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    ものみの塔 1981 | 3月1日
    • 「この親にしてこの子あり」

      例外であったアサ

      お父さんはどんな方でしたか。あるいは,女性であれば,お母さんはどんな方でしたか。

      「この親にしてこの子あり」とよく言われます。また,ドイツにも,Der Apfel fällt nicht weit vom Stamm(リンゴは幹から遠くには落ちない)という,同じような考えを伝えることわざがあります。こうしたことわざは,子供が親の性格上の特徴や態度を受け継いでいる場合がよくある事実から出ています。

      あなたの場合もそうですか。自分の行動や考えが親に似ていると言われたことさえあるかもしれません。そう言われると,うれしく思いますか。自分の父親や母親のようになることを望んでおられますか。

      おそらく,自分も喜んで表わしたいと望む,親のすばらしい面の数々を思い巡らすことができるでしょう。しかし,正直なところ,親の生き方が聖書のある原則に反するような場合はどうでしょうか。もちろん,そのような時でも,親に公然と反抗することはないでしょう。しかし,親の影響力が非常に強いことを考えると,こうした立場にいる子供は,歩み方や態度の点で親の型に倣わないよう,誠実で粘り強い努力を払う必要があるでしょう。しかし,そうすることには価値があります。それによって子供が天のみ父である神に一層近づくようになる場合は,特にそうです。聖書に出てくるアサの興味深い例からこの点を調べることができます。

      アサの取った行動

      西暦前10世紀にアサはユダの王になりました。アサの父アビヤム(アビヤ)は悪い前例を残しました。アサの父は,エホバ神に熱意を込めて信頼を置く代わりに,偽りの崇拝の場である「高き所」で行なわれていた偶像礼拝の行為を黙認しました。この点で,アビヤムは「その父[レハベアム]が……行なったすべての罪のうちに歩んで」いました。(列王上 14:22-24; 15:3,新)では,アビヤムの息子アサはそうした不忠実な歩みから離れることができたでしょうか。それとも,「この親にしてこの子あり」ということになったでしょうか。

      聖書に記録されている歴史の明らかにするところによると,アサは父や祖父の歩みに倣いませんでした。『アサはその父祖ダビデのように,エホバの目に正しいことを行ないました』。アサは実の父にも祖父にもあえて倣うことをせず,自分の曾祖父の父に当たるダビデに倣って真の崇拝に対する熱意を示しました。聖書はアサについてさらにこう述べています。「彼は神殿男娼を国から除き去らせ,父祖たちが作った汚らしい偶像をみな取り除いた」。(列王上 15:11,12,新。歴代下 14:2-5a)アサは偶像礼拝を排除する精力的な戦いを推し進めました。

      エホバによって報われる

      アサのエホバに対する信仰は豊かに報われました。どのようにですか。それはエチオピア人ゼラの率いる100万の軍勢がユダの王国に攻めて来た時のことです。王は至高者に次のように訴えました。「エホバよ,助けることについては,多くいようが,力のない者たちがいようが,あなたにとっては変わりはありません。わたくしたちの神エホバよ,わたくしたちを助けてください。確かにわたくしたちはあなたに頼りますし,あなたのみ名によってこの群衆に向かって来たからです。エホバよ,あなたはわたくしたちの神です」― 歴代下 14:9-11,新。

      自分の父と異なっていることを示していたこの王の祈りに,神は耳を傾けられました。神の助けを得て,アサの軍勢は敵のエチオピア人を撃ち破り,これに屈辱的な敗北を被らせました。―歴代下 14:12,13。

      こののち,預言者アザリヤはアサに会い,アサとその民を強めて,エホバに忠実であるよう励まし,こう述べました。「あなた方がエホバと共にいる限り,主はあなた方と共におられます。もしあなた方が主を求めるなら,主はあなた方に見いだされるようにされますが,もしあなた方が主を捨てるなら,主もあなた方を捨てられるでしょう」。王が立てられる前の,イスラエルが不忠実であった動乱の時期に言及したものと思われますが,アザリヤはこう言葉を続けました。「イスラエルにまことの神が……なかった日は数多くありました。……国々のすべての住民のうちには多くの騒乱があ(りました)。そして彼らは,国民は国民に,都市は都市に相逆らって,打ち砕かれました。神があらゆる苦難をもって彼らを混乱状態にしておかれたからです」。しかし,そのような状態にある必要はありませんでした。民と王の双方が不忠実な父祖たちとは違うことを示すなら,「あなた方の働きには報いがある」,と預言者は語りました。―歴代下 15:1-7,新。

      アサとその民はアザリヤの言葉によく応じ,すでに始まっていた,国から偶像礼拝を一掃する業を推し進めました。エホバの神殿では,祭壇が再びふさわしい状態に戻されました。それ以前に,祭壇は汚されていたものと思われます。アサの治世の第15年に開かれた集まりの際,民は契約を結んでエホバに仕えることを誓い,これを故意に拒む者は生きていてはならないことに同意しました。その時集まった人々の中には「[アサ]の神エホバが彼と共におられるのを見て」北の十部族の国からアサのもとに下って来た人たちも数多くいました。―歴代下 15:8-15,新。

      アサの方も,王国で『第一の貴婦人』のようにみなされていた,偶像礼拝者である祖母のマアカに対してさえ処置を講じることを差し控えませんでした。「[マアカ]が聖木[すなわち女神アシラ]のために恐ろしい偶像を造った」ため,アサはマアカがそうした立場に引き続き留まるのを許しませんでした。―列王上 15:13。歴代下 15:16,新。

      道を踏みはずす傾向

      神を信じない親とある面で異なろうとする人はだれでも,クリスチャンの人格を培うために不断の努力を払う必要のあることに気付くでしょう。ある期間,首尾よく異なった歩みを続けているように思えるものの,そののち年を取ったり特別な圧力を受けたりした時に,道を踏みはずして,神を信じない親と同じ歩みに戻ってしまうことがあります。アサの生涯からそうした危険に注目できます。

      「アサの治世の第三十六年に」b,イスラエルの王バアシヤは南のユダ王国に対して行動を起こしました。民がアサのもとに下るのを防ぐために,バアシヤは国境の都市ラマを強化する工事に取りかかりました。アサは,エホバの保護の力に引き続き信頼を寄せる代わりに陰謀を巡らしました。スリアのベネハダデ王にわいろを贈り,イスラエルの十部族の王国との契約を破棄するよう働きかけたのです。スリア軍がイスラエル北部の諸都市を襲ったため,バアシャは建設工事を中止してラマから兵を引き上げざるを得なくなりました。アサは民を召集して十部族の王国の領土に攻め入りました。アサに率いられた人々はラマの建築資材を奪って,ゲバとミヅパの建設工事に用いました。―歴代下 16:1-6,新。

      しかし,アサの信仰に欠けた行為はエホバの注意を免れることはありませんでした。ご自分の預言者ハナニを通して神はアサにこうお告げになりました。「あなたはスリアの王に頼り,あなたの神エホバに頼らなかったので(す)。あのエチオピア人とリビア人は,戦車や騎手の点でおびただしい,非常に大きな軍勢ではなかったでしょうか。けれども,あなたがエホバに頼ったので,主は彼らをあなたの手に渡されたのではありませんか。エホバに関しては,その目はあまねく全地を行き巡り,ご自分に対して心の全き者たちのためにみ力を表わしてくださるのです。あなたはこのことに関して愚かなことをしました。今からあなたに対して戦争があるからです」― 歴代下 16:7-9,新。

      これらの言葉を聞いて,アサはへりくだった態度を示したでしょうか。そうではありませんでした。アサは怒ってハナニを獄につなぐよう命じました。アサはまた,民のほかの者たちをも虐げるようになりました。アサの生涯の最後の3年間は幸福なものではありませんでした。痛風と思われる足の病を患いました。しかし,そのような時にも,エホバ神に助けを求めようとはせず,いやしを行なうために秘術という手段にさえ訴えたかもしれない治療者たちに助けを求めました。約41年統治したのち,アサは死にました。―列王上 15:23,24。歴代下 16:10,12-14,新。

      アサの生涯は,善きにつけ悪しきにつけ,自分の親の影響を無視できないことを如実に物語っています。しかし,アサの事例は,「この親にしてこの子あり」という言葉が世の常とは限らないことを示しました。

      [脚注]

      a 歴代下 15章17節(新)および列王上 15章14節(新)は,『アサが高き所を取り除かなかった』ことを示唆しています。これは,高き所が当初破壊されたものの,アサの治世中に再び現われたことを意味しているのかもしれません。あるいは,偶像礼拝の中心の場所としての高き所は除かれたものの,高き所で行なわれていたエホバに対するふさわしくない崇拝行為は続けられていたのかもしれません。

      b アサの実際の統治の年数ではなく,ダビデの王家から10部族が離反した時から数えたものと思われる。

  • 読者からの質問
    ものみの塔 1981 | 3月1日
    • 読者からの質問

      ● 神の王国とキリストの王国を区別するのは正しいことですか。また,使徒ペテロが「わたしたちの主また救い主イエス・キリストの永遠の王国」に言及しているのに,『王国を自分の神また父に渡す』時に,イエスの支配権は終わりに至るとどうして言えるのですか。―ペテロ第二 1:11。コリント第一 15:24。

      イエスはご自分の追随者たちに,「あなた[父]の王国が来ますように」と祈るよう教えられました。(マタイ 6:9,10)ですから王国は神のものです。「とこしえの王」であられるエホバは,限られた期間,特定の目的のためにご自分の独り子に支配権の責任を与えておられます。この指定された期間,イエスはみ父の右手から遣わされた代理の支配者として仕えます。―テモテ第一 1:17。詩 110:1,2。ダニエル 4:17。

      悪魔になった霊的な子,および地上の最初の人間たちの反逆の結果,エホバはご自分の支配権を新たな方法で表明することを意図されました。これは約束の「胤」を通して行なわれます。(創世 3:15,新。エフェソス 1:8-12)イエスはご自分が亡くなるその日に,弟子たちにこう言われました。「わたしは,ちょうどわたしの父がわたしと契約を結ばれたように,あなたがたと王国のための契約を結び,あなたがたがわたしの王国でわたしの食卓について食べたり飲んだり(する)ようにします」。そうではあっても,イエスと共に支配する者たちを選び,それらの者たちに王国政府における立場を割り当てられるのは父です。―マタイ 20:23。ルカ 12:32; 22:29,30。ローマ 8:16,17。

      14万4,000人の共同の王たちと共に支配するこの委任された権威のゆえに,王国,つまりメシア王国はイエスの手中にあると言っても差し支えありません。ダニエルは,イエスとこれら「聖なる者たち」が職務に就けられるという,当時からすれば将来の出来事を幻で見て,こう述べています。「彼は日を経た方[エホバ]に近づき,彼らは彼をその方のすぐ前に連れて来た。そして,この方には支配権と尊厳と王国とが与えられた。もろもろの民,国民,また諸言語の者が皆,この方に仕えるためであった。その支配権は,過ぎ去ることのない定めなく続く支配権で,その王国は滅びに至ることのないものである。……『そして,王国と支配権と,全天下の諸王国の偉観とは,至上者の聖なる者である民に与えられた』」― ダニエル 7:13,14,27,新。

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