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  • 万博営業所の良い協力
目ざめよ! 1973
目73 11/8 9–12ページ

エホバの証人の大阪大会に3万1,263人が出席

“神の勝利”を特色づける1,566人の受浸者

大阪の万博会場お祭広場で,1973年7月25日から29日にわたって開催された国際大会は確かに,日本における真のキリスト教の歴史に記さるべき最大の出来事でした。その大会は,海外から来た約400人の代表者たちに,また土曜日の朝バプテスマを受けた1,566人の新しいクリスチャンたちに,そして日曜日の午後に行なわれた大会の最高潮をなす,「神の勝利 ― 苦悩する人類にそれが意味するもの」と題する公開講演を聞いた3万1,263名の出席者すべてに,非常に深い感銘を与えるものとなりました。義を愛する人びとに確実な希望の音信を示すことを特色としたその大会は,エホバ神がまもなく,その王国の支配によって,今日の人類の間に見られる腐敗した支配を追放される時に得られる偉大な勝利の,いわば非常に喜ばしい前奏曲といえるものでした。

大会に出席したおおぜいの人びとは,感動的なプログラムに,大会組織の円滑な運営に,そして集まっている大群衆の間に見られる愛と平和に感嘆しました。大会の初日,つまり水曜日には朝から2万3,895人が出席し,その後出席者の数は毎日着実に増加して,日曜日の午前には3万385人までになり,公開講演のときに最高数に達しました。

朝日新聞社から来たある記者は次のように言いました。

「社会部にいる私の同僚の細君はエホバの証人です。彼女は自分の宗教についていつも夫に話しているのですが,その同僚は妻の宗教に対して今だに懐疑的です。妻が“新興宗教”のひとつにはいっているのか,それともほんとうに重要な事柄を行なっているのか,彼にははっきりわかりませんでした。そこで,私はその同僚から,いったいどちらなのか見てきてくれと頼まれたわけです。私自身,おおぜいの人が集まるのだから,ひとつやふたつの事件は必ず起きるに違いない,と考えていました。しかし,この大会全体に見られる状態は,私が予期していたものとはだいぶん違います。ここにいる人びとは皆,非常に穏やかで謙そんな人たちのようです。赤ん坊をおんぶしたおおぜいの母親が,太陽の直接照りつける野外に座っていながら,手にした聖書に注意を集中しています。私は彼女らが非常に重要な事をしていることがわかりました。新聞記者として私が目にするのはたいてい,事故や犯罪などのみじめなことばかりです。ですから,この大会で多くの人びとの喜びに輝く顔を見ると,聖書がわたしたちの将来について約束している事柄を知るために,私も聖書を勉強しなければならないと考えざるを得ません」。

これは7月28日のことでした。そして,翌朝の朝日新聞大阪版には次のようなりっぱな記事が掲載されました。

「野外劇楽しむ

「万国博の会場跡地でものみの塔国際大会

「公害や食糧危機など苦悩する人類を救うために,聖書の教えの原点に立ち戻ろう ― と聖書の教育,研究組織である『ものみの塔聖書冊子協会』(本部・ニューヨーク市)が25日から万国博会場跡のお祭り広場で『エホバの証人の国際大会』を開いている。

「28日は,約3万人の信者を集めて,会場中央の仮設舞台で旧約聖書からとった野外劇が上演され,万国博以来のにぎわいぶり。アメリカ,西ドイツなどからの信者もまじり,たがいに『ブラザー』と呼び合うなど和気あいあい。聖書を片手に伝道者たちの講演を熱心に聞いていた」。

この新聞記事に示されているように,上演された4つの聖書劇は非常に教訓的なものであり,人びとの関心を集めました。ダビデとバテシバの過ちを取り上げたひとつの劇は,重大な罪に通じるすべりやすい道に足を向けるようなことが決してないよう,良心を常に鋭敏に保つことの必要を,すべてのクリスチャンに銘記させました。エリコの崩壊と,ラハブおよびその家族の救いを扱った別の劇は,わたしたちの時代が極めて緊急な時代であることを明示しました。そしてこの劇は,家族や親族やその他の人びとが救いに至る道を早く学ぶのを助けるべく行動するよう多くの人びとを動かしたにちがいありません。別の劇では,イエス・キリストの生涯が,75分間にわたる活動的な演技を通して回顧され,全観衆は,イエスの熱心な模範にならって今,活動する必要のあることに目ざめました。そして最後に,エルサレムに滅びが差し迫まっていた当時の様子を描写した劇が日曜日の朝上演されて,キリスト教世界および人類の世全体を脅かしているさらに大きな災厄を逃れるべく,今目ざめ続けているよう,すべての人が励まされました。それはほんとうに時宜にかなった教訓でした。

日本の大会にとって大きな祝福のひとつとなったのは,ニューヨークのブルックリンからエホバの証人の統治体の成員のうちの5人と,ブルックリンの工場の監督が出席したことです。それらの訪問者は大会で主要な話を行ない,世界中のエホバの証人のために準備された,すばらしい新しい出版物を発表しました。それだけではありません。“人類にとって時は尽きようとしていますか”と題する4ページの小冊子,王国ニュース第16号,“真の平和と安全 ― どこから得られるか”と題する192ページの新しい書籍,そして公開講演の内容を載せた小冊子の合計3つの日本語の出版物も準備されていたのです。ですから,大会出席者は,大会で与えられた豊富な霊的食物すべてに加えて,家に持ち帰って勉強できる,また神の王国の喜ばしい希望を他の人びとに引き続き布れ告げるさいに用いることのできる十分のものを得ました。

訪問者のための宿舎

このような大会を準備するさいの大仕事は,おおぜいの訪問者の宿舎を見つけることです。今回は,個人的に宿舎を取り決めた何千人もの人びとに加えて,1万7,300人が宿舎を申し込みました。申込者は全員,そして大半は京都の旅館に,宿泊することができました。そのために十分の休息を取ることができ,新鮮な気分で毎日のプログラムを楽しみました。宿舎部門は驚くべき仕事を行ないました。そして,多くの人が宿舎を捜している間に,胸の躍るような経験をしました。茨木会衆の小田博子の語る次の経験はその代表的なものです。

「宿舎捜しを始めた最初の日に,4,5人分の宿舎を喜んで提供するというある若い婦人に会いました。話をしているうちにその人は,自分は何度も教会へ行ったが聖書は理解できなかった,と言いました。その婦人は真理の本は受け取りませんでした。一週間後,私はまたその人を訪問し,2冊の古い雑誌と“見よ!”の小冊子をわたしました。その時は,彼女は私を家の中に招じ入れ部屋を見せてくれました。そして,彼女の態度は最初の訪問の時よりずっと親しみ深くなっていました。彼女の話によると,エホバの証人は幾度もその婦人の家を尋ねたそうですが,彼女はいつも証人たちを追い返していました。聖書に関心はあったのですが,何かにはいることは望んでいなかったのです。それで私は,聖書についてそれ以上話しませんでした。その後まもなく,私は全く偶然にもう一度その婦人に通りで会い,聖書について少しの間話し合いました。そして,買い物をしている時にもう一度彼女に会いました。私は,もう一度彼女を訪問することはエホバの意志に違いないと考えました。そこで,マーケットで会ったさい,私は彼女に“見よ!”の小冊子を読んだかどうか尋ねてみました。『ええ,読みました』という答えが返ってきました。『もし,もう一度おうかがいするなら,その小冊子の内容についてお話しするための時間を1時間ほどさいていただくことができますか』。『1時間ならよろしいですわ』と彼女は答えました。そこで私は,すぐその場で,つまりマーケットの中で,予習の仕方を示しました。訪問してみると,彼女はよく予習をしていました。読書が好きで,2冊の雑誌と“見よ!”の小冊子を楽しく読んだとのことでした。その最初の研究以来,彼女は週3回の集会に出席し始め,初めて王国会館に来た時から注解を述べています。2回めの研究の時には,聖書と,以前には断わった真理の本を求め,“ものみの塔”と“目ざめよ!”誌の予約をし,11か月の子どものために楽園の本も求めました。2回めの研究の後,今は神の存在をほんとうに信じることができる,と彼女は言いました。私はその人のご主人に会い,真理の本の20章をいっしょに話し合いました。ご主人は,妻が聖書を勉強することはとてもよいが,自分はしなくてもいいと言いました。その家族には仏事の関係で日曜日ごとに親類を訪問する習慣がありましたが,彼女はそれをやめて,代わりに集会に定期的に出席しています。その婦人は大会の準備のための自発奉仕を非常に喜んで行ない,大会には5日間全日出席しました」。

万博営業所の良い協力

万博会場近くの箕面会衆の監督富永馨は以前,大阪府の官吏でした。会場で種々の取り決めをつくる段になった時,富永兄弟は,現在万博事務所で最も大きな発言権を持っている当局者ふたりが,大阪府庁で働いていた当時の親しい同僚であったことに気づきました。

そのふたりは大会を組織する面で特別の援助を差しのべ,広い玄関(外国のお客さんたちに朝の軽食を出すために用いられた)と円形舞台(訪問者たちの前で宣教者が経験を発表したり,邦楽,日舞,生け花,着物の着付けなどの日本の伝統的な芸を披露したりした)大きな鉄剛館を開放してくれました。会場内のどこか離れた場所でしかも炎天下で食事を準備する代わりに,万博事務所はお祭り広場の下にある広大な地下広場を開放してくれました。この広々としたところで,すべての準備と調理や皿洗いの仕事が行なわれました。

大会初日の朝は,2万3,985人が出席し,昼には2万2,055人分の食事が給されました。この莫大な量の食事の準備のため水槽はからになってしまいました。しかし,万博当局が地下にある別のタンクから余分の水を喜んで供給してくれたため,食堂は引き続ききわめて円滑に運営されました。日曜日に2万8,000食という最高数の食事が準備された時でさえ,だれも列に並んで“待つ”必要はありませんでした。列に従ってただ歩き,歩きながら食事の盛られている皿を受け取り,立ち止まって食べ,それから皿受け部門の所まで歩いて行きました。EXPO '70の“太陽の塔”の前の広場に並べられた1万1,000の(寄贈されたり借り受けたりした,挽材と鉄パイプの足で作られた)テーブルは,全聴衆が1時間のうちに食事をし終えるのに十分間に合いました。

大会の監督,阿部孝司が小さな自転車のペダルを踏みながら忙しそうに各部門を回っている驚くべき光景がしばしば見られました。大会を組織する面で,彼は非常にすぐれた働きをしました。

バプテスマの場所,つまり以前のあやめ池が浅すぎることがわかると,万博当局は喜んで水の高さを65㌢ほど上げてくれ一銭も要求しませんでした。

万博会場の駐車場が大会会場からかなり離れている点が指摘されると,当局者はお祭広場のすぐわきの広い地域をエホバの証人専用の駐車場として快く開放してくれました。自動車の前窓にはったステッカーが専用駐車場にはいる許可証となりました。

ちょうどそのころ,市役所は山林を切り開いていました。そしてそこにある竹やぶを取り除く必要に迫られていました。地元のエホバの証人のひとりがそのことを聞き,兄弟たちは許可を得て自動車やトラックでその場所に行き,200本の竹を伐採し,10本は根から掘り起こしました。根から掘り起こしたこの10本の竹はステージの飾り付けに用いられ,他の竹は大会の各部門で使用されました。根がからみ合っていて引き離すことができないので,竹を根ごと掘り起こすのは非常に難しいことです。竹の根は容易なことでは抜けないため,地震の時の最も安全な場所は竹やぶだと言われています。

天候でさえたぐいまれな方法で協力してくれました。わたしたちの大会が始まる直前の日曜日に,お祭広場でロック・フェスティバル(ロックンロール大会)が開催される予定でした。しかし突然,台風6号が発生し,万博会場めがけてまっすぐに進んできました。ロック・フェスティバルはおって知らせがあるまで延期され,会場がわたしたちの大会の直前に汚されるという事態は避けられました。しかし,台風の勢力は弱まり,大会の間ずっと,四国の南方に停滞していました。台風は,週末に大会の最後の準備が行なわれていた間,万博会場の上にありがたい雲の日傘をかけ,大会中は会場の換気がよくなるように強い風を送ってくれました。しかし月曜日には,台風の余力が移動してきて,各地で豪雨が降りました。

確かに,“神の勝利”大会で起きた喜ばしい出来事について書き記せば1冊の本ができるでしょう。大会に関する報告は引き続き“目ざめよ!”誌に掲載される予定です。

[10ページの写真]

エホバの証人の「神の勝利」国際大会の最高潮 ― 大阪万博会場跡で,1973年7月29日

[11ページの写真]

大阪大会で聖書劇が行なわれたときのステージ全景

大阪で開かれた「神の勝利」大会の公開講演に3万1,263人が出席しました

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