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  • ナミビアの将来
目ざめよ! 1970
目70 2/22 23–25ページ

南西アフリカの別名,ナミビア ― 変化に富んだ楽しい土地

南アフリカの「目ざめよ!」通信員

世界地図の上で南西アフリカを見つけるのはごくかんたんです。オレンジ川の真北,アフリカ西海岸に面しているのがそれです。いくつかの百科事典は南西アフリカの項を特に設けず,「南アフリカ共和国」の項で多少の説明を加えているにすぎません。1934年10月3日,当時の南アフリカ連邦が南西アフリカを公式に連邦領土にしたとはっきり述べる本もあります。

19世紀の後半,ヨーロッパ列強はアフリカを分割して勢力下に置くことに忙しく,また豊かな資源を獲得することに没頭していました。当時の百科事典を調べると,南西アフリカという国はおろか,ドイツ南西アフリカの名さえ地図の上にありません。その代わり,オレンジ川の北方,アフリカ西海岸には大ナマカランド,ダマラ,オバンボといった地名が出ています。このころドイツはこの地域に関心を向けはじめ,ここを自国の植民地と唱えました。

しかしその後,第一次世界大戦によって情勢は変わりました。ドイツはやむなくこのアフリカの植民地,南西アフリカを明け渡し,国際連盟はこれを委任統治領として南アフリカ連邦の統治下に置きました。現在南アフリカ共和国は,この土地が国際連合の信託統治領となることを望んでいません。また南西アフリカ住民の大部分は,南アフリカ共和国の委任統治下にとどまることに満足しているように思われます。

しかし,アジア・アフリカ諸国は,南アフリカ共和国のアパルトヘイト政策 ― 南西アフリカ住民の一部によれば,非白人住民を差別し圧迫する政策 ― を大きな理由に,南西アフリカ住民少数派の主張を支持しました。ところが1966年,国連の国際司法裁判所は,これらアジア・アフリカ諸国が南アフリカ共和国の委任統治権を問題にする法的な権利はないとしました。またさかのぼって1950年,同司法裁判所は,南アフリカが南西アフリカを国際連合の信託統治に付する務めはないという意味の見解を表わしました。

にもかかわらず,1968年5月,国連総会の決議により,南西アフリカを引き継ぐための11か国信託統治理事会が設けられました。ついで翌月,同総会は5月の決議を実施することを安全保障理事会に求め,また南西アフリカを今後「ナミビア」と呼ぶことを布告しました。しかし,南アフリカは国際連合を国際連盟の後継者とは見ず,約780,000平方キロに及ぶこの委任統治領の明け渡しに同意していません。

「ナミビア」という名前は,大西洋ぞいのナミブ砂漠にちなんでいます。この砂丘は100キロから160キロ奥地にまで延びており,中には高さ300メートルの砂丘もあります。この地域はかつて「されこうべ海岸」と呼ばれました。というのは,たどりつく難破船の船員で,押し寄せる波と流砂,そして果てしなく続くかに見える不毛の砂丘を生き残り得た者はいなかったからです。

この土地の人々

ナミブ砂漠やナマカという昔の地名から,多分ナマ族が思い浮かぶでしょう。ナマ族はかっ色の皮膚をしたホッテントットで,顔はブッシュマンに似ています。またナマ族のことばにはブッシュマン語特有の,意味の区別をつける舌打ち音があります。きっすいのブッシュマンのなごりをとどめ,毒矢を使うことで有名な小柄で黄色の皮膚の狩猟民は,現在,奥地の台地カラハリ砂漠に住んでいます。

ポルトガル領アンゴラに接する北部地帯には,オバンボという農耕部族が住んでいます。オバンボの歴史は他部族のそれと比べ,かなり平和です。色の浅黒いバンツー系のダマラ族は,おそらくアフリカで最初に採鉱を始めた部族でしょう。北西部には,長身で誇り高く,多くの家畜の群れを持つ牧羊民族ヘレロ族がいます。身のこなし方が独特で,皮膚もそれほど黒くないことから,彼らは北アフリカのハム族の出であるとされています。

南西アフリカの住民には,もう一つ大きな部族,すなわちホッテントットと白人の混血人を先祖に持ち,南アフリカ共和国のアフリカ語を話すバスタード族もいます。この部族はおよそ一世紀前,南アフリカから移動し,ビントフーク市に近いリホボスに定住し,今も伝統的な族長制度に従って生活しています。

この領土内に全部で10の住民集団があり,おのおの独自のことばで話します。しかし,広大なこの土地の人口は60万をわずかに上回るにすぎません。南西アフリカではアフリカ語,ドイツ語,および英語が公用語として使われています。

住民について十分調べるには町に行くのがいちばんです。たとえば海抜約1,700メートルの,活気にあふれた陽気な町,ビントフークを尋ねてごらんなさい。その他,ビントフークから毎日飛行機便のあるオカハンジャ,オチワロンゴ,アウチョ,ツメブなどの町もあります。

ビントフークは小さいながら首都となっています。ドイツ風の大邸宅や大きな近代的アパートに住んでいる人,あるいは種々のくず材料をつぎ合わせた掘っ立て小屋に住む人などさまざまです。ビントフークの市街では,いろいろ異なった服装が見られ,興味をそそられます。ミニスカートの現代娘もいれば,長いビクトリア風のガウンに,きっちり巻いたターバン式の帽子をつけた優雅なヘレロ女性にも出合います。くるぶしまで届く長いガウンにはたくさんのビーズ,ボウ,ボタンなどの飾りが付いており,ゆったりしたペチコートの上にこれを着るのです。

興味深い事柄

ブッシュマンの残した絵はこの地域の各所で発見されており,最も有名なものは「白い婦人」と呼ばれる,岩に描かれた絵画です。これは約5メートルあまりの帯状装飾で,古代芸術の世界的に重要な標本の一つとされています。荘重な岩々のあいだに見られるこの特異な絵の作者や起源また年代についてはまだはっきりわかりません。

これより古い歴史を持つ岩の記念物もあります。その一つは24メートルにわたって横たわる砂岩で,その表面には恐竜の足跡がついています。またもう一つ興味深いのは石化した森です。これは昔,松の木が水に押し流されて乾いたこの土地まで運ばれ,泥に埋もれて幾世紀も経るあいだに石化したものと思われます。これまで発見された最大の木は,幹の全長が30メートル以上で,その周囲は推定3メートルから6メートルあります。

北西部のエトシャ鳥獣公園は6万7,000平方キロあまりの土地を自然のまま公園にしたもので,スイスの約2倍の広さです。ここは鳥獣類の世界最大の特別保留地であり,ゾウ,ライオン,キリンのほか,シマウマ,トビカモシカ,ウシカモシカなどが何千頭もいます。この公園には世界で最も珍しい宿泊施設の一つがあります。ナムトニと呼ばれ,かつてドイツのとりででしたが,今はさしずめ戦争映画のロケ地といったところです。

南西アフリカのもう一つの特色ですばらしいのは,フィッシュ・リバーけい谷です。長さは64キロで谷底の流れまで760メートルあり,アメリカのグランド・キャニオンに次ぐ規模を誇っています。それから重さがざっと60トンばかりのいん石もあります。これは世界で発見されたいん石のうち最大のものです。

さらに,この土地はいろいろな鉱物を豊かに産出します。最も重要な産物は銅とダイヤモンドで,この二つの鉱物を得るために世界最大のブルドーザー数台が砂丘を掘り起こしています。銅とダイヤモンドは南西アフリカの最も重要な輸出品です。ダイヤモンドに次いでカラクル工業が重要です。今世紀初頭,ドイツ人によって紹介された耐久力のあるカラクル羊は,カラハリ砂漠の乾燥した条件下でまるまると育っています。この羊の美しい毛皮がヨーロッパ市場に出回るのです。

ナミビアの将来

確かにナミビアは自然の豊かな恩恵を受けています。変化に富んだ楽しいこの土地の風景,人と習慣などは旅行者の興味をそそります。太陽の照りつけるこの土地は,国際政治の焦点の一つともなっており,ナミビアこと南西アフリカの近年の政治情勢は,二つの世界大戦に続く諸事情をその発端としているのです。

それにもかかわらず,住民たちは平常どおりの生活を営み,また病院,学校,ダムが新設されたり,原住民の住宅および教育対策が立案されるなど進歩のあとが見られます。とはいえ,他のすべての開発途上の国と同様,ナミビアもさまざまな問題をかかえ,その多くはいまだに着手されていません。

[23ページの地図]

(正式に組んだものについては出版物を参照)

アンゴラ

ボツワナ

オレンジ川

南アフリカ

[24ページの図版]

オバンボランドの穀物倉

[25ページの図版]

ヘレロ族の女性

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