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エホバはどんな神ですかものみの塔 1972 | 5月1日
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宣言し,こうした宣言を62回行なっておられます。エゼキエルの預言の中では,「主権者なる主エホバ」という表現は215回出てきます。
26 エゼキエルの預言は,「諸国民はわたしがエホバであることを知るであろう」ということばの成就する時が今や非常に近いことをどのように示していますか。
26 20世紀最後の30年間の時期の今,エゼキエルの預言の中でなされている「諸国民はわたしがエホバであることを知るであろう」という神の目的の宣言にかんして見過ごしてはならないことが一つあります。それはなんですか。この預言は「末の年」つまり「終末の日」に適中しなければならないということです。(エゼキエル 39:7; 38:8,16。アメリカ標準訳,新世界訳)今から57年余の昔,西暦1914年に勃発した第一次世界大戦以来生じてきた事がらからすれば,予告された末の年また日,つまり終末の年また日は今やまもなく臨むはずです。今日の諸国民すべては,この生ける唯一の真の神エホバを,かつて一度も知ったことのない仕方で知るに至る瀬戸ぎわに立たされています。わたしたちはだれもそれを免れることができません。わたしたちはみな,それら諸国民の一部です。エホバに関するそのきわめて重大な知識が授けられる時,わたしたちは得をしますか,損害をこうむりますか。
27 エゼキエルの預言の書を研究することは今なぜ重要ですか。
27 エゼキエルの預言の中で神は,どんな国民や民族が必ず神を知るようになるかについて多くの宣言を行なわれました。したがって,今エホバとその名を好んでいようといまいと,その預言の書をつぶさに調べてみるのは確かに価値があります。そうすれば,その顕著な部分が現代においてどのように成就してきたかがわかるでしょう。今日,至上者なる全能の神に関する考えの依然混乱している正直な心の持ち主は少なくありません。それらの人びとはこの時代のための賢明で時宜を得た助言を見いだして,みずからを益する以外に道はありません。古代エジプトの支配者パロの場合のように,全能の神がエホバであることをどうしていやおうなく知らなければならないのでしょうか。命と幸福の愛好者としてわたしたちは,今穏やかで友好的な仕方で神を知るに至るようにとの,神の情深い招待を受け入れるほうがはるかにまさっています。
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人生の歩みを容易にする,人を建て起こす交わりものみの塔 1972 | 5月1日
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人生の歩みを容易にする,人を建て起こす交わり
ジェニー・クルコフスキーの経験
それは1941年8月10日のことでした。その日は,ミズリー州のセントルイスにおけるクリスチャンの大会で「子どもの日」になることが前もって発表されていました。ものみの塔協会の会長,J・F・ルサフォードは着席している1万5,000人の子どもたちを前にして,こう語りかけました。『神の意志を行なうことに同意し,キリスト・イエスによる神権政府の側に立場を取り,神と神の王に従うことに同意した子どもはすべて,起立してください』。
わたしは起立しました。13歳だったわたしは,その幸福な子どもたちの群れと交わるのをほんとうにうれしく思いました。その大会はわたしにとって初めての大きな大会でした。そうした種類の,人を建て起こす交わりは,わたしが神の全時間宣布者になる道を容易にしてくれました。
神の真理を学ぶ
わたしはミシガン州で生まれ,そこで育ちました。教室が一つしかないいなかの学校でのことでした。先生は生徒たちに,わたしたちが異常な時代に住んでいることや,人類にはどんな将来があるかということを聖書の預言から話しました。わたしはその話にたいへん深い興味を覚えました。ある日,授業が終わってから,先生が,あなたの家には聖書がありますかとわたしに尋ねました。わたしが,「はい,母は聖書をよく読んでいます」と言うと,先生は,いつか晩にあなたの家に行って,聖書を研究する方法を教えましょうと言いました。そして先生は家に来ました。エホバのクリスチャン証人だったからです。
そのころ,わたしの姉は町へ移りました。ある家の窓に聖書研究の広告が出ているのを見た姉は,その家の戸をたたいて,自分が聖書に興味をもっていることを話しました。そこで聖書研究が取り決まりました。姉が週末家に帰ってくるなり,わたしたちは聖書について学んでいることをお互いに話し合いました。そして自分たちが同じ組織のことを話しているのに気づきました。
全時間奉仕への道が開かれる
姉はまもなく,神の王国の良いたよりを全時間にわたって宣布する業をはじめました。姉に励まされて,わたしもそれを自分の目標にしました。1942年1月,わたしはバプテスマを受けました。小学校を終えて良いたよりの宣布に全時間をささげられるようになるまで,時のたつのがもどかしくてなりませんでした。わたしは姉といっしょに働くつもりだったので,両親も承諾してくれました。1943年1月1日付で,神のみことばの全時間の伝道者として最初の任命を受けました。その時わたしは14歳でした。
ミシガン州のアルマで姉といっしょに10か月働いた後,姉が新たにニューヨーク州東ロチェスターに任命されたので,わたしも姉について行きました。そこは,クリスチャン会衆から少し離れたところでわたしたちにとっては初めての任地でした。そこからロチェスターまで出て,集会に出席し,親切に,手厚くもてなしてくれる会衆と交わることをわたしたちはどんなに楽しみにしていたでしょう。
わたしが,聖書の音信に深い関心を持つ人をはじめて見つけだしたのは,その任地で奉仕していた時のことです。その婦人はいろんな質問をしたので,わたしは圧倒されてしまい,わたしの答えではこの人は満足しないかもしれないと思いました。そこで「こんど伺う時には姉を連れて来ます」とわたしは約束しました。
「お姉さんはあなたよりもずっと大きいの」と婦人は聞きました。
「ええ,ずっと上です。姉は23歳です」とわたしは答えました。
わたしが姉とともに再びその家を訪問した時,たいへん残念なことに,婦人は,わたしが言ったことをみな姉に話してしまいました。その婦人は研究を続け,家族もろともエホバの証人になりました。
わたしたちがその地に滞在するのは,ごく短期間であることがわかりました。というのは,新しい区域で奉仕を始めたその日に,姉がものみの塔ギレアデ聖書学校第3クラスへの招待状を受け取ったからです。外国での宣教奉仕に備えるためです。3か月後に姉はギレアデに行き,わたしは家に帰りました。そして,家を出て自活しながら全時間伝道の業に携わることに両親が同意してくれるのを待ちました。
全時間奉仕にもどる
その日はあくる年の1945年9月,わたしが17歳になったときに来ました。わたしは,家族同然のクリスチャンの姉妹とそのご主人の家に同居して,ミシガン州フリントで
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