エホバの証人の「生ける希望」地域大会
横浜市B
「生ける希望」,聖書が差し伸べる輝かしい希望について学ぶためのエホバの証人の地域大会が横浜市の花月園競輪場で7月下旬より2週にわたり8日間,A大会およびB大会が開催されました。後半4日間のB大会もA大会同様すばらしい霊的な励みを与えるものでした。初日,日曜日の公開講演会の神の王国政府に関する力強い希望の音信に1万666人がじっと耳を傾け,なぜ神の建てられた政府だけが人類の唯一の希望であるかを心に深く刻み込むことができました。
このエホバの民の大会にどれほど遠くから人々が出席したかを聞くなら励まされます。八丈島の小さな群れから15人が10時間の船旅をして,また新潟県の佐渡ケ島からは35人が出席し,車で17時間かけて出席した家族もありました。大会で得られる聖書からの教育の益を認識し,普通以上の努力を払った人々は数えきれません。長野県で出席した主婦のエホバの証人は,2歳から中学3年生までの8人の子供をつれて出席しました。一番の問題は子供を迷子にしないことと,多くの荷物をどうするかという事でしたが,良い配慮と決意によってプログラムを子供と,そして後から来たご主人と共に楽しみました。
「生ける希望」は十代の男女にも必要です。新潟県から初めてエホバの証人の大きな集まりに出席した18歳の聖書を研究している男の人は,旅費を自分で備えたいと思い,おもちゃのラジコン・カーを手離すことにし,店に出しておきました。その中古の品が大会のちょうど一週間前に売れたので,望み通り楽しく有益なプログラムに4日間あずかることができました。プログラムのすぐれた価値と内容を心から感謝する言葉が会場に満ち溢れていました。特に,演じられた三つの劇が出席者に与えた教訓と励ましは大きなものでした。「父なし子に必要なもの ― あなたはそのような子供を助けることができますか」と題する劇を見たあるクリスチャン監督奉仕者は「もっと会衆の成員に,特に霊的孤児や,やもめに目を配り,誠実な援助を与えるべきだと思いました」と述べました。三日目の劇,「思いを作り直して自分を変革しなさい」を見た12歳の少女は,「『少しだから……』と思ってすることから本当に悪い結果を招くことがあり得るということをよく理解できました。きっぱり,やらないなら『やらない』という態度をとりたいと思いました」と語りました。そのほかエホバの崇拝に肝要なすぐれた霊的な食物,聖書のみが与える将来の希望の確かさとすばらしさを,聴衆は心ゆくまで味わうことができました。
二日目の午前,「生ける希望」大会の特色をなす野外における活動が会場を中心とした区域で活発にくりひろげられました。あるエホバの証人の奉仕者は,会場の入口近くの区域の人々に希望のたよりを伝えるために出かけましたが,友好的な会話がなされただけでなく家の人の次のような言葉をも聞くことができました。「今回を含め,最近花月園で開かれている一連の大会には全く驚かされています。あのようにちりやたばこの吸いがら1本も落ちておらず,子供たちの振舞いの立派なことにはただただ驚くばかりです。このことは近所でも評判です」。聖書の真の希望を持ち,創造者のご意志を実践するエホバの証人たちが区域の人々の好意の注目をあびていることは何とうれしいことでしょう。
過去の自己本位の生活を改め人類の希望の与え主,エホバ神のご意志を行なうため,214人もの男女が献身を表わす水のバプテスマを受けるのを目撃することは,出席者のもう一つの特権となりました。出席した老若男女全員がエホバ神の特質を一層知り,より良いクリスチャンとなるよう特別の教えを授けられたことは,彼らの喜びに輝く表情からはっきり読みとることができました。
弘前市
青森県弘前市は今年エホバの証人の「生ける希望」地域大会が開催された都市の一つです。東北の人口17万人のこの都市において,こうした大規模な聖書教育大会が開かれたのは初めてでした。大会期日が地元の有名な祭りの期間に重なりましたが,地元のエホバの証人たちは懸命に働き,大会の準備をよく整え,東北6県からの出席者を温かく歓迎できました。会場として4,000人を収容する弘前市民体育館が使用され,また隣接する建物も用いられました。準備の仕事の一つとして会場敷地内に,出席者の益をはかって食堂や炊事,また喫茶等のため高さ平均4.5㍍,延べ1,300平方㍍に上る鉄製パイプのテントが張られました。暑さと雨をしのぐためのこの地元の証人たちによる特別の努力に出席者は感謝しました。また宿泊する証人たちの必要を満たすため,1年も前からの事前の準備がなされた結果,困難な事情の中にあっても2,000人分以上の宿舎がきちんと準備されたのはエホバの祝福の表われでした。
大会に出席した各地からの証人たちの顔は喜びに溢れていました。一関から来た55歳の婦人のエホバの証人は,13年前この弘前市で特別全時間伝道者として希望の音信を伝える全時間の奉仕を行なっていました。今回重い病気のため後半二日だけでしたが,希望を強める霊的食物の溢れるこの大会に出席できたことを喜びました。ある全時間奉仕者の夫婦は,福島県から450㌔の長い距離を14時間かけバイクでたどり着き大会を楽しみました。プログラムは話やインタビュー,聖書劇などすぐれた,変化に富んだものであり,出席者は将来の希望を与えてくださった創造者エホバに一層引き寄せられました。
プログラムの特色として信仰を裏づける業,活動,清い行状が強調されました。この生きた希望を持つことを示す活動として大会出席者は二日目,用意された奉仕用カバンを用いて,弘前市の人々に良いたよりを伝える奉仕に参加しました。弘前市の約75パーセントを網らでき,良い証言がなされました。地元の関心ある方々を大会に招待するため,大会の二日前青森放送の午後のプログラムを通して大会の宣伝がなされました。
この大会でエホバ神への献身を水のバプテスマで象徴した男女は54人を数え,希望のうちにクリスチャンの道をしっかりととらえたこれらの新しい人々を見て,場内には喜びが満ちわたりました。そのうちの一人の人はクリスチャンの生き方に合わせるため47年間すっていたたばこをやめる決意をしてそれをやりとげ,同時にさまざまな宗派の役職から毎年一つずつ離れ去るよう努力し,5年の年月の後清い良心をもって神に献身しました。
この大会を観察した外部の人々も,エホバの証人が特異な人々であると感じたようです。会場の責任者は「普通このような方法で貸し出せば汚されてしまいますが,皆さんの集まりはかえってきれいになるのでありがたく思います」と語っていました。大会に関係した業者の一人は,自分がその日一日だけを生きることに精一杯で将来の人生を考えないでいましたが,『エホバの証人の希望に満ちた様子を見て,人生のことをもう一度振り返る良い機会となった』と述べていました。神の王国政府の間近い到来を待ち望むエホバの民が,まさしく生ける希望により大いに鼓舞された大会となりました。
大阪市
万博会場跡お祭り広場といえば1973年に行なわれたエホバの証人の国際大会の会場となった場所です。その時3万1,263人が全国から集まりました。しかし今年の夏は日本中の10か所で同じような大会が開かれ,この同じ場所だけでも1万人以上の人々が出席しました。しかも,関西地方に集まることが予想された人々を一か所に収容することができず,すぐ隣の京都市でも,同じ月の後半に別の大会をもうけなければなりませんでした。
「良いたより」は関西地方でも広く受け入れられてきました。10年以上前に伝道奉仕のためまた,会衆を牧するために大阪に派遣された,エホバの証人の長老はその当時と現在の状態を比べ,次のように話しました。「今では大阪の地元の証人たちが伝道の業に率先し,進んで会衆の世話をしています。それが今のような活発な会衆をもたらしていると思います」。それに加えて,毎年の夏には必ずクリスチャンの大きな大会を大阪で開き他の県のクリスチャンたちをもてなしているのです。このことのゆえに多くの人々は大阪の証人たちに感謝しています。
他の大会とはちがって,万博会場跡の会場には屋根がありません。1973年当時あった巨大な丸天井はここお祭り広場からすでに撤去されてしまっています。地元のクリスチャンたちは出席者たちのために日よけになる「屋根」を作りました。数日を要する大仕事でしたが,一万人以上がその下にはいれるテントを組んだのです。
「生ける希望」とは,真のクリスチャンとして生活する者のみが持つことのできるものです。それにふさわしい実が示されるべきです。大会そのものは,その実を示す機会にもなりました。この大会の直前に,同じ広場でロックの演奏会が開かれました。その催しの最中の混乱と,その後に残されたごみの山と戦った万博会場の職員は,次の週のエホバの証人たちの静かな,秩序だった大会との大きな違いを認めました。職員の方々はほとんど見回りにくることもなく,証人たちが会場を自由に使うことを許しました。施設を破壊したり,不潔にすることはないと確信していたからです。ひとりの職員は,カメラを持って来て,大会の様子を記録としてとっておいてよいかと大会管理者に尋ねにきました。将来ここを使う人々への参考にするためなのです。この大会第三日目のテーマはいみじくも,「諸国民の中にあっていつもりっぱに行動しなさい」(ペテロ第一 2:12)でした。
この大会のひとつの特色はちょうど100年間続いて発行されている「ものみの塔」誌を人々に知らせる活動でした。第二日目に大阪および近隣で数えきれない数の家庭がクリスチャン奉仕者により訪問されました。出席していたひとりの「開拓者」(毎月90時間ほど伝道に費やす奉仕者のこと)の婦人は第一日目の午後のプログラムをテープに取り自宅に夜もどってから復習しました。その内容はどのように上手に,たくみに人々に聖書の音信を伝えることができるかというものでした。彼女はよく考え,学んだ教訓を次の日の午前中,自分の住んでいる区域の商店街で実行してみました。効果がありましたか。確かに彼女の努力と誠実さは実を結び,朝の準備に忙しい区域の人々でしたが数軒の家の人々に100年記念号の「ものみの塔」誌を配布することに成功したのです。彼女はその感謝の気持ちを次のように書き送ってきました。「以上の経験は大会のプログラムを通して示されるエホバの方法は確かに羊のような人々の心をとらえるということでした。それでエホバの備えすべてから注意深くその益を吸収したいと思っています。また自分だけでなく今日バプテスマを受ける長女(中学2年)も次女(小学6年)も神に喜ばれる奉仕者になってほしいと心から願っています」。
この大会でバプテスマを受けた人は252人にものぼりました。上述の年若い人と共に高齢の方々も含まれています。神戸から出席していた一婦人は70歳です。彼女は大人数のにぎやかな家族の中で育ちました。しかし一人ずつ去り,ご主人が亡くなってからは一人で生きてゆくようになりました。息子たちが時々訪ねてきますが,花を仏壇に供えるのが目的です。「死んだ人のほうが大切なのか,生きている私は死んだほうが……」と泣いたことも何度かありました。しかし,年若い学生のエホバの証人が聖書からの慰めをたずさえて彼女を訪ねたことから,彼女の生活は変わってゆきました。第一次世界大戦とその後の出来事,はやりかぜ(スペイン風邪)の当時の記憶から,時のしるしを認めることができました。人々に奉仕することと,エホバに祈ることを学んだ今,心に感謝をいだいています。―マタイ 24章参照。
毎日の猛烈な暑さにもかかわらず,初日から1万1,666人が出席し,最高潮となった日曜日の公開集会には1万1,925人になりました。「生ける希望」はこの大会でも生き生きしたものになりました。
所沢市
首都圏での三番目の大会は,埼玉県所沢市の西武園競輪場で行なわれました。この会場は一昨年にも地域大会に使用したことがあり,会場の管理者側は宿舎として提供した建物を前もって大掃除するなど,惜しみない協力を示しました。美しい会場を使用できることに加え,会場側から示されたこうした親切を証人たちは心から感謝しました。
大会は8月5日の日曜日から8日の水曜日まで開かれましたが,東京都と千葉県の一部,および埼玉,群馬,栃木,茨城など北関東の県から大勢の出席者たちが集まり,初日の公開講演には1万3,000人が耳を傾けました。しかし,その後も出席者の数は大きな減少も見せず,三日目午後のプログラムでは1万4,000人のピークに達しました。文字通り四つのスタンドを埋めつくした聴衆は,目にしみるような美しい芝生の中央に設置されたステージから提供される数々のプログラムに真剣に耳を傾け,緑の多いこの会場内での交わりをのびのびと楽しみました。
できるだけ大勢の人がプログラムを聞けるようにという目標の下に努力が払われた結果,ほとんどの部門で,「こんなにプログラムをよく聞けたことはない」という感謝が聞かれました。こうした努力は,証人たちが単に大会を滞りなく終わらせることばかりでなく,霊的な事柄を真に重要視していることを示しています。
出席者たちはプログラムからどんな益を受けたでしょうか。「父なし子に必要なもの ― あなたはそのような子供を助けることができますか」という劇を見た一人の長老は,「会衆を思うため,ある一部のことに一生懸命になっていると,自分では厳格兄弟ではないと思っていても,他の人から見て厳格兄弟になってしまうことがありがちです。今日の劇は年長者の立場にある者にとっても,他の成員にとっても考えさせる劇でした」と述べました。同じ劇から感銘を受けた中学校3年の男の子は,両親共に証人である自分のような恵まれた立場にいない人たちを気遣うべきことを学び,「早速私の群れを見回して,同じような立場の男の子を誘って励まし合い,一緒に皿洗いの自発奉仕をしました。これからもそのように注意していきたいと思います」と語りました。劇を演じた人々は,横浜A,Bの大会も含めて三つの大会に出演し,そのような自己犠牲の努力や熱心な演技にも多くの感謝の声が聞かれました。また,健全な思いや聖なる行状などに関する話を聞いて,世の娯楽や交わりなどに関し,一層真剣に考えるよう助けられたという感謝を言い表わした人々も少なくありませんでした。
大会二日目の夕方に,聴衆は台湾省から出席したチー・リーロン姉妹の経験を聞くという特別の機会に恵まれました。同姉妹の三人の息子のうち長男は懲兵の問題で中立を保ったため11年の刑を言い渡されて服役しており,二番目の息子もあと5か月で同じ試練に直面しなければなりません。しかも,息子たちと励まし合いながら,未信者の夫を持つチー姉妹は自ら全時間の奉仕者として毎月130時間を人々に真理を教える業に費やしているのです。「みなさん,どうぞ命をかけて奉仕してください」と語った同姉妹の言葉は多くの出席者の心に残ったことでしょう。
大会三日目の大きな感動の一つは,242人という大勢の人がバプテスマを受けたことでした。両親から真理を学んで育った若者から70代の年配の人に至るまで様々な背景を持つこれらの人たちは,今や救いの希望を抱いてイエスの足跡に従うバプテスマを幾千人もの証人の前で受けたのです。その中には心臓疾患の息子が大会中手術を受けるという困難と心配を経験しながらも妻と協力して最大の努力を払って出席した人もいました。クリスチャンとしての生き方を始めたこれらの人々に惜しみない拍手が送られました。
72歳の出席者の一人が述べたように,この所沢における大会でも『王国の希望がしっかりと各人の心に植えられ』ました。
札幌市
エホバの証人の「生ける希望」地域大会の一つが北海道札幌市でも開かれました。落ち着いた雰囲気に満ちた真駒内公園の中に建つ円形の屋内競技場が4日間の聖書教育プログラムのための会場として用いられました。これは昨年エホバの証人が国際大会を開いた屋外競技場の隣にあります。
北海道の各地から出席者が喜びのうちにこの大会に出席しました。ある家族は14年前,一人もエホバの証人のいなかったある町に引っ越しました。忍耐づよいその4人家族の努力により,人口2万人の町で現在エホバの賛美者が16人にふえ,連れ立ってこの大会に出席できました。北海道の東の端,根室から500㌔の旅をして来たある56歳の聖書研究生の婦人は,一緒に聖書研究を司会してくれているエホバの証人の奉仕者が運転する軽自動車でこの遠い道のりをやって来ました。エホバへの祈りがかなえられた喜びに溢れつつ,『大ぜいの方と会え,大会に来れてよかった』と語りましたが,この婦人は全く目が見えないにもかかわらずクリスチャンの温かいあいさつを他の人と交わしていました。
大会のプログラムは創造者のもたらす義の新秩序に対する生ける希望をさらに鮮明に,強く保つよう助けるものでした。大会の出席者すべてを感動させた劇の一つは,父なし子に関する古代イスラエル社会の取決めを題材としたものでした。今日でも多くの父なし子とそのやもめの母親がおり,クリスチャン会衆内の各人は彼らを助けること,理解することを促される必要があります。そうした立場にある,4人の子供をもつ母親の奉仕者はこのプログラムに心からの感謝を述べこう語りました。『イスラエルの未亡人の苦しみは形は違っても夫のいない家庭においては必ず経験することです。この劇の内容は,日常こうした悩みを持つ者にとって切望していたことでしたから,本当に感激の涙で一杯でした。これからも4人の子供たちを良い子供として,エホバの賛美者となるよう励まし続ける新たな決意をしています」。
救いの希望を抱いてバプテスマを受けた男女は97人にのぼりました。その中には夫婦で共にバプテスマをうけた二人がいました。理髪業のため,初めのうちクリスチャンの日曜日の集会に出ることは大変困難に思えました。しかし正しい動機でエホバ神を試みるなら確かに自分たちを助けてくださると知っていたので,二か月の間日曜日は休業との掲示を出し少しの不安がありましたが,今年1月からそれを実施しました。結果といえば神は豊かに顧みてくださり仕事を調整する前と同じ状態になっています,と語っていました。
大会二日目札幌市街においても活発な野外奉仕がくりひろげられ,良いたよりが夏の間中勤勉に働いている北の大都市にすむ人々に伝えられました。ある奉仕者はリューマチのため手足が不自由で,わずかな時間しか歩けませんがこの奉仕を楽しむよう計画をたてました。区域が少し遠かったことや,前日にできた靴ずれや松葉づえを持つ手にできた水疱の問題があったにもかかわらず,短時間でもと,奉仕に加わりこの取決めの益に浴して満足と喜びを刈り取りました。身体の障害も人が希望の使者として働くのを妨げ得ないのです。
大会の運営のため何千人もが自発的に奉仕し食事は2㌔離れた敷地で調理され運ばれました。喫茶の部門には北海道産物の一つ,とうもろこしもお目見えしました。また札幌市に住む証人たちや関心をもつ人々が大会出席者のために喜んで宿舎を提供し,宿舎部門は十分に必要をまかなうことができました。
大会三日目は雨がふり台風10号の影響を感じさせましたが,四日目はすばらしい天気になり涼しく秋晴れを思わせました。公開講演には5,811人の最高数の出席があり大きな喜びとなりました。約20年前の1960年頃,北海道全体の大会の出席者が60人位であったのを覚えているある奉仕者は,『小さきものは千となり』という聖書の言葉が実感となって訴えて来ますとその感慨を表現しました。「生ける希望」札幌大会はエホバの善良さとその希望のすばらしさを深く印象づけ幕を閉じました。
京都市
日本支部の監督下で取り決められた最後の大会は8月20日から24日まで,京都市の京都府立体育館で行なわれました。京都市で地域大会が開かれるのは,1963年の国際大会以来実に16年ぶりで,地元の証人たちは本当に喜びました。会場は多くの催し物でほとんど連日使用されているため,出席者を迎え入れるための会場の準備は8月20日の朝から午後2時半のプログラム開始前までのわずかな時間を縫ってなされねばなりませんでしたが,地元の証人たちは大挙して自発的な奉仕に参加し,驚くほど短時間で準備が完了しました。
会場の都合で月曜日から金曜日までの5日間の大会となったため,世俗の仕事を持つ人の中には出席できるよう休暇をもらうのに大きな努力を払った人たちが少なくありませんでした。また,大会に出席するための費用を蓄える点で並々ならぬ努力をした人もいます。例えば,岐阜県の高山市から出席した一人の婦人は中学3年を頭に3人の子供を自分の手で養わねばならない事情にあり毎日働いていますが,大会に出席する費用を得るにはそれでは不十分でした。それでこの婦人と長男は何か月も前から早朝に新聞配達をしたのです。その結果,旅費と食事代をまかなうだけの費用を蓄えることができました。そして,出発間際には親せきの人からも援助があったため,家族で大会を大いに楽しむことができ,エホバの助けを深く感謝しました。このほか,マイクロバスで10時間もの旅行をして来た会衆などもあり,京都,大阪,滋賀,福井,石川,富山の府県,および岐阜県と新潟県の一部から大勢の人々が集まりました。
これら出席者たちは冷房の効いた快適な会場で,行き届いた音響装置を通してステージから提供される霊的食物を大いに楽しみました。確かに,「希望を与えてくださる神」に頼ってこの大会に出席した彼らは,その努力を報われました。
クリスチャンの希望は『諸国民の中にあっていつもりっぱに行動する』よう彼らを動かします。(ペテロ第一 2:12)プログラムの中で強調されたこの言葉を大会出席者たちが心に留めていることは周囲の人々の目に明らかになりました。住宅地の中に建てられたこの体育館に対して近隣の人々が日ごろ強く反対しているので,催し物のたびに体育館の責任者は建物の外部では静かにするよう主催者に強調するのですが,そうした要求が満足に守られることは少なく,この事は体育館の頭痛の種となっています。しかし,エホバの証人は体育館所有者への敬意と近隣の人々への隣人愛から,求められたことを立派に守りました。体育館の責任者は感服して,「もう何も言うことはありません,みなさんの信仰のなせる業ですね」と語りました。
会場では出席者たちの食事を準備する仕事ができないため,別の場所を探さねばなりませんでした。エホバの証人をよく知っているある商事会社の寛大な協力で,その会社の敷地の一部と冷蔵庫および冷凍庫を使用させてもらうことができ,証人たちは本当に感謝しました。
三日目の水曜日は体育館の休館日で会場が一日中使用できないため,取り決められた野外奉仕を十分に行なう機会となりました。非常に暑い日でしたが京都市やその近辺のあちこちで証人たちは熱心に証言し,人々を大会に招待しました。小ぎれいなビニール製のバッグも道行く多くの人々の目を引きました。
木曜日に,大会場には臨時に貸しプールが設置され,バプテスマの用意が整えられました。貸しプールの業者は,「プールがそんな神聖なことに用いられるのですか」と目を丸くし,プールの借用料を値引きしたばかりか,組立てや設置に惜しみなく手を貸して感謝を示されました。このプールで162人が救いの希望を抱いてバプテスマを受け,見守るすべての人を喜ばせました。
大会の出席は連日7,000人を超え,最終日の公開講演にはちょうど8,000人が出席したとの発表がなされました。京都市の一長老は,「京都国際大会の後,この土地での業が急速に拡大しましたが,この大会も同じ効果があるのではないでしょうか」と語りました。この大会は公開講演に出席した大勢の人々をはじめ,さらに多くの京都市民が真の希望を見いだす上で多大の益を残したに違いありません。
(次号には,バプテスマに関する経験を掲載する予定です)
[23ページの写真]
神への献身を公に表明する,水によるバプテスマ