も加わっていました。―サムエル後 15:18; 20:7。

      ダビデは自ら最高司令官の地位を保持し,ヨアブ,アブネル,アマサなど野戦司令官を任命し,またその下に千人の長,百人の長を置くなど,従来の軍の機構の多くを保存しました。(サムエル後 18:1。列王上 2:32。歴代上 13:1; 18:15)しかしダビデは独自の新しい仕組みも創案しました。それは月ごとの交替制です。2万4,000人ずつ12組(合計は28万8,000人)の兵員が整えられ,各兵士は普通年に一か月だけ軍務に服することになりました。(歴代上 27:1-15)これはある月の2万4,000人すべてが同じ部族から来たという意味ではありません。各部族は年間を通じ月ごとに自部族の分担の人数だけ出したのです。

      騎兵隊と兵車隊

      古代の軍隊で強力を誇ったのは兵車隊です。移動式発射台とも言うべきこの兵車はその速さと機動性のゆえに,バビロニア人,アッシリア人,エジプト人などにより大いに重んじられました。そのため兵車は有力な世界帝国の軍事力の象徴とされるようになりました。しかし,イスラエル最大の軍司令官ダビデの下にあった軍隊は,その全体が剣,槍,弓,石投げ器などの武器を手に持つだけの歩兵から成っていました。ダビデは,勝利を求めて馬に頼ってはならないというエホバの諭しを銘記していたのでしょう。(申命 17:16; 20:1)また,ファラオの馬と兵車がエホバによって「海に投げ込まれた」こと(出エジプト 15:1,4,新),シセラの「鉄の大鎌付きの戦車九百両」の上にエホバが天の水門を開き,「キシヨンの奔流」がその敵軍を流し去ったことを思い起こしたに違いありません。―士師 4:3; 5:21,新。

      そのため,攻め取った馬のひかがみを切り,敵軍の兵車を火で焼いたヨシュアと同じように,ダビデもゾバの王ハダドエゼルから奪った馬に対してそのようにしました。ゾバの王から攻め取った多数の馬のうち100頭を除き,残りはすべてそのひかがみを切って不具にしました。(ヨシュア 11:6-9。サムエル後 8:4)ダビデはある歌の中で自分の敵たちがいかに兵車や馬にこだわっているかを説明し,「しかしわたしたちは,わたしたちの神エホバについて述べます」と語っています。「馬はその救いに関しては欺瞞である」。(詩 20:7; 33:17,新)また,箴言の述べるとおり,「馬は戦闘の日のために備えられる。しかし救いはエホバのもの」です。―箴 21:31,新。

      ソロモンの統治と共にイスラエル軍制史に新時代が画されました。その治世は比較的に平和でしたが,それでも彼は馬と兵車の数を多くしました。多くの場合,その馬はエジプトから買って輸入したものです。そうした新しい分隊を収容するため国の各地に幾つもの新都市をそっくり建設しなければなりませんでした。(列王上 4:26; 9:19; 10:26,29。歴代下 1:14-17)しかしエホバがソロモンのこの新制度を祝福された例はありません。彼の死およびその後の王国の分裂と共にイスラエルの軍事力は衰えました。イザヤは後にこう書いています。「援助を求めてエジプトに下って行く者たち,単なる馬に頼る者たち,またその数が多いので戦車に,それが強力なので乗用馬に信頼を置き,イスラエルの聖なる方を仰がず,エホバを求めなかった者たちに災いが来る」― イザヤ 31:1,新。

      分立王国時代

      王国の分裂後もユダとイスラエルとの間にはずっと敵対関係が続きました。(列王上 12:19,21)ヤラベアムが80万の兵を率いて攻めて来た時,レハベアムの後継者アビヤには40万の軍しかありませんでした。数の面では二対一の劣勢であったにもかかわらず,「エホバに頼ったために」南の王国のほうが勝利を収めました。イスラエルは50万の兵員を失いました。―歴代下 13:3-18,新。

      こうした部族間の抗争に加えて,周囲の異教諸国との外的な敵対関係がありました。イスラエルは北のシリアとの外交関係の緊張のために常備軍を維持しなければなりませんでした。(列王下 13:4-7)ユダもまた異教の軍勢の侵出に抵抗する必要がありました。ある時エジプトはユダを侵略して多くの物資を略奪して行きました。(列王上 14:25-27)別の時にはエチオピアが100万の兵と300両の兵車とをもってユダに攻めて来ました。アサ王の軍勢は58万にすぎませんでしたが,彼が「その神エホバを呼びはじめた時」,「エホバがエチオピア人を撃ち破られ」,その一人も生き残りませんでした。―歴代下 14:8-13,新。

      また,モアブ,アンモン,アンモニムが攻撃してきた時,ヨシャパテには116万の軍勢がありましたが,それでもヨシャパテは「エホバを求めることに顔を向け」,一方エホバは「戦いはあなた方のものではなく,神のものである」と述べて彼を力づけました。(歴代下 17:12-19; 20:1-3,15,新)これは戦史に残る事例となりました。訓練された合唱隊が「武装した者たちの前を進んで」,「エホバに賛美を捧げよ」と歌うと,敵の軍勢は混乱して同士討ちを始めたのです。―歴代下 20:21-23,新。

      ローマ人

      ローマの軍隊はアウグスツスの治世に約30万と推定されていますが,それ以前の諸帝国の場合とは大いに異なる組織となっていました。ローマ軍の常設編制において中心をなしたのは軍団です。それは独立した大きな単位で,大きな軍隊に属する特殊化された部隊というより,それ自体がすべてを備えた軍隊を成していました。幾つかの軍団が連合し,その器材と兵力を中央司令下に統合して戦う場合もありました。西暦70年,エルサレム攻囲のため四つの軍団がティツスの下に連合したのはその一例です。しかし軍団は普通単独でそれぞれの任務に当たりました。これらの軍団を補ったのは帝国の全域から取られた非市民の補助軍で,それは各地域ごとの志願兵である場合もありました。これら補助軍は軍団の支援を受けつつ国境ぞいに配置されました。補助軍の兵士は満期除隊の際にローマ市民権を与えられました。

      軍団の数は時代によって異なり,ある時には25ないしそれ以下,ある時には33を数えました。各軍団を構成する兵士の数も,第一世紀には6,000人が普通であったとはいえ,状況により4,500人から7,000人と変動しました。このため聖書中の「軍団」という語は一般に数の多いことを指して用いられています。(マタイ 26:53。マルコ 5:9。ルカ 8:30)各軍団にはその司令官がおり,皇帝に対してのみ責任を持ちました。その下に六人の執政武官がいて,千人隊長(軍司令官,新)とも呼ばれていました。―マルコ 6:21。ヨハネ 18:12。使徒 21:32–23:22; 25:23。

      各軍団は十の歩兵隊ないし部隊に分けられていました。ですから聖書には「イタリア隊」,「アウグスツスの部隊」などのことが出て来ます。(使徒 10:1; 27:1)西暦44年,ヘロデ・アグリッパが死んだ時,カエサレアには五つの歩兵隊が駐屯していました。軍団はさらに細分されて60の百人隊から成り,普通100人で成るその一隊は百人隊長(士官,新)の指揮下に置かれました。これらの士官は特に重要な存在であり,兵士の訓練の任に当たりました。(マタイ 8:5-13; 27:54。使徒 10:1; 21:32;

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