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オランダの自由のための戦いを特色づけた宗教的残虐行為目ざめよ! 1972 | 12月22日
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「残酷きわまりない拷問にかけた」。
オランダ人のなかには,何百という教会や,僧院,女子修道院などにある像,『聖』画,蔵書,祭壇などを破壊して回った者も少なくなかった。しかし,これらの暴徒は,尼僧や僧侶たちに危害を加えず,また富も略奪しなかったことをつけ加えておかねばならない。
ウィリアムのむすこモーリスは,軍事上の手腕にかけては父親よりもうわてであったが,人道主義的な原則においては父親に劣っていた。このむすこの治世の後半に,諫争派として知られている宗派が現われた。この宗派は,とくに予定説と救いについて,有勢なカルビン派よりも自由な見方をした。この少数派の信徒は,罰金を科され,投獄され,追放され,大量に殺害されたことさえあった。
このように,オランダの80年にわたる自由のための戦いにおいては,宗教に関連して双方が驚くべき残虐行為を行なった。このすべては,彼らのうちひとりも,キリストの真の追随者でなかったことを物語るものである。宗教に関係したそうした残虐行為はすべて,キリストが明らかにされた次の諸原則とは正反対の行為である。「すべて人にせられんと思ふことは,人にもまたその如くせよ」。「すべて剣をとる者は剣にて亡ぶるなり」。「われ新しき誡命を汝らに与ふ,なんぢら相愛すべし,わが汝らを愛せしごとく,汝らも相愛すべし。互に相愛する事をせば,これによりて人みな汝らの我が弟子たるを知らん」― マタイ 7:12; 26:52。ヨハネ 13:34,35。
オランダにおける今日の状態はどうだろうか。バチカンの権力に対する反抗が再び生じている。このたびの反抗は,過去の場合のような暴力によるものではない。しかし教皇権をはねつける人たちのうち,はたしていく人が,神のことば聖書に示されている高い標準をほんとうに自分の生活に取り入れ,それを実行しているであろうか。
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話をするドラム目ざめよ! 1972 | 12月22日
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話をするドラム
● ジャングルの中でドラムをたたいて音信を伝える光景を,映画で見たり本で読んだりしたことがありますか。この方法はほんとうにうまくゆくのですか。たたき方や音色を変えることによって音信を正確に伝えることができるでしょうか。
1970年12月にナイジェリアのラゴスでエホバの証人の国際大会が開催されました。ある朝,北アメリカとヨーロッパからの訪問した代表者たちのために,特別のプログラムが組まれました。ナイジェリアにおけるエホバの証人の歴史が話されました。同時に聴衆は「話をするドラム」の実演を楽しみました。
ドラム奏者が前に出ました。ひとりの証人は奏者が伝えるべき音信を小声で告げます。それからドラムを3回たたいて音信が伝えられました。「聴衆の中のヨルバ族の人でこの音信を理解できる人がいますか」と聴衆はたずねられました。1本の手がとっさに上がり,その音信はヨルバ語で言い表わされ,また英語に訳されました。それは次のとおりです。『天にいます我らの父よ,願わくは御名のあがめられん事を』。(マタイ 6:9)なんと大きな拍手がわいたことでしょう。もう一度ドラムをたたいてべつの音信が伝えられました。聴衆の中の別のヨルバ族の人がそれをすぐに理解しました。『エホバはわが牧者なり われともしきことあらじ』。(詩 23:1)これら二つの実演は,ヨルバ族のドラムはほんとうに「話す」ことができる,ということに関するいっさいの疑惑を聴衆の思いから取り除くものとなりました。
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