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エホバのみ名を軽んじないように慎みなさいものみの塔 1964 | 12月15日
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の神殿を復興したのは,このエサル・ハドンです。その後を継いだアシャバニパルは,大守を任命してバビロンを治めさせました。ネブカデネザル2世の父ナボポラサルは,アッシリアの任命した最後の太守でした。―国際スタンダード聖書百科,1955年版。
どんな理由のゆえに世界強国としてのアツシリアの存続は疑問となりましたか。
アッシリアはエホバのみ名を軽んじたため,そのみ手によって敗北をこうむり,いやしめられました。み名を軽んじ,また神の民に激しく敵対したアッシリアに対して,エホバの預言は滅びを予告していました。それにもかかわらず,「ニムロデの地」アッシリアは第2世界強国としての地位を保つことができますか。アッシリアはバビロンを滅ぼしましたが,「大いなる王の都」シオンを滅ぼすことはできませんでした。(ミカ 5:6。詩 48:1,2)アッシリアにどのように裁きが臨んだか,またダビデの家系の王の支配するエルサレムが,どのようにバビロンと衝突したかは,次号の「ものみの塔」に採りあげます。
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エホバと宣教にさゝげた生涯ものみの塔 1964 | 12月15日
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エホバと宣教にさゝげた生涯
R・ホプレイの経験
私の両親は,私が子供の時,英国のウォールシャル市にほど近いチェイス・テレイスの自宅で聖書の研究の集会をはじめました。毎週行なわれるこの集会は,私の兄弟や友人が加わるにおよんで盛んになっていきました。私は神の御国とその祝福についての討論にいつも耳を傾け,とりわけイザヤ書 11章の,動物が小さいわらべにみちびかれるという言葉から強い印象を受けました。
死者の状態,魂,神,キリスト,御国などについて聖書から理解したことはみな受け入れました。しかし,神への献身と宣教を真剣に考えるようになったのは,18歳になってからで,それまではスポーツに非常に興味がありました。ですからフットボールのシーズンがくると,フットボールに打ちこもうかという心の戦いをしなければなりませんでした。ちょうどその頃,兄たちはロンドンで開かれるものみの塔協会主催の大会に出席する話を始めて,そのことで興奮していました。私はその時の気分に押されて兄たちと一緒に大会に出席しました。土地のフットボール・クラブの事務員だった友人も一緒に行き,講演を楽しんでいるかのようによそおっていました。彼には妹があり,私はその妹と親しくしていました。しかし間もなく私は,この友情が,私と私の聖書研究の間に割り込んでくるのに気づきました。そのためこの交際をやめることに心を決めました。
フットボール・クラブの事務員だった友人はその後間もなく,聖書の研究よりもフットボールを選び,研究への興味をなくしました。しかし私は絶対にその影響を受けませんでした。神に奉仕し,神の目的にかんする知識に進みたいという私の望みは動きませんでした。このことにおいて家族は実によく助けてくれました。エホバについての知識が進むにつれ,家族9人が強い愛によって一つになっていたからです。エホバ神に献身しようという堅い決意をする助けとなったのは,兄たちの示した模範です。こうして1921年,19
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